けたたましいベルの音で、わたしは目を覚ましました。
「ん……」
シスターシャッハ曰く、古代ベルカ時代のデザインをあしらった貴重な骨董品……もとい、そこそこの値段がするらしい高級な目覚まし時計を、思いっきりぶっ叩いて機能停止させます。
できることなら、このまま二度寝のひとつでも決め込みたいところですが……そうもいきません。
「……はぁ」
己の寝起きの悪さにうんざりしながら、起き上がって布団から出ます。まずは上を脱ぎ、次に下をパージ。ぬくぬくとした布団から、自分の体を冷たい空気に晒してようやく一息。なんとか覚めてきた目をこすりつつ、洗面所へ。髪をまとめて冷水を顔にたっぷり浴びて、ようやく意識が立ち上がってきました。
「よし」
このまま外に出ると痴女扱いされてしまうので、タンスから適当な下着を見繕って身に着けます。そのままいつもの修道服に手を伸ばそうとして、思い留まりました。あぶないあぶない。今日はこっちじゃないんですよね。
下着の上からぴったりと肌に密着する黒のインナーを着て、ブラウスを羽織ります。ボタンを留めて首周りの調子を確認しつつ、黒のタイツを履いて、次にタイトスカートを。ネクタイを締めて……ジャケットは、まだいいでしょう。
自室から廊下に出ると、朝が早い子達が何人か、掃除などに精を出していました。感心感心。頭が下がりますね。
「シスターフィア、おはようございます」
「おはようございます」
「おはようございます、フィアメッタさん」
「はい。おはようございます」
挨拶を繰り返しながら厨房へ行くと、すでに見習いの子達が朝食の準備に勤しんでいます。朝は時間がなくて忙しいのです。
「シスターフィア! おはようございます!」
「おはようございます。どうですか? 準備の方は」
「すいません。ちょっと遅れ気味で……」
「わかりました。では、主菜はわたしの方で適当にやるので、パンやスープの準備をお願いします。この前、カリムさんが農場から野菜を頂いてきた、と聞きましたが……」
「はい! まだ残っています」
「じゃあ、それを使わせてもらいますね」
エプロンを身につけて、袖を捲りながら、手近なボウルを手にとって、片手で卵を割り入れます。さてさて、今朝は何にしましょうかね……
「シスターフィアメッタ」
「はい?」
頭の中で行っていた卵料理の検索が、その一言で中断します。顔を上げると……ではなく、視線を下げると、教会の中でも年少の部類に入る子が、こちらを見上げていました。
監督役の一人が、慌ててわたしとその子の間に入ります。
「こら! シスターの邪魔をしないの!」
「ああ、いえ。そんなに目くじらたてなくても大丈夫ですよ。どうかしましたか?」
「はい。ききたいことがあって」
「聞きたいこと? わたしに?」
なんでしょう?
調理に関することなら、基本的に何でも答えてあげられる自信がありますが……でも、これくらいの年の子には、まだあんまり包丁持たせたくないんですよねー。朝はただでさえ忙しいですし、野菜の切り方とかなら今度わたしが休みの日にでも、じっくりと……
「シスターフィアメッタは、男の人とお付き合いすることになったんですか?」
おおっと。卵が滑った。
「シスター!?」
「フィアメッタさん!? 卵! 卵!ボウルの中に入れてください! 下に落ちてます!」
はっはっは。みんな大袈裟ですねぇ。大丈夫、大丈夫。ちょっと驚いただけですから。
床を拭いてもらうように他の子にお願いしながら、わたしは野菜を切るために包丁を手に取りました。お喋りして、作業を止めている余裕はありませんからね。口を動かしながら、手も動かさないと。
「それは、一体誰から聞いたんですか?」
「みんな、うわさしています」
「あら、そうなんですね」
「そうなんです」
わたしがぐるりと周囲を見回すと、先ほどの監督役の子も含め、全員が目を逸らしました。
んー、これだから女ばっかりの共同生活集団は!
「らぶらぶだって、ききました」
「あっはは……ラブラブですか。いえいえ、そんなことはないですよ」
「シスターフィア! 包丁! 包丁振り回さないでください!」
「下に! 横に振るんじゃなくて、下に振り下ろしてください! 危ないです!」
おおっと、包丁が滑った。危ない危ない。
野菜を適宜刻みながら、深呼吸。落ち着きましょう、フィアメッタ・マジェスタ。ザフィーラさんがわたしの告白を受け入れてくれて以来、ちょっとだけ……ほんのちょーっとだけ、浮かれ気味なのは事実ですが。
しかしかといって、ラブラブだとか、もはや夫婦だとか、結婚が近いだとか。そんな風にからかわれる筋合いはな……
「シスターフィアは、いつ結婚するんですか?」
いや、照れますねもうっ!
