【完結】変これ、始まります   作:はのじ

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J様、R様。誤字報告ありがとうございます。
また別作品ですが、誤字報告、J様に重ねてお礼申し上げます。


EX02 屋上と煙草と青春

 両腕を天に伸ばすと想像以上に強張った肩と背中の筋肉が悲鳴を上げた。うごおぉぉ、と口から謎の悲鳴が勝手に飛び出す。だが達成感は半端ない。見ろ! この執務机を! 書類の山はある。あるが全て決済済みだ。整然と部署毎に分けられ俺の手元から飛び立つのを今や遅しと待っている状態だ。ここから一発逆転の敗北は五月雨がコーヒーポットを、あわわと盛大にひっくり返す等のドジっ子を演じない限りあり得ない。その五月雨は出撃中だ。つまりゲームセット。完全勝利だ。

 

「ご主人様! やったね! 漣の応援のお陰ですよ」

 

 そうだな。漫画を読みながら、途中途中で頑張れ頑張れ言ってただけだけどな。帰還したばかりの休憩中でこの後も出撃するから文句はないが。

 

 この勝利の立役者の一人は大淀だ。助っ人要請の翌日、凄まじい処理速度で書類をやっつけてくれた。それも時間のかかるものから優先的に。俺は開始一時間で署名押印マシーンと化し腱鞘炎になりかけた。無責任に判を押してはいない。ちゃんと全ての書類に目を通して確認している。俺の確認作業より大淀の処理速度が速ぎてつり合いが取れていないだけだった。

 

 執務机に湯気を立てるマグカップが小さくコトンと音を立てて置かれた。

 

「お疲れ様でした」

 

 そしてもう一人の立役者、峯雲が完全勝利を祝うお茶を淹れてくれた。半日助っ人の大淀が執務室を去ったあと、残った書類は俺と峯雲の二人で処理を続けた。峯雲がいなければ右腕は腱鞘炎不可避だったのは確実として、「マジ無理」「もう寝る」と泣き言を言う俺を何度も励ましてくれたお陰でこの良き日を迎えることが出来た。感無量だ。だがこのままだと数日もすれば書類は溜まってしまう。自重を捨てた吹雪達の出撃で処理しきれない書類は一週間で山脈となって元の木阿弥だ。しかしそんな日々とはおさらばだ。寝不足の日よ、さようなら。

 

 峯雲が専属秘書艦になってくれた。峯雲も吹雪達と同じで出撃はハイペースだった。専属秘書艦の話を持っていった時に、俺の方は顕現艦だからと思い込み、峯雲は提督が差配している事だからと、ずっとすれ違いが発生していた事が判明した。俺は自分で自分の首を絞めていた。ならばこの機会にと交渉を進めて早速活躍してくれた。出撃は今までの三割程度に減るが、これでも他の艦娘に比べて若干多い程度だ。峯雲には空いた時間を秘書業務に充ててもらう。慣れてしまえば事務仕事も人間の熟練秘書数人分の働きが出来る艦娘だ。書類の減少は若干量もしれないが、手数は大幅に増える。当分は様子見だがこれで睡眠時間を確保できると俺は多いに感謝した。いかに吹雪達とも言えど、物理的に時間を増やすことは出来ない。自重を忘れたとはいえ、これ以上劇的に出撃は増えない。峯雲に顕現艦として出撃が減るのはどうなんだと聞いたところ、提督を助ける事で人類の勝利に繋がるならと気にはならないそうだ。俺だけが絶大な利益を得ていて、一概にWin-Winとは言えないが、誰も損をしていない。これこそ俺が完全勝利宣言した所以だ。

 

 マグカップ片手に休憩に入った俺たちは雑談を始めた。今日のスケジュールはイレギュラーがない限り、後は寝るだけだ。だからこれくらいは許して欲しい。これも艦娘のご機嫌を伺う大事な業務の一つ、ということにしておこう。

 

「こんな事ならもっと早く聞いておけばよかったな」

 

「私が至らず申し訳ありません。差し出口になると思い、言い出せませんでした」

 

