【完結】The 5th Survivor   作:河蛸

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Chapter4
駆け抜けろ、生と死の境界線を


 親らしいことは何もしてやれなかった。

 親としての想いを自覚するにはあまりに遅すぎた。

 

 身を裂く痛み。体が絶えず組み変わっていく痛み。脳髄が望まぬ獣性に冒されゆく痛み。

 取るに足らない。どれもこれもちっぽけな苦痛だ。蚊に刺された程度の些事に思える。

 

 どんな艱難辛苦よりも、この胸を穿つ後悔の方が、ずっとずっと痛くて苦しい。

 

 朧に霞み、形を整えることすら叶わない思考の中で、いつも中心に抱くのは愛娘の未来だった。

 愛しい子。冷酷な機械のようだった心に人としての灯火をくれた子。

 色紙で花を作るのが好きな可愛い子。美しい銀の髪が素敵な子。

 

 ――そんな愛しいあの子は、残酷な実験と凌辱に犯される未来へと向かっている。

 

 命を賭してでも止めてやりたい。出来ることならなんでもする。束の間に蘇ったこの理性が泡沫に消えてもかまわない。

 でも、今の自分に何が出来る? 何も出来やしないだろう。

 

 無力さに胸が張り裂けそうだ。大粒の涙が今にも零れ落ちそうだ。

 

 この身を傀儡にしていた男を食ってから、濁っていた頭が晴れ空のように冴えてきている。

 だからこそ、置かれた状況がどれほど絶望的かよくわかる。

 

 もう人間じゃなくなった。醜い哀れな化け物に成り下がった。

 

 あの子を抱きしめてやることすら叶わない。

 かといって、こんな死に体では黒服の死神を殺すことも出来ない。

 

 命の灯火が尽きかけている。覚醒した暴君に八つ裂きにされたせいだ。

 傷が治らない。辛勝して得た、暴君の死骸を喰っても再生しない。

 

 もはやただの肉塊だ。利用価値の無い、生命活動を維持しているだけの死体じゃないか。

 この体じゃ駄目だ。あの子を救えない。こうしている内にも、あの子は唾棄すべきアンブレラに身を委ねようとしているのに。

 

 アンブレラの手に堕ちれば全てが終わる。

 産まれてこなければよかったと、泣きじゃくるだけの人生で終わる。

 絶対に許すわけにはいかない。見過ごすなんて出来るわけがない。

 

 

 止めなければ。

 なんとしてでも。何を犠牲にしてでも。どんな手段を使ってでも。あの子の未来を守らなくては。

 

 

 ああ、ああ。このガラクタのように無価値な体に、絶対的な力さえあれば。

 強く、新しく、娘を守れる肉体に、生まれ変わることが叶うなら。

 

 

 

 神様。

 どうかこの愚か者へ、最期にもう一度だけ、母の務めを果たす我儘を。

 

 

 

 

 

 

 手のひらに収まる、金属フレームで補強された一本のガラス管があった。

 中身はウィリアム・バーキン博士の最高傑作にして、命をこの世ならざる異形へと変える悪魔。即ちG-ウィルスである。

 恐らく最後のサンプルだろう。ハンス・ウェスカーとの戦闘の最中、ハンクはどさくさに紛れて奪取していた。

 

(G-ウィルスと『LISA-001』。命令にあったターゲットは全て手に入れた)

 

 もはやNESTに滞在する意味は無い。

 速やかに脱出し、ラクーンシティからも撤退する必要がある。

 

「すみませんでした。俺がドジッたせいで、とんだ迷惑を」

「謝罪はいらん」

 

 NESTとラクーンシティを繋ぐ唯一の移動手段(ケーブルカー)の中、ハンクはゴーストの言葉を一蹴した。

 

「回り道を余儀なくされたのは事実だ。だがお前が私の命を救ったことも確かな事実。そしてB.O.Wを操る離反者の出現は不可抗力だった。お前を助けたのも必要と判断したからにすぎん」

 

