叶わない恋をしよう!   作:かりほのいおり

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0 昔話、あるいは夢

 

「それで、今日は何の要件で? 今のところ特に心当たりは無いんだけど」

 

 この場面になんとなく既視感を感じつつも、とりあえずの疑問を口にした。

 きっと何か話したいことがあったのだろうという適当な推察、行動には理由が伴うものだから。それがなんとなく、なんてことはあり得ない。

 ここに留まって、自分が起きるのを待ってまで2人で話したい事があった。今のところそれに心当たりは無いのだけれども。

 

「……ないっちゃないんだけど、最近少し気になってさぁ」

 

 躊躇いがちに委員長は口を開いた。

 

「ーーの事が好きなの?」

「……それはまた、突飛だなぁ」

 

 うまく名前が聞き取れなかったけれど、それが誰のことを指し示しているのか、想定していたかの様に自分の口は自然と動いていた。

 まるで過去の出来事を再現するかの如く、自然と。

 

「そこまでムキになる必要があるのかってことだろ?」

「まあ、ざっくばらんに言えば。学校のテストなんて正直どうでも良いし、結局大学受験に繋がらないならどうでも良くない?」

 

 そうまでして拘るには何か理由があるんじゃないか、あまりにもっともな質問。自分が校内のテストで勝ったところで、果たして何になるというのか。

 

 同じ土俵に登りたいんじゃないのか。

 なら僕は同じ土俵に立ってどうしたいのだろうか。

 彼女の気を引きたいのだろうか。何のために? 彼女の事が好きだから、なるほど、確かに理屈が通っているように見える。

 

 確かに自分が眼中にないということはわかっていたし、それに勝つことは唯一の現状を転換させる方法ではあるのだろう。

 

「まあ、プライドかな」

「?」

「ほら、自分が負けたら実質委員長が負けたようなもんだろ? なんとなく、それが許せないんだ」

 

 一瞬ぽかんとして、すぐにケラケラと笑い始めた。

 そんなに笑う事だろうかと思いながら、笑いやむまで待ちぼうけ。ひとしきり笑ったあと、涙を拭きながら委員長は口を開いた。

 

「ほんと、久しぶりにこんなに笑わせてもらったよ。勝手に代理人とか全く自惚れすぎだよ、君。1人で勝負を挑むのは良いけれどさ、私まで勝手に負けたことにしないでくれ。そもそも私なら絶対勝ってるからね」

「そう言いながら世界史で負けてた人はどこの誰でしたっけ?」

「それはそれ、これはこれ。注力してたら君に負けるはずないだろう?」

 

 すぐさまそれを否定できないのが辛いところだった。委員長が世界史の方へ転がり込んでいたら、確かに自分も彼女も勝てなかったかもしれない。

 

「覚えた事を忘れない力とかがあったら便利だろうな、そしたら色々やれそうな気がするのに」

 

 誤魔化すかのようにたわいもない空想を昔の自分がしていたけれど、それを本当に得ると知ったらどう思うのだろうか。

 

「そうかな、意外と使用する意図が限られてると思うけど。確かに日常生活は便利になるかもしれないけれどさ、忘れられないって事もしんどいんじゃない?」

 

 委員長は意外と現実的な思考をしていた。

 そうある自分からしてみると、本当だろうかと怪訝な顔をしてる自分に肩入れするよりも、彼女の言葉に一理あると認めざるを得ない。

 色褪せない記憶を持てる事は幸福かと言われると、実際便利ではあるのだけれども、幸福であるとは断言できない。

 幸せな記憶というものは、何となくそうだった気がすると後から曖昧な記憶で補完されたものが大体の確率を占めている。

 全部が全部覚えてしまえるのならば、それは事実の羅列になってしまう。

 

 その時にどう思ったのかを決めるのは、その時に見た自分ではなく、その情報を得た今の自分なのだ。

 経験からして自分はそう思えるけれども、その時の僕は当然ながらそこに至るはずもなく表象をなぞるに止まっていた。

 

「……確かに嫌な記憶を消し去れないのはやっぱり辛いもんか。嫌な記憶は楽しかったことより覚えてるもんだし、それが経験する回数が嫌なことの方が多いって事なら、マイナスの方をより沢山抱え込んでしまうって事だもんなぁ」

「それを補うための能力があったら多分ずっと便利なものなんだろうけどね、例えば忘れたい事を忘れる能力とかさ」

「委員長、それはちょっと怖いところに踏み込んでないか?」

 

 高校生らしい柔軟な発想だけれども、いくらか危険な色を孕んでいる事にその時の自分はちゃんと気づけているようだった。

 普通を1から0に進む事だとするならば、覚えたことを忘れないということは1から1へ永久に保持するという事。

 じゃあ忘れたいことを忘れる能力と言うものは?

