赤坂 舞は孤高の人物である。
これはクラスのほぼ全員が抱いている共通認識であり、異議を唱える者はいないだろう。
馴れ合いなど不要と言わんばかりにただ1人ひたすらに努力を積み重ね、学年一位の成績を入試の時から堅守しつつ、それに慢心する事なく更に先へと進んでいく。
何かに急かされるのように、他の全てを投げ打って、ただひたすらに前へ前へ。
はたして彼女が何を目指してるのかなんて全くわからないけれども、そうまでしなきゃ届かない目標が何なのかは興味が惹かれるモノがある。
目標がないと人は頑張れない、ある種の鎖が人を強くするというのは及川の自論であった。
まあ下手に藪をつつく気もなく、赤坂さんも現状で満足している以上特に何かをする必要もなく、ならばと変わらない温い生活を送ってきたのだが、そんな日々がいともあっけなく崩れようとしていた。
寝不足の目をこすりながら学校にやってきていきなり見せられたものは、それまでのポリシーを放棄して、ぎこちないながらも赤坂さんが玲と会話をしている姿。
はたして何が正解だったのか、そもそも正解があったのかもわからないけれども、及川 渚が教室にたどり着いた時にはもう手遅れだったのは明白な事実であり、何か取り返しのつかないことが始まっている予感だけが胸を叩いていた。
赤坂さんがいなくなって、玲は1人ぽつねんと席へ座っていた。それを後ろからひっそり近づいて一呼吸、背後に近づいていることに気づく様子はなく、白い首筋が無防備に晒されている。
不意に首に手を当てて驚かすこともできたけれど、彼女は首が弱いことを知っていたし、それをやると激怒することは容易に想像できた。
シンプルに肩をぽんぽんと叩く。安全第一、距離感を間違えてはいけない。
「数学の宿題、終わってる?」
「宿題は終わってるけどさ、都合のいい時だけくるのずるくない?」
予想通りの不満そうな表情、やはりさきほどあっさり見捨てたことを快く思っていないらしい。
「玲の自業自得だし、それをボクに押し付けられても困るよ」
返答を待つ事なく玲は鞄を探っていて、言い終わると同時にノートを突き出してきた。
小さくサンキューと言いながらパラパラとノートを捲る。何度見ても綺麗に整頓されている。まるで他のノートに一度書いてから、それ用のノートに清書したかと思うぐらいに。それがテストに反映されないのは不思議なことだと思うけれど、時間が足りないとの弁明を聞けば納得はいく。
宿題もざっと見たところおかしい所は無く、多分大体合ってるのだろう。そこまで目を通したところでパタンと閉じ、玲へノートを返す。
「写すんじゃないの?」
「ボクは玲のものを写すほど落ちぶれていないんで」
「むう……」
ぷくりと膨らんだ頰を突っつきたい衝動に駆られるが、それを何とか抑えつつぼんやり彼女を見下ろす。茶色いくせっ毛が今日も元気に自己主張している。
「まあ宿題はさておいて、今日は朝から何があったのかを教えてくれるかな」
「もとからそっちが本題でしょ」
一つため息をつき、朝のあらましを彼女は語った。
曰く、赤坂さんと駅で偶然出会った。
曰く、それならばと一緒に登校することになった。
曰く、赤坂さんは私が会話したいと言ったが故に先程まで前の席を占領していたらしい。
玲の話を聞き終えて一つため息をつき、赤坂さんの席の方をちらりと見やる。
空席、どうやら彼女は教室にはいないらしい。
じくじくと痛む頭を無視して口を開く。
「もしかして玲って、馬鹿なの?」
「なんでさ」
昼にたまたま会って昼食を食べたのはまだ良い、その次には偶然駅で遭遇するなんてあり得ない。それは必然であると考えるべきだ。
赤坂さんが玲と一緒に登校することを狙っていた、それは自分の胸の中では確固たる事実として固まっていた。
けれどもそんな考えとは裏腹に、彼女は赤坂さんがそんなことをするとは思っていないようで、及川は思考する。
はたしてその事実を直球で伝えるべきか、否か。
●
さて及川 渚という人物は他人からどう思われているだろうか?
