【完結】The 5th Survivor   作:河蛸

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舌禍と謀略の男

 老人は夢を視た。

 神として君臨する夢を視た。

 

 思うが儘に万象を観測する叡智があった。

 自由気ままに世を支配下に置く力があった。

 国を動かすほどの権があった。

 

 誰もが知る名門貴族。世界に名を馳せた大富豪。アメリカ合衆国最大企業を牛耳る頂点。

 名をオズウィル・E・スペンサー。製薬会社アンブレラの総帥にして、世界史に名を遺す稀代の()()()

 

 彼には一抹の野望があった。晩年まで燃え尽きることの無かった、恒星のような夢があった。

 ウィルスによる世界の再編纂。至高の遺伝子の選抜、新たなる文明の構築。

 その頂きに君臨し、神として降り立つ前人未到の大偉業(たいざい)である。

 

 スペンサーは社会の表と裏を牛耳りながら、数多の策を蜘蛛の巣のように張り巡らせた。

 ウィルスを使い、制御の難しい怪物たちを生み出した。始祖から派生した様々なウィルスで多くの混沌をもたらした。

 

 全ては悪辣なる選民のために。全ては人類の歴史に幕を下ろすために。全ては新たな時代の創造主となるために。

 

 そんな唾棄すべき悪の一端に、真に優秀な人間を創り出すという、極秘裏の計画が存在した。

 世界中から才能あふれる子供たちを掻き集め、最高の頭脳と最強の肉体を持った従順な奴隷を生み出す筋書き。

 その名を、ウェスカー計画と呼んだ。

 

 苛烈にして残酷。無情にして無二の英才教育を施され、間引きの末に選ばれた13人のウェスカーたち。

 そんな13人の1番目。始まりのウェスカーこそが、ハンス・ウェスカーだった。

 

 しかし、彼にはこれと言って特筆すべきものがまるで無かった。

 アルバートのような超人的遺伝子の持ち主でもなく、アレックスのような卓越した頭脳の持ち主でもない。

 ただ優秀なだけの没個性的凡人。それが相応しい評価だったし、スペンサーも特に意識はしていなかった。

 

 けれど、彼には誰にも知られていない秘密が一つだけ。

 

 ハンスが『ウェスカー』足りえる真の素養。普遍ながらウェスカーの名を授けられるに至った理由がある。

 それは、他者の心を操る術に異常なほど長けていることだった。

 

 彼は悪い人間ではない。彼は真面目な人間だ。彼は信用できる男に見える。

 人は口を揃えて彼を評する。細部は異なれど、善き人であると帰結する。

 これがハンス・ウェスカーの才能だった。()()()()()()()()()()才能だったのだ。

 

 心理の掌握とは催眠でも洗脳でもない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだ。

 

 だから誰しも彼を悪く言わない。誰も彼を疑わない。誰でも彼を受け入れる。

 ハンスはそう振舞える。他者の心の中で、己の立ち位置を望むがままに操縦できる。

 ゆえにこそ、彼はどうしようもなく選抜された逸材(ウェスカー)だった。

 

 

『おぉ、それは素晴らしいプランですね! 実現した暁にはアンブレラで確固たる地位を築くことが出来るでしょう。バーキン博士を越えるのも夢ではありません、ぜひとも協力させていただきたい!』

『え、無報酬は流石に悪い? 何をおっしゃる、養成所で苦楽を共にした貴女と私の仲でしょう。あ、でも諸々の必要経費だけはいただきますからね?』

『対価と合わない、ですか。ううむ、そこまで言うなら……では、完成したデータの一部を拝借しても? 遺伝子マップだけで構いませんので』

『ええ、はい。大丈夫です。我々なら絶対に成功できます。あのバーキン博士にだって負けませんとも』

 

 

 魔術のような言葉遣い。心の内に滑り込む天性の懐柔能力。僅かな精神の機微も読み解く観察眼。

 それが彼の――『アルバート』になれず、『アレックス』にも及ばない、ハンス・ウェスカー最大の武器にして、最悪の異常性なのだ。

 

 

 

「――以上が対策だ。把握したか?」

「うん、わかった」

「今回の肝はお前だ、『LISA-001』。絶対に忘れるな」

「まかせて」

「では、突撃前に最後の確認だ」

 

 閑散とした空気と冷たい金属が支配する、NEST最下層ターンテーブル。

 その管制室前にて、ハンクたちは息を殺しながらブリーフィングに勤しんでいた。

 

