歩き巫女   作:天瑠香

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初短編です。
楽しんでくれたのなら。幸いです。


歩き巫女

時は、神ヶ代。

 未だ夜の闇は深く、魑魅魍魎がうずめく時代。

 そんな時代の、何処にでもあるような山村。

 木造りのこじんまりとした印象の一軒家にて。

 

彫りの深い精悍な顔立ちの歳若い青年が、黒髪の綺麗な女に言い寄っていた。

 

「何で死んだ男のことを未だ気にするんだ⁉️ もう二年も経っている! もうあの男は死んだんだ。そろそろ俺と第二の生を歩んでも良いんじゃないのか?」

 

 青年は、我慢の限界に迫っていた。

 男が死んで、ついにツキが回ってきたと思った。

だから、幾らでも待っていれられると、そう浮足立っていた。けれど、二年も経ったというのに、女は自分との結婚に決して首を縦に動かそうとしない。

 

「……まだ、あの男のことを気に病んでいるというのか。だが、あの男は――四郎はもうこの世にはいない。お前を縛るものはもう何もないんだ!」

 

 男は必死に訴える。

 けれど、男の思いは女には伝わらない。

 

「……それでも、私は、あの人のものだから……」

「――ッ!」

 

 男の顔が、赤く染まった。

 怒りからだ。しかし、女への怒りではない。男への、四郎への、地獄の業火に迫らんとする嫉妬の炎だ。

 

(……おのれ四郎! 死んでなお俺の邪魔をするか……! お前がいなければ! 俺は……!」

 

 青年は、女とは幼馴染というべき間柄だった。

 女は村一番、いや地域一番美しい容姿をしていた。涼やかな目元、桜色の唇、特に黒髪の美しさと言ったら……村の女全てが羨むほどだった。

 だから、青年が女に淡い恋心を抱いたのは至極当然のことであり、それを横から颯爽と掻っ攫っていった四郎に対して憎しみに近い感情を抱くことも、また当然のことだった。

 

「…………」

 

 このままでは女を無理やり組み伏せてしまいそうだった青年は、その怒りという感情を力ずくで押し殺した。

 

「……また来る」

 

 何とかひねり出した言葉はそっけないもので、それを自覚した青年は逃げるように部屋を出た。

 

 

 ……ぽつん、と。

 もはやこの場所には、女一人しかいなかった。こじんまりとした一軒家は、しかし一人で使うにはやはり大きすぎて、孤独感というものが心中より湧き上がる。

 女は虚空を見据える。けれど、その瞳は何も捉えていない。

 

「……四郎さん、もう二年が経ちました。一緒に湖を見るという約束は、一体何時になったら守ってくれるのでしょうね。このままじゃ……私、お婆ちゃんになってしまいますよ……」

 

 その声がどこか物悲しげに潤んでいるように聞こえるのは、決して聞き間違いではない。

 やがて女は声も出せず、嗚咽を堪える。

 

……そんな女を後ろから、半透明の男が痛々しい表情で眺めていた。

 

 

1.

 

 

 わたしという女は、きっと馬鹿なのだろう。

 

今回ばかりはそう認めざるを得ない。……本当に不本意なことにね。

 いや、別に、そう難しい話じゃないよ。

 わたしは……えーと、アレだ。そう、歩き巫女と呼ばれる存在だ。

 

 歩き巫女ってのを簡単に説明すると、まぁ要するに旅する巫女さんだ。理由とか目的をわたしは知らないけど、妖怪を祓ったり、死者の無念を叶えたりするんだってさ。

 ……それも、無償で。

 

ほんと信じらんない話だよね。

え、わたしはどうなのかって?

そりゃあ、金は取るよ? 当たり前でしょ?

正当な労働には、正当な対価を払って貰わなくちゃね。そこらへんが分からない馬鹿があまりに多すぎて、世の中生きにくいったらありゃしない。

そもそもわたし、ババアから逃げ出す為に歩き巫女になったんだからさぁ。巫女らしさを要求されても困るって話だよ。

 

あ、そうそう、金と言えば、今わたし一文無しなんですよ。やっぱり賭け事はするもんじゃないね。

……ほんとわたしの馬鹿! 今回ばかりは真面目に反省したよね。

賭け場でイカサマするのって、やっぱり難しい。

うん、次は、ちゃんとバレないようにしないと。

 

 ……さて、取りあえずそれは置いといて。

今日この頃わたしは、やっぱり人類の叡知足る金がないと大変だと心の底から痛感した。

山菜とか茸とかで飢えを凌いできたけれど、そろそろ精のつくものも食べてないと動けなくなりそう。

って訳で心機一転、近くの村を上手く騙くらかして、一資金稼ごうとしていたんだけど……

 

「……いる」

「どうかなされましたか巫女さま?」

「あ、いや、何でもない。ただ、ここの霊からはあまり力を感じられないから、楽な仕事になりそうだなって気が抜けたってだけ」

「そうですか、それは頼もしいですね」

 

 そうと言いながら、全く嬉しそうにしないのは一体何でなんだろう?

