俺はシカさんと共にヤーナム市街に来た。
暇つぶしに適当な鐘の音にお呼ばれしてみたが、まだこの世界の主には会えていない。
「死体がねぇな。そこまで先に行ってないか、スルーしてさっさと進んでるのかね」
診療所を出てすぐ上がった先の灯りで待っているのだが、主が戻る気配もない。
「ギルバートさん、狩人見ませんでした?」
まだ元気になる前のギルバートさんに尋ねる。窓の奥の明かりから咳き込む声が聞こえる。
「ゲホッ ……あ、ああ、あんたたちあの子のお仲間か。さっきまでそこにいたよ」
「あの子? ってことは女か! テンション上がってきた」
シカさんがもろ手を挙げている。
「ゴホッ 知り合いじゃないのか」
「ええ、まぁ……シカさんちょっと黙っててくれ」
シカさんはいつもの被り物を外して、騎士の一房をかぶる。
「ギルバートさん、俺たちその子に用があるんだけど、どこ行ったか分かります?」
「ゴホゴホッ 市街に入っていった。たぶん聖堂街を目指していると思う」
となると、恐らく最初の会話の後くらいだろう。噴水まで行けば、ガスコイン神父と会うところまで進んだか確認できるはずだ。
「ありがとう。じゃ、行ってきます」
「ギルバートの旦那! その子可愛かった?」
シカさんの肩を小突いて先に進む。
「ゲホッ! な、なんで私の名前を知ってるんだ……」
市民を蹴散らして橋を渡った先、巡回の多いメインストリートに降りる階段まで来たが、その子どころか死体もない。市民らの様子を見ても、走り抜けたようでもなさそうだ。
「なんかおかしいな。雑魚も柔らかいし、初心者っぽい夢だが」
「そうだね。ん?」
階段の上から見える瓦礫の隙間に、何かが隠れている。市民はそんなところにはいないはずだが。
「シカさん、あそこ」
「お? 頭隠して尻隠さずってヤツか」
半分獣化した市民の目だから誤魔化せているのかもしれないが、俺たちには丸見えだった。
「おいおいマジで一週目か! ヒュー! かっこいいとこ見せて一発お持ち帰りしたいぜ」
「シカさん声――あーあ」
ちょうど巡回してきた市民が俺たちに気づいて殺到してくる。
「あ、わりぃわりぃ!」
シカさんは回転をかけた車輪で市民を撲殺しながら謝る。
「とりあえず、市民減らしてあの子と合流しようか」
俺も弓剣で追いすがってくる市民をぶった切りながら、市街の門あたりまで後退した。
巡回している市民を片付けて、瓦礫の近くに戻ってくる。
ちょうど、市民の数が減ったのに気付いたのか、この世界の主が恐る恐る瓦礫の影から這い出てきた。
「あ……ちょい隠れよ」
「え? お、おう」
理由は分からないが、ひとまずあの子に見つからないようにしたいようだ。
俺たちは物陰に隠れ、出てきた主を見る。
「上下異邦の服装……間違いねぇ、初心者だ」
主はフードを取り、その顔を露わにする。
赤茶けた髪を三つ編みにまとめ、恐怖にひきつった顔には眼鏡をかけている。
「見ろよ、目の下真っ赤だぜ。美しい娘よ、泣いているのだろうか?」
シカさんはヒヒヒと笑って手をワキワキと鳴らしている。ウザい。
だが、確かに可愛かった。
「おいシカさん、はやく声かけてやれよ、かわいそうだろ」
「お、お前から行け」
「なんでだよ、アンタ一発お持ち帰りしたいって息巻いてたじゃないか」
「ナンパとかやったことねぇし……」
いやナンパしに来たわけじゃないだろ。
「俺だってないよ。でも助けに来たんだから」
「だったらお前行けよ! 俺は後方支援する」
「いや、俺も女の子に自分で声かけるの慣れてねぇし……」
