初恋相手は犬でした   作:龍流

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八神家攻略編
はやてさんは告らせたくない


 八神家の邸宅は、ミッドチルダ首都クラナガンにある。

 はやてが時空管理局への入局を決めた際、その後のキャリアや守護騎士達の生活のしやすさなども考えて、第97管理外世界……地球の海鳴にあった家は中学卒業と同時に引き払うことに決めた。両親との思い出が詰まった家を出ることに、はやても抵抗がなかったと言えばウソになる。ただ、あの家を誰もいない寂しい場所にするよりは、幸せな家族に住んでもらった方が両親も喜ぶ、と思ったのである。二人の姉妹と一匹の大型犬のいる、平凡な……けれど幸せな家族に住んでもらって、あの家もきっと今は賑やかだろう。

 それはそれとして、

 

「ザフィーラ~」

「……」

「ザフィーラー」

「……」

「ザーフィーラー」

「……我が主よ。そろそろ、離してもらえないだろうか」

 

 新しい家のリビングで。はやては久方ぶりに、ザフィーラに思う存分抱きついていた。

 時刻は夜。すでに全員揃っての夕食は済み、あとは片付けが残るのみ。その片付けも、夕食を作ったはやてに代わってシャマルが行い、シグナムやヴィータが率先して行っているので、はやてがすることはもう残っていない。

 

「おい! ザフィーラ! ちょっとはやてにくっつきすぎだろ!」

「……ヴィータ。俺がくっついているわけではない。主が俺にくっついているのだ。というか、シグナム」

「なんだ?」

「……主は、その……飲んだのか?」

 

 主語をぼかした質問に、台所から顔を出したシグナムは少し意地の悪い表情になった。この顔をするシグナムを、ザフィーラはよく知っている。身内をからかう時に、よくする表情だ、これは。

 

「さて、どうだかな?」

「おい、シグナム」

「いいじゃないか。飲んでいようがいまいが。主はやては今、お前に甘えたいのだ。甘えさせてさしあげろ」

「ふふっ……はやてちゃん、今日はいろいろ大変だったものねー」

「ああ、大変だったな。シャマルが予想以上にモテてたことがよくわかったし」

「ちょっとヴィータちゃん!」

 

 ワイワイガヤガヤとし始めた台所の守護騎士達に助けを求めることを諦めたザフィーラは、はやてになされるがままモフられることに決めた。

 

「ふっふー。ほんと、ザフィーラの毛並みは気持ちええな~。ずっと撫でてられるわ~」

「……光栄だ」

 

 こうされていると、はやてがまだ小さかった頃を思い出す。車椅子に乗って、作り笑いを浮かべるのが上手かった、出会ったばかりの主のことを。

 闇の書、守護騎士、そして魔法。常識外の知識に固まる幼いはやてが、はじめて顔を輝かせたのは、ザフィーラが変身した姿を見た時だった。

 

 ――すごい! ザフィーラ、犬になれるん!?

 

 犬ではなく、狼だ、と。苦笑混じりに返したのを覚えている。

 

 ――ねぇ、ザフィーラ。わがままなお願いだとは思うんやけど……できれば、その……犬の姿のままでいてくれへんかな?

 

 人間の姿でいる方が、この世界では何かと便利だろう、と。最初はそう思っていたが。

 

 ――わたし、わたしな……実は、大きい犬を飼うのが、夢やったんよ!

 

 まだあどけない主の、可愛らしい笑顔を見て、そんな理屈はすぐに吹き飛んだ。

 わがままなどとは思わなかった。その小さなわがままを叶えてやることが、この少女の喜びに繋がるのなら、と。ザフィーラは海鳴で生活する間、進んで獣の姿であり続けた。

 

 すべては、主のために。

 

 これまでも、これからも。決して変わることのない、守護騎士の誇りだ。

 

「ザフィーラ……」

 

 本当に、疲れていたのだろう。ザフィーラにもたれかかったまま、はやては眠ってしまっていた。

 思えば、スカリエッティ事件の間は、この家に帰ってくることすら少なかった。今日、皆で揃っての夕食をとったのも、本当にひさしぶりだ。何よりも家族との時間を大切にするはやてが、それだけ追い詰められていたのがあの事件だったのである。

 

「ザフィーラ……」

 

 間近でみるはやての表情は、あどけなかったあの頃とは比べものにならないほど、大人の女性という言葉が相応しいものに成長しており。だからこそ、その横顔とあまりに不釣り合いなその一言は、ザフィーラの胸に深く突き刺さった。

 

 

 

「ザフィーラ……どこにも行かんといてな……」

 

 

 

 不意打ちだった。

 自分が……否、自分達、守護騎士が主に仕え、側で守るということ。それは今までもこれからも変わらない、当たり前の義務だと、ザフィーラは考えてきた。

 けれど、違うのだ。

 八神はやては、両親を失っている。広い家に一人だけになる、誰もいなくなってしまう寂しさを、よく理解している。だから、どうしても考えてしまうのだ。

 

 もしもまた、家族がいなくなってしまったら?