 

 わたしもそこそこ長い間、歩き巫女騙りをやってきて、何度も疑われそうになってきたけれど、疑っている訳でもなく、されど喜んでいる訳でもないなんて、初めての体験だった。

 まぁ、今回は詐欺じゃなくなったけどね……。

 

「ここが、我が家です」

 

 案内の女に連れて来られた家の第一印象は、何というか……寂しそうな家だった。

 ボロい訳じゃないし、使い込まれてもいそうなのに、しかしどこか生活感というものを感じられない。一人で使うには少し大きいような――そんな家。

 

 どうやら、ここが女の家らしい。

 まぁ、未亡人やってたら、こんな家にもなるか。

村の若い女の噂話を小耳に挟んだ。

 女と死んだ男は、それは仲睦まじい夫婦だったんだけど、ある日男は妖怪に殺されてしまったらしい。

それだけだったら、良くある話だとわたしなんかは思うけれど、その後も女は別の男と結婚するでもなく、一人でずっと家を守っているんだってさ。

こんな綺麗な女にそこまで想われているんだから、それはさぞかし良い男だったんでしょうね。

 けど、そんなことは割りかしどうでも良かった。

 

「……なるほど、ここが……」

 

 思わず、そう呟いてしまった。

 これなら、方法を選ばなければ一夜も使わず終わらせられる。

 ……けれど、

 

「ねぇ、あんた」

「何でしょうか?」

「これから、ずっとそうやって生きてくつもり?」

 

 突如発した疑問の言葉。主語は抜けていた。

 けど、きっと伝わっていたと思う。

 だって証拠にほら、女の表情が、一瞬歪んでいたから。

 

「…………」

 

 女は、何も言わなかった。

いや、言えなかった、と言うべきかも。

 わたしはそのことに、ちょっとした失望感のようなモノを感じていた。

 その一瞬だけ垣間見せた、苦痛に喘いだ表情。

 それは、届かない終着点を夢見ているようで、

 弱いなって、そんな感想を抱いた。

 だから、わたしは、

 

「まぁ、あんたのことなんか、どうでも良いんだけどね」

 

 何も言わなかった。

 

 

2.

 

 

 結局、それから会話らしい会話はしなかった。

 会話したとしても、それは業務連絡のようなもの。完全な必要最低限。

 

 家屋は、重苦しい雰囲気に包まれていた。

 いや、だからどうなんだって話なんだけど。

 今更そんなどうでも良いことに気分を重くするほど、わたしの人生は甘くはないし、それにご飯をかき込めるなら、それこそどんな場所だって、熊の冬眠場所だって構いやしない。

 

 だから、女に作って貰ったご飯を食べて、食休みして、仕事は明日からやるからと言って、夢の世界に超特急だったんだけど、しかしわたしは、夜遅く目を覚ましてしまった。

 

 人は寝静まり、無音状態、視界は不良好と言った深夜のなかで、わたしはわたしを誘う声に耳を澄まし、その声の主に向けて足を進めていた。

 一寸先は闇どころか、自分の手足すら見えない暗闇。

 これじゃ歩くことすら儘ならない。

 

 だから、わたしはお祓い棒の先端をまるで松明のように光を灯す。しかしそれではどうも心ともなくて、わたしは何度も転びかけては、乙女の意地にかけて必死に堪えていた。

 

もう、私の心はイライラで爆発寸前だ。

 仏様ですか? と訊かれたことがあるような無いようなわたしと言えども、やっぱり限度というものがある。いつ堪忍袋の緒が切れてもおかしくなかった。

 

しかし幸いと言うべきか、私が我慢の限界を迎える前に、目的の誰かが姿を現した。

 

「へぇ、自分から退治されにくるとは思わなかった。あんたは良い幽霊の鏡ね」

 

 わたしは、お祓い棒を構え、巫符を何枚か指の間に挟んだ。

 するとこの幽霊は、焦ったように声を張り上げてきた。

 

「待ってくれ! 僕は村の誰にも危害を加えていないし、君にも危害を加えるつもりはないんだ!」

「そんなことを言われても、あんたを退治しないとわたしが食いっぱぐれるのよね」

 

 そう言うと、やっぱり命が懸かっているのか、そいつはとても必死だ。いや、死んでいるんだけどね。

 

「君も巫女なら、僕の話を聞いてくれても良いんじゃないのか!?

「あ、わたしなんちゃって巫女なんです」

「なんちゃって巫女!? 聞いたことないけど!」

 

 でしょうね。おそらく全国初だ。

 

「ていうか、危害は加えているでしょ。あんたは、あの黒髪の女に取り憑いている」

「そ、それは……」

「いくら女に片思いしたからって、流石に死んで取り憑くのはやり過ぎよ」

「冤罪だ! 僕と蓮子は相思相愛だ!」

 

 ふーん、あの女、蓮子って言うんだ。

 まぁ、それは置いといて。

 

「……妄想激しすぎるって、良く言われない?」

「無い!」

 

 それから、紆余曲折、脱線に次ぐ脱線を繰り返し、何故かわたしは、この凡庸な顔立ちの幽霊の話を聞くことになった。

 なんとこの幽霊、生前の名前は四郎と言い、あの蓮子って女の夫だったらしい。

 ……どうやったら、そんな奇跡が起こせたんだろう?

