【完結】The 5th Survivor   作:河蛸

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愛憎の収斂進化

 始祖ウィルスから派生した数多のウィルスたちは、どれも例に漏れず遺伝子に干渉し、進化の暴走を引き起こす悪魔である。

 

 特に「G」が起こす体組織の増殖や再編成は、目視を可能とするほど目まぐるしいスピードで体を組み替え、全く異なる生き物へと変えていく。

 ある意味、殻を持たないサナギのようなものだろう。

 

 サナギ。完全変態を行う昆虫類に見られる、形態変化の中間地点。

 頑丈な殻の中ではどろどろの液体組織が絶えず蠢き、幼虫の面影を持たない成虫へと、恐るべき速度で変身を遂げている。

 サナギはこの世で最も身近な進化の一部始終と言っても過言ではないだろう。

 

 それは未来の世界で、予期せぬ形として始祖ウィルスの息子と関わった。

 一人の秀才が生み出した混沌の化身。名をC-ウィルス。

 

 植物と蟻の遺伝子を組み込んで生まれたT-Veronica。無限の変異をもたらす「G」。そして始祖ウィルスを融合させることで生み出されたそれは、投与された生物をサナギに加工し、驚くほど短期間で怪物(せいちゅう)へ生まれ変わらせる悍ましい能力を孕んでいた。

 

 ――()()が直接的な因果関係を持っているわけではない。

 

 そもそも、別に()()は意図したわけではない。1998年には、C-ウィルスなど影も形も無かったのだから。

 

 だからこれは偶然だ。あるいは、多種多様かつ複雑な要因が絡み、結実して成された奇跡なのだ。

 学術的用語を当て嵌めるなら、収斂進化が近いかもしれない。

 

 遥か遠方に位置する南北アメリカとアフリカの孤島には、同じ『棘を持つ』進化を選んだ多肉植物(サボテン)亜竜木(アローディア)が生息する。

 土の中で暮らすことを選んだケラとモグラは、昆虫と哺乳類という縁遠い関係にも関わらず、土を掘るために似たような『シャベル状の手』へと進化した。

 

 たとえ両者に接点は無くとも、似たような環境さえ整えば、進化の羅針盤は1つの行先を指し示す。

 

 進化は奇跡で満ちている。

 ウィルスに歪められた無法の進化であっても、結局本質は変わらない。

 ゆえにそれは、体内と言う名の環境で巻き起こった、ひとつの禍々しい奇跡なのだ。

 

 

 

「2時の方向、感染者3! 7時方向からも無数に来てます!」

「感染者の動きは遅い、後ろの奴らは構うな。前方の障害だけ排除しろ。転がっている死体も動き出すことを肝に銘じて行動しろ」

了解(ラジャー)!」

「しゃあああッ!!」

 

 階段を越え、踊り場を越え、ハンクたちは隠しエレベーターで警察署の地下通路へと辿り着いた。

 大部屋へ続くドアを蹴り破り、灯りのひとつもない暗闇の中へと進軍する。音で目覚めた亡者の群れを司令塔(ハンク)の指示で捌き続け、ひたすら回収地点を目指していく。

 

「クソッ! こいつらどこからこんなに湧いて来るんだ!」

 

 止まない唸り声。唾を垂らし牙を剥く感染者。フラッシュライトを反射する白濁の眼球が無数の脅威を曝け出す。

 ほんの掠り傷が死を招く極限状態。しかしゴーストや少女の心は凪いでいた。

 これまでの修羅場が二人に死神の心臓を授けたか。圧倒的な物量で迫る「死」の群れを前に、臆することなく的確に排除していく。

 

「嬢ちゃん、カバー頼む!」

「ん!」

 

 背後から飛びかかってきたリッカーの首を、少女の鉄爪が斬り飛ばす。

 膿んだ口を開く感染者へ、ゴーストの散弾銃が火を噴き屠る。

 

「扉まで走れ!」

 

 倒してもキリがない群れを銃器で裂き、鉄製の階段を全速力で駆け上がる。

 手すりごしに腕を伸ばしてきた感染者を少女の鋼の爪が切り裂いた。赤黒い飛沫を背に、ハンクはドアノブに手を掛ける。

 開く。銃口を部屋中に滑らせる。

 