「俺だってそうだよ!」
夢の主はビクビクと小動物のようにあたりを見回し、ゆっくりと広場の方へ歩いていく。
どっちから話しかけるか口論が熱くなる中で、主の子は一件の家の戸を叩いた。
「あ、あの、誰かいませんか……」
か細い声で訴えかけると、ドアの向こうから辛辣な反応が返ってくる。
「よそ者め。お前などに開ける扉はない! さっさとうせろ!」
「う、うぅッ!」
既に泣きはらしていたような顔をさらに濡らして、主は別の家の戸を探し始める。
「やべぇ、ちょーかわいい」
「いい顔だなぁ」
「え?」
「ん? 何も言ってないけど」
ひとまず俺たちは、辛辣な返事をした住人が悲鳴を上げるまでドアをボコボコにしてから、尾行を再開した。
手あたり次第に戸を叩いて歩く彼女は、ようやく広場が見える場所までやってきた。
さすがに真正面から突破を試みるような性格ではなさそうで、迂回できそうな道を探してキョロキョロしている。
「シカさん。あのポイントに到達しそうだ」
「ああ、角待ちのとこな」
「どうする? 絶好の見せ場だぜ」
「見えない場所から襲い掛かってきた市民を颯爽と登場して片づけるってか?」
「ああ」
「……ちょっとキザすぎねぇ?」
「そんなことはない。命の恩人って認識してもらえりゃこっちのもんだろ?」
「よ、よぅし」
俺たちは、建物の影に隠れて待った。角に隠れて出待ちしている市民のところまで彼女が到達する直前、俺とシカさんが同時に出ていく。
「お前市民を仕留める役な。俺彼女をかばう役で」
「は? おいしいとこ持ってくつもりかよ。シカさんがやれよ。俺彼女が驚いて倒れるとこ支える役で」
「ふざけんなし。こちとらやっと勇気出てきたんだから邪魔すんな!」
我先にと走り出そうとするシカさんの肩を掴んで留める。
「抜け駆けするなよ!」
「うるせぇ! 今が童貞捨てるチャンスなんだ譲れや!」
「この野郎やっぱ童貞かよ!」
俺たちがにらみ合っていると、彼女の悲鳴が響いた。
「あ」
「あー!」
角から飛び出してきた市民が鉈を振り上げ、彼女に襲い掛かる。
距離がありすぎて割り込む時間はない。
彼女は仕込み杖を咄嗟に振り上げ、鉈を防いだ。だが足を滑らせ倒れる。
市民にのしかかられ、両手で掴んだ仕込み杖で鉈の刃を遠ざけようともがいている。
俺は咄嗟に、エヴェリンと遠眼鏡を取り出して狙いをつけた。
市民の脳天を狙撃すると、一発で絶命した。彼女は息を切らせて、かぶさってきた市民の死体から這い出てくる。
「隠れろ!」
シカさんに首根っこを掴み上げられ、建物の影に押し込まれる。
再び隠れた俺たちは、彼女を覗く。何が何だかわからなさそうにあたりを見回して警戒している。
「おい! なんで今更隠れんだよ」
「お前にいいとこ持ってかれてたまるか」
車輪でブロックされ角から出られないまま、再び彼女が進みだすのを見送る。
亀の歩みで街を進む彼女の様子は、もはや狩人というより獣に怯える赤ずきんのようだった。
仕込み杖は本当にただ竦む足の支えとしか機能しておらず、腰の短銃は一度も引き金を引いていない。
「あの体たらくじゃ、一周しないうちに心が折れちまいそうだな」
哀れな姿に、シカさんも性欲をいったん忘れる気になったようだ。
「このまま悪夢に冒されて廃人になっちまうくらいなら、いっそ俺ん家で人形ちゃんと一緒に暮らしてもらいたい。あの子には〝旦那様〟って呼んでもらって、俺の帰りを今か今かと待ちわびてだな――」
勘違いだったようだ。
てかあんたの家燃えっぱなしの状態だけど、それでいいの?
