本日晴天、絶好の運動日和なり。
まあ天気に関係なく女子の授業場所は体育館だったりするのだけれども。
憎たらしいほど青い空だというのにと、窓越しに眺めながらそんなことを思っていた。
特に喋ることもなく、それもそのはず会話相手が居ないのだから当然のこと。
いつもならば隣に渚がいたはずだったのに、あいにく今日彼女は休みである――あらかじめ言っておくが、だからといって別に他に友達がいないわけではない。
じゃあ他の友達と仲良く一緒に行けばいいじゃんと思うかもしれないが、悲しいことにそうすることができない理由がある。
着替えにかかる時間が遅いのだ。
それが嫌で、和気藹々と話しながらゆっくり着替えをするのも、ささと着替えを済ませて彼女らが着替えを終わらせるの待つのも、どっちも嫌だった。
着替える姿があまりに無防備すぎて、なんとなく罪悪感を抱いてしまうから。
自分が見たところで彼女たちが目くじら立てて怒るわけでもないし、ならば見てもいいと思うかもしれないが。
でもそれは、俺のことを普通の女の子だと見てるからである。
どうしたって自分の視点は男寄りに立っていて、それは彼女らにとって好ましくないことだろうから。
だから自分からこうやって遠ざかる、別に黙っていれば気付かれなかったとしても。
「……いっそのこと空が緑色にでもなればいいのに」
そう独り言をつぶやいた。
それだけのことがあれば自分の秘密を明かしても、きっと小さいことと受け止めてくれるだろうに。
●
柔軟体操は体育の前に必須である。
怪我をして痛い思いをしたくなければ当然やるべきだ、と言うか義務だし、だからみんなで授業初めにやるのだ。
自分も『いらねえよ、こんなもの』と突っ張る反抗期でもなければ、わざわざ怪我をしたいと願うほどドMでもない。
しかしながら自分は1人ぽつねんと取り残されていた。いつものペアがいないから、渚がいないから。
まあ別に焦る必要は無いのだ。他のクラスメイトが柔軟を始めるのを横目にすたすたと歩き始める。
確か1人、余るはずだ。
クラスの女子は総勢19人。全員出席した時は余りが出るけど、今日は渚が居ないからお釣り無し。
いつもは3人ペアのところから1人拝借するだけの簡単なお仕事。
そうして向かった先にて、さも当然の如く赤坂さんをすっと差し出された訳である。
長い髪をポニーテールに纏めた体育仕様に変わりながらも、いつもと変わらず不機嫌そうに彼女は言った。
「じゃあ佐々木さん、さっさとやりましょうか」
「ソウデスネ」
とりあえず赤坂さんは自分に任せておけば良い、みたいな空気が出来始めているように思えるのは気のせいだろうか?
きっと気のせいだろうと結論づけ、自分が先にしゃがみこむ。彼女に背中を押してもらいながらつま先へと手を伸ばす。
毎回のことであるがやっぱり手が届くことはなかった。ギリギリとかそういうレベルではなく、全然届く気配がない。
「ねえ、手を抜いてない?」
「……本当にこれが本気なんですよ」
後ろから呆れたような言葉が飛んでくるが、本当に手を抜いてる訳では無いのだ。
背中からぐいぐい押されようとも、曲がらないものは曲がらない。前屈下手くそ人間と称された過去は伊達では無い。
「自分さ、体硬すぎ選手権みたいなものあったら優勝できると思うんだけど」
「……今から本気で押すわ」
「ちょっ」
その冗談が何故か彼女の琴線に触れたらしい、止める暇もなく言葉通りに背中へと強烈な負荷が掛かる。
ミシミシと体から嫌な音がした気がした、けれども一向に自分の体は柔軟さを取り戻すことはなかった。
そんなことで体がいきなり柔らかくなってくれるならこんな苦労してるはずがないのだから、まあ当たり前の結果だろう。
結局自分が得たものは体を無理やり押された痛みと、首筋に残る彼女の息のこそばゆさだけだった。
「……そろそろ交代しよっか」
「……そうね」
疲れか、イラつきか、はたまた呆れたのか、言葉少なく彼女は自分の隣へとしゃがみこんだ。
その様子を見て玲はほんの少しムッとした、ちょっとぐらい謝罪があってもいいんじゃないかと。
ならばこちらにも考えがある。赤坂さんの背後に回りつつ、かの暴虐の赤坂さんに今だに体に残った恨みを晴らすべしと決意したのだ。
流石に自分並みと行かないだろうけど、人並みより体が硬かったら同じ苦しみを味あわせてやろう。先にやったのは赤坂さんであり、自分は悪くないはずだ、多分。
「それじゃ押すよー」
「軽くでいいわよ」
もちろんその言葉に従う気なんてさらさらない。構わずグッと力を込めた瞬間、赤坂さんの体が沈み込んだように感じた。
押し過ぎたかと自分が手を離してしまったのも無理はないだろう。それぐらい赤坂さんは身体が柔らかかった。
紛うごとなき完敗である。綺麗な髪と柔軟な身体、羨ましいことこの上ない。
「佐々木さん、ちゃんと押してくれない?」
「すいません……」
赤坂さんの声を聞いて我に帰り、せっせと背中を押す――ほとんど力を込めてないし、自分がいてもいなくても変わらない気がするが。
さっき赤坂さんが思い切り体を押したのは、自分が出来るのだからそれぐらい出来て当然だと思ったからだろう。
あまりの体の硬さに冗談だろうと思ったなんて言わせない、認めない。
そんな馬鹿なことを考えながら自分が出来たことといえば、いつもは綺麗な黒髪で隠されているうなじをじっくり眺める事ぐらいだった。
また一段、変態の階段を登った気がするのはきっと気のせい。あまりよろしくない思考を打ち切ろうと口を開いた。
「今日の体育は何をやるんだろうね」
「先週と同じようにバレーだと思うけど?」
ネットがもう準備されてるのが見えないの、そんな声を聞いて振り返ってみれば確かにもうセットされている。
「でも、もしかしたらバドミントンかもしれないじゃん?」
「高さが違うでしょ、高さが」
反論しようと思ったが特にうまい言葉が出てこない、別にする必要もないのだけれども。
自分はバレーはあまり好きではなかった、サボろうにもサボれない競技である。ボールが飛んできたら、嫌が応にも反応しなきゃ行けないから。
スパイクが滅多に飛んでこないことが幸いだ、バレー部の子もわざわざ体育の授業で無双しようとする気がない。
そういえばと、頭に疑問が浮かんだ。
赤坂さんって運動神経は良いのだろうか?
