鈴木悟の妄想オーバードライブ   作:コースト

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※CAUTION

この二次創作小説には、厨二病成分、TS成分、ガールズラブ成分などが含まれています。また原作設定の大幅な改変があります。そういったものを許せない方はブラウザバックすることをお勧めします。この二次創作小説に登場するオリジナル魔法はD&Dから引用しています。

・1章1話にあるように主人公は種族レベルが消滅したため、レベルがほぼ半減しています。


二章 八本の長い指
9話


 その日の城塞都市(じょうさいとし)エ・ランテルは灰色の雲に覆われていた。空には薄紅色(うすべにいろ)の奇妙な鳥の大群が飛び回っているのが見え、時折それらが羽ばたく音すら聞こえてくるようであった。都市をぐるりと取り囲む城壁に設けられた城門の1つでは、街に入ろうとする人や馬車で今日も長い行列が出来ている。

 

 その中に一人、周囲から浮いている女性がいた。周りは揃ってくたびれた旅姿で埃や垢に塗れているのに、彼女だけがドレス姿で入浴したてのように清潔だったからだ。しかも身につけている衣類や装飾品は全て、この世の物とは思えない見事な品ばかり。

 

(なんだあれは)(貴族のお嬢様か)(なんでこっちの行列に)

 

 貴族や大商人などの重要人物には専用の受付があり、一般人に混じって行列待ちする必要はない。一体どんな顔をしているのかと人々は興味津々だったが、その女性が鍔の広いとんがり帽子を目深にかぶっていたせいで誰もその顔を見れないでいた。群衆の一人が一瞬だけ覗き見た口元から、その女性が年若い少女らしいということがわかったくらいだった。

 

(若い娘らしい)(顔見たい)(誰か行け)

 

 行列待ちで退屈していた人々は格好の話題が出来たとばかりに、黒いドレスの少女についてひそひそと話し始める。囁き声は少女の耳にも届いていたはずだが、まったく気にしていないのか、それとも本当に聞こえていないのか、消え入りそうな声で延々と何事かを呟いていた。

 

 興味を引かれた行列の一人が耳をそばだてても、あまりにも小さな声なので内容は聞き取れない。辛うじて聞き取れたのは「闇」と「抑制」という二つの単語だけだった。

 

 やがて行列は進み謎の少女の番がやってくる。受付の衛士の前で帽子を脱いで素顔を見せる少女。世にも美しいその横顔に行列の人々は一斉にどよめいた。

 

 濡れたように輝く長い黒髪。不思議な質感の絢爛艶美(けんらんえんぴ)な黒いドレス。繊細(せんさい)豪華(ごうか)な数々の装飾品。ため息が漏れてしまう程の美貌(びぼう)は僅かにあどけなさを残し、真珠のような肌をぴったりと覆っている黒い布地は均整(きんせい)の取れた魅力的な身体の線を見せつけている。

 

 (かお)り立つような煽情的(せんじょうてき)な美と、妖精のような幻想的な美が調和した奇跡の少女。曇り空の下にもう一つの太陽が現れた、そう思ってしまうほどの輝きと圧倒的な存在感を放っていた。

 

 そんなものと間近で接することになった受付の衛士は、我を忘れて呆けたように口を開けたままだ。

 

「……あの」

 

 遠慮がちに少女の口を開かれる。その声すらも天上の楽器の音のように涼やかで耳に心地良い。 

 

「あの?この街に入りたいんですけど」

 

 顔のすぐ傍で心地よい声に呼び覚まされ、ようやく我に返った衛士は己の職務を思い出した。

 

「……あ、え、ええと……それじゃあ君、名前とこの街に来た目的を教えてもらえるかな?」

 

「私の名前はサトリ・スズキ。この街には観光に来ました」

 

 そう言って少女の形をした奇跡は軽く会釈をした。

 

                   ◆

 

 この国には旅券(パスポート)査証(ビザ)という物はなく、足税さえ払えば誰でも街に入ることができるが、明らかに怪しい人物はそれなりの取り調べを受けることになる。その判断は特別な事情がない限り現場の裁量(さいりょう)だった。受付の衛士はサトリの全身を穴が開くほど見つめると、粗末なテーブルに置いてあったベルを鳴らした。

 

「え、えーと、サトリちゃん、だっけ?悪いけど君には身体検査を受けてもらおうかな」

 

「身体検査?」

 

 予想外の展開にサトリは眉を顰めた。

 

