多次元宇宙論に於いて予想される宇宙モデルは様々だ。平行宇宙とも表現される別次元の宇宙は泡沫の泡の如く、今この瞬間も生まれ、消え続けている。生まれ、弾け、消え去る。無数に繰り返される宇宙の誕生。文字通り天文学的な確率を潜り抜けて崩壊を免れる宇宙が極々稀に誕生する。それは地球を内包する宇宙であり、彼女たちの宇宙もそうだ。同じ宇宙でも次元が異なり、物理的な手段では理論的に相互にたどり着ける可能性はゼロ。未来永劫に決して重なり合う事がないはずだった。
便宜上ここでは彼女達を艦娘族と深海棲艦族と名付ける。
彼女達は共に星間種族だった。惑星を早い段階で飛び出し星々の海に飛び込んだのは共通している。恒星間を容易に行き来する技術は魂と精霊の存在を証明すると当時に神の不在証明すらしてしまった。彼女達の不幸は互いの生存圏が近すぎた事だった。星の輝きを子守歌にする恒星種族にとって、二桁に足りない星系を挟むだけの距離は到底足りるものではなかったのだ。
穏やかな気質の艦娘族に対して、他種族の存在を決して許さない残忍な気質の深海棲艦族。不幸な
開戦初期、艦娘族は圧倒的に不利だった。穏やかな気質の彼女たちは自衛の為の武器は所有していたが、敵を殺すための兵器を持っていなかった。深海棲艦族の怒涛の猛攻に艦娘族は後退に次ぐ後退。深海棲艦族にいくつかの星系を奪われ一時は母星系にまで迫られた。だが艦娘族はただで敗走を繰り返している訳ではなかった。深海棲艦と互角以上に戦えるようになるまでの時間を稼いでいたのだ。
魂投影型の決戦艦船だ。
小型から大型まで大小様々な星系移動型の宇宙艦船に乗り込み、魂を同期させることで自らの肉体と同様自在に操作出来る艦娘族が持つ唯一で最強の兵器を作り上げた。但し、この決戦兵器には弱点があった。強力な反面、決戦艦船に乗り込む者の魂を疲弊させてしまう反作用があった。戦い続ける事で魂が摩耗し最終的には消滅してしまうのだ。そこで登場したのが交感者だ。決戦艦船に乗り込む者の魂と自らの魂を共鳴させる事で共に戦い、後方ではあったが同時に指揮も行っていた。通常この関係は一体一の対であったが、稀に二対一、または三対一と、一人の交感者が複数の操縦者と魂を共鳴させる者まで現れた。
決戦艦船は星々の海を自由自在に駆け巡り深海棲艦と互角以上の戦いを繰り広げた。そして奪われた星系を取り戻し、深海棲艦族の支配星系にまで戦線を押し上げた。
抜群の戦果を上げる操縦者は撃墜王の称号を与えられた。とりわけその中でも卓越した成績を残す者は英雄と呼ばれ、人々の尊敬を集めるようになる。時代が幾つか下る中、全ての功績を交感者に譲る操縦者が現れた。交感者がいなければ魂がすり減ってしまい戦えず、全幅の信頼の下、細かな戦術以外を交感者に頼る様になっていたからだ。戦争は長期間に渡り、いつしかそれは大きな風潮となりシステムに組み込まれるに至る。
形勢の不利を理解した深海棲艦はここで王族の投入を決定した。姫級の登場である。姫級の戦力は凄まじく、押し返されていた戦線を膠着状態まで持ち返した。しかしここで一つの事件が発生する。一人の英雄と姫の邂逅。これが種族戦争の流れを変えた。
■
「深海棲艦は宇宙怪獣だったか」
「そう言ってしまうと、
「嘘なのか?」
「嘘じゃありませんけど……」
俺はふふんと鼻を鳴らした。艦娘が提督に嘘じゃないと言うなら本当の話だ。
「提督は数多くの英雄と操縦者を従えて深海棲艦族と戦う唯一の英雄でした。操縦者と交感出来る英雄は数多くいましたが、操縦者と英雄を従える事が出来たのは提督ただ一人です」
「待て。話がすっ飛んでる」
