ガンダムビルドファイターズ-Sailing to the Sunshine-   作:陽@曜花推し

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第15話:怒れる瞳(リメイク版)

ちっ……どこだよ、ここは。

 

暗澹とした空気の漂う、埃っぽいコンクリートの床。視界を遮る目隠しの奥で、思わず内心の毒づきが漏れる。

 

現在の状況を端的に説明するならば、拉致監禁。

 

唐突すぎて何を言っているのか分からないと思うが、当事者である俺自身、全く訳が分かっていない。

 

とりあえず、記憶の糸を今日の昼過ぎまで巻き戻すことにする。

 

中間テストという地獄の関門をAqoursのメンバー全員が「赤点なし」で突破し、その勢いのまま沼津駅前での大規模イベントを『未熟DREAMER』の歌声と共に大成功へと導いた翌週。俺は、静岡予選の準決勝に挑むべく、東海道新幹線を下車して静岡駅へと降り立っていた。

 

駅ビルで軽く昼飯を済ませ、今夜の宿泊先であるビジネスホテルへ向かおうと、人通りの少ない静かな路地裏に差し掛かった時のことだ。

 

背後から微かな足音が聞こえたかと思った瞬間、訓練された動きで完全に羽交い締めにされた。抵抗する暇すら与えられず、視界を黒い布で覆われ、両手足を結束バンドのようなもので強固に拘束される。そのまま強引に車の後部座席へと放り込まれ、エンジン音と共に数十分ほど揺られた。どこかの建物へと手際よく運び込まれ、椅子に縛り付けられた状態で放置されて現在に至る、というわけだ。

 

くそ、ポケットを探られた形跡がある。愛用のバッグもスマートフォンも、すべて奴らに没収されたらしい。

 

ここがどこかも分からず、外部への連絡手段も皆無。明日の試合を前にして、これは本気で最悪の状況に陥ってしまった。

 

一方、その頃の内浦――。

 

「はー君がいなくなった……!?」

 

浦の星女学院の部室に、動揺を隠せない千歌の悲鳴が響いた。

 

陽哉が宿泊先のホテルにいつまで経ってもチェックインせず、連絡もつかないことから、心配したホテル側が新堂家へ確認の電話を入れたらしい。その報せを、Aqoursの放課後練習が終了した直後、姉の志満からの緊急の電話によって受け取ったのだ。

 

「いなくなったって……どういうこと? はー君、明日は大事な試合があるはずでしょ?」

 

曜が普段の明るさを消し去り、眉をひそめて詰め寄る。その隣で、ルビィが小さな身体を強張らせておろおろと視線を彷徨わせた。

 

「試合は明日だよね? なのに、連絡もなしに姿を消すなんて……何か、大変な事件に巻き込まれたんじゃ……」

 

「心配ずら……。陽兄ちゃんが、理由もなく約束を破るような人じゃないのは、丸たちが一番よく知ってるずら……」

 

花丸が不安そうに胸元で両手をぎゅっと握りしめる。

その傍らで、善子が神妙な面持ちでスマートフォンの画面を見つめたまま、静かに首を横に振った。

 

「ダメ……何度かけても、電波の届かない場所にいるか、電源が入っていないっていうアナウンスしか流れないわ。リトルデーモンハリィの分際で、このヨハネに無断で消息を絶つなんて、ただ事じゃないわよ……」

 

普段の厨二病的な軽口を叩く余裕すらなく、部室には重苦しい沈黙が広がっていく。一体、彼はどこへ行ってしまったのだろうか。

 

 

 

そんな下級生たちの喧騒から離れた淡島。理事長室では、3年生の3人が険しい表情で机を囲んでいた。

 

「陽の次の対戦相手なんだけど。これを見てくれるかしら」

 

鞠莉が真剣な面持ちでタブレット端末を操作し、2人に画面を向けた。そこに表示されていたのは、明日、陽哉が戦う予定の対戦相手のデータ、およびこれまでの予選の試合結果だった。

 

「兵藤玲音(ひょうどう れおん)……? 聞いたことのない名前だね」

 

果南が画面の文字をなぞるように呟くと、ダイヤがその特異な戦績に目を留め、鋭く目を細めた。

 

「一回戦は不戦勝、二回戦は秒殺……ですか。一見すると圧倒的な実力者のようにも思えますが、全国クラスの強豪でもない限り、静岡予選のこの段階でここまで極端な結果になるものでしょうか」

 

「そうなのよね。だから不思議に思って、二回戦の公式アーカイブ動画を取り寄せてみたの。見てみて」

 

鞠莉が動画の再生ボタンを押す。画面の中で展開されるバトルを見た果南の顔から、みるみるうちに血の気が引いていった。

 

「……何これ。相手の選手、まともに動いてさえいないじゃん。まるでただのデコイみたいに棒立ちで、しかも兵藤って選手の攻撃、わざと外して時間を稼いでるようにも見えるよ?」

 

「ええ、その通りデース。さらに不審なのは一回戦の不戦勝の理由よ。対戦相手が当日、時間までに会場に現れなかったの。それだけじゃなく、その日を境にその選手はガンプラバトル自体から完全に足を洗って、連絡も取れなくなってしまったそうなのよ」

 

そこまで材料が揃えば、果南とダイヤの頭脳が最悪の結論を導き出すのは容易だった。

 

「まさか、陽がホテルに現れないのも……!」

 

「そんな……ッ! 己の実力ではなく、裏から手を回して対戦相手を排除しているというのですか!? 神聖なるガンプラバトルにおいて、そのような卑劣極まる真似……到底許されることではありませんわ!」

 

ダイヤが怒りのあまり机を叩いて立ち上がる。

 

「落ち着いて、ダイヤ。まだこれが彼の仕業だと完全に決まったわけじゃないわ。でも、パパとママから預かったこの街を守る立場として、そして何より『陽の危機』かもしれないとなれば、話は別よ。パパに事情を話して緊急事態だと伝えたら、小原家のプライベートなセキュリティネットワークを動かす許可が出たわ。今、息のかかった人員を総動員して、静岡市内を徹底的に探させているところよ」

 

「……見つかればいいのですけれど。ですが鞠莉さん、もしそれが本当の拉致監禁だとしたら、警察が動いて大問題になるはずではありませんか? なぜこれまで揉み消されてきたのです?」

 

ダイヤの当然の疑問に、鞠莉は冷徹な現実を突きつけるように唇を噛んだ。

 

「兵藤玲音の父親は、現役の国会議員よ。しかも、県警の上層部にもかなりの顔が利く大物。個人のスキャンダルや、一介の高校生ガンプラファイターの失踪くらい、力ずくでもみ消すことなんて彼らにとっては赤子の手をひねるより簡単なのよ」

 

「そんな……それじゃあ、陽のことも……」

 

果南の顔に焦燥が走る。相手が国家権力に近い存在であるならば、陽哉の身に起きていることも同じように闇に葬られる可能性が極めて高い。

 

「もみ消すなんて、絶対にさせないわ。これはパパも同意見よ。小原家の情報網と財力を舐めてもらっては困る。とにかく……今は彼らの捜索報告を信じましょう」

 

その日の夜、日付が変わろうとする頃――。

 

内浦の海岸線は、月明かりに照らされて静まり返っていた。

陽哉の安否が心配で一睡もできず、たまらず自宅を抜け出して浜辺へと出てきていた梨子は、冷たい夜風に吹かれながら、遠い静岡の空を見つめていた。

 

「どこに行っちゃったのよ……バカ。明日、大事な試合なんでしょ……?あんなに格好良いところを見せておいて……勝手にいなくならないでよ……」

 

不安に押し潰されそうな胸を抑えて呟いた、その時だった。

背後の沿道に、ヘッドライトを消した一台の不審なワンボックスカーが静かに停車した。

 

「な、何……? こんなに遅くに……」

 

嫌な予感がして身体を強張らせる。車のスライドドアが無音で開き、中からガタイのいい、覆面を被った複数の男たちが降りてくるのが見えた。

 

「やばい……逃げなきゃ……!」

 

梨子は咄嗟に反転し、実家のある旅館の方向へ向かって走り出そうとした。しかし、運動の専門家でもない少女の足では、訓練された大人の男たちから逃げ切れるはずもなかった。わずか数メートル走ったところで、背後から伸びてきた力強い腕に組み伏せられ、地面に組み敷かれる。

 

「きゃああっ!? 離して、放してよ!」

 

暴れる梨子の眼前に、男の一人が冷たく光るサバイバルナイフの刃先を突きつけた。

 

「静かにしろ。騒ぐとこの綺麗な顔に傷がつくぞ?」

 

「うっ……」

 

恐怖で喉が引き攣る。男は低く笑いながら、梨子の耳元で囁いた。

 

「このまま大人しく俺たちについてきてもらおうか。お前も、新堂陽哉に会いたいだろ?」

 

男の口から発せられた馴染み深い名前に、梨子は目を見開いた。

 

「……! 陽君を知ってるの!? 陽君はどこ!? 無事なの!?」

 

「ついてくれば、嫌でも会わせてやるよ。さあ、来てもらおうか」

 

多勢に無勢、おまけに刃物を突きつけられては抵抗の余地などなかった。梨子は両手首を縛られ、強引に車の後部座席へと押し込まれる。バタンと重いドアが閉まり、車は急加速して夜の帳へと消え去っていった。