「ここはバハルス帝国との最前線に近いから、君みたいな怪しい……普通じゃない人がいたら、調べないといけないんだよ」

 

「お……私のどこが怪しいっていうんですか?」

 

 口を尖らせて抗議するサトリを見て再び見惚れかけた衛士は、わざとらしい咳払いをして仕切り直す。

 

「ンンッ……いや、むしろどこが怪しくないと思ったの?」

 

 衛士の言い分に様子を窺っていた周囲の人々も頷いている。今のサトリの格好は「貴族のパーティーから抜け出して来ました」と言われた方が納得できるものだ。少なくとも旅人の格好には見えない。

 

「え、あ、あれ?」

 

「「おおっ!」」

 

 場の雰囲気に気づいたサトリがびっくりした顔で周りを見回すと、ようやくサトリの顔を正面からはっきり見ることができた人々から先程より大きなどよめきが上がった。

 

(まいったな……村じゃ何も言われなかったから気にしてなかった)

 

 ユグドラシルでは女性アバターの装備品にこの手のデザインはありふれていたし、カルネ村でも誰にも指摘されなかったことで完全に頭から抜け落ちていたのだ。

 

「わかってくれたかな?君の格好はちょっと普通じゃないって。冒険者なら目立つ恰好をしてる人もいるけど、そういうのは特別だからね」

 

「で、でも身体検査なんて……何とかなりませんか?」

 

 サトリが身につけている装備品は、この世界のマジックアイテムの水準を考えると騒ぎになりそうな物ばかりだ。そんな面倒はお断りしたいサトリは、村で練習したスキルを実戦投入する。

 

 相手と目を合わせて僅かに首を傾げつつにっこり笑いかけるポーズ、略してニコポである。魔力消費が無い代わりに精神力を削る社交スキルだが、色々な場面で使える汎用性が売りだ。さっそくスキルの効果を受けた受付の衛士は、抵抗(レジスト)に失敗して締まりのない顔になった。

 

「そ、そう言われてもこれが仕事だし……」

 

 脈ありと見たサトリは、旅の恥はかき捨てとばかりに畳みかける。

 

「面倒は起こしませんから。お願いします、衛士さん」

 

 少し俯きがちに上目遣いで見上げながらの「お願い」である。ニコポスキルの応用だが精神力の消費が甚大で使い勝手が良くない。熟練度が高まれば一瞬で目を潤ませる事でさらに効果を上げられるのだが今のサトリには難しかった。

 

(う゛……ロールプレイ(闇の人格)に任せりゃ良かった……これ精神というか正気が削れる……)

 

 これもロールプレイではあるのだが、完全に闇のサトリを演じている時と違って諸々のダメージが緩和されず、ダイレクトに鈴木悟の正気を侵してくる。このスキルは当分封印しておくのが賢いだろう。

 

「……そ、そんなに言われたらしょうがないな……特別だよ?あと俺の名前はジェンターっていうんだけど、良かったらこの後……」

 

「おい。その娘の取り調べをするんだろ?」

 

 城門の内側から別の衛士が近づいてきた。中肉中背で目立った特徴はないが、目つきが鋭くいかにも抜け目がなさそうな男だ。

 

「げ、ザイン……え、ええと、すまんねサトリちゃん……やっぱり身体検査は受けてもらうよ。なに心配はいらない。問題ないと分かればすぐに解放されるさ」

 

 受付のジェンターはこのザインとかいう衛士に頭が上がらないらしく、サトリの取り調べはどうやっても避けられない流れになったようだ。

 

「サトリ・スズキだったな。ここだと人目があるからついて来い」

 

「……わかりました」

 

(もうちょっとだったのに!正気削れ損だよ)

 

 サトリは心の中で吐き捨てるが、こうなってしまった以上は素直に協力したほうが早く済むだろうと、ザインに従ってすぐ近くの建物の中へ入った。そこは飾り気のない2階建てで内部はそこそこ広く、<永続光>(コンティニュアル・ライト)が付与された照明で明るく照らされていた。

 

 屋内に入ったザインは慣れた足取りで地下への階段を降りていった。サトリの背後にはいつの間にか大柄な衛士がついてきており、はやく行けと言うように無言の圧力を加えてくる。その有無を言わせない強引な態度にサトリは反感を覚えるが、心象を悪くするのもまずいと黙ってザインの後を追った。

 

 地下に降りた3人は道なりにしばらく廊下を進み、突き当たりのドアを開けて中に入る。

 

「ここだ。入れ」

 