 

 ある意味で。

 それは八神はやてという少女にかけられた、一種の『呪い』とでも言うべきものだった。

 

「……シグナム、シャマル。主が寝てしまった。上に運ぶのを手伝ってくれ」

「ああ、わかった」

「あらあら。はやてちゃん、本当にお疲れだったのね」

 

 シャマルにドアを開けてもらいながら、シグナムと共にはやてを起こさぬように抱え、二階のはやての部屋へ上がる。

 

「おい、ザフィーラ」

 

 それを、まだ食器の片付けをしているヴィータが呼び止めた。

 

「なんだ?」

「お前……わかってるよな?」

 

 ザフィーラの背で眠るはやてを見つめながら、ヴィータは言った。それは、要点をぼかしたとても不明瞭な問いかけだったが、

 

「……ああ。わかっているさ」

 

 その意味を汲み取ったザフィーラは、しっかりと頷いて肯定を返した。 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

「……あかん。完全に寝てもうた」

 

 心地良い微睡みの中から覚醒して、まず最初にはやてが感じたのは深い後悔だった。

 起き上がって自分の体を見回してみると、制服のブラウスとタイトスカートがそのまま。襟元や腰回りが緩めてあるのは、そのまま寝やすいようにとシャマルあたりが気を遣ってくれたのか、それとも自分で勝手にやったのか。それすらも記憶にないのが、端的に肉体の疲労度を物語っていた。

 最近、あんまり忙しくなかったはずなんやけど……などと、心の中で呟いてみるが、そもそも以前の仕事量があまりにもオーバーワーク過ぎたので、感覚が麻痺してしまっているらしい。昨日はあの爆弾シスターの訪問もあって気の休まらない時間が続いたし、にも関わらず、ひさしぶりに自宅に集まった家族のために、腕によりをかけて料理を振る舞ってしまった。正直、無理をしていないと言えばウソになる。

 

(で、自分だけお風呂にも入らず寝落ちとか……)

 

「……子どもみたいやなぁ」

 

 と、今度のツッコミは声に出して呟く。自省のために、意識して口に出した。

 自身の健康管理も、管理職にとっては大切な仕事の内の一つである。ゲンヤから聞き飽きるほど言われてきたことだが、本当にその通りだと思う。今日が休日だったからよかったものの、夕食で騒ぎすぎて寝坊……なんて、指揮官としてあまりにも部下に示しがつかない。

 とはいえ、それはイコールで、家族全員揃っての夕食がそれだけ楽しかった……ということでもあるのだけれど。

 

 

「……ザフィーラ、おいしそうに食べてくれてたなぁ」

 

 普段、はやてが家族に作る料理に順列をつけることなどあり得ないのだが。しかし昨日だけは、みんなに出したものよりも少しだけ……ほんのちょっぴりだけ、ザフィーラの分だけ気合を入れて作ってしまった。下ごしらえをひと手間増やしたり、焼き加減に対してより細心の注意を払ったり、といった具合に。

 ひさしぶりに食べる主の手料理は美味い、と。控えめな笑みを浮かべながら、ザフィーラははやてが出した料理を残さず平らげてくれた。

 

「…………はぁ」

 

 早く起きなければならないのに、丸まった毛布を抱き枕のように抱えなおして、はやてはまた寝返りを打った。思い出すのは、昨日の出来事だ。

 

 自分は、ひどいことを言ってしまったのだろうか?