 1から0へ進む事だろうか? しかし、それは普通と何ら変わりないだろう。

 

「忘れたいことを忘れるってさ、あったことを思い出そうとしても思い出せないって事なんじゃないか? 思い出せない記憶は存在したと言えるのか?」

 

 多分、1から「 」という空白に変わる事なのだろう。

 それは果たして幸福と言えるのだろうか。プラスだろうとマイナスだろうと、積み重ねたものを消してしまえるのは良い事なのだろうか。

 

「例えばめちゃくちゃ記憶力が良いって前提の上で、その能力を持っているとするのなら、絶対その空白に気付くだろ」

「なるほど、なくなった記憶に気付いてしまうのなら、その空白にどんなものでも詰め込んでしまえるか」

 

 楽しい事を忘れようとはしないは必然で、空白があったのならばそれは嫌な事があったと決めてしまえる。

 その空白に何があったのかもう思い出すことはないのだけれども、そこに当てはめる正解が自分の中に存在しないというのはきっと辛い事だろう。

 

「良い案だと思ったけどダメか、忘れた事を忘れる能力なんて都合の良いものがあればなー」

「もうそこまであったら何でもありだろ、どんなびっくりドッキリ人間だよ」

 

 会話の一瞬の途切れ。

 何かを言おうとする委員長の切先を制して立ち上がる。やたらと大きな音を立てた椅子に少し驚いたのか、びくりと肩を震えるのが見えた。

 

「話したいことは終わったみたいだし、そろそろ帰るか」

 

 返事も待たずに荷物を持って歩き始める。先ほど開けるのを試みて失敗した前方ではなく、今度は後方の扉へと向かう。

 

 先ほどとは違い抵抗もなく扉が開いた。

 わかって仕舞えば単純なトリックだ、警備員が室内に人がいないことを確認しないで、閉めるはずがないのだから。教室内に生徒がいれば声をかけるだろう、しかし起こされることはなかった。

 つまり、鍵をかけたのは警備員ではない。

 

 そして、内側から教室の扉は施錠できない事を考えると、出入りできる扉の内、片方しか施錠する事ができない。

 しかし、どちらとも閉まっていると錯覚させるのは簡単な事だ。まずは片側の扉を試させて閉まっている事に気付かせる。

 2分の1、しかし単純な確率かと言われたらそうではないだろう。

 

 自分の後ろに位置取ってしまえば、わざわざ委員長の横をすり抜けるより遠ざかるように動く確率のほうが高いのだから。

 あとは手頃なタイミングで嘘を吹き込むだけだ。

 警備員に鍵を閉められてしまった、だからここで少し話していこう。

 全く、本当に素晴らしい手口。

 

「それじゃ委員長、施錠は頼むよ」

 

 振り返り、声を投げかける。

 意図して密室もどきを作った彼女は、ひらひらとこちらに手を振るばかりで、立ちあがろうとはしなかった。

 

 1人で校舎を出て、帰路を行く。

 もう夢の中だと気付いていたのに、逸れることを試そうとしなかった。

 逸れようとしても無駄だからだろうか、それともこのまま進めばもう1人会える人がいるとわかっていたからだろうか。

 

 線路沿いを連なる街灯辿って駅へ向かう道。

 その途中にある自動販売機の前に人影が見えた。

 何を買うのか悩んでるのか、蛍光灯に照らされた横顔だけが見える。

 

 足音に気付いたのだろう、こっちを振り返ると無言で彼女は頭を下げた。

 

「また明日」

 

 そう言って横を通り過ぎる。

 昔の自分とは違い今ならば話しかける選択もあったかもしれないけど、その時は確かにそうしたはずだった。

 

 この夢が終わって仕舞えば、もう来ない明日のことになるのに、その台詞を選んでいた事が何だか皮肉なことのように思えた。

 

『ーーの事が好きなの?』

 

 脳内に、さっき聞いたセリフが蘇る。

 委員長はなぜあんな質問をしたのだろうか。

 深く考える必要がないとわかっていたとしても、考える。

 

 どうしてそこまでするのかと気になったから。

 そこから一歩踏み込んで、気になったとして、彼女は何故それをどうして放置しなかったのか。

 あくまで他人のことなのに、それを確認しなきゃいけない理由があったとでもいうのだろうか。

 

 今なら分かるような気がした。

 でも、その時の自分は考えようともしなかった。

 薄々気付いていたけれども、考えたくなかった。

 

 その距離感でいいと満足していた。

 絶妙な塩梅で成り立った関係を、自分勝手に崩してしまう事に恐れていたから。

 今と同じように、昔の自分も変わってなかったからこそ。

 だから、自分も委員長も動こうとしなかった。

 

 自分は、及川 渚にその影を見ているのかもしれない。

 あの日見た夢を追いかけたいがために、そこに立っているのではないか。

 彼女のことを好きというのは、そういう事なのではないだろうか。

 

 その考えから逃げるかのように、昔の自分は走り始めた。

 その時の自分が何を考えていたのか、もう自分にはわからない。

 

 きっと夢が覚めるのも近いのだろう。

 願わくば夢から覚めたら全部忘れてしまえたら良いのに。

 忘れたことすら忘れてしまえばいいのに。

 

 自分が彼女の事を好きな理由が昔の思い出を追っているだけだなんて、そんな事を認めたくなかった。

 否定するために、その思い出も全部消して仕舞えば良い。

 

 全部消したあとに最後に残ったものは、確かに純粋な気持ちに違いない。

 

 最後に何が残るか、疑う気持ちはかけらもなかった。

 

 ●

 

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