 

だが、その拉致の現場を、息を潜めて凝視していた人物がいた。

梨子と同じく、陽哉のことが心配で眠れず、ちょうど様子を見に外へ出ようとしていた千歌だ。幼馴染が車に連れ去られる信じがたい光景に、千歌は恐怖で足を震わせながらも、必死でポケットからスマートフォンを取り出した。

ガタガタと震える手でカメラを起動し、走り去る車のリアプレートへレンズを向ける。

 

連写のシャッター音が、波の音にかき消される。

相手も急いでいたのか、暗闇に潜む千歌の存在には気づかなかったようだ。

 

「どうしよう……梨子ちゃん、梨子ちゃんが……!」

 

腰が抜けそうになるのを必死に堪え、千歌は叫びそうになる口を手で覆いながら、全速力で自宅へと駆け込んだ。

 

家の中で慌てふためく千歌の声に気づき、起きてきた姉の志満と美渡に、今目撃した拉致の一部始終を涙ながらに捲し立てる。事態の異常性を察知した志満は、即座に隣の桜内家へ走り、梨子の母親を起こして説明を開始した。美渡は冷静に警察への通報を行う。

しかし、警察が動くのを待っていては間に合わないかもしれない。千歌はどうすればいいか分からず、スマートフォンの連絡先から、最も頼りになる先輩の名前をタップした。

 

深夜の静寂を切り裂く呼び出し音の後、果南の声が響く。

 

『……千歌? 今何時だと思ってるの、一体どうしたの……』

 

「果南ちゃん! 梨子ちゃんが……梨子ちゃんが、覆面の男の人たちに誘拐されちゃったの!!」

 

『はあ!? 何言ってるの、千歌……!』

 

突然の荒唐無稽な言葉に、電話の向こうで果南が完全に息を呑む音が聞こえた。千歌は涙を拭いながら、撮影した車の特徴と、男たちが「新堂陽哉」の名前を出していたことを必死に説明した。

 

『……分かった。千歌、落ち着いてそのまま家にいて。曜や1年生のみんなには、余計な混乱を避けるためにまだ絶対に連絡しちゃダメだよ。私が今から鞠莉に繋ぐから!』

 

果南はそう言い残すと一方的に通話を聞き、即座に鞠莉のプライベート回線へとダイヤルを回した。

 

「お願い、鞠莉……出て……!」

 

コール音が果てしなく長く感じられる。心臓が早鐘を打つ中、ようやくカチリと回線がつながった。

 

『果南? こんな夜更けにどうしたの、マリーは今とってもグッドなスリープを――』

 

「ごめん鞠莉、緊急事態。冗談抜きで一分一秒を争うの」

 

果南の、これまでに聞いたこともないような切羽詰まった声のトーンに、鞠莉の眠気が一瞬で吹き飛んだのが気配で分かった。

 

『……何があったの?』

 

果南は千歌から聞いた拉致の一部始終、そして車の特徴について簡潔に伝えた。

 

『果南、今すぐ千歌っちからその車のナンバーが映った画像をマリーの端末に転送させて! 即座に小原家のネットワークでそのナンバーの走行ルートを追跡させるわ。それから、果南も大至急着替えてホテルに来て。小原家のヘリをチャーターしたわ。今からヘリで静岡へ直接乗り込む。おそらく、その車の行き先――そこに、陽も囚われているはずよ!』

 

「了解、すぐ行く!」

 

果南はスマートフォンを握りしめ、夜の闇へと飛び出していった。

 

 

 

 

同時刻、静岡某所の暗い室内――。

 

「くそ……なんなんだよ、一体」

 

目隠しをされているため周囲の状況は掴めないが、気配からして部屋の中には数人の見張りが常駐しているようだった。どれほどの時間が経過しただろうか。やがて、部屋の重い扉が開く音が静かに響いた。

 

「どうもお疲れ様」

 

粘りつくような、酷く不快な声が鼓膜を叩く。

 

「おやおや、新堂陽哉君? 実にいい格好ですねぇ」

 

「……誰だお前」

 

「おい、そいつの目隠しを外してあげて?」

 

指示の通り、手下の男によって乱暴に黒い布が剥ぎ取られた。急な光の刺激に瞬きを繰り返し、ようやく焦点を結んだ視界の先に立っていたのは、見覚えのある歪んだ笑みを浮かべた男だった。

 

「お前……兵藤……玲音?」

 

間違いない。明日、準決勝で激突するはずの対戦相手だ。なぜ奴がこんな場所にいる。いや、考えるまでもない。

 

「お前の仕業か?」

 

「大正解! 素晴らしい察しの良さだ、新堂君」

 

男は悪びれる様子もなく、大声をあげて嘲笑った。拉致監禁という、公式大会のファイターとしては最低最悪の汚い手段。怒りで奥歯が軋む。

 

「そうか……一回戦の不戦勝も、俺と同じ手を使って相手をハメたんだな?」

 

「イグザクトリー! その通りさ。わざわざ戦う必要なんてないだろう?」

 

「こいつ……人間の屑だな……」

 

吐き捨てるように言う俺を、兵藤はどこか楽しそうに見下ろしている。一回戦がそうなら、あの異常な秒殺劇だった二回戦はどう説明する。

 

「なら、二回戦のあの無抵抗な試合は……どうやった?」

 

「ああ、あれかい? 素晴らしいよ。対戦相手の妹ちゃんをちょっとばかり人質に利用させてもらったのさ。『僕に負けてくれないと、可愛い妹ちゃんが酷い目に遭うよ』ってね。ああ、ご心配なく。試合が終わった後、無傷でお返しいたしましたので!」

 

「てめえ……ッ!」

 

そういう問題ではない。幼い子供まで巻き込んで脅迫するなど、到底正気の沙汰とは思えなかった。

 

「てめえ、こんなことをしてただで済むと思ってるのか……!」

 

「ああ、心配無用だよ。僕のパパは現役の国会議員だからね。その息子という立場を利用すれば、これくらいの不祥事は最初からなかったことにできるのさ。揉み消しなんてお手の物だよ!」

 

国家権力を背景にした揉み消し。最悪の現実だった。こんな奴のために、俺はここまで積み上げてきたガンプラバトルへの情熱も、決勝での志木城さんとの約束も、すべて諦めなければならないのか。

 

「ああ、そうそう……君の場合は少々不安でね。事前に調べさせてもらったよ。君、かなり喧嘩が強いんだって? だから念のために保険をかけさせてもらった」

 

「保険だと……?」

 

兵藤がポケットから取り出し、俺の目の前に突きつけてきたのは、数枚の生々しい写真だった。そこに写っていたのは――。

 

「てめえ!!」

 

「僕が依頼したプロの人たちが、今頃は内浦の静かな海岸で彼女を確保しているはずさ。今からここに連れてくる。君がもし少しでも抵抗したり、明日の試合で僕に勝ちにいくような真似をしたら……この子がどうなるか、分かるよね? あんなことやこんなこと、されちゃうかもしれないなぁ」

 

生まれて初めて、他人に対して純然たる殺意が湧き上がった。この屑野郎だけは、絶対に生かしてはおけない。だが、ここで下手に暴れれば梨子が本当に危険に晒される。くそ、どうすればいい。

 

そして、試合当日の朝――。

 

「陽君……!」

 

扉が乱暴に開け放たれ、両手首を結束バンドで縛られた梨子が、男たちに突き飛ばされるようにして部屋へと連れ込まれてきた。

 

「梨子……! ごめん、俺のせいで巻き込んじまった……」

 

「陽君のせいじゃないから……! 陽君こそ、怪我はない? 大丈夫?」

 

こんな状況だというのに、梨子は自分の恐怖を押し殺して俺の身を案じてくれている。

 

「大丈夫……と言いたいところだが、腹が減ったな。昨日から何も食わせてもらってないんだぜ」

 

俺は室内に残った覆面の男を鋭く睨みつけた。

 

「おいおい、そんな怖い顔で睨むなよ。俺たちだって、兵藤の坊ちゃんからの命令で動いてるだけなんだからよ」

 

「兵藤……? もしかして、陽君の次の対戦相手の!?」

 

梨子が驚愕の声をあげる。俺は短く肯き、これまでに兵藤が犯してきた一回戦と二回戦の卑劣極まるやり口を簡潔に説明した。

 

「卑怯よ! そんなの、ガンプラバトルのファイターじゃないわ!」

 

「勝てばいいんだろ、勝てば。あの坊ちゃんにとっちゃ、結果がすべてなんだよ」

 

覆面男は鼻で笑う。こんな手段で勝ち続けたところで、いつか破綻することすら理解できない哀れな連中だ。

 

その頃、陽哉たちが監禁されている建物の外では――。

 

「ど、どうしよう……これって絶対にヤバい状況じゃん……」

 

神代恵里菜は、静岡市内の路地裏にある寂れた雑居ビルの陰で、生唾を飲み込んでいた。たまたま朝の買い出しの途中で通りかかったビルに、見覚えのある浦の星の制服を着た少女――梨子が連れ込まれるのを目撃してしまったのだ。気になって密かに建物内へ潜入してみれば、あろうことかガンプラ界の有名人であり、内浦でよく見かける新堂陽哉が椅子に縛り付けられているではないか。

 