「■■■■ッ――――!!」

「っ!」

 

 雄叫びと共に牙を剥いたのは、全身に腐敗が生じた大型犬だった。

 肋骨や筋組織が剥き出しになったドーベルマン。ウィルスに冒され、湧き上がる食欲に従うまま、圧倒的身体能力をもって獲物を狩る警察犬の成れの果て。

 それは砲弾のようなスピードを伴い、ハンクの喉笛目掛けて飛びかかった。

 

(避けるのは不可だ。後ろにはゴーストと『LISA-001』がいる)

 

 ハンクは引き金を引き絞った。サブマシンガンLE5が唸りを上げ、無数の弾丸が犬の顔面を穿ち削ぎ抜ける。

 金切り声が炸裂した。獣の体が弱々しく墜落する。

 死んでない。怯んだだけだ。すかさずコンバットナイフを握り固め、脳天めがけて振り下ろす。

 頭蓋を貫き壊す感触。脳漿を散らし、猛獣は今度こそ息絶えた。

 

「感染した犬……ですか」

「二次感染の賜物だろう。怪物(リッカー)には劣るが、目も鼻も利く。おまけに素早い。油断するな」

「はんくっ! ごーすと!」

 

 窮地において息つく暇など存在しない。慌てた少女の声が、二人の兵士に警報を鳴らした。

 小窓から身を乗り出し、何を見つけたか指さすジェスチャーを繰り返す少女。

 駆け寄り、窓を覗く。

 

「あいつ……! もう追いついてきたやがったか……!」

 

 窓の外。地下施設の機械室にソレはいた。

 人間のパーツを滅茶苦茶に組み合わせて造ったトカゲのような体。頭部に靡く脂ぎった髪の名残。

 少女の母だったもの。ハンス・ウェスカーの支配から解き放たれ、生前の微かな情動に縋ってハンクを追って来た化け物だ。

 

(……何だ? 様子がおかしい)

 

 ハンクの瞳には、何度も相見えたはずのマザーの姿が、異様となって映りこんでいた。

 むしろ互いに死線を交えたハンクだからこそ、違和を覚えたと言うべきか。

 

(顔が無くなっている。それに何だ、背中の巨大な瘤は?)

 

 マザーは女の顔を持つトカゲのような怪物だったはずだ。

 絶えず動き回る黄ばんだ眼と、小刻みに痙攣する頭部。酸を撒き散らす管を隠した齲歯まみれの口。

 半端に人間の面影を残すせいで、強烈な不気味さを醸す異形だった。

 

 そんなマザーの顔が、綺麗さっぱり無くなっていた。凹凸が存在しないのだ。

 

 真っ白でブヨブヨした脂肪の塊のような頭に、人を丸呑みに出来そうな歯の無い大口が備わっている。髪の生えたミミズのようだ。

 最も面妖なのは背中に背負う人間大の腫瘍だ。繭とでも言うべきか。

 肉と皮膚が幾層にも折り重なった、巨大で生々しい繭状の物体が、背中に根付き脈打っているのである。

 

(奇妙だ。行動に意思を感じない。ハンス・ウェスカーの支配が消えた今、マザーは私とゴースト(アンブレラ)から『LISA-001』を取り返そうと躍起になるはずだ。なのにその執着がない)

 

 マザーは傍に転がる死体や徘徊する感染者を襲い、手当たり次第に喰らい尽くしながら、以前と比べて遥かに鈍重な動きでハンクたちを追っていた。

 食欲を優先しているように思える。ハンクたちは二の次で、まずは腹を満たすことを重きを置いていると伺い知れる動きだった。

 

 だというのに、傷が全く治癒していない。

 莫大なエネルギーを補給しているはずなのに、組織が再生の兆しを見せていないのだ。

 

 冷水を髄に注すような悪寒。

 根拠は無い。ゆえに断定はない。

 されど兵士としての直感が、あの存在へ警鐘を鳴らす。

 

「……奴と交戦する必要はない。早急に脱出する」

「同感です。もう化け物相手はコリゴリだ」

「……」

「何をしている『LISA-001』。来い」

「…………うん」

 

 戸惑いの色。

 いや、迷いと言ったほうが正しいか。

 

