【完結】The 5th Survivor   作:河蛸

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Chapter2
忘霊


「どうしよう、どうしよう、どうしよう」

 

 ハンクが動かなくなって、どれほどの時間が経っただろうか。

 動かぬ時計に閉塞した空間。息を止めれば消えてしまいそうになる沈黙の帳は、時間の感覚をあやふやにさせる。

 昏倒したハンクを背負い、無我夢中で馴染みある研究室へ戻った少女は、ソファに寝そべるハンクの傍で呻くことしかできなかった。

 

 死んではいない。息はある。

 けれど死にかけている。瀬戸際だ。崖っぷちを爪先で凌いでいるに等しい。

 少女には分かる。人ならざる感覚を持つ『LISA-001』には、壊れかけの人間のことがよく分かるのだ。

 これまでの道中、散々目にしてきたのだから。

 

「はんく……」

 

 少女に出来るのは電気を操ることだけ。それ以外に何もない。そもそも放置しておけば致命傷すら勝手に塞がる生物兵器に、医療知識なんてあるわけがない。

 彼女は異端であっても兵器なのだ。人を殺すために造られた殺戮兵器が、死にかけの人間をどうやったら助けられる。

 

 それどころか、きゅるる、と。

 最悪のタイミングで、鳴ってはならない音がした。

 

「ぁ」

 

 空腹を知らせる獣の鐘。飢餓を叫ぶ細胞の声。

 電気を生むという特性上、少女は多くのエネルギーを消耗する。全力を出せば出すほど、無尽蔵の食料が必要となってくる。

 電熱ブレードの代償が、無慈悲な足音を立てながらやってきた。

 

「――」

 

 目の前でハンクが眠っている。

 微弱に胸を上下させて、生死の境を彷徨って、弱々しくなった(ハンク)が眠っている。

 無意識のうちに口が潤う。生唾が喉を滑っていく。

 瞳が金色に、蛇の如く鋭利なものへ。

 

(はんく、きずついてる)

 

 ――肉の塊だ。喰い甲斐がある。

 

(まっててもなおらない。どうして? ……ままは、びょーきにはおくすりがいいって、いってたっけ)

 

 ――血の匂いで脳が痺れる。臓物はきっと、最高の舌触りに違いない。

 

(おくすり、さがさないと)

 

 ――ちょっと大きいけれど、解体なんて簡単だ。

 

(おなかすいた)

 

 手が伸びていた。細くしなやかで幼い五指が、屈強な喉元に絡みついていた。

 白妙をたたえる無垢な両手。しかしそれは、人間を容易く挽肉に変える受肉した凶器に変わりない。

 圧が。

 加わる。

 

「……だめ、だめ! だめだめだめっ!!」

 

 本能の渦潮に呑まれかけた刹那、少女は自らの指を噛み、囚われかけた理性を解き放った。

 鮮烈な痛みが脳髄の汚泥を攪拌させる。腹に穴が開きそうな飢餓感を抑え込んで、少女は必死に思考を巡らせ、自我を離すまいと抗い続けた。

 

「えっと、えっと」

 

 ハンクのポーチへ手を伸ばす。物取りのようにがさごそ漁る。

 記憶通り栄養剤のパックが入っていた。たった2つしかないが、少女にとっては地獄に垂らされた蜘蛛の糸に等しい。

 無我夢中で取り出し、キャップを捩じ切って中身を吸い取る。

 馴染みの味が舌を包む。瞬く間に吸収され、猛獣のような飢えが鳴りを潜めていく。

 

「……」

 

 最後の最後まで絞り尽くしたチューブをゴミ箱へ捨て、残った1本を見つめる少女。

 これが正真正銘最後の命綱だ。ハンクが言った通り、無暗に消耗することは出来ない。

 ポーチにストックを戻し、すぐさま次の行動へ。

 

「おくすり……!」

 

 少女は人を治す術など知らない。自動的に傷が塞がる少女に、『治療』などという縁遠い概念は分からない。

 故に僅かな知恵を頼るしかない。暗闇を手探りで進むような方法しかない。

 