話の流れ的に操縦者が艦娘、交感者の中でも英雄と呼ばれた者が提督だろう。だがなぜそれが地球にいる? 時系列を追うと、最初に深海棲艦が現れた。その次に吹雪達だ。世界に妖精さんが現れて、最後に建造艦の艦娘が登場した。納得しかねるが、まだ艦娘はわかる。妖精さん印の謎技術で作られた艦娘工廠で建造されるからだ。だがそもそもとして何故地球で戦う? そのまま宇宙で深海棲艦を殲滅していればいいだろう。それ以前に何故深海棲艦が地球に突然現れた? 深海棲艦も誰かに建造されたのか? 妖精さんとはなんだ? だがしかし待って欲しい。提督たる俺は地球で生まれ育った生粋の日本人だ。それとも何か? 元々俺はその別の宇宙にいて赤ん坊の頃に艦娘工廠で両親に建造されたのか? 深海棲艦が現れたのが二十六年前。時間的には合っている。何故何故何故。分からないことばかりだ。
「俺は人間なのか?」
「もちろんです。魂だけは私たちと同族ですけど。魂だけがこの宇宙に飛ばされてしまいました」
「飛ばされた?」
「はい。深海棲艦の作った次元兵器で」
■
「ぐあぁぁ! 可愛すぎて目が眩しいぃぃ!! 何て言うかなんだこれ!? もう全部好きぃぃ!!」
「……私もぉ……」
膠着した前線で深海棲艦族の姫の一人が、艦娘族の英雄を背後から奇襲した。完璧な隠形からの攻撃は英雄の命を宇宙の塵にするはずだった。
後に英雄は語る。
「きゅぴーんと来てやべぇこれマジ死ぬって頑張って避けたら偶然ぶつかった。そしたらお互いに外装がぶっ飛んで、目の前に天使? いや、女神様がいて。あ、これあの世だ、俺死んだんだって思ったらもう何も怖いものなくなって、思ったままを言うしかねぇだろって。そしたらお互いそんな感じで、すったもんだの末、後は全部勢いで突っ走った。反省も後悔もする気はない」
深海棲艦族の姫の寝返りは両陣営に衝撃を与えた。艦娘族は深海棲艦族など信用出来ないと、捕虜として拘束しようとしたが、一人の英雄が世論に堂々と反論するどころか、直属として旗下に組み込んだ。深海棲艦族の姫の力は英雄の指揮で押し上げられ、膠着していた前線に風穴を開け、拡大し、ずたずたにした。
一方、深海棲艦族は王族の裏切りによる士気の低下が甚大だった。力で押さえつけられていた王族以下の階級で不満が噴出した。王族の命令を無視して逃げ出す深海棲艦族も現れる程だった。戦線をずたずたにされた深海棲艦族は後退を余儀なくされた。
戦線を押し返された深海棲艦族の未来予測はそう遠くない未来に敗北するというものだった。深海棲艦族の戦略目的は艦娘族の族滅だ。自分たち以外の存在を一切許さない徹底したものだ。それがいつの間に族滅の憂き目に会おうとしてるのは自分達だ。到底許される話ではない。そこで深海棲艦族は戦略を一部修正して二つの作戦を実行した。
一つは万が一の族滅を避けるため、艦娘族のいない別の宇宙に王族を中核に集団転移をすることだった。王族、貴族、戦士、奴隷から選抜して集団転移の計画を立てた。ただ転移するだけではない。嗜好を満たすために、貧弱な種族が土着している必要がある。殺して殺して殺し尽くすためだけの生贄だ。問題は一つ。別の宇宙に転移するための触媒を持っていなかった事だ。しかし直ぐに解決した。その地には、近い過去に起きた戦争で生まれた怨念が大量に渦巻いていた。これを触媒に使えばいい。魂を凌辱するための技術を科学力で解明していた深海棲艦族には容易い事のはずだった。事実転移はあっさりと成功した。数多くの深海棲艦が地球に現れ、多くの人間が犠牲になった。しかし彼女たちは知らなかった。これは転移ではなく召喚であった事を。ただの触媒であったはずの怨念は召喚主となり、深海棲艦はことごとく渦巻く怨念の
