さて、物語を始めましょう。
遠いようで、すぐそばにある世界を貴方はご存知でしょうか。人は小さな波を観測する時、大きな波を見逃すもの。違う幹から枝分かれした葉も、隣り合うことがある。これはそんな些細で尊い運命が繋ぐ物語。
「…どこ?」
「もう!どこにあるのよ!」
「ないな~…。」
「あきらめちゃだめっ!ぜったいあるんだからっ!」
「会いたいよぉ……」
ある男に注視してみれば、それは稀有な人生を歩む彼、
別の者に目を向ければ、それは一見して普通の女性。
そして無名の歌手から一躍映画スターとなったアリーナ・ベタンコートは気付きかけて太陽へ手を伸ばす。
遠いようで近い世界の人物、フェリシア・クルス=ディエスとリズはただ待ち望む。
彼ら6人と1人による可能性のお話。
樹生・ベステンダンク…まずは彼の生い立ちから遡るとしよう。
普通の少年と言うのは得てして父と母の元で育ち、幼稚園へ行き、時には公園でボールを追いかけたりするものだ。時は2089年、人々の発明が進化し、世にはアンドロイドが溢れ、国家間との小競り合いは徐々に激化していく一方、技術の進歩でずっと便利な暮らしとなった現代でも、それは変わらない日常だった。しかし彼にはそれが無い。
……何故なら彼は自らの名前も知らず、気付いた時には一人座り込んでいたのだから。
そしてその場所と言うのがまた不思議だった。
「おい、なんだこのガキ!何処から入り込みやがった!」
「マズイぞ。大佐に見つかったら大目玉どころじゃ…」
そこは停泊中の艦隊アハト中枢部にあり、厳重な警備をしかれた機関室だった。日本にもそのものが
「と、兎に角このガキを追い出さにゃ…」
「ほう…餓鬼の侵入を許すとはな。随分と警備を怠けていたと見える。」
「ひっ?!た、大佐!こ、これはその…」
左目に眼帯をした女性が姿を現したことで兵士たちは背筋を伸ばす。金髪をキッチリ纏めてベレー帽を被り、服装の乱れが一切ないところが人柄を大いに表している。女性がてらに大佐まで上り詰めた実力は確かであり、非情に凛とした美人だが誰一人として口説こうなどと命知らずなことをしないディートリンデ・ベステンダンク大佐。
「まあ良い、後で話を聞く。おい餓鬼、答えろ。貴様は何故ここにいる?」
「……」
少年は答えない。むしろ何を言っても反応が無い。
「…言葉が分からんのか?」
「……」
それからは人員を呼び寄せてあらゆる言語で試してみたが駄目だった。黒髪を見れば日本人かと思われたが、よく見ると目はほんのり青いハーフのような出で立ち。まだ幼い故に判別はつきにくいところもあれど純粋な日本人というワケでもなさそうだった。
「大佐、このガキはどうしましょうか?」
「ふむ…。」
そこで大佐は考えた。いくら3、4歳かそこらの子供とは言え、機密としているここまで入り込んだ民間人をみすみす逃すのは頂けない。それに何よりそんな子供がこの夜中に、こうも厳重な場所で佇んでいることが不思議でならない。少なくとも午後の定時報告の際はそんなところに人は居なかったはずだ。
念のため諜報部にそれらしき子の捜索願が出ていないか調べさせたがヒットしなかった。
そして考えは一つの帰結へと導かれる。彼女には生涯を軍に捧げてきたため子が居ない。ならば少し横暴だが例え一時的にでも自らが預かってしまおうと。軍人とは言え、内心は母というものに憧れがあったのは確かなのだろう。
「…不思議な餓鬼め。」
泣きもしなければ笑いもしない。
「いや、今日からは我が子だ。みっちり鍛えてやるからな。とりあえずもう夜中だ。…きちんと歯磨きして寝ような~。」
それから樹生の奇妙な人生が始まった。因みに“樹生”という名前は、彼が座り込んでいたのが機関室にある樹生製作所製のエンジン前だったことから取られた。
