【完結】The 5th Survivor   作:河蛸

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Chapter3
芽吹く脅威


「ゴーストが消えただと?」

 

 猛烈なドアの開閉音。微睡みから急速浮上し、ハンクが最初に目にしたものは、今にも泣き出しそうなしわしわ顔をした少女だった。

 銀髪の少女『LISA-001』は、鼻を啜りながら慟哭のように訴える。

 

「どこにもいないのっ! ごーすとがいなくなっちゃった! どうしよう、どうしようはんくっ! もっもしかしたら、たべられちゃったかも……!」

「落ち着け」

「ごめんなさい、わたしがたのんだの! ついてきてってたのんじゃって……! そしたら、そしたら……っ!」

 

 NESTは怪物で溢れている。たった一度の噛み傷で人を殺す化け物が、石の下の蟲塊のように巣食っている。

 そんな暗闇の中、ゴーストは消息を絶ってしまった。

 最悪の未来が脳裏を掠る。少女を絶望の真菌が蝕むには十分だった。

 

「いいか、まずは冷静になれ。ゆっくりでいい。深呼吸しろ」

 

 パニックで呼吸を荒くする少女と目線を合わせ、静かな口調で混乱を静めていく。

 手の動きでリズムを作る。少女は合わせて息を吸い、深く吐いた。

 幾度か繰り返すうち、頬の紅潮と吐息の乱れが、静穏へ溶けるように姿を消す。

 

「落ち着いたか?」

「……うん。ありがとう」

「よし。順を追って話せ」

 

 少女はたどたどしく経緯を綴る。

 

 手水へ行くためにゴーストへ同伴を頼んだこと。ほんの十数秒離れただけで返事が来なくなったこと。

 外へ出て探しても見当たらなかったこと。血の匂いはなく、()()()()()()()()()()()()()()

 

(……ゴーストが独断で消えたとは考え難い。一番高い可能性は奇襲だが、痕跡ひとつ残さず討たれることはない。ダクトが開放されていたということは……まさか、通気口に潜むプラント43のような怪物に攫われたか?)

 

 しかし、それでは説明できない部分がひとつ。

 

(『LISA-001』の生体探知が機能しなかったところが引っ掛かる。だからこそゴーストにも油断が生まれた。仮に怪物の奇襲を受けたのなら何故機能しなかった?)

 

 思い浮かぶのは、『L-adapter』の存在だ。

 少女の血液をもとに製作された人工血清。万人に始祖ウィルスの恩恵をもたらすことを目的としたものだったが、その実態はT-ウィルスと異なる禍々しい進化を与えるだけの不良品である。

 

 第一の特徴として、『L-adapter』によって生まれた生物は『LISA-001』のサーチに引っ掛からない。

 第二に、敵に罠を仕掛けるほどの高い知能を保持できる。

 

「――」

 

 だが、『L-adapter』で生まれた怪物は現状全て死亡したはずだ。

 猿はハンクが頭をふっ飛ばした。女研究者の成れ果ては、少女が首を刎ねて殺害した。

 記録上投与されたラットとウサギも処分済み。この世に『L-adapter』の系譜は存在しない。

 

(……まさか、な)

 

 脳裏に過る砂粒程度の可能性。

 あり得ない。流石のハンクも断言せざるを得なかった。

 

 ()()は首を刎ねたのだ。頸椎を見事に両断して、永遠の眠りを与えたのだ。

 生きていられるはずがない。圧倒的不死性を誇るタイラントシリーズでも、中枢神経を破壊すれば間違いなく死ぬ――それは紛れもない事実なのだ。

 

 もし生きていたとしたら、それは生物と呼べるだろうか?

