ラクーンシティの惨劇は世界に大きな爪痕を植え付けた。
1998年10月1日。ひとつの街が滅んだ日。数えきれないほどの善き人々が、残酷な運命に葬られてしまった日。
けれど彼らの死は無為に終わらなかった。世界中の人間は、唾棄すべき事件の真相を権力者の手で握り潰されることを良しとしなかったのだ。
アメリカ合衆国最大企業、製薬会社アンブレラ。悪魔のウィルスを創造し、大勢の命を弄んだ邪悪の権化。
秘匿の中で行われてきた数々の非人道的活動をラクーンシティの生き残りたちに暴露され、さらには掌で転がしていたはずの国自身からも首を斬られる末路を辿る。
しかしアンブレラはこれを受け入れず、アメリカそのものへ裁判を引き起こした。
有史以来、最悪の悪あがきが始まったのだ。
5年にも及ぶ泥沼の戦いは、ロシアで極秘裏に行われていた新生物兵器計画をクリス・レッドフィールドおよびジル・バレンタイン率いる対バイオテロ組織が壊滅へ追い込んだことが拍車を掛け、数多の証拠が明るみにされたことで決着となる。
巨大な傘は腐り落ち、ひとつの戦争が洛陽を迎えた。
それでも、残された者たちの戦いは終わらない。
アンブレラから流出した生物兵器の数々は「負の遺産」として社会の裏側に蔓延り、日々多くの命を奪い続けている。
Tの子孫に始まり、寄生体プラーガ、ウロボロス、C-ウィルス、E型特異菌……脅威は進化を繰り返し、生者の喉元へ牙を剥く。
それに抗い戦う者たちに、かつての安息は訪れない。
BSAAを筆頭とした世界の免疫力と、世界を侵食する
――かくして、時は15年を刻み歩む。
◆
東欧、中国、アメリカを巻き込んだ大規模なバイオテロが沈静化してからしばらく。
惨劇の生存者であり、世界を救いながらも歴史に残らぬ英雄、ジェイク・ミューラーは日々戦場を渡り歩いていた。
国勢、宗教、革命。2013年となった今でも、戦争の火種は世界中で燻っている。平和な国なんて上澄みだけで、それも「負の遺産」の手でいつ崩壊するか分からない時代だ。
食いっぱぐれる日はまだまだ遠そうだなと、ジェイクは寂れたバーの中で、何世代も前のテレビに映る画質の悪いニュース番組をぼんやりと眺めながら、独り酒を煽っていく。
「あ、あの。ジェイク・ミューラーさんですか?」
ただし、以前と少しだけ違うのは。
かつてのような大金ばかりの汚れ仕事は、あまり引き受けなくなったところか。
「し、仕事の話で来ました。あなたなら力になってくれるだろうって、紹介されて」
ボロボロの服を着た気弱な青年だ。ジェイクとそう年は変わらないだろう。
それでも酷く幼く見えるのは、ジェイクの纏うただならぬ雰囲気との差のせいか。
「お願いします! 村からあの化け物どもを追い出して欲しいんです! もちろん報酬は払います、これが僕に出せる全財産です。村を取り返してくださったらもっと支払いますから、どうか、どうか!」
小汚い包みを開いて見せる。錆の酷い硬貨とくしゃくしゃになった貨幣がぎっしり詰まっていた。
身なりと口振りからして、本当に有り金の全てらしい。
それを失ってでも引き受けてもらいたいという、鬼気迫るほどの覚悟があった。
「……」
ジェイクは小包を一瞥し、手元のグラスを空にする。
「場所は?」
「ここから北東に行った先にある小さな村です。僕の故郷でした。紛争に投入された怪物がうちの村に雪崩れ込んできて……ぼ、僕だけが生き残って」
「北東の村ぁ? おい、俺は冗談に付き合ってるほど暇じゃねーんだぞ。北東付近でB.O.Wが投入されたなんて情報は入ってねぇ」
「そ、そんな! 誓って嘘なんかじゃない!」
「あ?」
椅子を引き、ジェイクはゆっくりと立ち上がった。
引き絞られた筋肉の鎧を纏う190㎝もの巨体。丸く刈られた坊主頭に、左頬に走る一条の傷痕。猛禽を彷彿させる鋭い目つき。
立ち上がっただけで圧倒されそうになるほどの威圧感に、青年は思わず後ずさった。
