【完結】変これ、始まります   作:はのじ

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14 反転する世界

 主観と客観。

 

 全く同じ物を見ても立ち位置が変われば見方が変わってしまうって事だ。

 

 例えば俺。

 

 クソ妖精共のせいで両親と早くから離れ、学生時代は友人は一人も出来なかった。学校中で嫌われ、近所では鼻つまみ者。最終学歴は中卒で高等教育は通信教育だ。つまりド底辺の人間と言ってもいい。吹雪さん達、最初の五人のお陰で耐えてこれたけど、正直、何度か心が折れそうになった。そんな俺が何の因果か提督という立ち位置を得て、間違いなく一生分の幸運を使って雨雲姫ちゃんと廃棄物Bという艦娘(家族)を手に入れることが出来た。向こう六ヶ月ただ働きが決まっているが俺にとっては些細な事だ。大本営はクソだが、俺を提督にしてくれたことは感謝している。折り詰めを持っていつか礼を言ってやらん事もない。

 

 俺だけが持つ特徴はクソ妖精共が五人いて、将来的に艦娘を最低でも五人を直接指揮出来るという事だけ。それだけだ。人間としても提督としても半人前。何もかも経験が足りない。はっきり言って今の俺は鎮守府の足を引っ張るお荷物だと言っても過言じゃない。何かある毎に大本営()に噛み付き、やり込められ萎れて結局頼る。俺が提督として体裁をなんとか保てているのは雨雲姫ちゃんのお陰だ。演習を経て今の段階で、強さだけ見ても艦娘全体で上の下くらいの位置にいて、可愛さならぶっちぎりのナンバーワンだ。雨雲姫ちゃんがいなければ俺は提督として本当の雑魚だ。

 

 これが俺が持つ俺の主観だ。

 

 俺以外が俺を見た時どう思うのか。主観をなるべく排除して考えてみた。

 

 まずは大本営だ。相変わらず嫌われている。クソ妖精共が暴れるせいだ。と、これで終わるとただの主観だ。勿論クソ妖精共が暴れるのもある。だけど俺は諦めていた。近づくだけで迷惑がかかるし、どうせ分かって貰えないと会話を捨てていた。俺の事情を説明する事を最初から放棄していた。噂を聞けば俺を怖がるだろう。クソ妖精共はその感情に反応する。でも怖がってない人もいた。艦娘工廠に案内してくれた軍曹だ。クソ妖精共は嫉妬にも反応していたが、事情が分かっていても艦娘という女神様が側にいるってだけでも嫉妬してしまうのは仕方がない。

 

 俺は理解されないことを前提に大本営とぶつかった。とりわけ、なんたらかんたらっていう艦娘の情報を管理する部署の偉いさんと、なんちゃらっていう部署の相当偉い人の二人は俺の中ではガチでぶつかったつもりだ。この二人はクソ妖精共も暴れない。俺はクソ妖精共を従えてまま、まともに話が出来るのがこの二人だけだと思っていた。少し仕事の範囲が広がって、顔を出す部署が増えると、クソ妖精共が暴れない人が意外と多い事に気がついた。今は両の指で足りる数だけど、もしかしたらもっといるのかもしれない。おっと、これは俺の主観だった。

 

 彼らは口々に、俺に期待していると言う。さんざん迷惑をかけたド底辺の俺に。提督として実績が殆どない俺にだ。理由を聞いても「そのうち分かる」の一点張り。意味不明だ。

 

 怖がられてはいる。でも無意味に嫌われている訳でもない。完全無欠に嫌っている人もいる。全員に好かれる、逆に嫌われるってのは相当難しい。あれだけ迷惑をかけた両親ですら俺を愛してくれたんだから。今はそんなところだ。

 

 次に艦娘だ。

 

 普通、艦娘は自分の提督にべったりだ。鎮守府に来て初めて見た艦娘の金剛さんがそうだった。クールな大淀さんも、執務室では自分の提督を嬉しそうにお世話している。酒で潰れた大淀提督の頭の定位置は大淀さんの膝枕だ。普段凛としている那智さんが胸を押し付けながら自分の提督の腕を抱いて歩いているのを見た時は驚いた。そんな顔も出来るんですねと。

 

