「う……」
目を開ければ、視界に紅が広がった。
反射的に目を細める。いきなり自室の天井が真っ赤に染まっているとなれば穏やかではあるまい。
けれど、自室とは違う点が次々と出てくる。私が寝転んでいるのは自分のそれより遥かに肌ざわりの良いベッドだし、読みかけの本もテーブルも、本来ある場所には無く。
代わりに、ぽつんと置かれた椅子に腰掛け、ティーカップを傾ける小柄な人影があった。
「目は覚めたかしら?」
次いで、人影から声。ゆっくりと立ち上がり、近づいてくるその姿が段々と明瞭になっていく。それは、私が以前にほんの少しだけ会ったことのある人で。
「貴女は…咲夜さんの…」
「あら、覚えてくれていたのね。以前にココに来てからそれなりに時間は経っていたと思うけど」
そう言って、少女はコウモリの様な羽を揺らしながらくすくすと笑ってみせた。
「咲夜、いる?」
「ここに」
以前と同じように、少女は声を上げる。次の瞬間には、見覚えのあるメイドさんがトレイを持って隣に立っていた。
「紅茶を淹れてきてちょうだい、3人分。パチェは多分出てこないでしょうし、フランはまだ帰ってこないでしょうから、ゆっくりお願いね」
「かしこまりました」
そう言って、メイドさん…咲夜さんは、普通に扉を開けて歩いて行った。それを眺めていると、視界に割り込むように少女の顔が映る。
「ふーん…」
「…えっと、何か…?」
たじろぎながら顔を引くと、どこか少女は満足そうに頷いて。
「いえ、以前貴女を見た時に運命がよく見えなかったから、近いうちに死ぬんじゃ無いか、とか思ってたから。今はちゃんと見えるから、一時的なものでしょ」
「はぁ…?」
運命が見える見えないとは、また変な話を聞かされる気がする。確か以前に会った時、咲夜さんが妙なことを言っていた。お嬢様がそうなると思えば、そうなるのだと。
「そういえば、以前は名乗ってなかったわね。私はココ…紅魔館の主、レミリア・スカーレットよ。長いからレミィで良いわ」
「は、はい。ええっと、私は…」
「咲夜から聞いてるから平気よ。それより貴女、身体は平気?」
「身体…?」
言われて軽く身体を動かしてみるが、特に何かあるわけではない、いつも通りだ。そういえば何故私はレミリアさんの館のベッドで寝ているのか。
「ウチの庭で倒れてるのを、咲夜が見つけて運んで来たのよ。外傷なんかは特に無かったけど、念のためね」
「倒れてたって…」
「それで、運び込んだら雨は降ってくるし…。前に来た時も降ってなかったかしら?全く…」
レミリアさんが壁に備えられた小さな窓を指す。立ち上がって見てみれば、確かに小雨とは呼べないくらいの雨が降っていた。傘の類は持っていないので、また止むまで待つ必要があるだろう。
それよりも、1つ気になることが。倒れていたというのも気になるが、彼女が先程言っていた言葉。
「あの…」
「うん?」
「運命が見える、って…どういう事ですか?」
「言葉の通りよ。私は運命を視て、操る…それが出来るの」
そう言うレミリアさんの目は、今までより心なしか紅に深まっていて。吸い込まれそうになるそれから、ほんの少しだけ目をそらす。
「だから、見ようと思えば、貴女の運命も視えるの」
ゆっくりと、レミリアさんが立ち上がる。
「貴女の運命…未来で何処にいるのか、何をしているのか」
「───貴女が、誰と一緒にいるのかだって、ね」
「…!」
瞳に、覗き込まれる。レミリアさんは笑みを浮かべているけれど、その笑みがどこか現実離れしているような、そんな錯覚。
そうして目が合っていたのは、どのくらいだったか。扉をノックする固い音が響いて、レミリアさんはふいと私には背を向けた。
「ん、咲夜ね」
レミリアさんが声を上げた次の瞬間、テーブルには紅茶の注がれたティーカップとクッキーの盛られた皿が置かれた。
「咲夜、3人分って言ったじゃないの」
声がして、気付く。テーブルに置かれたカップは2つのみだ。咲夜さんは困ったように微笑んで、
「私もお嬢様達とのお茶会に参加したいのですが、パチュリー様に呼び止められてしまって。紅茶をお持ちしてからにいたしますわ」
そう言って、私にちらりと目を向ける。慌てて頭を下げると、咲夜さんは微笑みながら一礼して、再び部屋を出て行った。
「パチェ…ま、良いわ。とりあえず貴女も座ったら?前も食べたでしょうけど、咲夜のクッキーは美味しいわよ」
レミリアさんに促され、おそるおそる椅子に座り、クッキーを口に運ぶ。
以前に咲夜さんから貰ったクッキーを食べたが、それに負けず劣らずの美味しさだ。バターの香りが心地よい。
目を向ければ、レミリアさんも美味しそうにクッキーを齧っている。その顔は、今しがた私に向けられたものとは、やはり違っていて。
レミリアさんが言った、“運命が見える”というのは、本当なのだろうか?