「駄目よー。そんな弱気な態度は。ご主人様は直ぐに調子に乗っちゃうんだから」

 

「そんな事ないと思うのですが……」

 

(お前)はもう少し手伝え」

 

「ほら、調子に乗っちゃった。はぁ~、テンションさがるわー。ご主人様、漣の肩揉んで?」

 

「あ、それでは私が」

 

「せんでいい。直ぐに出撃だからほっとけ」

 

 一見俺と艦娘達の力関係は俺が上に見えるかもしれない。実際はそうではない。艦娘が強いという事でもなく、相対的に俺が弱いと言える。昔から艦娘を尊敬している俺は精神的にどうしても一歩引いてしまうのだ。俺と漣の会話は遊びありトレーニングだ。力関係は俺が上だと教える漣に、いやぁ申し訳ないっすと引き気味になる俺。ざけんじゃねーと指導する漣に、あざーっすと返事する俺。俺と漣の関係をよく知らない峯雲が間に挟まっても場の空気が悪くならないのはこれまでの付き合いの長さ故か。

 

 そうこうしてる間に時間はあっという間に過ぎ、漣は「さてさてお仕事お仕事。漣の活躍を期待しておいてよね」と出撃のため執務室を出て行った。俺はあくびをしながら時間を確認。一般的に就寝の時間ではない。しかし書類仕事が終わった解放感で気が緩み眠気が襲ってきた。この数か月まともに寝ていない。今日だけはいいだろうと、早めに寝室で寝ることにした。

 

「俺は寝るから、峯雲も休んでいいぞ。時間が気になるならおっさんのところで次の作戦の話を聞いて簡単でいいからまとめといてくれ」

 

 疲れない艦娘に休めとはこれいかに。精神を休めておけという意味だ。峯雲の返事も聞かずふらふらと寝室に向かい、ベットに倒れるとスイッチをオフにしたように意識が一瞬で落ちた。今なら二四時間ぶっ通しで寝る自信があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 珍しく寝ぼけていた。仮眠でもぱちんと意識が覚醒するのに、この日は頭の芯がぼやけ、どこで目を覚ましたかすら分かっていなかった。時計を見ると経過時間は二時間。もはやこの体は長時間眠れないのかもしれない。

 

 寝起きの鼻をすんすんと動かすと、誰かが食事をしていると鼻孔が教えてくれた。誰もが知っている独特の香りがした。吹雪たちは料理をしない。出来るらしいがしている所を見たことがない。俺の執務室で食事をするときは、大抵食堂からの取り寄せだ。料理が出来る出来る詐欺は今も継続中だが、俺は別に疑っていない。恐らく本当に出来るだろう。雨雲姫は誰に教えられずとも大抵の事を初見で器用にこなしていた。ただ料理の腕だけはなかなか上達しなかった。俺が上手い上手いと連呼しすぎたせいかもしれない。言いたくは無いが今思えば雨雲姫は料理が下手だった可能性がかなりの割合で否定出来かねる。上手だった可能性も微粒子レベルで存在するが、思い出補正を別にしても当時は本当に上手いと感じていた。

 

 食事をしているのは多分電だ。彼女はふらふらと帰ってきては、彼女の指定席だった椅子に、はわわ、はわわと座って食事を済ませ、なのですと少しだけ休み、なるべくなら戦いたくはないのです、と存在意義を疑うような発言をして直ぐに出撃するハードワーカーだ。我が艦隊は自らブラックに身を落とす艦娘ばかりだ。

 

 扉を開けてテーブルを見ても誰もいない。はてなと首を捻った。

 

「あの、騒がしくしてしまいましたか? ごめんなさい」

 

 峯雲がキッチンから顔だけを出していた。なるほど料理をしていたのか。冷静な頭なら電の帰還スケジュールはもう少し先な事に気が付いたはずだ。まだ頭が働いていなかった。

 