「中は十中八九罠が仕掛けてある。きっと予想だにしない攻撃を受けるだろう。だが何が待ち受けていようと、決して冷静さを忘れるな。常に頭を冷やせ。未曽有にも対処できるよう構えておけ」

「うん」

()()()()()()()()。いいな」

「だいじょうぶ」

「よし。――いくぞ」

 

 瞬時に臨戦態勢に移行。ハンクは渾身の力でドアを蹴破り、刹那に銃口で室内をなぞった。

 想定していた暗器の類は襲ってこない。化け物の息吹もない。

 ピアノ線による爆弾の誘爆。タレットを使った自動迎撃システム。放し飼いにされた怪物との遭遇。想定のひとつも見当たらなくて、拍子抜けするほど平穏だった。

 不可解な部分があるとすれば、壁や床が妙に濡れているくらいか。

 

「あっ! はんく、あそこ!」

 

 奥のガラスで隔たれた先に、視線を独り占めする影がひとつ。

 ゴーストだ。椅子に縛り付けられている。没収されたのか、装備の類を一切身に着けていない。

 

 駆け寄ろうとする少女。それをハンクが手で制した。

 いわずもがな、部屋の影から匂う気配を感じ取ったからだ。

 眼鏡をかけた黒いインナースーツの男が、無表情で壁に凭れかかっていた。

 

「待ってましたよ、Mr.ハンク。そしてお久しぶりですね、リサ。随分と大きくなったものです」

 

 男が壁からゆらりと離れ、この地獄に相応しくないさっぱりとした微笑みを電灯の下に見せた瞬間、少女の空気が変質した。

 

「ひッ」

 

 唇を震わせ、顔を蒼くして、震える小鹿のように後ずさりながら、1センチでも男から離れようとしている。

 それは怯えだった。年相応の子供のような怯えだった。

 

「あ、あ、あ」

「どうしました? 随分と顔色が悪いようで」

「ぅあ、あっ、あなた、あなたは」

 

 瞳は恐怖と嫌悪の色で染まっている。柔和で人当たりの良さそうな男に向けられるべき眼差しではなかった。

 当然だ。少女の目に映っているのは、華のような笑顔の男ではない。

 もっと、もっと、吐き気を催すくらい悍ましいナニカ。好青年の皮を被った、唾棄すべき獣の姿なのだ。

 

「いっ、いや」

「おやおや、蝋燭みたいに蒼褪めて、今にも粗相しそうなくらい震え上がって。かつては動じる素振りすら見せなかった君らしくもない」

「いやっ、いや、いやいやいやぁっ! こないでっ、こないでっ!」

「ははははは。まるでブギーマンに出くわした子供だ。まったく面白い進化を遂げたもんです」

 

 ケラケラ嗤う男。恐怖のあまり、ハンクの後ろへ隠れてしまう少女。

 ガチガチと歯が鳴っていた。今にも嘔吐しそうなくらい血の気を引かせてしまっていた。

 あの暴君にすら果敢に挑んだ少女が、たった一人の人間に臆してしまっている異常事態。流石のハンクも怪訝を覚える。

 

 ――因果は、過去の記憶に埋まっていた。

 少女にはヒトの心が読める。特殊な生体電気の乱れを感知し、何を考えているのか観測することが出来る。

 

 母が協力者だと男を紹介し、少女に引き合わせた時のことだった。

 少女は、男の底に直視し難い泥を視た。

 陰謀。獣欲。悪意。敵意。仮初の親愛。ガワだけの笑顔。

 すべて。すべて。すべてが邪悪な泥を視た。

 

「ですが、そんなに怖がらなくたっていいじゃありませんか。ほら、私はただの人間ですよ。怪物じゃない。武器も持っていない。怖がる必要なんてどこにもないのに」

 

 心の内に滑り込んでくるような声。敵だと分かっていてもうっかり心を許してしまいそうな魔性が男にはあった。

 だがしかし、目の前にいるのは少女と死神だ。懐柔は意味を成さず、ハンクは毅然と突き放した。

 

「ゴーストを出せ」

「まぁまぁ、そう焦らずとも。時間にはまだ余裕がありましょうに」

「二度も言わせるな。要求に応えろ」

「まったく、気の早い御仁だ。おまけに堅い。物事には順序があることを理解してないようだ」

 

 仕方ない、いいでしょう――男は凍結した笑顔のまま言った。

 

「とっておきのつもりでしたが、予定変更だ。ここでお披露目としましょうか」

 

 指を弾く。乾いた音が木霊する。

 須臾に鼓動が応え、暗闇の奥からナニカが這い寄る気配が漂ってきた。

 