 まるで影を床に縫われているかのように、少女の足どりは重かった。

 何度も何度も振り返って、母だったものが這いずる方角を見やっていた。

 

 変わり果てた親への憐憫や悲哀ではない。少女の心は、母との訣別をとっくの前に果たしている。

 少女は過去を振り返ることを止め、涙を払い前を向いたのだ。

 言葉も想いも、とうに送り届けている。

 

「……」

 

 頑なに母を映そうとする少女の瞳。

 それは子が親に向けるものでは無かった。

 なにかこの世のものではない、得体の知れないものを目の当たりにしたかのような眼差しで。

 

「『LISA-001』」

 

 呼び声にハッとした少女は、迷いを祓うように頭を振った。

 

 

 

『何してるんだハンク。遅いじゃないか』

 

 梯子を登ってマンホールを抜け、駐車場にたむろする無数の感染者を退けて、ハンクたちはようやくラクーンシティ警察署へと辿り着く。

 

 だがしかし、回収地点に繋がる玄関口は無数の瓦礫に押し潰されてしまっていた。

 脱出を急かすナイトホークの無線に、ハンクは物陰から現れた感染者の頭蓋を撃ち抜きながら応答する。

 

「玄関が封鎖された。迂回路を探す」

『気をつけろ。上の奴らがラクーンシティへの滅菌作戦を命じた。早く脱出しないと、あんたも消されるぞ』

「分かった」

「……ちょっと待ってくれ、滅菌作戦だって!?」

 

 驚天動地と声を吐いたのはゴーストだ。

 冷や汗を流す彼を余所に、少女は言葉の意味が分からず、不思議そうに首を傾げる。

 

「どういうこと?」

「ええとな、どう説明すればいいか……とにかく、このままだと全員死んじまうってことだ。どでかい爆弾で街ごと吹き飛ばされちまう」

 

 ゴーストの必死な説明に「そんな」と少女は蒼褪める。

 対し、無線の向こう側のナイトホークがノイズを交えながら眉をひそめた。

 

『おいハンク、あんた以外の声が聞こえたぞ。しかも子供の声まで……気のせいか?』

「ゴーストと回収対象だ。同行して向かっている」

『なんだって? ゴースト? おいおい! 他に生き残りがいるなんて思わなかったぞ! それも新入りくんとは、ははっ、まさかのまさかだ。……しかしハンク。回収対象ってなんのことだ? バーキン博士は死んだんじゃないのか?』

「詳細は後だ」

『はいはい。ならちゃんと生き残ってくれよ、死神さん。それと新入りくんもな。まだ一度も飲みに行けてないんだ、帰って新人歓迎会と洒落込もうぜ』

「ええ、是非」

 

 無線が途切れる。

 すると、少女が封鎖された玄関に向かって駆け出した。

 

「これ、退かせるよ」

 

 積み重なったガラクタの山、生存者が設置したバリケードを一望する。

 今にも崩れそうな風貌なのに、微塵も揺るがない家具と瓦礫の砦だ。生半可な力で取り除くのは不可能に近い。

 ウィルスに脳を破壊され、痛覚を喪った感染者は凄まじい膂力を発揮する。大挙して押し寄せる怪物を留めるためには、こうして防がなければならなかったのだ。

 

 しかし、少女の力は感染者を遥かに凌駕する。

 バリケードを排除することだって造作も無い。

 

「どうする? はんく」

「……玄関(そこ)を抜ければポイントは目の前だ。撤去できるなら任せる」

「ん!」

 

 腕を回し、少女は意気込んで解体作業に取り掛かった。

 小さな体で自分より大きな障害物を片付ていく。雪崩を起こさぬよう、上から少しずつ降ろす地道な工程を繰り返す。

 

 問題は、このメインホールには腐った邪魔者が蟲のように湧いてくることだ。

 

 バリケードを崩せば崩すほど、物音を聞きつけてそこらじゅうから飢えた獣が溢れてくる。

 唸り声。腐敗臭。血の気配。

 死の濃度が、一気に膨らみ上がっていく。

 

「ええい、奴らとんでもない数だな畜生!」

「今の『LISA-001』は無防備だ。近づいてくる敵を全て排除するぞ」

「了解です。誰もバリケードに近づかせません!」

 