 提督の体調管理も専属秘書艦の仕事に含まれると断言する艦娘はいる。もちろんそんな規定はない。そして当然ながら秘書業務として手料理は含まれない。だが嬉々として振る舞う艦娘は多い。噂に聞いた話だが、比叡と磯風の料理が凄いらしい。一度食べると忘れられない味だそうだ。ご馳走になりたいと思ってはいるが当分叶わないだろう。浜風は是非にと言ってくれるが、所属鎮守府が違えばなかなか会えないから仕方ないと言えば仕方がない。

 

「夕飯に丁度いい時間になりますけど、食事になさいますか?」

 

 香りで何を作っているかは直ぐにわかった。これを嫌いな人間を探すのはなかなか難しい。普段は金曜日に食べるメニューだ。お腹がぐーと鳴った。昼を軽く済ませてからは何も食べていない。ちょうどいいのでご馳走になる事にした。

 

「直ぐに仕上げますね」

 

 鍋を両手に持った峯雲がキッチンから姿を現した瞬間に心がざわついた。今の感情を一言で表せない。郷愁、哀切、諦観、思慕、困惑、後悔、喪失、多幸、哀惜。入り乱れた感情が、ぼやけた意識に活を入れた。

 

 それを意識して隠したつもりはない。だが直ぐに目に付く場所に置いてもいなかった。料理をしようと少し意識を向ければ見つかる。そんな場所だ。旗下の艦娘は料理なんてしない。俺もしない。だからずっと目にする機会はなかったしこれからもないはずのものだった。峯雲が着けているエプロンはかつて俺が彼女にプレゼントしたものだ。大小二つの雲が意匠されたベージュ色の何の変哲もない既製品。

 

「……それは」

 

「偶然見つけたんです。似合いますか?」

 

 鍋をテーブルに置いてその場で一回転。よく似合ってた。落ち着いた色合いは彼女の穏やかな雰囲気と相まって子供を慈しむ保育士(保母)のようにも見える。

 

「……あぁ、そうだな……」

 

 動揺して気持ちの切り替えが出来なかった俺の空気を感じたんだろう。峯雲の表情が曇った。

 

「あの……もしかして使ってはいかなかったですか?」

 

「……そんなことはない。執務室(ここ)にあるものは何でも自由に使ってくれ」

 

 元々、執務室にあるものは自由に使っていいと伝達している。ただし使用条件は、持ち出しの禁止や紛失、模様替えや私物の持ち込みの不可などだ。大事に仕舞うだけで使われないより使って貰う方がいいに決まっている。

 

「良かった」

 

 動揺したのは突然の事で驚いた俺の感傷のせいだ。悪いのは峯雲ではなく相変わらずどっちつかずの俺だ。峯雲はほっとしたのか胸を撫でおろした。

 

「名前に『雲』の字があるせいか見つけた瞬間に気に入ってしまって」

 

「やることは出来んが大事に使ってくれるならそれでいい」

 

「はい」

 

 峯雲は料理をテーブルに並べる。香りで誰でも直ぐに分かる料理、カレーだ。浅い皿に白米を乗せ、付け合わせにらっきょうと福神漬けが小皿に分けられていた。サラダは二種類のドレッシングが用意されて芸が細かい。ただルーは鍋で用意され、お店のカレーというより家庭で作られるカレーだ。

 

「どうした? 何かいいことあったか?」

 

 鼻歌交じりで楽しそうに準備する峯雲。俺は思わずというより、単純に気になって聞いてみた。他意はない。

 

「あの、このアップリケの小さな雲が私かなって。そうしたら大きな雲は提督になるのかもって考えていたら楽しくなってきて」

 

 峯雲がエプロンの裾を伸ばして意匠()がはっきり見えるようにした。

 

 並んだ大小二つの雲の意匠。見るだけで当時の思い出が蘇ってくる。思い出は連鎖反応を起こし、たくさんの場面が脳裏を過っていった。

 

 雨雲姫はずっと好きだと言葉と態度で好意を伝えてくれた。もちろん俺も好きだった。だが出会った当初、俺の好きと彼女の好きのニュアンスは違っていた。馬鹿だった俺はずっとそれに気づかず、好意の意味に気づいた時には、艦娘だから、誓いがあるからと、わざと気づかない振りをしていた。なんと幼稚だったことか。