 肉を引き摺るような音。ズシン、ズシンと重々しい足音。歯の隙間を抜けていくかのような、風を切る呼吸音。

 全て天井から伝わってくる音だった。

 

「――――…………え?」

 

 ソレが一体何かを理解するのに、少女は数秒を必要とした。

 仕方ない。無理もない。こればかりはどうしようもない。

 

 だって、この手で首を斬り落としたのだ。

 確実に命を絶った。人間を辞めた惨すぎる生に、人としての閉幕を与えたのだ。

 

 ああこんなの、どうしようもないじゃないか。

 かつて母だったモノが、きめ細かな泡を無制限に吐き出しながら再び目の前に現れて、平静でいられる子供がどこにいる。

 

「ま、ま? どうして?」

 

 胸に杭を打たれたかと思った。その穴から魂がこぼれたかと錯覚した。

 締め付けられるような痛みが心臓を襲う。濁流のような混乱に脳の隅まで呑まれていく。

 干上がった喉から、ぽつりと落ちる絶望の言葉。

 

「そんな、そんなぁっ」

 

 ハンクから離れ、ヨロヨロと前に歩き出す少女。

 生気の抜けた虚ろな瞳で茫然自失に母を視ながら、今にも泣きだしそうな表情を浮かべた。

 感情の臨界を飛び越えていた。生じた心の波を処理しきれず、脳髄を真っ白に塗り潰された表情だった。

 

「君が刎ねた彼女の首を繋ぎ直したんです」

 

 足が止まった。

 信じられないものを見るようにハンスを見た。

 

「実に保存状態が良くてね。おかげですんなり回復しましたよ。いやはや、始祖系統ウィルスの自己再生能力には驚かされる」

「――――」

「さておき、感動の再会にはなったでしょうか?」

「ッッ!!」

 

 赤熱した刃が腕から飛び出す。

 絶望の灰に覆われていた顔が、羅刹の如く歪んでいく。

 

 母の死がこれ以上なく凌辱された。

 ようやく訪れた眠りを徹底的に穢された。

 それは、墓を暴かれたに等しい蛮行で。

 

「やっとままもねむれたのに……!! それなのにッ……!!」

 

 十分だ。優しい少女が、紅蓮の怒りに身を任せるには十分過ぎた。

 目頭から灼熱を伝わせて。震える唇を必死に御して。

 無尽蔵の怒りを、業火の如く焚き上げる。

 

「闇雲に突っ込むな。挑発に乗っては思う壺だ」

「っ!? でもっ!!」

 

 言葉が肩を抑えたように感じた。

 少女は髪を乱しながら振り返る。今にも爆発せんばかりの表情で、これ以上は辛抱出来ないと告げるように。

 

「頭を冷やせ。あの男が何故無防備に姿を現したか、何故お前を煽っているのか、もう一度よく考えろ。()()()()()()()

「う、ううううう……!!」

「冷たい人だ。愛する親への冒涜を子が看過できるわけがないのに、その義憤を止めようなど。どうやら心が氷で出来ているらしい」

「見え透いた妄言に興味は無い。質問に答えろ、ゴーストは無事か?」

「彼なら奥に。ご安心を、健康です」

 

 親指を背後に向け、椅子に拘束され項垂れているゴーストを示すハンス。

 

「どうされます? 取引に応じるなら彼を解放しますが」

 

 嘘だ。それは少女にも理解できた。

 だがハンクには分かっている。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「端から取引する気など皆無だろう。そのために異形を見せびらかしたか」

「ほう?」

「餌を使っておびき寄せ、獲物を挑発し喰いつかせる。その異形は疑似餌だ」

 

 ――『LISA-001』は心を持った兵器だ。それも深い慈悲の持ち主だ。

 ハンスはそれを知っている。ゆえに彼は打って出た。安易に少女を確保する作戦に打って出た。

 ゴーストを使って誘い込み、母の死をわざと愚弄して冷静さを欠かせ、猪突猛進してきたところを捕らえる算段だったのだ。

 

 見破られたにも関わらず、ハンスは少し嬉しそうに口元を歪めた。

 

「噂に違わず鋭い御仁だ。流石は死神。しかしその様子だと、私の切り札が()()だけではないことも既に見抜いているらしい」

「……」

「丸腰の私を撃たないのはそういうことでしょう? このちっぽけな私を警戒しているんだ」

「過小評価はしない」

 