クラスメイトに尋ねれば例えばこんな答えがずらっと並ぶだろう。優しい、面白い、可愛い、落ち着きが無い、小さい。
たしかにそれらは彼女の一面を表す言葉ではある、だが少なくとも及川自身は真っ当な人間だとはビタイチたりとも思ってないのは事実であった。
及川 渚は常に思考が先着するつまらない人間である。真っ新に自分を晒さなきゃいけないのならば、そう自称するだろう。
自己を如何に良く他人に見せられるかを腐心していたし、その為にはどんな行動も惜しまない。自分がどう見られるかを常に考えていたのだ。
一人称であるボクも、特技である手品も、得意科目である英語も、それ以外のそこそこ優秀な学業も、全部が全部キャラを作る為に積み上げた努力であった。
果たしてどうしてその行動に至ったのか。はじめの理由はもう覚えていない、思い出す必要もないだろう。
及川 渚は道化である、それもタチの悪い。それだけを覚えておけば良い。
他人とはある程度仲良くするも、親友とまではいかない距離。そこまで行ってしまったら自分を晒さなきゃいけない気がして、その勇気が自分にはまだ無かった。
さて、そんな醜い自分ではあるけれど唯一の癒しは一人の友人だった。
佐々木 玲、彼女も赤坂 舞と同じく一種の異端。
彼女は同学年の女子と同じように見えるだろう、ただ瞳にたまによぎる諦めがそれを否定する。
それが一番色濃く現れていたのは入学式。
新しい始まりに騒ぐ新入生と打って変わり、彼女だけが凪いだ水面のように一人静かに落ち着いていた。
自分が取るべき行動は新しい友人をなるべく多く作ること、そうだとわかっていたのに自然と彼女に目を惹かれていた。
誘蛾灯に惹かれるように羽虫のように、ゆらゆらと彼女に話しかけたのは必然だった。
はたしてそれが幸いしてか、玲との関係は入学式以来途切れることなく親密に繋がっている。彼女は分を弁えていた。決して踏み込み過ぎることはなく、されど他人を遠ざけることもない。
だから玲が手品部に入り浸ろうとも、それを拒絶することはなかった。たわいもない冗談を積み重ねて、表面をなぞるだけの微妙な距離感が心地良かったから。
達観しているように見えた、悪く言えば子どもらしくなく冷めていると言われるのかもしれないけれど。それが彼女の特徴であった。
そんな温い関係が動き始めたのは2年生になってからのこと。
赤坂 舞の登場である。
はっきり言ってしまうと自分は赤坂さんの事は嫌いだ。
彼女は激情型の人物であったが故に、大事な感情は包み隠すものという信条と真っ向から対立していたが故に。
彼女はなぜか初めから玲に対して何かしらの思いを抱いているようだった。
視線、表情、仕草、ある程度の情報が集まれば、それは話したことがない自分からもわかるぐらいで。他のクラスメイトの中にも気づいた人がいたのではないだろうか?
まあ、玲は感じが悪いぐらいしか気づいてなかったようだけれども。
興味はある、だが嫌い。でも彼女自身で完結している以上はどうこうする気は全く無かった。――その激情が自分や玲に直接向かわない限りは。
故に彼女が動き出したのを見て、すぐに自分は手を打った。安息は保たなければいけない、その為ならばどんな手を取ってでも。
赤坂さんではなく、玲に対して讒言を。
赤坂さんは玲に好意を抱いている――当然裏は取れてるはずもなく、本当にその感情が好意だなんて知ってるはずもない。
ただ小学生並みの言葉だが、それはある程度の重みを持つと知っていた。
そもそも自分は滅多に嘘をつかないように立ち振る舞い、玲に対して自分の言葉が信頼できるものと刷り込まれている自信もあった。
故に刺さる。彼女の立ち振る舞いからして踏み込むこと、踏み込まれることは避けるべきものだから。
恋愛なんてめんどくさいものだ、ましてやそれに同性と接頭語がつけば。
必然、玲も接触を避けるだろう。及川の策謀に抜かりなし。
そして及川 渚は慢心し、結果として失敗した。
もう終わったもの、ふんふんと鼻歌交じりに赤坂さんの絵を描く。
まるで遺影みたいだな。一人そんなこと趣味の悪いことを考えていたのが悪かったのか、彼女は赤坂さんと昼ご飯を食べたと語った。
何故彼女が踏み込んだのか、それがわからない。
言葉はちゃんと通っていたはずなのに。
告白されて浮かれていた、はたまた気の迷いか。
玲は自分の行動に違和感を感じてないようで、一先ず同意をしてからどんな会話をしようとしたのか掘り下げようとしてきて、生徒会のアレが来たのだ。
自分の言葉に偽りなく及川 渚という人物はあの空間を好んでいたので、思考の第一優先目標は部活の存続という方向に傾き、取り敢えず赤坂さんのことを置いておくことにした。
1日あれば部活もなんとかなるだろう。
それまで赤坂さんもどうにも出来まい。
甘い、甘過ぎる見立て。
でもまさか登校時間を狙うなんて、そんなの予想する方が無理だろう!
なんか気づいたら赤坂さんが手品部に入ってきそうな気がして、そんな嫌な予感を振り払う。
まさか玲もそんなことをしないはずだ。
佐々木 玲の為に、及川 渚は今日も思考する。
変わらない日常を維持する為に。