カチン、カチン、カチン。
弾倉を満たしていくリズムが、一定に研究室を支配していた。
(NESTは凶暴な生物兵器を扱う極秘施設、やはり暴走時の鎮圧に備えて弾薬が隠されてあったか。不足を補うには十分だ)
残念ながら新しい銃は手に入らなかったものの、弾を補充できただけでハンクは満足だった。これだけ揃えば、例えタイラントを相手にしようが煙に巻ける。
「……」
寡黙に着々と作業を進めるハンク。
その後ろ姿を穴が空くほど見つめる『LISA-001』。椅子の上で膝を抱え、不思議そうな眼差しでじいっと観察していた。
ハンクが少女を気に留めることはない。どころか少女なんて存在していないかのように、ただただ機械的に没頭している。
「ぅー……」
退屈なのか、少しだけ体を揺らす少女。構って欲しいとアピールしているようにも見えた。部屋で仕事に興じる親をつまらなく思う子供と同じなのかもしれない。
が、催促の相手はハンクだ。子供の駄々や細かな機微なんぞに構うはずもなく、完全に無視を決め込んでいた。
あまりにも相手にされないせいで、とうとう少女の方が折れる始末。
「それなぁに?」
「弾を込めている」
「やりたい」
「駄目だ」
「おねがい」
「二度も言わせるな。静かにしていろ」
「んぅぅー!」
有無を言わせぬ玉砕。少女は不機嫌さを全開に頬を膨らませる。
完膚なき無視。真紅のレンズを振り向かせすらしない。
「……あ」
少女は何を思いついたか、ふとした拍子に仏頂面を改めると、椅子から降りて勝手に動き出した。
ハンクから離れたデスクへちょこんと座る。両手をそっと前へ伸ばし、そのままの姿勢で固まった。
瞬間。微弱な電気の走り抜ける音がして。
「!」
ハンクの傍にあった予備弾倉や弾薬のパッケージが、まるで釣り針にかかった魚のように動きだした。
宙へ浮き、独りでに『LISA-001』のもとへ飛んでいくアイテムたち。反射的に掴み取ったパッケージのひとつからは、縄でも括って引っ張っているかのような引力を感じた。
(電磁石の真似事か。器用な)
この少女は発電能力を有している。存外に精密であり、機器を破損することなく停電した自動ドアを解錠したり、装置を動かすほどの腕前だ。
どうやら今度は自分の腕を磁石代わりにして吸い取ったらしい。
ただしそこまで加減が効かないのか、ついでに近くの金属部品も吸い寄せてしまっていた。少女の腕が小金属まみれになっている。
装弾セットを入手すると、磁力を消したのか腕から金属が剥がれ落ち、音を立てて散らかった。
満足そうにパッケージを開き、特に躊躇もなく空弾倉を満たしていく。
(……仕組みを理解している。仕草に戸惑いがない)
手慣れている。
無知からくる迷いが無いのだ。まるで最初から知っていたかのように手先を動かしている。
手解きを受けたとは考え辛い。何故ならこの少女、ハンクと連れ添うまで銃の存在意義すら知らなかったのだから。
(私を観察して学習したのか。赤子のような吸収能力だな)
知能の高さに僅かな感心を抱きながら、ハンクは手元の装備に目を遣った。
探索して手に入れた実包やガンパウダー、火薬の詰められていない薬莢に、中身のない弾倉の数々。
――ハンクの仕事は二つ。弾倉の装填と、ガンパウダーの補充作業。
前者はただ弾を込めるだけの単純作業。対して後者は少々複雑な工程を必要とする。
白いボトルの強化火薬を上手く配合しなくてはならないのだ。しかも一発一発手作業で。それなりに時間を喰う手間である。
で、あるならば。効率化を図るため、タスクの分断は優先事項だ。
「前言を撤回する」
「?」
「ここから半分はお前の仕事だ。出来るか?」
「! うん」
「電気は絶対に使うな。火薬に引火する」
「わかった」
少女に任せなかった最たる理由がコレだ。事故のリスクを避けるためだ。
下手に発電されて暴発した場合、『LISA-001』どころかハンクまで無人の銃撃を浴びせられる破目になる。
その心配が無いのであれば――むしろ拒絶した方が
使えるものは何であろうと使いこなす。それが例え幼い兵器だろうと例外ではない。
◆
「お前はここに残れ、『LISA-001』」
唐突な置き去り宣言を受けた少女は、言葉を咀嚼できなかったか、きょとんと首を傾げながら戸惑った。
「どうして?」
「不都合だからだ」
メスのように鋭く、シンプルな拒絶。
理由なんて決まってる。次の標的が、少女の母親だからだ。