 

「この雲みたいに提督と艦娘もずっと一緒にいれたらいいですね」

 

「……そうだな」

 

 亜種ではあるが顕現艦の峯雲は雨雲姫とは違う。彼女の好意は全人類に向けられ、俺に抱く感情はただの厚意だ。峯雲の言葉に誤解する要素はない。日本周辺の深海棲艦を殲滅しても、戦争はまだまだ終わらない。ただ一つの区切りにはなる。これからもお互い頑張っていこうか。

 

 カレーは普通に美味かった。家庭料理の域は出ないが、俺好みに堅めに炊かれた白米とごろごろと大きめの野菜。ほろほろとまでいかないが柔らかくなるまで手間を掛けられた肉。間宮達が作る料理には到底及ばないが、ほっと安心できる味だった。尖ったところがなく、毎日食べても飽きない、そんな味だ。

 

 峯雲は食べずに俺が料理を口にするたびに頬を緩ませる。俺たちは今までのすれ違いを反省して、食事をしながら話をたくさんした。これまでの事、専属秘書艦の事、これからの事。色気も素っ気もない話ばかりだ。ただ、俺たちは他の艦娘を交えず二人っきりで話をしたことがなかった。常に俺の周りには誰かがいて話を混ぜ返し、茶々を入れ、話が飛躍したりいい逃げをされたり、ただの世間話で終わったり。

 

 たまにはいいか、と考えたが、峯雲が専属秘書になったことで。これからはこういう二人だけの時間が増える可能性に思い至った。義務ではないが、艦娘とはそういう存在だ。峯雲と話をしている内にこういう時間も悪くないなと思った。艦娘は基本的にテンションが高い者が多い。落ち着いて会話ができる艦娘は希少だ。特に俺の旗下の艦娘は電と峯雲を除いて騒がしい。

 

 食器はとっくに空になっていた。ふと訪れた静寂。峯雲は言おうか言うまいか悩んでいる様子だった。俺は急かさず待った。この際だ、言いたいことを言ってもらおうと思っていた。

 

「……実は……提督にずっと嫌われていると思っていたんです。でも専属秘書艦に選んでいただけて、今はそうじゃないと分かってとてもうれしいんです」

 

 繰り返すが、俺が艦娘を嫌う事は今も昔もあり得ない。もし裏切られて殺されてもだ。艦娘でも抗えない理由があるはずだと信じられるからだ。だから俺が峯雲を嫌う事もあり得ない。だが、避けていたことは否定できない。

 

 雨雲姫が消えて峯雲が顕現した。異常事態が続いたことで原因究明の為、峯雲は政府と大本営に半年に渡って拘束された。結果は白。後になって調査報告を見たが、峯雲も何が起きたか分かっていない。というより何も覚えていなかった。突然世界に顕現し、艦娘の使命を果たそうとしただけだ。

 

 峯雲が拘束されている間、俺は二か月に渡り、茫然自失の日々を無為に過ごしていた。何もせず無気力で過ごし、突然、自分への怒りを爆発させ自傷行動をとっていたらしい。艦娘を含めて俺を助けてくれる人達がいなければ、俺の命はなかっただろう。

 

 立ち直ったのか折り合いをつけたのか。その後、吹雪達が突然旗下に加わり、忙しい日々が始まった。勝手の違う吹雪達。当たり前だ。どんな熟練提督だろうと戸惑ったに違いない。彼女たちは顕現艦なのだから。やっとどう向き合っていけばいいのかわかり始めた頃、提督のいない峯雲が俺の艦隊に合流した。俺以外の提督では旗下に迎えられないからだ。

 

 峯雲を見ているとどうしても彼女を思い出してしまい、忙しいからと理由にもならない言い訳で自分をごまかし、天龍や足柄に預けて一時的に遠ざけた。その後も峯雲が何も言わないことを良いことに吹雪達に預けるような采配をしていた。全て俺の弱さが招いた結果だ。

 