 

(まぁいい。現状、失踪原因を特定する要素がない。考えるだけ無駄だ。思案すべきは、ゴーストを捜索するか否か)

 

 広大な危険区域へ再び戻り、既に死んでいるかもしれないゴーストをわざわざ捜索するのは、ハンクにとってリスクしか孕まない。

 普通は遠慮なく切り捨てているところだ。これからGウィルスを回収して、少女と共に脱出するだけなのだから。

 

「はんく」

 

 ただし、今回ばかりはそうもいかない。

 

「おねがい……! ごーすとをたすけて……!」

 

 ハンクの服を、強く強く握りしめながら訴える少女がいる。

 自責の念を帯びていた。ゴーストを連れ出した自分にこそ責があると、そう受け止めている眼だった。

 

 これが悩みの種。簡単に即断できない理由。

 何故ならこの少女は、人間の姿をした怪物なのだから。

 

(例え捨て置こうとも、こいつは制止を振り切って独り探しに出るだろう。本気を出した『LISA-001』を捕らえる術など存在しない。……奴に世話役を任せたのが裏目に出たか)

 

 少女の身体能力は人間のソレを遥かに上回る。

 10歳程度の容貌からは想像もつかない怪力と敏捷性を発揮するのだ。ひとたび反旗を翻されれば、実力行使で連行してもまるで意味を成さない。

 

 ゴーストの安否がかかっている今、説得もなにも通用しない。彼女にとって既にゴーストは重要な精神的ポジションに落ち着いてしまっている。

 回り道も已む無しだ。今回ばかりは、ショートカットが茨の道と言えるだろう。

 

「……良いだろう。ゴーストの救援に向かう」

「っ! ありがとう!」

「だが手掛かりもなく探し出すのは難しい。NESTは広い。まず痕跡を探す。ゴーストが消えた場所まで案内しろ」

『その必要はありませんよ、U.S.S』

 

 ――どこからともなく、人の声。

 

 微弱なノイズが入り混じるそれは、部屋の角に備えられた緊急放送用の電子スピーカーから響いていた。

 ビクッと肩を跳ねる少女。動じず音源へと向くハンク。

 

「だっ、だぁれ……?」

『誰、とは。中々冷たい反応ですね「LISA-001」。流石の君も声だけで特定するのは難しいか』

 

 男の声だ。しかしハンクにも思い当たる節はない。

 謎孕む男の出現に困惑が漂う。だが相手は少女を知っているらしい。しかもB.O.Wであること、そしてハンクがU.S.Sであることも。

 間違いなくアンブレラの関係者だ。生存者だろうか。

 

『さておき。君とコンタクトを取るのは初めてですね、U.S.S――いえ、Mr.ハンク』

「……」

『君たちの活躍はずっと眺めておりました。まったく大したものです。この魔窟をたった一人で……大番狂わせもいいところだ』

 

 ハンクの目線がスピーカーから移動する。

 部屋の隅。メガホンとは対角に監視カメラが存在していた。

 レンズの中で焦点を合わせる動作があった。明らかにハンクと少女を観察している。

 

「何者だ」

『大した者では。ただの生存者、あるいは元アンブレラの駒がひとつとでも。好きに解釈してくださってかまいません。重要なのは、私の言葉が貴方にとって耳を傾けるに値するということです』

「…………」

『貴方は賢い。だから単刀直入に申し上げましょう。私と取引をしませんか?』

 

 物腰柔らかく、丁寧な囁き。

 一寸たりとも気を緩められないこの地獄と反した、柔和な声色が空気を掴む。

 

 不思議な声だ。スピーカーから漂う正体不明で、言葉の中身は不穏でいっぱいなのに、それでも心を許してしまいそうな柔軟さがある。

 

 無論、それは少女の話。

 死神が人の言葉に動じることはない。

 

『貴方が探しているモノは知っています。Gウィルスのサンプル、大切な部下……どちらも手元にありましてね。そして貴方は、私が欲するモノを持っている』

 

 言葉に矢印があるとするなら、これほど実感できる機会はない。

 スピーカーから響く男の声は、間違いなく少女を指し示していた。

 

