【完結】The 5th Survivor   作:河蛸

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喰らえよ血肉、理性を叫べ

(『LISA-001』は前提として子供だ)

 

 暗い通路を走り抜け、物陰に潜んだハンクは残弾を素早く確かめた。

 依然、追手の気配はある。だがまだ近くまで来ていない。少しばかりの猶予はあるだろう。

 立て直しのチャンスだ。手を抜かず、念入りに武器も調整する。

 

(子供の感情を無理やり抑えつけるのは限界がある。ましてや今度の相手は天敵に等しい。感情の決壊は目に見えていた)

 

 だから、あえてハンクは『LISA-001』に指示していた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 代わりに合図を教えた。瞬き三度が限界の合図。もう少しでゆとりが消え、プランAからBへの変更を訴えかける合図だった。

 

(あの男は『LISA-001』を殺さない。ゴーストも殺せない。故に、奴へ『LISA-001』が渡ること自体は些細な問題だ)

 

 現状、ハンスの方が戦力的に大きく上回っていた。あの場で乱戦に持ち込んだとして、よくて相討ちだっただろう。

 それでは駄目だ。それは紛れもない敗北だ。たとえ遠回りだろうが、確実に勝つための道を歩まねばならない。

 

(『LISA-001』の薬剤耐性の高さ、強靭な代謝能力はデータで確認済みだ。しかし、男はデータを見ていない。見ているならパスワードは解除されていたはずだ。データは未開封のままだった。故にパスワードを必要とした。つまり、奴は『LISA-001』の詳細なステータスを知らない)

 

 『LISA-001』はB.O.Wだ。それも選りすぐりの遺伝子を合わせて造られたサラブレッドである。

 強靭な肝機能は、例え並のB.O.Wを昏倒させるほどの麻酔だろうと即座に代謝してしまう。

 つけ入るのはそこだ。『LISA-001』を無傷で捕獲するなら麻酔を使うと踏んだハンクは、『LISA-001』をわざと懐に潜り込ませ、ゴースト救出作戦に打って出たのである。

 

(奴が逃走するとは考え難い。私の生還が、アンブレラへ謀反者の顔を知らせることに直結するからだ。あの用心深さ、私を確実に殺したと判断するまで撤退しないだろう)

 

 故に、この機がハンスを仕留める絶好の機会でもある。

 一言で表すならトロイの木馬。外ではなく中から奇襲をかけ、戦力差を度外視してひっくり返さんと試みた。

 

(『LISA-001』の能力は信頼に値する。これまでの修羅場は、奴をその領域まで成長させた。知識も与えた。拘束も自力で抜け出せるはずだ)

 

 もはや、『LISA-001』は命令を聞くだけの道具ではない。

 思考し、対策を企て、それを実行に移せる知性を得た。これまでの戦いは、間違いなく彼女を強固に成長させたのだ。

 

(懸念は冷凍装置だが、あの時全て損壊している。壊れた機械をたった一人で修理する時間など無い。スペアがあったとしても、『LISA-001』の性質上、冷凍はほぼ無意味だろう)

 

 無謀ではない。勝ちの目があるからこそ、敵に少女を明け渡した。

 今の『LISA-001』なら、間違いなくゴーストを救出できる。

 

(さて。こっちも仕事を片付けねばならんか)

 

 背後から近づいてくる、巨影の足音。

 T-103型が一体と、『LISA-001』の母。どちらも強力な生物兵器で、今まで一度たりとも単身撃破したことはない。

 そんな怪物が、明確な敵意と殺意を持ってハンクを血眼に探している。並の人間なら発狂してもおかしくない死の鬼ごっこだ。

 

 無論、ハンクの心に波風ひとつ立ちはしない。

 

(手持ちの火器で殺すのは不可能。あの男が監視カメラで捕捉しているだろうから、撒くのも至難を極めるか)

 

 かといって、ひとつひとつ監視カメラを潰していくのは弾の無駄使いだ。

 脅威は追手だけではない。リッカーや感染者だって、未だNESTにうようよ存在する。

 ならば、どうする?