 さばさばしたイメージがある隼鷹さん。睨んでいると勘違いされがちな鋭い眼光の不知火さん。ちょっと背伸びしすぎではないですかの卯月さん。

 

 漏れなく全員べったべたである。例外はない。

 

 訂正する。例外があった。大本営公認の艦娘こと廃棄物Bだ。べたべたせず、うぞうぞしている。

 

 そんな艦娘だけど、自分の提督以外だと任務以外では近づく事を極力避けている。嫌っているわけじゃないけど誤解されたくないらしい。そんでもって他の提督には興味が全くないそうだ。その辺の事情は提督も把握していて不必要に艦娘に近づこうとしない。

 

 不思議なことに艦娘は自分の提督が世界で一番の男だと思っていて、必要以上に近づかれると艦娘が自分の提督に惚れてしまうと思っている。演習で提督たちが余り姿を見せないのはこれが原因だ。いやいやいや。提督も十人十色で、渋いおじ様やハンサムな人もいるけど、毛根が寂しい人も、ちょっと太り過ぎ(食わせ過ぎ)な人も、俺みたいなド底辺もいる。女神様だから容姿や経歴なんて気にしないんだろうけど、この辺は俺の理解の範疇を超えている。

 

 そして艦娘の俺への評価は『どうにも見ていられない』だ。何に対してなのか明言は避けるが、他の提督には近づかないのに俺とは普通に話もするし出歯亀もする。アドバイスも一杯もらった。執務室に招待されて食事をご馳走された事もある。未成年だからとお酒を断ると、特定の艦娘からぶーぶー言われるくらいフランクだ。飾ることになく自然体で接してくれる。恋愛感情ではなく何か気になると言われた事もある。今まで普通に接して来たから不思議に思わなかったけど、事情を知ると俺の立ち位置はやはりおかしい。

 

 最後に雨雲姫ちゃんだ。

 

 雨雲姫ちゃんも他の艦娘と同じで、艦娘達が俺の魅力でぞっこんフォーリンラブに落ちると思っているらしい。あり得ない話だけど雨雲姫ちゃんはそう思っている。

 

 キュン死してからしばらくしてからとある雰囲気になった事がある。ラブコメ漫画にある告白しちゃう? って奴だ。俺は恋愛経験値がゼロで人生で絶対に経験できないシチュエーションの一つだとずっと思ってた。雨雲姫ちゃんは俺の大事な艦娘だから勘違いしない様しない様思っていたのもある。今まで、心と体全部を使って好意を示してくれていたのに、知らない振りはもう出来なかった。と言うより俺が無理だった。

 

 夕日では誤魔化し切れない程白い肌を紅くした雨雲姫ちゃん。長く伸びた俺の影が雨雲姫ちゃんのそれと一つに重なっていた。周囲に人の気配はない。ゼロだ。

 

 言われる(告られる)

 

 二重の意味で雨雲姫ちゃんに言わしてはいけなかった。けじめとして俺から言わなければいけない! そして何より!

 

「待って! 雨雲姫ちゃん!」

 

 雨雲姫ちゃんの両の瞳から大粒の涙がこぼれた。拒否されたと思ったんだ。バカだから俺は雨雲姫ちゃんを泣かせてばかりだ。そんな顔させたくないのに!

 

「それは俺が言わなきゃいけないんだ。ごめんね、今まで気づかない振りをして」

 

 雨雲姫ちゃんは掌で顔を隠してふるふると首を振った。提督と艦娘は信じられないくらい以心伝心な時がある。俺達はまさにこの時、心が通じ合っていたと確信出来る。でもそれとこれは別だ。ちゃんと言葉にして伝えなければいけない。

 

 だから、俺は、雨雲姫ちゃんは。

 

 俺達は距離にして四歩離れて向かい合っていた。雨雲姫ちゃんが俺に一歩、二歩。三歩目でお互いが伸ばした手が繋がった。絡まる視線。俺達は互いに頷きを一つ。

 

「マジで覗くのはやめてください! ホント無理だから!」

 

 俺からか雨雲姫ちゃんからか。絡ませた指を互いに引き、俺達はその場から全力で逃げた。

 

 ――あっ、逃げられたデース!