事情を盗み聞きし、過去の試合の不正や、今回の拉致の真相を理解した恵里菜だったが、相手はガタイのいい男たちだ。女子高生一人の力ではどうにもできない。

 

他にも仲間がいて、見つかりそうになったのでいったん外に出る。

 

その時、ビルの敷地内を、周囲を警戒するように歩く一人の男の姿があった。

鋭い眼光に、衣服の上からでも分かるほどに鍛え上げられた強靭な肉体。かつて陽哉と共に厳しい修行に励み、固い拳を交えながら互いを高め合った宿命のライバルであり親友――イノセ・ジュンヤだった。

 

彼は今日、静岡大会に出場する陽哉を会場で激励し、再び相見えるための発破をかけるべく、はるばる足を運んでいたのだ。朝の退屈しのぎに周辺を散歩していたところ、明らかに挙動不審な様子でビルの陰に隠れているギャルを発見したというわけだ。

 

「おい。そこで何をごそごそやっている」

 

「ひゃっ!? な、何よあんた……って、ちょっと静かにして!」

 

恵里菜は飛び上がりそうになるのを必死に抑え、ジュンヤの口を手で塞ごうとしたが、逆にその圧倒的な威圧感に気圧された。しかし、男の鋭い視線がただ者ではないと察し、藁にもすがる思いで事情を説明した。

 

「あのね、この中に私の知り合いの……新堂陽哉って男の子と、別の女の子が悪い奴らに捕まってて!」

 

「……何だと? 陽哉が捕まっているだと?」

 

ジュンヤの瞳の奥に、凍りつくような冷徹な炎が灯った。

 

「場所を案内しろ」

 

「え? いや、でも相手はたくさん人がいるし、武器持ってるかも――」

 

「関係ない。陽哉をそのような雑兵の罠で不戦敗にさせるわけにはいかない。案内しろ」

 

一切の迷いがないジュンヤの足取りに、恵里菜も覚悟を決めた。

2人は足音を殺してビルの階段を駆け上がり、陽哉たちが監禁されている部屋の前に辿り着く。

 

室内からは、覆面男の卑俗な笑い声が漏れ聞こえていた。

 

「結構可愛いじゃねぇか、お前。へへ、こないだの二回戦の時は4歳のガキだったから何もできなかったけどよぉ……お前なら、試合開始までの時間、なかなか楽しめそうだなぁ?」

 

「近寄らないで……っ!」

 

「てめえ、梨子に気安く触ろうとしてんじゃねえぞ!!」

 

「てめぇは黙ってろ!」

 

覆面男の重い蹴りが、縛られた陽哉の腹部に容赦なく叩き込まれる。

 

「がはっ……!?」

 

「陽君! いやあぁっ!」

 

「ひはは! 目の前で自分の女がめちゃくちゃに犯されるのを、特等席で指をくわえて黙って見てろ!」

 

男が梨子の肩に手をかけようとした、まさにその瞬間だった。

 

「どぉりゃぁああああ!!」

 

鼓膜を破らんばかりの咆哮とともに、頑丈な木製のドアが文字通り粉々に粉砕され、室内に向けて吹き飛んだ。

 

「何だぁ!? 何ごとだ!」

 

覆面男たちが動揺する暇すら与えず、猛然と乱入してきたのはジュンヤだった。

彼は卓越した体術――次元覇王流の真髄たる凄まじい踏み込みで瞬時に間合いを詰めると、先頭の男の顎へ強烈なアッパーカットを叩き込んだ。肉が潰れる鈍い音が響き、男は一撃で意識を失って壁へと激突する。

 

「なっ、てめえ何者だ! 野郎ども、やっちまえ!」

 

残りの見張りたちが一斉にナイフや警棒を抜いてジュンヤに襲いかかる。しかし、拳法の達人である彼にとって、素人の喧嘩に毛が生えた程度の拉致グループなど、動く案山子も同然だった。

 

「遅い」

 

ジュンヤは襲い来る刃物を紙一重で見切ると、男の腕を掴んで一本背負いの要領で床に叩きつけ、同時に別の男の胸部へ強烈な前蹴りを叩き込む。室内は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図へと化した。

 

ジュンヤが生身で大暴れし、敵の注意を完全に引きつけている隙を見計らい、恵里菜が室内に素早く滑り込んできた。

 

「今よ! 梨子さん、こっち来て! テーブルの上にあったナイフで紐を切るから!」

 

「え、あ、はい!」

 

梨子は驚きながらも、背中合わせの状態で恵里菜の元へと駆け寄る。恵里菜は敵が落としたサバイバルナイフを器用に拾い上げると、梨子の手首を縛る結束バンドの隙間に刃先を滑り込ませ、一気に引き切った。

 

「切れた! 陽君、今助けるわ!」

 

自由になった梨子が即座にナイフを受け取り、陽哉の元へと駆け寄って手首の拘束を断ち切る。

 

「梨子、手首だけでいい! 足の紐は自分で力ずくで引きちぎる!」

 

「分かったわ!」

 

手首の自由を取り戻した陽哉は、足首に巻き付いていた太いロープにナイフを突き立て、強靭な脚力と腕力で一気に引き裂いた。

 

「おい、そこのギャル! もう下がってろ!」

 

「ギャル言うな! っていうか早くそっちも加わりなさいよ!」

 

恵里菜の怒声に応じるように、陽哉は完全に立ち上がった。

結束バンドによる鬱血を解消するように両手の手首を軽く回し、眼前の光景を睨みつける。そこには、ジュンヤの圧倒的な打撃によって、すでに半数以上が床に転がって呻いている拉致グループの無様な姿があった。

 

「陽哉、随分と不覚を取ったものだな」

 

ジュンヤが迫り来る敵の拳を軽くいなしながら、不敵な笑みを浮かべてこちらを見た。

 

「悪い、ジュンヤ! 借りはすぐに返す!」

 

立ち上がった陽哉の参戦により、戦況は完全に決した。ガンプラバトルの世界王者であり、生身の格闘技術でもジュンヤと渡り合える陽哉の怒りの拳は、残された覆面男たちにとって悪夢そのものだった。

 

「ガキが、調子に乗りやがって!」

 

殴りかかってきた覆面男の拳を、陽哉は一切避けることなく左手で正面からガッチリと受け止めた。骨が軋むほどの握力で男の拳を握り潰す。

 

「な……っ!? 動かねえ……!」

 

「さあ……てめえの罪を数えな!!」

 

そこからは一方的な、文字通りの公開処刑だった。自分に蹴りを入れられたことなどどうでもいい。何よりも、恐怖に震える梨子にその汚い手を伸ばそうとした、その一点に対する陽哉の激昂は凄まじかった。

左右の強烈なフック、ボディへの容赦ない膝蹴りが覆面男を破壊していく。

 

「陽君、もういいよ! もう大丈夫だから!」

 

「そうよ、やりすぎだってば! 死んじゃうから!」

 

梨子と恵里菜が必死になって左右から陽哉の腕を掴み、制止に入った。床には、陽哉とジュンヤの2人によって完全に沈黙させられた拉致グループ全員が転がっている。

 

「……はぁ、はぁ。くそ、こいつら梨子を……」

 

「そんなことしてる場合じゃないでしょ! 試合開始まであと30分もないのよ! ここから会場まで走ればギリギリ間に合うけど、荷物はどうしたの!?」

 

恵里菜の言葉に、陽哉はハッと我に返った。部屋の隅に投げ捨てられていた自分のバッグを拾い上げ、中身を確認する。財布もスマートフォンも、そして何より大切なデスティニーガンダムシグムントの入ったケースも無事だった。

 

「よし、全部ある。行くぞ!」

 

4人が建物の外へと飛び出すと、そこにはすでに意外な先客が待ち構えていた。

 

「陽! 梨子!」

 

「果南ちゃん! 鞠莉さん!」

 

そこにいたのは、果南と鞠莉、そして小原家の息の掛かった屈強な黒服のセキュリティファイターたちだった。ビルの外で見張りをしていた残りの拉致グループの仲間たちは、すでに黒服たちの手によって完全に制圧され、地面に組み伏せられていた。

 

「鞠莉姉、かな姉……どうしてここが分かったんだ?」

 

陽哉の問いに、鞠莉が安堵の表情を浮かべながらスマートフォンを提示した。

 

「千歌っちがね、梨子を連れ去っていった車のナンバーを完璧にカメラで捉えていたのよ。それをマリーのセキュリティチームに回して、静岡市内の全監視カメラからルートを逆探知させたの。ちょうどここの外にいた仲間たちを制圧し終えたところデース」

 

「そういうことか……本当に助かったよ」

 

さすがは小原家の情報網だ。陽哉は感服しつつ、足元のビルを親指で指し示した。

 

「悪いけど、この中に実行犯の残りが転がってる。俺と……そこのジュンヤが全員ボコボコにして気絶させてあるから、確保をお願いしていいか?」

 

「オーケー、手配するわ。……それで、この卑劣な計画の首謀者は……やっぱり兵藤ね?」

 

鞠莉の冷徹な言葉に、陽哉は驚きを隠せなかった。

 

「……知ってたのか、鞠莉姉」

 

「ええ。昨日の段階で、これまでの2試合の結果があまりにも不自然だったから。パパの伝手を使って裏を洗わせていたのよ」

 

