●
春は出会いと別れの季節。
入学式を目の前にひとまず顔合わせと詰め込まれた教室で、新入生の各々がぎこちないながらも何処どこの中学校から来たとかそんなことを話しつつ、これからのことについて夢を膨らませている。期待で顔は明るく染まり、なんともまあ初々しいばかり。
そんな中、自分はといえばポツンと一人、出席番号通りの席に座っていた。
はっきり言えば出遅れたのである。
入学案内に書いてあった時間通りに教室にやって来たというのに、その時には大体グループが決まっていた。
なるほど、なるべく早く来て友達を作ろうとするのが普通だったか。だけれども自分としては高校の入学式も2回目であり、あまり緊張しすぎないのが運の尽き。
訂正。2回目だから緊張していないというより、特に何の期待もないから心が平坦なのだ。
中学校の頃に手酷い失恋をして、それをまだ引きずってるのもあるだろう。何となく世界がくすんで見えるのは気のせいだろうか?
期待もない、ならばと何か新しいことを始めようとするわけでもなく。そういうわけで今はまだ部活に入る予定はなかった。
今の生きがい、もとい趣味は読書とゲーム。中学三年生の時、他の同級生がひーこらひーこらと必死に受験勉強に取り組む中、ゆっくりのんびりと楽しんでいた。
そんな趣味に打ち込んでいる間にも言い知れぬ閉塞感が付きまとうのだから、なかなかどうにもうまくいかない。
多分何か、心を埋めるピースが足りないのだ。それが何なのかはまだわからないけど。
そういうわけだからこの高校に特に思い入れもない。選んだのは距離が近いからというだけだ。家から徒歩五分でたどり着く駅に、一駅電車に揺られるだけで到着できる。
ほんのちょっとだけ学力は高かった気もするけれど、それがどれぐらいなのかはっきり覚えてないぐらいのおまけに過ぎない。
というわけでみんなのように頑張ってここまでたどり着いたという達成感もないわけで、これからの期待を吸って空気が熱を帯びているのに、こちらとしてはなかなかテンションが上がらないのも必然だった。
取り敢えず冷めた視線で周りを見渡しても、同じ中学校から来たとわかる人物は見た限りでは居ないようだった。一つため息をつく、それが良いのか悪いのか。適当に今あるグループに入ろうとするきっかけがひとつ失われたことだけは確か。
黒板に書かれたSHRの時間が、これから15分ほど時間が空くことを淡々と告げていた。
まあそれぐらいの時間があれば何とかなるだろう。よしっと小声で自分を奮い立たせて、席を立とうとして――そこでようやく自分を見つめる視線に気づいた。
ひとつ席を飛ばして二つ前の彼女が、椅子に正座してこちらをガン見している。念のため他の誰かを見つめているのかと振り返るも、綺麗に誰もいなかった。
仕方なく前に視線を戻すも、いまだに名前も知らない彼女はこちらをじーっと見つめている。
好奇心からか、目が爛々と輝いていた。しかしながら別に自分は特に何かした記憶はないし、そんな注目を集めるほど綺麗な容姿をしてる自信もない。
ただそんな目で見られているのに不思議と嫌悪感はなかった。
なんとなく席を立とうとするのをやめ、無言で視線を送り返すことにした。逸らしたら自分の負けな気がしたから、幸いなことに相手はかなり可愛い部類の女の子である、はっきりいえばどストライクだ。だから目の保養に丁度いい、そんなおじさんじみた思考があった。
見つめあっていたのは1分ほど、先に切り上げたのは彼女だった。ほっと息を吐きつつ、彼女はこれからどうするのかとそのまま観察していると、あろうことかこちらへちょこちょこと近づいてくる。
今更逃げるわけにもいかず、自分はそれを黙って見つめていた。小動物みたいだなとの感想を抱く。
ウサギか、はたまたモルモット。餌付けしてみたいと思うが入学式に食べ物を持ってくるはずはない。
そんなことを考えてる間に彼女は自分の目の前に辿り着いた。
「キミさ、コロッケそばは好きかい?」
「は?」
「うん、コロッケそば」
思わず素で聞き返してしまったのも仕方ないだろう。入学式前に尋ねることは本当にそれで良いのか、そもそもお互いまだ名前も知らないというのに。
それでも彼女は神妙な顔で同じ言葉を繰り返すものだから、仕方なく真面目に記憶を漁る。
コロッケそば、聞き慣れない言葉である。
少なくとも前の18年の人生の中で食べた記憶はなかったし、女の子になってからの記憶にもない。
「ごめん、食べたことないや」
「そっか、やっぱそうだよねー」
うんうんと俺の言葉をじっくりと噛み締めるかのように彼女は頷いた。なんとなくうさ耳をつけたい気分に駆られる、きっとよくぴょこぴょこ動いて映えるだろう。
そんな自分の気持ちを知らず、彼女は続けた。
「ボクはコロッケそばが好きでさ」
「はあ……」
まさかの純正ボクっ娘である。性癖的にはドンピシャだが、まさか自分はボクっ娘が好きですとか、いきなり言い出せるはずもない。そんなことをのたまえば、ここから3年間暗黒の時代を過ごすことになるのは必定である。
今まで見たことがなく、本当に存在していたのかと内心の驚愕を表情に出さないように必死に努力しつつ、続く言葉を待っていた。
「こう……なんというか、ボクはコロッケとそば両方とも好物なんだよね。だからこの二つを組み合わせたら最強に美味しいんじゃないかって思ってさ」
「
「そうそうそんな感じ、だからコロッケそばを頼むのは必然だったわけだ」
コロッケそばさんがやれやれとかぶりを振った。まだ名前も知らないし、コロッケそばとボクっ娘という特徴しか捉えられていないから仕方がない。内心でそんなあだ名をつけるも、当然彼女が気付くはずもない。
「そんなわけでコロッケそばを食べて見たんだけど、すぐに期待外れだとわかってしまったんだ……あれ、凄い勢いでコロッケがつゆを吸い込んでいくんだよね」
「へー、それは残念でしたね」
そうやってなんの感情も篭ってない相槌を打ちつつ、はじめの言葉との矛盾に首を傾げる。
それはおかしいのではないか、これだとコロッケそばを好きになる理由がないのではないか?