勉強ができるのは知っていたけれど、そっちの方面の話は一度も聞いたことがない。
「赤坂さんってさ、バレー得意? そもそも体育好き?」
「どっちも普通だけど」
柔軟を一通り終えて彼女は立ち上がり、くるりとこちらに振り向いた。
「ねえ佐々木さん、少し賭けをしましょうか」
「賭けって?」
「単純にどっちの方が得点を取れるか、どう?」
そんな提案はどちらかといえば渚にするべきだ、内心そう思っていた。彼女なら喜んで乗っただろう。
でもたまにはそんな事をやっても良いかもしれない。自分は1つ、首を縦に振った。
それを見て赤坂さんは薄く微笑んだ。
●
ジャストのタイミング、綺麗な跳躍、そして白い腕が素早く振り抜かれる。中心を撃ち抜かれたボールは誰にも止められる事なく、床に叩きつけられる音が響いた。
「いや、バレーガチ勢じゃん」
勝負中ながらも同じチームに振り分けられた赤坂さんがいきなりそんなスパイクをきめて、思わずつぶやきを漏らしていた。
体育用の髪型に変わってる時点で察して置くべきだったのか、これまで体育の授業中赤坂さんのことをちゃんと見なかったのが悪かったのか。
今更考えても遅いことだ、前向きに考えよう。赤坂さんを敵に回さなくて良かった、今はただそれだけ。
こちらに飛んできたボールを上に打ち上げる。
可もなく不可もなし、味方が無事回収して再び赤坂さんが決めた。
どうやら勝ち目は無さそうである、そう諦めるが早いが額の汗を拭う彼女へとふらりと近付いた。
「ねえ、バレー普通って言わなかったっけ?」
「普通にできるって意味よ」
「言葉が圧倒的に足りてないよ!」
同程度だと思っていたから勝負に乗ったのであり、わざわざ負ける勝負を挑む物好きではないのだ。
「もっと公平な勝負に変えない? 例えばじゃんけんとか」
「相手が早く始めたそうにしてるから早く戻った方がいいわ」
「わーお、すっごい打ち切り方」
すごすごと元の場所に戻っていけば、すぐにボールが飛んできた。それを味方が回収し、再び赤坂さんが打ち下ろす。
味方から赤坂さんを褒めそやす声が聞こえてきて、なんかもう、どうしようもない感じがした。
朝は調子が悪そうに見えたのに、それが嘘のような活躍振り。寝不足だと言っていたけれど、途中の授業で仮眠でも取ったのだろうか?
授業中に居眠りをする赤坂さん、絶対無さそうだとそんな考えをばっさり切り捨てた。
多分、勝負だからやる気を出してるのだろう。もしそうなら少しだけ不安だった、頑張りすぎて無理をしなければいいのだけれども。
飛んできたボールを打ち上げて、チラリと彼女の方を伺う。ゆらりと赤坂さんの背中が揺れたように見えた。
嫌な予感がした、慌てて駆け寄ろうとして。
危ないと声が響いた。
衝撃、暗転。
気がつけば体育館の天井を見上げていた。
小さいバレーボールが、次第に視界いっぱいに大きくなってきて。
どうやら嫌な予感とは自分の身に差し迫ったことだったらしい、ボールがぶつかる直前にそう思った。
後から聞くに、ボールの着弾点に自分が吸い込まれるように移動したらしい。頭に直撃したボールはそのまま真上に打ち上げられ、そして地面に倒れた自分へと追い討ちをかけた。
なんかコントを見てるみたいだった、とは友人談である。
どうしていきなり駆け出したか、と聞かれたものの赤坂さんが倒れるかと思ったとは言えなかった。実際そのあと赤坂さんが倒れることもなかったから、自分の杞憂をわざわざ明かすのは恥だから。
今日の体育の授業で得た教訓は、バレーをやってる時にボールから目を離すなということだ。
その教訓を胸に抱いて、私は保健室に向かった。
赤坂さんと一緒に。