 今日、峯雲と話をして悪いことをしてきたと痛烈に感じた。責任なんか峯雲にこれっぽっちもないのにな。当時、俺の手元にいる最強戦力をぶつけても雨雲姫を救う事はできなかっただろう。今までの俺は、あの時は子供だったからと、他になにかあったはずだと、ずっと駄々をこねていた子供だった。そして今の俺は、あの時は子供だったからできなかった、今は大人になったからと何か出来る事があったはずだと、事実から目をそらし続けるクソガキだ。図体だけ大きくなっても、俺はずっと子供のままだったんだな。

 

 雨雲姫ちゃん、笑ってくれよ。雨雲姫ちゃんの大好きだった俺は昔も今も馬鹿丸出しのクソガキで全然成長してなかったよ。マジ受けるよな。意地張ってパンクして助けられてやっとわかったよ。自分が成長してないって事に気づくのに三年だ。ほんと馬鹿だよな。

 

「どうしたんですか? 何か楽しそうです」

 

「なんの事だ?」

 

「今、提督笑ってましたよ?」

 

「そうか、笑っていたか」

 

 峯雲(お前)がいなきゃ、こんな事も気づかなっただろうな。だからありがとう。俺は素直な気持ちを峯雲に伝える。いつか必ず吹雪達にも言わなきゃいけない言葉だ。ささやかな仕返しで先にお前に言ってやるよ。

 

「峯雲。俺の所にきてくれてありがとう」

 

 これを吹雪達にも言わないといけない。いけないのかぁ……。吹雪と電は会う機会が極端に少ないから、まぁその内に。叢雲は「馬鹿じゃないの!?」と怒りそう。漣は「ご主人様がデレた! キタコレ!!」とか茶化しそうで、五月雨は「え? ふぇ!? ふぇぇぇぇぇぇl!!!」とか執務室であっちへ行ったりこっちへ行ったりと暴れそうだ。言わないといけないのかぁ……感謝はしてるんだけど、言わないといけないのかぁ……。

 

「顕現艦ですけど、私だって艦娘です。提督にそんな事を言われると嬉しくて……もっと頑張ろうって思ってしまいます」

 

 涙を拭う峯雲に俺は何も言わず、そっとハンカチを渡した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日から恐ろしい程順調だった。書類は山にならず、各所との調整は口頭でも可能になった事から俺の思う通りに絵図が引け、睡眠時間は三時間の壁を越えて四時間に届きそうな勢いだ。吹雪達が連日出撃しているため、休日を取る事は難しいが、待機扱いで体を休める事も出来るようになった。そして何より驚くべきことは合同作戦で、護衛艦に乗り直接艦娘の指揮を執る体制すら取れそうな事だ。恐るべき秘書艦である。

 

 峯雲は艦娘として出撃しなければならない。秘書艦業務だけするわけにはいかない。それでも人間の熟練秘書数人分の潜在力を持った優秀な艦娘が俺の仕事を補助するだけで、実質提督十数人分の仕事が回るのである。慣れてくれればもっと楽になる。笑いが止まらないとはこの事だ。物理的に吹雪達もこれ以上は出撃を増やすのは難しい。俺と峯雲の完全勝利である。

 

 峯雲はきつい時には正直に言ってくれる。それがありがたい。きつい、しんどい、出来ない。言われない事の方が問題だ。今は無理をする時じゃない。

 

 峯雲は艦娘らしく快活に明るく仕事をしてくれる。それも俺がありがたいと思っている要素だ。俺には緊張の糸が途切れると突然やる気スイッチがオフになる瞬間がある。峯雲はそんな俺に呆れる事なく、慈母の様に優しく慰め、時には発破をかけててくれる。冗談で雨雲姫みたいに尻を抓ろうとしたこともある。そんな時は上手く操られていると思わなくもない。漣達はその辺り、俺の機微を察してくれない。顕現艦と顕現艦とはいえ亜種である峯雲との差は今後も覆る事はないだろう。

 

 峯雲を見た。峯雲は吹雪達の燃料と弾薬の消費の膨大なデータをまとめてくれている。地味できつい作業だが嫌な顔一つしない。むしろ楽しんでいる様にも見える。

 