 

 ――不知火に落ち度はありません。擬装は完璧でした

 

 ――あの、雪風じゃありませんから

 

 ――あの日のゴーヤがいたでち。ゴーヤとテートクはこの後……でちでち

 

 ――もうちょっとだったのにぃ。残念にゃしい

 

 背後に聞こえる特定できそうな、と言うか名乗ってる艦娘達の声。ほんと自分ら仲いいな!

 

 俺は恥ずかいやら呆れるやら照れるやら。俺は色んな感情がない交ぜになって気がついたら走りながら声に出して笑っていた。雨雲姫ちゃんも笑っていた。

 

 さっきの場所に人はいなかった。でも艦娘は少なくとも一〇人以上いた。戦闘のプロフェッショナル、艦娘が本気で隠れたら見つけるなんて人間には不可能だ。俺達は以心伝心なんだ。

 

 この日俺達は相思相愛になった。主観と客観の話からだいぶん逸れちゃったけど、これだけは俺の勘違いじゃない。……ただし俺達の関係はプラトニックだ。吹雪さん達に立てた誓いが俺にはあった。血の涙って言葉の意味を誰よりも知ることになるのはこの日の夜からだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「出撃ですか?」

 

「はい。雨雲姫さんは出撃に耐えうると判断されたので」

 

 ニッコニコの大淀さんだ。いつも以上に目が優しい。何かいいことありましたかぁ?

 

 戦闘力だけで言えば、雨雲姫ちゃんは他の艦娘と比べても遜色ないどころか駆逐艦・軽巡洋艦クラスなら最強に近い位置にいる。夜戦は雷撃特性の問題で少し劣るけど、火力と防御力はクラスを超えてベテランの足柄さんとガチの殴り合いが出来るレベルだ。条件次第で金剛さんとも真正面で殴り合える。

 

 問題となっていたのは精神面だ。今までは何らかの事情(・・・・・・)があって精神が不安定と診断され、出撃に耐えられないと判断されていた。俺が問題としていた戦闘の経験については艦娘に当てはまらないそうだ。元々艦船の記憶を持つ艦娘は建造直後から熟練兵だ。

 

 こんなところにも俺の提督経験値が足りない事が露呈される。

 

「落ち込まないでくださいね。むしろ誇るべきです。あなた達はこれまでの記録を大幅に塗り替えましたよ」

 

 ニッコニコの大淀さん。何がとは聞かない。俺の隣にニッコニコの雨雲姫ちゃんがいるからだ。

 

「出撃と言っても護衛任務なので戦闘は滅多にありませんから」

 

 ニッコニコの大淀さんが説明してくれる。

 

 制海権を握っている海域をタンカーや輸送船を護衛する任務だ。主力は駆逐艦で戦闘が発生しても深海棲艦側は駆逐艦や潜水艦がメインになる。ただし経験の足りない俺は当然指揮出来るはずがない。

 

「それに雪風さんと時雨さんが途中まで一緒なので」

 

 雪風さんと時雨さんは補給と休憩でこの鎮守府に寄港している。護衛任務に参加して、途中呉と佐世保を経由してそれぞれ別の艦娘と交代するそうだ。雪風さんは色々話を聞いたけど、時雨さんとはまだ会った事がない。雪風さんは鎮守府のあちこちをフラフラしていて、時雨さんはずっと任務に参加していて顔を合わす機会が未だになかった。

 

「出撃はいつですか?」

 

「時雨さん達の帰投に合わせて三日後よ」

 

 時雨さんは前日の夜に鎮守府に戻ってくるらしい。ギリギリだと思うんだけど休憩とか大丈夫なんだろうか?

 

「ふふ。あなたはまだまだ艦娘を知らないわね。もっと知るべきだと思うのだけど」

 

 大淀さんが、おやおやどうしたのかしらこの提督は? 艦娘はまだまだあなたの知らない秘密でいっぱいなのに何故知ろうとしないのかしら? とばかりにニコニコしている。

 

 あぁ、この目、この数日で何度も見たわぁ。どこに行ってもこんな目をされる。やめてくれ。むしろ俺の鋼の精神力を褒めてくれ。というか何故ばれてる。

 

 時雨さんの任務は哨戒任務で戦闘の可能性は低いそうで、戦闘経験値がずば抜けているので入渠なしなら帰投後数時間も休めば万全の体制を作れるそうだ。そもそも艦娘の体力を人間と比較する時点で間違いだった。

 

「出撃の直前に顔合わせになるけど心配しなくてもいいいわ。とてもいい子だから」

 

「よかったね雨雲姫ちゃん。時間を作ってたくさん話を聞ければいいね。頑張ってね」

 

 雪風さんの話は俺にとっても参考になる事がたくさんあった。正直俺も話を聞きたいくらいだ。

 

「……うん。がんばる」

 

 雨雲姫ちゃんがずっと繋いだままの俺の手をぎゅっと握った。大淀さんの目が優しい。その目は止めてください。ほんとお願いします。止めろっつてんだろちくしょう!