とにかく隠れて敵をやり過ごす彼女を、そのスルーされた市民や犬を流れ作業で黙らせつつ尾行を続ける。
だんだん腹が立ってきた。
「これからもっとひどい目に遭うってのに、無垢な少女プレイいつまで続ける気なんだ……」
「そう言うなって。何度か死んじまえば、ヤーナムのスローライフにもいつか慣れるさ」
「今死なれたら俺たちオサラバだけどな。そろそろ飽きてきたし、ヤるならさっさと手出せよシカさん」
「も、もう少し待ってくれ。チャンスが来たら今度こそ……」
「そう言ってる間にガスコインまで行っちまうぞ」
一匹も殺してないままガスコインに当たって勝てるとは思えない。まぁ聖職者の獣に当たっても同じだが。
やがて、彼女は下水道を走り抜けて梯子を上る。石像を振り回す下男がよそを向いている隙に、彼女は上に向かう梯子をさっさと上っていった。
俺たちも彼女がのぼりきった頃に、急いで追従する。
上にたどり着く直前で聞き耳を立てた。
「おい、はやく上がれよ」
「シッ ガスコインの娘としゃべってる」
「マジか! 場所変われ俺も聞きたい」
「黙ってりゃ聞こえんだろ! ――おいコラ、落とそうとすんじゃねぇ!」
のぞき込むと、明かりのついた窓の奥にいる少女と夢の主が言葉を交わしている。
「あなた、だぁれ? 知らない声、だけどすごく懐かしい匂い……もしかして、獣の狩人さん?」
「う、うん」
「だったらお願い。お母さんを探してほしいの。獣狩りの夜だからって、お父さんを探しに行って、それからずっと帰ってこないの」
「ずっと? こんな危ない街で……」
「ずっと待ってるんだけど、でも、寂しくて……」
寂しさに声を震わせる少女は、縋るように言う。
そんな少女に、夢の主は一瞬ためらいながらも何かを決意した様子で、頷いた。
「……うん、わかった。探してみる。私も来たばっかりで、町の事はよくわからないけど。もし会えたら、あなたが待ってるってこと、必ず伝えるね」
「本当? ありがとう! お母さん、真っ赤な宝石のブローチをしてるんだ。大きくて、すごくきれいだから、きっとすぐわかると思う」
「赤い宝石のブローチが目印ね。分かったわ」
「それで、それでね、お母さんを見つけたら、このオルゴールを渡してほしいの。お父さんの好きな、思い出の曲なんだって」
「オルゴール? いいけど……」
窓が少し開いて、小さなオルゴールが手渡される。
「私たちのことを忘れちゃってても、この曲を聞けば思い出してくれるはずだって……それなのに忘れてっちゃうなんて、おっちょこちょいなお母さんだよね」
「え……お父さんが、あなたやお母さんのこと忘れるって、どういうこと?」
「……私もよくわからないけど、お母さんがそう言ってた。でも、きっと大切なことだと思うから、オルゴールを渡してほしいの」
「そうなの……分かったわ。絶対オルゴールを届けるね」
「おねがいね、狩人さん」
やりとりを聞いていると、俺の足元からシカさんが鼻をすする音が聞こえる。
「ズズッ 畜生、ええ子や……あの子がどうなるのかも知らずに、うぅ……」
「あんたのせいで台無しだよ」
レバーを下ろして門を抜けた夢の主。少し待ってから梯子を上り、その後に続く。
ショートカットから先ほどまで通ってきた道に出ると、彼女は少女の母親を熱心に探し始めた。
今までと違い、こそこそとした歩みをやめ多少堂々と街中を進んでいる。
やがて市民と対峙すると、猛然と立ち向かい始めた。
「この街には、あの子のお母さんがいるんだッ! 絶対に助けなきゃ!」
足は震えながらも、仕込み杖を巧みに繰って敵を倒していく。
一匹、二匹……獲物を狩るほどに様になっていく。
ここに来る前はきっと、ケンカの一つもしたことのない人生を歩んできたのだろう。だがそれでも仕掛け武器の使い方は――獣の狩り方は無意識に理解している。
生き物を殺す経験、他者を痛めつける経験は重要ではない。魂の苗床に植え付けられた狩人の本能が、手にした狩り道具で何ができるのか教えてくれる。獣の狩人とはそういうものだ。
「ひゅー。まるで物語のヒーローだねぇ。俺も昔はああだった」
「シカさん。今のはひどいよ。感動を返して」
「何が言いてぇんだこの野郎」
道中、俺たちが片づけた市民や犬の死骸を見つけられ冷や汗をかいたが、バレることはなかった。