 

「……酷い言い分だね、君はほんとに巫女なのかい?」

「あら、わたしは巫女よ。わたしが、そうだと思っている。だから、わたしは巫女なのよ」

 

 そう言うと、幽霊は更に疑わし気な目でこちらを見ていた。

 ……話を聞かずに、滅してやろうか。

 そんなことを心のうちで考えていると、幽霊の顔面が、元々青白いのに、更に青くなっていた。

 おっと失敗、どうやら殺気が漏れていたらしい。

 

「取りあえず聞いてあげるから、ちゃっちゃと話しなさい」

 

 もういい加減、眠い。

 早く終わらせて欲しかったという感情は、まぁ一応隠しておく。

 

 

「僕は――」

 

 男は話す、己の願望を。

 

「――もう一度、もう一度だけ、蓮子と会って話をしたい」

 

 悲痛にまみれた声で、自らの願望を訴える。

 ……ふーん。

 

「どうして?」

 

 わたしは訊いた。

 

「蓮子はずっと、僕の過去の影に囚われている。二年経っても、ずっと……」

「なんでそれが嫌なの? むしろ男冥利に尽きるじゃない」

「……嫌だよ。蓮子はこの二年間、ずっと苦しんでいる。僕は、そんな蓮子を見たくない」

 

 そんなもんなの?

 恋したことのないわたしには、皆目見当も付かない。

 でも、それって、

 

「それは、その蓮子が他の男のものになるってことなんじゃないの? それでもあんたは、良いって言うの?」

「良いよ。全然良い。それで、蓮子が幸せになれるなら、僕は何も文句は言わないさ」

 

 また、心にもないことを言っちゃって。

 ……いや、違うのか。

 こいつはそうやって、自分を騙している。

 蓮子の幸せが、自分の幸せなんだと、本気でそう思い込んでいるんだ。

 ……うわー、気持ち悪っ。それに……、

 

「……どっちも、ほんと面倒くさい」

 

 自分の気持ちを騙してるこいつが面倒くさいし、二年も家を守ってきて、それでもどっちつかずな蓮子も本当に面倒くさい。

 村選びを間違った。まさか、こんな面倒なことを背負わされるなんて思わなかった。

 

……あー、逃げたい。

こいつを無視して、そのまま夜逃げしたい。

……あれ、夜逃げってその意味で合ってたっけ?

まぁ、どうでも良いか。

だって、わたしにはできないんだから。

 

ほんーっと不本意なことに、わたしはその手の願いを断ることができない。

強制されてる訳じゃない。

感謝されたら嬉しいだとか、幽霊を助けることが生き甲斐だとか、そんな思わず、肌が粟立つような感情なんて抱いたこともない。

助けるなんて、とても面倒っちぃ。

やりたくない、怠い、嫌だ、面倒くさい。

 

だけど、

「助けて」って乞われたら、やりたくなくても、気が進まなくても、面倒くさくても――やってやるしかない。

そうじゃないと、巫女になった意味が無い。

救われぬ霊に、救いの手を差し伸べる。

今のわたしからはとても考えられない話だけど、けれど、当時のわたしは確かにそう決意して、歩き巫女となったのだから。

 

「生憎わたしは、あんたみたいな捻くれ者の為に巫女やってんじゃないのよ」

 

だから、言ってやった。

 

「死者の無念を晴らす為に巫女やってんのに、その死者が自分の想いを誤魔化すなんて、どうかしてる。最初から不誠実な奴が、誰かに施しを貰える訳ないじゃない」

 

そのわたしの言葉を聞いて、幽霊はまるで絶望したかのように低く声を漏らした。

 

「そんな……」

 

 わたしはその声を無視して、背を向ける。

 ……あぁ面倒くさい、面倒くさい。

 最低な気分のまま、私は視線を向けず、けれど幽霊に向けて言った。

 

「だから、蓮子の前だけは、正直でいなさい。そうじゃないと、許さないから」

「……え?」

「行くわよ」

 

わたしは歩き始めた。

 

 

3.

 

 

別に、その女が欲しいと思った訳じゃなかった。

一目惚れなんてしたことないし、まして劣情なんてモノを抱いたこともなかった。

あー、確かに綺麗だなぁと、女を、蓮子を見たときそう思ったけど、だが言ってみればそれだけのことで、僕はすぐに興味を失った。

 

だけど、どうしてだろう?