「だったらよ、嘘かどうか確かめてきてやる」
「……え?」
「本当に居たらその金は貰う。だが居なかったら仕事は受けねぇ」
「え、あ」
「ちなみに相談料は別だ。代金は、あー、さっき呑んだ一杯と
カウンターのバスケットから、瑞々しいリンゴをひとつ手に取ってジェイクは言う。
一口齧り、「いいな?」と目で同意を促して。
「あ、ありがとうございます……!」
唇を震わせる青年を一瞥しながら、ジェイクは静かにバーを後にした。
◆
「ここか」
バイクを止め、東欧北東部にぽつんと佇む廃村の土を踏みしめる。
寂れ切った村の情景を一望しながら、ジェイクは不機嫌そうに顔をしかめた。
死臭がする。鼻にずしんと来るほど濃厚な臭いだ。
そこらじゅうでニクバエの群れが羽音の演奏会を我が物顔に奏でている。腐敗が始まってからちょうど1日程度らしい。
「シケてやがるな。デートスポットにしちゃ辛気臭すぎる」
この様子では全滅だろう。
元よりジェイクを頼った依頼人だけが、命からがら逃げのびた唯一の生存者だったらしい。惨劇の度合いは往々にして知れている。
――ジェイクはあの事件以降も、フリーランスの傭兵として日銭を稼いでいた。
ただし仕事の内容は劇的と言っていいほど変わっている。今では紛争地帯に蔓延る生物兵器――アンブレラの「負の遺産」の駆除を引き受けることが多くなった。
傭兵というより掃除屋だなと、ジェイクは笑う。
「さぁて、化け物さんはどこだ?」
銃のコンディションを手早く確認したジェイクは、まるで観光を楽しむかのような足取りで村を歩く。
今回のターゲットはC-ウィルス由来の生物兵器だ。名をナパドゥ。ウィルスを投与された人間が蛹を経て、岩の肌をもったゴリラのような姿に変態した怪物だ。
C-ウィルスはその扱いやすさと制御の容易さから、東欧など発展途上国では根強く流通してしまっている。
ワクチンが開発された今となっては、ウィルス自体の脅威度は著しく下がったものの、「既製品」の需要は沈まない。
「おーい、いるなら出て来いよ。てめーらのランチ様が直々に来てやったぞ」
面倒くさいと言わんばかりに、ジェイクは大声を響かせた。
陽動だ。隠れている化け物を探し出して始末するより、手っ取り早く全滅させるほうが性に合っている。
しかしどれだけ声を上げようとも、一向に現れる気配がしない。
「気配がねぇ」
不気味なほどに静かだった。
生命が死に絶えた核戦争後の世界かと、毒づきたくなるほどの静寂だ。
ジェイクはその
長年の傭兵経験も乗算し、僅かな気配さえあれば居場所なんてすぐに特定できる。
それでも
「……そういやここいらでもあったっけか? 噂のシニガミ」
死神。ジェイク自身、数日前に耳にした程度の与太話だが、最近戦場で出回っているという噂だ。
生物兵器に汚染された戦地に現れる、白い髪をした死神の話。
世界中の様々な紛争地域で目撃されているらしく、奇妙なことに死神が確認された戦場からは、決まってB.O.Wが姿を消すという。
ジェイクは現実主義の男だ。死神なんて曖昧なものは信じない。そんなものがいたらジェイクはとっくの昔に死んでいる。
けれど、B.O.Wが活動した痕跡があるというのに影も形も見当たらないのは、死神の仕業のように不気味だった。
「……」
何にせよ、立ち止まってばかりでは始まらない。
仮にB.O.Wが何らかの理由でこの場を去ったのなら、その証拠を確認する必要がある。どちらにしろ探索は不可欠だ。
怪物が潜んでいそうな場所をピックアップする。
暗がり、大きな家屋の中、遮蔽物の影。
ひときわ目立つのは、廃村の中央に座する教会か。
「おーおー。こんなナリじゃ神も仏もねぇな」
銃痕が蜂の巣のように壁へ刻まれ、十字架は折れ砕け、窓硝子や聖像が散乱している。
かつてあっただろう神聖で粛然とした面影はどこにもなく、神は死んだと思い知らされそうな、荒廃した聖域が広がっていた。
(……音?)