樹生はまず言葉を教えられ、その教師が多国籍軍の兵士たちであるからしてあらゆる言語を覚えていった。母代わりのディートリンデがドイツ人なのでドイツ語は勿論の事、英語、フランス語、スペイン語、そして日本語など、多種多様な言語が生活の内に身に着いた。
「樹生!顎が上がってるぞ!気合を入れろ!」
将来は軍人にという事なのか、はたまた他に育て方が分からないのか、ディートリンデは子供にも訓練もしっかりと行った。
「よし、よく頑張ったな。どれ…おやつのプリンを食べたら歯磨きしてお昼寝だ!今日は日本に伝わる昔話を聞かせてやるぞ~。」
だが彼女は基本的に超バカ親だった。厳しいところは厳しいが、基本的には隊員たちが驚くほど甘々で、彼らが猫なで声で話す彼女に慣れるのは何年も月日を要した。ディートリンデが他国での指揮をするため遠出した時も、毎晩必ず戦闘機で旗艦して共に眠る。どうしても帰れないときは秘匿通信を使ったテレビ電話で「おやすみ」を言う。あらゆる経験を積ませるべく他の者が訓練を行なう時は光学迷彩に身を包み、ドローンからハラハラ見守るといった具合に。
そして艦内で唯一の子供という事で隊員たちにも可愛がられ、特に女性兵士からは引っ張りだこ状態。
「いい?樹生くん、今日は算数を教えていく…ん?あらやだ、少し髪が跳ねてるじゃない。直してあげるからおいで?」
「…跳ねてない…」
「いいえ跳ねてます!ここのところが2mmくらい!…まったく~いくつになっても甘えん坊ですね~。んふっ…」
作戦本部の参謀を務めるクラリス・リー曹長をはじめ、
「おい樹生~!今日は野外訓練だぞ~!用意は出来てる…ってボタンが掛け違えてるじゃんか。」
「…掛け違えてない…」
「いいや、掛け違えてるぞ!どれ、お姉さんが直してやる!ふんふんふ~ん♪」
アルファチームリーダーのヴィーシャ軍曹に、
「…お、おい樹生、ちょっと綺麗に食べ過ぎだ。折角パンケーキを食べてるんだからちょっとはほっぺに生クリームを付けろ。…拭いてやれないじゃないか。」
「…ん」
「おおっ!!それだそれ!!なんだやれば出来るじゃないか~!ふふっ♪」
警護任務を主に指揮するセシル・アドラー中尉など、あげればキリがないが“アハトの子”として度が過ぎるほどに大事に育てられた。樹生もしたいようにさせるので時が過ぎる頃には立派な馬鹿親艦隊が出来上がった。
それは男性兵士も同じようで、時折大人向けの本を樹生に差し出しては、
「おい樹生、お前ももう年頃だろ?ほらコレ見てみろよ…もうすっげぇぞ~」
「…すごい…何が?」
「馬っ鹿、このケツ見ろよ!たまんねぇだろ?」
「馬鹿はお前だ、少尉。」
「げぇ?!」
しかしそんな時はどうしてかいつもディートリンデが現れる。
こんな調子でも、樹生が15歳になるころには一人前の軍人と言えるまでに成長した。無口な性格は相変わらずだったが、教官が優秀だったおかげであらゆる面においてそれは優秀な成績をおさめていた。
そんなある日…
「どうかしたの?母さん」
「う、うむ…」
12歳の頃から彼に宛がわれていた自室ではなく、珍しく艦長室に呼ばれた樹生の前には机に肘をついて悩まし気に唸るディートリンデが居た。彼女は重々しく口を開く。
「……早いことでお前ももう15か。」
「うん。」
「そうか……。」
ディートリンデは頭を抱えた。
実は樹生は既に入隊基準を満たし、能力も十分に一線級と言えることで、正式に入隊させるかどうかという瀬戸際だった。実際、プリトヴェンは本艦ではあるが旗艦として他国で巡行している指揮官らにも彼の存在は知れており、「有能であるなら人員としろ」「こちらも人手不足なんだ」とせっつかれているのも事実。旗艦との合同演習では「あの少年は誰だ」と話題になるほど好成績を叩きだしたのも悪かった。
勿論樹生本人にそのことを知られれば、彼は容易く頷くと思う。しかしディートリンデは彼に普通の人生も歩ませてあげたいと思うようになっていた。
「なあ樹生。」
「…?」