 

何故か僕は、蓮子と行動を共にするようになっていた。

今だから、息苦しかったのかもしれないと想像できるけど、当時の僕には何で冴えない容貌の自分といつも一緒にいるのか、正直分からなかった。

まぁ、けど、来たいと思うなら来れば良い。

わざわざ拒絶する理由も見出だせないし、僕は蓮子を受け入れた。

 

そして、気がつけば結婚していた。

 

いつの間にか、という表現がこれほど似合う事例も他にないだろう。

僕達は、村の若い者達のような恋愛はしなかった。

甘くもなく、必要以上にべたつく訳でもなく、想いを告げるでもなく――まるで兄弟、まるで家族、まるで親友、まるで老夫婦。

 

冷めているのではない。むしろ、暖かい。

決して手放したくない暖かさだった。

それは例えるなら、既に生活の一部になっているような――依存するほどに好き合っているのに、接吻すらしたこともない変わった男女関係。

 

好きだと思う。

愛していると断言できる。

だけど、今さら恋愛事をしようとは思わない。

恋という感情をすっ飛ばし、真実の愛を知ったような、そんな感覚だった。

 

普通の恋愛との逆方向。

始まりから終わりに進むのが、一般的恋愛だと言うのなら、終わりから始まりを積み上げるのが、僕達の恋愛だった。

愛を知り、夫婦の禊を交わし、そして一からゆっくりと恋を育む。

歪な形ではあったけど、それは確かに愛し愛される、幸せの一つだったんだ。

 

 

 

なんで結婚しているんだろうね、と僕は訊いた。

愛してるからよ、と蓮子は言った。

 

幸せなのかい、と僕は訊いた。

幸せよ、と蓮子は言ってくれた。

 

一緒に生きようと、僕は約束した。

一緒に死にましょうと、蓮子は願った。

 

 

……僕は、その約束を破ってしまった。

 

悔やんでも悔やみきれない。償いたかった。

悲哀に明け暮れる蓮子を見ていると、無いはずの身体が張り裂けそうなほどに、砕け散りそうなほどに、痛みで心が悲鳴を訴えていた。

こんな蓮子を、見たくなかった。

幸せそうに笑う蓮子を、ずっと見ていたかった。

決して、泣き疲れて眠る蓮子を見たいと思っていなかった。

 

助けたい、償いたい、救いたい、涙を晴らしたい。

けれど、死者たる僕では……生者の蓮子に干渉することは叶わない。

手が触れない、声が届かない。

……僕では、助けられない

だから、誰でも良いから蓮子を助けて欲しかった。

蓮子を、僕の代わりに愛してあげて欲しかった。

嘘じゃない。

これも、偽りのない、僕の願い。

 

 

4.

 

 

布団を捲る音、衣擦れの音、木が軋む音、大きく分けてその三つの音で、私は目を覚ました。

薄目を開けてその音の方向を見やると、其処には今日この村に来た巫女さまがいて「どうかなされたのですか?」と私は声を掛けようとした。

 

しかし、その巫女さまは……ゾッと背筋が震えるような怖い目をしていて、私は思わず悟られないように背中を向けてしまったんです。

 

巫女さまはきっと、この夜に村に取り憑く霊を殺すつもりなのでしょう。

私は抱いたことも、多分抱かれたことも無いから分からないけれど、あれが――殺気というものなのかもしれません。

 

だって巫女の仕事とは、そういうものだから。

学の無い私でも分かる。

巫女とは人々の味方。

人に仇為す怪物を容赦なく滅する、人間の守護者。

それが、巫女だから、

巫女さまが、霊を殺す。

村の皆が、それを歓迎しています。

 

けれど、私は、私だけは巫女さまに、霊を殺して欲しくなんか無かった。

だって、その霊は、もしかしたら四郎さんかもしれないから。

 

目では見えない、手では触れられない。

気配すらも感じられない。

私に、その手の才能は無かった。

だけど、分かる。私には分かる。

あの人は優しいから。

太陽のように暖かい愛を送ってくれたから。

死んだだけでは、あの人は私から離れない。

肉の殼を無くしたとしても、魂だけになっても、あの人はずっと見守ってくれる、見守ってくれている。

 

傲慢だと思う?

うん、思われているよね。私だって「何言っているんだろう?」という感情は確かにあります。

だけど、理屈じゃない。

あの人だから、四郎さんだから。

あの人は、私を愛してるから。

 

――私は、四郎さんが約束を守ってくれるって、信じています。

 

たとえ何年掛かっても、私がおばあちゃんになっても、寿命で死んでしまっとしても、あの人はずっと約束を守ろうと足掻き続けていると、

私は、そう信じ続けています。

だから私は、あの人が約束を守り切るまで、ずっと一人で家を守り続けて、ずっと死ぬまで待っている……待たないと、いけない。

 

そう思い立ちて二年間、私は家を守って、あの人を待ち続けてきました。

春が過ぎ、夏を通り、秋に憂い、冬に越す。

日が昇り、また日が落ちます。

一日、一日がとても……長く、遠い。

時間の流れる音が、とても遅い。

 

振り替えると、まだ二年しか経っていなかった。

 