(うっぷ……なんだこの匂い)

 

 部屋に入った途端漂ってきた異臭に耐えかねて、サトリは取り出したハンカチで口元を覆う。そこは殺風景を通り越して牢獄のような部屋だった。壁や床は変わった質感の石で出来ていて、壁の一部からは金属の取っ手のようなものが飛び出ている。部屋の真ん中に大きなベッドとチェストが置かれている他は何もない。ベッド脇にあるチェストの上では丸い陶器が白い煙を立ち上らせていて、この異臭の発生元はそれのようだった。

 

(香炉ってやつか?実物見るのは初めてだけど、この匂い好きになれないな)

 

 サトリは口元を押さえたまま眉を顰める。もしかしたらこの土地では一般的なのかもしれないが、良い匂いとはまったく思えなかった。部屋に染みついた悪臭を誤魔化そうとしているかのようで、トイレの芳香剤を連想してしまう。旅先での様々な香りも楽しみの一つだろうと、例の魔法の指輪を外していたのが仇になった形だ。

 

「止まるな。もっと奥へ行け」

 

 後ろからついてきた大柄の衛士が、部屋に一歩入った位置で立ち竦んだサトリの背中を押してくる。嫌々ながらも部屋の真ん中近くまで進んだところで入口が閉じられ、さらに鍵をかける音まで聞こえた時、サトリは己の迂闊さに気づいた。

 

「え……」

 

 気づけば地下の密室で男二人に囲まれているという状況。地下に降りた時点で嫌な予感がしなくもなかったが、まだ女という自覚が薄いサトリは「まさか自分が」という気持ちの方が強かったのだ。それでもまだ勘違いという可能性もなくはないと、サトリは目の前のザインの様子を窺った。

 

「あの、こういうのって普通は同性の人がやるんじゃ……」

 

 ザインは返事の代わりに唇の端を吊り上げてサトリの胸に手を伸ばしてきた。

 

(セクハラ……いや強制猥褻じゃないか。なんだこの衛士)

 

 いくらサトリの自覚が薄いといってもこんな状況でやすやすと触らせるほど甘くはない。芋虫の様な指に触れられる寸前、サトリは手刀で男の手首を叩き落とした。無論骨を折ってしまわないように十分手加減はしている。

 

「ってぇ!!」

 

 ザインは悲鳴を上げて叩かれた手を押さえた。職権乱用の強制猥褻なんて普通に考えてクビな上に牢屋行きだ。これ以上この連中に付き合う必要はないと部屋から出ようとしたサトリの腕を、背後にいた大柄な衛士が掴んだ。

 

「手を放してくれませんか?今なら何も無かった事にしてあげますけど」

 

 苛立ちはあるが早く観光したいサトリとしてはなるべく面倒は起こしたくない。何よりも一刻も早くこの臭い部屋から出たかった。<無臭>(オーダレス)の魔法で消臭できるとはいえ、髪にこの臭いがうつったりしたら気分が悪い。

 

「逃げられねえよ。おめえだってここまでノコノコついて来たからにはわかってんだろ?」

 

「いや、ちっとも」

 

 彼らは知らない。サトリにとってただの衛士など子猫も同然だということを。握られていた手首を力づくで振り解き大柄な衛士の襟元を逆手で掴んで持ち上げる。相手の出方次第でこのまま床に叩きつけるつもりだった。

 

「んぐぇッ!?」

 

「ちっ……おい、いいのか?この街に入れなくなってもよ」

 

 ザインの口調が変わった。正体を現したというべきか。あまりにも予想通りの台詞を喋ったので吹き出しそうになったサトリだが何とか堪える。それをやってしまうとこの手の連中は後に引けなくなるだろうからだ。

 

 サトリが振り向くと、ザインはこれ見よがしに指をわきわきさせながら黄色い歯を覗かせていた。本人は笑顔のつもりなのだろうが、サトリには歯を剥き出した猿にしか見えない。

 

「そんな可愛い顔で睨まれても怖かないぜ。むしろ滾るわ。自分の立場を理解したんならそいつを離しな、サトリちゃんよ。お尋ね者にはなりたくねえだろ?」

 

「この街の衛士は腐ってる……」

 

 サトリが溜息交じりに襟首から手を離すと、解放された男は入口のドアに寄りかかって激しく咳き込んだ。

 

「この国はどこだってこんなもんさ。どこの世間知らずのお嬢様だか知らねえが、「スズキ」なんて家名は聞いたことがねえ。その髪からして南方の出なんだろうが、ここじゃそんなものは通用しねえぞ」

