晴れた日曜日。かぐやたち航空研究会の面々は、藤原家所有の飛行場にて、全員での活動を行っていた。
午前中は、エンジン整備の講習である。駐機場に停められた「豊美」のエンジンカバーを取り外し、ピストン抜きや潤滑油の交換、排気弁の掃除を行う。教官役の整備士の指示のもと、作業着姿の四人で、エンジンのイロハを学んでいた。
油の香りが漂う駐機場では、あっという間に時間が過ぎていった。気づけば太陽が中天に登り、合わせて全員の腹の虫が鳴り始める。
そろそろ昼食の時間だ。
♀♀♀
工業用石鹸で入念に手を洗い、こびりついた油を落としたかぐやたちは、飛行場近くの芝の上にシートを広げていた。飛行場を見渡せる、絶好のスポットである。日当たりも申し分ない。
「お腹空きましたねー」
もう待ちきれないという様子で、藤原が言った。言葉にこそしないものの、かぐやも似たような状況だ。飛行機のエンジンともなれば、整備作業も一苦労である。体は結構なエネルギーを消費しており、その分空腹感も強かった。
「腹が減っては何とやら、だな」
「人間も補給と休憩が大事ですからね」
白銀と石上も藤原に同調し、シートに腰を下ろす。腹ペコが四人集まれば、やることは決まっていた。各自昼食を取り出し、シートの上に広げる。
弁当箱を開ける藤原と、バゲットサンドを取り出す石上の二人は、いつも通りの昼食だ。
かぐやもまた、お弁当という点ではいつも通りである。だがそれは、いつものように四宮家専属の料理人たちが作ったものではなく、今朝かぐやが早起きをして作ったものだ。中身はサンドイッチ数種類と、付け合わせのポテトサラダ。少し多めに作ったのは、みんなで分けるため―――白銀に食べてもらうためである。
そして、今日の白銀はといえば―――
「会長、今日は弁当なんですか」
白銀が取り出した弁当箱を見て、先日の藤原みたいなことを石上が言う。白銀はこの前と同じように、弁当を持参していた。二つの弁当箱を、白銀はシートの上に並べる。
「会長のお弁当、おいしいですからね」
「はは、そう褒めるでない」
石上の褒め言葉に、満更でもない様子の白銀。石上は、白銀の弁当を見ても、それほど驚いている様子はなかった。
学年こそ違うが、非常に仲のいい航空研究会の男子二人である。昼食を一緒に取っている様子もよく目にする。白銀が時たま弁当を持参していることを、石上が知っていても、それほど不思議ではない。しかもあの口調だと、白銀の弁当を食べたことがあるようだ。
「あれ・・・でも会長、いつもより量、多いんじゃ?」
「あ、ああ、まあな」
手元を覗き込むようにしていた石上の指摘に、白銀がわずかに肩を跳ねさせた。その目がチラリと、かぐやを窺った気がする。
「
そう言った白銀は、弁当箱を開き、四人の真ん中に置く。中にはたくさんのおかず。この前と同じ、タコさんウインナーや卵焼き、野菜炒め。それに加えて、ミートボールと白身魚のフライ。
作りすぎたにしては、
かぐやはある種の確信を抱いて、白銀の顔を見た。澄ました顔でもう一つの弁当箱を開き、ご飯に箸をつけている白銀。特に明確に、かぐやの方を向かないようにしている、気がする。先ほどは、かぐやの顔を窺ったのに、だ。
決して「作りすぎ」ではない。白銀は最初からあの量を作っている。
それは何のためか。今のかぐやにはわかる。
ご飯を作る目的なんて、たった一つだ。誰かに食べてもらうためである。
―――会長も同じ、だったのかしら。
自分の弁当を取り出しつつ、かぐやは思う。白銀がかぐやを見た意味は、一体何だったのか。
白銀は、かぐやに食べてもらいたくて、お弁当を作ったのではないか。
―――なんて、都合がよすぎるわよね。
これでは、藤原と変わらない、お花畑思考だ。
かぐやは自分の弁当箱を開く。