「なるほどね。あいつ、一回戦は俺と同じ手段で相手を拉致して不戦勝。二回戦は対戦相手の妹を人質に取って無抵抗な勝利を強要してた。俺の場合は格闘技をやってるからって理由で、さらに梨子まで保険として拉致しやがったんだ」

 

大切な幼馴染を、自分の勝手な都合で犯罪に巻き込んだ兵藤玲音。その存在に対する怒りが、再び陽哉の胸中で黒く燃え上がる。

 

「陽哉、どうした? 酷い顔をしているぞ」

 

ジュンヤが腕を組みながら、陽哉の尋常ではない雰囲気を察して声をかけた。

 

「悪い、みんな。俺はそろそろ行かなきゃならない。みんなには本当に心配をかけたし、感謝してる。だけど……今の俺は、人生で一番キレてる。梨子を巻き込み、前の試合では4歳の幼い妹まで脅迫の道具に使って揉み消したあの男を……絶対に許さない」

 

「陽、落ち着きなさい。怒りに身を任せてはバトルの精彩を欠くわ。とりあえず、会場まではマリーの車で送らせるから、頭を冷やしなさい」

 

「落ち着いていられるかよ、鞠莉姉……! あんなクソ野郎の親が国会議員だからって、やりたい放題にさせてたまるかよ!」

 

激昂する陽哉の手を、隣からそっと、しかし力強く握りしめる者がいた。

 

「陽君、私は大丈夫だから」

 

梨子が、まだ微かに震える指先で陽哉の手の甲を包み込んでいた。

 

「梨子……」

 

「怖い思いはしたけれど、陽君が、みんなが助けてくれた。だから、私は大丈夫。陽君は、自分のガンプラバトルを全力で戦ってきて」

 

梨子の、真っ直ぐで力強い瞳。その眼差しに、陽哉は深く息を吐き出し、拳の震えを抑えた。

 

「……分かった。かな姉、みんな、車を出してくれ!」

 

「よし、急ぐよ! 全員乗って!」

 

果南の合図とともに、一同は小原家の手配した最高級の送迎車へと乗り込み、タイヤを激しく軋ませて静岡大会の会場へと急行した。

 

 

大会会場の大型モニターが示すデジタル時計は、無情にも試合開始まであと3分という時刻を告げていた。

しかし、ファイター専用の入場ゲートに、新堂陽哉の姿は未だにない。

対戦相手である兵藤玲音は、すでにステージ上の操縦ブースに入り、勝ち誇ったような笑みを浮かべて待機している。

 

観客席の最前列では、祈るようにステージを見つめる千歌たちの姿があった。今回は陽哉の準決勝という大一番を応援するため、Aqoursのメンバー全員が会場に駆けつけていたのだ。

 

「はー君……梨子ちゃん……どこに行っちゃったの……」

 

千歌がスマートフォンの画面を握りしめ、青ざめた顔で呟く。

 

「鞠莉さんが『マリーに任せなさい』って言ってヘリで飛び出していったけど……本当に大丈夫なのかな」

 

曜が落ち着かない様子で周囲を見渡す。その隣で、ルビィと花丸も涙目になりながら互いの手を握りしめ合っていた。

 

「心配で胸が張り裂けそうずら……」

 

「2人とも、怪我とかしてなければいいんだけど……」

 

「……チッ、もう時間が残されていないわよ。あの白々しい顔をした男、最初からこうなることを知っていたみたいな顔をしていて、反吐が出るわ」

 

善子がステージの兵藤を睨みつけ、苛立ちを隠せない様子で髪をかき上げる。最上級生として毅然とした態度を保とうとしているダイヤも、その実、扇子を握る手が小刻みに震えていた。

 

「みなさん、取り乱してはなりませんわ。鞠莉さんや果南さんが動いてくださっているのです。私たちはただ、陽さんと梨子さんの無事を信じて待つしかありません」

 

そんなAqoursの面々から少し離れた席には、第二試合に出場を控えた志木城隆利と、そのサポートを務める神代菜穂、そして「ソレスタルスフィア」のキジマ・ウィルフリッド、アドウ・サガ、キジマ・シアの3人が陣取っていた。

 

「何かがおかしいな」

 

ウィルフリッドが腕を組み、冷徹な視線で兵藤のブースを見つめる。

 

「ああ……あいつ、戦う前から勝ちを確信してやがる。胸糞悪い空気だぜ」

 

アドウが不快そうに背もたれに寄りかかると、菜穂が不思議そうに首を傾げた。

 

「え、どういうことです? 新堂君が寝坊したとか、そういう可能性は……」

 

「それはないさ、菜穂。彼は試合を放棄するような男ではないということだ。彼とは二度公式戦で戦ったが、そのガンプラバトルにかける執念と誇りは本物だ。このような大舞台に遅れてくる理由など、外的な要因以外に考えられない」

 

ウィルフリッドの言葉に、シアも深く肯いた。

 

「それに、あの兵藤ってファイターの過去2試合の勝ち方、やっぱり統計的にもおかしいわ。一回戦の不戦勝に、二回戦の相手の異常な無抵抗。まるで、戦う前から結果が決まっていたみたい」

 

「ああ。新堂君の身に、何らかの組織的な妨害……悪質なトラブルが起こったと考えるのが妥当だろうな」

 

隆利が静かに拳を握りしめる。彼の瞳には、好敵手を心配する情熱と、この状況を作り出した何者かへの静かな怒りが宿っていた。

 

実況の張りのある声が、会場のスピーカーから鳴り響く。

 

『さあ、試合開始まであと1分! 未だに新堂選手は姿を現しません! 一体どうしたのでしょうか? このままカウントダウンが終了した場合、規定により棄権とみなされ、兵藤選手の不戦勝となってしまいます!』

 

ステージ上の兵藤は、ついに堪えきれないといった様子で肩を揺らし、下劣な笑みを漏らした。

 

「ふふふ……ははは! もう僕の勝ちは確定だ。わざわざ会場まで足を運んで損をしたよ。無駄な時間だったなぁ、新堂君?」

 

残り時間は30秒を切った。あのビルの地下で、手下たちに囲まれて結束バンドに縛られた人間が、このステージに辿り着けるわけがない。誰もが兵藤の不戦勝を確信し、会場に諦めの空気が漂い始めた、その瞬間だった。

 

バァァァァァン!!!

 

会場の重厚なエントランスドアが、凄まじい勢いで左右に跳ね上げられた。静まり返っていた会場に、激しい足音と荒い呼吸が響き渡る。

 

「な、何っ!? なんでお前がそこにいるんだ!?」

 

操縦ブースの兵藤が、信じられないものを見たかのように目を見開き、椅子から転げ落ちそうになりながら絶叫した。

 

そこに立っていたのは、肩を激しく上下させながらも、眼光を鋭く爛々と輝かせた新堂陽哉だった。そしてそのすぐ後ろには、不敵な笑みを浮かべたイノセ・ジュンヤが、陽哉の守護神のように堂々と腕を組んで付き従っている。

 

「はぁ、はぁ……っ。待たせたな、クソ野郎」

 

陽哉は額の汗を乱暴に拭い、ステージ上の兵藤を真っ直ぐに指差した。

ギリギリで間に合った。危ないところだったぜ。

おうおう、何でどうしてって顔をしてやがるな、この屑ファイターが。

 

陽哉の到着を確認した観客席からは、地鳴りのような大歓声が沸き起こった。千歌たちは座席から身を乗り出し、涙を流して名前を叫んでいる。そして、ファイター専用通路からは、果南と鞠莉に付き添われた梨子が、無事に観客席のAqoursの元へと駆け上がっていくのが見えた。

 

「梨子ちゃん!!」

 

千歌が狂ったように駆け寄り、梨子の身体を強く抱きしめる。

 

「千歌ちゃん! みんな……!」

 

「よかった、本当に無事で……! 一体どこに行ってたの、心配したんだから!」

 

曜が涙を拭いながら詰め寄る。その言葉を聞いた瞬間、梨子の表情からいつもの優しさが消え去り、ステージ上の兵藤へと極めて冷徹な、憎悪に満ちた視線が向けられた。

 

「……あの男よ。勝ちたいがために、陽君を拉致して監禁したの。私は、陽君が抵抗した時のための保険として、昨日の夜に内浦の浜辺から連れ去られたのよ」

 

「な……っ!? 何ですって!?」

 

あまりにも衝撃的な犯罪行為の暴露に、Aqoursのメンバー全員が息を呑んだ。その会話が耳に届いたのか、隣のブロックにいたウィルフリッドが鋭い動きで立ち上がり、通路を隔てて梨子たちに話しかけてきた。

 

「突然済まない。今の話、詳しく聞かせてもらえるだろうか」

 

「き、キジマ・ウィルフリッドさん!? しかも、ソレスタルスフィアの全員が……!」

 

ダイヤが驚愕に目を見開くが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。梨子は怒りで声を震わせながら、自分たちが体験した恐怖の全貌を語った。

 

「あの兵藤という男は、自分が全国大会に行くために、過去の対戦相手やその家族を拉致して脅迫していたんです。一回戦の相手も、二回戦の選手の妹さんも……。陽君は格闘技ができるからって、私まで人質に取られたんです。全部、あいつの仕業です!」

 

「……そういうことかよ。反吐が出るぜ」

 