二つ目の作戦は英雄と呼ばれる艦娘族の交感者の魂を別次元の宇宙に転移させる事だった。操縦者と交感者と決戦艦船。要は交感者だ。後方で指揮を執る交感者は物理的な交戦が難しい。ならば距離に依存しない次元兵器で魂を吹き飛ばしてしまえ。問題は英雄の魂を別次元の宇宙に転移させるのに必要なエネルギーを生み出す触媒だった。こちらも直ぐに解決した。命令違反を繰り返す戦士階級と奴隷階級、全ての魂を使用すればよい。作戦は成功し、英雄たちの魂は別次元の宇宙、地球に転送され、別の生を受けることになった。英雄に従っていた操縦者は失意のまま戦場を去り、深海棲艦族も王族と貴族のみを残す結果になった。相互に数を減らした戦線はまたもや膠着状態に陥った。
■
「操縦者は精霊に命じて英雄の魂を留めようとしましたが咄嗟のことで間に合わず、魂は精霊の一部を引き裂いてこの宇宙に転移しました。それが提督達の妖精さんです。深海棲艦族の姫には五柱の精霊がいたので、それで提督の妖精さんは少しだけやんちゃになってしまいました」
「クソ妖精共が少しだけやんちゃ?」
「はい。可愛かったですよね」
峯雲は懐かしそう微笑むが、あれは断じて可愛いとかいうレベルじゃなかった。そういえば大淀もクソ妖精共を可愛いとか言ってた。艦娘と人間の感性は似ている部分が多いが、クソ妖精共に関しては絶対に共感できない。最後は轢き殺される所だったしな。
「英雄を失った多くの操縦者が失意で戦線離脱をしました。交感者を失って戦闘を継続出来る精神状態ではありませんでしたから」
峯雲は続ける。
多くの者が悲嘆に暮れる中、消え去った魂の調査が始まる。引き裂かれた精霊を追跡することで見つけることが出来た。別次元の宇宙の片隅にある惑星。地球だった。一部の魂はすでに人間に転生していた。そして記憶と理性を失い怨念の僕と化した深海棲艦も同時に見つかる。喜ぶと同時に慌てる操縦者達。地球を私達の戦争に巻き込んでしまった。そしてこのままでは深海棲艦に交感者が殺されてしまう。最初に五人の操縦者が名乗りを上げた。既に交感者を失っていた最古参の五人は転移に必要な触媒を自らの魂で補った。だが生身のままでは深海棲艦と戦えない。そこで現地の力の象徴を利用した。大戦で戦った艦船だ。失う記憶を艦船の記憶で補い、艤装という戦う為の兵装を得た。転移は成功し、吹雪、叢雲、漣、電、五月雨と名乗った五人は最初に精霊に語りかけた。精霊は彼女たちにとって例え記憶がなくとも親しい友人だからだ。しかし神も精霊もいない地球に現れたのは妖精さんだった。妖精さんが世界中に現れた。
「そして吹雪さん達は戦いながら、妖精さん達と艦娘工廠を作りました。後は提督のご存知の通りです」
いつの間にか俺の隣で一緒に話を聞いていた妖精さんにお菓子をあげる。指先をぺろりと舐められてくすぐったい。残り四人の妖精さんがわたしも欲しいと寄って来た。
「艦娘の建造は召喚と呼ぶのが正解です。提督の召喚要請に喜んでこの世界に現れるのですから。代償で記憶は失ってしまいますけど」
「記憶を失っても魂が覚えているってことか。刷り込みじゃなかったんだな」
「はい。あちらでは召喚されるのを待ち遠しくしていますけど、まだ転生していない提督もいるので全ての艦娘が揃ってはいません」
「そして俺は呼ぶべくして雨雲姫を召喚したと」
「そうなんですけど、あちらの宇宙では紆余曲折がありました。雨雲姫さんは深海棲艦族だったので、そのままでは艦娘として召喚でききませんでした」
「峯雲が雨雲姫の中で出歯亀してた事と関係ありそうだな」
「出歯亀……結果としてはそうなりましたけど……」
峯雲は頬を紅く染めた。別に俺は怒っていない。それが雨雲姫にとって必要な事だったんだろう。
「雨雲姫さんの立場は危ういものでした。陣営を変えたと言っても英雄……提督がいたから反対意見を抑えられていましたが、提督の魂が地球に転送されてしまってからは、彼女を守るのは共に戦場で戦った操縦者だけになりました。その操縦者達も戦場を去り、そして地球に次々と召喚されていって……でも雨雲姫さんが召喚を希望しても認められなかったのです。信用できないからと」