まだ、二年しか待っていません。

待っていないのに、それがとても……辛い。

あの人がいない時間が、……こんなにも辛いなんて、私は思ってもいなかった。

……辛かった、孤独感で泣きそうになった。毎日毎日、あの人が死んでしまっていることを実感し、身体から力が抜け落ちていった。

 

もう、死にたかった。

死んで、楽になりたかった。

だけど、あの人がいるから、きっと諦めていないから。

私だって諦めてはいけない。あの人が約束を守ってくれるまで、私は待ち続けないといけない。

 

……そう、思っていました。

 

 

鬱蒼と生える木々の山。

其処のうっすらと見える獣道。獣の足跡。

月は雲に隠れ、光はなく、慣れているとは言え、歩くことすら儘ならない。

 

何度も何度も転び落ち、葉に肌を切られ、気がつけば私の体は傷だらけ。四郎さんに褒められた黒髪も土埃に汚れ、もはや見る影もなかった。

それでも、私は歩き続けていました。歩く度に激痛が身体を襲うのですが、もはやその痛みは何の意味も成しはしない。

 

「村のみんなに、迷惑を掛けてしまうかな?」

 

そう独り言を溢して、私は思わず、自嘲の笑みが口から零れ落ちてしまいました。

だって今更、何を言っているの?

迷惑だと思うなら、最初からしなければ良かった。また、いつものように家を守り続け、落ちる日を数え続ければ良かった。

 

それをしなかったのは、それができなくなったのは――巫女さま。

巫女さまが、理由だった。

きっと、巫女さまは霊を殺す。

四郎さんを、殺す。

あれほど冷たい、見るだけでに連れていかれそうな――恐ろしい瞳。

あんな巫女さまが、霊を殺さない理由がありません。

四郎が殺されたら、私はもう終わりです。

生きる理由がない。

生きることが、苦痛にしかない。

生きたいと、思えません。

 

だから――死のうと思いました。

 

村の外はとても危険。

村の中でも、力のある者しか外に出ることは許されません。四郎は村一番の弓の使い手でしたが、しかしあの人は妖怪に殺されてしまった。

だから、私も簡単に死ねるとそう思って……此処に踏み込んだんです。

 

そして突如、

――ガサッ、ガサッと、

茂みが揺れる音が、後ろから耳朶を打ちました。

 

「……誰?」

 

意味のない問いをしてしまったと、思います。

こんな山奥に……人がいる訳もない。

やがて、やっぱり私の予感が正しかったのか、茂みからは人ではなく、大きな熊が現れました。

それも、ただの熊ではありません。

月の光がなく影法師だけで、大まかな体格しか分かりませんが、それでも私にはすぐにこんな熊がいるものかと、目を疑いました。

 

だって、とても大きい。

その身長も、胴回りも、腕も、足も、通常の熊の何倍も大きい。

コレから見れば私なんて、いつでも折れる爪楊枝にしか見えないと思います。

恐らくコレが、コレこそが、人を仇為す化物――妖怪。

コレにはどんな人間だって、一溜まりもありません。

 

「……あなたが、四郎さんを殺したの?」

 

四郎さんの弓の腕は、並みの兵士よりも遥かに上でした。

けれど、この化物が相手では、荷が重い。

この化物が、四郎さんを殺した可能性は十分にあります。

――その鋭い爪によって四郎さんの胴体を、紙細工か何かのように切り裂く。

その光景が脳裏に過って――けれど、感情に波ひとつ立ちませんでした。

憎悪が湧きません。

どうして? そう疑問に思って、

 

……あぁ、すぐに理由を察しました。

簡単です。

感情とは生きている人間が持つものだから、もはや生きることを諦めた、死んでいないだけの私が、持てるものではなかったんです。

だから……

 

「……どうぞ私を殺して」

 

……死にたい。

熊から返事はありませんでした。

当たり前の事実でした。

返事はなく、その全てを粉砕せしめし突進が、答えだったんだと思います。

怖くはなかった。

むしろ、解放感のようなモノがありました。

 

――あぁ、やっと終われる。

 

「――待ちなさい」

 

そうして現実を受け入れた私は、瞼を落とし視界を閉ざしました。

しかし、その涼やかな静謐さを感じさせる制止の声と共に、その巨大な図体には似合わない俊敏な動作で突進する化物熊が、横っ飛びに視界から消えてしまいました。

 

「グォッ⁉️」

 

遅れて、熊の悲鳴が耳に入ってきます。

そして……

 

「……どうして?」

 

先ほど熊が立っていたであろう地点。

そこには――巫女さまが、足を横に上げた不安定な姿勢で、まるで、あの熊を蹴り終えたかのよう姿勢で、突っ立っていました。

化物熊が吹っ飛んでいったことを見届けると、巫女さまは気怠げに溜め息を吐いて、透き通るように強く美しい瞳が、私を貫きます。

巫女さま本人からしたら、ただ何となく視線を向けただけだったんだろうけど……けれど、そのあまりにも意思の強い瞳は、まるで私の心を全て丸裸にしてしまうようで、私は思わず視線を逸らしてしまいました……。

 

