01 ある日、放課後、赤坂さん
輪廻転生とかいう言葉がある。
死んだらあの世に行って、生まれ変わってこの世に帰ってくるとかいうあれだ。
実際自分としては生まれ変わって日本以外に生まれたらどうしようかなーとか、人間以外になりたくないなーとか、そんな事を考えるものだけれども、とにかく長生きすれば無縁のことだと気付いてからは考えないことにした。
さらに言うならば今を生きる自分には過去の記憶は無いし、本当にあるのか疑わしいものだ。
だけれど悲しいかな、今まで語った言葉は全て過去形になってしまったのである。
はたしてここがあの世なのか、この世なのかは判断のしようがないけれど、自分としては生まれ変わりと言うものは実在すると断言しよう。
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スーッと息を吸い込む。
教室はまだ騒めきの中、けれども二人の間には緊迫した空気が漂っていた。
片方は勝利を確信した自信満々といった笑み、片方は敗北を悟っているのか険しい表情を浮かべていた。
「覚悟は、出来てる?」
「当たり前だ……今更引き下がる訳にはッ!」
「――じゃあ、行くよ」
「さあ来い!」
「「せーのっ!」」
そんな掛け声と同時に二枚の紙が机の上に並べられる。68、82。14点差の敗北であった。
「はい、ボクの勝ちー!」
「自信あったんだけどなー……」
「60点台で自信あるとか大した度胸だね」
「四捨五入したら70点だしセーフだよ」
「えぇ……ま、とりあえずボクの勝ちだから100円プリーズ?」
舌打ちしながら財布を漁る。
いまなお授業中の教室は、世界史の中間テストの返却もあって落ち着きを取り戻せていない。その合間を活かしての賭け事だった。正直勝てる自信はあんまりなかったけれど、提案されたからにはノリである。
「次は英語の返却だけどそっちも賭ける?」
「いやこっちが英語を大の苦手なの知ってるでしょうに、逆にそっちは得意科目だし、流石にそんな勝負に乗るはずがないでしょ」
「何点ぐらいの予想?」
「……50点ぐらいかな」
「じゃあ、45と見たよ」
そう言いながらカラカラと笑うのは
「そろそろ静かにしろー」
「じゃ、また後で」
世界史の教師がやる気なさそうに手を叩いて注意を促して、口にチャックをする仕草と戯けて見せながら、彼女も自分の机へと戻っていった。
何度見ても可愛い、クラスの中でもかなり人気のある彼女。1つため息をついて自分も席に着く。
教師はクラスをぐるりと見渡し、クラス中に伝わるぐらいの声で平均点は68点だと知らせた。
瞬間、何かゾッとする寒気を感じてペンが手からこぼれた。カツンと落下する音を耳聡く聞き付けて、教師がこちらを振り向くのを愛想笑いでうまく誤魔化して。
教師が何か探るように見えるのは、多分自分の猜疑心のせいだろう。結局はすぐにテストの解答率が低かったところの解説を再開して、一人危ない危ないと深く息を吐いた。
こんな感じを度々感じるようになったのは、新しいクラスになってからのこと。誰かに見られてるのかと周りを窺ってるのに、いつまで経ってもその出所が分からない。
その気配について考えていると、テストの回答を黒板へと書き殴るカツカツという音が響き始めた。
思考を止めてボールペンのキャップを外せば、きゅぽっと景気のいい音が響く。さて、自分はちゃんと全問正解出来るだろうか?
次々と赤い線を走らせていく、埋められていくのは空白の部分。黒板を見てないと言うのに手の動きは止まることはなく、それは自分の自信のうらづけだ。全部修正を終えて黒板の回答と見比べていくも、案の定間違いは無い。
ちゃんとやっていれば100点満点だ。だと言うのに平均点ぴったりを取れたこと以上の喜びになることは決してない。
それがズルだと思っているから、だから絶対に認めたく無いのだ。100点を取ることは当たり前だ、その知識が完全に頭に入っているから。ただそれは自分が努力したものでは無いという一点だけが許せない。
前世の記憶を完全に引き継いでいるという、とんでもないイカサマ。
ただし――その記憶は男のものである。
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物心ついた頃には既に記憶があった。
とある男子高校生の記憶、同じ日本に住み、違う街で普通に生きて、ある日死んだ彼の記憶。
でもそれに気づいても混乱することはなかった。何故かそれが自分が経験したものだという確信があった。
精神とは経験により育まれていくものである。そして記憶という経験の塊があった以上、それに沿うのは至極当然のことだった。
子供が自分のことを初めから女の子だと認識してるわけじゃなく、色々な経験を踏まえて初めて認識する。
だが自分は男だという認識を既に確立してしまっていた。
途中までこの記憶を封印することができたのなら、自分もちゃんと女の子らしくなれたのだろうけれど、もうそれは既に叶わないことだ。
自分は女の子だと思おうとしても、記憶がそれを拒絶する。
今の身体は女の子なのだから、それでいいじゃないかと思おうとも、もともと培ってきた価値観がそれを否定して、どうしても男を恋愛対象として見ることができない。
