芥川龍之介の杜子春https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/170_15144.htmlの後半も参考にさせてもらっています。その影響と舞台装置としての役割のため仙人的な老人が急に出てきますが、書いている本人もよく考えていないのであまり気にしないでください
元々pixivに投稿していた作品(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=9601451
)なので勝手がわからないとこもあると思います、何か間違えていたらすいません。
ハーメルンでは連載小説という形で少しずつ投稿していくつもりです。続きが早く読みたい方はPixivの方をどうぞ。
ゲンエイタイケン①
瞬きをすると、そこは檻の中だった。
その檻の中には生活に必要なものだけでなく、テーブルや椅子や棚まで揃っていた。料理の本や道具まである。囚人に与える設備としては破格だろう。しかしそれが王族、いや親が子供の存在を隠すための場所と考えたらどうだ。親が子供を死んだものとするための場所と考えたらどうだ。
きっとその子供には恨みしかないのではないか。
事実、サンジの目の前にいる鉄兜を被った少年はとても幸せそうには見えなかった。
胸糞悪いとは思う。おれを檻に入れる時のクソ親父の顔を思い出すと反吐が出る。しかし、ただの幻覚だ。これのどこが試練なのか。当時のことは忘れたくても忘れられない。いまさらこんなもの見せられたところで、どうということはないというのに。
そうした考えを持ちながらも、その子供に目を離せないでいると、突如なぜだか引き込まれるような感覚に陥る。周りを見てみても特に変化はない。自分もその場を動いていない。だったら何が変わったのか。何が試練なのか。そう疑問に思っていると、妙な錯覚に陥る。
認識と感覚が喰い違う。行動と反応が喰い違う。まるで、キツネに化かされたよう。さっきまで自分の胸にあったのはジェルマへの恨みと怒りだ。だが、今は虚無感に似た悲しみを感じている。苦しみながらも全てを諦めている。自分には父の愛も兄弟と同じ身体能力もないから。おれの心は真っ白だ。何もない。
そこで気づく。今、おれの心は一つじゃない。おれは今、昔の自分と繋がっている。
憑依といった方が正確だろうか。当時のおれの感情が一方的に流れてくるだけで、おれの思いがあちらに伝わることはない。ただ、昔のおれの苦しみが自分に流れ込むだけだ。記憶自体は忘れたことがない。だが、あの頃の苦しみはこれほど酷いものだったか。
当時、レイジュがおれのことを助けてくれたこともあったが、レイジュにも立場がある以上それも時折のことだった。そのことを責めるつもりはないし、責められるはずもない。だが、暗い檻の中を一人で過ごすのはたまらなく寂しいし、誰からも必要とされないというのはたまらなく苦しい。
その辛さに、ただの無力な子供だったおれが耐えられたのはなぜか。
その時、急に記憶が流れ込んできた。目の前の幼少時のおれが思い出しているのだろうか。それは初めて母さんに弁当を作った日の思い出だった。
初めての弁当は酷いものだった。料理となんざとても言えやしない。ただ調味料で味付けした具材を、弁当箱につめただけのものだ。それだけなら、まだ食べ物とは言えたのかもしれないが、その後その弁当を途中で転んで落としたし、つぶしてしまったし、雨にもぬらしてしまった。これじゃとても食えたものじゃない。
だが、母さんは笑顔でその弁当を喰っていた。先に味見をした侍女のエポニーも驚いてたっけ。一方でおれは何も考えずただ母の笑顔に喜んでいた。また作って欲しいという母の言葉に喜んでいた。
檻の中に戻る。記憶を振り返って改めて確信する。