「シスターフィア!」
「ボウル持ったまま振り回さないでくださいシスターフィア!」
「フィアメッタさん! 中身! 中身こぼれてますからぁ!?」
おおっと。いろいろ滑った。
◇◆◇◆
「弛んでいますね」
朝食の時間。
対面に座るシスターシャッハにそう言われ、わたしは首を傾げました。
「弛んでる? え? 何がですか? シスターシャッハのお腹がですか?」
「ぶっとばしますよ」
朝っぱらから不機嫌な人ですね。カルシウム足りてないんじゃないんですか?
わたしが牛乳を注ぐと、シスターシャッハはコップをひっつかみ、ゴクゴクとそれを飲み干しました。いや、実にいい飲みっぷり。
「今朝も、厨房を荒らしたと聞きましたよ」
「その分、しゃかりきに働いて挽回しましたとも。今朝の卵料理は自信作ですよ?」
「まったく……そういうことを言っているのではありません」
「えー? じゃあ、どういうことを言いたいんですか?」
シスターシャッハはトーストと卵をモリモリ食べながら、言葉を続けます。
「いいですか、フィア? たしかに私は、あなたとザフィーラ殿が正式にお付き合いをすることを認めました。あなたの告白に対して、他ならぬザフィーラ殿の同意があったのです。わたしにそれを止める権利はありません」
「当然ですね」
「ですが! だからといって! ふしだらな関係を容認する気はありませんし、教会や管理局の仕事をいい加減にすることも許しませんよ!」
「はいはい。わかってますよ」
「はいは一回でいい!」
「はーい」
「のばすな!」
はぁ……ほんとに、朝からお小言がうるさいですね。今日の予定が教会で過ごす類いのものじゃなくてよかったですよ。
「すいません、シスターシャッハ」
「なんです? まだ説教が聞きたいのですか?」
「いえ、そうではなく。朝ご飯、食べ終わったらミッドチルダまで行きたいので『送迎』をお願いしてもいいですか?」
「それは構いませんが……ああ、だから今朝は制服姿だなんですね。そういえば、修理が終わるのは今日でしたか」
そう。ザフィーラさんに助けてもらったあの任務で破損していた、わたしの『デバイス』が今日! ようやく修理を終えて、手元に戻ってくるのです!
待ちわびましたよ、ほんとにもう。あの子さえ手元にあれば、シスターシャッハにバインドで緊縛プレイされたり、拳骨くらったり、強引に連れて行かれることなく、きちんと抵抗できますからね。ああー、長かった。
「技術部だけでなく、本局の方にも顔を出すのでしょう?」
「はい。最近は書類の処理だけでいろいろご無沙汰でしたからね。今後の任務のこともありますし、回れる場所は一通り回っておこうかと」
結構、長いことお休みもらっちゃいましたからね。デバイスがない魔導師にできることなんてほとんどないので、仕方ないといえば仕方ないのですが……流石に、休んだ分はきちんと働かねば。
「では、六課にも行くのですか?」
ちっ……鋭いですね。
誤魔化そうとも思いましたが、シスターシャッハは「てめぇウソ吐いたらぶっ殺すぞ」みたいな目で、こっちを見ています。わたしは、両手を挙げて降参の意を示しました。
「ええ、もちろん行きますよ。結局、この前以来ミッドチルダに行けていませんからね。どこかの誰かさんがわたしの外出を制限してたせいで」
「そうですね。あなたがすぐザフィーラ殿に会いに行こうとするから、どこかの誰かさんがそれを優しく止めて、仕事が終わるまで監督していたのは当然でしょう」
ふふ。この鉄腕ゴリラ、いけしゃあしゃあとほざきよるわ。
「流石に、今日は止めないでくださいよ。さっきも言いましたが、いろいろと回るところがありますし……今日、六課に行くのは八神二佐に呼ばれたからでもあるんですから」
「はぁ? 騎士はやてがあなたをわざわざ呼び出すわけがないでしょう? だって、あなた嫌われ……ゴホン、あまり好意的に見られていないじゃないですか。嘘を吐くにしても、もう少しマシなものを吐きなさい」
「すいません。今、嫌われてるって言いかけましたよね?」
失礼な! たしかに、わたしもあんまり好きじゃないけど失礼な!