『ビジネスです。公平な立場で話しませんか』

「公平を謳うなら証拠を出せ。お前の言葉には確証が無い」

『そう言うと思ってました。――ほら、出番ですよ』

 

 椅子が傾くような音。ガタガタと物が動く音。

 一転。全く異質な声音が、電子に乗ってやってくる。

 

『隊長! ここに来ては駄目です! はやく彼女を連れて脱出を――――』

『はい、お試し版はここまで。続きは地下三階、ターンテーブルの管制室でね。賢明な判断を期待していますよ、Mr.ハンク』

 

 通信が途絶える。しんとした沈黙が目を覚ます。

 何が起こっているのか理解出来ない少女は、おろおろとハンクに目を遣りつつ袖を掴んだ。

 一方、ハンクは黙り込んだまま。

 

(何者かは知らん。興味もない。だが不透明な男だ。『LISA-001』を知っているなら、開発関係者で間違いなさそうだが)

 

 この少女は、秘密の多いアンブレラの中でも極秘とされる生物兵器だ。

 一人の研究員の独断専行が生んだ偶然の産物。その特異過ぎる立場は、回収したデータファイルを一見したハンクも把握している。

 

 つまり逆説的に、『LISA-001』の関係者はごく限られた人間のみという事になる。

 それも少女の母親が信頼を置いた、一部のスタッフのみだ。

 

 しかし、ハンクにとってスピーカー男の正体などどうでもいい。

 問題なのは、この交渉が十中八九罠であるということだ。

 

(狙いは『LISA-001』で間違いない。Gウィルスとゴーストをネタに手に入れる気だろう。しかし、だとすれば動機は何だ? アンブレラ所属の研究者が、同じアンブレラの私から『LISA-001』を奪って何の意味がある?)

 

 あるとすれば、それはウィリアム・バーキンのような背信行為か。

 『LISA-001』の利用価値は無限大だ。暗殺面においてこれほど秀でた個体はそういない。

 バーキンがGウィルスを他組織へ横流ししようと画策したように、少女を使って巨万の富と名声を生む気なのだろう。

 

 ただ、それでも不可解な部分が目立つ。

 

 『LISA-001』を奪うなら、この研究所を脱出してからでも遅くはない。大前提として、生きていなければ後生の商売など捕らぬ狸の皮算用だ。

 

 サバイバルスキルの無い者が単独で魔窟を抜け出すことは難しい。ハンクに協力を仰ぎ、脱出の糸口を掴むならまだしも、半ば敵対姿勢を取っているのはどういう腹積もりか。

 

(ゴーストを捕らえた手段も引っ掛かる。奴もU.S.Sの一人、バーキンの襲撃から生還した実力を持つ兵士だ。戦闘能力の無い研究者にあっさり捕まったとは考え難い。……クサいな。何を隠している?)

 

 得体の知れない裏がある。それは一目瞭然で、しかし想像も及ばないナニカだろう。

 

 ほんの少しだが、どこか核心に迫る奇妙な感覚があった。まるでパズルのピースが少しずつ嵌って、絵の形が浮き彫りになっていくかのような感覚だ。

 

 確たる証拠は無い。断言できる要素もない。

 ハンクらしからぬ直感的なものだったが、それは名探偵が現場から犯人への軌跡を描いていくものと同じ洞察だ。

 

 これまでの道のりにピースがあった。それがピースだと分かりかけてきた。

 そんな、霞を掴んだかのような朧の感覚。

 

(……とにかく、当面の目的は決まった)

 

 思考をリセット。まずは出来ることから整理していく。 

 今手元にあるのは、正体不明の男が放った数少ない手掛かりのみだ。

 

 NEST最下層からラクーンシティ外部へ続く秘密の物資搬入口。

 そこの管制室に居ると男は言った。

 ならば向かうより他は無い。

 それしか道が無いのなら、そこから突破口を切り拓けばいい。

 

 いつものように淡々と。繰り返される日々のように粛々と。

 死神は、少女を連れて歩き出す。

 

 ――謎の男の正体を暴き、囚われた部下を救い出す。

 そして、与えられた任務を果たすために。

 

 

 

 

(まずい……! 隊長をここに来させるのは絶対にまずい!!)