 

(トラップだ。じわじわ追い詰め、弱ったところを叩く)

 

 ハンス・ウェスカーへ意趣返しをするように、死神は抹殺計画を企てていく。

 やるべき事は決まった。後は行動し、実現を果たすのみ。

 ハンクは物陰から飛び出すと、夜闇を裂く無音の梟のように消えていく。

 

 

 

 

 次の瞬間。前兆なく吹っ飛んできた瓦礫の雪崩に、ハンクは一瞬にして呑み込まれた。

 

 

 

 

 

 

『――の――には――■■■の血液――』

 

『――――■■投与――覚醒――間か』

 

『進化――結合――にて――無し――■■■■■■――』

 

『L-adapter type4』

 

 

 

「っ」

 

 ぐわんぐわんと頭蓋が揺れる。頭が鐘にでもなったような心地だった。

 明滅する視界を正そうと瞬きを繰り返し、少女はしかめっ面を浮かべる。

 

(きもちわるい。あたま、ぐらぐらする)

 

 気を紛らわそうと、思考を転換する。

 自分は何故眠っていた? ――芥の疑問から芋づる式に、意識を失う直前の記憶を引っ張り出す。

 

(……まま)

 

 思い出した。

 思い出してしまったと言うべきか。

 

 ハンスの侮辱が許せなくて。沸騰していく頭を抑えきれなくて。

 少女は立ち向かい、捕まった。()()()()()()()()()()()()

 

(これでいいんだよね? はんく)

 

 上体を起こす。不意に、ジャラジャラと金属音がした。

 体が上がらない。何かに身動きを邪魔されている。

 口元にも違和感があった。自分の呼吸音が大きく聴こえるのだ。

 酸素マスクを嵌められていると気付くのに、数秒も必要とした。

 

「ぅ? なに、これ」

 

 意識がハッキリしないせいか、手首に金属光沢を放つ蛇が絡みついているように見える。

 鎖だ。猛獣の首輪に使われているような大仰な鎖で拘束されていた。

 

「どこ?」

 

 見慣れない天井。やけに眩しい蛍光灯が網膜へ強く自己主張してくる。

 直視するに堪えなくて、少女は周囲をキョロキョロと見渡した。

 

 清潔感のある白い部屋だ。ベッドの上にいるらしい。

 傍には手術台があった。上には金属のトレイと無数の注射器やメス、採血管が乱雑に散らばっている。

 

「……!」

 

 やけに肌寒いと思ったら、衣服の類を何一つ身に着けていなかった。身ぐるみを剥がされたのだ。

 左手にも違和感。見れば、腕の血管から血を盗むために真っ赤な管が伸びていた。

 

「ふっ!」

 

 点滴を改造した採血針を引き抜こうとするが、拘束されているせいで右腕が届かない。

 虚しい抵抗がしばらく続く。

 

「うーっ! くっ、んん――っ!!」

 

 藻掻く。足掻く。赤熱した爪を伸ばし、鎖を焼き切ろうと試してみる。

 無理だ。長さを計算されてあるのか、四肢に絡みつく鎖のせいで満足に力が入らない。

 

「はぁっ、はぁっ、ふぅ。…………いっかい、しんこきゅー」

 

 言い聞かせ、深く息を吸って吐いた。

 冷静さを欠けば更に事態は悪化すると、ハンクから学んでいる。

 

(あのひとは、ちかくにいない)

 

 ハンスの気配は生体感知に引っ掛かっていない。匂いも足音もしない。

 脱走のチャンスだ。しかし時間の問題でもあった。

 

(わたしに『ますい』はきかないって、はんくいってた。ままの『でーた』にかいてたって。そしてたぶん、あのひとはきづいてない)

 

 『LISA-001』の代謝機能は凄まじいの一言に尽きる。特殊な組織によって電気を生み出せる少女は、細胞の活性レベルがB.O.Wの中でも頭一つ抜けている。

 ハンスから大型の猛獣すら昏倒させるほどの薬量を撃ち込まれたはずだが、それをたった15分も経たずに解毒しきっていた。流石のハンスも予想外だったことだろう。

 

(う。どうやってはずそう?)

 

 目下の問題は、この頑強すぎる手錠だ。

 爪も届かず、無暗に暴れれば物音でハンスに気付かれる。

 かといって、モタつけばハンスが戻ってくるかもしれない。早急に対策せねばならないのは自明の理だ。

 

(……びりびり)

 

 細胞を活性化させ、電気を生む。

 鉄の骨身に稲妻を流す。電流は磁力を生み、手の届かぬ場まで射程距離を引き延ばした。

 

 初めはやたらめたら鉄を引き寄せるだけだったこの力も、今では随分と加減が利くようになっている。

 金属のトレーから、小さな針金を奪取することだって造作も――

 

「!」

 

 ガシャンッ!! とトレーが床へと墜落し、凄まじい金切り声を爆発させた。

 冬の滝のような冷たい汗が背を濡らす。しまったと血の気を引かせていく。

 

(どうしよう、やだ、やだ、あのひとがくる……!)