「呼ばれたのは本当ですよ。メールをいただいたんです」
「メール?」
「はい」
口で説明するよりも見せた方が早そうなので、わたしは通信用の端末を開いて、シスターシャッハに見せました。八神二佐からのメッセージはいたってシンプルに、僅か一行。
ウチのシグナムと、模擬戦せぇへん?
「……フィア」
「はい?」
「あなたこれ、喧嘩売られてません?」
「あ、やっぱりそう思います?」
◇◆◇◆
そんなわけで、やってきました機動六課。
「えーと、シグナムさん。準備万端、ばっちこいなご様子ですけど……これ、やっぱりほんとにやるんですよね?」
「はい」
見慣れた管理局の制服姿ではなく、バリアジャケット……紅と白の騎士甲冑に身を包んだシグナムさんは、腕を組んだまま静かに言葉を続けました。
「準佐のデバイスが、手元に戻ったとお聞きしました、折角の機会です。私も私のやり方で、親睦を深めさせて頂こうかと」
「……具体的には?」
「主はやてに、お伝えしてもらっている通りです。今更、皆まで言わずともお分かりでしょう?」
シグナムさんは腰に差したデバイス『レヴァンティン』を抜き放ち、こちらに向けて突きつけました。
「フィアメッタ・マジェスタ準佐。私と、模擬戦をして頂けないでしょうか?」
……あー、やっぱりこういう展開になっちゃうんですね。
いえ、こんなだだっ広い訓練室に連れて来られた時点で、お察しでしたけどね? なんか上の観客席っぽいところに、なのはさんやフェイトさんをはじめ、機動六課のみなさんが勢揃いしていますし。
観客席の中心にラスボスのように居座るはやてさんを見上げ、わたしは声を張り上げました。
「八神二佐! これはあなたの差し金ですか!?」
「差し金? なんのことやろ? 準佐が何を言いたいのか、わたし、ようわからんなぁ」
「シグナムさん。この模擬戦、八神二佐が指示を?」
「あ、はい。主はやてが「折角やし、模擬戦でもしてみたら?」と、提案されて……」
「シグナムぅ!?」
さすが、シグナムさん。うそがつけない堅物巨乳委員長タイプなだけあります。素直に答えてくれましたね。
「やることがいちいちセコいですね、八神二佐。そんなにわたしとザフィーラさんの仲を認めたくないのですか?」
「そ、そんなんとちゃいますー! わたし的にはただその、なんというかええと、そう……八神家に弱い女はいらないみたいな! そんな感じや! アンタがザフィーラに相応しい花嫁かどうか、ウチのシグナムがきっちり見定めたるっ!」
「はやてちゃん……」
「ちゃっと無理があるよはやて……」
両隣に座るなのはさんとフェイトさんが、呆れた目で親友兼上司を見ています。
弱いやつはいらねぇとか、どこの戦闘民族ですか。頭世紀末なんじゃないですかあの家長。頭モヒカンにして、クロノ提督のバリアジャケットみたいに肩にトゲでも付けてればいいのに。
「まー、でもウチのシグナムは強いからなー。そりゃもう、めちゃくちゃ強いからなー。教会の秘蔵っ子と呼ばれるマジェスタ準佐でも、勝たれへんかもなぁ?」
世紀末帝王YGAMIHAYATEは気を取り直して、こちらを見下ろしながら言ってきます。
ははーん? 将来の姑ということで大抵の発言は聞き流してきましたが……ちょっとカチーンときましたよ、今のは。
「……分かりました、いいでしょう」
「え」
「八神家には弱い女はいらない、というその道理。たしかに、一理ないこともないかもしれません」
わたしが強くないと、いざという時ザフィーラさんを守れないかもしれませんし。ザフィーラさんは盾の守護獣なのでみなさんを守るのが役目ですが……それなら、わたしがザフィーラさんを守ればいいだけのこと。
なので、ここでしっかりと、あのうるさい姑に証明してみせましょう。
「この勝負、受けて差し上げます」
わたしが、ザフィーラさんに相応しい『強い女』であることを。
首から下げた銀色の十字架に、そっと手を添えます。帰ってきたばかりで申し訳ないですが、リハビリ代わりに働いてもらいましょう。
「…………起きてください」
渦巻く魔力に、身を委ねて
「『シェーンディリゲント』」
相棒の名を、わたしは呼びました。
ようやくシグナムさんの出番ですよ。
やっぱりリリカルなのはは戦闘しないと。