無力だったおれが檻の中で堪えられたのは、海に出ようと決心したのは、母親との思い出があったからだ。ヴィンスモーク・ソラがおれにコックという道を指し示してくれたからだ。おれは母さんの笑顔に救われていた。
そう確信した一瞬間、母の顔が見えた気がした。
瞬きをすると当然のように母の姿は消え、檻も鉄仮面の少年もいなくなっていた。
ゲンエイタイケン②
目を開けたとき、そこは海に囲まれた岩山だった。
その岩山には木の実もねェ。動物もいねェ。頼りの海には魚くらいはいるだろうが、岩は波にえぐられて、一度降りたら帰ってこれねェようなねずみ返しになっていやがる。つまりは食い物は一切手に入らない。絶望だ。
そういうわけで食料を切らした金髪の少年と片足を無くした一人の老人は空腹から疲弊していた。座ってもいられないのか、二人とも体が傾いて、片手を地面につけている。それでも、殆ど開かない目を開けているのは、ここを通る船を決して逃したくないからだろう。その疲弊具合からして、漂流から70日は過ぎているか。顔はやつれきっていた。
そしてまた、あの感覚がやって来る。一気に視界がぼやける。頭は回らないし、手足はいうことを聞かない。胃酸が逆流しきっているのか喉の違和感が酷い。そのくせ吐くものもないのに吐き気はするし、腹痛も頭痛は収まる気配がない。呼吸でも体力を使うという当たり前の事実を思い知らされる。
気を抜いたらこのまま意識が持っていかれそうだったが、必死に耐える。ここで意識を失っても現実に帰ってこれる保証はない。四皇のナワバリを抜けられたばかりだというのに、こんな幻覚で死ぬのなんざまっぴらだ。
突如、頭に何か、人間の手のようなものが触った気がした。当然、驚いた。おれの側に誰かいるはずもないのだから。だが、すぐにさわられたのが、感覚を共有している子供のおれだということが分かった。触っているのはもちろんクソジジイだ。
そこで、当時の自分の方を見ると、空腹からクソじじいの方に倒れてしまっていたおれの髪を、ジジイが触っていた。
(おれの髪を触っているのはジジイか。そういえば、なんでおれはこいつと一緒にいたんだっけ。確か互いに反対側を見張っていたはずだったのに。)
どうやら当時のおれは記憶を混濁しているらしい。なぜ、自分がクソジジイに気を許しているかも忘れているようだ。
(ああ、そうだ。思い出した。漂流から70日目のあの日。包丁を持ってこいつの所へ訪れたあの日だ。あの日からずっとおれはこいつの側にいた。)
そして、また記憶が流れ込んでくる。漂流から70日目。それはおれがクソジジイの食糧を奪いに来た日。クソジジイの夢を聞いた日。
包丁を人に向けたのは生涯二度目だ。一度目は客船からクソジジイを追い出そうとした時。二度目がクソジジイから食糧を奪おうとしたした時。空腹で判断は鈍っていたとはいえ、包丁を持ったところで勝てない事なんざさすがに分かっていたと思う。一度目の時に思い切りやられたんだから。でも、おれは包丁を持っていった。
あの時はジジイを殺すつもりだったが、今思えば殺されるつもりだっただけだろう。死ねば空腹からも逃げられるから。だが、ジジイはおれを殺そうとせず、満杯の袋には宝しか入っておらず、ジジイは自分の足を喰って生き延びていた。
本当にバカなジジイだ。同じ夢を持っていたからと、たかがガキ一匹生かすためにでけェ代償払いやがったクソ野郎だ。
だが、おれはそんなジジイに何もかも教わった。恐竜の時代の流儀も、赫足と呼ばれた足技も、おれが追い求めていた料理の技術も。
檻の中にいた時と何も変わらず無力だったおれが一流コックになれたのは、麦わらの一味として海に出ようと決心したのは、あのジジイの教えがあったからだ。あのジジイがおれを送り出してくれたからだ。おれはあの偏屈なジジイに救われていた。
そう確信した一瞬間、母の顔が見えたのと同じように、東の海にいるはずのジジイの顔が見えた気がした。
瞬きをすると当然のようにジジイの姿は消え、岩山も衰弱しきった少年もいなくなっていた。