ほんの少しだけびっくりした。貴女のことが嫌いだから半径5メートル以内に近づかないでとか、話しかけないで汚らわしいとか、そんなことを言われるかと思っていたから。
そう言われたのならもう一回お願いして音声を保存しようかと期待していた。彼女の容姿、綺麗な声からしたらかなりのご褒美だろう。
無論、冗談だ。ただの現実逃避である。
この間1秒にも満たない時間であり、その間に私が取るべき答えも決まっていた。
「ごめん、私は赤坂さんが言ってる意味がちょっとわからないなー。手を抜いてるって勉強のこと? そうだとしたらこれが私なりの全力だし、そんな風に言われるのは嬉しいけど私に期待をかけ過ぎだと思うよ」
私がとった答えはすっとぼける事、けれども確信があるのか赤坂さんの余裕のある表情は崩れない。
まるで私がそういう予期していたかのように、すぐさま口を開いた。
「そうやって嘘をつく、猫を被る。だけどさ、貴女は気づいてないかもしれないけれど私は知ってるの。貴女がそうやって一人称が私の時は、意識してキャラを作ってる時だって」
確かに使い分けていた。女の子になりきるために一人称に俺が使えるはずもなく、でも私というのにはどこか忌避感が合って、だから基本は「自分」という一人称を使っていた。
しかし私という人称を必要に応じて使う利点もあった。それが自分とはどこか違うという感覚を抱くことを利用しての、精神的仮面である。それをつかうことでスイッチがカチッと入る。
そんなことは当然誰にも言っていないのに、かなりの所まで見抜かれている、背中に冷や汗が一筋伝うのを感じていた。もしかするとかなりマズイ状況なのかもしれない。
「貴女が演じているのは普通の女の子でしょ、それもちょっとおバカな女の子。でも私はさ、そういうの嫌いなの。羊の群れの中に皮だけ被った狼が紛れ込んで、しかも草を食んでいるとか意味がわからない」
切れる言葉を次々と投げ込んでくる。
自分はといえば笑顔を浮かべているつもりだが、それは顔がこわばって動かせないだけだし、もしかしたら笑顔になってないかもしれない。
でも、このまま黙っているのは悪策だとわかっていた。認めるつもりは無い、ならば答えは1つ。
嘘を突き通す、ただそれだけ。
「でも私が手を抜いてるって証拠がないじゃん、手を抜いたって私になんか得があるの?」
「得があるかって言われても、そんなの私にもわからない。得があると思ってるなら私も手を抜くわ」
「でしょ? 合理的じゃない、赤坂さん風に言うならそんな感じかな。じゃあこれで話は終わりっ、さようならー」
自分が優位だと見切るやいなや、素早く話を切り上げて、すぐさま鞄を肩にかけ、逃走に移る。深追いは厳禁、赤坂さん相手だとどんなヘマをするのかわかったものじゃない。もう既に自分の一人称についてまで気づいているのだから。
ただ気づかないうちに、自分は既に袋小路へと追い込まれていたらしい。待っていましたと言わんばかりに、赤坂さんは最後の札を切った。
「理由はわからない、でも貴女が手を抜いてるっていう証拠はあるわ」
「ほぇ?」
思わず足を止め、そんな気の抜けた声が口から漏れた。そんな私に向かって赤坂さんは一歩二歩と歩みを進めていく。逃げるべきなのに蛇に睨まれた蛙のように体はビクとも動かない。
「……佐々木さん」
「な、何でしょう」
ようやく歩みは止まった。息がかかるほど、パーソナルスペースなんて知ったっこちゃないとばかりの、そんな距離。押し倒されるかと思ったけれども、さすが彼女はそんなことはしなかった。
そんな至近距離で見る彼女の顔は芸術家が作った作り物かと思えるぐらい綺麗で、否応無く胸は高鳴っていた。
酷く顔が熱かった。けれども赤く染められた教室と同じように、きっと自分の顔色も夕日が隠してくれていただろう。
「証拠はね――」
「ひいいいいいいいいい!!」
しかし、そこが我慢の限界であった。
その先の言葉を聞かず、自分は教室を飛び出した。
目の前に展開される美少女オーラに耐えきれなかったのだ。でもそれもしょうがないことだろう。夕日に照らされた放課後の教室、それもたった二人というシチュエーションといい、あまりに近い距離といい、そこから繰り出される他の女の子の甘い香りと、耳に届く声と、肌に届く彼女の吐息に、さらに視界いっぱいに映る美少女と。