下水道の入り口まで戻ってきた夢の主は、先ほどはスルーした梁の上を歩くルートを見つけ、進んでいく。
進んだ先で、俺たちは少し困った。
「……アイリーン師匠のとこ行くみたいだな。どうする?」
「どうするって? 覗くに決まってんだろ」
「……尾行バレそうじゃね」
「……まぁな」
樽や木箱の山に隠れ、できるだけ距離をとって遠眼鏡で観察した。
夢の主は、瓦礫等の影に少女の母親が隠れていないかを探っているような動きで歩く。
欄干のそばにいたアイリーン師匠は、近づいてくる彼女に気づいて振り向いた。
逆に彼女は、アイリーン師匠の闇に溶け込む鴉羽のコートのせいで、なかなか気づかない。
暗がりの中、そこそこ至近距離まで接近してようやく師匠に気づいた。かなりビビった様子で、仕込み杖を抱えて後ずさっている。
「……なんだいアンタ、狩人かい? それも、外から来たようだね」
「ひっ……え……は、はい……。あ、あなたは、お医者さん?」
師匠のペストマスクを指して言う。師匠は少し首をかしげて、鼻を鳴らした。
「ふん……外じゃこの面はそういう恰好なんだろうねぇ。あいにく、このヤーナムじゃまるで違う仕事の装束さね。アンタと同じ狩人さ」
「そうなんですか?」
「まあ、普通の狩人とは少し仕事が違うがね」
「と、ところで、人を探してるんですけど、真っ赤な宝石のブローチをした女性を見かけませんでしたか?」
「……あぁ、知り合いの嫁さんがそんなブローチをしてたね。悪いが最近は見かけちゃいないよ」
「そうですか……もし会ったら、娘さんが心配して家で待っていると伝えてあげてください」
「……ああ」
仮面の奥で、師匠はどんな顔をしているのだろう。
「しかし、因果なことに巻き込まれちまったね。特に今夜は、酷いもんさ」
「獣狩りの、夜?」
「ああ。巻き込まれちまった以上、どうあがいても獣を狩る以外に道はないよ。……アンタみたいなのが来るべきじゃなかったね」
師匠は深くため息をついた。
「これは後輩に、餞別だよ」
師匠は、狩人の確かな徴を夢の主に渡す。狩人の夢に戻るためのものだ。
「しっかりするんだよ。もう誰も人じゃあない。人を喰らう獣どもだからね……」
「あ、ありがとうございます……。あの、獣って、やっぱり人間だったんですか」
「今更なことを言うねぇ。まあ、よそ者には到底理解しがたいか」
「はい。……あの子のお母さん、お父さんを探しに行ったっきり帰ってないそうなんです。なんでも、お父さんがその娘や奥さんのことを忘れているとか、そんなことを言っていたんです。もしかして、そのお父さんは獣に……」
夢の主は自らの心を守るように両腕を抱き、言葉を発するたび痛みをこらえるように表情を曇らせる。
「……狩人は、獣の病に一番近いところにいる。感染の危険と隣り合わせの仕事さね」
「どうして……奥さんも子供もいるのに、こんな危険な街で暮らしているの。どうして狩人なんか……続けているの」
「アンタも、これから嫌でも分かるかもしれないね。ただまあ、そんなことにならないことを祈ってるよ。私の獲物にならないことをね」
「獲物?」
「私はね、狩人を狩るのが仕事なのさ」
「え――」
「おっと、怖がらせちまったかい。まあ安心しな。私が狩るのは、正気をなくした狩人さね。狩りと血に呑まれた、狂人たちをね」
「それは……まさか……――ッ⁉」
夢の主が息をのむ。
師匠のけして十分とは言えない言葉から、その意味を察することができてしまった事実に、恐怖と絶望を味わう。
単なる成功体験。ただ慣れない事をこなせたという達成感に過ぎないものと無意識に遠ざけようとしていた感覚。
命を奪う行為を忌避する意識の裏側で蠢く何か――狩りの最中、火花のように頭の中で小さく弾ける、熱をもったナニか。
それが自身にとって、何物にも代えがたいモノに成長する可能性が理解できるという事実に――。
彼女のような、ここにいるべきでない純真な心の持ち主には堪えることだろう。今までの彼女にそんな野蛮な趣向はなかったはずなのだから。
「分かるだろう? ヤーナムにはびこる病を払うための狩りが、己の中で別の意味を持ち始める感覚が。狩りの駆け引きが愉悦を生み、獲物の流す血に快楽を感じる。逃れられない狩人の宿命だよ」
「そんな……そんなの、人として間違ってます! 生きるため、食べるために狩りをするのならまだしも、それ自体に夢中になるだなんて。そんなの……」
