【完結】変これ、始まります   作:はのじ

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EX01 部屋とエプロンとあなた

EX

 

「ただいまー」

 

 執務室の扉を開けてただいまの挨拶をする。たったこれだけの事で幸せを感じる。だって鎮守府に来るまではアパートに帰っても挨拶する人なんていなかった。明かりの消えた真っ暗な部屋に無言で帰って、黙って料理を広げて、一人で黙々と食べて、静かに食器を洗ってた。今日、誰とも話せなかったなーって思いながら寝る日もあった。でも今は違う。俺がただいまーって挨拶をしたら。

 

「おかえりぃ」

 

 雨雲姫ちゃんがキッチンから出てきて笑顔で迎えてくれる。

 

 執務室の地味な内装が一気に明るくなった。気がする、じゃないよ? 明るくなるんだ。もうぱーって部屋全体が凄く明るくなって、クソ大本営にねちねち言われてクソクソクソって思って事なんて宇宙の果ての果てまで一気に吹っ飛んじゃう。

 

 雨雲姫ちゃんの笑顔って地球を一〇〇回救ってもおつりが来るくらい可愛いんだ。やっぱり艦娘は女神様だ!

 

 俺が両手に持ってる二つの紙袋を受け取ろうとしたんだけど、料理中で手にお玉を持ってて、あ、どうしよう、ってちょっと悩んでる顔が凄く可愛い。お玉を片付けることも忘れるくらい慌てて迎えに来てくれたのかな。それなら凄くうれしい。俺達は家族みたいなものだと思ってるけど、雨雲姫ちゃんもそう思ってくれるなら俺達二人はいつか本当の家族になれるかもしれないね。なんちゃってーなんちゃってー。

 

「あ、カレーだ」

 

 お玉から広がるカレーの香りが鼻腔をくすぐった。

 

「うん……嫌い?」

 

 俺はぶんぶんと首を振った。

 

「好きだよ! 大好物だよ!」 

 

 今まで俺の食事は好きも嫌いもなかった。お腹が空いてるから食べるだけって味気ないものだった。カレーはレトルトで特に美味しいとは思わなかったし、他の食事と同じで普通に食べる料理の一つだった。でも雨雲姫ちゃんが作るカレーの香りを嗅いだとたんに好きになった。つまり大好物だ!

 

「うん……直ぐに出来るからぁ。待っててね」

 

「あ、ちょっと待って」

 

 早く食べて貰いたいとばかりにキッチンに向かおうとする雨雲姫ちゃんと俺は引き止めた。どうしたの? て顔の雨雲姫ちゃんに、紙袋からそれを取り出して手渡しした。

 

 エプロンだ。落ち着いたベージュのエプロンなんだけど、大小二つの雲がアップリケで意匠されている。雨雲姫ちゃんは名前に『雲』の文字があるからきっと似合うって艦娘商店街の福引の景品で、初めて見つけた時にこれだ! って思ったんだ。

 

 買い物をした金額に相当した福引券がもらえるんだけど、俺はお金なんて持ってないし当分給料は出ないし、どうしようかなぁって悩んでたら大淀さんが相談に乗ってくれて、そしたら艦娘のみんなが協力してくれて一気に福引券が集まったんだ。お願いします! って目を瞑って祈りながらごろごろ回したら一発で当たっちゃって、女神様のご利益を大いに感じてしまった。何故か急遽くじ引き担当になったらしい法被を着た江風さんに、よかったな! よかったな! って背中をばんばん叩かれたけど全然痛くなかった。

 

「……ありがとう……大事にするねぇ」

 

「うん、いつも料理ありがとうね」

 

 雨雲姫ちゃんはエプロンを一度広げて二つの雲の意匠を見ると、ぱぁって笑顔が広がって、大事そうにエプロンを胸に抱いた。

 

 雨雲姫ちゃんは訓練とか自分の仕事も忙しいのに、俺のために料理を作ってくれる。お礼をしたいとずっと思ってたんだけど、俺は大した事ができないから、喜んでくれると俺も凄くうれしい。

 

「……この小さい方の雲が私ぃ?」

 

 うん? 雲は雲だね。雨雲姫ちゃんは雲になって空を飛びたいのかな? 大きい方でもいいよ。好きな方を選べばいいと思う。嬉しそうだから違うなんて絶対に言わないけどね。

 

「うん。じゃ、大きい方は俺だね」 

 

 少し難しい年頃の女の子だ。話は合わせた方がいいに決まってる。

 

「……ずっと一緒だねぇ……」

 

「うん」

 

 二つの雲を見ながら雨雲姫ちゃんが嬉しそうに呟いた。

 