味覚以外の五覚をフルに使い迫ってくるのだから、どうしても無理。無惨な敗北である。
誰もいないことをいいことに、廊下を全速力で駆けていく。それでも先の見えない曲がり角へそのまま突っ込むことをしない知性は辛うじで残っていた。
「お、玲じゃん」
「げっ、渚……」
「ボクを見るなりそんなこと言うなんて、流石に失礼じゃないかな」
運がいいのか悪いのか、曲がった先でばったりと渚と遭遇した。口を不満そうに尖らせるのもつかの間、不思議そうに首を傾げた。
「なんでそんな息が荒いの?」
「いや、ちょっと、逃げててね」
「はぁ?」
どう説明するべきか。赤坂さんが美人過ぎて逃げてきましたとか、流石に頭の心配をされかねない。
そんな悠長にことを考えている間にも事態は動いていく。
「佐々木さん、なんで逃げるの?」
「ひぃ!」
そんな声が後ろから届いた。
ギョッとする渚をさて置いて、ささっと自分より小さい彼女の背中へ縮こまりつつ身を隠す。
「あら、及川さん御機嫌よう」
「あー赤坂さん、これはどうも」
そうぺこりとお辞儀した向こうで見えた赤坂さんは先程より不機嫌そうに見えた。私が逃げたせいか、それとも別の原因か。渚はちらりとこちらを伺って赤坂さんの方へまた向き直った。
「なるほど、そういうことね。大体何があったのか理解したよ」
「勝手に納得してもいいけど。及川さん、とりあえず佐々木さんをこちらに引き渡してくれない?」
「ごめん、それはちょっと無理かな」
即答、珍しく赤坂さんは戸惑っているようだった。それでも諦める事はなく、言葉を繋いでいく。
「私と佐々木さんで話してたんだけど、それを邪魔するっていうの?」
「別に邪魔する気は無いけど、玲にはボクとの先約が残ってるんでね。それで来るのが遅いから迎えにきたってわけ」
別に何も約束した記憶はない。服の裾をチョイチョイっと引くとこちらを振り向いてパチンと1つ、ウィンクをした。どうやらこちらを手助けするためにでっち上げたらしい。
「時間が押してるからさ、また今度にしてくれるかな。赤坂さん」
それとも、そう言葉を繋ぐ。
「今、ボクの目の前で話すならいいよ。それが二人っきりじゃないと出来ない会話じゃなければ、当然できるでしょ?」
その言葉がトドメ。赤坂さんが何かを言おうと口を開いて、すぐに閉じる。数秒の沈黙、そして出した答えは終わりを知らせるものだった。
「……なんでもない、別にしなくてもいい会話よ」
「ならこれで終わり、じゃあ行こっか玲」
そう言いながら、自分の手を引っ張って行く。それに抵抗する事もなく連れられて行く俺に、赤坂さんは言葉を投げかけた。
「佐々木さん、また明日」
慌てて首だけ振り返るも、赤坂さんは既に背を向けていた。ほんの少しだけその背中が俺には寂しく見えて、慌てて口を開く。
「赤坂さん、また明日!」
その言葉は確かに届いたらしかった。彼女の肩がピクリと跳ねる。けれども振り返ることはせずに、ただ手だけを小さく振り返してくれた。
●
「前から怪しいと思ってたんだよねー」
そうトランプをシャッフルしつつ語るのは及川 渚。ここは手品部の部室、他の部員がいない事もあって貸切状態である。
「何か怪しいことあったっけ?」
「いやさ、彼女、赤坂さんの事だよ」
気づいてなかったの? そんな問いに素直に頷くと呆れたようにため息を吐きつつ、二人の前にトランプを交互に配って行く。
手品用のトランプを使ってのババ抜きである。もし手品のタネに使うようにマークをつけられていたら必敗確定だが、自分がぱっと見たかぎりそんな様子もなく、別に賭けるものもないしと適当に流している。
「前々から何で玲にだけ不機嫌そうに振る舞うのか不思議だったんだよ」
「あ、やっぱり渚からもそう見えてたんだ」
「そりゃ誰から見てもそう見えるって、そっちババ持ってるね」
「二人っきりだし、そっちが持ってなければこっちに決まってるでしょ」
ジョーカーがこちらに向かって不愉快な笑みを見せつけていた。残った枚数は5枚、相手は4枚。いきなり不利な状況だが別にまだ負けたわけではない、
「でどうしてだろーって思って赤坂さんの事を観察してたんだけど、授業中時たま親の仇を見るかのように玲のことを睨みつけてたんだよね」
「あのたまに感じる悪寒は赤坂さん、か……。それに気づいたら教えてちょうだいよ」
「ごめんごめん、もしかしたらボクの気のせいかと思って」