 

 いやに明るい部屋の下、黒塗りの椅子に革のベルトで縛り付けられたゴーストは、背中にじっとりと脂汗を滲ませながら、脳神経を焼き切らんばかりにフル回転させていた。

 

(隊長のことだ、俺のような末端なんぞ簡単に見捨ててくれると思っていたが……クソッ! まさか嬢ちゃんの優しさが裏目に出るなんて。とんだ馬鹿野郎だ俺は、なにあっさり捕まってやがる!!)

 

 焦り。憤り。そして、恐怖。

 三色の感情がぐちゃぐちゃに入り乱れる胸を黙らせつつ、視線で穿ち抜くように前方を見た。

 

 背中が見える。NESTの電子系統を統括する管制システムの前に腰かけ、無数のモニターを悠然と眺める男の背だ。

 

「……お前、一体何者だ!? 何の意味があってこんなッ!」

「無論、彼女を取り返すためですとも」

 

 椅子が回転し、男の素顔が露わになる。

 黒いインナースーツに身を包んだ、眼鏡をかけた金髪の男だった。

 

 枝垂れた前髪。褪せた目つき。浮き出た頬骨。手入れの行き届いていない無精髭……世間一般が想像する、末期研究中毒者の人相だろう。

 有り体に言えば平凡で没個性的。専門の研究機関に一人は居そうな、ごくごくありふれた研究者。

 

 ――そう。この男が()()()()()()()()()()()()()()()()()でなければ、ただのいちスタッフと言われても何ら疑うことはなかった。

 

「『LISA-001』は……私が作ったと言っても過言ではなくてね」

 

 マイク越しにハンクへ語り掛けていた時とはまるで違う、ねっとりとした言葉の粘性。

 

「入手困難な素材を()()に提供して、最高の生物兵器を作る一助を担った。であれば、()()亡き今、『LISA-001』の所有権は私にあって然るべきでしょう。それを貴方たちが横取りしようとするから、手荒に出たまでのこと。それだけですよ」

 

 当然のように吐き捨てる。被害者はこちらなのだと吐息を零す。

 けれど、影に覆われたような暗い男の真相が読めず、ゴーストは困惑に呑まれるのみ。

 

「……何を言ってやがる? 嬢ちゃんを作ったのは別の科学者だ。()()以外、開発データに名前なんて存在しなかった」

「でしょうね。そもそも秘匿に秘匿を重ねた開発でしたし、私自身直接かかわったのはほんの一握り……。ですが、リサ・トレヴァーとセルゲイ・ウラジミールの細胞組織を入手し、()()へ流したのは他でもないこの私なのですよ。ある意味父親と言っても差し支えない」

 

 リサ・トレヴァー。セルゲイ・ウラジミール。

 どちらもハンクから開示された開発データにあった名前だ。特にU.S.Sであるゴーストにとって、T-ウィルスの完全適合者にしてアンブレラの親衛隊長であるセルゲイ大佐はよく耳にしていた名前だ。

 

「セルゲイ大佐の細胞を横流しにした……? それに父親だって? ふざけたことを抜かすな、本当に何者なんだお前は!? ただの研究職じゃないな!!」

「いいえ、ただの研究職です。諜報員の真似事なんかもしていましたが、そんなものアンブレラ中にいくらでもいる。貴方たちがバイオハザードを引き起こすその時まで、本当にただのスタッフだったんですよ」

 

 男は立ち上がり、ゆっくりとゴーストに向かって歩き出した。

 

「専攻は電子工学と生物工学を少々。研究主題はB.O.Wの電子制御について」

 