 確かに余罪はある。結果論だが、ゴーストが判断を誤らなければ部隊は壊滅しなかったし、NESTが地獄と化すことも無かっただろう。

 しかし、ゴーストに全ての責任があるとはハンクも思っていない。

 ウィリアム・バーキンの死をまともに確かめず、蘇生と逆襲を許してしまったのは隊長たるハンクの油断なのだ。

 負うべき責の割合はハンク自身がよく理解している。

 

 それに失態ばかりでもない。かつてマザーとの死闘で意識不明にまで陥ったハンクを治療したのは、紛れもなくゴーストだ。 

 ハンクには出来ない人情をもって、少女を手懐ける一助を担った。ハンス・ウェスカーの凶弾を阻止したのもゴーストだ。

 

 以上を踏まえ、ハンクは結論付ける。

 

「私から言うことは何もない。始末書が書きたければ帰って好きなだけ書け」

「……! 感謝します、隊長」

 

 心から、一心に礼を示すゴースト。

 調子はすっかり元通りになっていた。幸運にも抗ウィルス剤が効いたらしい。

 感染からあまり時間が経っていなかったことが功を奏したのだろう。

 

 どちらかと言えば、問題は少女の方にあった。

 

 度重なる戦闘。多大な放電。積み重なった疲労の数々。少女の肉体は半ばガス欠を起こしかけていた。

 今の今まで理性を保っていられたのは、湧き上がる暴君の性をハンス・ウェスカーにぶつけられたからと言っても過言ではない。

 

 つまり。空腹を満たすための食料を、自爆システムの作動したNESTから脱出する間に、可及的速やかに調達することが必要だった。

 

 もっとも、ケーブルカーで下水道へ向かえている時点で、その問題は消化されたわけなのだが。

 

「……こうしてみると、やっぱ、その、嬢ちゃんもB.O.W(アレ)なんだな」

 

 少し腰が引けた様子のゴースト。そんな彼の前で、新鮮な肉を満足そうに頬張る少女。

 リッカーの肉だ。どうやら少女にとって、豊富な栄養を摂取して()()を遂げたリッカーは最もエネルギー効率のいい食料らしい。

 

 焼き切った四肢や臓物が小分けされ、ケーブルカーの床に食べ放題のレストランが如く広がっている。

 好きな部位を手に取っては、鉄の爪で小さく切りわけつつ口に運んでいた。なるべく血で汚れたくないらしい。

 

 指先と鉄爪で丁寧にフルコースを満喫するその姿は、あどけない少女像と怪物の野生が入り混じった奇妙極まりない光景である。

 

「美味いのか? それ」

 

 噎せ返る血と臓腑の匂いを紛らわすためか、それとも純粋な好奇心か。ゴーストは引き気味に少女へ訊いた。

 

「んぅ? ん!」

 

 少女は凄惨な血だまりに似つかわしくない笑顔を浮かべ、骨着き肉に齧りつく。

 そのままブチブチと食い千切り、肉片を咀嚼して呑み込んだ。美味らしい。

 

「凄いな……」

 

 ゴーストの呆然を余所に、恐るべき速さで肉が胃袋へ消えていく。

 頑強な歯はリッカーの強靭な筋線維などものともしない。どころか、骨まで噛み砕いて髄を堪能しだす始末だ。

 

 バキバキ。ゴリゴリ。ブチブチブチ。

 今後の人生で二度と耳にしたくはない奏楽に揺られながら、ゴーストは催した吐き気を零さないよう天井を仰いだ。

 

「? ごーすと、大丈夫?」

「あー。ちょっとケーブルカーに酔っただけだ」

「……いる?」

「気持ちだけ」

「ふふ、知ってる。ごーすとはだめ。病気になっちゃう」

「なんだよ」

 

 空腹を満たせてよほど上機嫌なのか、冗談まで交えだす少女。

 こうしてみると、初めて出会ったころの怯えきった小動物のような雰囲気とはまるで別人だ。逞しくなっている、というべきか。

 

 精神衛生を保つためか、ゴーストは視線をハンクへ移した。

 