 雨雲姫と峯雲は全然似ていない。似ているのは長く豊かな髪を編み、左右二つに分けた三つ編みくらいだ。だが峯雲の姿が雨雲姫に重なる時がある。そんなはずないと否定してもだ。

 

 雨雲姫も俺の仕事をよく手伝ってくれた。俺は一切教育を受けず本当に手探りから始まった。何をしていいか何をすればいいか、どうすればいいかもわからないゼロからのスタートだった。二人でこうじゃない、こうすれば、違っていたか、じゃあどうすればいいだよ! 、と毎日クソ大本営に切れていた。雨雲姫が仕上げた書類を字が違うと突っ返され、俺が仕上げると字が汚いと突っ返された。切れた俺がクソ妖精共を従えて突貫してくどくどお小言をもらう。正解がわからず二人で頭を抱える二人三脚での試行錯誤の日々。

 

 峯雲は違う。慣れないながらも効率よく業務を進めようとする。分からないところは俺に聞き、クソ大本営に切れることなく黙々と、だが楽しそうに。

 

 そんな二人の姿がどうして重なってしまうのか。

 

 ふとした時の仕草が似ている時があった。おれが無理やり雨雲姫と重ねていたのかもしれないが。

 

 それとも楽しそうな姿か? 雨雲姫もよく笑っていた。いや笑いあっていたか。

 

 体が触れる時があった。雨雲姫は怪我をしないよう絶妙の力加減で俺の尻を抓っていた。

 

 峯雲は峯雲。雨雲姫は雨雲姫だ。似たところがあるかもしれない。俺は二人を同一視なんて絶対にしていない。ならどうして。俺は一つの結論に至った。そう考えれば全て納得いく。なんだ簡単な事だった。

 

 俺は峯雲にそれを伝えようと屋上に呼び出した。余人を介さず二人だけで話をしたかったからだ。伝える事で提督と艦娘としての関係は変わらないだろう。だが、それ以外の関係は変わってしまうかもしれない。おれはそう思いながら先に屋上に向かい待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は煙草に火をつけて肺を紫煙で満たす。夕方だ。なんだか青春してる気分だなと場違いにも思ってしまった。俺は時間と場所を指定して峯雲が来るのを待っていた。

 

「ここは禁煙ですよ」

 

 勿論峯雲だ。漣だったら呆れて文句を言われる。若しくは飛び掛かって力づくで煙草を奪われ、いかに煙草が体に悪いか講釈を垂れられるかだ。

 

「そこを見てみな」

 

 『禁煙』と書かれた看板。その右下に小さく、『俺を除く』と追記されている。おっさんに頼んだ俺のささやかな提督特権だ。これが職権乱用の正しい使い方だ。おっさんは負い目がありすぎて俺に甘い。これくらいなら簡単に聞いてくれる。字は小さ過ぎて距離をとれば普通は見えない。だが艦娘には関係ない。はっきりと見えているはずだ。

 

「もう」

 

「まぁ、煙草は近いうちにやめる。多分」

 

 おいしいと思ったことはない。ただの惰性だ。煙草はその内にやめるつもりだ。多分。峯雲は呆れ半分、でも呼び出された理由が気になるのが半分といった様相だ。呼ばれた理由が分かっているのかいないのか。

 

「それでお話ってなんでしょうか?」

 

「あぁそれな」

 

 煙を吐き出し、携帯灰皿に吸い殻を捨てた。振り返って峯雲に相対し軽い世間話をする様に俺は言った。

 

「なぁ、峯雲。お前、雨雲姫の中で俺達をずっと見てただろ?」

 

「えっ!?…………えぇっと、その……」

 

「いくらなんでもやり過ぎだ。何か事情があるのは察してやれるが、ちょっとどかどか踏み込み過ぎだ」

 

 俺が言った意味をゆっくり理解したんだろう。峯雲は一度瞳を見開いてから次に口ごもった。何の事だとしらばっくれていれば、少しは誤魔化せたのにな。性格がいいから咄嗟に出来なかったって所か。何を考えているのは分からない。分からないが峯雲の態度はあからさま過ぎた。