「私はお前をずっとここで育ててしまったが…お前はこれからもそれでいいのか?やりたいこととか無いのか?」
樹生は少し考える。しかし彼には愚問だった。
「僕、ここしか知らない。だからそれでいい。」
「樹生…」
「ここには母さんが居て、僕にはそれが全て。だめ?」
「た、樹生~…!」
思わず立ち上がって彼を抱きしめるディートリンデ。目には涙も浮かべている。母としてはそんなことを言われたら堪らないのだろう。
「わかった!今日からお前は正式に伍長とする!訓練実績は申し分ないのだから問題はないだろう。後は実戦だが…」
「「「意義あり!!」」」
その時、そんな声と共にドアから雪崩れ込んでくる兵士たちの姿があった。無論、大佐の部屋にこんな真似をすれば営巣入りか軍法会議にかけられてもおかしくはないが、声の主たちにはそれは些細なことだったようだ。
「な、なんだお前ら!」
「なんだじゃありませんよ大佐!いくら樹生が成長したからって実戦は反対です!」
「そうだそうだ!スパルタ過ぎだぞ!」
「私の樹生くんに何かあったら大変じゃない!」
「「「誰がお前のだ!!」」」
一気に姦しくなる佐官室。樹生は止めることも出来ずに黙って見ているが、そこへある物を見つけた。ディートリンデの机にあった新聞だ。一面には『樹生製作所、またも新たな発明』の文字。
樹生製作所の事はこの時代の人間なら誰でも知っている。元は小さな町工場だったが、3代目の樹生聖子が社長に就任するとアンドロイド産業に進出。飛び抜けた技術で今ではアンドロイドシェアの9割を占めているという話だ。しかし大きな企業ならではの悪い噂もあり、開発から製造が常に極秘裏に行われていることがそれを助長している。
「アンドロイドが人を完全にする。」
端の方にあるインタビュー記事には樹生聖子のそんな言葉が書かれていた。
さて、ここで時代の話をしよう。現代は先進国なら一家に一台はアンドロイドがある。それは極めて精巧に人へ似せており、見た目も人そのものだ。しかし数年前はこうも完璧なものではなかった。それまで主流だったのは古い映画に出てくるようなドラム缶型の機械だった。しかしある時を以て一気にブレイクスルー。それを成し遂げたのが、それまで義手や義足などをハンドメイドで製作、販売していた町工場の樹生製作所だった。
最初はそのあまりに人そのものなアンドロイドの登場に、本当はクローンなのではないかと物議を醸したが、今では世界憲法という新たな法が生まれ、近年小競り合いはあれどギリギリのところで大きな戦争が起こっていないなど新たな秩序として成立している。そして技術面、倫理面でもそれはしっかりと示され、中でも人クローンの製作は重罪とされているから樹生製作所の噂には世界が注目した。国家機関の厳正な検査の結果、アンドロイドは正真正銘の機械という事がわかり噂は霧散したのだった。
「詩……あんたちょっと臭い。」
「ひどっ!」
「あんた何日帰ってないのよ!デスクもゴミだらけだし!」
「い、いや~…ちょっと研究が行き詰まっちゃって~…」
時と場所は移り、その樹生製作所の社内。A棟研究室ではあまりの惨状に頭を抱える染谷仁美の姿があった。19歳という若さで研究主任に抜擢された才女・花川詩の幼馴染であり、樹生製作所の受付嬢をしている自他共に認める美女だ。
「で、社長は?アポの問い合わせが来てるのに中々捕まらなくて。」
「……まず鼻つまみながら話すのやめてよ。社長なら多分
「電話も繋がらないところへ?」
「ん~、場所までは私もわかんないよ。それと扇ぐのもやめて。泣くよ?」
これまで度々そういうことはあったけど、それで済まないのが私の仕事だ。せっせとデスクの上のゴミを袋に詰めながら、研究室の奥にある社長室を覗き見る。やはり留守のようだ。
詩は制汗シートで体をゴシゴシ拭いてスッキリした表情をしている。…いつもそれで済ませてるの?