 ――生死を賭けた最後の防衛戦が、銃声の二重奏によって幕を開けた。

 感染者の数に限りはなく、反して対抗手段はたったの二人。

 ゆえに神経を研ぎ澄ます。兵士としての連携を、極限まで強化する。

 

「リロード」

了解(ラジャー)!」

 

 ハンクが弾倉を交換する。その隙をゴーストが埋めるように、感染者の頭を吹っ飛ばす。

 ゴーストが弾を込める時は、ハンクが無防備な背をカバーする。

 前線に一切の綻びが生まれぬよう、消耗した弾数すら互いに把握し、徹底的な連携を築きあげた。

 

 たかが二人の兵士。されど、その防衛戦線は城塞が如く。

 無限に迫る活性死者を寄せ付けない。確実に中枢神経を破壊し、屍の山を増産する。

 

 ――その時だった。

 

「■■■■■」

 

 メインホールに、突如として悪臭の津波が到来した。

 腐肉を絞った脂汁で打ち水でもしたかのような匂いの災害。ガスマスク越しでも鼻が折れ曲がりそうになるほど強烈な異臭の津波だった。

 

「げほっ、なん、だ? この臭い?」

 

 這い寄る汚濁。粘質な足音。

 感染者の群れを蹴散らしながら――否。喰らい尽くしながら異形は姿を現した。

 

 マザー。『LISA-001』の製造者だったもの。

 しかし、その姿はほんの少し前に目撃した時よりさらに醜悪な変異を遂げていた。

 

 例えるなら、様々な動物の死体を滅茶苦茶に継ぎ接ぎして造った肉塊のようなもの。

 

 膿んだ皮膚。顔の無い頭。ヌタウナギを彷彿させる穴状の口。そして背中の巨大な腫瘍。

 肥えたナメクジのように腹を引き摺りながら、腹斜に空いた小さな穴から夥しい糞尿を垂れ流している。

 悪臭の正体はこれだ。肉を片っ端から食い散らかし、常軌を逸した速度で消化吸収を繰り返した副産物のせいだった。

 

「■■■■■■■■」

 

 黄土色の唾液を吐き散らし、マザーは鳴いた。

 まるで腐乱死体に溜まったガスが抜けていくかのような、およそ声とは言い難いノイズを放つその姿は、僅かに残っていた人の面影すら喪っている。

 

「野郎っ!」

「待て、無暗に発砲するな」

 

 銃口を向けたゴーストを制し、ハンクは言った。

 

「奴は体液に強力な引火性を持つ。加えてこの腐敗ガスだ。撃てば火の海を撒き散らすぞ」

「しかし……! あの大きさを銃火器無しで食い止めるのは無理です! 嬢ちゃんが瓦礫を崩すのもまだ時間がかか――いや、そうか。別に奴をここで殺さずとも!」

「そうだ。頭を使え」

 

 これまでの経験則が、未熟だったゴーストに理解を促した。

 ハンクはLE5を仕舞い、ホルスターからコンバットナイフとMUPを抜く。

 

「マザーはどういう訳か眼も鼻も失っている」

「なのにアイツは追ってきた。きっと聴覚か、嬢ちゃんのようなソナーで補っているに違いない」

「しかし、ここには無数の感染者(発信源)が跋扈している」

「今のアイツには、俺たちと感染者の区別がつけられない」

「それでも銃声を聞きつけ、いずれマザーは我々に勘付くだろう」

「だから役割を分担する。嬢ちゃんの護衛と、アイツを遠ざける囮に!」

「外は豪雨。引火の心配は無い。瓦礫さえ撤去できれば、いくらでも対策は講じられる」

 

 

 それ以上の言葉は不要。

 防衛線をゴーストに一任し、ハンクは豹の如く駆け出した。

 

 

 

 ハンクは対生物兵器戦に慣れている。

 プラント43やタイラントシリーズ、そしてマザーとも激闘を繰り広げ、これを制してきた。

 だからこそ囮役に相応しい。怪物の習性を熟知したハンクだからこそ、陽動役が最適なのだ。

 

「こっちだ、来い!」

 

 メインホールを駆け、邪魔者をナイフで始末しながら死神は煽る。

 血肉を貪っていたマザーの瞳無き顔が、ゆっくりとハンクを向いた。

 環形動物を想起させる伸縮自在の口をぐばっと開き、悲鳴と金切り声を混ぜ合わせたような咆哮を張り上げる。

 