でもそれを表だっていうこともできず、子供の頃は自分はなるべく無口で大人しい女の子として振舞ってきた、女の子らしい有り方を必死に学んできた。
話したらボロが出る、ならば子供のうちはなるべく喋らなければいい。
男を恋愛対象として見ることが出来なくても、別にいい。別に女の子らしく恋をしたいわけじゃなくて、異物として認識さえされなければいい。
そうやって、今まで生きてきた。
前世においての心残りは彼女が出来なかったこと、今のところそれが果たせる気配はない。
好きな人は確かにいる、けれども問題は相手から見れば自分は同性であるということ。
受け入れてくれるという確信もなく、そんな確信もなく動けるほど度胸もなかった。
さてそんな悪い事ばかりを並べてみたが、男子高校生の記憶があるというのはかなりのアドバンテージである。
都合周りと比べて18年分人生を多く積み上げているわけだ、
前の人生では勉強に死に物狂いで打ち込んでいた、そうすることでいい大学に入れれば、彼女が出来ると思い込んでいた。
今となって冷静になればこんな言葉を送るだろう、だから彼女が出来なかったんだよ、と。
さてそんなメリットを初めて活かそうと思ったのは中学校に上がってからの事。
ほんの好奇心だった、小学校と違い順位が出されることもあって、一発はじめのテストでぶちかましてみようというお遊び。
でも酷く、つまらなかった。
RPGとは過程を楽しむものである。努力して、苦労しつつ、成長していくのを楽しむものだ。
勉強も似たようなものだ。その過程をすっ飛ばして結果だけ受け取ったって、つまらないのは当然だった。
周りからすごいすごいと褒められても、ただ虚しさだけが残っていた。
自分なら出来て当然なのだから。その時初めて周りを羨んだ、これから成長していく喜びがあることを、そんな単純なことに。
そして悲しいかな、自分は天才ではなく凡才だった。
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放課後の教室で一人掃除に取り組む。
自分が今日の日直であり、もう一人の方は既に帰ってしまったから。別にそれを苦にも思わず、サッサッと箒を掃く。
英語は50点だった、英語が苦手というキャラを偽った通りに。実際前世で一番苦手な科目は英語だったから特に間違ってはいない。
まあそれでも凡ミスさえなければ、満点を叩き出すことは余裕なのだから本当にズルである。
この記憶を自分は有効活用したくなかった。
そう思っていたとしてもテストの問題を見れば勝手に答えを引き出してくるのだから、本当にどうしようもない。
「ああ、神さま。どうして自分にこんな祝福を授けたのですか」
そう前世の記憶があろうともビタイチたりとも信じてない神様に訴えつつ、ちりとりでゴミを回収していく。
記憶を引き継がせるにも、もっと有用な人物がいただろうと思うのだ。もしかしたら自分以外にも記憶を引き継いでいる人がいるかもしれないけれど確認する手段はない。
教室には他に人は居なかった。みんな部活に行ったのか、家に帰ったのだろう。世界史で賭け事をした渚もその例から外れず部活である。
ゴミを捨て教室が綺麗になったことを確認して、良しと自画自賛する。今日もいい仕事であった。掃除用具入れに使った道具を次々叩き込み、さあ帰るとしよう。
その時、視界の隅にちらりと机に置きっ放しの鞄が入り込んだ。不思議に思い首を傾げる。たしか、この席は――
不意にガラリと扉を開ける音がして、慌ててそちらを向く。
「あー、赤坂さんまだ帰ってなかったんだね」
その言葉に不機嫌そうに、彼女はジロリと視線だけこちらに向けた。
赤坂 舞、一年生の時は常に学年一位の成績を誇っていた秀才である。今回の中間テストでも高得点を連発してるので、また一位だと予想されている彼女。
雪のように白い肌に、自分の癖っ毛からしてみれば羨ましいほど、黒く真っ直ぐ艶やかな髪。これぞ大和撫子といった美少女。
及川 渚は可愛い系、赤坂 舞は綺麗系と人気を二分する二人だ。
だがこちらの彼女は自分に対して少々あたりがきつい、理由はわからないけど私に対してだけは不機嫌そうな表情を隠そうとしないのだ。
そう言うわけでほんのちょっとだけ苦手意識を持っている。美少女に嫌われるのは嫌だなと思っていても、どこを直せばいいのか分からないから仕方がない。
残っていた鞄は彼女のものだろう、たははと笑いながら自分も撤退を図る。こんな気まずい空間に長居する趣味なんて当然ない。
鞄を掴み、はしたなく走ることはせず、できるだけ早足で。
「佐々木さん、ちょっとだけお話をしない?」
「な、何でしょうか」
ぎぎぎとぎこちない動きで振り返る、なんのきまぐれか彼女は私との会話を所望らしい。
可愛い女の子との会話は決して嫌ではない、けれども彼女のゴミを見るような視線はいまだ続いていて、それがいい会話になるとは全く思えなかった。
「会話といってもほんの少し、単純な質問に答えてくれればいいの」
「自分に答えられる質問なら何でも答えますよ」
その言葉を聞いて彼女は目を細めながらニッと口の端を釣り上げた。それを見て遅まきながら頭の中で警鐘がなる。
あ、逃げればよかったなと後悔するももう遅く、夕日を背にして彼女は言ったのだ。
「佐々木さん、貴女いつも手を抜いてるでしょ?」