一度裏切った者は二度目がある。特に戦争ならそう考えるのが当たり前だ。
「雨雲姫さんは、提督に会いたい一心で静かに時を待っていました。提督が大本営に見込まれた時には少数ですが理解者も増え、最終的に私が雨雲姫さんと融合することで許可が下りました。召喚は雨雲姫さんが主体なので私の記憶は失われませんでした」
雨雲姫と峯雲が融合することで疑似的に艦娘となった雨雲姫が俺に召喚されたって事か。一つ気になる事がある。峯雲は何故雨雲姫の為に自分を犠牲にしたのか。峯雲にも会いたい提督がいたはずだ。艦娘の性格から考えて最優先は提督のはずだ。
「私は吹雪さん達と同じで、交感者と死別して既に戦線を離脱していました。雨雲姫さんを応援する気持ちは当然ありましたし、懐かしい人に会いたいと思ったのも理由の一つです」
「懐かしい人?」
「はい。お義兄さん。また会えて嬉しいです」
峯雲がほほ笑んだ。彼女の瞳に懐かしい人を思う気持ちが見えた。
「……おにいさん?」
「お義兄さんは転生前と変わらず、見ていて楽しかったですよ?」
父さん、母さん。知らない間に義妹が出来てたよ。悪戯が成功したみたいに峯雲がくすくす笑った。
「気にしないでくださいね。提督は人間に転生しました。昔、そういう間柄だったというだけで、今はただの提督と艦娘ですから」
と言われても気にしないはずもない。その内に折り合いは付けるのだろうが兄弟のいない俺に義理とはいえ妹がいたのは少なからず動揺を禁じ得ない。
俺の心情を知ってから知らずかいつの間にか笑うのをやめ、峯雲は俺の瞳を真正面から捉えていた。俺にとっての本題を切り出そうとしていた。
「最後に雨雲姫さんのことですけど……提督は奇跡を信じますか?」
「信じない」
即答した。世の中は奇跡で満ち溢れている。神の奇跡じゃない。安易に奇跡の言葉を使い過ぎだって意味だ。昨今は少しの幸運と偶然が重なって起きた結果も奇跡の言葉が使われる。日常生活然り、スポーツの世界然りだ。俺は奇跡なんて信じていない。結果は起こるべくして起きるからだ。未来は変えられる。だがそこに神の介入はない。結果は生きている者達が足掻いてもがいて努力した結末でしかない。お気楽な神の気まぐれな祝福なんてクソくらえだ。
「あの日、雨雲姫さんと入れ替わった私は、雨雲姫さんを元の宇宙に転送しました。触媒は私の魂をぎりぎりまで使いました」
吹雪たちと同じだ。違うのは吹雪達がこちらの宇宙に来るときに魂を削った事に対して、峯雲は雨雲姫を転送する為に使ったというだけ。魂を削ることでどうなるのか俺は聞かない。顕現艦の決意は俺が思っている以上に堅く重く尊い。俺が憤ったところで、俺は何も出来ない上に彼女達の決意を侮辱するだけになる。艦娘はそれほど気高い存在だと俺は知っている。
「雨雲姫さんは瀕死でした。彼女の存在を快く思わない人が治療しない可能性があります。普通なら転移で記憶を失っているはずなので、提督の再召喚に応じない可能性もあります。何より雨雲姫さんは深海棲艦です。召喚自体が不可能です」
「でも峯雲は今日、この話を俺に話した。奇跡……可能性を信じているって事だろ?」
「……本当は話すつもりはありませんでした。話せば提督を苦しめる事になるかもしれないと思ったから」
俺は今でも建造を繰り返している。それは雨雲姫を建造する為じゃない。制限なしに艦娘を旗下に置ける底なしの能力があるからだ。だが今日話を聞いて無意味だと分かった。俺が本当の意味で旗下に迎えられる艦娘は雨雲姫ただ一人だ。この話を聞いた俺が希望を胸に雨雲姫を建造しようと喜び勇んで建造して失敗する。失敗を繰り返せば希望は絶望に変わるかもしれない。峯雲はそれを恐れたのだ。
「きっかけは提督が雨雲姫さんにかけた魔法です」
「魔法? 俺は魔法なんか使えない」