 ナイフのような断定だった。

 死神の瞳は真っ直ぐハンスを捉えている。そこに油断や慢心はない。巨大な獣の隙を伺う熟練狩人のような、慎重で凍てつく殺気だけを滲ませていた。

 

「その女は変異後もある程度の知性を保っていた。それを御した絡繰り、十分警戒に値する」

「つまらない手品ですよ。T-103やネメシスT型と同じトリックでしかない」

 

 しかし本来、B.O.Wは制御の効かない怪物だ。

 例えタイラントシリーズだろうが、ひとつの命令を完遂させるだけでも入念な準備を必要とする。

 

 この男はそれをたった一人でやってのけた。データにも存在しない完全新種の怪物を、ほんの数日で掌握してみせたのだ。

 

 エンジニアは時として兵士よりも凶悪だ。暴れ馬な生物兵器を正しく兵器として運用出来るのなら、これほどの脅威も存在しない。

 仮にもう一匹タイラントシリーズがいるとして、少女とハンクだけで()()と暴君を相手取るのは骨が折れる。

 

 ハンクは常に確実で堅実な道を選ぶ。イチかバチかで命を投げ出す博打染みた選択はとらない。

 だから、安易な攻撃は仕掛けない。

 きっとハンスはそれを見越して丸腰なのだ。少女もしっかりと理解し、生唾を飲んだ。

 

「さておき。随分脱線しましたが、本題に戻りましょうか」

 

 手を叩き一拍子。乾いた音が空を薙いだ。

 

「『LISA-001』、こちらへ来なさい。そうすればゴーストくんを返しましょう」

「……!」

「Mr.ハンクは私に取引をする気が無いと言いましたが、それはまったくの濡れ衣です。もちろんありますとも。手荒な真似をしてしまったのは謝ります」

 

 単純明快だが、簡単に割り切れるものではない悪魔の言葉。

 男の言葉は嘘塗れだと少女は断ずる。心を読むまでもない。最初からゴーストを返す気なんて無いのだ。

 けれど、ハンスは少女が応じると確信している。監視カメラで観察し、少女がゴーストを見捨てられない性分だと知っているから。

 

 例え取引に応じてハンスの下に行ったとしても、ゴーストが助かる保証はひとつもない。どころか、1人になったハンクを更なる危険に叩き落すことになる。

 

 では応じなかったら? 拒絶を示せばどうなるか? 

 言うまでもない。男はきっとゴーストを殺す。傍の怪物に命令を下して、椅子に縛り付けたままゴーストを貪り食わすだろう。

 

「――……」

 

 少女は一度だけ、後ろのハンクに目を遣って。

 瞬きを三度。

 決意と共に前を向いた。

 

「いかない」

「はい?」

「あなたのもとには、いかない!」

 

 考えて。考えて。考えて。

 少女が出した結論は、強い拒絶の言葉だった。

 

「ほう? これは計算外。まさか彼をこうもあっさり見捨てるとは」

「ちがう、みすててない。だって、あなたにごーすとはころせないもん」

 

 少女は考えた。ハンクの言いつけ通り、冷えた脳を使って考えた。

 ふと思ったのだ。この男はどうしてこんなに余裕があるのだろうかと。

 

 戦力的アドバンテージはある。強力な駒が複数いるのだ。たった二人の少女とハンクは分が悪い。

 ただ、それだけの戦力差で安心できるかと聞かれれば、首を傾けざるを得ないのだ。

 

 こっちにはハンクがいる。ズバ抜けた戦闘のプロがいる。

 緻密で大胆な戦略を即時展開し、瀕死だろうが火力不足だろうが、圧倒的ハンデをものともせずに跳ね除けて、数多の強敵を屠り続けてきた死神がいる。

 

 そんな死神が、生物兵器として最高のスペックを持つ少女を操るのだ。

 的確な指示は駒の能力を限界以上に引き出せる。少女の能力を十全に活かして共闘すれば、この修羅場を潜り抜けることだって不可能ではない。

 無論、それはあの男だって承知のはず。

 

 理解していて、なお余裕の表情を崩さないのは虚構で象ったハッタリではない。

 確信があるのだ。強靭な兵器よりも信頼できる、少女の優しさを逆手に取った絶対の盾を信じているのだ。

 ゴーストが手元に居る以上、少女たちが攻勢に回ることはないのだと。

 

 単純明快。ゴーストが死んでしまえば盾は消える。

 故に、ハンスにゴーストは殺せない。

 

「だから、たたかう」

 