 ハンクを治す薬を探す。

 ただそれだけの羅針を(しるべ)に、少女は仄暗い電灯の世界を歩き出す。

 

 

 ロッカーや小物入れ。机の引き出しに小さな金庫。

 研究室の隅から隅まで、それこそ鍵のかかった場所すら怪力でこじ開けてまで探しだした。

 けれど薬は見当たらず、半ば途方に暮れながら、少女はNESTを徘徊していく。

 

 道中、施設案内の地図を見つけて立ち止まった。

 少女の識字能力は高くない。しかし簡単な単語程度なら読み取れる。

 

「いむしつ」

 

 NEST上層、ノースエリア。ラクーンシティ下水道へと続く入り口付近に、視線を惹かれる言葉を見つけた。

 この施設は広く、存在自体が極秘のブラックボックスである。おまけに大勢のスタッフが労働に励む環境上、こうした部屋が設けられていても不思議ではない。

 

 さっそく少女は駆け出した。エレベーターへと引き返し、リストタグ認証装置のロックを電気で狂わせ、最上階を目指していく。

 未踏の地へと辿り着く。記憶した地図によれば、エレベーターを出て真っ直ぐ進むだけで良いはずだ。

 

 しかし、肝心のノースエリアへ続く橋が見当たらない。

 

「んぅ?」

 

 どうやら管理者権限で格納されているらしい。辺りをきょろきょろ見渡すと、エレベーターと同じリストタグ認証装置を発見した。

 駆け寄り、触れる。リストタグが無いため反応は無い。

 だが関係ない。少女は電気を操る兵器だ。停電が回復した今、少しの電気で関係なく作動させられる。

 

 バチバチと火花が叫ぶ。静かな駆動音が発生し、シャフトに格納されていた橋が釣り竿のように伸展すると、ノースエリアへ接続された。

 

 小さな足で風のように疾駆する。

 あっという間に対岸へ到着、そのままドアを抜け、脳裏の地図に従いながら目的地へ。

『Medical office』のプレートが視界に映り、ブレーキを掛けた。

 

「いむしつ……!」

 

 ドアを開く。電気は全てつけっぱなしで廊下より明るく、少し眩しく感じてしまう。

 おかげで、部屋の奥に倒れ伏す死体の姿がよく見えた。

 

「……?」

 

 生体反応はない。間違いなく死んでいる。

 少女が首を傾げたのはそこではない。後頭部に空いた風穴が、一抹の違和感を招いたのだ。

 こんなふうに穴が開いているということは、銃火器で射撃された痕跡に他ならないわけで。

 

「!」

 

 その時、鋭敏な少女のセンサーに未確認の存在が引っ掛かった。

 部屋の隅。少女から見て左前方、診療用デスクの影に何かが潜んでいる。

 ゾンビではない。感じる生体電気に乱れが無いのだ。T-ウィルスで暴走した細胞組織を持つ感染者なら、異常活性を起こしているがゆえのノイズが混じる。

 それが感じられないということは、もしかして。

 

「あの」

「動くな」

 

 呼び声が起爆剤となるように、人影がデスクの背後から現れた。

 重く低い男の声。少女より遥かに高く、屈強な背丈。

 声の持ち主は、少女へ酷く既視感をあたえる出で立ちだった。

 

 鴉のような黒づくめの戦闘服。受信機の壊れたトランシーバー。ヘルメットにガスマスクと隙が無く、素肌の色すらロクに伺い知れない容貌は、あのハンクと瓜二つ。

 垣間見える素性といえば、割れた右レンズから覗く黒い瞳くらいだろう。理性を宿した人間の眼からは感染の気配など感じない。

 

 見慣れた凶器(LE5)で少女に狙いをさだめる男は、ほんの少し照準器から目線を逸らして、

 

「子供? こんなところになぜ子供が」

「ぅ……? はんく?」

「!? い、今なんて言った!?」

 