 

 少女の鋭敏な五感は、こちらへ近づいてくる人間の気配を感じ取っていた。

 遠くから足音が聞こえる。まだ距離はあるものの、あと2分もしないうちにここまでやってくる。

 意識があるとバレたらお終いだ。拘束を強化され、二度と脱出することは叶わない。

 

(ばれちゃだめ、ばれちゃだめ!)

 

 瞼を閉じ、呼吸を整える。

 力を抜いて自然体を。手に入れた針金は、口の中に放り込んで隠した。

 

(――――)

 

 痛いほどに鼓動が五月蠅い。のた打ち回る心臓に、胸を内側から喰い破られてしまいそうだ。

 血潮の音が鮮明に聴こえる。それを掻き消すくらい、足音がだんだん大きくなっていく。

 心臓と同じリズムの電子音が、どこか不気味で恐ろしい。

 

(……?)

 

 薄目を開く。音源へと視線を遣った。

 体中のパットやコードの終点にモニターが見えた。そこから音が聞こえている。

 見たことがある。()が時々少女に使っていたものだ。心電図――心臓や血の様子を視るための機械だったか。

 

(あれ? おきたとき、ぴっぴっぴってしてたっけ?)

 

 もしかして、と脳裏に芽吹く不安の種。

 目覚めた直後の電子音は、もっと間隔が長かったはずだ。少なくともこんなに早くはなかった。

 脊髄が冷える。産毛が一斉に逆立ってくる。

 

 例え寝たフリでやり過ごせても、心電図で薬が切れたとバレてしまうかもしれない。

 火を着けた爆弾を埋め込まれたかのような心地だった。焦れば焦るほど心音は強まって、心電図が望まぬ数値を叩き出していく。

 

(どうしよう、どうすれば)

 

 考えて。集中して。感覚と思考を研ぎ澄ませて。

 

(……これ、びりびりでうごいてる?)

 

 生体電気を感知するほどの、人を越えたセンサーを持つ少女だから理解したと言うべきか。自身を巡る微弱な電気と同じリズムで、モニターが動作していると勘付いた。

 だったら、ほんの少し電気を弄れば、

 

「お目覚めかな」

 

 わずか一呼吸ばかりの僅差で、ハンスが舞い戻ってきた。

 あとほんの少しでも判断が遅れていたら――少女は心臓を早鐘のように鳴らしながらも、人形のように力を抜いた。

 

「……? 音がしたと思ったんだが」

 

 ハンスは訝しみ、顎に手を当てながらその場にとどまる。

 弱々しく電子音を奏でる心電図。微動だにしない『LISA-001』。

 

「脈は弱いまま。薬はまだ残っているか。……ネズミの仕業かな?」

 

 床に落ちたトレイと医療器具を拾い、丁寧に戻していくハンス。

 

「なぁぁんてね。寝たフリなんて、随分面白い真似をするようになったじゃないか、リサぁ」

 

 血が凍った。

 心臓が痛いくらい鳴動する。血が逆流して血管が弾けそうになった。

 粘着く恐怖がねっとりと五臓六腑に絡みつき、背骨をくすぐってくるかのよう。

 

(がまん、がまん、がまん……!)

 

 それでも感情は表に出さない。動揺を見せたらそこで負けだ。ハンスのブラフだと言い聞かせた。

 心の中で震える子供のように祈りながら、少女はひたすら耐え続ける。

 

「……ふむ」

(ひッ!?)

 

 柔肌を突如這いまわる、身の毛のよだつほど悍ましい感触。

 ツ――っと、ハンスの人差し指が、少女の腹を弄り始めたのだ。

 赤子を撫でるようなソフトタッチで、ゆっくり、ゆっくりと、ヘソから胸を目指し、なぞりながら登ってくる。

 

(やだ、やだやだやだ、きもちわるい、きもちわるい、こわい、こわい、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ……!)