(聴覚は健在のようだな)

 

 マザーが動く。ハンクは階段を全速力で駆け上がる。

 行く手を塞ぐゴミの山を登り、一心不乱に上を目指す。

 敵はマザーだけではない。新鮮な馳走へありつこうと四方から伸びる腕を躱し、切りつけ、盾を持った獅子の像の元へ辿り着く。

 

「私はここだ」

 

 天井へ向けて発砲する。距離があればガスや体液に引火しない。ハンクはバリケードへマザーが向かわぬよう、一心に注意を引き付けた。

 べちゃべちゃと粘着いた重々しい足音が響く。巨体からは想像もつかないスピードを伴って、マザーはガラスを擦り合わせたような鳴き声を爆発させながら突進した。

 

 再びハンクは動き出す。

 像を離れ右方へ。マザーが到達するより先にドアを蹴り開け、図書室へと侵入する。

 

(敵影5。排除可能)

 

 ぼうっと呆けている感染者に死を見舞う。的確なヘッドショットで脳を木っ端微塵に砕き、脅威を無力化していく。

 全て物言わぬ屍へと変え、ハンクは床を蹴った。

 跳躍し、そのまま前のテーブルを踏み台にして、2階へ続く階段の手摺を掴んだ。

 

 よじ登っていると、ドアが吹っ飛ばされる音がした。

 出入り口より遥かに巨大な体にも関わらず、マザーは蛸の如く穴をすり抜け、相変わらず死体を拾い食いしながら追って来る。

 

「来い!」

 

 誘う。

 図書室の二階へ。逃げ場のない細道へ。

 

「■■■■」

 

 マザーは鎌首をもたげ、原始的に()()()

 ぐじゅぐじゅと泡を吹きながら、『そこから先は無いぞ』とでも嘲笑するかのように。

 

 事実、ハンクの行く手は塞がれたも同然だ。

 道は2つある。ひとつは警察署西館3Fへと繋がる道。もう一つは床板に穴が開いた道なき道。

 

 西館へ逃げた所で意味は無い。むしろ狭い廊下へ追い込まれるだけだ。おまけに感染者やリッカーも大量に息を潜めている。

 いくらハンクとて、マザーに追われながら数多の獣を相手取るのは自殺行為に等しい。

 かといって穴から飛び降りるのも愚策だ。降りた隙を狙われてしまう。

 

 マザーは予想以上に機敏で、恐ろしく速い。腐敗した水死体のように膨満だというのに、小回りの利くハンクとの距離を着実に殺してくるほどだ。

 単純な馬力が違う。追いつかれるのも時間の問題だろう。

 

「■■■■■―――――ッ!!」

 

 肉の魍魎が迫る。

 この世のものではない絶叫を破裂させて、粘液の軌跡を描きながら、階段を滑るように登ってくる。

 

(そうだ。来い。もっと近づいてこい)

 

 接触まで数秒もない須臾の狭間。ハンクは暴挙に打って出た。

 手摺に足をかけると、あろうことか、背中から身を投げ打つように飛び降りたのだ。

 

 マザーの腕が鞭のように伸びる。

 自由落下に身を任せたハンクを捉えんと、幽鬼のような五指が花開く。

 

 

 ――まさに間一髪。一皮程度の距離が勝敗を分けた。

 

 

 空を薙ぐ腕は虚空を掴み、死神を取り逃してしまう。

 自由落下に身を任せながら、ハンクは銃口を向けた。

 照準は、ハンクを追ってきたマザーの額――ではなく。天井で爛々と輝くシャンデリア、その接続部(チェーン)へと。

 

 けたたましい銃声。金属(チェーン)が弾け飛ぶ悲鳴。

 支えを失った巨大なシャンデリアは重力に支配権を握られる。

 職人の手で精巧かつ頑強に造られた照明は巨大な槍へと変貌し、死神を喰らわんと跳躍するマザーの背へ、深々と容赦なく突き刺さる――!