普段は好戦的なアドウでさえ、その顔にドス黒い怒りをみなぎらせて拳を骨が鳴るほどに握りしめた。ガンプラバトルを愛する者として、これ以上の侮辱はなかった。

 

「でも、なんでそんな重大な犯罪が警察沙汰にならなかったの……?」

 

菜穂の至極真っ当な疑問に、隆利が腕を組んだまま、冷たい声で答える。

 

「奴の父親は現役の国会議員だ。その権力と県警への圧力を利用すれば、地方予選の揉み消しなど容易いのだろう。卑劣極まる男だ」

 

「そんな手がいつまでも通用すると思っているのかしら? まさか、そのまま全国大会まで不正で勝ち上がるつもり? あり得ないわ、そんなのガンダムに対する冒涜よ!」

 

善子がいつになく真剣な表情で、激しい怒りを露わにする。

 

「何にせよ、陽兄ちゃんは間に合ったずら。それに……見て、今の陽兄ちゃん……丸、あんなに怒っている陽兄ちゃんを初めて見たずら……」

 

花丸の言葉通り、ステージ中央のバトル席へ向かう陽哉の背中からは、遠目からでもはっきりと分かるほどの、凄まじい威圧感と怒気(オーラ)が立ち上っていた。その横にはジュンヤがぴたりと寄り添い、ファイター席のすぐ脇、セコンドの位置に陣取ってステージ全体を鋭い眼光で威嚇している。

 

「新堂選手、間に合って本当によかった! ご両親も後ろの席で心配されていますが……」

 

運営のスタッフが駆け寄ってくるが、陽哉はそれを手で制した。

 

「すいません、事情は後でいくらでも話します。両親にもそう伝えてください。それより――さっさと試合を始めましょう。時間が惜しい」

 

「わ、分かった……。両者、位置についてください!」

 

スタッフも、陽哉の尋常ではないブチ切れぶりに気圧され、慌てて後退した。

ステージを挟んで対峙した兵藤は、恐怖を隠しきれない様子で冷や汗を流しながらも、虚勢を張って声を張り上げた。

 

「に、逃げずによく来たな! 負け犬の分際で!」

 

「あぁ? よく吠えるな、屑が。お前が俺にしたこと、そして梨子を巻き込んだこと……この試合が終わったら、すべて公の場でぶちまけてやる。覚悟しておけよ」

 

「な、何のことか分からないな! 証拠もないくせにふざけた発言をするのは止めてもらおうか!」

 

「黙れ。てめえの汚い声を聞くだけで虫唾が走るんだよ。いいから、さっさとシステムを起動しろ。公開処刑の時間だ」

 

陽哉の底冷えするような声に、兵藤は完全に気圧されながらも、狂ったように手元を操作した。

 

「ふ、ふん! どうせ君のガンプラは傷だらけのはずだ! 僕のネロシナンジュで、跡形もなく粉砕してやるからな!」

 

陽哉は無言でバッグから、完璧にメンテナンスされたデスティニーガンダムシグムントとGPベースを取り出し、スロットへとセットした。

 

 

 

《GUNPLA BATTLE Combatmode startup. Mode damage level set to "B"》

 

《Please set your GP-Base》

 

《Please set your gunpla》

 

《Beginning [Plavsky Particle] dispersal. Field03, city》

 

 

プラフスキー粒子がフィールドを満たし、周囲の景色が近代的な高層ビルが立ち並ぶ都市ステージへと変貌していく。陽哉にとって、場所などどこでもよかった。ここから先はガンプラバトルではない。大切な者を傷つけようとした悪党への、絶対的な制裁だ。

 

「新堂陽哉、デスティニーガンダムシグムント――出る」

 

「兵藤玲音、ネロシナンジュ、出撃する!!」

 

2機のガンプラが仮想空間へと解き放たれる。

 

「ははは、死ね! 消え失せろ!」

 

兵藤が狂乱したようにビーム・ライフルを連射してくる。しかし、その射撃の軌道はあまりにも雑で、焦りに満ちていた。大した腕もないくせに、裏工作だけでここまで上がってきた男の限界だった。

 

「……この程度の腕で、よくも調子に乗れたもんだな」

 

シグムントは最小限の動きで光条をすべて回避すると、背面のウイングを展開。ヴォワチュール・ルミエールから放たれる光の翼をなびかせ、一瞬でネロシナンジュの眼前にまで肉薄した。

 

「なっ、速――」

 

「オラァッ!!」

 

回避も防御も許さず、シグムントの強烈なフロントキックがネロシナンジュの腹部に炸裂した。凄まじい衝撃波とともに、兵藤の機体は数棟のビルを突き破って、巨大な高層ビルの壁面へと深くめり込んだ。

 

「プリスティス!!」

 

間髪入れず、両腕のフラッシュエッジ3からビームブーメランを投擲。めり込んで動けないネロシナンジュの両肩、両膝の関節部を正確に切り裂き、完全にその場に縫い付けた。あえてコクピットハッチを外し、なぶり殺しにするための精密な一撃。

 

装甲がボロボロと剥がれ落ちる中、シグムントはゆっくりと着地し、ネロシナンジュの頭部を右手で掴んでビルから引きずり出した。

 

「こ、この化け物が! 離せ!」

 

兵藤が残された左腕で殴りかかってくるが、シグムントはそれを左手で容易く受け止め、そのまま握りつぶした。

 

「このまま、右腕も引きちぎってやる」

 

陽哉の冷徹な宣言通り、シグムントの強靭なマニピュレーターがネロシナンジュの右腕の付け根を掴み、力任せに引き抜いた。火花が散り、四肢を失った機体が無様に転がる。

 

「貴様ぁぁっ!!」

 

頭部バルカンで必死の抵抗を試みる兵藤だったが、シグムントの重装甲には傷一つつけられない。陽哉は構わず、ネロシナンジュの胴体を拳で何度も殴りつけた。操縦ブースを通じて、兵藤の身体に疑似的な衝撃が何度も突き刺さる。

 

「どうだ? 一方的に蹂躙される気分は。お前に汚い手で不戦敗にされたファイターの悔しさが、少しは分かったか? 4歳の幼い妹を人質に取られて、泣く泣く負けを受け入れたファイターの絶望が、てめえに理解できるか!? 最低のクソ野郎が!」

 

「か、勝てばいいのさ! バトルなんて結果がすべてだ! それに僕にはパパの力がある! どんな罪だって揉み消せるんだ!」

 

「まだそんな寝言を言ってるのか。そんな腕で、全国大会を勝ち抜けると思ってんのか?」

 

「思ってるさ! まだプランはあるんだ! 僕にはお抱えの優秀なハッカーがいる! そいつに今、運営の自動操縦モードをハッキングして利用できる不正プログラムを作らせているんだ! それを使えば、ヤジマ商事にバレることなく、過去の世界大会の優秀なパイロットAIのモーションを同期して勝ち進むことができるんだよ!!」

 

恐怖と興奮のあまり、兵藤は自ら次の不正プランの全貌を、会場の全スピーカーを通じて叫んでしまった。観客席、そして運営席に激震が走る。

 

「……そういうプランか。どこまでも腐ってやがるな、てめえは。大した技術もないくせに、ガンプラバトルを……いや、ガンダムを愚弄しやがって」

 

「う、うるさぁい! 負け犬の分際で偉そうに説教するな!」

 

「うるさいのはてめえの断末魔だ。その不正プログラムとやらも、使う機会は二度と訪れない。お前はここで終わりだ。俺の大切なものに、手を出した代償をきっちり払ってもらう」

 

シグムントはネロシナンジュを虚空へと力強く蹴り上げた。

もう終わりだ。

背面の対艦刀「レーヴァテイン」を引き抜き、大型のビーム刃を展開する。空中へと打ち上げられ、四肢を失ってただ浮かぶだけのネロシナンジュを目がけ、シグムントが神速の演武を繰り出した。

 

一閃、二閃、三閃――。

残像を残すほどの超高速の剣撃が、ネロシナンジュの残された装甲を瞬時に切り刻んでいく。そして、地上に落下する直前、シグムントはレーヴァテインの先端でネロシナンジュのコクピットの「すぐ横」を正確に串刺しにし、そのまま近くの瓦礫へと乱暴に投げ捨てた。

 

直後、ネロシナンジュは凄まじい爆発を起こし、光の粒子となって霧散した。

 

《BATTLE ENDED》

 

会場に、静寂が訪れる。あまりにも圧倒的で、あまりにも容赦のない、怒りの処刑劇だった。

 

『し、試合終了……! 勝者、新堂陽哉!!』

 

実況の声が響くのと同時に、操縦ブースから飛び出してきた兵藤が、脱兎のごとく会場の出口へと走り出した。自分の不正がすべて露呈し、もはや破滅しかないことを悟ったのだ。

 

「逃がすかよ、クソ野郎が」

 

陽哉はインタビューに駆け寄ろうとしたアナウンサーを完全に無視し、ステージから飛び降りて兵藤の後を追った。

 

「陽哉、逃がすな! 悪党の逃げ道を塞ぐぞ!」

 

「おう!!」

 

セコンド席にいたジュンヤも即座に反応し、陽哉と並走して会場の裏通路へと突入した。会場の構造を完全に把握している陽哉の先導により、2人は一般の観客が入れないバックステージの出口へと先回りすることに成功した。

 

「おいおい、どこへ行くんだ? 兵藤玲音」

 