 

 堪らず悲鳴をぶちまけてしまいそうになった。

 駄目だ。喉元までせり上がる声を、必死に必死に押し殺す。

 震えても駄目だ。身をよじっても駄目だ。ひたすら耐えるしかない。耐え忍ぶほかに道はない。

 

 ハンスの奇行はブラフだ。起きていると分かったなら、無抵抗の内に薬を追加して眠らせればいい。

 それをしないのは、確信を持てずにいるからだ。

 だから耐える。耐えれば勝てる。少女は信じ、今だけは人形で在り続けた。

 

「……気のせいか」

 

 指が離れていく。

 遠ざかっていく靴音。やがて音は聴こえなくなり、生体電気を感知できる射程圏からも姿を消した。

 

 

 血に温かさが戻るような安堵。

 一拍遅れて、絶望的な恐怖の乱流が、少女の胸を渦潮のように掻き回した。

 体を這われた感触が、生々しい幻痛のように絡みついて離れない。

 

「……ひっ……ひぐっ……グスッ……ぅぇ、ぇ、ぅぅぅ……!」

 

 緊張の糸が解れたせいか、涙がぽろぽろと堰を切って溢れてくる。

 止まらない。止められない。まるで心にへばり付いた恐怖という泥を、一心不乱に雪ぎ落すような涙だった。

 声を一抹の理性で噛み殺す。ここでバレては水の泡だと、ただただ無音の号哭を奏でる。

 

 怖かった。本当に本当に怖かった。

 体を触られた時、もう駄目だと諦めそうになった。このまま実験台にされたらどうなるんだろうと吐きそうになった。

 

 少女にとって、ハンス・ウェスカーは生きたトラウマだ。

 対峙するだけで胃の中が逆流しそうになる。どんな怪物よりも、人間の腐敗した悪意の方が恐ろしい。

 なのに、今の少女は布切れ1つ纏っていない。

 手も足も塞がれた無防備で怪物と戦うなんて、子供の精神にはあまりに重すぎる駆け引きだった。

 

「はぁーっ、はぁーっ、こふっ、えほっ、えほっ」

 

 今まで怪物に立ち向かえたのは、ハンクやゴーストが居たからだと強く実感する。

 もともと少女は好戦的ではない。むしろ逆。本来は虫も殺せないほど臆病なのだ。

 

 ここまで強く在れたのは、頼りになる二人の力があったから。

 怯えても、泣きそうになっても、挫けて塞ぎ込みそうになっても、立ち上がらせてくれる心強さがあったから。

 

 けれど、今の少女にそれはない。ひとりぼっちの小さな子供だ。

 人を越えた力を持っていても、孤独の前にはなんと脆いことか。

 

「……」

 

 鼻を啜る。熱くなった目頭を瞼を閉じて冷ましていく。

 落ち着けと自分に言い聞かせる。諦めたら全てが終わると刻み込む。

 

 思考を止めるな。最善を尽くせ。

 

 ああそうだ。『LISA-001』は矮小だ。

 けれど、今までの戦いは無駄ではない。

 確実に、少女の心は強くなっている。

 

「だいじょうぶ。だいじょうぶだから」

 

 脳を冷やす。ニューロンを回す。

 状況を整理する。未だハンスは気付いていない。まだ好機は少女のものだと、口から針金を吐き出した。

 磁力と指先で器用に操り、手錠を外す。電子ロックの解除よりは簡単だった。

 

「いっ」

 

 体中に繋がれていたチューブを引き剥がす。無理やり抜いたせいで痛みが走ったが、些事だ。血もすぐに止まった。

 ピーッと電子音を垂れ流す心電図モニターをショートさせ、物陰から物陰に移動しながら、手術室のような場所を後にしていく。

 

「ごーすと」

 

 ハンクは言っていた。脱出したら、まずゴーストを探せと。

 少女は人智を越えた兵器だが、サバイバル能力に長けていない。闇を歩くには司令塔が必要だ。ハンスの処遇は後でいい。

 

「……およーふく」

 

 ペタペタと歩き続けて、ふと自身を顧みた。

 布一枚も纏わぬ肢体。流石にこのままゴーストの元へ行くには羞恥が勝る。

 

 適当な部屋に入り、ロッカーや棚を物色していく。

 白衣があった。しかしどれもこれも大きい。NESTに子供サイズの服などあるわけがないから、当たり前ではあるのだが。

 

「ん」

 