「社長戻ってきたら…」
「大変よ!」
その時、研究室の扉が乱暴に開かれ社長が飛び込んできた。
「ああ社長、ちょうどいいところに。もうアポ待ちの束がこんなに…」
「そんなのどうでもいいから!今いるのは貴女たちだけね?」
「ん~…もう天辺過ぎちゃってますからね~。」
ウソ、もうそんな時間?!うわ~…また営業部の誘いバックレちゃった。まあ全然好みじゃなかったからいいや。
そんなことを思っていると、社長はボストンバッグを部屋から持ってきて投げ渡した。
「それに当面必要な服とか詰めなさい!急いで!」
「…夜逃げでもするんですか?」
「馬鹿なこと言ってないで早くなさい!」
「は、はい~っ!」
どうやら冗談ではないようだ。いきなりそんな事言われても会社に服とか他に持ってきてないんだけど…。
「あ、仁美ちゃん心配しないで。服も下着も私の貸すから。」
「……Aカップのじゃ小さすぎて入んないでしょ。」
「ひどひどっ?!」
それでもひと先ずは背格好は似ている社長の物を借りることになった。こんな時間から出張とかあり得るの?こんな事ならもっと早めに上がっとけばよかった。
私たちは社長が先導してサーバールームまで辿り着く。本来ならここは社長をはじめとした重役しか入れない場所なのだが、そのまた地下へと通される。…駐車場、行くんじゃないわよね?
「社長?今からどこに連れてかれるんですか?」
「異世界よ。」
「「……は?」」
耳を疑う。社長…あなた疲れてるのよ。
そう思ったが、エレベーターが着いた先で私たちが目にしたものはそれを信じさせるに足る光景だった。会社の地下にこんなネ〇フみたいなのが…。いつ紫の巨人が出てきてもおかしくないわね。私はあんなの絶対乗らないわよ父さん!
「言っておくけど、ここの事は他言禁止よ。比喩でもなんでもなく、もし話したら私は貴女達を殺すわ。」
そう前置きした。
「まずこれを見て頂戴。」
そして差し出されるタブレット。それは最新式の物で手に小さな円盤を持つだけで空間にビジョンが映し出される物だった。
そこに映るのは人が槍で殺し合ったり、やたら大きなトカゲが火を噴いたり、と思いきや私たちの日常を映したような映像もある。
「なんですか、これ?」
「これはこことは違う
「……ごめんなさい、意味がわかりません。」
「ああもうっ!だから顔だけで入社させるのは反対なのよ!」
いきなりバッシング?!
「簡単に言うと、パラレルワールドって言ってね。例えば貴女は今ここに居るけど、居ない可能性の世界も存在するってことよ。」
「なるほど…」
「え、詩わかったの?!」
「うん、理論上はあり得る話だよ。シュレディンガーの猫って知らない?二重スリット実験とか…」
分かるわけないでしょ!あんたみたいな天才と一緒にしないで!
「私たちは複数の状態を同時に持っているという事よ。」
「でもそれって…」
「ええ、本来なら観測は出来ても干渉は出来ないわ。でもね…」
そう言うと、社長は先ほどから気になっていた馬鹿デカい筒みたいな機械の扉を開けた。…まさかそれに入れなんて言うんじゃ…。
なんて思っていたら旅行鞄を中に放り投げてスイッチを押した。聞いたこともないような低音と高音が入り混じった音が響く。そして扉を開けると…
「鞄が無い?!」
「うそ…。」
「…招かれていたらそうとも言い切れないのよ。」
こうして…社内ランキングでもトップを独走する美女こと私、染谷仁美は、異世界へと旅立ったのだ。