出口の扉を開けようとした兵藤の前に、陽哉とジュンヤが立ちはだかる。

 

「ひ、ひぃぃぃぃっ! くるな、来るなァ!」

 

腰が抜けた兵藤は、その場に無様にへたり込み、涙と鼻水で顔を汚しながら後退りした。陽哉は容赦なく近づき、その胸ぐらを掴み上げて強引に立たせた。怒りで拳が激しく震える。

 

「覚悟はできてるんだろうな? 生身でも、きっちりそのツラを殴り飛ばしてやる」

 

「陽哉、待て! 手を汚すな!」

 

背後から追いかけてきた父ちゃん――信哉の声が響いた。しかし、今の陽哉にそれを聞き入れる余裕はなかった。

 

「止めないでくれ、父ちゃん! こいつは……こいつは梨子を拉致して、怖い思いをさせたんだぞ! 許せるわけがないだろう!」

 

「へ、へへ……殴ってみろよ! 暴行罪でお前の人生を終わらせてやる! 僕には国会議員のパパがついているんだ! パパが助けてくれるんだよ!」

 

胸ぐらを掴まれながらも、兵藤は狂ったように笑った。

 

「それがどうした!!」

 

陽哉が信哉の手を振り払い、その顔面に拳を叩き込もうとした、その瞬間――。

 

「陽君、ダメぇぇっ!!」

 

梨子の必死の叫び声が通路に響き渡り、俺の拳が空中でピタリと止まった。

振り返ると、梨子を先頭にAqoursのメンバー全員が息を切らせてこちらへ走ってくる。その横では、ジュンヤが鋭い視線を兵藤へと注いだまま、いつでも動けるように身構えていた。

 

「陽君、こんな奴を殴っちゃダメ! 陽君の手は、こんな最低な人を殴るためにあるんじゃないわ!」

 

梨子の涙ながらの制止に、俺の身体から急激に力が抜けていく。その一瞬の隙を突いて、胸ぐらへの掴みが緩んだ。

 

「へへ、今のうちだ!」

 

不意に手をすり抜けた兵藤が、転がるようにしてバックステージの通用口へと逃げ出した。

 

「あ、しまった!」

 

「追うぞ、陽哉」

 

ジュンヤの短い合図とともに、俺たちは扉を蹴破って外のロータリーへと飛び出した。

逃げ出した兵藤の目の前に、一台の高級な黒塗りのセダンが激しいブレーキ音を立てて停車する。

 

「パ、パパ!」

 

車から降りてきた男を見て、兵藤が救いを求めるように縋り付いた。

 

「パパ、聞いてよ! あいつらが身に覚えのないことで僕を嵌めて、ボコボコにしようとしたんだ! 国会議員の力で何とかしてよ!」

 

どこまで腐った性根をしているのか。自分の罪を棚に上げて、なおも父親の権力にしがみつこうとする姿に、俺は再び拳を握りしめた。

しかし、次の瞬間、誰もが予想していなかった光景が広がった。

 

バチィィィン!!

 

鈍い衝撃音とともに、兵藤の父親は自分の息子の顔面を容赦なく張り倒したのだ。

 

「ぱ、パパ……!?」

 

地面に這いつくばった兵藤だけでなく、俺や後ろから追いついてきた千歌たち、臨戦態勢だったジュンヤさえもがその唐突な展開に目を見開いた。

 

「貴様はもう黙っていろ。私が何も知らないとでも思っていたのか? 貴様が裏で働いていた悪事の数々、すべて把握している。私の目の届かない場所で、よくも好き勝手にやってくれたな。貴様は後ほど警察に連れて行く。法の裁きをきっちりと受けるがいい」

 

父親の口から告げられた冷徹な現実。警察へ連行されるという事実に、兵藤はショックのあまり呆然と自失し、父親が連れてきた黒服の男たちによって無様に車の後部座席へと押し込まれていった。

息子の身柄が確保されたのを確認すると、兵藤の父親はゆっくりと俺の方を向き、その場でいきなり地面に両膝をついて土下座を敢行した。

 

「新堂君、だね。この度は、私のバカ息子が君たちに大変な恐怖と迷惑をかけてしまった。本当に申し訳ない。私のこの土下座だけで許されるとは思っていないが、この度のお詫びと賠償は必ず誠心誠意行わせてもらう」

 

ちょ……待ってくれ。現役の国会議員がいきなり目の前で土下座をするという異常事態に、俺の脳内は大混乱に陥った。怒りのボルテージが一気に急降下していくのが分かる。

 

「ま、待ってください。俺としては、息子さんが犯した罪に見合う法の裁きを受ければそれで構いません。だけど、巻き込まれた他の対戦相手や、梨子への誠実な対応だけはきっちりとお願いします」

 

「それは必ず。しかし、君は……」

 

「公衆の面前で、ガンプラバトルとはいえ息子さんを徹底的に叩きのめしました。それで十分です。……ただ、一つだけ聞かせてください。息子さんの悪事を、一体いつ知ったんですか?」

 

もし早い段階から知っていて放置していたのなら、この父親の態度もただのパフォーマンスだ。最低の親父として軽蔑しなければならない。

 

「息子が妙な動きをしていると知ったのは先週のことだった。だが、トカゲの尻尾切りのように証拠が掴めず、すべてを完全に把握したのはついさっきなのだ。息子の暴挙を止めるべく大急ぎでこちらへ向かった。それに、小原さんからも直接連絡を受けていたのでね」

 

小原さん、というのは――。

 

「イェース。会場までの移動中に、マリーがパパにすべてを話して根回しをしておいたのデース」

 

後ろから歩み出てきた鞠莉が、不敵なウィンクをしてみせた。屑野郎への怒りで周りの状況が全く見えていなかったが、車中でのあの電話は兵藤パパへの直接のパイプを繋ぐためのものだったのだ。

 

「私も会場への移動中に小原さんから連絡を受け、息子が君たちに仕掛けた拉致の全貌を知ったのだ。本当に、親として合わせる顔がない……」

 

兵藤の父親の話を聞く限り、彼は至極まともな倫理観を持った人物のようだった。

 

「言っちゃ悪いですけど……なんであなたのようなまともな人から、あんな屑が生まれてしまったんですか?」

 

「おい、陽! す、すみません、うちの息子が失礼なことを!」

 

父ちゃんが慌てて俺の頭を下げさせようとしたが、兵藤の父親は静かに首を横に振った。

 

「いや、いいんだ。あの子は不妊治療の末にようやく授かった双子でね……。兄の方が非常に優秀で、周囲から常に比べられるうちに、あの子は卑屈な歪みを持ってしまったようだ。私もそのことで彼を追い詰めすぎてしまったのかもしれない。だが、だからといって犯罪行為に手を染めていい理由には決してならない」

 

優秀な双子の兄との比較、そして劣等感の暴走。だからといって他人の人生を壊していいわけがない。父親の言葉には重い後悔が滲んでいた。

 

「とにかく、後始末はきっちりと私の手でさせていただく。息子やその協力者が二度と君たちに逆恨みをして近づけないよう、万全の手配を尽くすことを約束しよう」

 

「……分かりました。それと、あなたの進退はどうなるんですか?」

 

「すべてを公にするつもりだ。隠蔽したところで何一つメリットはない。むしろ暴かれた時のデメリットの方が大きいからね。ここで私の社会的地位を含め、すべてを白日の下に晒して議員を辞職させてもらう。後始末や被害者への賠償に関しては、小原家を保証人として必ずやり遂げる。心配しないでくれ」

 

息子が逮捕されれば、当然議員としての政治生命は終わりだ。潔く辞職を選び、賠償の責任を全うしようとする姿勢に、俺はこれ以上言葉を重ねるのをやめた。

 

その後、俺は両親に、梨子と一緒に監禁されていた部屋での出来事をすべて打ち明けた。

両親は俺がそれで納得しているならと、これ以上の個人的な賠償を求めないことに同意してくれた。後日、梨子の実家である桜内家にも、兵藤の父親が代理人と共に正式な謝罪と賠償に訪れることになり、一連の拉致監禁事件はようやくの解決を見た。

俺たちは息を吐き出し、内浦へ戻る前に、まずは大会会場の控室へと引き上げることにした。もちろん、ジュンヤも最後まで俺たちの隣に付き従ってくれている。

 

第二試合が終了した後、俺たちは志木城さんやソレスタルスフィアの面々と再び顔を合わせた。ちなみに、試合は圧倒的な実力で志木城さんが勝利を収めていた。

 

「ウィルさん、わざわざ来てくれてたんすね」

 

同じガンプラ学園の仲間として、志木城さんの応援に来るのは当然だと思っていたが、ウィルフリッドは静かに首を横に振った。

 

「ああ。隆利の応援だけでなく、君の試合を観戦するためにな。だが……想像以上に大変な事態に巻き込まれていたようだな」

 

「あれ、なんで真相を知ってるんですか?」

 

俺が不思議そうに尋ねると、菜穂が苦笑しながら答えてくれた。

 

「私たちの近くにAqoursのみんなが座っていたから。梨子ちゃんが合流したときに、あの兵藤ってファイターがやったこと、全部聞こえてきちゃったのよ」

 

「そういうことっすか……お恥ずかしいところを見せました」

 

苦笑いする俺の前に、アドウ・サガが獰猛な笑みを浮かべながら一歩踏み出してきた。

 

「だけどよぉ……てめえらしくねえ、随分と荒っぽい戦い方だったじゃねえか。怒りに身を任せて戦うってのも悪くねえ。そういう状態のてめえとも一度やり合ってみてえもんだな、なぁ? キジマに二回も勝ったんだろ? 次は俺を骨の髄まで楽しませろよ!」

 

凄まじいプレッシャーを放ちながら挑発してくるアドウ。あー、めんどくさい戦闘狂に絡まれてしまった。ちなみにあの2試合は本当にギリギリの勝利で、どちらが勝ってもおかしくなかったんだからな!