 

 まずはカレーを作ってくれた時だ。一言一句は違うのに言ってる事はあの日の雨雲姫とほぼ同じ。艦娘と言えど三年も経てば記憶は薄れる。だが俺は今でも鮮明に覚えている。たった二か月だが、俺の人生で最高に輝いている宝石みたいな時間だった。いくらなんでもエプロン持ち出してカレー作って同じセリフ回しってどうなんだ。確かに俺の心は揺さぶられた。懐かしい日々が脳裏を駆け巡り、やっぱり忘れる事なんて無理なんだと再認識させられた。

 

 次に仕草だ。艦娘ってのは面白いもんであれだけの数がいるのにそれでいて個性の塊だ。似た様(・・・)な仕草、癖は持っている事もあるが、よく見れば全然違う。これは多くの艦娘を知っている俺だから断言出来る事だ。艦娘について俺ほど理解している人間は世界に二人といない。真面目な峯雲は正確に雨雲姫の動きをトレースし過ぎた。雨雲姫の話は先輩の艦娘から当然聞いているだろう。だが口伝い、手ぶり身振りで動きを正確に再現できるはずがない。

 

 そしてなぜ俺に触れた。提督と艦娘のボディタッチは珍しい事じゃなく日常茶飯事だ。だがそれは建造艦に限っての話だ。顕現艦である吹雪達と俺の接触は必要最低限に限り、それ以外は体が触れたことはない。吹雪達は男性としての俺に全く興味がない。体の制御が完璧なためうっかり体が触れ合う事もない。あの五月雨でさえだ。顕現が遅かったと言えど、吹雪達に食らいつく峯雲の実力は艦娘として十二分に強い。うっかりなどあり得ない。俺のやる気スイッチが切れたからって尻を抓ろうとしたのもいただけない。脈絡が無さ過ぎだ。峯雲の接触は俺と雨雲姫しか知らない雨雲姫独特の触れ方が多かった。なぜお前がそれを知っている。

 

「と、疑問九割、突っ込み所一割。峯雲、お前は一体何がしたいんだ?」

 

 俺は艦娘を信じている。別に騙されたとは思っていない。何か俺に教えられない事情があるだけだろう。顕現してから半年に及ぶ拘束でも峯雲は記憶がないと嘘をついている。艦娘は余程の事情がない限り提督に嘘はつかない。そして政府も大本営も提督じゃない。それ以前に提督不在だった峯雲は嘘つき放題だ。俺は大本営の報告をそのまま信じた。『雨雲姫の中で見ていただろ?』なんて想像すら出来ない質問もしていない。だから峯雲は嘘をついていない。事実を黙っていただけだ。二人でわんわん泣いた告白を見られているかもしれない。俺たちのファーストキスも特等席で見られていた可能性が高い。俺にとって黒歴史ではなく、むしろ誇らしい思い出だが、積極的に他人に知られたいものではなく見られたいとも思っていない。艦娘の出羽亀行為ここに極まれりだ。

 

 気持ちを落ち着けたのか今の峯雲に動揺の色はない。当たり前だ。切り替えの早さは戦場で必須だ。天龍と足柄にみっちり鍛えて貰っている。

 

 峯雲は顔を上げ、俺を正面に見据えて口を開いた。

 

「懐かしい艦娘に会いたいと思うのは明石さんだけではありませんよ」

 

 それも知ってるのか。廃棄物Bを建造した時に明石が言ったセリフだ。そして俺の疑問を否定をしない。確定だ。そして言外に含みを持たせた言葉が俺の心を揺さぶりかける。峯雲、最後まできっちり話してもらおうか。

 

「提督。私たちがどこから来たか、知りたくはないですか?」

 

 それは、世界一艦娘に詳しいと自負していた俺ですら想像の埒外の真実。雨雲姫と融合する事で、召喚の代償である記憶の喪失を免れた峯雲しか知らない、遠い宇宙の果てのさらに先。俺たちの宇宙とは別の宇宙で戦う種族間戦争の物語だった。 

 




終わらなかった。次が本当にラスト。多分。

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