「ヤーナムの獣は、病。狩って取り除く以外に、増殖を止める手立てはない。人を救うために、狩人は必要さね。だが繰り返すうちに、狩りという行為に呑まれてゆくのは、ある意味生き物の本能なのかもしれないね。多少小賢しくたって、人も獣と変わらないんだよ。ヤーナムの外にだって狩猟を娯楽にする奴らはいる」
「嫌……いやです。そんなものに、なりたく、ない……」
頭を掻き毟るように抱え、その場にうずくまる。
「俺たち全否定されてんな」
「シカさん、彼女と付き合ったら狩人やめろって言われるよ」
「……夫婦狩人の夢、絶対叶えてみせる。カインハースト城で結婚式だ」
「やめてやれよ。いろんな意味で」
師匠は、あきれたように肩をすくませる。
「狩人が、獣が恐ろしくなったかい」
厳しい口調だが、その仮面の奥から彼女に注がれる視線には、どこか温かさがあった。
「それでいい。恐れなき狩人など、獣と何が変わろうものかね」
未だ苦し気に胸を抱く夢の主は、それでも立ち上がった。
怯える目には涙が溜まっているが、引き結んだ唇には決意が感じられる。
「あの子のお母さんを、探します。それが、私が人であるために必要だから」
「フフッ そうだね。いくら恐ろしくても、あんたは獣を狩るしかないんだよ。狩りに呑まれず、強く人であり続けるしか、ね……」
夢の主は師匠に一礼し、その場を去る。その足取りは、さっきまでよりも震えていなかった。
「さっすが狩人狩りのアイリーン。あと一〇……いや二十歳若かったら惚れちゃうね」
「バカ名前出すなって!」
次の瞬間、シカさんの覗いていた遠眼鏡にスローイングナイフが突き刺さった。
「アンタら、コソコソ女の尻追っかけてる暇があるなら、あの子を助ける甲斐性くらい見せな」
「は、はい……すんません」
「し、失礼しました師匠……」
「誰が師匠だい。なれなれしい奴は嫌いだよ……。聞いてたろう、アンタらも、私の獲物にならないように身の振り方には気をつけるんだね」
俺たちは頭を下げながら、夢の主を追っていった。
街中をさまよい、少女の母親が見つからないことからようやく先に進むルートを歩き始める。
エレベーターを見つけた夢の主が、なんの気なしにレバーを下ろす。
仕掛けが稼働し、エレベーターのドアが開いた。
「やべぇ、乗ったら見失うかも」
「シカさん、これ」
俺は青い秘薬を渡す。
「ナイス! 音をたてないようにいくぞ」
秘薬を呑み透明になると、夢の主に続いてエレベーターに乗り込む。
「……?」
夢の主も、透明化してるとはいえこの距離に近づけば違和感を覚えたようだ。しきりに背後を気にしている。
「(スーハァ、スーハァ)」
「(シカさん…………)」
エレベーター内の空気を――正確には女の子の匂いを鼻で懸命にとらえようとしているのか。
ここに充ちたるは童貞の鼻息と血の臭気のみだ。早く降りたい。
二人巡回している下男たちをかろうじていなした夢の主。やがて、あの火の玉を転がしてくる橋までやってきた。
橋の向こうからゾロゾロやってくる市民たちに、夢の主が後ずさる。
しかし覚悟を決め、仕込み杖を変形させ挑みかかった。もちろん、その向こう側でスタンバっている下男には気づいていない。
「うっ……このッ! 邪魔しないでッ」
数の暴力に苦しめられ、橋の真ん中で囲まれる。
「(このままじゃやられるね)」
「(ああ。ここがチャンス! 白馬に乗った車輪王子様の出番だぜ!)」
シカさんは意気揚々と飛び出していったようだ。
「(あ。火の玉きた)」
橋の向こう側の下男と市民が、可燃物を固めた大玉に火をつけて階段の上から転がり落とした。
立ちふさがる市民の背後から猛スピードで突っ込んでくる火の玉に気づいた時、夢の主は目を見開いた。驚愕、そして体力の枯渇から、足が止まってしまっている。
姿の見えない誰かが市民を車輪でぶっ飛ばしていても気づいていない。
「(女の子の匂いもっと――って火の玉近ッ! なんで避けないのこの子⁉)」
夢の主は、自らの死を悟ったのか仕込み杖を取り落とす。
周囲の市民は気づいているのかいないのか、火の玉にかまわず夢の主に襲い掛かる。
だが次の瞬間、夢の主の傍らですさまじい雄叫びが轟く。その声は物理的な衝撃を生み、夢の主と周囲の市民を吹き飛ばした。