 

「こんなことやっていいんですか?あなたが私を連れて行くところは何人も見てるのに」

 

「伝手があってな。俺のやることに上は何も言えねえよ。それにしても……」

 

 情欲に染まった男の視線がサトリの身体を舐めるように這い回る。見つめられた部分にナメクジでも這っているような錯覚を感じてサトリは背筋が寒くなった。自然と胸をかばい、ザインの視線から逃げるような姿勢をとってしまう。

 

「おめえみたいな女は見たことねえ。ちょいとガキっぽいが良い身体してやがる。おまけにツラも肌も髪も極上と来たもんだ。おめえと比べたら「琥珀の蜂蜜」のトップだって見劣りするだろうよ」

 

(なんだこの……こいつは)

 

 カルネ村でのあれこれで自分の容姿に自信を持ち始めているサトリだったが、こんな男にこんな状況で褒められても不快感しかない。そもそも褒められているように思えない。それでもサトリは怒りを抑えて最後の交渉を試みる事にした。

 揉め事を避けたいのが半分、こんな連中に<記憶操作>(コントロール・アムネジア)の魔法をかける魔力がもったいない、というのが半分だ。あの魔法が膨大な魔力を消費することはカルネ村での実験で分かっている。

 

「いくら払えばいいんですか?」

 

「お前にゃ金よりもっと良いもんがあんだろ?もちろん金もいただくけどな」

 

 わざとらしく下卑た作り笑いを上げる男に、サトリは腐った生ゴミを見るような目を向けた。鈴木悟のいた世界でも汚職はありふれていたが、この豊かな自然に溢れた美しい世界で、それより酷い腐敗を見せられるとは思っていなかった。

 明確な敵はともかく、この世界に来て最初に出会った人々が素朴で親切なカルネ村の村人やガゼフ達だったせいで警戒感が薄れていたのだ。

 

「……はあ。そっちがそのつもりならやるしかないか。でもお前らは運がいい。闇の力を抑え込む儀式を行ってなかったらとっくに命はなかったぞ」

 

 カルネ村を出る時うっかりロールプレイ(闇の人格)が出てしまい、恥ずかしいことをやらかしてしまったのを気にしていたサトリは、行列待ちの間に闇の人格を封印する儀式を行っていた。あの儀式は他人に内容を悟られると封印の呪力が落ちてしまうので、帽子を目深に被っていたのだ。

 見られたところで闇の呪いに蝕まれていない人々には理解できないのでまず心配はないのだが、本来は夜に部屋で一人で行うべき儀式なのだ。じゃあなぜやったのかというと、行列待ちの間あまりにも暇だったからだ。

 

「闇の人格、だと?」

 

 容姿や持ち物からして普通とはかけ離れているだけに、サトリの言う「闇の人格」とは何かの暗喩なのかとザインは一瞬身を固くする。しかし彼らが今までに攫って売り飛ばした女の中にはミスリルのプレートを下げた女性冒険者もいたのだ。どんな切札があろうが己の勝ちは揺るがないという自信がザインにはあった。

 

「ぐっ、ごほっ!……こっ、このガキ!」

 

 激しく咳き込んでいた大柄の衛士が立ち直り、怒鳴り声を上げてサトリに殴りかかってくる。その男の身体はサトリよりも二回り以上も大きい。以前ならほとんどダメージがないと分かっていても恐怖で身が竦んだだろうが、今のサトリには余裕があった。

 

(ガゼフの睨みつけに比べたら子犬が吠えてるレベルだなあ)

 

 動きの方も比べ物にならない。ガゼフならこの男が拳を振り下ろす間に6回以上は斬れそうだった。余裕綽々のサトリはむしろ正当防衛の言い訳が出来たと喜んで身構える。

 

「おい。何勝手してんだカイアス?」

 

 ドスの聞いた低い怒鳴り声が部屋中に響き、サトリに殴りかかった男の動きがぴたりと止まる。声の主はザインだった。サトリも一瞬緊張したがガゼフのお守りを突破するほどではない。

 

「話はついたんだ。サトリは話し合いでケリつけたいって言ってんだよ」

 

「……」

 

 サトリとしてはもうやることは決まっている。が、この三文芝居がベタ過ぎてかえって新鮮だったので流れを止めるような真似はしない。悔しそうな表情を浮かべて雰囲気作りに協力しておいた。

 

「……わ、悪かった。つい頭にきてよ」

 

