「フラン…その人間は?」
「雨宿りだって!はいパチェ、借りてた本!」
図書館の中はわずかに埃っぽく、それでいて高い本棚の並ぶ、図書館というより本の倉庫とでも言えるような場所だった。
その一角に備えられた小さなテーブル、そこで眠たげに本を読んでいた少女が、こちらを見るなり眉を寄せて尋ねる。それを軽く答えて、フランちゃんはパチェ、と呼んだ少女の方へと駆けて行く。私もそれについて少女の元へと向かう。
「クッキーもあるから一緒に食べましょう!」
「そうね、レミィ達に呼ばれるまでまだ時間があるようだし…」
「あ、これを…」
私は手に持った紅茶とクッキーをテーブルに置く。そこで、彼女のそばに同じカップが置かれている事に気づいた。
そういえば、メイドさんは紅茶はすでに届けたと言ったはずだ。ならなぜ紅茶まで持たせたのか…ぼんやりと考えていると、背後から物音がした。
振り向けば、立派な椅子がその場に鎮座していた。少し躊躇してから、腰掛ける。
それを見て、少女はクッキーに手を伸ばす。その目は常に眠そうなままだ。
「多分、その紅茶は貴女の分ね。あの子はたまに抜けてるところがあるから、言いそびれたのかしら」
ならばまぁ、私が飲んでも問題はないか。ひと息ついて、紅茶を口に運ぶ。私が普段飲んでいるような、穏やかな甘味が口に広がる。
「私は次の本を選んでくるわ!すぐ戻ってくるからー!」
「ええ。こあに聞けば何がいいか教えてくれる筈よ」
そう言ってフランちゃんは背中の羽らしきものをぱたつかせ、本棚の向こうへと消えていってしまった。残されたのは少女と私。
「……」
「……」
沈黙。静寂。
何を話していいか分からずその場に固まる。少女は先程フランちゃんから渡された本を数回捲り、それから小首を傾げてこちらに言葉を投げかけた。
「そういえば、ここの前で何か教えてもらうとか言ってなかったかしら?」
「ええと…その本、本物じゃないようなので、なんでそんなものがあるのか聞きたくて…」
「この本は…鈴奈庵のとこのね。期待されてあれだけれど、これを直接買ってきたのは咲夜なの。何か適当に本を見繕って来るように頼んだのは私だけどね。だから、知りたいなら咲夜に聞くのが良いわ」
「咲夜…さん、ですか」
「ええ。咲夜はメイド長…この館全般を取り仕切っているし、背も高いから、見れば分かると思うけれど。クッキーを持って来るように言われたでしょう?」
「あの人が…」
「ええ、そうよ。この館で唯一の人間よ。もっとも、まともな人間かと聞かれれば、そう答えて良いかは分からないけれど」
「唯一、の…」
フランちゃんもお嬢様とやらも、人間でない事はうすうす分かってはいた。けれど目の前に座る少女は、どうにもそういった雰囲気が見られないのだ。
「そうよ。私も人間じゃあない。私はそうね…
───捕まえた人間を調理して食べてしまう魔女、といった所かしら?」
「……」
何故か少しどや顔気味に告げる少女に対してなんと言っていいか分からず、私は静かに目線を逸らしてクッキーに手を伸ばす。かじったクッキーは塩気が効いていて、口の水分を持っていかれる感じがした。
咳払いの音が図書館に響く。少女は涼しい顔でクッキーを手にしてもそもそと口に運んでいる。
「…とにかく、私は良いけどレミィとフランは、本当に調理して食べかねないから注意する事ね」
「はぁ…」
少女の顔は心なしか赤いような気がしなくもなかった。
重々しく、ドアの開く音がした。次いで、すぐ近くに人の気配。
「失礼します。パチュリー様達を呼んでくるようにと」
「ああ、もうそんな時間なの。フランは…いえ、言わなくても分かるわ」
言葉と共に、フランちゃんが本棚の上からひょこりと顔を出してみせた。その様子を微笑むような表情で見ながら、メイドさん…咲夜さんだったか、彼女は手早くカップを回収していく。
「では行きましょう。お嬢様がお待ちですわ」
咲夜さんの言葉に従って、私達は図書館を後にした。