 

「陽哉に突っかかるのはそこまでにしてもらおうか。」

 

すかさず、俺の斜め後ろからジュンヤがアドウの前に立ち塞がった。鋭い眼光をぶつけ合い、一触即発の空気が流れる。

 

「あぁ? 誰かと思ったらイノセ・ジュンヤじゃねぇか。どうしてここにいるか知らねぇが、すっこんでろよ」

 

「はっ、俺がお前の相手をしてもいいんたぜ。」

 

ジュンヤの闘気に、アドウの笑みがさらに深まる。生身での一戦が始まりそうな気配を察し、ウィルフリッドが慌ててアドウの肩を掴んで引き戻した。

 

「やめておけ、アドウ。今は個人戦とチーム戦の全国大会を控えている身だ。私たちが戦うべき舞台はここではない」

 

「チッ……分かってるよ。おい、新堂、お前もイノセも、いつか全国の舞台でまとめて相手してやるからな!」

 

「兄さんもアドウさんも落ち着きがないわ。全国大会が終われば、いくらでも時間は作れるでしょう?」

 

シアが呆れたようにため息をつく。さすがキジマの妹だ、よく分かっている。

張り詰めた空気が和らぐ中、志木城さんが俺の顔をじっと見つめ、静かに問いかけてきた。

 

「どうした、新堂君。事件が解決したというのに、あまり元気がないようだが」

 

「いや、それはしょうがないでしょ、隆利。あんなに怖い目に遭った直後なんだから、気が滅入るのも当然よ」

 

菜穂がフォローしてくれるが、俺の胸中にあるのは別の重い泥のような感情だった。

 

今回の事件で、梨子を危険な目に遭わせてしまった。俺がガンプラバトルの大会に出場していなければ、あるいはAqoursのマネージャーなんて目立つ真似をしていなければ、彼女があんな恐怖を味わうことはなかったはずだ。兵藤が俺と梨子の関係を調べ上げたのも、俺がマネージャーとして彼女たちをサポートしていることが公になっていたからに違いない。俺が彼女たちの前から消えれば――。

 

「……もしかして、彼女があんな目に遭ってしまったのは自分が大会に出たから、あるいはAqoursのマネージャーをやっているからだと、自分を責めているのではないか?」

 

「え……。なんで、それが分かったんですか?」

 

俺が驚いて顔を上げると、菜穂がくすくすと笑った。

 

「隆利はねぇ、妙に勘が良いからね。そういう自己犠牲的な悩みはすぐに見抜いちゃうのよ。まるでニュータイプみたいにね」

 

「それは違う。君のせいでは決してない。悪いのはすべて卑劣な手段を選んだ兵藤だ。君が思い悩む必要などどこにもない」

 

志木城さんの真っ直ぐな言葉に続き、ウィルフリッドも静かに肯いた。

 

「その通りだ。あのような下劣な男のために、君という優れたファイターが才能を曇らせ、思い悩むことなどガンプラ界の損失だ」

 

「いや、でも、俺が身を引けば、悪意を持った奴らからAqoursを守れるんじゃないかって……」

 

本音を漏らす俺に、菜穂が真剣な表情で首を横に振った。

 

「もし本当に君が学校からいなくなったら、一番悲しむのは誰か分かるかな? Aqoursのみんなはきっと、自分たちのせいで君をマネージャーにして追い詰めちゃったんだって、自分を責めるよ。みんなの性格を、君が一番よく知っているはずでしょう?」

 

菜穂の言葉が、冷水を浴びせられたように俺の脳裏に響いた。

確かにその通りだ。千歌たちなら絶対に「自分たちのせいで、はー君が……」と泣いて後悔する。俺がいなくなっても、9人揃ったAqoursなら何とかなるだろうと、自分の都合の良いように甘く考えていただけだったのだ。みんなの優しさに甘え、独りよがりな決断を下そうとしていた自分を猛烈に恥じた。

何より、隣でずっと俺の手を握り、最後まで一緒にいてくれたジュンヤが、俺の肩を強く叩いた。

 

「お前らしくない弱音だな、陽哉。お前がその程度の男なら、俺はわざわざここまで激励に来てなどいない。前を向け。お前には、戦わねばならない理由があるはずだ」

 

親友の熱い言葉に、俺の胸の奥で燻っていた炎が再びパチパチと音を立てて燃え上がり始めた。

 

「……そうだな。みんな、ありがとう。目が覚めたよ。俺は絶対に逃げない。志木城さん、あんたにきっちり勝って、俺は全国に行く」

 

「ならば、私はそれを全力で阻止するまでだ。君の全力を決勝で受け止めよう」

 

俺と志木城さんは、互いのファイターとしての誇りを込めて、固い握手を交わした。

 

「決勝で戦おう」

 

「ああ、決勝の舞台で待っている」

 

その後、我慢できなくなったアドウさんに「今すぐ生身で拳を交えろ!」とガンプラ学園の敷地へ拉致されそうになったが、ウィルさんとジュンヤが左右から睨みを利かせて止めてくれたため、事なきを得た。まあ、ガンダムジエンドの実力には興味があったが、それは全国の舞台まで取っておくことにしよう。

大会会場を後にし、俺たちは千歌たちAqours、 影のように付き添ってくれたジュンヤと共に内浦への帰途についた。

 

内浦の桜内家に到着すると、梨子のパパとママが心配そうな表情で出迎えてくれた。梨子だけでなく、俺の身体の心配まで深くしてくれて、本当に頭が下がる。

 

「俺が梨子をこんな危険な事件に巻き込んでしまって、本当に申し訳ありませんでした……」

 

俺が深く頭を下げると、梨子のパパは優しく俺の肩を叩いて、穏やかな笑顔を見せた。

 

「気にするな、君は何も悪くない。すべてはあの卑劣な犯人が悪いんだ。それに、娘を無さに連れ戻してくれたんだろう? これからも、どうか娘のことをよろしく頼むよ」

 

その言葉に、俺は胸が熱くなるのを感じながら、深く頷いた。

 

 

 

桜内家での挨拶を終え、玄関先まで梨子が見送りに来てくれた。

 

夕暮れ時の内浦の風が、静かに二人の髪を揺らし、潮の香りを運んでくる。最悪の拉致事件が解決し、張り詰めていた緊張が完全に解けたことで、俺は小さく安堵の息を吐いた。

 

数歩後ろでは、ジュンヤが「……少し離れて待っている」とだけ言い残し、気を利かせてエントランスの階段の下で腕を組み、背を向けて佇んでくれている。

 

静寂が包む中、梨子がそっと俺の隣に並び、自身の胸元をぎゅっと握りしめた。その白い指先は、まだかすかに震えているようだった。

 

「陽君、本当に……本当にありがとう。陽君が助けに来てくれなかったら、私、どうなっていたか……」

 

「気にするなって。梨子が拉致されたのは、元はと言えば俺のせいなんだから。……いや、違うな。さっき菜穂さんたちに怒られたばかりだったな。俺のせいじゃない。悪いのは全部あいつだ」

 

俺が無理に笑おうとすると、梨子は首を横に振り、真っ直ぐに俺の目を見つめてきた。その瞳には、夕日の光と、それ以上に強い決意の光が宿っていた。

 

「ううん、違うの。私が伝えたかったのは、お礼だけじゃなくて……。あの暗い部屋に閉じ込められて、一人でずっと怖くて震えていた時、私、ずっと陽君のことばかり考えていたの」

 

「え……?」

 

「もし、このまま陽君に会えなくなっちゃったらどうしようって。もし、私の本当の気持ちを陽君に伝えないまま終わっちゃったら、私、絶対に一生後悔するって……。そう思ったら、涙が止まらなくなって……」

 

梨子の声が次第に震えを帯び、その大きな瞳から一粒の涙が頬を伝って流れ落ちた。俺の胸が、ドクンと大きく鳴る。

 

「陽君が扉を壊して助けに来てくれた時、本当にヒーローみたいだと思った。ガンプラバトルで、私のためにあんなに激しく怒って、戦ってくれたのを見た時、胸が苦しくなるくらい嬉しかったの……。だから、もう自分に嘘はつきたくないの。聞いて、陽君」

 

梨子は一歩、俺との距離を詰めた。夕暮れの光に照らされた彼女の顔は、林檎のように真っ赤に染まっている。

 

「私、陽君のことが……大好きなの。幼馴染としてじゃなくて、一人の男の子として、陽君のことが心から愛おしいの。これからもずっと、陽君のマネージャーとしてだけじゃなくて、一番近くで、隣で陽君を支えさせてほしいの……っ!」

 

内浦の波の音さえ消え去ったかのような錯覚を覚えるほど、梨子の告白は俺の魂に真っ直ぐに突き刺さった。

 