 大柄な衛士、カイアスがすごすごと身体を縮める。それだけでこの二人の力関係がはっきりと窺える。

 

「てめえの頭なんざ元々ついてる意味ねえだろうが。腕力しか取り柄のねえ屑のチンピラだったてめえを、「八本指」に話通して衛士にしてやったのはどこの誰だ?」

 

「わ、悪かったって!勘弁してくれよザイン」

 

「てめえは俺の言う通りにしてりゃいいんだ。そうすりゃてめえもおいしい思いができんだからよ」

 

(八本指……ニグン達の話にあったな。こんな街の衛士までマフィアの手が入ってるのか)

 

 この国を本拠に活動する犯罪組織で、麻薬に殺人、窃盗に売春、その他ありとあらゆる悪事を扱う巨大犯罪シンジケートだという。真に王国を支配しているのは彼らだと言われるほどの力を持っているらしい。

 

(にしても本当に安い芝居だな。いつまでやるんだこれ)

 

 子分を凄ませて叱りつけることで物分かりが良い大物感を演出。その上でさり気なくマフィアの名前を出して怖がらせ、言う事を聞かせるというテンプレートのような小芝居だ。それでもサトリが見た目通りの女の子で、ガゼフとの睨み合いを経験していなければ効果は抜群だったかもしれないが。

 

「待たせたなサトリ。あらかじめ言っとくがこの部屋じゃ魔法もマジックアイテムも使えねえぞ?嘘だと思うなら試してみな。それとももう試したか?」

 

 サトリは僅かに目を細める。ザインの話を鵜呑みにしたわけではないが、ユグドラシルでも魔法を無効化する場所というのは存在したからだ。それに魔法が当たり前に存在する世界でこういった部屋を作っておくのは当然の備えだろう。ただ、そんな重要な場所を末端の衛士が私室のように使っているのは普通ではない。

 

「……腐ってるのは衛士じゃなくて、この国なのか」

 

「おうちの家庭教師は教えてくれなかっただろ?いい勉強になったな。代金はおめえの身体と全財産だよ」

 

「はっ。魔法使えなくたってお前らなんれ……?」

 

 そこでようやくサトリは己の身体の異変に気付いた。舌が縺れてうまく言葉にならない。全身が徐々に重くなって握りしめた拳から力が抜け、膝が震えて立っている事すら辛くなってくる。

 

「な……これ……」

 

「やっと効いてきたな。何のためにダラダラ小芝居してたと思う?ずっと平然としてやがるから、この薬効かねえのかと冷や冷やしたぜ」

 

「く、すり……だと……」

 

 オーバーロードのままであればアンデッドの特性で毒など受け付けなかっただろう。ただし今のサトリはそうではない。毒耐性を得る装備品は酒に酔うことも出来なくなるので街に入ろうという時につけようとは思わなかったし、強力な魔法無効化の空間内ではそれらマジックアイテムの効果すら一時的に停止してしまう事もある。

 

 それにユグドラシルにおいても完全耐性を無視してくる攻撃はあった。ワールドエネミーの八竜の1体が使用してくる「屍毒のブレス」や、「五色如来」が使う「天人五衰」などの攻撃がそうだ。そしてこの世界には生まれながらの異能(タレント)という物がある。完全に耐性を整えていたとしても絶対などない。

 

 だが、そういう目に見えない物に怯えていたら家から一歩も出られなくなってしまう。命に代えても守りたい物があるならともかく、今のサトリはそうではない。折角異世界に来たのに維持する指輪(リング・オブ・サステナンス)を付けて、永久に穴倉に籠っていろとでも言うのだろうか?

 

「八本指お抱えの生まれながらの異能(タレント)持ちが作る特別製だ。当然値も張るが、おめえみたいな女も居るから念には念をってところだ」

 

<魔法無詠唱化>(サイレントマジック)<人間種支配>(ドミネイト・パースン)……)

 

 サトリは魔法を行使するが、ザインの言った通り効果は発揮されなかった。そうしている間にも毒はサトリの全身を侵していく。ついには足から力が抜けサトリは冷たい石の床の上に崩れ落ちてしまった。全身が鉛のように重くなって言う事をきかない。意識にも靄がかかっているのに肌の感覚は鮮明で、むしろ敏感になってさえいる。

 

 こんな異様な症状をもたらす毒物が何のために作られたのか、身をもって体験しているサトリには嫌でも想像がついてしまう。間違いなく()()()()目的のためだ。生まれながらの異能(タレント)という「なんでもあり」が存在する世界で、八本指のような犯罪組織が飛びつかないはずがない。