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■―――――――――!!」

「ぐっ!」

 

 

 痛烈な怪物の絶叫が天を衝く。

 同時にハンクはテーブルへ墜落した。木材が身代わりとなって衝撃を吸収し、ダメージを和らげる。

 すぐさま体勢を立て直す。シャンデリアが刺さった程度で死ぬヤワな存在ではない。そも、殺害ではなく足止め程度の腹積もりだ。

 

 

 ――そのつもりだった。

 

 

「…………?」

 

 しかし、マザーはピクリとも動かない。

 背中の巨大な瘤に突き刺さり、体を押し潰しているシャンデリアを引き抜くような抵抗を見せない。

 腕は力なく倒れ、皮膚が筋肉の補助を失って弛みきっている。腐敗ガスも発生源が活動を止めたせいか、空気に薄められて霧散していくほどだ。

 

(擬死か?)

 

 頭を撃つ。

 一度ではない。マガジンをひとつ空にするほどの弾丸を撃ちこんだ。

 無数の穴が穿たれる。どす黒い血が溢れ出すと、火花を喰って一気に燃え上がった。

 肉塊が一瞬で火の海に呑みこまれ、バチバチと脂が弾ける、焦げ臭い大合唱が開催される。

 それでも、マザーは動かなかった。

 

(死んでいるのか?)

 

 念には念を。ホルスターから手榴弾を取り、ピンを抜いて転がした。

 傍を離れ、物陰へ。そして爆発が到来する。

 硝煙が晴れる。燃え盛るマザーの頭は、潰れたトマトのように爆砕されていた。

 依然、沈黙は保たれたままで。

 

「…………」

 

 死んだ。

 そう、結論付けるほかになかった。

 

(こいつはどれだけ感染者を捕食しようと傷が癒えていなかった。タイラントとの戦闘で限界を迎えていたのか?)

 

 理由が何にせよ、動かないのであればどうでもいい。

 元々時間稼ぎが目的だ。それは十二分に達成したと言える。

 ならば速やかに脱出しよう。ハンクは踵を返し、少女たちが待つ玄関へと駆けていった。

 

 

 

「はんく! バリケード退けたよ!」

「よくやった」

 

 死体の森と化したメインホールに幼いソプラノが響く。

 ホール中にあれほど狂い満ちていた魔物の気配は枯れていた。感染者はほぼ駆逐されたらしい。

 呻き声のひとつも聞こえない。誰も喋らないと、雨音がザァザァと外から自己主張してくるほどだ。

 

「隊長、奴は?」

「活動を停止した」

「……死んだんですか?」

「確証は無い。だが事実として奴は動かなくなった。頭も砕いた。少なくとも当分は動けんだろう」

 

 どれだけ強靭な不死性を誇ろうが、頭を木っ端微塵に砕かれた挙句、全身が燃えて生きていられるB.O.Wはいない。

 仮に生きていたとしても脱出は目前だ。事実上の脅威は消えたに等しい。

 

 ハンクたちは警察署の入り口を出た。 

 雨が降っている。土がぬかるむ程の雨だ。

 少女は「冷たい」と眉を顰めながらも、初めて見る雨や土に、少しだけ興奮を覚えていた。

 

『こちらナイトホーク。ハンク、あんたの姿がこっちでも確認出来た。今は亡者どもの影も少ない。早く正門まで来てくれ』

「すぐに向かう。――聞こえたな? 行くぞ」

『ところで、その子供たちが例の回収対象か? こりゃまた随分可愛らしいお供だな。死神よりハーメルンの笛吹きって感じだ』

「……()()()()?」

 

 子供に当たる同行者は『LISA-001』ただひとり。しかし、ナイトホークが冗談を言ったようには聴こえなかった。

 上空からハンクたちを見下ろすナイトホークの視野はずっと広い。

 ならば、彼の眼には一体何が映った――――?