教会に足を踏み入れ、即座に気付く。
ぺちゃぺちゃと液体を舐めるような、啜るような、小さな水音が絶えず奥から聞こえていた。
銃をホルスターから抜き、セーフティを外す。
砕けた雰囲気を捨てる。神経を張り詰め、一切の隙を潰し、ゆっくりと教会を進んでいく。
水音が大きくなる。
耳を澄ませば、肉を食むような咀嚼音も鼓膜が捕らえた。
(お楽しみ中か。気楽なことで)
発生源は懺悔室だ。懺悔室に怪物はいると確信した。
ジェイクはドアに張り付き、一息に蹴破り突撃する。
迅速に銃口を滑らせる。いつでも引き金を絞れるよう、指先の神経を尖らせて。
「あン?」
だがしかし、そこに生物は存在しなかった。
命を失った粘質な肉の塊なら、無数に床へ転がっているが。
「ンだ、こりゃ?」
異様すぎる風景だった。
死体の山だ。決して広くは無い懺悔室を血の海に沈めるほどの死体の山だ。
けれど、
どれもこれもナパドゥと呼ばれる生物兵器の亡骸である。巨大なエリマキトカゲのような怪物も混じっているが、既に原形を留めていない。
(小分けされてやがる。まるでサイコロステーキだ。滅茶苦茶鋭い刃物で一息に斬るでもしなけりゃ、こんな切り口にはならねぇ)
怪物はバラバラに分解され、床に敷かれた布の上で並べられていた。
一面の血は滲み出たものだ。傷口の断面はどういう訳か焼いて塞がれている。赤熱させた日本刀を使って両断したかのような切断痕だ。
「サムライでも出たってか? それとも……」
死神の噂が脳裏を掠る。
噂の出所は定かではないが、死神と呼ばれる所以は共に語り継がれている。このバラバラ死体が特徴だ。
まるで大鎌を使って解体したかのような、B.O.Wの屠体だけが現場に残される。故に死神と囁かれた。
(気になるのは切り口だけじゃねぇ。この噛み痕もだ。肉が食い千切られてやがる。しかも新しい)
「あれ? まだ避難していない人がいたの?」
突然背後から掛けられた声に、ジェイクは電流を流されたが如く銃を向けた。
いない。
誰もいない。微かな埃の粒子が日光の中を漂っているだけだ。
「ここは危ないよ。はやく逃げて。生き残った人たちはみんな麓の街へ出て行ったよ」
まただ。また声がした。
近くにいる。なのにどこから聞こえているのかが分からない。懺悔室の中だというのに、声の正体すら特定できない。
分かることがあるとすれば女だ。それもかなり若い。
「あなた村人じゃないね。でも危険だよ、早く帰った方が良い」
「ウチの門限は晩飯までだ、帰るにはまだ早い。それより顔を見せてくれよ。かくれんぼは嫌いなんだ」
「だったら銃を降ろして」
「悪ィがそいつは聞けねぇ」
「じゃあ貰うから」
刹那、風を裂く影がジェイクへ襲い掛かった。
文字通り目にも止まらぬ豪速の物体。それは神出鬼没にジェイクの眼前へ顕現し、華奢な腕を砲弾の如く撃ち放った。
「残念だったな。非売品だ」
しかし腕は無空を掠め、逆にジェイクが掴み取った。
軸足を回し旋転。遠心力を存分に利用、襲撃者を懺悔室の格子に向けて叩きつける。
木材が折れ砕ける悲鳴が響く。投げ飛ばされた襲撃者は派手な破壊とともに格子ごと床へ転がった。
「びっくりした。強いんだね」
「お前もな」
全力で叩きつけたつもりだった。腕の関節まで外したはずだ。並の人間なら痛みに悶絶してしばらく動けない。
なのにこの小さな襲撃者は、不測の投げ技に適応し受身を取ったばかりか、何事も無かったかのように立ち上がっている。
「
「そっちこそ」
「俺は仕事で来てんだ。食うために稼がなきゃならんのでね」
「仕事? わたしも」
自分を指さし、ふんわりと微笑む襲撃者。
驚くべきことに少女だった。日を反射させる銀糸の髪が神々しい、15歳程度のほんの子供だ。
漆黒の戦闘服を身に纏っている。脇にはガスマスク付きのヘルメットを抱えていて、紅色のレンズが暗がりで鈍く揺らめいていた。
「ねぇねぇ、もしかしてあなたジェイク・ミューラー?」
「さぁ。ナントカレッドフィールドかもしれねぇ」