「……まったく、面倒なことを。あんたがこんなんじゃ、あいつも報われないわね」

 

まるで失望したかのようなその言葉の中には、私にとって聞き捨てならないものが入っていました。

 

「……あの、あいつってもしかして――」

「――グォオオオオオオオッ!」

 

しかし、私の疑問の言葉は、化物熊の怒りの咆哮によって掻き消されました。

その咆哮は物理的圧力すら存在し、木々を揺らし、風が悲鳴を上げています。私も危うく意識が飛ばされそうになるところを、必死に堪えていました。

 

「――ッ!」

 

巫女さまの蹴撃は私だったら……いや、たとえ大の大人であろうとも背骨がポキリッと折れてもおかしくないほどの威力だったと思います。

けれど、化物熊は土埃に汚れ草々に塗れながらも、全くもって健康体。傷一つさえ負っているようには見えません。

……なんて硬い。

 

「なるほど、ただの雑魚じゃないって訳ね」

 

そう言って巫女さまは嘆息し、一枚の何やら妖しげな私には読めない文字の綴られた札を、指に挟むように構えました。

すると、雰囲気が別人のように変質し、先ほどの気怠げな姿を想像からは想像もできない、息ができないほどに強い圧迫感を醸し出しています。

氷像のように無機質な美貌。

ただ一つのことだけを実行せんとする絡繰り人形。

冷々とした殺気は当事者でもないのに身を凍えさせます。

化物熊も、警戒するかのようにグルルッ……と唸り声を上げていました。

 

「……ッ!」

 

巫女さまは、その札を化物熊の方向へと投じました。

私では目に追えないほどの速さで空を飛ぶ札を、しかし化物熊は機敏な動作で容易く回避し――気づけば巫女さまが、その懐に潜り込んでいました。

この場にいた私も化物熊も、巫女さまの存在に感づくことはできませんでした。

 

札を気にするあまり、巫女さまの所在を疎かにしていたのです。

それが狙いだったのか、巫女さまはその隙を見逃さず容易に懐に潜り込み、知らぬ間に掌に挟んだ札を、優しさすら感じられるほどにゆっくりとした動作で、化物熊の胴体に突き出しました。

そして、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声量で……ボソリ、と呟きます。

 

「……破魔」

 

突如、熊の胴体に当てた札が、煌々と光輝きます。

それは夜の帳に包まれた木々の群れを、明るく白に染め上げました。

――邪なるものを払い、純白こそを至高とせん。

私は何故だか、暖かい……母の胎内に戻ったかのような安心感を覚えていました。

しかし、それは永遠に続くという訳ではありません。

やがてその光は、徐々にぼんやりと薄らんでいき、また夜の帳が下りるように、少しずつ暗く……山が夜の闇に包まれていく。

辺りが暗くなって、巫女さまを覆い隠していた光が完全に消えた時、私はあの化物熊の姿が完全に消えてなくなったことに気づきました。

 

「…………」

 

化物熊が消えた空間を無言で見据える巫女さまの姿は、芸術品なんて見たことなくても、それでも今の彼女の存在に勝るものはないでしょう。

まるで、そこだけ時間が切り抜けられたかのような錯覚を受けました。

……いつまでも終わらないで欲しい。

そんな馬鹿な考えすら浮かび上がっていたのです。

しかし……

 

「……何で、こんなことしたの?」

 

……ポツン、と水面に波紋を浮かべるように、その声は小さくも闇夜に響き渡りました。

 

「逃げたかったの?」

 

あの恐ろしいまでの意志が強い瞳は、けれど私を見ていません。けれど。それでも私は今すぐにこの場から逃げ出したいという衝動に駆られました。

……だけど、それはできません。

怖いから、ではなく、どうしても言い返したかったから……。

 

「……そんな訳、ありません。貴女は私が、逃げたいからこんなことしたと思っているのですか?」

 

そう問いましたが、しかし巫女さまは返答してくれません。

だから、思うがままに己が心情をぶちまけました。

 

「……違う、絶対に違います。私は逃げたかったから、死のうとした訳ではありません。ただ、会いたかったから、四郎さんに会いたかったから。あの人はもう死んで黄泉国へと行ってしまわれたのだから……会いたかったのなら、私も死ぬしか無いじゃないですか……」

「会えないわよ、あんたが死んだって、あんたの男には絶対に会えない」

「どうしてッ⁉️」

 

私は声を張り上げてしまいました。

だって、それは、どうしても聞き捨てならない。もし、それが正しかったのだとしたら……私は、救われない。

 

「殺人は、地獄行き。それが、他人であろうと自分であろうと、同じことよ。どうあっても言い繕えない重罪という意味でね」

「…………」

 

……否定は、できませんでした。

何故なら、わざわざ巫女さまに言われなくとも、分かっていたからです。

自殺は悪いこと、そんなこと村の子供達だって知っています。

だけど、無理なんですよ……。

辛いんです、苦しいんです、泣きそうなんです。

……こんな人生はもう、早く終わって欲しい。

巫女さまは、そんな私に追い討ちをかけるかのように、嫌味ったらしい顔で、蔑んだ目つきで、苛立たせるように言いました。

 

「だから、あんたのそれは、ただの逃げ。ほんと……無様、見てられない」

「……ッ!」

 

視界が真っ白に染まり、私はそれが憤怒という感情に囚われたからなのだと気づきました。

……何で、こんな人を傷つける言葉を、平然と言えるの?

