叶わない恋をしよう!   作:かりほのいおり

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15話 2人、保健室、報酬

 ボールをぶつけた痛みより氷嚢を当ててる方が痛い気がした。保健室まで付き添ってくれた赤坂さんは何も喋らず、壁に掛けられたポスターを眺めている。

 

 もうここまできた以上役目は終わったはずなのに、全然戻る気配を見せない。付き添ってくれるなんて有難いなと思っていたけれど、ただ体育の授業をサボりたかっただけなのかもしれない。

 

「赤坂さん、先に戻っても良いよ?」

「いやよ、めんどくさい」

 

 軽いジャブにど直球の答え。

 日ごろ真面目な彼女でも、体育の授業がめんどくさいことと思ってることがやけに人間くさいなぁと思った。

 

 氷嚢を渡され、たんこぶに当てとくように言いつけて、保険医はいそいそと保健室の外へ出て行ってしまったから、赤坂さんの行動を咎める者は誰もいない、当然自分もできるはずがない。

 

 長椅子を立ってベッドに移動する。誰も使ってないのならば、自分が使っても構わないだろう。

 これぞ保健室といった感じの硬いベッド、ぽさりと顔を沈めた枕からは特有の消毒液の香りがした。

 

「ねえ、佐々木さん」

「ひょっ!?」

 

 不意に背後から声がして、慌てて顔を向ける。赤坂さんはポスターを眺めていたはずなのに、気づけば自分が横たわっているベッドの縁へと腰掛けていた。

 上半身起こしたらぶつかってしまいそうな、そんな距離。

 

「な、なに?」

「準備体操の時に言った言葉、まだ忘れてないよね」

 

 とろんとした目で彼女はそんな事を言った。

 忘れてはいない、あえて振り返る様な言葉なら1つだけ思い当たる。

 

「『賭けをしましょうか』、だよね」

「内容もちゃんと言える?」

「どっちの方が得点を多く取れるか、忘れるわけないよ」

 

 結局赤坂さんが3点取って、自分は一点も取れずに負傷退場したのだが。

 まあ怪我しなかったとしても勝てる気はしなかったのが本音である、完敗なのは認めざるを得なかった。

 

「それじゃあ報酬を貰おうかしら」

「え?」

「報酬」

 

 ほ、う、しゅ、う、と馬鹿でも理解できる様に一文字ずつ赤坂さんは言った。

 思考が止まったのも一瞬である、思わず冷や汗が一筋頰を伝う。

 

 少し賭けをしましょうか。

 赤坂さんのそんな言葉を対して深く考えずに頷いてしまったのだけれども、そんな自分を誰が責められようか。

 

 ほんの少しのニュアンスの違い、冷静に考えれば彼女の言葉はこうあるべきだった。

 少し勝負をしましょうか、と。

 その違いに気がついていたのならば、きっと頷くことは無かったのだろうけれども。現実は非情である、過去を変えることはできないのだ。

 

 けれどもここで諦めるわけには行かないと、精一杯の抵抗を試みる。もしかしたらもしかすると許してくれるかもしれない。

 第一案、まさか何かを賭けて勝負したつもりはなかった作戦決行。

 

「ちょっとまって、自分はまさかそんな、何かを賭けたつもりはなかったんだけど!」

「へー、佐々木さんは自分の言葉にも責任が持てないんだ」

 

 じとっとした視線がぐさりと突き刺さる。

 

「う……」

「そういうのってさ、ずるいと思わない?」

 

 確実に勝てる勝負で挑んでくる方がずるいと思う、さらに言うならば事前に賭けの報酬を決めなかったこともずるいと思っていた。

 けれどもそんな言葉は彼女の視線に気圧されて言えなかった。何か言おうものならどうなるか分かってるよな、そう瞳が語っていた。

 どうなるかはわからないが、それを試す勇気はなかった。

 

「ずるい、です……」

「そうね」

 

 作戦失敗。もう自分にできることはといえば、なるべく要求されることが優しいことになるぐらいだった。

 少なくとも今、報酬を要求されると言うことは欲しいものは物品ではないはずだ。

 持ち合わせている物といえば身に付けた体操着ぐらい。

 

「赤坂さんは何が欲しいの?」

「それ」

 

 ピッと赤坂さんは自分()の顔を指差した、まったく意味がわからない。

 

「それを変えて欲しいの」

「顔を変えろって変顔しろってこ――ひたひ、ほおをひっはんなひで」

「誰もそんなことは言ってないでしょ」

 