活動中の感染者から無傷で持ち物を強奪するのは不可能に近い。是が非でも沈黙させる必要がある。いまさら言うまでもなく、強靭な生命力を誇る感染者を止める方法はひとつしかない。
ソレを少女が――かつてハンクの引き金を止めた少女が、決定的瞬間を目撃してしまった時、はたして何が起こるのか。
最悪の想定は容易だった。
「じゃま?」
「――」
避けては通れない問答だと思考する。
親想いな少女にその親を殺すと端的に告げるのは悪手だ。かといって邪魔と一蹴するわけにもいかない。勘の良い少女はきっと、ハンクの動向を察するだろう。
考える。どれが最適な答えなのか。
「……これから向かうのは、お前の母親のもとだ」
「!」
少女の表情が曇る。
聡いがゆえに、ハンクの言葉の裏を理解してしまう。
「もう理解しているだろう。これは無視できない壁だ」
ハンクはあえて誤魔化すことをしなかった。しかし直接的な表現も回避した。
真意を汲ませ、選択を委ねる。それが最適なのだろう。
「……どうしても、いかなきゃ、だめ?」
「そうだ」
「まま、しんじゃう?」
沈黙するハンク。その意を解さないほど、少女の知能は低いものではない。
唇が微かに震えていた。裾を握り、堪えるように俯いた。
葛藤を浮かべている。これまで抱いたことの無い強烈な葛藤に戸惑いを見せている。
母が殺される。それは嫌だ。けれどハンクを止めることは出来ない。
少女は、十二分にも理解していた。
「……ウィルスに感染した人間は、家族だろうが友人だろうが躊躇なく喰らう怪物となる」
頭を抱える少女へ、淡々とハンクは言った。
「思い出せ、人としての死を望んだ男がいたことを。何故その答えに行きついたか分かるか?」
「……」
「怪物になることを拒んだからだ。醜い怪物になるより、人として終わることを選ぶ。それが人間だ。――そして、お前の母親も人間だった」
「!」
ハッとしたように瞼が開く。
ドクンと心臓が打ち跳ねて、少女はまっすぐハンクを見た。
「ままも、にんげん」
少女の中で点と点が繋がっていく。
それは形を作り、ひとつの答えを浮かび上がらせる。
彼女が感じ取ったのは、人としての『誇り』という曖昧模糊の輪郭だった。
人のまま終わることを尊ぶ誇り。今まで漠然と感じていた人としての精神性。
それを霧のような不定ではなく、しっかりと形を捉えて、噛み締めるように胸に抱いた。
「っ」
少女は無垢な存在だ。何色でもなく、何物にもなれる白紙なのだ。少女を象る精神はいまだ本能が大部分を占めると言っていい。
だから彼女は赤子の如く吸収する。五感に始まり、言語や道具といった概念、そして人の心の機微までもを吸収し、一歩一歩と成長していく。
人の精神性を理解する――これは、ひとつの
「思考を止めるな」
マスクでくぐもった声が響いた。
少女の羽化を手伝うように。あるいは少女の逃げ道を塞ぐように。
「常に最善の選択を考えろ。お前が出来る最善は、お前にしか生み出せないものだと覚えておけ」
「――――」
仮想する。人間性を失った愛しい人が、そのまま生き永らえることを望むだろうかと。
きっと違うと、少女は思う。
想えるほどに、少女は
「……わたしもいく」
覚悟が固まる。
訣別の時へ向けて歩むと、決意が満ちる。
「もういちど、ままにあう」
瞳に光を宿していた。揺るぎない確固たる灯火があった。
怯える子供はもう居ない。真っ直ぐと未来を見据える少女がいた。
――その成長こそが、ハンクの望んだ計算結果でもあるのだが。
(錯乱の兆候、離反意思は見られない。説得は成功と考えていいだろう)
傍から見れば、惑う少女を導くため諭したように映っただろう。
違う。それをハンクが任務に必要だと判断したからに過ぎない。
彼の行動は全て一点に集結する。任務遂行に必要か否か、ただそれだけの基準で動いている。
死神に情など存在しない。それはこれまでも、これからも変わらない。
「決まったか」
「うん」
「なら着いてこい」
弊害は無いだろうと判断し、少女を連れて研究室を後にした。
銃口を散策させながら死臭漂う廃墟を歩く。往路でゾンビを倒した甲斐あって敵影は見当たらないが、それでも用心は必要だ。
エレベーターで下層へ向かう。到着すれば、そのまま西エリアを突き進む。
冷凍睡眠装置が跋扈していた例の部屋。そこにいるだろう、『LISA-001』の開発者まで一直線に、
「はんく!」