 ハンスに抱き続けてきた恐怖を踏み潰し、幼き少女は一歩前へ。

 気高さを取り戻した瞳を据えて、灼熱の爪を振りかざす。

 

「あなたをたおす。ごーすとをたすける!」

「……はぁ。なるほどこいつは予想外。これも結局、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 心底鬱陶しそうに吐息をこぼし、ハンスは前髪をかき上げながら口走った。

 少女の表情筋が凍結する。爪の赤熱が引っ込んでいく。

 脈絡も無く吐き出された母への侮蔑が、胸を抉るように突き抜けていった。

 

「兵器に心は必要無い。当たり前の常識です。なのにあの女は心を与えた。情を持って君と接してしまったせいだ。いつも通り非情に振舞えばよかったものを、まさかこんな面倒な成長を促すとは」

 

 気怠そうに煙草を取り出し、手慣れた仕草で火を着ける。

 沁みる紫煙が、侮辱と共に揺蕩い踊る。

 

「いやはや、流石としか言いようがない。名誉に駆られて自ら腹を裂き、取り出した子宮で兵器を生んだかと思えば、どうしようもない失敗作を作るとは。狂気充満するアンブレラの中でも、輪をかけて滑稽な女だ」

「だまって」

「何を怒るのです? 子の責任は親にある。不出来な君の評価は当然()()へ帰ってくるものだ。親にも科学者にもなれなかった、能無しの半端者にね」

「ちがう! ままはそんなんじゃ」

「いいや違わない。己の力を過信して功を成せず、アンブレラの癖に真人間になれると思い上がって母にも成れず、行きついた先は醜い化け物。輝かしいところなんて1つも無い、生ごみに集るゴキブリにも劣る惨めな人生でしょう? コレのどこに価値がありますか!?」

「ッ!!」

「君も可哀想に。こんな掃き溜めの女から実の子として見られていただなんて。子は親を選べぬものですが、こんなの唾を吐きかけてもツリが来るってもんだ」

 

 煙草をぐりぐりと押し付けた。

 隣に控える母の顔を、まるで灰皿代わりとするように。

 

 ブチン、と。何かが切れる音がした。

 

「あっ……あなたなんかがッ……!!」

 

 背後から少女の名を叫ぶハンクの声。

 しかし既に少女の脳は、爪よりも赤熱した怒りに支配されていた。

 

「あなたなんかがッ!! ままをばかにするなァあああああああああああああああああああああああああッッッッ―――――――――――!!」

 

 童は疾風迅雷と化す。小柄な体躯が風を切り、紅蓮の軌跡を闇に描きながら砲弾の如く爆走した。

 狙うはハンスの首筋ただひとつ。だが必殺の一刀は、傍に控えていた母親の手で防がれてしまう。

 腐肉で肉付けされた人形のような手に、灼熱の爪が突き刺さって。

 

「づッ!?」

 

 瞬間、腕から突如として小さな火柱が噴き上がった。皮膚を焼く灼熱を前に反射的に怯んでしまう。

 まるで漏れ出たガスに火を着けたかのような突然の発火。少女の脳は真っ白に塗り潰される。

 

「親の首を切った時、どんな気分でしたか?」

 

 隙に這い寄り、ぬるりと嗤う男の声。

 爪を引き抜こうとした少女の動きが、時を止めたように停止した。  

 

「弔い? 責任感? 後悔? 覚悟? ……色々な感情があったでしょう。けどね、そんなの何の意味も無いんですよ。君がどれだけ大義名分を掲げて、どれだけ母の死を美しく受け止めたって、そこにはただひとつだけの事実が存在する。『君が親を殺した』という事実だけが」

 

 言葉は、メスを入れられるのと似ていた。

 肉を裂き、激痛など意に介さず、体の奥底まで到達してしまうかのような、凍り付くほどの鋭利な舌剣。

 

「怪物になってしまったから人間としての尊厳のために殺してあげよう! うん、素晴らしい心だ。なんて美しい話だろう。……それで? 君はどう思ったんだい? まさか美談で終わるなんて思っちゃいないだろうね」

「――――」

「君は殺したんだ。私が辱めればあっさり血が上ってしまうくらい大切な、たった一人の肉親を殺したんだよ。義憤にかられちゃあいるが、君は間違いなく自分の母親を葬ったんだ」

「ぃ、ぁ」

「聞かせてくれ、君の声で。親の骨肉をその爪でぐちゃぐちゃにした時の気分はどうだった?」

「わた、し、は」

「それで何も感じなかったら、ここで私を殺せたろうにね」

 