 解釈違いでどうしてここまで頰を引っ張られなきゃいけないのか、一通り引っ張って満足したのかパッと手を離した。

 氷嚢のあてる場所を額から頰へと移す、怪我人の頰を引っ張るとは情けも容赦もない。

 

「じゃあ何を変えて欲しいの」

「変えて欲しいのは呼び方よ」

 

 成る程、指差してたのは口だった訳か。ふむふむと頷いたところで、はてと疑問に思う。

 

「赤坂さん呼びじゃ駄目なの?」

「駄目、今すぐ変えて」

 

 赤坂さん呼びの何が駄目だと言うのか。最後以外は全部母音がAで、最後を撥音で締める感じはなかなかに綺麗だと思うのだが。

 

「呼び方を変えるだけでいいの?」

「他に何か要求していいなら、そうするけど」

「いえ、滅相もございません。これが精一杯です」

 

 思いのほか楽な内容だった。本気を出せとか、やる気を出さない理由を聞かれるものかと思っていた。

 とはいってもこれはこれでめんどくさい内容だ、呼び方を変えるならこう呼んでほしいと決めて欲しい。

 

 無難に行くなら下の名前にさんをつけて呼ぶべきだろう、呼び捨てで呼ぶ勇気は持ち合わせていない。

 

 それとも指定されないと言うことは何かセンスのあるあだ名をつけることを期待されてるのか? 

 残念ながら自分にはセンスがないが、もしやそういう才能を持ってると勘違いされてるのか? 

 

 ほんの少し考えた挙句、一番無難な選択を選んだ。ほんの少しの時間ではふざけたあだ名しか思い浮かばなかった。

 

「あー、舞さんって呼べばいいのかな?」

「……及第点ってところね」

 

 不満そうな顔で彼女はポツリとそういった。

 採点基準がわからない、やっぱりあだ名をつけるべきだったのか? でも一番いい候補がマッカーサーの時点でまずいだろう、絶対。それでも念のため尋ねずにはいられなかった。

 

「もしも舞さんのことをマッカーサーって呼んだら怒る?」

「何いってんの佐々木さん……」

 

 赤坂さんのことを舞さんとよぶことも気恥ずかしかったし、彼女が怒ることなく、ただ残念なものを見る目で見つめられたのが、とても辛く悲しくて顔を手で覆った。

 結構自信のあるあだ名案ではあったのだけど。まあ冷静に考えれば日常的に使うのは不便だから、やっぱりセンスはないことは確かである。

 

「そういえば赤さ、じゃなかった。舞さんは自分の呼び方を変えないの?」

「佐々木さんも変えて欲しいの?」

「いや、別にそういう訳じゃないんだけど……」

 

 まあ別にどう呼ばれようと変わりは無いか。氷嚢を額に当て目を閉じる、赤坂さんを放置してこのまま寝てしまえそうな気がした。

 

 自分が目を閉じたことに気づいたのか、赤坂さんも何も言おうとしない。これ幸いと寝に入るが、なかなか寝れなかった。

 どうも意識は絶妙なところをさまようばかりで、寝るより先に4限目の方が早く終わってしまいそうだった。

 

「……舞さんは暇じゃないの」

「見てると、なかなか退屈しないものよ」

 

 先程から変わらず、すぐ近くから声がした。多分はじめと同じようにポスターを眺めてるのだろう。

 

「……ねえ佐々木さん」

「なに?」

「……私も及川さんと同じように、貴女の事を下の名前で呼んでいい?」

 

 今にも寝てしまいそうな小さな声だった。

 寝不足といっていたから、彼女にも睡魔が襲ってきたのだろう。

 

「眠いの?」

「眠くは、無いわ。それより私はダメなの?」

 

 相変わらず声は小さく、薄く目を開けてみればうつらうつらと船を漕いでる背中が見えた。

 慌ててベッドから降りて、彼女の正面へと回り込む。素直に横になれば良いのに下手すれば床にダイブしかねない。

 ポンと肩を押せば抵抗もなくベッドへ倒れ込んだ。これで良し、追加で足も乗せてあげれば完璧である。

 

 先程の場所と入れ替わるようにベッドの淵へと腰掛ける。4限目が終わるのが先か、それとも赤坂さんが目覚めるのが先だろうか。

 彼女がまだ聞こえているかはわからないが、眠気に抗ってまで聞きたかった言葉の答えを自分は言った。

 

「別に、好きにすればいいよ」

 

 それを聞いて安心したのか、すぐに安らかな寝息が聞こえてきた。

 


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