 

 ザイン達に効果がないのは対策済みだからだろうが、もしかしたらこの毒自体が女にしか効果がないような代物なのかもしれない。この部屋は周到に用意された八本指の為の狩場であり、この国全体が彼らの為の巨大な牧場なのだ。

 

 何とかアイテムボックスを開こうとするが、既に腕を持ち上げることもできない。仮に取り出せたとしてもアイテムが発動しない可能性が高かった。この後、自分が何をされるのか想像してしまったサトリは、今まで経験したことのない生理的な嫌悪と恐怖に囚われた。

 

 しかしこの時のサトリは自分自身でも気づいていない、気づいても認められない事があった。地下に入った時点で感じていた嫌な予感を押し殺した本当の理由とは─

 

 辛うじて上体を支えていた肘からも力が抜け、サトリの身体は完全に石の床に突っ伏してしまった。ギラついた男の目が固唾を飲んで見つめる中、美しい黒髪が床の上に広がった。

 

 

                   ◆

 

(この女、普通じゃねえ)

 

 ザインは自分が調子を狂わされていることを理解していた。八本指の末端として数々の悪事に手を染めてきた。見目の良い女を攫って売り飛ばしたことなど数え切れない。だがそんな女達の美しさなど、このサトリと言う名の少女とは比較にならなかった。

 

 ザインにとってはこんな役得はいつもの事で、()()()には劣るが女の扱いには慣れている。しかしこの娘を見ていると、みっともない童貞小僧に戻ったように余裕が消え失せるのを感じていた。煮えたぎるような衝動に急き立てられるのだ。

 

 ロマンティストとは真逆のザインだが、その理由は見た目だけの話ではないように思った。存在感と呼ぶべきものが根底から違う。まるで自然の猛威や巨大なモンスターを間近で見てしまった時のように、この娘から目を逸らせなくなる。

 

 未知なる神秘の存在への憧れ、そんなものを思うがままにしたいという背徳感。あまりにも恥ずかしい事を考えている自分に呆れて、ザインはがりがりと頭を掻いた。

 

 馬鹿げた妄想を抜きにしても、こんな獲物には二度と出会えないと断言できた。それだけにコッコドールに送った時の報酬が楽しみになる。行き先は王都の最高級娼館か、六大貴族の誰かの妾だろう。だがそうなってしまえばザインはこの娘を抱くことはできない。

 

(……惜しいな)

 

 ザインはコッコドールからの莫大な報酬より、この娘を手放したくないと思ってしまっていた。女は利用して捨てるものであって、惚れるものではないと思っていた自分とは思えなかった。

 

 そんな少女が今、己の足元に力なく横たわっている。完全に毒が回って身体など殆ど動かないだろうに、いまだ抵抗しようとする素振りが男の嗜虐心を燃え上がらせる。とうとう我慢しきれなくなったザインは冷静な仮面をかなぐり捨てた。

 

「諦めな!この部屋じゃどんな魔法だって使えねえんだ。聞いた話じゃ全体が骨の竜(スケリトル・ドラゴン)みてえなもんなんだとよ」

 

(後のことは後で考えりゃいい。今はこの娘を思う存分楽しんでやる)

 

 荒々しくズボンを脱ぎ捨てて下着になったザインは、サトリの身体に覆いかぶさった。

 

 しかしザインを迎えたのは柔らかな女の体ではなく、硬く冷たい石の床だった。襲い掛かった直後、サトリの身体が忽然と消えてしまったからだ。

 

「き、消えただと!?ふざけんな!なめんじゃねえぞ!」

 

 寸前でお預けをくらった形のザインは、バツの悪さと収まりのつかない下半身を抱えて怒鳴り散らす。

 

「あの女逃げやがったのか!?」

 

 事態を把握したカイアスは入り口のドアを振り返り、逃げたはずのサトリを追って外に出ようとする。

 

「落ち着けカイアス!姿を消す生まれながらの異能(タレント)は偶に聞く話だ!サトリはきっとまだこの部屋にいるにちがいねえ!おめえはしっかり鍵を持ってろ!」

 

「わ、わかった」

 

「よくも俺をコケにしやがったなサトリ!だが逃げられると思うなよ!見つけたら覚悟しやがれ!」

 

 ザインの血走った目が、白い煙が充満する部屋の中をぐるりと見回した。

 


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