 

「――正門に向かって走れッ!!」

 

 反射神経が爆発した。体に電流を流されたかと錯覚する。

 ハンクは背後へ振り返りながら、まだ見ぬターゲットに向けて猛然と発砲した。

 

 転瞬。

 事態は、濁流に呑み込まれたが如く一変する。

 

 ゴムの塊を思い切り叩きつけたような轟音が爆発したかと思えば、さながら蹴り飛ばされたボールのように、ハンクが恐ろしい速度で吹っ飛ばされたのだ。

 

「ぐぁッ!?」 

「隊ちょ、がはっ!?」

 

 ハンクが冷たい地面へ雨粒と共に叩きつけられた瞬間、鉄骨で殴りつけられたような衝撃がゴーストにも襲い掛かった。

 錐揉み回転。視界が攪拌され、頭から地面に墜落する。

 視界が破裂した。眼が霞を植えられたようにぼやけ、チカチカと星が瞬き、耳鳴りが頭蓋を蹂躙してくるようだった。

 

「うぐ、くっ……! 隊長、な、何が起きて……!?」

 

 ほんの刹那、ほんの須臾。

 たったそれだけの時間が二人を叩き潰した。

 前触れもなく訪れた異変の奔流が、兵士二人を完膚なきまでに打ちのめしたのだ。

 

 油断は無かった。ゴールが目前でも、誰一人として気を抜いてはいなかった。

 

 ああそうだ。死神が油断するはずがない。彼が気を緩めるのは任務を遂行した後だけだ。

 だからこれは、もはやどうしようもなかったのだ。

 天変地異に等しい、未曽有の襲撃に他ならなかった。

 

「はんく!? ごーすと!?」

『おいなんだ!? 何が起こってる!?』

 

 この場の誰よりも鋭い少女ですら、()()の存在に気付くことが出来なかった。

 生体電気を感じ取るセンサーに引っ掛からなかった。気配を感じ取ることも出来なかった。

 彼女の持つ五感――否――六感の全てが、捉えることすら叶わなかったのだ。

 

 ()()は異形の怪物ではない。

 巨大な肉塊だとか、この世のモノとは思えない醜悪な姿だとか、進化の袋小路に追い込まれた成れの果てだとか、そんなものでは断じてない。

 

 

 

 ――『LISA-001』と、瓜二つの女だった。

 

 

 

 少女より長い、腰元まで伸びながらも、べったりと油ぎった銀糸の髪。

 乳頭や生殖器が存在しない滑らかなマネキンのような女体。

 右腕の皮膚だけは火傷のようなケロイドに覆われ、癒着した五指が一本の肉槍と化している。

 黄金の蛇の瞳は雨の夜に爛々と輝き、静謐に少女を見据えていた。

 

「……()()()()()()

 

 ざぁざぁと重たい雨が降り注ぐ。水を孕んだ衣服が、肌にぴったりと吸い付いてくる。

 睫毛が取りこぼした雨粒が目に張り付き、視界が水中のように滲んだ。

 それでも、少女は瞬きすら出来なかった。

 

「あなたは……誰?」

 

 ざぁざぁと、ざぁざぁと。

 雷鳴を連れる土砂降りの雨が、永遠のように踊っている。

 

 

 

 

 

「あン、ぶレら」

 

 雨を祓う玉の声。

 ウィルスが生んだ悪魔とは思えないほど澄んだ声。

 逸脱したアクセントが、逆に得も言えぬ不気味さを際立たせた。

 

「アんぶレラ……! あンぶれラぁぁ……! おまエ、おマえたちニ、絶対リサは渡さないィ……!!」

 

 言葉が整っていく。

 整頓された言葉が、女の感情を色濃く鮮明に解き放つ。

 両腕を広げ、口を限界まで裂いて、唾を飛ばしながら絶叫を轟かせた。

 

「アァァンブレラァァァァアァアッッッ―――――――!!!」

 

 アスファルトが爆発し、一瞬で女が霧消した。

 咄嗟に少女が動く。少女の動体視力でも辛うじて捕捉できるかどうかという女の疾駆に体当たりし、濡れた大地へ捻じ伏せ止めた。

 

「はんく! 逃げて!!」

「■■■■ッ!!」

 

 怒号轟雷。女はどういう理屈か、右腕の槍から炎を爆発させた。

 力づくで少女の拘束を振り解き、立ち上がろうとしているハンク目掛けて一直線に突進する。

 少女も全力で追いすがる。髪を掴み、躊躇なく背中から心臓を刺し貫いた。

 止まらない。怯む様子すら見せない。

 それどころか傷口から火柱が溢れ出して、少女の腕を焼き焦がす。

 

「うぎっ、づうううううう!!」

 

