●
とりあえず渚の変調が、果たして本当なのかはわからないけれども、それが本当だとして切っ掛けとして思い付くのは赤坂さんが部活に参加したということである。
それ以外記憶にある限りでは特に大きな変化もない。時たま自分が部室の開け閉めをやるということも変化の一つではあるけれども、それは赤坂さんが部活に参加したことの余波だ。
じゃあ大元の原因は、その大きな変化である赤坂さんが元なんじゃないかと予想が立つわけで。自分の知らない間に渚と何かがあって、自分がそれを見落としていたんじゃないか? みたいな考えがパッと浮かぶ。
そもそも自分より先に渚が勧誘した際に、渚の事を嫌いだとはっきり言った事があったから。だから2人の間に一悶着起こしてもではみたいな危惧はあったし、その嫌な予想通りに事件があったのならば、渚の異変の原因に直結していてもおかしくはない。
しかしながら、それはほとんど有り得ないことを、ちゃんと自分は知っている。今のところ、という条件付きではあるけれども渚と赤坂さんはそれなりに上手くやれていた。
意外だ、意外と言っては失礼なのかもしれないけれど。
でも実際、彼女は入部してから黙々と勉強するばかりで、渚に自分からアクションをかける様子は一切見せなかった。
興味がないのか、それとも嫌いだから構いたくないのか。
まあそもそも赤坂さんが自分からコミュニケーションを取ろうとする事自体激レアではあるし、正直どっちが理由でもおかしくない。
それはともかく赤坂さんは部活に入ったところで手品部らしい活動をするわけでもなく、ただ黙々と、淡々と勉強するばかりだった。
それに対して渚は構おうとすることもなく、かわりに自分が赤坂さんに話しかける姿を遠巻きに眺めていた。
そんな観察の日を続けること数日、渚はこう結論づけた。
『……要するに過剰に踏み込まなければ、彼女にとってボクはそこら辺にいる有象無象の1人でしかないんだろうね』
赤坂さんは別に渚だけ嫌いというわけではなく、その他全員も有象無象扱いという推察。
実際、『あなたの事が嫌いです』的な刺々しい雰囲気は、自分含めて誰に対しても等しく向けられていたものではあるが、その推察が当たってるかはわからない。
もしかしたら一つ頭抜けて渚の事を嫌いだけど、他人と同じぐらいの扱いだと混ぜてしまってわからなくしているのかもしれない。
それでも、深いところまで踏み込みさえしなければ大丈夫という予想に基づいて渚は動いた。
ある程度の距離感を開けて、過度に干渉することもなく、されど無視するわけでもなく、話しかけるときの狙いは一つ、勉強についてのみ度々尋ねる。
それに対して赤坂さんも無碍にすることもなく、聞かれたのならばちゃんと答えていた。
きっと尋ねられることが勉強についての事ばかりだったのも理由の一つだろう。それに自信があるからこそ、彼女が何よりも誠実に向き合っていたからこそ。
きっと他の話題だったのなら、やる気なく適当な返事を返されるか、または思いっきり舌打ちされて黙殺するかのどっちかだろう。
釣りの如く、踏み込めるまで気長に待つ。
渚らしいそんな持久戦の構えである。
まだ渚は勉強以外の話題を振ろうとはしていない。
赤坂さんが部活に入ってしばらく経ってはいるけれども、彼女からしてまだ自分は有象無象の域から脱してはいないと思っているのだろう。
それでも渚はめげることなく、いまだにちょくちょく構ってるあたり、まだまだ諦めてはいないのだろう。
そしてここまでの考えを元に、原因は赤坂さんではないのだろう、と思うのだ。
●
「及川さんのことなら、私より貴方の方がずっと知ってると思うけど」
赤坂さんはこちらへ向くことなく、いつも通りの平坦な声でそう言った。
雨降る帰り道。特に期待せずになんとなく聞いてみて、帰ってきたごもっともな言葉に苦笑する。
まだ渚には何も聞いていない。メッセージで聞いてみるにしても、なんで聞けばいいかわからなかった。
それにもしかしたら考えてるうちに答えが見つかるかも知れない。まあ、要するに後回しである。
記憶の中の渚にはどこにもおかしなところは見えず、自分1人で考えをこねくり回したところでもう行き詰まってしまってるのはとっくに分かっているのだから。
「そんなに及川さんのことが心配なの?」
「心配、といえば心配だけど」
どちらかと言えば、何があったのか知りたいという興味なのかもしれない。何があったのかのか、何もなかったのか、何かあったのならば、どうして自分に相談してくれないのか。
「もし本当に何かあったのなら、自分を頼ってくれないのが悔しいなぁってさ」
このヤキモキとした気持ちは、要するにそういうことなのだろうか?