 

 護衛任務の指揮は大淀提督が執る。俺は補佐だ。補佐は建前だ。大淀提督に付いて勉強させてもらうだけ。本当に俺は半人前だ。

 

 指揮と言っても俺達提督が出来るのは艦娘達が出港するまでだ。任務について行くことは出来ない。人間は非力過ぎるからだ。出港を見送って後は無事に帰投する事を祈るだけ。だから俺達はそれまで全力を尽くす。燃料・弾薬の手配、安全な航路の選定、寄港先での段取り、考えうる事態の想定、etcetcだ。勿論限界はある。想定外はあり得るのだ。だからこそ妥協なんてしない、出来ない。比較的安全な任務だからって油断なんか出来ない。

 

 俺は三日間、大淀提督の指導の下、俺が出来るありとあらゆる事をした。大淀提督の執務室で徹夜する覚悟だったのに夜は追い出された。睡眠はちゃんと取れと言った大淀提督は、ハハハ……と乾いた笑いで執務室の扉を閉めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は驚くほど簡単に過ぎる。集中していたという理由もあるけど、俺は心に余裕がなかったのかもしれない。もっと出来た事があったんじゃないか? もっと完全に近づけることが出来たんじゃないか? 出来もしないのにそんな事ばかり考えてしまう。

 

 俺に出来ることは少ない。だけど俺を絶対的に信頼してくれる雨雲姫ちゃんに安心を与える仕事は完璧にこなせたと思っている。

 

 自信満々の表情だけはずっと崩さなかった。この顔のまま雨雲姫ちゃんを見送るんだ。

 

 俺は廃棄物Bを胸に抱いていた。一緒に見送るためだ。雨雲姫ちゃんも廃棄物Bが一緒の方が安心できるはずだしな。いいか廃棄物B。お前も艦娘としていつかは出撃しないといけないんだぞ? まだもう少しだけ先だけどな。

 

 埠頭には続々と任務に参加する艦娘が集まっていた。

 

 旗艦の睦月さん――その目はやめてください。

 

 随伴の卯月さん――お願いやめてください

 

 同じく随伴の雪風さん――やめて!

 

 同、清霜さん――やめろっつてんだろ!

 

 雨雲姫ちゃん――きりっ! やっぱり一番かわいい。

 

 時雨さんはこの後合流だ。出港予定時刻まではまだ余裕がある。輸送船四隻を六人の艦娘が護衛する体制だ。

 

「安心するがよいぞよ。大船に乗ったつもりで睦月に任せるにゃ~」

 

 駆逐艦って大船に分類されるのか? そもそも大船がどのくらいの大きさからなのか分からない。

 

 雨雲姫ちゃんを中心に置いてきゃっきゃと姦しい。艦娘が数人いるだけで場が華やかになる。雨雲姫ちゃんの緊張を解そうとした気遣いだ。雨雲姫ちゃんを除いて全員百戦錬磨だ。体は俺より小さいけど、俺が生まれる前から深海棲艦と戦っているベテラン揃いだ。経験値はハンパない。

 

 俺に残された仕事は皆を信頼して送り出す事だ。

 

「あ、時雨ちゃんだぁー。ここだよ、ここー」

 

 清霜さんが時雨さんを見つけて手を振る。振り返った俺の視界に白露型独特の装甲艤装が映った。実はこの鎮守府に白露型の駆逐艦は一人も在籍していない。だから俺は白露型を見るのは初めてだ。

 