 うん? そりゃアップリケだから動かないし、剥がさない限りずっとそのままなんじゃないかな? まぁいいや。女の子だからね。きっと男の俺には分からない何かだ。喜んでくれてるみたいで大成功だ。こんなんじゃ全然お礼に足りてないけど、女の子だからいつかはお花をプレゼントしたいな。

 

 雨雲姫ちゃんは、ぱたぱたとキッチンに向かい、カレーを仕上げてくれた。さっそくエプロンを使ってくれて凄く似合ってて、俺は顔が赤くなったかもしれない。プレゼントした物を大事に使ってくれるって凄く嬉しくなるんだなぁって雨雲姫ちゃんが教えてくれた。使ってくれてありがとう!

 

 カレーは一人分で雨雲姫ちゃんはいつも以上にニコニコしてて、俺が美味しそうに食べる姿を見てくれる。

 

 どろっと粘度のない真っ黒のカレールーを、噛み砕ける白米の上にぼたっと乗せたカレーは味が表現出来ないくらい美味しかった。ほんと雨雲姫ちゃんの笑顔は最高の調味料だよ!

 

 他人から見れば他愛の無いことかもしれないけど、些細なことでも同じ事を一緒に笑いながら、時には泣いたり出来る人が傍にいるって凄く幸せなことなんだ。雨雲姫ちゃんはそれを俺にたくさん教えてくれた。

 

 二人だと毎日が楽しいね! ねぇ雨雲姫ちゃん! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぱちんと目が覚めた。

 

 目の前に現実がてぐすね引いて待っていた。整理されないまま積み重なった書類の山。それが三つ。とかくこの世は世知辛い。

 

 俺の仕事は極秘事項が多すぎて人間の秘書は使えない。専属の秘書艦が必要だと痛切に感じる。書類の整理だけでもいい。それだけで効率はぐっと上がる。この中には見る必要ない物や、俺がする必要がない物もごった混ぜだ。分類整理するだけでもごそっと時間を持っていかれる。

 

 仮眠というより意識を失っていたと言ったほうがいいか。気がついたら執務机の上に突っ伏す様に寝ていた。ふぁーっと体を伸ばしたらタオルケットが肩から落ちた。時計を見ると二十分程経過していた。何か夢を見ていた気がするが、全然覚えていない。

 

 さっきまでいた電と叢雲が姿を消している。出撃したんだな。昔は埠頭まで見送り出迎えしてたが、もうそれどころじゃない。吹雪達が本気を出せるようになってから徐々に仕事が増え続けて今じゃこのざまだ。あいつら強すぎる上に働きすぎだ。

 

 艦娘が人類に向ける愛は本物だ。死を厭わず数十年戦い続けるなんて尋常な事じゃない。人類を愛するが故だ。だが優先度はある。人類を愛した上で建造艦は提督至上主義。顕現艦は全人類至上主義と来ている。まぁ刷り込みみたいなもんだな。

 

「あ、起きましたね」

 

「提督、おはようございます!」

 

 峰雲と五月雨だ。五月雨は顕現艦だ。峰雲は顕現艦の亜種といったところだ。顕現艦はとにかく強い。艦娘最強だ。執務室で数々のどじっ子振りを演じてきた五月雨も戦場ではこれ以上無いくらいに頼りになる。峰雲の強さは吹雪達より落ちるが艦娘としては十二分に強い。

 

「動くな!」

 

 五月雨がタオルケットを片付けようとしたのを俺は止めた。お前は何もするな! 絶対にだ!

 

「なんでぇ!?」

 

 お役に立とうと思う気持ちだけ受け取っておく。悪い子じゃない。むしろいい子だ。艦娘に悪い子なんて一人もいない。空回り振りが凄すぎて、出撃に穴を開けた事が過去に三回。余裕があった昔と違って今は駄目だ。各所に甚大な迷惑がかかる。お前は戦場で輝く。頼りにしてるし信頼もしてるからそれ以上こっちに来るんじゃない。

 

「あ! ケッコン指輪だ!」

 

 執務机の上に雑然と放り投げていた指輪を五月雨が見つけた。先日明石に無理やり渡されてそのまま忘れていた。五月雨が瞳をキラキラさせながら指輪を見ている。

 

「欲しけりゃやる。ほれ」

 

 俺は二つの指輪をぽんぽんと投げた。五月雨は手元で、あわわ、あわわと八回お手玉しながら指輪を手に収めた。こいつ本当は器用なんじゃねぇのかとこんな時思ってしまう。

 

「ありがとうございます! でも、あぇ! ふえぇ!? 提督!? 私の事好きだったんですかぁ!?」

 

「何言ってんだお前」

 

「ですよね! えへへへ」

 

 俺とこいつらがそんな関係になるのは絶対にあり得ない。こいつも分かってる筈なのに素でボケやがる。俺は書類を片付けようと途中までやっつけていた書類に目を向けた。。

 

「あれぇっ!? あれぇっ!? どうして!?」

 

 奇声を上げる五月雨を見ると指輪がスカスカと薬指を何度も往復していた。サイズが全然合ってない。

 

「駄目でした」

 

 見りゃ分かる。しょんぼりした五月雨が指輪を返しに来た。止まれ! それ以上こっちに来るんじゃない!