「ッ!」
絶叫と影が落雷のように墜落した。
天井のダクトを破って――いいや、
べしゃり。潰れたトマトのような粘質な塊が床一面に爆散する。
クリーチャーではない。信じ難いことに死体だった。肉という肉をどろどろに溶かされた死体だったのだ。
常軌を逸した腐臭があっという間に鼻腔の隅まで蹂躙する。流石のハンクも眉を動かさずにはいられないほどの、強烈きわまりない腐乱臭が。
ガスマスクでこれだ、生身の少女はたまったものではないだろう。
案の定、少女は険しい表情で鼻を覆っていた。心なしか顔が青い。吐き気を必死に堪えているらしい。
(……溶かされている。それも内側から)
片膝を着き、肉汁のプールと塊を観察する。
皮膚とおもしき部位はそこまで腐敗していない。酷いのは内臓だ。さながら臓器へ直接酸を注がれ、体の内部からグズグズに溶かし尽くされたような痕跡だった。腐ったスープを詰めたブヨブヨのソーセージといったところか。
「ぇぅ、くさい」
「……」
ゾンビが消化液を吐き出して攻撃することはある。だがこれは内側から溶かされたものだ。ゾンビやリッカーの仕業ではない。イビーのような怪植物とも異なる。
闇の中にナニカが潜んでいる証左と言っても過言ではない。未知の怪物の気配が色濃くなったのをハンクは感じた。
脅威を嗅ぎ取りながらも臆せずハンクは進んでいく。
警戒は緩めず、冷静を崩さず、観察を怠らず。無音の世界を闊歩する。
辿り着いた部屋の前で、ハンクは少女を控えさせた。
腐肉が落ちてきたダクトは冷凍睡眠装置管理施設と繋がっている。ほんの手前なのだ。
その通気口から、ハンク目掛けて腐乱死体が降ってきたということは。
「――」
開く。迅速に突入する。
サーチライトを縦横無尽に駆け巡らせ、そして。
言葉を失った。
(なんだ、これは)
地獄だった。地獄としかいいようのない光景が広がっていた。
部屋の機械は臓物に塗れ、床は血脂の滑りと光沢を帯び、壁一面が黄ばんだ膿汁で塗装されていた。
かつての近未来的な清潔感などどこにもない。末期の野戦病院すら足元にも及ばない、凄惨で悪辣な空間と化していた。
「うっ……うぇぇっ……!」
「吐きたければ吐け。多少は楽になる」
この光景は、臭いは、あまりにも刺激が強すぎた。
嘔吐中枢の閾値が呆気なく破壊されていく。しかし少女は寸でのところで決壊を抑え込んだ。必死に耐え忍びながら、眼前の地獄に向き合おうと前を見る。
(……吊るされた死体に腐敗はみられない。だが隅に積まれたものはみな一様に溶解している。廊下で目撃したものと同じだ)
まるで食糧庫のようだとハンクは感じた。
冷凍肉のようにぶら下がる死体の数々や、
備蓄と
(獲物を保存するB.O.Wなど存在しない。二次感染で変異した虫か実験動物の仕業か?)
生物兵器は敵を殲滅するために作られた怪物だ。蟻のように獲物を巣へ持ち帰るといった本能行動は、兵器としての効率を妨げる欠陥である。
ならばこの光景を作った犯人は、漏洩したウイルスに蝕まれ劇的な変異を起こした原生生物の可能性が高い。
(集中だ。気を抜けばそこで終わる)
さんざん怪物と渡り合ってきたハンクだが、今回ばかりは予断を許さないと一層気を引き締めた。
理屈はない。兵士の直感だった。ただならぬ雰囲気を殺戮の残滓から感じ取ったのだ。
――死神の予感は、秒すら跨ぐことなく的中する。
「ッ、伏せろ!」
一瞬。ほんの一瞬空気が揺らいだ。
その僅かな機微を、ハンクは決して見逃さない。
屈んだ。反射的に少女を抑えて背を縮め、汚物まみれの床を転がった。
泥沼へ飛び込んだよりも酷く粘液が全身にこびりつく。腐臭の津波が情け容赦なく襲い掛かり、少女は「うええっ」と嗚咽を零す。
だがそんなものに構っていられる暇はない。
頭上を鎌鼬のような鋭利が通り過ぎたら、嫌でも気にしていられない。
「――」
無音だ。梟のように無音だった。
空気を切る音もなく、しかし回避が一秒でも遅れていたら、首が宙を舞っていたと確信せざるをえない致命の一撃だった。
襲撃者の正体は梟ではない。猿だ。爪が大鎌の如く肥大化した巨大な猿だ。
四肢が異様に長く、関節が増え、肩に蛇をつけたように複雑な構造へと変異している。唇を失った剥き出しの口は無数の牙で占められ、ただ肉を引き裂くためだけに存在するシュレッダーと化していた。
(実験用の猿が変異したようだな。こいつが部屋を荒らした犯人か?)