 駆逐艦に多いセーラー服型の装甲艤装でベースの色は紺色だ。襟や裾や袖は白くて赤いラインが走っている。この色合いは白露型で五番艦まで共通している。駆逐艦らしからぬ意外と大きい胸元に赤いネクタイがおしゃれだ。右手だけに黒い手袋をしている。どこかに落としたのかな? と思ったけど自在に艤装を操る艦娘だから、最初からこの装備なんだろう。セミロングの髪は黒く見えるけど光が反射して少しブラウンがかって見える。三つ網にした毛先を纏めている赤いリボンが女の子っぽくて可愛らしい。

 

 少しだけ大人っぽい可愛らしい少女。第一印象はそんな感じだった。

 

「ごめん。遅れちゃったかな?」

 

「ぜ~んぜん大丈夫ぴょん。まだ時間前だぴょ~ん」

 

「よかった。みんな久しぶりだね。えぇっと、君が新しい提督だね。話は聞いているよ。僕は白露型駆逐艦二番艦の時雨だよ」

 

 まさかの僕っ子だった。しかも凄く落ち着いたしゃべり方をする。同じ歴戦でもここにいる駆逐艦とは全然方向性が違う。見た目の容姿も少しだけ大人びて雨雲姫ちゃんと同じくらいだから、それが関係しているのかもしれない。

 

 俺はよろしくと挨拶をするけど握手とかはしない。雨雲姫ちゃんが気にするからだ。間違っても俺に惚れることはないから安心して欲しいんだけどそういう事じゃないんだと今は理解している。

 

 俺は時雨さんに好感を持った。何故かって? おやおやどうしたのかしらこの提督は? って目をしないからだ。とてもいい人だ!

 

「それで君が雨雲姫さんだね。僕は時雨、よろしくね……え?」

 

 時雨さんは雨雲姫ちゃんに直ぐ気が付いた。雨雲姫ちゃんは個性の集まりのような艦娘の中にいても目立つ容姿をしている。髪の毛も肌も装甲艤装も白い。俺を見ると雨雲姫ちゃんは直ぐに赤くなっちゃうんだけどな!

 

 艦娘は仲がいい。雨雲姫ちゃんも時雨さんと直ぐに打ち解けるだろうと思っていたんだけど時雨さんの様子が少し変だ。どうしたんだろう? 可愛すぎて驚いたのかな?

 

「よろしくねぇ」

 

「えっと……」

 

 挨拶を返した雨雲姫ちゃんに対して何か混乱しているみたいに見える。

 

「どうかしたのぉ?」

 

「その……ごめん。君に妹とよく似た気配を感じたから……顔も少し似ていて驚いちゃった」

 

「妹ぉ?」

 

 妹? もしかして雨雲姫ちゃんって白露型なのかな? 海外艦だと思っていたけど実は建造途中の幻の白露型だったとか? でもそれなら資料が残るはずだしなぁ。設計段階で止まっていた駆逐艦だったとか? 知らないけど。

 

「うん。白露型の三番艦で村雨って言うんだ」

 

「村雨?……村雨……むらさめ?……」

 

「少しだけど村雨以外の気配も感じた気がして。ごめんね、変な事言って」

 

「……むらさめ?……私はむらさめ?……むラさメ……あなたハダァレ?……シ……カイ……二……スキ……」

 

 あれ? 雨雲姫ちゃんの様子がおかしい。どうしたんだろ。うつむいて何か呟いている。初めての任務で緊張してるのかな? 仕方ないなぁ。ここは提督として緊張をほぐしてあげないと。

 

「だめです! 離れてください!」

 

 珍しい雪風さんの緊迫した声。初めて聞いたかもしれない。もしかして雪風さんは戦場だとこんな感じなのかな?

 

 俺は馬鹿だ。大馬鹿だ。この時、この瞬間も危機感なんてまるでなかった。だってここは鎮守府で俺の周りには今まで楽しげに話をしていた頼もしい六人の艦娘がいたんだから。だから俺が認識出来たのはたった二つ。

 

 俺が胸に抱いていた廃棄物Bが凄い勢いで飛び出した事。

 

 もうひとつは、え? っと驚いた俺の視界にいる六人の内、雪風さんと時雨さんが誰よりも早く動いていた事だけ。

 

 俺の意識は少しの時間飛んでいたんだと思う。気がついた時には俺は海と空の境界線、緩く弧を描く水平線を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 穏やかな海だ。波は小さい。でも引いて押して、気泡が生まれて波間を白いラインが区切っていた。空も穏やかだ。雲が低く見える。まだらな雲は太陽の光を遮ることに失敗して、海がきらきらと輝いていた。流木が見えた。海鳥が一羽、羽を休めていた。

 

 あれ? なんかおかしい。何で空が下にあるんだ? 海が上にある。なんだこれ?