▼▼▼
そして、やって来たるは元の部屋。テーブルには私とフランちゃん、お嬢様に眠たげな少女。加えてお菓子を並べる咲夜さんの姿がある。
卓上には大量のお菓子に飲みものが並べられ、フランちゃんはそれらに目を輝かせている。
「パチェが1回呼んでくるなんて珍しいわね」
「断っても何度も来るからでしょう。別にお茶するのは嫌いではないし」
「あんまり甘いものばっかり食べると太るわよ?」
「私はレミィと違って本を読んでカロリー消費してるから平気よ。レミィこそ毎日食べている割にどこにも栄養はいっていないようだけれど」
目の前では何やら不穏な言い争いが繰り広げられているが、関わると何やらよろしくない気配がするので沈黙を決め込む。私は蓮子と違って慎重派なのだ。
隣には咲夜さんが控えている。だがその顔は笑いを堪えているような、なんとも言えない表情だった。
私の目線に気づいたか、苦笑して軽く頭を下げてくる。
「お二方はいつもあの調子ですので、ご理解いただければ助かりますわ」
「はい…あの、」
「何でしょう?」
「あの人に頼まれて買ってきたっていう本の事を聞きたくて…」
私が指をさすと、咲夜さんは少し考え込む素振りを見せ、
「あの本は…私が直に作成を依頼したものです。本当は原本を持ち帰るつもりだったのですが、店主の方がどうしても駄目だと言うので、同じ物を書き写して頂いたのです」
「どうしてもって…そんなに貴重なものでは」
「外の世界の本は、中々入っては来ませんから。それに店主の方が言うには、外来人の方から頂いた特別な本だと。何にせよ、アレは貴女様からすれば偽物、という風にはなってしまいますが」
目の前から咲夜さんの姿が消える。視線を巡らせれば、私の隣の椅子に腰かけた咲夜さんはテーブル中央に置かれていたタルトを切り分けて食べていた。私の前にも同じものが置かれている。
咲夜さんに目線で促され、タルトにフォークを通して口に運ぶ。タルトは口溶け良くすぐに口の中で形を失っていく。
「…!」
タルト自体は、ごく普通のカスタードだ。けれど濃厚なクリームとクッキー状の生地の相性が、今まで食べたタルトよりも断然美味しく感じられる。
「気に入って頂けたようで何よりです」
気づけば私の皿にもうタルトは残っていなかった。言い争っていた2人もきょとんとした顔でこちらを見つめている。そんな顔をされる程がっついた覚えはないのだが。
「咲夜の作るお菓子は全部美味しいんだよ!」
フランちゃんが羽をぱたつかせながらタルトを頬張る。こぼれて口の周りについたタルト生地は、すぐにお嬢様の手で拭われる。
その光景が微笑ましくて、私は少し笑みを漏らす。人間でないとは言っていたけれど、この様子を見る限りはただ仲睦まじい姉妹にしか見えないものだ。
「2人は仲がいいんですね」
「ええ、それはもう。以前には喧嘩もありましたが、今ではすっかりあの様子ですわ」
「あの2人が喧嘩すると大変なのよ。フランは館に穴を開けるしレミィは顔真っ赤にして家出するし…」
「ちょっとパチェ、聞こえてるわよ!」
いつの間にか少女の背後に回り込んでいたお嬢様が、少女の後頭部に手刀を振る。鈍い音が響き、少女は「むぎゅっ」という独特の声を上げて机に突っ伏してしまった。
「全くもう…そんな昔の事を客人の前で言うことないでしょ」
「お姉さま、顔真っ赤だったの?」
「そんなわけないでしょ!」
フランちゃんの言葉にそれこそ顔を赤くして反論する。誰が見てもバレバレな対応だが、咲夜さんの口に指を当てるジェスチャーに従って、余計な口出しはすまい。
「ねぇメリー、雨止んでるよ!」
「…あ、いつの間に」
窓から微かに見える空は青く雲ひとつない。どれくらい時間が経ったか分からないが、そろそろお暇するべきだろう。行くあても無いが、夢なら何とでもなるだろう。
「じゃあ、私はそろそろ…。色々ご馳走さまでした」
「門までお送りいたしますわ」
「私も行くわ!」