「やっぱり! 凄く強い電磁波だから間違いないと思ったんだぁ。一度会ってみたかったの」
まるでジェイクの心が読めているかのように断言する少女。
あまりに無邪気に笑うものだから、思わずジェイクも牙を潜めてしまう。
「えっとね、わたし敵じゃないよ。むしろ、味方? ジェイクはBSAAと協力してバイオハザードを収束させたんだよね?」
「馬鹿言え。あいつらが俺に協力したんだ。つか、それは極秘になってたんじゃないのか? ザルかよまったく」
「素直じゃないなぁ……。んと、わたしはここに所属してるの」
言いながら、少女は懐からワッペンを取り出した。
諸悪の根源アンブレラの社章と酷似した、青い傘のロゴマークだ。
「……こいつはあれか。アンブレラの残党が再結集したっていう」
「そう。わたし、立派なエージェントなんだよ!」
胸を張り、得意げに少女は言う。
――時は2007年。アンブレラの元職員たちの手により、全てを一新させた新生アンブレラが誕生した。
その名を民間軍事会社アンブレラ。かつてのアンブレラが残した「負の遺産」の駆逐および回収を責務とし、対B.O.W専門の軍事組織として生まれ変わった後継者である。
あえてアンブレラの名やそっくりなロゴを残しているのも、過去の罪を贖うという決意の表れなのだ。
「ハッ。悔い改めて贖罪しますって言いながら、クリーンなアンブレラはガキを使いに出してンのか?」
「ガキじゃないもん。これでもちゃんと――――ジェイク、離れて!」
前触れもなく少女が声を張り上げた、その時だった。
教会の天井に突如として大穴が穿たれ、瓦礫と共にけたたましい金切り声が降ってきたのだ。
それは人の形を留めながら、明らかな獰猛さを煮え滾らせる異形だった。
全身が溶け崩れたような容貌。隆起した筋肉。大腿から飛び出す刺々しい骨組織。
なにより視線を奪うのは、骨肉がぐちゃぐちゃに組み合わさって造形された、生体チェーンソーと化した右腕である。
ウビストヴォ。セルビア語で殺害を意味する怪物だ。
「さっき仕留め損ねたやつ……! また戻ってきたんだ」
(仕留め損ねた? じゃあやっぱ懺悔室の死体はこのガキンチョが?)
「どこかに隠れててジェイク、怪我しちゃうよ」
「アホか」
少女の忠告など意に介さず、ジェイクは首を鳴らしながら前に出た。
むしろ少女を手で制し、語外に『下がれ』と強調している。
「ガキの出る幕じゃねぇ。すっこんでろ」
「んぅーっ! だからガキじゃないってば! というか、危険だから下がってて!」
「うるせぇ。ガキンチョは家で勉強してんのが仕事だ」
睨む。唾液を巻き散らし、骨の刃を高速回転させながら雄叫びを吐く怪物を。
歩む。眼前の脅威などモノともしないかの如く、口笛を奏でるほど軽やかな足取りで。
「来いよババ・ソーヤー。生け贄はてめえの方だ」
「■■■■■――――!!」
悲鳴と怒号を織り交ぜたような絶叫が炸裂した。
歪な外見に似つかわしくない異常なまでの敏捷さが披露される。ウビストヴォは右腕を振り回し、教会の長椅子を滅茶苦茶に破壊しながらジェイクへ向かって突撃した。
ジェイクは冷静に引き金を絞る。放たれた弾丸は怪物の胸、頭、右腕に着弾していく。
怯みもしない。衝き動かす殺意のままに刃を回転させ、標的をズタズタに切り刻まんと躍進する。
あっという間にジェイクへ肉薄すると、甲高い咆哮を爆発させながら必殺の右腕を振り下ろした。
しかし、その腕は肉を裂くことなく静止する。
ジェイクが凶刃を避けることなく逆に踏み込み、腕の根元――力の支点を抑え込んだのだ。
「オラァッ!!」
大砲の如き膝蹴りが吹っ飛んだ。
二度、三度と肉を打つ。怪物が怯んだ瞬間突き飛ばし、間髪入れず顎へ掌底を叩き込む。
それだけでは終わらない。肘打ちが喉を穿ち、上段回し蹴りが側頭を捉える。
正拳突きの一斉掃射が縦横無尽に襲い掛かり、とどめのアッパーカットは怪物の体を吹っ飛ばした。
熾烈な肉弾に怪物はチェーンソーを振るう暇すら与えられず、須臾の間に追い詰められていく。
「とっととくたばれ!」
