アルフは、フェイト・T・ハラオウンの使い魔である。
幼少のころからフェイトに付きっきりだったアルフは、しかしフェイトが執務官になってからは彼女の側を離れ、義理の家族となったハラオウン家に住むようになっていた。昔こそ、ジュエルシードの収集や魔導師との戦闘など物騒な仕事が主だったが、今では家事手伝いや子守りといった、ある意味使い魔らしい仕事がメインである。まだ小さいクロノの子ども達の面倒をみるのは楽しかったし、クロノの母親であるリンディも、最近すっかり若奥様が板についてきたエイミィも、それが当たり前であるかのように、アルフを家族として迎え入れてくれた。アルフはそれがとても嬉しかったし、ハラオウン家がフェイトの『帰る場所』になるのなら、自分は使い魔として必ずこの場所を守ろうと固く誓っていた。
子ども達の面倒をみて、エイミィと笑いあって、リンディと料理を作って、クロノやフェイトの帰りを待つ。アルフは今の幸せな生活に、とても満足していた。強いて不満を挙げるとすれば、フェイトと過ごす時間が昔と比べて減ったことくらいである。
なので、
「アルフー! フェイトから連絡よー! 出てあげて」
「フェイトから!?」
不意打ち気味できたフェイトからの連絡は、アルフにとって飛び跳ねるほど嬉しいものだった。
「はいはい! フェイト! アルフさんだよ~」
「アルフ? ごめんね、突然連絡して」
モニターに映ったフェイトは、私服ではなく制服姿だった。しかもフェイトが普段から着用している黒い執務官制服ではなく、ベージュを基調にした機動六課の制服である。アルフの中では「数年ぶりになのは達と同じ制服を着ました」という一文が添えられた集合写真がまだ記憶に新しい。
「あれ? まだ仕事中?」
「うん。そうなんだ。実は、どうしても聞きたいことがあって」
仕事熱心なフェイトが、勤務時間の合間を縫って連絡してくることなど滅多にない。思わず身を固くして、アルフは聞き返した。
「もしかして……何か事件?」
「あ、ううん。そういうのじゃないんだけど」
「リンディ母さんやエイミィも呼んだ方がいいか?」
「あはは……そんなに身構えなくても、大丈夫だよ、アルフ。むしろこれは、アルフにしか聞けないことなんだ」
「あたしにしか聞けないこと?」
ますます分からない。
「ごめんね。怒らないで聞いてほしいんだけど……」
「なんだよフェイト。あたしが質問一個程度でフェイトに怒るわけないだろー」
「……うん、そうだよね。じゃあ、聞くね」
「アルフって処女?」
この後、フェイトとリンディとエイミィは「あたしのフェイトを! 素直で純情だったあたしのフェイトを返してくれー!」と泣きわめくアルフを落ち着かせるのに、二時間近くの時を要した。
◇◆◇◆
こういう時に改めて痛感するのは、何事も初対面の印象や最初の一言だけで判断せず、まずは相手の話をしっかり聞くことが大切だ……ということです。
「……という、わけなんです」
「……ははぁ、なるほど。そういうわけだったんですね」
かくかくしかじか。
なのはさんから大まかな事情説明を……ヴィヴィオちゃんとなのはさんが実の親子ではないこと、ヴィヴィオちゃんがザフィーラさんによく面倒をみてもらっていること、そしてザフィーラさんには特殊な性癖がないこと……を聞いたわたしは、ゆったりと頷きました。
たしかに。思わず早とちりしてしまいましたが、なのはさんの年齢でヴィヴィオちゃんくらいの子どもがいた場合、それはもう倫理的に大変NGな感じになってしまいますし。ザフィーラさんとなのはさんの間にできた子どもがヴィヴィオちゃん……というわたしの勘違いは、冷静に客観的に分析してみれば、かなり飛躍した早とちりだったと言えるでしょう。恋は盲目。思い込みとは、おそろしいものです。危うく、管理局が誇る『エース・オブ・エース』とザフィーラさんを賭けたキャットファイトを繰り広げるところでした。
「本当に、大変失礼しました……わたし、すごく失礼な勘違いを……」
「にゃはは……いえ。わたしも、言葉足らずだった思うので……」
機動六課の敷地から出たわたし達は、立ち話もなんだということで近くの公園にやってきました。ベンチに並んで座るわたしとなのはさんの視線の先では、ヴィヴィオちゃんがワンコモードのザフィーラさんと元気いっぱいに遊んでいます。
「ヴィヴィオちゃん、明るくてとってもいい子ですね」
「はい。とってもいい子なんです。ママ初心者のわたしの方が、ヴィヴィオに教えてもらうことがたくさんあるくらいで……」
「それはそれは。教導官として名高い高町一尉にそんなにたくさんのことを教えるとは……ヴィヴィオちゃん、すでに将来有望ですねぇ」
「お、親バカですいません……」
照れ隠しにまた笑うなのはさんの笑顔は、ヴィヴィオちゃんと同じ種類のもので。それを見ているだけで、この2人はもう『親子』として歩き始めている気がして、胸が温かくなりました。
とはいえ、わたしは自分が気になったことはストレートに確かめてしまう質です。
「ひとつ、伺ってもよろしいでしょうか?」
「はい?」
「ヴィヴィオちゃんの本当のご両親は?」
「……わからないんです。ヴィヴィオは『レリック事件』関連の捜査の過程で、保護されたので……」
「そうですか……」
きっと、複雑な事情があるのでしょう。なのはさんは、先ほどまでの明るい表情から一転して、そっと顔を伏せました。