 

 察した峰雲が指輪を受け取ってくれた。

 

五月雨(お前)でも指輪に興味があるんだな」

 

「それはそうですよ。女の子なんですから憧れちゃいます」

 

 顕現艦は俺以上にケッコン指輪に縁がない。全人類相手にケッコンするわけにはいかないからな。

 

 峰雲が手にした指輪をちらちら気にしている。五月雨と一緒で憧れがあるんだろう。

 

「欲しけりゃとっとけ」

 

「でも……」

 

 峰雲は手にした指輪をどうしようかと悩んでいる様相だ。

 

「欲しいと思う奴が持ってけばいい」

 

「……では、提督がケッコンするまで預かっておきますね」

 

「渡す相手なんぞいねぇぞ?」

 

「提督の元にもいつか素敵な艦娘が来てくれますよ」

 

 三年間も建造失敗してるけどな。実際こいつらが働きすぎてこれ以上来られると完全に俺の仕事は破綻する。それでも毎月欠かさず工廠に向かう。墓参りみたいなもんかもしれねぇなぁ。まぁ、この状態だからもし来るなら大淀並みの事務能力持った艦娘を切に希望するところだ。

 

 俺は執務を再開。五月雨と峰雲は出撃のため執務室を出て行った。こいつら一年中出撃している。お陰でおれも休みなしだ。

 

 空腹で胃袋が抗議の声を上げた。はらが減っては戦はできずってな。なんか食うかと食堂に出前を頼むことにした。

 

 無性にカレーが食べたくなった。堅めの米と、どっろどろのルーのカレーが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一日でいいから助けてくれませんかねぇ」

 

「それは構いませんけど、吹雪さん達には頼んだんですか?」

 

 これまで処理能力の限界ラインを何度も底上げしてきたが、さすがに人間には超えられない壁がある。俺は大淀に助けを求めた。一日、いや半日でもいい。時間に余裕が出来れば、心と体を休めて他の処理手段を構築する余裕が生まれる。なりふり構ってはいられなくなっている。

 

 艦娘は今でも俺に良くしてくれる。特に昔馴染みの艦娘は、俺の事情を知っているのもあってさりげなく気遣ってくれる事が多い。俺も何気に甘えて口調なんかも相当砕けてしまう。艦娘から見ればいつまで経っても手がかかる子供なんだろう。とっくに立ち直ってるつもりなんだけどな。

 

 俺と艦娘はこれまでの付き合いで傍目には対等の関係になっている。敬称をつけなくなって久しい。軽口を叩く間柄になったが尊敬の念は今でも持っている。彼女達は俺に自然に接することを望んでいる。五月雨達も同じだ。自然とそうなったし、彼女達も今の俺との関係を楽しんでいる。

 

「吹雪は出ずっぱりで、叢雲は手より口が多くて精神攻撃してくるし、漣は気がついたらいないし、電は時間があれば手伝ってくれるけどその時間がないし、五月雨は問題外」

 

 この個性の塊達を専属秘書艦に出来る提督がいるなら俺は裸で土下座しながら鎮守府を一〇〇周走ってでも弟子入りする。

 

 大淀はくすくす笑って、顕現艦は大変ですね、と理解を示してくれた。大淀は大本営を底の底まで熟知してるし、政府とも謎のパイプを持っている珍しい艦娘だ。お陰でこれまで何度も助けられている。

 

「峰雲さんの名前が出ませんでしたけど」

 

「あぁ、そういやそうだな。何度か手伝ってもらった事がある程度か」

 

 峰雲が俺の旗下に合流したのは吹雪達に遅れること半年。雨雲姫の騒動で政府と大本営が念入りに調査し続けた結果だ。大戦に参加した記録もあるれっきとした艦船だったが、過去に例の無い事態がいくつも重なって相当警戒しようだ。その頃には吹雪達を専属秘書艦にすることを諦めていた俺は、同じ顕現艦である峰雲に対して打診すらしていない。

 