「かぐやさん、いつもとお弁当違います?」
藤原が目聡く気づいて、尋ねてきた。
「ええ。今日は私が作ってみたんです」
「かぐやさんが!?手作りですか!?」
驚く藤原に頷いて、かぐやは弁当箱の中を見せる。
ブレッドを四分の一にした、小さいサンドイッチが、箱の中に並んでいる。厚焼き玉子、トマトとレタス、ベーコンとスクランブルエッグ、ハムとチーズ。色々な組み合わせで挟んだ、色とりどりのサンドイッチたち。
その量は、
「ただ、やはり普段やらないことですから。どうも勝手がわからず、
かぐやは笑って、白銀の方を見る。
「よかったら、皆さんも食べてください」
白銀のものと並べて置いた弁当箱を、三人が興味深げに覗き込んでいた。
「いただきまーす!」
「・・・いただきます」
藤原、次いで石上が、かぐやのサンドイッチに手を出す。藤原が取ったのはベーコンとスクランブルエッグ、石上はトマトとレタスのサンドイッチだ。
「いただき、ます」
そして白銀も、かぐやのサンドイッチを手に取った。たったそれだけの仕草に、軽く心臓が跳ねる。
白銀が選んだのは、厚焼き玉子のサンドイッチであった。かぐや一番の自信作である。
大丈夫だ、うまくできている。これまでの花嫁修業の、集大成といっても過言ではない、サンドイッチだ。早坂が言っていた通り、これで会長の胃袋を掴める、はずだ。
白銀が口を開く。薄い色の唇が、かぐやの作ったサンドイッチを咥えこみ、噛み切って咀嚼する。白銀はいつもの鋭い目のまま、ゆっくりゆっくり、かぐやのサンドイッチを噛み締めていた。
かぐやは、自らの顔の筋肉が強張っているのを感じていた。顔だけではない、正座した腿の上では両の拳を握り締めている。どれほどこの緊張感を解そうとしても、できなかった。
咀嚼を終えた白銀が、サンドイッチを嚥下する。ゴクリと動く首筋に、目が釘付けとなる。
「・・・うまいな」
白銀がわずかに口元を綻ばせた。目元をかすかに緩め、白銀は二口目を口に含む。心底おいしそうに呟いた声に、かぐやは全身の筋肉を弛緩させた。
―――よかった。
内心の安堵を顔には出さず、かぐやもまた、自らの昼食に取り掛かる。狙いはもちろん―――
「会長、タコさんウインナー、いただきますね」
「ああ、どんどん食べてくれ」
それは実にありふれた、弁当の交換風景であったはずだ。だがそれでいい。それで十分だ。
かぐやが作った弁当を、白銀が食べる。白銀が作った弁当を、かぐやが食べる。それだけで、これほど嬉しいのだから。
昼食終わりの、腹休めの時間である。
藤原は御手洗いに、また石上は最新の天気図を確認に行っており、シートの上には白銀とかぐやのみが残っていた。ほどよい満足感に包まれ、二人は雲量二の空を見上げる。
が、先ほどからかぐやはチラチラと白銀の方を窺い、声をかけるタイミングを図っていた。
白銀の喜ぶものを作る。早坂のアドバイスを、かぐやもまた真剣に考えていた。その答えがあのサンドイッチである。しかし、それが全てではない。いつでも奥の手を用意しておくのが、四宮かぐやという少女だ。
サンドイッチとは別にしておいた、小さなガラス瓶容器が一つ。後ろ手に隠したそれに、意識が向く。
だがそれを、どうやって白銀に差し出せばいいのか、わからない。作っていた時にはそこまで頭が回っていなかった、というのが実情である。
容器の中身は、言ってしまえばデザートである。だが、一人分しかない。それもそのはずだ、かぐやはこれを白銀のために作ったのだから。
―――一体、どうすれば。
仮に、そのままストレートに、白銀に渡したとしよう。
―――「ほう。四宮は俺のためだけに、このデザートを作ってきたのか?そんなに俺のことが好きか?お可愛い奴め」
そんな未来が見える。もはや告白同然の行為。