「決心を固めたつもりでいても……本当は、いまだに迷っているんじゃないかな、って。事件のあと、ヴィヴィオを引き取ることをわたしは決めました。でも、ヴィヴィオにとってそれが本当の幸せなのか、わたしがちゃんとヴィヴィオのお母さんをできるのか。きっと、まだ不安なんです」
「……なるほど」
いくらエースとして持ち上げられようと、教導官として人を教える立場にあろうと、その実態は19歳の女の子。わたしも同じくぴちぴちの19歳なので、あまり偉そうにことは言えませんが、まだ小さな子どもを自分の家族として迎え入れる、ということにはそれ相応の責任や重圧が伴うのでしょう。
ですが、まぁ……それはそれとして。
「無責任なことを言うようで、大変恐縮ですが……そこまで悩まれることもないと思いますよ」
「え?」
きょとんと。顔を上げたなのはさんの肩に、そっと手を置きます。
「わたしも、両親がいません。わたしが5歳の時に、父も母も他界しました」
「それは……」
「そんな顔をしないでください。両親が亡くなったあと、身寄りのなかったわたしは教会に引き取られましたけど……なかなかどうして、これでも結構楽しく過ごしていたんですよ?」
少し気安いかな、と思いましたが。いたずらっぽく笑いかけると、なのはさんの表情が少しだけ柔らかくなりました。
「シスターシャッハのことは、ご存知ですよね?」
「あ、はい。教会本部に行く時とかに、お世話になってます」
さすが、教会直通タクシー。送迎の仕事だけはちゃんとしてますね。
「わたしの教育係……というか、親代わりは他でもないそのシスターシャッハだったわけですが……あの人、勉強さぼったらすぐ怒るわ、掃除にうるさいわ、何か問題を起こしたらシスターのくせにすぐ鉄拳制裁を躊躇なく振るうわ! もうとにかく本当に厳しくて!」
「あ、あはは……」
なのはさんの柔和な笑みが、あっという間に引き攣ったものに変わります。
まったく……口に出して言っていたら、思い出したくないトラウマまで掘り起こされてイヤな気分になってきましたよ。わたしもヴェロッサくんも、あの厳しさの中でよく元の性格のまますくすくと育ったものです。
でも、
「それでも、神に誓って言えますが……わたしは教会に引き取られてから、シスターシャッハに感謝しなかった日は一度もありません」
同時に、最近は小馬鹿にしてからかいまくってますが、あれは微笑ましいスキンシップのようなものです。神様もお目こぼしくださるでしょう。
「なのはさん」
「あっ……? は、はい」
「あなたは、親の責任、というものを強く感じていらっしゃるようですが……子どもというのは、大人が思っているよりもずっと強い生き物です。子どもを心配することは確かに親の勤めかもしれませんが、しかし守ってあげることがいつも正しいとは限りません」
これから子どもを守って生きていく『お母さん』に、こんなことを言うのは多分わたしくらいでしょうね。
ぱちくり、と。なのはさんも戸惑った目でこちらを見ていますし。
「わたしとザフィーラさんの間に……そうですね、仮に男の子が生まれたとして」
「っ!?」
なのはさんがなにやらさらに驚いて、目をぱちくりさせていますが、軽くスルーして続行します。
重ね重ね、19の小娘がこれからお母さんになる人にこんなことを説くのは、正直気が引けますが、でも言っちゃいます。
「元気に大きくなって、1人で歩き始めたその子が、何かにつまづいて転んだとしても。わたしはすぐに駆け寄らずに、その子が自分で立ち上がるまで待ちます」
今度は驚かずに。しかし、なのはさんは何かに気付いたように、はっとしました。それから、ヴィヴィオちゃんの方をちらりと見て、くすりと薄い笑みが添えられます。はて? べつにおもしろいことを言ったつもりはないのですが……まぁ、いいでしょう。
「ヴィヴィオちゃんは、もしかしたらまだ立ち上がろうとしている途中なのかもしれません。もしくは、これからまた転ぶことがあるのかもしれません。ですが、それを全て手助けするのが親の役目……というのは、少し違うと思うんです。立ち上がるまで、見守ってあげること。涙をこらえながら立ったその子を、偉いねって撫でてあげること。手を差し伸べて助け起こす以外にも、親ができることって、たくさんある気がしませんか?」
わたしが、はじめて教会に来た日。
はじめて出会ったそのシスターさんは、わたしをぎゅっと抱き締めてくれて。けれどすぐに、女性にしては少し強い力でわたしの肩を掴んでこう言いました。
――あなたの境遇は、たしかに不幸なものです。ですが、私はあなたを甘やかすつもりはありません。
暗く沈んだわたしの瞳を、彼女は正面から力強く見据えて、
――あなたがまた立ち上がれるように。全力で力を尽くすのが、ご両親からあなたを預かった私の役目だからです。
そんな力強い宣言に、少し腰が引けたわたしを、彼女はまた抱き寄せてくれて。
――大丈夫です。今が悲しくても、これからあなたは幸せになれます。
今となっては、家族を亡くして天涯孤独の身になった女の子に対して、もう少し言い方とか、いろいろ優しくしてくれてもよかったんじゃないかなー?とも思いますが。
でも、そんな風に言われたら。どうしてわたしだけ生きてるんだろう?なんて思っていた子どもが、自分も幸せにならなくちゃって、そう考えるようになるんですから……やっぱりあの人は、少なくとも教育者として偉大なのだと感じます。あんまり認めたくはないですけどね!