私は、そこまで言われるようなことをしたの……?

……畜生、本当に何なんですかこの女。

何も知らない癖に、分かったような顔で厚かましく罵倒してくる。

それが、途轍もなく……憎い。

 

「……あなたに、一体何が分かるというのですかッ⁉️」

「分からないわよ。あんたのことなんて、知りたいとも思わないわ」

「――このッ!」

 

胸内に湧き上がる激情と憎悪に従い、私はこの女に腕を振り上げました。

――パンッ! と掌が頬を打つ音が、空間中に響き渡りました。

そして、すぐに取り返しの着かないことをしてしまった……と私は後悔しました。ヒュッと意味の無い音を喉から出て、顔が真っ青に青ざめます。

 

……だけど、この女は頬が赤く痛々しく染まりながらも、まるで何てことないように頓着しない。痛みが全く痛み足り得ていませんでした。

迷いも悲しみも、怒りも憎悪も、ありとあらゆる喜怒哀楽が浮かばないその瞳は、けれど私とは正反対に強く透き通るように輝いている。

知らず知らず無意識のうちに怯んでしまった私に、この女は畳み掛けるかの如く言いました。

 

「あんたの境遇は確かに不幸よ。待つも待たないも、どちらの選択肢も辛く苦しいだけで、まさに八方塞がり。あんたが選べなかった理由も……まぁ理解はできる。納得はできないけどね。だけど――それがどうかしたの?」

 

その疑問の言葉からは、何の同情も悪感情も感じられなくて、この女は本当に、私の事情が大したことないと思っているのだと分かってしまった。

 

「何を……」

「辛いんでしょうね、苦しいんでしょうね」

 

見せかけだけの同情の言葉。

辛いんだね、苦しいんだねと、そう相手を慮っていながら、実のところ何とも思っていない。

最低の所業だ。

……そう思おうとした。そう思いたかった。

「…………」

「だけど、あんたは選べるじゃない。辛くても、苦しくても、あんたは自分の意思で、自分の足で、自分の道を歩んでいける――あんたはまだ死んでいないのよ」

 

そう巫女が語った言葉は、確かな実感がこもっていて、本当に真実そう思っているのだと知った。

……でも、だからどうだって言うの……?

 

「……あの人は死んでしまった! あの人はもういない! ……あの人がいないと私は! 生きていても何の意味も無いのよ……」

 

……そう、あの人がいないと私は生きていけない。

あの人は、四郎さんはもう私の身体の一部分になってしまっている。

たとえ何十年経ったとしても、あの人のことを忘れることはできないだろう。

だけど、この巫女はそれでも、と臆面もなく言うのだ。

 

「――それを、これからあんたは生きて、また見つけていくの。なぁに一度見つかったんだ、また見つけられるわよ」

 

巫女は――巫女さまは、まるで太陽のように笑った。

その笑みがあまりに四郎さんに似ていて、四郎さんと被ってしまって、私は思わず懐かしさに目を細めてしまいました。

 

「――四郎が、約束の湖で待ってる」

 

 

 

5.

 

 

走った。走り続けた。

どんな障害も怪我も気に負わず、ただひたすらに走り続けていた。

しかし、女の身でしかもその中でもいっそう華奢な女は、もはや息切れや疲労で走ることは不可能な状態だった。

 

それでも、女は走った。走っていた。

肩が痛かった、いっそ両腕を斬って欲しかった。

足が重かった、いっそ取り替えて欲しかった。

心の臓が痛かった、いっそ潰れてしまえば良かった。

今だけは、女の身が酷く恨めしかった。

良く色んな人に、自分の色んなところを褒め讃えてくれたが、その色んなところが全部、肝心な時に役に立たない……ッ!

 

だけど、そんな文句に意味はない。

そんなことを考える余裕もない。

ただ走る。

走れ、死ぬまで走れ、走り続けろ。

矢のように速く、風のように自由に、狼のように俊敏に。

死んでも走り続けろ!