 カツ、コツ、カツ、コツ。

 革靴が地を叩く音が、大きく大きく響いていく。

 

「趣味はボードゲームに数独。好物は微糖のコーヒーとハンバーガー。心掛けていることは規則正しい睡眠リズム。夢はノーベル賞の受賞、そして生物兵器市場でのブルーオーシャン開拓」

 

 足音と共に気味の悪い影が広がる。

 抑揚のない平坦すぎる口調が、ぞわりとする悍ましさを増幅させる。

 どす黒い、粘着くような感覚。ゴーストは背筋に霜が蔓延ったかと錯覚した。

 

「元々アークレイ研究所勤めでしたが、()()から計画の顛末と協力を呼びかけられて転属しまして。日々デスクワークと実験を繰り返す模範的研究者として腕を振るっておりました。ただそれだけの男です」

 

 鼻と鼻がくっつきそうな至近距離。

 視界一杯にうつる顔は、獣のように笑っていた。

 

「ね? 米国最大手のアンブレラにはありふれた一人でしょう?」

 

 ――ああ確かに。この男はただの一般人だ。

 何の力も無い、賢いだけの一般人のハズだ。

 

 なのにどうして、こんなにも薄気味悪く、敗北したような気持ちになるのだろう。

 鍛え抜かれた兵士(ゴースト)が、どす黒い悪寒をざわつかせるのだろう。

 

「私が()()に協力したのは『LISA-001』の可能性を信じたからだ。ウィリアム・バーキンを越える発明に未来を視たからだ。『LISA-001』を元手に、タイラントをも凌駕するブランドを立ち上げたかった」

 

 その舌は脈絡も無い言葉を毒気のように紡ぐ。その声は真菌のように心の隙間を蝕み侵す。

 魔性とでも言うべき妖しさがあった。ぬめる蛇のように、蠢く蟲のように、人にあってはならない狂気の片鱗があった。

 

「何より『LISA-001』は美しい。不細工な筋肉達磨にはない可憐さがある。老いることも朽ちることも無い、無垢で幼気な美しい肢体……求める者は世界中にいるでしょう。従者、人形、欲の捌け口――量産すればありとあらゆる用途に使える。兵器如きで終わらせるには勿体ないと思いませんか? 私自身、彼女のことが欲しくてたまらない」

 

 ある種、ハンクのように()()()()()()()()()()()()()()が、この男からも漂っていた。

 けれどそれは、ハンクに似ても似つかない邪悪さで。

 

「……それなのに。あと一歩で私の物になるはずだったのに。お前たちU.S.Sがバイオハザードを引き起こしてしまった」

 

 ゴーストを虫けらのように見下ろす男。

 

「運よくアークレイのウィルス漏洩から逃れたと思ったのに……。挙句の果てには、『LISA-001』を懐柔して連れ去ろうとする始末。何から何まで癇に障る狗どもです」

 

 今にも舌打ちしそうに口角を曲げて、憎悪を一面に押し出している。

 

「言ってることが何ひとつ分からねぇ、無茶苦茶だ! そもそも、開発に関わったからって何故あの子を狙う!? お前だってアンブレラの人間だろう!」

「これだから命令に従うだけのペットはいけない。先見の明を持っていない。いいですか、アンブレラはもう終わりなんですよ」

 

 翻り、真っ黒な背中を向ける男。

 モニターに映るハンクと少女を眺めながら、男は機械のように清々と続ける。

 

「ウィルスはラクーンシティ中に蔓延した。ドブネズミを通じて街中に広がった。今や感染者が感染者を生み、動く屍と変異体が往来跋扈する地獄と化している。恐らく、アンブレラは米国を揺すって証拠隠滅に動くでしょう。あの企業にはそれだけの力がある」

 

 一部のモニターに映る外部と思しき映像には、下水道をよろよろと徘徊する感染者たちの姿があった。

 