もしかしたら自分ならなんとかできるかもしれない、手助けになれるかもしれない。もしかしたらそれは思い上がりなのかもしれないけれど、それでも渚と一番仲が良いという自負もあった。何かあれば頼ってくれると思っている。
「そう、なら別に好きにすればいいと思うわ」
「場合によっては好きにしてはいけない場合があったの?」
向かい側から人が歩いてきて、そそくさと一列になって交わす。赤坂さんの赤い傘を追って、きっと大丈夫だろうと踏み込んだ足は、勢いよく水たまりに突っ込んだ。
「最悪……」
自分がポツリと漏らした声に彼女はちらりと振り向いて、すぐにまた視線を前に戻した。なんとなく隣に並ぶ気も削がれてぼんやりと後を追う。
しばらくして、傘越しに赤坂さんの声が聞こえてきた。
「つまり、自分がその原因だと思いたくない、そういう理由で別の原因を探すのなら、そんなこと、自分勝手に及川さんのことを掻き回すのはやめるべきだと私は思うわ」
「……いやいや」
即座に否定しかけて、しかしそれ以上の言葉を繋ぐ事はない。ないだろうか? 本当に?
自問自答。突如降って湧いた疑惑、今まで全くそんな事を考えてはいなかったと断言できる。なのに、違うと即答する事は出来なかった。
もしかしたら、そんな疑念が急速に膨らんでいた。
「貴女も気付いてるでしょ? 何かあったのかも知れない。じゃあ、本当の自分を隠して、いつも通りだと偽る理由は何?」
クルクルと機嫌よさそうに、目の前で赤い傘が回っている。渚が自分に心配を掛けないためにという考えがあったけれど、それは本当だろうか?
本心を隠す為に。じゃあ、なんで隠す必要がある?
自分に悟られたくないから、相談できないから。
それで全部説明できてしまうじゃないか。
『原因は佐々木 玲にある』
相談できないのは、悟られまいと隠していたのは、自分が原因だったから。渚の様子がおかしいことに気づけば間違いなく自分が行動する、そうするだろうと自分もよく分かってるし、渚も気付いていたのだろう。
だから隠す、面倒くさいから。そりゃそうだろう、事を引き起こした張本人が解決させてあげようと息巻いてやってくる、本人はそのことに1ミリも気付いてないのだから100%の善意で行動してるのが、尚のことたちが悪い。
見下ろした足元に、ローファーが雨に濡れて鈍く光っていた。水の染み込んだ靴下が酷く不快だった。
視界にこちらを向いた足先が見えて、足を止めた。
「たった一言で流されすぎ、適当に思いついた事だからそこまで気にしなくていいのに」
呆れた様にため息をついて、彼女はそう言った。
いけしゃあしゃあと、自分がそこまで考え込む理由になったその一言を言ったのは赤坂さんなのに。言わなければ気づかなかったのかも知れないのに。
まあ、言われなくても1人でその考えに至ってたかも知れないけど、そこら辺は置いといて。
「でも、赤坂さんはそうかも知れないと思ったから言ったんでしょ?」
「……ただの意地悪よ」
そんな意地悪があってたまるか。怒りを込めて送った視線をどこ吹く風と受け流し、再び彼女は口を開いた。
「でも、たった一言でそこまで考え込むのなら何もしない方がいいって思ってるのは本当。
わざわざ踏み込む必要もない、だって1人で抱え込むって決めたのは及川さんよ。
そして、もしかしたら演技かも知れないけれど、少なくとも佐々木さんといつも通りに接しようしてるのは事実なのだから」
「……つまり?」
たっぷりの間を開けて、赤坂さんはすました顔で
「果報は寝てまてってこと」
と、そう言った。