 

 俺は空にいた。なんで? 意味不明だ。

 

 海老反りで首がのけ反り、上下逆転で水平線を見ていた。

 

 俗に言う車田飛びだ。

 

 雨雲姫ちゃんの初めての演習で、神風さんが、天龍さんが、雨雲姫ちゃんが体験したあれだ。

 

 意識がはっきり覚醒した時には、重力による自由落下に移っていた。ニュートンのあれだ。りんごの奴だ。このままだと頭からぐちゃぁってなってしまう。実際には高度は一〇〇メートルもないかもしれない。でも体感ではそれ以上に感じた。

 

 俺はただの人間だ。艦娘とは違う。陸に落ちれば確実な死。海に落ちても海面に叩きつけられて、骨の一本二本で済めば御の字で最悪はやっぱり死だ。俺は空を飛べないし超人でもない。

 

 不幸中の幸いで落下地点は海の上だ。せめて接触面積を小さくしようとじたばたしてたら、がしっと何かに体を抱きかかえられた。力強い。でも柔らかい。すごく大きい。顔面がとても柔らかい何かに覆われた。

 

「うぷっ!」

 

「黙ってろ。歯ァ食いしばって体の力抜いとけ」

 

 よく知ってる声だった。頼もしくて優しい。駆逐艦に慕われている親分肌の艦娘。車田飛びの大先輩。

 

 俺は言われた通りにした。落下は頭からだ。着水の瞬間、俺の顔面はもっと深く柔らかい胸に沈み、頭を護るように彼女の右腕に抱えられた。

 

 衝撃は予想以上とも予想以下とも言えた。冷静に考えられたのは天龍さんが衝撃の殆どを分散してくれたお陰だ。さすが車田飛びのスペシャリストだ。

 

 こぽこぽと気泡が渦を巻いていた。目を開くと天龍さんはとっくに体勢を整えて水面に向かって上昇中だ。波間から差し込む太陽の光が幻想的だった。

 

「ぷはっ!」

 

 肺に空気を吸い込んだ。心臓がばくばく音を立てていた。天龍さんは水面に立たず、俺と同じで首だけを海面から出して俺を支えてくれていた。

 

「あ、ありがとうございます。でもどうやって?」

 

 人間は空を飛べない。艦娘も飛べない。どうやって助けてくれたんだ。

 

「投げてもらった」

 

 天龍さんが指差す方向を見れば、金剛さんと足柄さんが手を振っていた。力技だった。

 

「そんなこたぁどうでもいい。何があった?」

 

「俺も良くわかって無くて、気がついたら空にいました」

 

「かぁー、なんだそりゃーよう」

 

「天龍さんこそどうして?」

 

 助けてもらって感謝だけど、タイミングが良すぎる。普通人間は空を飛ばないのによく気がついてくれたもんだ。

 

「爆発音が聞こえて、見てみりゃおめぇが飛んでるじゃねぇか。こりゃまずいってなもんで、考えるのは後回しにしてあの二人に投げてもらったって寸法よ」

 

「爆発音?」

 

「聞いてないのか? ショックで記憶が飛んでるのかも知れねぇな」

 

 全然記憶がなかった。覚えているのは埠頭で雪風さんが叫んでから少しまでの記憶だ。

 

「おい、オレの背中に移動しろ。ここにいても埒があかねぇ。鎮守府に戻るぞ」

 

「あ、はい。お願いします」

 

 俺を背負った天龍さんがすぅっと浮き上がって水面に立った。俺はびしょ濡れで天龍さんは欠片も濡れていない。全身撥水コーティングでもしてるのかってくらい濡れていない。

 

「しっかり掴まっとけよ。飛ばすぜ」

 

 状況を理解出来ていない馬鹿な俺はこの時も危機感をまるで抱いていなかった。埠頭の方向から連続して爆発音と煙が立ち上るまで、天龍さんて力強くて頼もしいのに体は華奢だなぁ、って暢気に考えていた。

 

 

 

 


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