 

 客観的に見れば。相手がいきなり押しかけてきたことを差し引いても、あの発言はあまりに失礼なものであったと思う。なのはにもフェイトにも、遠回しに「言い過ぎではないか?」「謝った方がいいのでは?」と、散々に窘められた。基地の宿舎にいると業務後にもその話をされそうで、それがいやだからこうしてわざわざ休みを取って、自宅に帰ってきたのだ。本当なら、今日も軽いペースで事務仕事をするつもりでいた。

 

 要するに、非難されるのがいやで……逃げてきたのだ、自分は。

 

「ほんと、こどもみたいや」

 

 言いすぎたのは分かっている。なのはやフェイトから言われるまでもなく、はやて自身が分かっているのだ。けれど、それをはやては認めたくなかった。絶対に、認めたくなかった。

 

 それを認めてしまったら、ザフィーラがどこか遠くに行ってしまいそうだったから。

 

「っ……ああ、もうやめよ!」

 

 がばっ!と。勢いをつけて、はやてはベッドから跳ね起きた。このままうじうじと悩んでいたら、またそのままうとうとして、寝落ちしてしまいそうだ。幸い、時計の長針はまだぎりぎり八の前をさしている。いつもの時間に比べるとかなり遅れてしまっているが、今から超特急で支度をすれば、みんなの食事が朝昼兼用にならなくて済む。昨日、気合をいれて作りすぎてしまった残り物を有効活用すれば、さらに時間短縮できるだろう。

 ああ、でも……その前に、シャワーが先だろうか。

 中にインナーを着ているとはいえブラウスのボタンは最低限留めて、タンスの中からバスタオルを取り出し、はやては階段を駆け下りた。いつもなら、もう全員ダイニングに集まっている時間帯だ。家族に寝起きを見られてもなんとも思わないが、一応寝癖くらいは手串で整えながらドアを開ける。

 

「みんな、ごめんなー。完全に寝ぼすけさんやー」

 

 案の定、すでに全員が中に揃っていた。

 

「はやて、おはよう!」

「おはようございます、我が主」

「おはようございます、はやてちゃん!」

「おはよう、はやてちゃん。よく眠れた?」

 

 ヴィータが振り返り、シグナムが頷き、リィンが傍らに飛んできて、シャマルが問いかける。

 いつも通りの八神家の朝だ。はやては、笑って応えた。

 

「はい、みんなおはよう。そりゃもう、ぐっすりやったよ」

 

 そして、少し屈んでソファーの下に寝転んでいる守護獣にも声をかける。

 

「ザフィーラも、おはよう」

「ああ。おはよう」

 

 なにやら、少し反応が悪い。ザフィーラも眠いのだろうか、とはやては首を傾げた。

 それはともかく、やはり自分以外は起きていた。今から、やることがいっぱいである。

 

「ほんま、ごめんなー。すぐ朝ごはん作るから! でも、昨日そのまま寝てもうたから……先、シャワーだけ浴びてきていいかな?」

「ご心配なく。朝食の準備なら、間もなく完了します」

「え、ほんまに?」

 

 シグナムに言われてよくよく見てみれば、たしかに。広めのダイニングテーブルにはすでに半分ほど皿で埋められており、キッチンからは魚が焼けるいい匂いが漂ってきていた。

 

「あー、なんか申し訳ないなぁ」

「いえ。これくらいは当然です」

「はやてちゃん、シャワー浴びてきて大丈夫よ」

 

 シャマルは普段からいろいろと手伝ってくれるが、家事全般があまり得意ではないし、シグナムとヴィータに至っては食べるの専門だ。ザフィーラも同様だし、リィンの体格ではお玉を持つことすら難しい。つまり、消去法で考えて、今朝はシャマルが頑張ってくれたのだろう。はやては、そう結論付けてシャワーを浴びに行こうとしたが、

 

 

 

「…………あれ?」

 

 

 その違和感に気がついて、立ち止まる。

 おかしい。自分の目の前には今、家族が全員いる。シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ、リィンフォース、全員が揃っている。

 なら……現在進行形で調理が行われているキッチンには、一体『誰』がいるのだ?

 

 

 

 

「おはようございます。お義母(かあ)さん」

 

 

 

 

 部屋の入り口からは死角になっているキッチンの奥。そこから、ひょっこりとケープを被った頭が顔を出す。昨日散々見たシスター服の上から、白いフリルエプロンを身につけ。きれいに盛り付けたお魚を片手に、テキパキと動く彼女の姿は、まるで本当の『お嫁さん』のようだった。

 

「もうそろそろ出来上がるのですが……先にシャワーにしますか? それとも、ご飯にしますか?」

「いや、なんでおるねん!?」

 

 コンマ数秒で返したはやてのツッコミに、フィアメッタ・マジェスタはにっこりと微笑んだ。

 

「もちろん、花嫁修行のためです」


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