ただの人間には魔法も魔術も使えない。そもそもそんな便利なものこの世界には存在しない。魔法使いを名乗る者は全員詐欺師か精神異常者だ。ファンタジーは艦娘だけで十分だ。
「人は『好き』の言葉一つで心を縛ることが出来るんですよ? あの日、提督は雨雲姫さんの心と魂を雁字搦めに縛ってしまいました」
顔を真っ赤にした峯雲が指先で唇をなぞっている。
「……あの……凄かった……です……」
出歯亀ェ。キスの事を言ってるのだろうが、見るだけじゃなく体感も出来たのか。雨雲姫が感じた体験の追体験だろうが感想は不要だ。今更顔を紅くする事じゃないが第三者から聞きたくはなかった。
「……艦娘は提督を傷つける事はできません。でも雨雲姫は偶発的でしたけど、提督に怪我を負わせた。提督曰く『
俺の中にある雨雲姫との絆は今にも消えそうな程の弱弱しいがずっと残り続けている。唇が触れるだけのキス。あの時、キスで姫にかけられた呪いを解くと自信満々で失敗したと思っていたが、呪いを解くんじゃなく魔法をかけていたという事か。いや、お互いに掛け合っていたんだ。
「雨雲姫さんが建造される直前、深海棲艦族から艦娘族に変性させる研究もされていました。雨雲姫さんだけに特化されたものでしたけど」
俺たちに否定的な者はいたけど応援してくれる人もいたということだろう。
「研究が終了していればちょうど三年で雨雲姫さんは艦娘になっているはずです」
雨雲姫が去ったのは初夏の頃だった。正確には三年六か月が経過している。星の公転周期の違いであちらでの三年がこちらの三年六か月に相当するそうだ。
「転移直後に好意的な人に発見されて治療される。研究が終了していて深海棲艦から艦娘になっている。記憶を失うことなく召喚に応じる」
「そして俺は雨雲姫を狙い撃ちで建造しないと彼女を召喚出来ない。それが話した理由か」
「…………今日はクリスマスです。奇跡が起きても不思議じゃないと思いました」
矛盾している。峯雲はこの宇宙に神はいないと言った。つまり神の奇跡なんてものは存在しない。奇跡に縋りたいのかそれとも艦娘らしくロマンチックにクリスマスを選んだのか。峯雲は指輪を取り出した。以前俺がケッコンするまで預かると言っていた明石の指輪だ。
「提督、メリークリスマス」
「……メリークリスマス、峯雲」
奇跡なんて信じていない。世間で言うところのありふれた奇跡を当て嵌めるなら俺たちは何度も奇跡を起こしている。結果は起こるべくして起きるんだ。なぁ、雨雲姫ちゃん。
「まぁ、期待して待ってろ」
峯雲はふふっと笑った。
道のりは茨の道だ。召喚できたとしてもまず政府は雨雲姫を認めないだろう。大本営はまぁ、おっさんの胃に穴が開くくらいか。本物の艦娘だと説得しても以前みたいに大淀の脅し含めた口八丁手八丁の事務処理諸々でなんとかなる問題じゃない。だがそれだけだ。俺がそれくらいで諦めると思ってるなら大間違いだ。政府が艦娘の情報を封鎖しているお陰で雨雲姫の名は世間には知られていない。
昔出来なかった事が出来るようになった。色んな所に貸しがあって、人脈も広がった。そして何よりほぼ全ての艦娘は俺の味方だ。出羽亀共に盛大な燃料を投下出来るんだからな。後が大変だが脅しでストライキくらいはしてくれるかもしれない。あきらめの悪さは人一倍あるつもりだ。そして雨雲姫が絡んだ時、俺は絶対にあきらめるつもりはない。
「やっぱりな忘れられねぇよな」
屋上の扉を開いて峯雲に聞こえない程小さくつぶやいた。俺は逸る気持ちを抑えてゆっくりと艦娘工廠に足を向けた。
■
「明石! 建造出来るか!?」
冬だというのに額から汗が流れ落ちる。いつの間にか早足になり、駆け足になり、気が付けば全力で走っていた。何がゆっくりと足を向けただ。馬鹿じゃねぇの!? 馬鹿だった! 今すぐ会いたいよな! なぁ雨雲姫ちゃん! 奇遇だな! 俺もだよ!