「隊長、これからどうします?」

「ポイントK12へ向かう。そのまま下水道を通って地上を目指し、ナイトホークに回収を要請する」

 

 ナイトホーク。ハンクやゴーストと同じく、U.S.Sのエージェントである。

 チームの回収を担当するヘリコプターパイロットだ。ウィリアム・バーキンから襲撃は受けていない。

 順当にいけば連絡を取れるだろう。そのままヘリに乗り、ラクーンシティから脱出すれば任務完了だ。

 

 

 少女がリッカーをほとんど平らげきった頃合いに、ケーブルカーはラクーンシティ下水施設へ到着した。

 

 ハンクを先頭に降りていく。周囲を見渡し、状況を確かめる。

 下水道の管理を行っていたのだろうスタッフが、大勢倒れている現場を目撃した。

 

「……みんな死んでるのか?」

「ううん。でも、もう人じゃない」

 

 少女の補足にゴーストは蒼褪める。

 倒れ伏す彼らは誰一人として、元の人間ではないことを物語っていた。

 

「下水道がこれってことは……ラクーンシティそのものも……」 

「くだらない心配は後回しにしろ。K12へ向かう前に『LISA-001』の携帯食料を調達する。安全を確保するぞ」

「…………イエス、サー」

 

 少女の食料確保は絶対に必要だ。

 ヘリコプターという逃げ場のない環境の中、空腹で暴れられてはたまったものではない。

 

 幸い時間はある。距離的にNESTの自爆の影響もない。

 すみやかに行動へと移る。感染者がハンクたちに気付いて起き上がるより早く、頭や首を破壊する作業を淡々とこなす。

 

「クリア」

 

 一帯の感染者を全て排除し、少女の生体感知も鳴りを潜めたところで食料を探す。

 未開封のスナック。栄養ドリンク。チョコレート。保存の効くスティック状の栄養調整食品。

 ひと段落ついたところで、ハンクは招集をかける。

 

「K12に移動する。着いてこい」

「……ねぇ、はんく」

「何だ」

「ほんとに、ここを通るの?」

 

 苦虫を嚙み潰したような面持ちで、少しだけ声を震わせて、少女は後ずさりながらそう訊ねた。

 困惑と嫌悪の源は、眼前に広がる異臭立ち込めるドブ色の川にこそある。

 

 ここは下水処理施設。ラクーンシティ中の汚水が流れ込んでくる本流だ。

 何週間も履き続けた下着を絞って作ったような色の水路は、つまりそういうことである。

 少女は激しく拒絶した。これだけは嫌だと首を振った。

 

「我慢しろ。どのみち避けては通れん」

「や、やだ。絶対やだ!」

「まぁこの深さだと嬢ちゃん半分以上浸かっちまうからな……そりゃ嫌か」

 

 ハンクやゴーストは過酷な訓練を踏破した兵士だ。ある程度の極限状況には耐性がある。

 しかし少女は違う。血や臓物ならまだマシだが、()()だけは駄目なのだ。

 無数のラージローチに集られた時も、悲鳴をあげてゴーストに泣き縋ったほどである。汚物の川に半身を沈めるなど正気の沙汰ではない。

 

「う、うううう~~~~!!」

 

 絶対に通りたくない。しかし通らなければ先に進めない。

 激しい葛藤を浮かべる。目尻に涙が貯まり、ぎゅっと唇を噛み締める。

 おもむろに、少女は両手を前へ伸ばした。

 

「おんぶして」

「……なに?」

「おんぶ!」

「隊長、俺が。さぁおいで」

 

 苦肉の策だった。これ以外の選択肢は少女の中で両断された。

 ゴーストの背に身を委ねる。水を怖がる子犬のように縮こまり、しがみ付いたまま固まってしまう。

 足先は少し触れてしまうが、半身を浸けるより遥かにマシだった。

 

 

「……鍛えててよかったぜ」

 

 予想外だったのは少女の体重か。

 金属骨格と常識を超える密度の筋肉で出来た生物兵器の肉体は、見た目が子供のそれであっても、成人男性をゆうに越える。

 

「行くぞ。気を引き締めろ」

 