馬鹿げたことだ、とも思う。けれど、もし本当なら。
知りたい事が、ある。本当ならば、私が目を覚ます前の不安を全て、解決出来る筈だ。
「…レミリアさん」
「何?」
「運命が見えるというのは、本当なんですか?」
私の問いに、彼女は少し不満げに眉をひそめた。
「そんな子供じみた嘘をつくような歳じゃないわよ、私は」
「す、すみません。…なら、ええと」
口が渇く。徐々に高鳴る鼓動を落ち着かせる為に、紅茶に口をつけて、息を吐く。
私の頭にちらつくのは、相棒の姿。
こんな事を口にしようとする私は、きっと蓮子の事が───
「…本当なら、教えて貰いたいんです。未来に私が、誰といるのかを」
レミリアさんは私の言葉に、今度は目を丸くする。
「…それは、貴女の恋路を私に教えろという事?」
「……はい」
認めるしか、無いだろう。私が蓮子に抱く感情。私の知る感情とはどれも違くて、それでもこんなにも、彼女の事を思ってしまうのは。
けれど、それを蓮子に直接打ち明けられる程、私は強くないのだ。だからこうして、目の前の少女の有るかも分からない力に縋っている。
レミリアさんから、答えはない。気まずい沈黙の中で紅茶を口につけていると、レミリアさんがやや伏し目がちの顔をしながら口を開いた。
「…私なら確かに、貴女の知りたがっている事は分かるわ。でもね…」
「貴女に、それを教える事は出来ないわ」
そう言われた時の私は、どんな顔をしていただろうか。
「出来ないって…」
「しない、と言った方が正しいかしら。貴女が誰を思い浮かべているかは知らないけれど…もしも貴女の望む人が隣に居なかったら、貴女はどうするの?」
「そ、れは…」
「それに、私は自分の能力を使うのは嫌いなの。運命を操れるからって、全て自分の思う通りにしてしまうのは、つまらないから」
ずいと、レミリアさんは顔を近づけて来る。その目は、また妖しく細められていて。
「ねぇ、貴女はその人のこと、好き?」
「…はい」
「まだその人は、手の届く場所に居る?」
「……はい」
それだけ聞くと、彼女はにっと笑ってまた席についた。そのまま上機嫌そうにクッキーを放る。
「なら、私なんかに頼らなくても大丈夫よ。届かなくなる前にちゃんと、自分の想いを伝えれば。…なんて、私が以前言われた事だけど」
「届かなく、なる前に…」
「そう、貴女なら出来るわよ。私やフランに会って、戸惑いはしても恐怖なんてまるで覚えなかった、そんな勇敢な貴女なら。
……ほら、雨が止んだわ。そろそろ、帰った方が良いんじゃない?咲夜に門まで送らせるわ」
いつの間に、雨は止んでいた。日の差し込む庭を、私は咲夜さんについて歩いている。
「ハーン様」
「あ、はい…」
「先程、お嬢様とお話されていた事ですが」
ぎょっとする。まさか聞かれていたとは思わなかった。私の反応を見てか、咲夜さんはくすくすと笑いながら、ゆっくりと門を開けていく。
「申し訳ありません。割って入るのは、気が引けたものですから。…微力ながら、私も応援させていただきますわ」
「…ありがとうございます」
門の外で軽く別れを言い合い、私は歩いていく。門から出た瞬間から、異常なまでの眠気に襲われる。今までの経験からして、ずっと立ち止まっていても気付いた時には家のベッドに寝ているのだろう。
けれど、私は歩みを止めない。目が覚めた時に、また歩いていけるように。私の大事な相棒に想いを告げる事を、躊躇わない為に。
想いを告げる事への抵抗や恐怖は、今はもう無い。レミリアさんとの会話で、確かに私は背中を押して貰った。
部屋を出る前に投げかけられた、最後の言葉を思い返す。
『運命っていうのは、自分で選ぶからこそのものよ。次に会う時に、良い報告を期待しているわ』
私の運命は、どうなっているだろうか。それを決める為に、私は歩くのだけれど。
───この想いを伝えられたら。私と蓮子との関係はどう変わってしまうのだろうか。
願わくば、良い方向に向かうように。私達がいつもより少しだけ先に、進めるように。
そんな願いを抱きながら、私の意識は急速に溶けていった。
<THE LAST EPISODE>
もう、後戻りは出来ない。
少しだけ、先に進めるように。
───そんな2人の、1つの終わり。
【次回 最終話 秘め封じられぬ、想いの果て】