ジェイクが倒れたウビストヴォの顔面を踏み砕き、心臓が宿る右腕へ全弾を叩き込んだ。
夥しい血飛沫と断末魔を張り上げて、怪物の刃が回転を止める。
「すごい……人間なのに素手で倒しちゃうなんて」
「殺り合うのは初めてじゃねぇからな」
「でも油断しちゃダメ。バラバラにするくらいしないと」
刹那、少女が一瞬にして姿を消した。
気付いた時には背後だった。まるで瞬間移動でもしたかのように、少女は起き上がりつつあった怪物の傍に立っていた。
ジェイクも怪物の復活には気付いていた。ウビストヴォのしぶとさは嫌というほど知っている。
少女の言う通り、かつてヘリコプターのプロペラでバラバラにするまで何度も襲い掛かってきたほどだ。
だから弾倉を換えて、再生能力を上回る銃弾を浴びせんと銃口を定めていた。
けれど、怪物は既に物言わぬ肉塊の群れと化し、床に伏して静まっている。
懺悔室で見た死体の山と同じだった。焼き切られたような傷痕を植えられ、無数のパーツに解体されてしまっている。
「これで大丈夫」
少女の腕から赤熱する刃が飛び出していた。
暗器ではない。腕の皮膚を突き破って、体内から露出している体の一部だった。
磁励音と酷似した振動を帯び、膨大な熱を放つそれは、さながら焼き入れした日本刀のよう。
「お前……」
明らかに人間ではない。
しかし、怪物とも言い難い。
言葉を流暢に操り、情緒を表すB.O.Wなど聴いたことが無い。
「改めまして。わたしはリサ、民間軍事会社アンブレラのエージェントです。よろしくね、ジェイク」
冷えた刃を腕に仕舞い込みながら、少女は花びらのような笑顔を咲かせてそう言った。
◆
「じゃあお前は、人を探しながら旅してるのか?」
「うん、そうそう。お仕事も兼ねてね」
実に奇妙な光景だった。
出会ったばかりの戦闘服に身を包んだ謎の少女と焚火を囲っている。そこまではいい。
問題なのは、解体された怪物の肉を火で炙って、BBQさながらに頬張っている異常さである。
話を聞くに、リサは特殊なB.O.W
街の研究所で生まれた彼女は紆余曲折を経て脱出し、その後ゴーストという男と共に各地を転々としながら、新生アンブレラへ腰を落ち着かせ、今に至るのだそうだ。
「あんまり驚かないんだね」
「まぁ、そっくりなスーパーガールを一人知ってるからな」
「ほんと!? へー、わたしみたいな人が他にもいるんだ。いつか会ってみたいなぁ」
「流石にお前ほどX-MENモドキじゃねぇけどよ」
かつて国を跨ぐほどの大事件を共に駆け抜けた、一人の女性を思い出す。
彼女もラクーンシティの生き残りで、人間離れした自己再生能力の持ち主だった。
だからだろうか。少女が特別なB.O.Wと知っても、すんなりと受け入れられたのは。
「ねぇ、ジェイクも色んな戦場を渡り歩いてるんだよね?」
「一応な」
「じゃあさじゃあさ、物凄く強い傭兵さんとか、スペシャリストの噂みたいなの聞いたことない? なんでもいいの」
「むしろ噂になってんのはお前だろ」
「えっ。わたし?」
「巷じゃ死神呼ばわりだぜ。それが蓋を開けてみれば、こんなチンチクリンだったとは」
「死神……わたしが死神……にへへ」
「なんで喜ぶんだ?」
どういう心境なのかニマニマと頬を緩める少女に呆れつつ、ジェイクは気怠そうに立ち上がった。
「ん。もう行くの?」
「用は済んだ。お前が仕事取っちまったからな。帰って寝る」
「そっか。……ねぇジェイク、もしよかったらアンブレラに来ない? あなたとっても強いし、何だか親近感湧いてくるの。ぜひぜひ来てほしいな」
「折角のヘッドハンティングだがお断りだ。独りの方が気楽でいい」
「むぅ、残念。じゃあここでバイバイだね」
「達者でな。ちゃんと歯は磨けよ」
「だから子供じゃないってば! もー!」
憤慨するリサを軽くいなし、ひらひらと手を煽りながらその場を去った。
懐からサングラスを手に取って、バイクのエンジンを唸らせる。
ジェイク・ミューラーの奇妙な一日は、そうして泡沫のように幕を下ろした。
◆
アンブレラ崩壊後、