 歩く。歩く。歩く。

 狭く汚らしい下水を歩く。汚染は相当なもので、理解し難い謎の肉塊や死体がそこかしこに浮かんでいた。

 

 ゴーストと少女が戦えない以上、極力戦闘は避けていく。

 少女のソナーを利用して、汚濁に潜む怪物たちに見つからないよう進んでいく。

 

『こちらナイトホーク。アルファ、応答しろ』

 

 そんな時だった。悪臭と汚泥を掻き分け突き進む最中、一条のノイズが反響した。

 男の声だ。ハンクの無線機から聞こえている。

 

『アルファ、聞こえるか』

「ナイトホーク。こちらアルファチームハンクだ」

 

 すかさずハンクが応答を返す。

 おぶられている少女が不思議そうに「誰?」と呟き、ゴーストが「俺たちの仲間だ」と添えるように言った。

 

『てっきり全滅したかと思ってた。ずっと探してたんだが――』

「K12に到着。回収地点の詳細を」

『――なるほど。死神と呼ばれるわけだ』

 

 ウィリアム・バーキン連行作戦からはやくも数日が経過している。

 ナイトホークはラクーンシティの惨状を伺いながらもずっと身を潜め、アルファチームを捜索し続けていたのだろう。

 

 そんな暗雲の中、ようやくハンクからの応答があった。

 感動の再会かはさておき、仲間が一人残らず全滅したという絶望感からは救われたに違いない。

 しかしハンクはナイトホークの心情など意にも介さない。ただただ機械的に言葉を放つのみだ。

 

「回収地点の指示を」

『安心しな、死神さん。ラクーン市警正門に向かってる。そこでピックアップだ』

 

 無線が途切れ、再び静寂が訪れる。

 暗く悍ましい世界を塗り替えるように、少女たちの胸には一抹の希望が咲きつつあった。

 やっとこの地獄も終わる。死臭に濡れた生と死の境界線から、ようやく逃れることが出来るのだと。

 

「嬢ちゃん、もうひと踏ん張りだ。あと少しだけ我慢できるか?」

「ん……!」

「油断するな。下水道(ここ)も地上もNEST同様、怪物が息を潜めている。死は隣り合わせだと肝に銘じ――」

 

 

 

 

「り  さ」

 

 

 

 

 

 時が凍る。 

 呼吸も、心臓の鼓動も、前進する足も、何もかもが止まる錯覚。

 

 遠く、遠く、離れた場所からそれは聴こえた。

 聴こえてはならない声が、凪に波紋を落とすように響き渡った。

 

「……まま?」

 

 凍てついた時間を解きほぐしたのは、驚愕に塗り潰された少女の声で。

 

「おい、おいおい嘘だろ! ここまで追って来たってのか!? ウェスカーの野郎が死んだから制御が解けたってのか、畜生!」

「動揺するな。先を急ぐぞ、足場が不安定なこの場では我々が不利だ。速やかに下水道を脱出する」

 

 指示を飛ばし、ハンクはようやく辿り着いた足場を登る。先には上へと続く階段があった。

 脳裏に浮かぶ地図通りなら、登ってすぐの部屋にラクーン市警へ繋がる隠しエレベーターがあるはずだ。

 

「はんく! 右にいる!」

 

 少女の声が電気のようにハンクを動かす。

 餌の気配に勘付き、起き上がってきた感染者の額を正確無比に撃ち抜いた。

 薬莢と死体がコンクリートに落ちる音が反響し、赤黒い血だまりがひとつ出来上がる。

 

 続いてゴーストも上陸、背負っていた少女を降ろす。

 全員の無事を確認したハンクは、視線を階段の上へと向けた。

 発砲音に吸い寄せられたか。呻き声の重奏と共に、活性死者が集まってきていた。

 

「覚悟は良いな」

 

 ハンクの言葉に、二人は応じて頷いた。

 少女は鋼鉄の爪を。ゴーストは散弾銃を携え、ハンクの背後をカバーする。

 

「このままラクーン市警を目指す。まずは奴らを片付けるぞ」


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