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手品部の部室に盗む価値があるようなものがあるとは思えないのだけれども、それはそれとして鍵を閉めない理由になるはずもなく、部活が終わったのならばちゃんと戸締りをしていくのは当然のことである。
日頃部活前に部室の鍵を開けるのも閉めるのも渚の役目、自分がやっても良いのだけれども、そもそも部活にちゃんと加入してなかった人物がやれるはずもなく、今までは1年の時の流れを引き継いで部長である彼女がやっていた。
あまり多くはない渚の居ない日に、代わりに自分が鍵を開け閉めするなんてことは一度もなかった。
そもそも渚のいない部室に寄る理由も無かったのだから、必然に彼女が部活に顔を出さない時にわざわざ部室に行く必要もない。
自分の目的は渚の居る部室であり、別に手品部の部室という訳ではないのだから。
それまでのそんな日常が変わって、彼女が居なかったとしても、代わりに自分が部室を開けるようになったのは、やっぱり赤坂さんが理由なのだ。
意外にも。
意外と言っては失礼なのかもしれないけれど、彼女はちゃんと部活に顔を出していた。
赤坂さんの主義からして、必要ないことは無駄とバッサリ切り捨ててしまって、てっきり名前だけ貸すものだと思っていたけれど、別にそれでもこちらからしてみれば別に文句を言えるはずもなく、そもそも文句を言う必要も無く。
自分としてみれば部活が続いてくれば万々歳であった。あわよくば仲良くなりたいな、みたいな目的もありはするけれど。
そんなわけで渚がいない時は自分が鍵の管理をするようになっていた。部室が空いてさえいれば、赤坂さんは律儀にちゃんとやってくる。
まあやってきたとしても彼女がやることは勉強だけだと決まっていて、自分と赤坂さんの間には相変わらず微妙な壁を感じてはいるのだけれども。いつものように参考書を広げる彼女に、尋ねてみたことがある。
『舞さんってさ、勉強しかしないの?』
『……別に』
『部室だと勉強やってるところしか見たことがないけど、四六時中勉強してない?』
『私が犬の散歩してるの知ってるでしょ?』
『じゃあ、散歩以外は家で何してるの?』
『ご飯食べて、お風呂入って、勉強して、髪を梳かして、後は寝るだけ』
ワーカホリックの如く勉強に勤しむ、正に学生の鑑といえる存在だろう。もう自分はそんな風にはなりたくはないが。
ある日突然張り詰めた神経が破断しないかと思うけれど、そこまで日常に染み付いているのならばおかしいことに気付いてないのかもしれない。
奇異なものを見る目で見られていることに気付いたのか、彼女はこてんと首を傾げた。
『ここでは勉強しちゃいけないとかいう決まりがあるの?』
『別に、そう言う決まりはないけれど』
もしかしたらその時に、そういう決まりだと嘘をついていたら、赤坂さんが部室で勉強する事はなくなったのかも知れないけれど、機転良く嘘をつく事は出来なかったが故に、ときたまたわいもない会話を挟みつつ、彼女は部室で勉強し続けている。
少し話がそれたけれども、とにかく渚がいない今日、部室の戸締りをしなければいけないのは自分だという事だ。
きっちりと鍵をかけ、自分は鍵を返しに職員室へと、赤坂さんは校門へと二手に分かれる。
赤坂さんと一緒に帰らないのかと思うかもしれないけれど、ちゃんと彼女は校門の前で待ってくれているだろうと分かっていた。
夕日が差し込まない薄暗い廊下を歩いていく。雨は降るだろうか、自分は折り畳み傘を持ってきたけれど、赤坂さんはちゃんと用意しているだろうか。
多分、赤坂さんのことだから心配するまでも無く持ってきているのだろうけれども。
適当に挨拶をして職員室へと入り込む。
無防備に置かれた鍵のホルダー。悪いことしようとしたら簡単に盗めるだろうなと常日頃から思っているけれど、とくに何も起こらないから見過ごされてるだろうそれに鍵を戻して。
後は帰るだけである、しかしながら自分と同じように鍵を返そうとする人物を見て、思わず足を止めてぺこりと頭を下げた。
というにも彼が見知った人物であったから、さらに言えばクラスメイトであった。ずばり答えを言ってしまうのならば、しばらく前に告白された、そして自分にあっさり振られて玉砕した、今現在ではただの友達である犬飼君である。
まあ職員室で会話をできるはずもなく、そのまま隣をすり抜けて、とくに彼を待たずに、そそくさと足早に校門へ向かって歩き始めた。
だってとくに話す事もないし、なんとなく気まずいだけだ。別に嫌いというわけでは無いけれど、なんとなく接しづらい人物。
モテる人ならばそこら辺の関係のつなぎ方とか心得ているのだろうけれども、前世含めてそういう話には疎すぎた。
君子危うきに近寄らず。正しい判断だ、多分。そして背後から追いかけてくる足音もきっと幻聴である。
「やあ佐々木さん、なかなか珍しい」
「珍しいって、いつも教室で会うけどね」
「それはそれ、放課後のこの時間に会う事はそんなに無いからさ」