 銃口を降ろし、警戒を解く謎の男。デスクから身を乗り出して、ゆっくり少女へ近づいた。

 少し距離を取ったまま、膝を着いて目線を合わせる。少女は不思議そうに、ハンクと同じ姿をしながらも、匂いも気配も雰囲気も異なる別人を観察していた。

 

「俺を見てハンクと言ったのか? 隊長を知ってるのか!?」

「はんく、しってるよ」

「い、生きてるんだな!?」

「うん」

「そうか……! やっぱり生きてたんだ、流石隊長だ!」

 

 安堵を滝のように流しながら、大きく一息つく男。

 少女は依然混乱したまま、ハンクとは似ても似つかない男に疑問符を浮かべるのみ。

 一方、男は完全に警戒を解いたらしく、銃を背のホルダーへと戻す。

 

「君、隊長がどこにいるか分かるのかい?」

「うん。わたしのへや」

「君の? ……NESTに保育所なんてあったっけか」

 

 言葉を介する幼子が、生物兵器の一種とは毛ほども疑っていないらしい。

 無理もない。B.O.Wとは総じて食欲に支配された化け物なのだ。意思疎通が可能な時点で、疑う余地など消滅する。

 むしろ、()()()()()()()()()()()()の犠牲者と考えた方が自然だろう。

 

「お嬢ちゃん、そこまでおじさんを案内してくれないかな。無線機……って言っても分かんないか。ええと、電話が壊れてて、隊長とお話しできないんだ。会って話がしたい」

「……おじさん、はんくのおともだち?」

「お、お友達……はは、なんというか、まぁ」

「そっくり」

「ああ。一緒のグループなんだ。新しく入ったばかりなんだけど」

 

 子供の拙い語彙に合わせるように、男はほぐした会話を続けていく。

 少女は意を決したように、ハンクと瓜二つの男へ言った。

 

「あの、ね。たすけてほしいの」

「助けて欲しい?」

「はんく、きずついてて、うごかないの」

 

 

 一言が、マスク越しの表情を一変させた。

 愕然とする彼に少女は伝える。覚えたばかりの幼い言葉で、簡素に、必死さを伝えていく。

 ハンクが少女を守ってくれたこと。道中、怪物に襲われ致命傷を負ったこと。

 そして今、命の灯火が消えかけているという現実を。

 

 食い入るように耳を傾けていた男は、全貌を把握するやいなや立ち上がって、

 

「ちょっと待っていてくれ。少し準備がいる」

「ん。おくすり?」

「そうだ。ここは医務室だから治療道具に事欠かない。隊長をここへ運ぶ前に、現場で出来る処置はしておかないと」

 

 言いながら、男は薬品棚や救急箱を物色し、アイテムを検閲してはポーチへ放り込んでいく。

 そんな彼の腕や腹部には、血の滲んだ包帯が巻かれていた。

 バーキンの襲撃に遭いながらも運よく生き延びた彼は、この医務室へ籠って傷の治療に専念していたのだろう。

 

「それにしても、たった一人でよくここまで辿り着いたね。怖かったな。立派だぞ」

「ん、う」

「でももう大丈夫だ。あの隊長が君を保護したってことは、きっと確かな理由があるからなんだろう。だったらU.S.Sの俺が、その任務を引き継がなくちゃならない。隊長の元まで君の安全を守ると約束するよ」

 

 装備を整え、銃のチェックを済ませ、男は医務室のドアに手を掛ける。

 少女は恐る恐る、男の後ろを着いていく。

 ほんの一瞬、立ち止まって。

 

「おじさん」

「ん?」

「えと。なまえ」

「ああ……そうだな」

 

 割れたレンズの奥から覗く眼を上げて、少し考え込んだあと。

 

 

「隊長にのっとるなら――俺の名前は『GHOST(ゴースト)』さ」

 

 




ハンク以上に謎なU.S.Sの幽霊兵士、ゴーストくん参戦です
まるで人格が分からないので、判明している設定や行動の解釈から、ルーキーっぽく若々しい感じでいこうかなと

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