それだけはできない。一方で、白銀にこのデザートを食べてもらいたいのも、かぐやの偽らざる願いである。だからこそ、かぐやは悩んでいる。
一体どうすればいいのだろうか、と。
いつまでも時間をかけてはいられない。もうすぐすれば、藤原も石上も戻ってきてしまう。そうなっては全て水の泡だ。
かぐやは意を決して口を開く。どうしようもないことだが、彼女は彼女の知っているやり方しか、できないのである。
「会長、少し見ていただきたいものが、あるんです」
「?なんだ?」
こちらを向いた白銀に、かぐやは後ろに隠していた容器を差し出す。白銀の顔を見ることは、どうしてもできなかった。
「これ、デザートなんです。それで、よかったら、
一息に言い切って、容器を白銀に押し付ける。白銀の戸惑った雰囲気が伝わってきた。
「あ、ああ。わかった」
頷いた白銀が、蓋を開ける。「これは?」と問われる前に、かぐやは説明を加えた。
「ティラミスです」
容器の中には、かぐや手製のティラミスが入っていた。
チーズと生クリーム、コーヒーを混ぜたふわふわの生地に、ココアパウダーをまぶしている。アクセントには、砕いたアーモンドと、クッキー。三つに重ねたそれらの層が、瓶の中に綺麗に並んでいた。
朝思いついて、その場にある材料で作ったものだ。早坂のアドバイスで工程もいくらか省略して、それでもなんとか納得できる仕上がりとなった。当然、まともに準備などしていなかったから、できたのは今白銀に渡した分だけである。
小さな銀のスプーンで、白銀が瓶の中身をすくう。かぐやの積み重ねた層が、そのまま綺麗な形で、スプーンに乗って現れる。
パクリ。白銀はためらいなく、ティラミスを口に含んだ。サンドイッチの時よりもさらにゆっくりと、咀嚼している。時折、クッキーやアーモンドを噛み砕く、ザクザクとした音が聞こえてきた。
そして、それを見守るかぐやは、固唾を呑むことすらできなかった。
おいしいですか。お口に合いますか。甘さの加減はどうですか。そんなありきたりな質問すら、喉の奥から出てこない。何も問いかけることができない。かぐやはただじっと、白銀の言葉を待っている。
「甘い。でもって、うまい」
ティラミスを一口食べ終えた白銀が、微笑をたたえて感想を述べた。
かぐやの脳が、瞬時に沸点を超えて、突沸を起こす。頭から湯気が出るのではという錯覚。益々、白銀の顔を直視できない。
―――なに?どうしたの、私は?
それ以上その場に留まる勇気はなく、かぐやは腰を浮かす。顔の熱を冷ますために、走りたい気分だ。
「それ、一つしか、作れなかったんです。だから、藤原さんと石上くんには、ナイショですよ」
人差し指を唇に当て、白銀にそれだけ言い残してから、かぐやはその場を立つ。だがその背中を、白銀が呼び止める。
「四宮」
返事すら口から出て来ず、かぐやは半分だけ、白銀に顔を向けて応えた。
「卵のサンドイッチも、すごくおいしかった。―――よかったら今度、作り方を教えてくれ。家でも作りたい」
白銀の申し出に、言いようのない暖かさが、かぐやの中に広がった。
「―――はい、喜んで」
―――あなたのお願いなら、なんでも。
短く答えて、かぐやは今度こそ、その場を立ち去った。
―――本日の勝敗。かぐやの勝ち。
かぐや様的には、「味見」が精一杯だと思うんです。とっても奥ゆかしいので。
余談ではありますが、ティラミスにはちょっとした意味がありましてですね。結構大人な感じの意味なんですがね。かぐや様はもちろん知らないわけですよ。
ただ、早坂はもちろん、ティラミスの意味を把握してました。かぐや様が「ティラミスを作る!」と言い出した際、早坂はその意味を教えるべきか迷いましたが、面白そうなので何も言ってません。
白銀会長がティラミスの意味を知っているかどうかは・・・ご想像にお任せします。