黒板を思い切り引っ掻いたような奇声が爆発した。けたたましい高周波は鼓膜を引き裂かんばかりに反響し、聴覚が痛覚へ置き換わるほどの波濤となって襲い掛かる。
関係ない。間髪入れず引き金を絞った。容赦のない機関の轟咆が唸りを上げ、被弾した肉塊が腐ったジュースを巻き散らす。
しかし猿に当たらない。掠りもしない。大猿は蛸と蝶を掛け合わせたかのような予測不可能の高速移動で、弾の嵐を翻弄していた。
縦横無尽に駆け巡り、吊り下げられた肉塊たちを巧みに利用し、大猿は攻撃を避け続ける。
逃げているのではない。隙を伺っているのだ。濁る眼球は一切ハンクから逸れることなく、隙あらば首を撥ね飛ばさんと狙い定めている。
攻撃の手を緩めるわけにはいかない。守りに入った瞬間が死だ。
しかし銃には限界がある。夥しい鉛の豪雨が止む一瞬がある。
無慈悲を雄叫びに乗せて、凶刃を備えた鞭の腕を解き放つ。
――甘い。
「やぁっ!!」
甲高い息吹が迅雷を生んだ。ほの暗い密室に眩い光が走り抜け、大猿の胸を穿ち抜いた。
ズバヂィッ!! と稲妻が肉を貪る音が弾けて消える。大猿は悍ましい悲鳴を張り上げながら、バランスを崩して墜落した。
しかし浅い。殺めるまでにはいたらない。むしろ火に油を注いだだけだ。
それでいい。命へ刃を届かせるのは死神の役割なのだから。
撃鉄一閃。正確無比な一点射撃は、顔を上げた大猿の額を吹っ飛ばした。
毛むくじゃらの巨体が痙攣と共に崩れ落ちる。波の無い血だまりを描いて、怪物は静かな眠りに就いた。
(……妙だ。何かがおかしい)
白煙を散らす銃口を降ろし、ハンクは死体へ歩を進める。
その胸に抱くのは、脅威を排除した安堵ではない。
(奇襲も、攻撃も、こいつは消化液の類を使っていない。爪だけだ。酸を流し込む管のようなものすら見当たらない)
違和感だった。地獄と化した部屋との因果を見出せないがゆえの違和感だった。
不自然なのだ。仮に猿がこの巣の主ならば、肉を溶かし啜るための捕食器官を備えているはずである。
なのにそれがない。そもそもそういった変異を起こしていない。むしろスタンダートな肉食獣と同じく、爪で仕留め牙で喰らう特徴だ。
(……そういえば)
奇妙な点がもうひとつだけ。
それは、少女が猿と相見えた一瞬のこと。
(『LISA-001』は常に、
プラント43の触手も、種に侵された男も、突如現れたT-103も、少女はハンクが気付くより早く感付いていた。
生体電気のようなものを探知する器官が備わってるのではないかとハンクは思う。それこそデンキウナギと同じように。
それが正鵠なら、猿に通用しなかったのはどういう理屈か?
「おなじにおい」
得体の知れない、不気味なモノを目の当たりにしたかのように少女は言った。
「わたしと、おなじにおい」
繰り返す。
この猿から感じた、
(まさか)
研究室で発見した記録文書が脳裏に浮かぶ。
L-adapter。『LISA-001』の開発者が着手したらしい試薬の存在。
あの薬には少女の血液が使われていた。投与実験の中にサルが含まれていたのも覚えている。
(猿がここにいた開発者を喰らったものとばかり思っていた。あの肉山の一部になってしまったとばかり! だが違う!)
不透明な違和感が、色を帯びていくような実感があった。
もし仮に、大猿が実験の成れ果てだとするならば。
もし仮に、
思い出せ。女が刺した注射器の、ラベルに書かれた文字は何だった?
思い出せ。初めて女にあった時、明らかな自我を感じたのは偶然か?
(猿は
「り ざ」
悪霊のような濁声が這ずって。
次の瞬間。五臓六腑が弾け飛ばんばかりの衝撃が襲い掛かった。