 一番小さい女性用の服を取る。不要な布を素手で千切り、少女の身長と合わせていく。

 それでもかなりブカブカだが、最低限は隠せた。少女は満足げに頷いて、ついでに何か使えそうなものはないかと探索を続ける。

 

「あっ」

 

 テーブルの上に、無骨で長大な金属があった。

 アタッシュケースだ。アンブレラのロゴがプリントされている。

 開くと、ロングバレルの散弾銃が眠っていた。少女は名前を知らないが、W870と呼ばれる銃器である。

 

「ごーすとにあげよう!」

 

 銃だけでなく、傍には緑のパッケージに包装された弾薬も幾つか転がっていた。神の恵みと言わんばかりに、持てる分だけ回収していく。

 千切った布片を合わせてポーチを作り、荷物を包んで肩にかけると、今度は天井へと目を向ける。

 

「……」

 

 金網で塞がれた通気口が目に入った。

 NESTの道を歩くより、()()()の方が見つかりにくいかと少女は思案する。

 

「んしょ」

 

 足に力を籠め、カエルのように跳び上がった。

 一息で金網を掴む。猿渡りのようにぶら下がった少女は、片腕から爪を出して金網を切断すると、そのまま通気口へと潜り込んだ。

 

 狭く暗い、澱んだ空気の細道だ。けれど、どこか安心感を覚えてしまう。

 ハンクと共に歩いたせいか。それとも、広い通路を歩くより敵に見つかり辛いからか。

 

「……よしっ、頑張るっ!」

 

 ぺちぺち顔を叩いて、少女は勇敢に前進した。

 裸足が功を奏したか、ダクトに音は響かない。そのまま音を立てないよう、静かに静かに進んでいく。

 センサーも最大限に張り巡らす。小さな生体電気も見逃さない。

 

「ごーすと、どこだろう?」

 

 幾つもの部屋の通気口へと辿り着く。だが肝心のゴーストが見当たらなかった。

 血とゾンビがたむろする部屋か、荒れ果てた無人スペースだけ。生体電気を探っても、ドブネズミかゾンビしか引っ掛からない。

 

 ――いや。もうひとつある。

 

「っ」

 

 少女と同じく、ダクトに身を潜める大きな電磁波。

 剥き出しの脳。鋭い爪。剥がされた皮膚。鞭のような舌。

 ゾンビの変異体、リッカーだ。

 

(しずかにしてれば、だいじょーぶ)

 

 そろりそろりと後ずさる。

 幸いなことにリッカーは背を向けていて、おまけに少女に気付いていない。

 リッカーは肥大した脳に視力を潰され、代わりに聴覚が異常発達したクリーチャーだ。

 声や足音さえ立てなければ、なんの問題も、

 

「――――」

 

 きゅるる――最悪なタイミングで、腹の虫が駄々をこねた。

 即座に振り返る舌の化け物。荒々しい吐息を吐き出しながら、ヒタヒタと距離を殺し始める。

 不測の事態。しかし、少女の脳裏は焦りではなく飢餓に染まりつつあった。

 

(う、ぅ)

 

 なんだか、空腹になるまでのスパンが短くなっている気がする。

 そこまで電熱は使っていないはずだ。なのにカロリーの消費が凄まじい。

 

 ぐらりと意識が傾いた。

 何度も味わい、抗ってきた「暴君」が、本性を覗かせ始めてくる。

 血が熱を持ち、滾る。瞳孔が蛇のように細まり、中枢神経の隅々まで食欲という魔物に支配されてしまいそうになる。

 潮時は近い。幽かに悟った。

 

(……いいえ)

 

 熱くなった吐息を呑み込むように、少女は深く息を吸った。

 このままゴーストを探したら、少女は間違いなくゴーストを食うだろう。

 肩から噛みつき、肉を食い千切って、悲鳴を上げるゴーストを五臓六腑まで引き裂いたら、骨すら咀嚼して喰い尽くすのだ。

 

(それはぜったい、やだ)

 

 理性が猛然と拒絶した。ゴーストを喰らう幻を見て、吐き気を覚えることに安堵した。

 しかし少女は生物兵器。人を喰らう怪物だ。持って生まれた暴君のサガからは逃れられない。

 

 

 違う。

 逃れる方法はある。

 

 

(ごめんね)

 

 少女は生まれて初めて、怪物として牙を剥いた。

 


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