「あ、提督、メリークリスマス!」
「そんなのいいから! 建造だ!」
「出来ますけど、私、今日で他の鎮守府に移動するんですよ。だ、か、ら。プレゼント下さいよ!」
「おう、やるやる。でも今日は無理。後でなんかいいもの送ってやる。だから建造だ!」
「えぇ? 本当ですかぁ? まぁ提督は嘘つかないから信じちゃいますけどねっ! いいものかぁ。何だろなぁ。楽しみですね!」
「そうだな! いいから早くしてくれ!」
「あれ? 今日はせっかちですねぇ。すごく楽しそうですし。何かいいことありました?」
「これからあるんだよ!」
「クリスマスパーティですか!? 私も参加したい!」
明石はいつものノリでいるが、俺は気が逸ってそれどころではない。ちなみに出撃している艦娘以外は提督としっぽりしているので鎮守府に艦娘だけのクリスマスパーティなんて有り得ない。普段ならだらだらと会話を続けるが今は勘弁してほしい。
「来年だ来年! お前たち頼む!」
俺は妖精さんにゴーサインを出した。俺の意をくんだ妖精さん達が、必要とする資源を運び出してくれた。
「忙しないですねぇ。あれ? この資源の分量は……峯雲さん?」
そうだ。雨雲姫ちゃんを建造する時、明石は峯雲を想定していた。結果建造できたのは雨雲姫ちゃんだった。それをなぞるだけだ。
「いつになく積極的ですねぇ。じゃあ私も。建造します? しちゃいます!?」
明石がぽちっとなボタンに指をかけている。俺は所定の場所にまだ立っていない。立った瞬間に明石はぽちっとなするだろう。
俺はケッコン指輪を左手の薬指にはめた。効果は艦娘の絆が深まる事と、結婚気分が味わえるという意味不明なもの。目的は前者だ。指輪を嵌めた途端、俺の中にある雨雲姫ちゃんとの絆が小さく脈動した。脈動に合わせて白光の灯が一瞬消えそうになったが再び灯り、脈動に合わせて何度もそれを繰り返した。
いる。
俺は確信した。根拠なんてない。いると感じた。それだけでいい。
「提督! 早く早く! 準備は出来てますよ!」
明石に急かされて俺は所定の位置に立った。
「それじゃ、ぽちっとな」
艦娘建造ドッグはまばゆいばかりの光を放って直に収まった。
「おやぁ? これは?」
最初に声を出したのは明石だ。結果は一目瞭然だった。
「失敗ですね! 峯雲さんはもういるので結果は分かってましたけどね!」
ドッグには誰もいない。空っぽだった。用意した資源だけがどこかに消え去っていた。妖精さん達がわたわたと慌てていた。動きはコミカルでまるで俺を慰めているようだ。だがその必要はない。全くなかった。
「はははっ!」
「提督、どうしたんですか!? 頭のネジが落ちたんですか!?」
明石が何か言っているが、今はどうでも良かった。無性に楽しくて気が付けば笑っていた。
「あはあははは! そうだよな! 俺達二人で事がすんなり運ぶ訳ねぇよな!」
失敗してドジ踏んで。俺たち、何もかも上手くいった試しなんてなかったよな。その度に泣いて、怒って、笑って。でも結局最後は収まるところに収まった。俺は今笑っている。来月は泣いているかもしれない。その次は怒っているかもな。でも最後は二人で笑っているんだ。
治療に時間がかかったのか、それとも研究が遅れたのか。ケッコン指輪は無意味だったのかもしれない。はたまたまだ艦娘に成れていないのか。
どうでも良かった。絆を通じて確かに雨雲姫ちゃんの意思を感じた。早く会いたいって意思を。俺もだよ。
「明石、来月また来るぜ」
「それはいいですけど、何か雰囲気が昔に戻ってませんか? あっ! 何か面白い事するんでしょ!? 昔全然参加出来なかったんですから、今度こそは参加しますよ! ねぇ! 何をするんです!? 教えてくださいよ! ねぇったら! 待ってくださいよぉ! 提督ぅ!」
艦娘工廠を出ていく俺を追いかける明石。面白い事? これから始まるんだよ! なぁそうだろ? 雨雲姫ちゃん!
艦娘工廠の外に出ると雪は降っていなかった。天気! 空気読めよ! って、ただそれだけで笑いが勝手に込みあがった。楽しみがまた一つ出来た。いつか二人でホワイトクリスマスを迎えようぜ。
雨雲姫ちゃん! メリークリスマス!!
おわり
■
――提督! 成功しましたよ!
――……あなた誰ぇ?
――俺は提督! 今日から君の提督だ! よろしくな! あばばばばばば!
――……ふぅん……
――痛ぇっ!
――……?
――……よろしくな! 雨雲姫ちゃん!
――……?
――……!!
――……ただいまぁ……
――おかえりなさい!
原作:艦隊これくしょん
(完)
J様。誤字報告ありがとうございます。
読了ありがとうございました。
本作で戦争の決着を匂わせた、あるいは決着済みの艦これ二次は三作目。そして艦娘/深海棲艦とは何なのかと屁理屈こねたのは二作目になります。
今回も凡作に終わりましたが、他の二次小説とは違う路線突き進めたと自分では思っているので後半きつかったけど楽しかったです。
これにて創作活動は終了です。
ありがとうございました。