「あと、これはわたしがただの楽観主義者というか、親の覚悟の何たるかを正しく理解していないから言えることだと思うので、聞き流してもらって構わないのですが……どんな危険からも、何があっても絶対に守ってやるぞ!なんてずっと肩肘を張っていたら、子どもよりも親の方が絶対疲れちゃうじゃないですか?」
「は、はぁ……?」
「だから、肩の力を抜くくらいでちょうどいいと思います。特に、なのはさんのように、若くてもしっかりした方は」
「……わたし、べつにそこまでしっかりしているわけじゃありませんよ?」
「いえいえ。わたしに比べれば余程しっかりしていらっしゃいますとも」
謙遜するなのはさんにそう返しながら、もうひとつダメ押しで。追い討ちをかけます。
「それに、実は先ほどからこっそりと。なのはさんのかわいい横顔を盗み見ていて、ふと思ったのですが――」
「は、はい!?」
顔を赤らめるなのはさん、かわいいですね。
頷き返したり、返事をする時はもちろんこちらに目を向けてくれましたが……実は彼女、わたしが話している間もほとんど視線がヴィヴィオちゃんを追っていたんですよね。この様子だと、言われて初めて気づいたみたいなので、きっと意識せずにそうしていたのでしょう。子どもから目を離さない。すでに立派なお母さんです。
さて。わたしはシスターシャッハ曰わく、ちゃらんぽらんでいい加減な性格をしているので、よく「笑い方が人を小馬鹿にしている」とか、すごいひどいことを言われていますが、
「――ヴィヴィオちゃんを見守るなのはさんの笑顔は、とても綺麗で素敵でした」
初対面の人にこんなことを言われても、説得力もくそもないでしょうけれど、このわたしが責任を持って保証しましょう。
「どんなに寂しくても、どんなに辛くても、どんなに悲しい思いをしていても。一番近くにいる人が、とびっきりの笑顔で微笑んでくれるなら……それだけで、子どもは笑顔になれると、わたしは思いますよ?」
ですから、多分今も仏頂面でわたしを待っているあの人も……普段からもう少しお気楽に、笑顔でいてくれたらいいと思うんですけどねー?
「……ありがとう、ございます」
今度はヴィヴィオちゃんから目を離して、わたしを正面から見詰めて、なのはさんは言いました。ぺこり、と軽く会釈を返します。
「いえいえ。わたしが自分の考えを勝手にお話しただけです。お礼を言われるようなことは何もしていませんよ」
「そうですか? でも……言われっぱなしだとわたしの気が収まらないので、やっぱりお礼を言わせてくれませんか?」
「え?」
ありがとうございます、って。お礼なら今聞きましたけれど?
今までのお母さんの顔から、急に年相応の少女らしい顔になって、なのはさんがすっとベンチから立ち上がりました。
え、なんです?
「ザフィーラっ!」
両手を口のまわりに当てて、さすが教導官と言いたくなるような、公園中によく通る大声で、
「フィアメッタさん、すーーーーっごく、いい人だよーーっ!!」
なのはさんは、本当に、大音量で、叫びました。
「な、ななな、な……」
「…………にゃはは。お返し、です」
にゃああああああああああああああ!?
くるりとこちらを振り返ったなのはさんは。
おそらく耳まで真っ赤に染まっているであろうわたしの顔を見て……それはもう、見事なまでに楽しげな、いたずらっぽいステキな笑みを浮かべておられました。