 

 

男は待つ。ただ待ち続ける。

どんな制約にも縛られない。

今だけは、生死の垣根すら男は超えている。

 

それでも、男はただ無言で待っている。

時間が、とても緩やかで長かった。

一秒一秒が、とても遠々しい。

こんなにも何かを待ち焦がれたのは、初めてのことだった。

一秒が一分に、一分が一時間に、一時間が一日。一日が一年に感じる。

男は待ち初めて、まだそれほど時間も経っていない筈なのに、もう何十年も待っているような気分だった。

 

だけど、悪くない。

待てば良い。

待てば、必ず己の愛した女はやって来る。

そう思えば、この待ち時間は何の苦にもなりはしない。

男は巫女の手を借りてあの長い迷路から、やっと抜け出した。

だから、男は待てる。

――女が走り、男が待つ。

いつもとは逆転した配役に、苦笑いしながら。

 

 

山の麓、其処から下に下へとを降り続けると、ある美しい湖があった。

そして、暗闇に射す一条の光。

 

ついに、そのまん丸いお月様が、雲からひょっこりと顔を出し、その綺麗な湖に穏やかな月の光を注いでいた。

湖は月の光を浴びて明々と光輝き、まるで神々と精霊が踊っているかのように美しく――どんな人間もきっと、何時までも見惚れることだろう。

 

そんな湖の巨樹の下で男が待ち、女が走る。

 

「……はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

 

息が追い付かなかった。

心臓が胸を喰い破らんとばかりに暴れまわり、もっと呼吸をさせろと要求してくるが、しかし自分の肉体がその要求に追い付くことができない。

息が苦しい、煩わしい。

今、自分が何処に立っているのかも判断がつかない。

あと、どれほど走れば良い?

あと、どれくらいで辿り着く?

……分からない。

分からないけど、走らないと、走って会わないと。

会いたいのだ、会って少しでも話をしたいのだ。

 

だから、女は肉体に“走れ”と命令する。

走り続けろと、指示をする。

けれど、もはや女の肉体はその命令に応えることができなかった。

女の身体は、とっくの昔に限界を超えていた。超えて、超え続け、限界という概念すら突破し、女はここまで走り続けていた。

けれど、もう走れない。

足が、走るという機能を失ってしまった。

 

「……ぁ」

 

女の足がその力を全て、一欠片すらも失い、女は地面に倒れ込みそうになり――そして優しく抱きとめられた。

 

「……こんなに、死にそうになるまで走り続けるなんて――君は、本当に可愛いなぁ」

 

……誰?

いや、そんなの訊くまでもない。

声を聞いた瞬間ではない、抱きとめられた瞬間に気づいた。

本能で、感情があの人だと、叫んでいた。

顔を上げる。

すると、そこには優しく笑みを浮かべた四郎の姿が、あった。

 

しかしその瞬間、そんな四郎の顔が水面で波紋が揺れるように、ぼやけて見えなくなってしまった。

どうして?

涙だ。

前さえろくに見えないくらい、涙が溢れていた。

 

「……ぁ、あぁ、会いたか、った……ッ!」

「うん、僕も会いたかった」

「ずっと、ずっと待ってて……! もう会えないかもって、もう湖を一緒に見れないかもって思うと怖くて! とても怖くて……!」

 

……あぁ、駄目だ。

我慢なんて……できそうにない。

よしんばできたとしても、すぐに決壊してしまう。

流れ落ちる滝のように、透明色の熱い液体が何度も地面を打つ。

そして、そこにいる、そこにいるんだと、ギュッと着物を握り締めて、四郎の存在を確認する、確認し続ける。

 

四郎は、微笑んだ。

共にいられる時間は、決して長くない。

これは、言うならば泡沫の夢。

巫女が起こしてくれた、一夜の奇跡。

この一夜が終われば、自分は黄泉へと帰るだろう。

だから、伝えよう。

自分の想いを全て、正直に。

正真正銘、これが最後の機会。

最初の一言は、実に大切だ。時間は一夜しか残されていないのだから、大切に使わないと。

 

さて、何と言おう?

悩んでは思いつき、そして違うと切り捨てて、ふと電撃的に思い浮かんだ言葉が、そのまま口から零れ落ちた。

 

「――約束を、守れて良かった」

 

 

6.

 

 

そこからのお話はきっと無粋になるだろうし、彼と彼女の間だけに留めて置かせて欲しい。

だけど、それだけではきっと淋しいだろうから、少しだけ語らせて貰う。

ちょっとしたこぼれ話、だけ。

 

結果だけ語ると、幽霊になってまで約束を守らんとした男は黄泉国へと帰った。

それに女は悲しみ惜しみながらも、それでも一本芯の通った強い女性になれたと思う。

そこから、女が一体どんな結末を辿ったのかについては、また神のみぞ知るって話だ。

そして、今回一番の功労者たる巫女もまた、そのことに何の興味も関心も抱かなかった。

 

「私は巫女よ。一人の成仏できぬ憐れな霊を救った。それだけで十分で、他はどうでも良いわ。そいつが愛した女のことなんて、私には預り知らぬところよ。……まぁその女なら、辛く苦しみながら、今も笑って生きてるんじゃない?」

 

と清々しげに笑って言っていた。

 

太陽が天高く昇り、恵みの光を大地に降り注ぐ。草原を揺らす風は何処までも自由で心地良く、踏み締める大地はとても頼もしい。

木漏れ日の暖かい、昼寝が進みそうな白昼に、巫女は機嫌良さそうに歩いていた。

 

――巫女の旅は、まだまだ終わらない。

 

 

 





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