「……」
今、私は大学で講義を受けている。受けているのだが、今日ばかりはスクリーンに映し出される文字列を律儀に全て書き写す気にはなれなかった。
時刻は昼前、この講義が終われば昼食の時間。私は蓮子ほど食い意地が張っているわけでは無いが、食べるのが嫌いなわけでは無い。ましてや今日のように何時もとは違う場所で食べるとなれば、尚更。
講義終了のチャイムが鳴る。他の生徒が話しながら片付け始めるのに先立って、私は講義室を後にした。同時にデバイスで大学周辺の地図を表示する。
そのまま足を止めずに講義室をいくつか通り過ぎ、入り口から最も近い講義室に入る。講義を受ける訳ではない。ここでは蓮子がさっきまで講義を受けていたのだ。
「んあ、メリー?どしたのここに顔出すなんて」
「どうしたって、言ったでしょ?今日お昼食べに行くって」
「そんな事もあったわねぇ。ウチの近くに出た喫茶店だっけ?」
蓮子の言う通りである。数日前、大学の近くに新たに喫茶店が出来たのだ。そこは割と本格的な食事も出来るようで、美味しいと周りで評判だった。そこで私も興味が湧き、放課後に何度か立ち寄ったのだが全て入れず。
そこで私は人の少ないであろう平日の昼時に大学近くという事を利用して食べよう、という事だった。
「ええそうよ、だから早くしないと置いていくわよ?」
「それは置いて行きながら言うものじゃないわよ…。メリーも何だかんだ乙女ねぇ」
「そう?」
「今どきの流行りに乗っかる様子はそれはもう乙女って感じよ」
私がそうなら全くそんなものに流されない蓮子はもう老婆レベルなのだろうか。それはともかく、足早に大学を出た私達は表示した地図を頼りに目的の店を探す。多少時間が掛かっても幸い次の講義は空きだ。蓮子がどうかは知らないけども。
「あ、アレじゃない?」
蓮子が指差す先には確かに、見覚えのない喫茶店が営業していた。店内を見た限り、まだほとんどお客の姿は無い。
「よし、セーフね。早く行くわよ」
「おっと、メリーったら張り切るわねぇ。そんなにパスタ食べたいの?」
「人並みには食欲はあると思ってるわね」
思わず蓮子の手を引いて急かしてしまったが、よもや食い意地が張ってると思われていないか多少心配である。
ともあれ無事店内に入り、店員の案内で隅の方の席に座る。置かれたメニューを見てみると、確かに喫茶店というよりレストランと言ったほうが良いかも知れないメニューが並んでいた。
中でも種類が多いのが、パスタ。基本的なものからオリジナルなのか少し変わったものまで、他のメニューに比べて相当の数があった。
「んんー…パスタ多いわねぇ」
「そりゃここで1番美味しいやつだもの。私はパスタにしよーっと」
蓮子はのんきに鼻歌を歌いながらメニューを眺めている。と、今蓮子は何と言った?1番美味しい?
「蓮子はここに来たことあるの?」
「ん?ええ。オープン日にこっそりーーあ」
「へぇ…」
蓮子がやってしまったとばかりに苦笑している。普段ならその顔に文句の1つでも言うところだが、こうして来れているので今回は不問にする。何か知らないスイーツでも食べてたら別だが。
「というかここ…どう注文するの?特に運んでる人とか居ないけど…」
見る限り、奥の厨房らしき所で料理している人と入った時に案内してくれた人以外、店員らしき姿は見られない。案内してくれた人も、お冷やを置くと厨房に戻ってしまった。
「ここはねー、注文も運ぶのも機械になってるのよ。タッチパネル式のやつね」
言われてみれば、確かにテーブルの隅に端末が置かれていた。起動すると、低めの電子音と共にメニュー一覧が表示される。私は少し悩んで、カルボナーラを選んで端末を蓮子に渡す。
「お、メリーはカルボナーラね。私はんー…アラビアータで」
「パスタ推すわねぇ」
「そりゃ美味しいからね」
流石に慣れた様子で端末を操作してテーブルに戻す。あまりこういったタイプの店は見たことが無い為、少し新鮮に感じる。
とは言えお客以外に殆ど人の声が聞こえないというのは、やはりどこか落ち着かないもので。
「…話しづらいわね」
「あらそう?メリーはもっと騒がしい方がお好み?」
「そうじゃないけど…私達以外にあんまり人もいないし、多少の喧騒は必要だわ。食事の時くらいね」
私が慣れていないだけかもしれないが、どうにも音が少なくて逆に耳が痛い。厨房から料理の音でも聞こえてくればまだ良かったのだろうが、あいにく見えるだけで音は聞こえて来ない。
「大体学食で食べてるものねぇ。お、来た来た」
小さく、機械の駆動音が聞こえて。私達のテーブルの横に、パスタの皿が置かれた台車の様なものがひとりでに走ってきて横付けされた。
「こんな風になるのね…確かにハイテクだわ」
「そして食べたらお皿と一緒に支払いもしてお会計も終わり。科学の進歩した側面ね」