ただの幼馴染。Aqoursのメンバーとマネージャー。そんな境界線をすべて飛び越えて、彼女は命がけの事件を経て、俺への純粋な恋心をぶつけてくれたのだ。

 

俺の顔も、爆発しそうなほど熱くなる。不器用な俺に、これほど真っ直ぐな想いを返してくれる女の子が、他にいるだろうか。

 

「梨子……。俺、お前を危険な目に遭わせて、本当に情けないって思ってた。だけど、お前にそう言ってもらえるなら……俺、もっと強くなる。ガンプラバトルでも、現実でも、お前を二度と怖がらせないくらい、絶対に守り抜ける男になる。……俺も、梨子のことが好きだ。お前のその気持ちに、一生かけて応えるから」

 

俺が不器用ながらも真剣に想いを返すと、梨子は耐えきれないといった風に、ぽろぽろと嬉し涙を流しながら、俺の胸へと飛び込んできた。

 

「うん……っ! ありがとう、陽君……!」

 

細い両腕が俺の背中に回され、心地よい温もりと梨子の香りが全身を包み込む。俺もその背中を、壊れ物を扱うように優しく、だけどしっかりと抱きしめ返した。

 

そんな二人の極上の雰囲気を破るように、階段の下から、ふんと鼻を鳴らす音が聞こえてきた。

 

「おい陽哉、いつまで惚気(のろけ)ている。お前の親父さんたちがたちが家で待っているぞ。それと……桜内、陽哉をそこまで赤面させるとは、お前もなかなかの腕前だな」

 

ジュンヤがいつの間にか振り返り、ニヤニヤとした意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見上げていた。

 

「じゅ、ジュンヤ! お前、見てたのかよ!?」

 

「の、惚気てなんかねえよ! ジュンヤ、お前なぁ……!」

 

俺と梨子は慌てて体を離し、お互いに顔を真っ赤にして大慌てで取り繕った。

 

「ふふっ、本当にジュンヤさんには感謝しきれないわ。陽君を支えて、最後まで一緒にいてくれて。本当にありがとうございました」

 

梨子が涙を拭い、赤くなった顔のまま丁寧に頭を下げると、ジュンヤは少し照れくさそうに視線を逸らし、無骨に頭を掻いた。

 

「フン、俺は陽哉が腑抜けた戦いをしていないか見に来ただけだ。結果として、悪党の面面を拝むことになり、挙句にこのような痴話喧嘩を見せられる羽目になったがな。……桜内と言ったか。陽哉は不器用で、ガンプラのことになると周りが見えなくなる馬鹿だが、芯は強い。これからもこいつの隣にいてやってくれ」

 

「はい! もちろんです!」

 

梨子が嬉しそうに元気よく返事をするのを聞いて、俺の顔はさらに沸騰した。これ以上ここにいると、ジュンヤに何を言われるか分かったもんじゃない。

 

「じゃ、じゃあな、梨子! また明日、会場で!」

 

「うん、また明日ね、陽君! ジュンヤさんも、お気をつけて!」

 

大きく手を振る梨子に見送られながら、俺とジュンヤは、車で待っていた親父とオフクロと共に新堂の家へと向かった。

 

「さあさあ、ジュンヤ君! 遠慮しないでたくさん食べてね!」

 

新堂家の食卓には、オフクロが腕によりをかけて作った大皿料理がこれでもかと並んでいた。事件が無事に解決したお祝いと、俺の窮地を救ってくれたジュンヤへの感謝を込めた特大の夕食だ。

 

「では、遠慮なくいただきます」

 

ジュンヤの食いっぷりは、まさに圧巻の一言だった。次元覇王流の厳しい修行で鍛え上げられた肉体を維持するためか、大盛りの白米が面白いように消えていく。唐揚げやハンバーグが次々とジュンヤの胃袋に収かっていく様子を見て、オフクロは「まぁまぁ、気持ちいい食べっぷりね!」と大喜びでさらに白米をお代わりしている。

 

「いやあ、ジュンヤ君。本当に息子を助けてくれてありがとう。あいつが一人で暴走して、取り返しのつかないことになるんじゃないかと肝を冷やしたよ」

 

親父がビールを片手に、しみじみとジュンヤに頭を下げた。

 

「いえ。俺はただ、陽哉が己の誇りを汚すような真似を止めに来たまでです。あいつの拳は、悪党を殴るためのものではなく、好敵手と高め合うためのもの。生身で手を汚させなかったのは、あいつのファイターとしての未来を守るためでもあります」

 

ジュンヤの言葉には、確固たる信念が宿っていた。親父もその言葉に深く感銘を受けたようで、「いい友人がいて、陽哉は幸せ者だな」と何度も頷いていた。

 

夕食が終わり、お風呂を済ませた後、俺とジュンヤは俺の部屋で夜風に当たっていた。

窓の外からは、静かな内浦の波の音が聞こえてくる。

 

「なぁ、ジュンヤ。お前、明日どうするんだ? 東京に戻るのか?」

 

俺が尋ねると、ジュンヤは窓辺に寄りかかったまま、鋭い視線を俺に向けた。

 

「戻るわけがないだろう。お前の決勝戦は明日だぞ」

 

「え? でも、お前の用事はもう済んだだろ?」

 

「馬鹿者が。俺は最後まで出る。お前が拉致監禁の痛手から完全に立ち直り、あの志木城という男とどのような決戦を繰り広げるのか、この両眼で最後まで見届ける義務がある。それに、あのガンプラ学園の男……アドウ・サガだったか。あいつもお前の試合を見ると言っていた。ならば、俺がセコンドとしてお前の背中を守るのが筋だろう」

 

ジュンヤの熱い言葉が、俺の胸に深く突き刺さる。こいつは本当に、どこまでも義理堅く、そして熱い男だ。梨子とのことも含め、こいつには一生頭が上がらないかもしれない。

 

「……ありがとな、ジュンヤ。お前が後ろにいてくれるなら、百人力だ」

 

「フン、当然だ。おい、デスティニーを見せろ。明日のために、最終調整を手伝ってやる。次元覇王流の極意、ガンプラのモーションにも応用できる部分があるはずだ」

 

「おう、頼むぜ!」

 

俺たちは夜が更けるまで、デスティニーガンダムシグムントの関節駆動の調整や、モーションデータのチェックを繰り返し行った。

ジュンヤの的確な武術的アドバイス――重心の移動、踏み込みの角度、拳を突き出す際のプラフスキー粒子の流れの制御――それらを取り入れることにより、シグムントの格闘動作はさらに洗練され、無駄のない一撃必殺の型へと進化を遂げていく。

 

「これでよし……。これなら、志木城さんのゼルクガンダムとも互角以上に渡り合える」

 

「フン、上出来だ。これでお前が負けたら、俺が代わりにあのガンプラ学園の奴らを叩きのめしてやるからな。……それと、桜内を泣かせるような真似をしたら、その時は俺が直接お前を殴り飛ばす」

 

「分かってるよ。絶対に負けないし、梨子のことも泣かせやしないさ」

 

俺たちは顔を見合わせてニヤリと笑い、明日の決戦に向けて泥のように眠りについた。

 

翌朝、内浦の青空は抜けるように澄み渡っていた。

朝食を済ませ、決戦の準備を整えた俺とジュンヤが玄関に立つと、親父とオフクロが真剣な表情で見送ってくれた。

 

「陽哉、昨日の今日で大変だろうが……お前のガンプラバトルを、全力で楽しんでこい」

 

「うん、行ってくるよ、父ちゃん」

 

「ジュンヤ君も、今日も息子をお願いね。帰ってきたら、また美味しいものたくさん作るから!」

 

「はは、楽しみにしています、叔母上」

 

ジュンヤが不敵に笑い、俺たちは新堂の家を出発した。

 

会場へと向かう道中、俺のスマートフォンが激しく震えた。画面を見ると、千歌からのメッセージだ。

 

『はー君! 私たち、もう会場の前に着いてるよ! 梨子ちゃんも一緒! みんなで最高の応援席を確保したから、安心して暴れてきてね!』

 

添付された写真には、メガホンを持った千歌を筆頭に、気合い十分なAqoursの9人の笑顔、そしてその中心で、昨日よりも一層柔らかく、だけど強い眼差しで俺を応援してくれている梨子の姿が写っていた。

 

「……みんな、待っててくれよ」

 

スマートフォンの画面を消し、ポケットにしまい込む。俺の胸の中には、昨日までの泥のような迷いは一切なかった。あるのは、支えてくれた仲間たち、そして想いを伝えてくれた梨子への感謝と、最強のライバルと戦えることへの純粋な高揚感だけだ。

 

やがて、遠くに地区予選の決勝会場である巨大なドームが見えてきた。

そのエントランスの前には、すでに多くの観客や、俺たちの到着を待っているであろう仲間たちの姿が小さく見え始めている。

 

「さあ、着いたぞ、陽哉。ここから先は、お前の戦いだ」

 

入場ゲートの手前で、ジュンヤが立ち止まり、俺の肩を強く叩いた。

 

「ああ。行こうぜ、ジュンヤ。俺たちの底力、見せてやろう」

 

俺とジュンヤは力強く頷き合い、光が差し込む会場の入り口へと向かって、堂々と歩みを進めた――。

 

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