諦めていつも通りのペースへと速度を緩める、ちらりと隣を見ればちゃんと自分のペースに合わせて彼も付いてきていた。学ラン姿、胸の前に揺れるカメラ。
写真部か、新聞部なのだろうか? 聞いたことあるならば彼の部活も分かるのだけれども、そんな話をした事もないから判別は付かない。
自分の視線に気づいたのか、彼はカメラを手に取った。
「ああ、これ? これは学校の備品。俺、一応新聞部に入ってるからさ」
「へえ、犬飼君も取材とかするの?」
「取材もするけどインタビューは別の担当、そして俺は写真撮る担当」
はいそれじゃ笑って笑って、彼はそう言いながらこちらへカメラを向けてきた。笑う事はないけれど仕方なくピースして、けれども彼は写真を撮る事なく手を下ろした。
「まあこんな感じに写真を撮っていくわけですよ」
「ははぁ……」
なんとなく写真撮るの下手くそそうだなと思った、ついでに言えばインタビューも下手そうだ。勝手な偏見を貼り付けつつ、特にそれ以上会話が広がる事もなく無言で歩いていく。
恐ろしく気まずい空間だった、なんでわざわざ追いかけてきたのか問い詰めたいぐらいには。
とても残念なことに彼は帰り支度をバッチリ固めていて、なおかつおそらく部室の鍵を返しにきてたことを見るに、部活も終わって自分と同じく下駄箱に向かっているのだろう。
ならば途中でこの空気が自然に消滅する事も期待できない、自分と同じ道を行くしかない。
お手洗いに行くとか理由付けて道を分かれようかな。そんな事を考え始めた時、彼はようやく口を開いた。
「佐々木さんに一つ聞きたいことがあるんですけど」
「……何?」
しかし、彼はそれ以上何も言わなかった。不思議に思って隣を見ると言うか言うまいか躊躇っているようだった。
「正直、これを尋ねるべきかわからないんです。もしかしたら勘違いなのかも知れないし、ただの杞憂なのかもしれない」
「別に、怒らないからさくっと尋ねちゃっていいよ。よほど失礼なことじゃなければね」
そんなふうに言いながら、彼が何を聞こうとしてるのか予想する。まだ自分に脈はありますかとか、彼氏居ますかとか、そんな感じだろうか。
脈はない、死んではないけど。彼氏も居ない、脈はないけど。
予想質問と答えを並べて、万全に備える。
どこからでもどんとこい。
けれども犬飼君の予想は自分の予想をすり抜けて、自分は思わず答えに詰まってしまった。
「佐々木さん、最近及川さんと喧嘩してます?」
正直、その質問に1mmたりとも心当たりが無いのだ。はっきりNOと言える質問だ、喧嘩は一度たりともしていない。
でも犬飼君がその質問に至る切っ掛けがあるのは確実だ、彼の心配そうな顔を見るからに、カマをかけている様には見えなかった。
だからこそわからない。彼が何に気付いてそう思ったのか、そしてなぜ自分がそれに気付けてないのか。
「……いや、私は渚と喧嘩した覚えは無いけど」
「そっか、なら良かった。多分俺の思い違いだと思うんで」
「参考に聞かせてほしいんだけど、犬飼君は何を見て私達が喧嘩してると思ったの?」
癖なのかカメラを手で弄びつつ、たどたどしく彼は口を開いた。
「なんとなく、説明しづらいんですけど。きっと佐々木さんから見て、及川さんはいつも通りだと思うんですよ。でも、違う。俺から見て、なんとなく、及川さんの様子がおかしいんです」
「……?」
「どう言えばわかりやすいかな。欠けたパーツをよそから拝借して、そこに当て嵌めて、佐々木さんから見るときっといつも通りに見えるけど、今度は他のパーツが欠けるから、俺から見ればおかしく見える、感じですかね」
説明下手くそで申し訳ないんですけど、そう言って犬飼君は苦笑した。
「その欠けた原因、変調の原因が佐々木さんと喧嘩でもしたんだと思ったんですけど、心当たりがないならきっと違うんだと思います。そもそも他に原因があって、佐々木さんの前ではいつも通り振る舞ってただけかも知れない」
「……まったくわからない」
「でも俺の思い違いかもしれないんで、あまり信用しないでくださいね!」
それじゃ、また明日!
そう言って彼は颯爽と去っていった。
廊下に1人ポツンと取り残されて、彼の姿が見えなくなってから再びゆるゆると歩き始めた。
用があったのは渚の事を尋ねるだけだけだったのだろう。
尋ねると言うか、自分の疑問を解く為では無く、その異常を自分に気づかせる為だけに。
もしかしたら何かやばい筋に踏み込んでいるのだろうか?
その事だけを聞きにくるぐらい、やばいという事なんじゃないだろうか。もしかしたら犬飼君のいう通り思い過ごしなのかもしれないけれど、そこまで楽観主義でも無い。
スマホを取り出して、彼女へ何てメッセージを送るか少考する。正直、明日学校で直接聞けば良いことではあるけれど。
葉っぱを叩く音を聞いて、窓の外へ視線を向けると雨が降り始めていた。自分の予想通りに赤坂さんは折り畳み傘を持ってきていた様だった。
遠くからでも艶やかに見える真っ赤な傘。名前が示す通りにきっとあの傘の下で彼女が待っている、そんな気がした。