 最初は天龍に頼んで演習でみっちり鍛えて貰った。天龍の空を飛ぶ回数が増えた頃に、足柄に頼んで任務に同行させていた。最終的に攻略作戦で雪風や時雨と肩を並べられるようになってから通常の任務と並行して、吹雪達の任務に徐々にではあるが随伴させるようになった。

 

 俺の旗下の艦娘は特殊な海域ばかり回っているせいで峰雲もそれに付き合う事が多い。強い事は強いが経験と実績で遠く及ばない吹雪達に追いつこうと彼女の出撃も吹雪達に準ずるものがある。従って時間もないし、同じ顕現艦だからと忙しさにかまけて本人の希望すら聞いたことがなかった。

 

 顕現艦だから人類史上主義なのは分かっているから、可能な限り出撃させていた。本人もそれが良かったのか、文句一つ言わないから正解だったとは思っている。

 

「では、明日の午後に伺いますね」

 

「助かった。もうマジで無理」

 

「ふふ。前からずっと言ってますね」

 

 そりゃ、修羅場を何度も経験すればスキルもアップする。その度に出来ることが増えて、処理能力もあがった。無理無理と大淀に何度も助けてもらって今は本当の天井だ。これ以上は人間止めないといけない。人間は人間以外になれない以上、今の仕事量が俺のピークだ。

 

「また誰も建造できなったそうですね」

 

「来たら来たで俺の手が回らなくなるから誰かに預けるかしか手がねぇんだよなぁ」

 

「建造しなければいいのでは?」

 

「そうすると明石が寂しがるし、政府が建造しろってうるさくなるだけだな」

 

「まだ言って来るんですかあの人達?」

 

「まぁねぇ。ちょっと先が見えてきたことだし」

 

 人間の立場から見れば理解できない事もない。イレギュラーを別に考えた時、今のペースなら日本周辺から深海棲艦が駆逐される日は現実的なものとなっている。そうなるとどうなるのか。国際的な地位と発言力を高めるため、今後は周辺国に巣食う深海棲艦の駆逐に本格的に手を出していくだろう。条件付とはいえ今も協力体制は構築していることだしな。

 

 人類が団結して戦うべき共通の敵、深海棲艦に勝利した時、人類の敵はいなくなるのか。そんなはずもなく、人類の敵が人類に戻るだけだ。戦力は多ければ多いほどいい。ましてや艦娘はこれまでの近代兵器とは比較にならない程運用コストが低い。使う使わないは別にして抑止力になる…………と唱える政治家は多い。抑止力云々は建前だ。実際は本格運用の計画まで立てて国会で討論する場面もある。そんな奴らほど艦娘を知らなかったりする。政治家はころころ変わるしな。

 

 提督の立場で考えれば臍で茶が沸く。艦娘が人類に艤装を向けることは未来永劫あり得ないし、提督としてもそんな事に加担させるつもりは微塵もない。そんな政治家達と吹雪達はお互い異性人ほど理念に開きがある。だからいくら言葉を交わそうとも決して理解し合えない。燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやである。

 

 当然提督は艦娘の理念に共感している。でなければ俺がひーひー寝不足になりながら提督をしているはずがない。たとえ抑止力だろうと艦娘に人間の戦争に参加させるなどあり得ないし、政治的に利用させるつもりもない。そうなった時、顕現した時と同じで艦娘は黙って静かに姿を消してしまうんじゃないかと思っている。寂しくはあるが人類にとっても艦娘にとってもそれが一番正しい選択だ。

 

 その辺りの事情を良く知る大淀は眉をむっと傾けるが何も言わない。人間でごめんなさいねぇ。

 

「と言ってもまだまだ先の話だけどな。俺が生きている間に終わるのかねぇ」

 

 俺はぐでーと椅子で脱力した。

 

「大丈夫ですよ。例え終わらなくとも、一〇〇年、一〇〇〇年の先、あなた達(提督)の隣に私達(艦娘)はずっと寄り添っていますから」

 

 大淀は花の咲いたような笑顔で慰めてくれた。ほんと今も昔も女神様だねぇ。

 

「なぁ、やっぱり俺の艦娘になってくんない?」

 

「ふふ、嬉しい申し出ですけど、昔も今も、私は私の提督一筋なんです」

 

「ですよねー」

 

 もし了承されたらほほをつねる前に明晰夢であることを確信する程度には艦娘を理解している。というか間違いなく大淀の偽者である。

 

 恒例の告白失敗を経て、この場はお開きとなった。

 

 こうして地獄のデスマーチは回避された。どうせ数日のことだけどな。

 

 

 




想定していたところまで届かず。


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