 パスッと、軽く空気を押したような音がした。

 少女の胸に針が突き刺さっていた。針の尾には円柱状の物体が付属されている。

 ハンスの手には、いつの間にか小さな拳銃が握られていた。

 

 

 

「B.O.Wの代謝機能は凄まじい。それを無視するほどの麻酔を投与するには超至近距離まで近づく必要があった。最後の最後で釣れてくれて安心しましたよ」

 

 崩れ落ちる小さな体。力を入れようと必死に藻掻けど、毒餌を食った虫のように手足に力が入らない。

 遂には、パワーで劣るはずのハンスに軽々担がれてしまう。

 

「っと、結構重いな。さぁて、残すは貴方ただ一人か」

「……」

 

 ハンクは微動だにしなかった。

 何時でも引ける引き金に指をかけず、ただただ銃口だけをハンスに向けて、草陰から獲物を狙うように機を伺い続けている。

 

「流石に抵抗してくるかと思いましたが、当てが外れましたね」

「お前が特殊耐火装備など身に着けていなければ撃っていた」

「ははは、素晴らしい! 貴方の洞察力には目を見張るものがある」

 

 男を覆う漆黒のインナースーツは、普段着にカムフラージュされた耐火性に優れる特殊な衣類だ。

 防弾ベストではなく、何故そんな仰々しい代物を身に着けているのか? 

 明快だ。燃えないために他ならない。

 

 部屋に入った瞬間ハンクが感じた違和感。それは()()()()()()()()()()

 用意周到で小賢しいハンスの性格上、無策でハンクを相手取るのはありえない。凶暴なペットを配置するだけでは心もとない。

 だから攻撃の手を根元から封殺していた。部屋一面に可燃性の液体をばら撒いていたのだ。

 

「貴方に氷漬けにされた()()、どうやら進化を果たしたようで。極低温でも機能低下を起こさぬよう、体液に不凍性が見られるようになったんですよ。おまけに副次効果として引火しやすいと来た。先のように、リサの爪に対抗するためでしょうかね? とにかくそいつを利用させて頂きました」

 

 ――ほんの少し未来の舞台で、『T-Veronica』というウイルスが現れる。

 それに適合した人間は、空気に触れただけで業火と化すほどの強力な発火能力を血に宿す。

 ()()を蝕んだウィルスは『T-Veronica』ではない。しかし、それはモグラとケラの収斂進化のように、体液にガソリンが如き引火性を発露させていた。

 

「撃てば火の海と私の駒たちが一斉に貴方を襲う。撃たねばリサと部下を手放す。さて、どうします?」

「……」

 

 ハンクの答えは迅速だった。

 逃げたのだ。脇目もふらず一目散に、脱兎の如く逃げ出した。

 

「なるほど、逃走ですか。いや、これは戦略的撤退と言い換えるべきかな?」 

 

 ハンスとハンクの過去に直接的な面識はない。監視カメラで一方的に知ってはいたが、出会ったのはこれが初めてだ。

 けれど、ハンスはまるで彼が十数年来の親友であるかのように理解していた。

 アレは諦めではない。圧倒的に不利な状況を覆すため、歴戦の兵士が選び出した道筋に他ならない。

 

「狙いは奇襲か準備か。とにかく、このまま野放しにしておく理由は無い。貴方と同様、私も死神を過小評価などしませんとも」

 

 指を鳴らす。

 それは起爆のシグナルのように、()()と影に潜んでいたT-103を起動させた。

 

「奴を追え。追って息の根を止めるのです。どこまでも追い詰めて、必ず五臓六腑を食い千切ってきなさい」

 

 命令を受諾した2頭の獣が、地獄の魔物が如き唸り声を轟かす。

 巨体を揺らし、ハンクの消えた通路へ進軍する。重々しい足音を引き連れながら、大きな影は消えていった。

 

「さて」

 

 ハンスもまた踵を返す。

 腕に抱く意識無き少女の顔を一望して、軽やかに靴音を奏でながら去っていった。

 

 

 

 ――ハンスは見落としに気付かなかった。灯台の下に潜む影の真意を見抜けなかった。

 万全の布石をもって勝利を掴んだと確信し、塵芥程度の違和を見過ごしてしまった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(プランBは上々。上手く()()()()()()()()()。後は作戦通りに行け、『LISA-001』)

 

 答えがあるなら、それはたったのひとつだけ。

 用意周到で、狡猾で、目的のためならば手段を選ばない人間は、何もハンス・ウェスカーだけではないということだ。

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