「……しかし、厳重なNESTからほんの僅かなウィルスが漏れ出てしまったように、街から生きて脱出する者は必ず現れる。これだけの事件を引き起こした以上、アンブレラでも完全に揉み消すことは叶わない。少しずつ、少しずつ、根の腐った巨木がゆっくり死に絶えていくように、いずれ倒壊するのは自明の理」

「だからアンブレラを裏切って、嬢ちゃんだけでも持ち逃げしようって寸法か!」

「生物兵器市場は既に裏社会に浸透している。アンブレラが倒れても広がった火は止まらない。そこで新たな樹を育むのです。『LISA-001』という優良な種ならそれが出来る」

 

 両手を広げ、天を仰ぐ。

 電灯と無数のモニターにライトアップされながら、邪悪で象られたような男は三日月のように口を裂いた。

 

 その瞳に理性は無く、獣の貪欲さと人間の底に溜まったどす黒い闇が融合した、狂気の荒野が支配している。

 

「貴方たちにはひとつだけ感謝しています。NESTの機能が停止したお陰で、通常では不可能な実験が山ほど試行できた。怪物を屠ってくれたお陰でサンプルも大量に手に入った。特に冷凍保存された()()の頭は格好の材料だった!」

 

 べしゃり、と。

 粘質な塊が、糸を引きながら落下してきた。

 熱した鉄板へ水滴を落としたような音が弾ける。床の一部が溶解し、異臭と水蒸気を巻き上げながら悲鳴を上げた。

 

()()も気付かなかった『L-adapter』の可能性! タイラントシリーズに用いる電子制御技術! それらが合わさった私の成果をッ! ……これから貴方たちへ、存分に披露して差し上げましょう」

 

 天井に。

 ナニカが、居た。

 

(……ああ駄目だ。隊長、駄目だ。来ないでくれ。こいつは、こいつらは、人間が敵う相手じゃねえ……!!)

 

 それは宿を守る番犬のように。それは洞窟に潜む未知の恐怖のように。

 液を滴らせ、唸り声を吐き、しかし溢れる本能を機械に御された、かつて人間だったモノが張り付いていた。

 

 骨の浮き出たトカゲのような、水膨れに覆われた大きな体。人間の面影を残しながらも異様に伸びた細い手足。

 鞭を彷彿させる柔軟な首。先端に備わる髪の生えた人の頭。

 黄ばんだ瞳は常に小刻みにのたうっている。だらりと垂れた舌の先からは、白濁した泡混じりの液がでろりと滑っていた。

 

 さらに、部屋の隅にはもう一つの影。

 

 分厚い漆黒のトレンチコートで全身を包んだ大男。感情の無い灰色の無貌を湛える最強の生物兵器。

 かつて死力を振り絞って溶鉱炉に沈めたT-103、その別個体までもが、まるで置物のように佇んでいるではないか。

 

 コンピューターによる電子制御技術。T-103やネメシスT型に用いられた、高度生物兵器の管理法。

 それによって、二つの怪物は男の忠犬と化しているのだ。

 

「そう言えば、ええ、自己紹介がまだでしたね。感謝を込めて、今こそ名乗り上げねばなるまい」

 

 再び振り返る。

 ゴーストを見る。

 

 地獄で歪んだ狂気と精錬された知性をもって怪物を従える科学者は、舞台を圧する千両役者のように、心の底から楽しそうに歯を剥いて。

 

 

 

「私はハンス。()()()()()()()()()。この名こそ、新たなアンブレラの創造主と知れ」




 ハンス・ウェスカーは5の資料に名前だけ登場したウェスカー計画被験者の一人です。
 アルバートと同じく何らかの形でウィルスを投与されるシナリオをスペンサーに描かれておりましたが、今作の彼はまだウィルスを投与していない状態です。
 彼が今作最後のオリジナル(?)キャラクターとなります


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