パスタの皿を取りながら感嘆する。メニューが多いのは極力人を調理に回したから出来た事だろう。確かに効率的ではある。いや、私の落ち着かなさもその弊害と考えると複雑ではあるけれど。
「ま、今はパスタを楽しむとしましょう?メリーは講義が無くても私はあるんだから」
「あら、なら食べて先に戻っててもいいわよ。私は読書する時間になるし」
「えー、メリーひどーい」
「冗談よ」
改めて、カルボナーラに向き直る。ここのものは卵があるタイプの様で、黄色い麺と白い卵が綺麗に整えられている。テーブルに備えられていた黒胡椒を取って軽く振りかける。以前多めに振って痛い目を見たので様子見だ。
最初は卵を割らずに、フォークで麺を巻き取る。目の前で思い切り頬張っている蓮子に苦笑しながら口に運ぶ。
「ん、美味しい…!胡椒かけなくても良かったかも」
出来立てな分ソースがよく絡み、味が濃いめでしっかりとしている。黒胡椒はほのかに味がするものの、全体の味に少し押されている感じだ。
今度は卵を割ってみる。半熟の黄身が広がっていく上に、追加で黒胡椒を少し多めに振りかけ再び巻き取る。
「うん、うん…コレも良いわね」
黄身が追加されてややまろやかになった所に黒胡椒がアクセントになってとても美味しい。確かに人気が出るのも頷ける様な味だった。
「メリーも良い顔するわねぇ」
「え、そんな顔してた?」
「それは美味しそうな笑顔で食べてましたわ」
「…美味しいからね、当然よ当然」
くすくす笑う蓮子に少しかちりときて、蓮子の皿からアラビアータを少し強奪する。
「あ、ちょっと私の!」
「対価よ対価。私の笑顔はタダじゃないのよ」
そのままアラビアータを口に運ぶ。トマトの酸味が効いていてこっちも美味しいが。
「…ちょっと、辛くない?」
「そう?メリーのカルボナーラがまろやかすぎるだけじゃない?」
そういう蓮子もカルボナーラを勝手に巻き取って食べていた。これ以上取り合うのはやめにして、カルボナーラを口に運ぶ。粉チーズとかをかけても良いかも知れない。あまりかけすぎるとその味しかしなくなるので普段はあまりそう思わないのだけど。
それくらい美味しいって事かしらね、とぼんやり考えていると、もう完食したのかフォークを置いた蓮子が口を開いた。
「そうそうメリー、今度お花見にでも行きましょう!」
「…また突然ね。もうそんな時期じゃないと思うけど?」
「だからこそよ。満開の時には出来なかったからね、咲いてる内にってね」
「そうねぇ…枯れてしまったのも風流と言えばそうだけど、やっぱり咲いている内が良いものね」
そんな事を言っている内に私も食べ終わってしまった。未だテーブルに横付けされた台車にお皿と一緒に代金を置く。するとそれを認識したのか、2人分の皿と代金を載せた台車は1人でに厨房まで走って行ってしまった。
「さて、食べ終わったし出ましょ出ましょ。何気にそんな時間も無いしね」
頷いて、蓮子に連れ立って外に出る。確かにとても美味しいところではあったが、やはり静かすぎる気がする。また食べたいと思った時があれば、蓮子を連れて来るくらいが丁度いいだろう。
「静かすぎたって顔ねぇ」
「人の心を読まないで…。まあそうね。騒がしいのは好きじゃないけど、あそこまで静かだとね。あそこまで静かなのは、図書館かよっぽど仲のいい友達といる時くらいにしたいわね」
「ん、それじゃ私といる時は?」
歩きながら、蓮子が振り返る。ふむ、蓮子といる時はまあ、大体は。
「いつも蓮子が騒ぐから、論外ね」
「ちょっ…流石に酷くないかしら!?」
頰を膨らませる蓮子に小さく笑って、私は蓮子の前に出て足早に歩く。このまま蓮子をいじるのも楽しそうだが、それでは蓮子が講義に遅れてしまう。
「それは悪うございましたわ。早くしないと遅れるわよ。もし遅れたらお花見の件は白紙にしますからね」
「ぬぬ…分かったわよ!じゃ、また後でね!」
こちらに向かって小さく舌を出しながら、蓮子は見え始めた大学へ駆けて行った。それをゆっくり追いながら、私は少し、考えを巡らせる。
……蓮子といる時、ね。
友達と呼ぶには関わりすぎている気もするし、それ以上かと聞かれれば首を横に振らざるをえないだろう。でも、ただの同じサークルのメンバーとして纏めるのは何だか釈然としなくて。
ーー私にとって蓮子は、どんな存在なのだろう?
大学へ向かっていた足に、踵を返す。どうせなら、喫茶店でゆっくり考えてみようか。どの道すぐ答えが出るようなものでもあるまい。
「…お花見の予定も、決めとかなくちゃね」
私は1人、桜の散り始めた道を歩くのだった。
【NEXT】
「月というより貝みたいな形じゃない?」
「貝より月の方がロマンがあるでしょ?」
「月が食べられるなんて、凄い時代になったものね」
「焦げ目ついてるけどね」
【次回 桜花の下のクロワッサン】
お楽しみに〜