 唇を噛み、火傷の激痛を無視する。

 女の足を切った。体勢を崩したところで肩を抑え、そのまま地面に叩き伏せる。

 しかし瞬時に再生する。女は咆哮と共に少女の首を掴み、逆に少女を投げ飛ばした。

 

「アンぶれラァァ…………!!」

「くっ!」

 

 銃撃、輪唱。ハンクとゴーストは迫る炎の女を迎え撃ち、無数の弾丸を叩き込む。

 効かない。まるで効いていない。当たっても火が生まれるだけ。雨を蒸発させ、白い水蒸気を散らすだけだ。

 動きも速い。速過ぎる。ハンス・ウェスカーのような、視認できるかどうかも怪しい敏捷性で迫ってくる。

 

「■■■■■■■■ッ!!」

 

 炎の女の姿が消えた。

 次の瞬間。業火を纏った右腕が、ハンクの胴に叩き込まれた。

 

「ッッ!!」

 

 間一髪。

 LE5を合間に挟み、致命の一撃を寸前で防ぐ。

 しかし銃は折れ曲がり、外装が熱で溶解を始めていた。

 

 刹那、炸薬音。

 引火したマガジンの弾薬が弾け飛び、炎の女を怯ませた。

 

 その一瞬を少女が捕らえた。電熱ブレードで雨を斬り、背後から首元目掛けて振るったのだ。

 ぐるんと女が振り返る。少女の刃を避け、右腕で頭を殴りつけた。

 熾烈な打撃が音の波を放つ。少女は歯を食いしばって堪え、女の膝を蹴り砕いて体勢を崩した。 

 

「逃げてはんく! 私を置いて行って!! 早く!!」

「……っ!」

 

 壮絶なダメージで飛びかけていた意識を取り戻し、ハンクは事態を俯瞰する。

 紅色のレンズが、雨の中で取っ組み合う二人の少女を反射した。

 

(『LISA-001』と酷似した体……匹敵する力……そしてアンブレラへの……私に対する明らかな憎悪。信じ難いが、あの女の正体は)

 

 シャンデリアの下敷きになり、息絶えたはずのマザーで間違いない。

 

(背には繭のような瘤があった。体を苗床とするように根を張り、養分を吸い取るかの如く脈打つ瘤だ)

 

 繭。その比喩は正しかったのかもしれない。

 感染者をいくら食べても癒えない傷。それは肉体が再生限界を迎えていたのではなく、そもそも再生させるつもりが無かったのではないか?

 

 栄養を集中させ、繭としての役割を果たさせるため。

 即ち肉体の再構築。怨敵を討つために、新しい肉体を得て生まれ変わったのか。

 

「わたしが止める! その隙に逃げて! お願いはんく、行って! お願いだから!」

 

 自分を捨てて脱出しろと、少女は力の限り叫んだ。

 それが合理的なのだと理解して、少女は命を投げ打つ選択をした。

 

 ハンクも、ゴーストも、致命は免れたものの大ダメージを負ってしまっている。

 これまでの戦いで蓄積したぶんもある。ゴーストはハンス・ウェスカーに嬲られ、ハンクは少女との模擬戦や数々の戦いで消耗している。

 

 これ以上は無理だ。残酷なまでの現実だ。

 まして、新しく力を得たマザーを相手になど出来ない。少女の素人目でも理解出来る事実だった。

 

 それにハンクの任務は達成されたも同然だ。「G」のサンプルは手に入れ、少女の研究データや毛髪も確保している。 

 もともと、本部は『LISA-001』の生死を問わなかった。

 最善は回収だ。しかし、最低限遺伝子情報とデータさえ揃っていれば問題ないのだ。

 

 ならば、少女がマザーを抑えている間に脱出するのが合理的だろう。

 それを理解しているからこそ、少女は逃げろと叫んだのだ。

 

「ァァアアアアアアッッ――――――!!」

「はんく! もう駄目、これ以上止められない……っ!」

『ハンク、時間が無い! 騒ぎにつられて化け物どもが集まって来てるぞ、どうするんだ!?』

 

 

 迫られる選択。

 刻一刻と進む秒針。

 

 しかし残酷かな。死神の答えは、ただひとつだけ。

 

 

 

◆『LISA-001』を  ・回収しない   ・回収する

 

 

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