「コロッケそばが好きなんですよね?」
「うん、好きだよ」
「でも期待外れだったんですよね?」
「残念ながらね」
「……矛盾してるじゃん」
その言葉を聞いて待ってましたと、彼女はニヤリと笑みを浮かべた。チッチッチッと指を振りながら、ちょっとだけ周りを見渡して、席の主がいないことを確認し前の席についた。
「嘘はついてないよ。考えたんだ、なんでこのメニューがあるかって。そして一週間ぐらいかけた結果ようやく一つ思いついた」
「だいぶ時間がかかってるけど」
「答えが見つかったからいいの! 見つからなかったら無駄だったけどね」
そういうと指で空をなぞり始めた。多分文字なのだろうけれど、何を書いてるのかこちらからは全く判別がつかない。
「要するにボクの食べ方が間違っててさ、美味しく食べる方法が他にあったんだ――ってね」
「へえ、じゃあ正解はどういう食べ方だったんですか?」
「ところが残念なことに、それがまだ見つけられないんだ」
「……は?」
拍子抜けの言葉。冗談かと思ったのに特に答えを変える様子もなく。なぜか自信満々にない胸をえへんと張っている。顔は勝てないけれど、胸と背だけなら勝てそうだ。
「……じゃあなんで好きなんですか?」
「ボクの知らないところにきっとものすごい食べ方があるはず。その期待がボクをコロッケそばに進ませるんだ、そうやって冷静に考えてみれば可能性の塊だよ、コロッケそばは」
試したコロッケそばをずらずらと並び立てるのを聞き流しながら、冷静に俺は何をやってるんだろうと考えていた。
入学式に名前も知らない女の子からコロッケそばについて延々と語られるというシチュエーション、言葉にしてみると訳のわからなさが増してきて、思わずフッと笑みを浮かべた。
狂人の戯言か、夢だろうと言われかねないだろう。でも悪夢ではなく、いい夢なのは確かだった。
そばの食べ方を語る声が途絶えていることに、ふと気付く。どうしたのだろうと伺うと、上手くいったとばかりに満足げな笑みを彼女は浮かべていた。
「やっと笑ってくれた」
「え?」
「心配だったんだ。これから入学式だっていうのにずっと無表情で、これから肝試しかってぐらい暗かったからさ」
「だから自分に話しかけたの?」
「そ、もう緊張はほぐれたかな。今の顔のほうがずっとよく見えるけど」
静かに頷いた。別に緊張してたつもりはないが、そう解釈してくれるならそれでいい。
自分としてはちゃんと内面に隠してたつもりだけれども、周りからしてみれば隠しきれてなかったらしい。
念のために頰を優しく数度揉みほぐす。
なんとなく閉塞感を突き抜けた気がした、欲しいものを見つけた気がした。
「別に……うん、大丈夫」
「ならよし! キミは可愛いんだから、笑ってなきゃ損だよ」
お世辞だろうと分かっていた、自分より彼女の方が可愛いのは確かだったから。でもそう分かっていたとしても心が弾むのは抑えきれなかった。
そんなちょろかったのは、多分入学式だから。
「今更だけど自己紹介しよっか――ボクの名前は及川 渚、キミは?」
「佐々木 玲、玲って呼んでくれていいよ」
「じゃあボクのことも渚って呼んでね!」
そう言いながら差し出した手を拒むことなく握る。自分よりも小さいけれど、柔らかくあったかい手。
一つ祈るは、願わくば彼女との関係が長く続かんことを。
「そういえばここの食堂にもコロッケそばがあるらしいんだけど」
「……自分は食べないよ」
「残念、仲間が一人増えると思ったんだけどなー」
そしてもう一つ願わくば、彼女がコロッケそばの美味しい食べ方を見つけられますように。