まるで最初から存在しなかったかのように、一切の痕跡が消えていた。
「うー、お腹いっぱい」
あらかた肉を平らげて、リサは満足そうに吐息を漏らす。
このまま横になってしまいたくなる誘惑を必死に堪えて、懐から半透明なキューブ状の通信端末を起動した。
「もしもし、ゴースト。お仕事終わったよ。全員は助けられなかったけど、生き残った民間人は街に避難させておいたから」
『お疲れさん、こっちで洗浄隊と救出隊を要請しておくから後は任せてくれ。ただ早速で悪いんだが、もう一件近場で仕事が入ってな。どうする? 疲れたなら別部隊を派遣するよう手配しておくが』
「んーん、平気。どっちに行けばいい?」
『悪いな。そこからさらに東へ行った先の工場跡地で、不正なB.O.Wの取引が行われるとの情報があった。それを阻止するか、B.O.Wを回収もしくは破壊してくれとのことだ』
「ん、了解」
『俺も現地で合流する。終わったら美味い飯でも食おう』
「うん!」
通信が途絶える。
訪れた静寂を噛み締めながら、リサは焚火に砂をかけて夜闇に戻す。
――アンブレラから逃げ出したリサとゴーストを待っていたのは、数年にもおよぶ逃亡生活だった。
リサは生物兵器で、ゴーストは戸籍上死亡扱いにされながらも裏社会のお尋ね者だ。強大なアンブレラから逃れつつ生活を送るというのは、並大抵の所業ではなかった。
世界中を旅してきた。時には観光客に紛れ、時には地元の民衆に溶け込み、時には森の中へ身を隠して、ひたすら機会が来るのを待ち続ける日々だった。
不幸中の幸いだったのは、アンブレラは既に失速の最中にあったこと、そして
もし全盛期のアンブレラで、
アンブレラが完全に崩壊するまで続いた放浪の旅は、対バイオテロ組織がロシアの研究所を壊滅させ、裁判におけるアンブレラの敗訴が決定した日に終わりを告げる。
そこからは順調だった。アンブレラの残党ということもあり、スムーズに民間軍事会社アンブレラで、居場所を確保することが出来たのだ。
ただし、リサはその特異性から正体を極秘として扱われている。ゴーストを除けば、ほんの一部しか少女が『LISA-001』であることを知らない。
表向きは一介のエージェントとして。
裏では生物兵器の力を振るい、極秘裏に単独作戦を実行する対B.O.W専門の暗殺者として、世界を股にかけている。
その傍ら、リサはずっと
顔も、名前も、経歴も、何もかも知らない
死神と呼ばれる男がいた。
U.S.Sアルファチームの隊長で、少女を地獄から連れ出してくれた、いつまでも心に焼きつく憧れの人。
「ハンク」
夜空に向かって名を零す。
満天を包む星の大海。薄暗い地下で育ったリサにとって、どれだけ眺めていても飽きない絶景だ。
ハンクの消息は完全に不明だ。
そもそも
それ以外は等しく闇の中。生きているのか、死んでいるのかも分からない。
けれど、リサは確信を持ってこう答える。
ハンクは絶対に死んでいないと。
絶望が跋扈する困難の中で道を拓いてきたあの人が、アンブレラが無くなった程度で死ぬわけがない。
傭兵か、エージェントか。それともリサやゴーストと同じように、対バイオテロ組織に紛れているのか。
少なくとも、ハンクはまだ生きていて、今も戦場で戦っている。
それだけは、自信を持って断言できる。
「死神は死なず、だよね」
だから少女は、これからもずっと戦い続ける。
地獄を生き残った者として。忌まわしき傘の呪いを雪ぐ者として。
いつか大切な死神と再会するその日まで、少女は運命を切り開く。
それが彼から教わった、
漆黒のガスマスクを身に着けて、少女は戦場を駆けるのだ。
――This is a war. Survival is your responsibility.
True End fin
・レコード【Lady HUNK】が達成されました。
・クリア特典:Archivesが開放されました。
【https://syosetu.org/novel/219773】
※2022.10.24
上記特典に挿絵などを追加しました。