タイムを取って残り3枚になった札を適当にかき混ぜる。特に引っかかる事もなく、ジョーカーはいまだに手元に残っていた。
ちらりと彼女の表情を伺えば、勝利を確信してるのか緩み切った笑みを浮かべている。
その余裕を崩そうとさらに時間をかけて混ぜ込んでいると、何かを疑問に思ったのか眉をひそめた。
「でも何で玲のことを嫌うんだろうね」
「ん……」
手を抜いていると言われたことを伝えるか、ほんの少しだけ逡巡する。すぐに脳からGOサインが出た。
黙っていても後々赤坂さんの口から言われるかもしれない。そうなった時になぜそれを黙っていたのか、本当に手を抜いていたんじゃないかと思われるかもしれない。
もう一つの理由がある。彼女から見て、自分が手を抜いてると思われてるのか確認がしたかった。自分の一番近くにいた彼女をちゃんと欺けているかどうか、それが少しだけ不安だった。
顔色を伺いつつ、慎重に口を開く。
「赤坂さんから見ると私はいつも手を抜いて見えたんだってさ、それがどうしても許せなかったんだって」
それを聞いて彼女はポカンと口を開けた。
驚きのあとにじわじわと笑いがこみ上げてきたのだろう、プルプルと肩を震わせたかと思えば、爆笑しながらバンバンと机を叩き始めた。
「あっはっはっはっ!」
「流石に笑いすぎだと思うんだけど……」
どうやらちゃんと騙せてるらしい、そうなるとなんで赤坂さんが気づいたのか謎は深まるばかりだった。彼女はどういう証拠を持っていたのだろうか?
しこたま笑って流石に疲れたのか、ヒイヒイ言いながら涙を拭い渚は言った。
「うん、そうか、なるほどね。大体わかったよ」
「一人で納得しないでほしいんだけど」
「あれだよ。つまり、多分彼女はね」
「玲のことを好きなんだ」
その言葉を聞いて、自分は手に握ったトランプを全て取り落とした。ついでに変なところに唾が入り込み、激しく咳き込む。
咳を抑えようと涙ぐみながら渚の様子を窺うも、冗談ではなくいたって真面目な様子だった。
ポケットからハンカチを取り出して、滲んだ涙をぬぐいつつ問い掛ける。
「……冗談でしょ」
「いやほんとだって、これは信じてくれても構わないよ?」
「どうして私?」
「そんなの赤坂さん自身に聞いてくれよ、でもどうして手を抜いてるように見えたのかは説明がつく」
そう言いながら空中を指でなぞり始めた。
こちらからは反対になって読めないけれど、彼女側から見れば多分読める言葉。それは渚が自分なりに答えを出す時の癖だった。
「要するに彼女は玲に期待してたんだよ」
「期待?」
「そう期待、好きだからこそね。私の好きな彼女はもっとできるはずだって。そう思うのは多分、彼女が頭がいいからこそだろうけど」
皮肉だね、好きな相手にその優秀な頭を生かせないのは。そう言いながらこちらに手を伸ばした。三分の一、これでジョーカーを取られなければ相手が一枚になって自分の負けである。
トランプを持つ手を前に出しつつ、何気なく自分は言った。
「それだと赤坂さんはレズだってことになるけど」
「あー……それはそうだね。普通じゃない、かな。でもこれであんな美人でも彼氏ができない理由がわかった、結構前からレズ疑惑は上がってたけど、相手はまさか玲だとはね」
まさか嫌ってるように見える相手が想い人だとは、みんな思わないだろうね。そんな彼女の言葉をどこか遠いもののように感じていた。
不意に俺までまとめて鋭利な言葉でざっくりと切りつけられたから。
ジョーカー以外が引かれて俺の負けが確定した訳だけれども、勝ったことを彼女が喜んでいたけれども、それより先の急務は自分の精神を立て直すことだった。
そう、彼女の価値観から見れば女の子が女の子を好きになるのは普通じゃない事なのだ。
別に特に怒ることも悲しむ必要はない、それが普通なのだから。
喜びながらもちゃんと最後まで終わらせようと、つっと差し出したトランプを笑顔で引く。
「……私の負けかー」
「まだまだだねー」
俺の偽った感情に彼女は気づく様子はなく。これまで必死に取り組んできた、普通の女の子というキャラを作る努力は無駄じゃないことをおしえてくれたことが、ほんのちょっとだけ救いだった。
そう努力をしてなければ好きな女の子に振られて、外面だけでも平静を保つことはできなかっただろうから。
ただ、どうやら俺の恋は実ることはないらしい。残ったジョーカーはそれを嘲るかのように笑っていた。