私の言葉に咲夜さんとフランちゃんが立ち上がる。お嬢様は突っ伏した少女を抱えて何処かへと出て行った。
長い廊下を、3人並んで歩く。なんだかいつもより疲れた気がするが、まぁこの程度の振り回され方は良くあることだ。
「メリーともっと話したかったなぁー」
フランちゃんが拗ねたようにぼやく。人付き合いがそこまでないせいか、こういう時に何を返せばいいか分からないのだが…。
「んー…次、また会った時にはもっと沢山話しましょう?私も、何か話せるようにしてくるから」
「本当?また会える?」
「きっとね」
「じゃあ、その時までにメリーが驚くような話を用意するわ!」
目を輝かせてぴょんぴょん跳ねるフランちゃんを見て、私は咲夜さんと顔を合わせて微笑んだ。
「そういえばお客様、名前を伺っていませんでした」
館の前にそびえる門まで来て、ふと咲夜さんが口を開いた。フランちゃんは何故か館の入り口までで、やや名残惜しそうに手を振っていた。
「えっと、メリー…マエリベリー・ハーンです」
「…ではハーン様、これを」
手渡されたのはクッキーの袋と、時計のマークが彩られた紅い細長いもの。感触からして栞だろうか。
「その栞を門番に見せていただければ、いつでも通すように言っておきます。どうぞいつでもお越しくださいませ」
「あ、ありがとうございます…」
…次はいつ来れるかなぞまるで分からない訳だが、そんな状態で貰っても良いのだろうか。いや、そもそも夢では無いのか、これは。
「私はこの紅魔館のメイド長、十六夜咲夜といいます。もしその栞を
お忘れの際は、私の名前を出して頂ければ」
「えっと、でもいつ来るかなんて私…」
「構いません。ハーン様が図書館に向かう時、お嬢様は貴女に興味がおありのようでした。そしてまた、ハーン様と会うだろうとも」
「はぁ…」
「お嬢様がそう言ったのであれば、
そう微笑むと同時に、門がゆっくりと開いていく。
お嬢様がそう言ったのならば、そうなる。
一体どこに根拠があるのかはまるで分からないけれど…きっと彼女は、お嬢様を信じているのだ。何事でも揺らがない位の、絶対の信頼を。
それが、なんだか少し、羨ましくて。
私は僅かに目を伏せて、紅の館を後にした。
▼▼▼
───そこから先は、よく覚えていない。
次に気がついた時には、私は自分の部屋で夢うつつの状態で目を覚ましていた。
「……夢…?」
随分と、長い夢だ。乱れた髪を軽く整え、時計を見やる。
いつもより遅い起床時間。今日は大学は休講の為、もっと寝ていても良かったのだが、目覚めたものは仕方がない。
遅い朝食でも食べようかと、部屋から重い足取りで出る。目の前のリビング、その中央の机に、見覚えのある袋が置かれていた。
「これ……」
夢で貰ったクッキーの袋。隣には、栞も置かれている。
「……」
また、これだ。夢で見たものが、受け取ったものが、現実にも存在している。
少なくとも起きている間に、私はこれを受け取った記憶はない。電子ロックの時代に他者の家に踏み込む人間などもいない為、誰かの悪戯でも無い。
───夢では、ないのか?
現物を目の前にして、夢だと思う方こそ、間違っているのだろうか?
頭が痛い。寝起きの頭では、上手く思考がまとまらない。
…とりあえず、蓮子に連絡してみようか。
いくら時間にルーズな蓮子でも、この時間なら起きているだろう。これなら絶好の活動のネタになりそうだとすっ飛んでくるかもしれない。
部屋に戻り、携帯端末を操作する。そのまま慣れた手つきで連絡を───
「……え」
見つめる連絡先画面に、蓮子の表示が、無い。
いくら見つめても、端末をどの様に操作しても、蓮子に通ずる手段は何も、残っていなくて。
「蓮、子…?」
私は、ついに訳の分からなくなった頭を抱えて、一目散に家を飛び出した。
<Incident>
「ど、どうしたのよメリー」
「……」
「大丈夫よ。蓮子さんに何かあるわけないでしょ?」
【次回 ターニング・ポイント】
お楽しみに〜
お楽しみに〜