シカさんが獣の咆哮を使い、夢の主を火の玉の進路から外したのだ。
「――ギョアアアッ⁉」
そしてそれは、シカさんの断末魔の叫びでもあったのだろう。
咆哮した場所を通過する火の玉は、何かに乗り上げたようにガクっと速度を落としたように見えた。
「くっ! な、なにが起こったの⁉ ……いえ、そんなことよりもッ」
夢の主は降って沸いた奇跡に驚くのもつかの間、橋の向こうにいる下男をにらみつける。
「仲間ごと罠にかけるなんて、許せない!」
仕込み杖を拾い上げ、颯爽と下男たちのもとへ走っていく。
夢の主が善戦しているのを確認してから、俺はシカさんが倒れているであろう場所に出ていく。
「シカさん。男だったぜ」
「……俺はもうだめだ……」
「なにいってんだ。大したダメージくらってないだろ」
「……あの子に間抜けな場面見られちまった……こんな初心者も殺せない罠に轢かれちまった……死ぬ……」
「大丈夫だ。あんたに気づいてすらいない」
「……今、青い秘薬呑んでんじゃねぇか! どこが見せ場なんだよ!」
この童貞は今更になって思い出したらしい。
「それより、ここからは先回りしないとマズいぞ」
もうすぐガスコインのいるオドン墓地だ。その手前にいる獣化市民はそこそこ死亡率が高いから駆除した方がいい。
「わぁってるよ畜生‼ 1秒でぶっ殺してやる!」
姿が見えないうちに、下男と戦っている夢の主の脇を走ってすり抜ける。
階段の先で死体をのぞき込む二体の獣を後ろから仕留め、階段の影に隠れた。
秘薬の効果が切れた頃に、夢の主がやってくる。
「はぁ、はぁ……」
だいぶ体力の限界が近いようだ。きちんと輸血はしていたから死に体というわけではないようだが。
墓地に足を踏み入れる。俺と、夢の主が来てからナゼか前かがみになった童貞のシカさんは後を追う。
墓地に入り、すぐに俺たちは墓石の影に隠れて様子をうかがった。
ザシュ……ザシュ……
霧の立ち込める小さな墓地に、血なまぐさい音が響く。
墓地の奥で大柄な男が斧を振りかざし、落とす。
吹き出る血。湧き出る鉄サビの匂いを浴びながら、男は獣の肉から斧を引く。
「……どこもかしこも、獣だらけだ」
諦観のにじむ言葉の奥に、危うさを感じざるを得ない熱気を孕む。
ある種の予感を覚えているのか、夢の主は喉をゴクリと鳴らして、口を開いた。
「あなたも、狩人ですか?」
「ああ……」
「そう、ですか……。あ、あの……人を探しているんです」
「そうか……殺すためにか? 狩人」
「ち、違います! ……頼まれたんです。女の子から。……なぜ、殺すと思ったんですか? 私が狩人だから……いや、狂った狩人だと思ったからですか」
「ほう……お前は、自分が狂っていないと言うのだな。なぜ断言できる」
「それは、ここに来たばかりで――」
「なら、今はそうではない、と」
「はい。今は。……私は、絶対に血に酔うようなモノにはなりたくありません」
「道理を理解できていないな。誰しも、自ら血に狂いたいなどと考えて狩人になりはしまい。狂気とは、望むと望まざるとに関わらず、人知れず身を蝕む病のようなものだ」
背中で語る大男は、うわ言のように、夢の主と本当に会話しているのか怪しい様子で答える。
「そうかもしれません。こんな場所で、こんな血まみれになって、命を奪い続けなければいけないような街で、まともに生きていくなんて、きっと難しい事だと思います。でも――」
夢の主は、その血と腐臭に満ちた空気を吸い込む。そして、それに呑まれまいとする強い意思をもって言葉を紡ぐ。
「私は、それでも人として生きたい。まだ生きている人たちを助けたい。とても恐ろしい街だけど、それでも懸命に生きようとしている人たちがいる。あなたも、そんな人たちを助けようと思ったから狩人になったはずです。途方もなく悍ましい道だとわかっていても、大切な人を守りたいと思ったから、狩人になったんですよね。それは、人として尊い選択だと思います」
「……耳が痛いな」
「……気のせいだ」
俺たちは、黙って聞き入っていた。
今までいろんな狩人と会った。それこそ、来たばかりのルーキーやなん十週も繰り返してきたベテラン。数えきれないほどの狩人と語り合い、対峙した。
こんな青臭いことを本気で言う狩人ももちろんいた。
だが、信条がどうあれ、ヤーナムで生き続ける限りやることは決まっている。
獣を狩り、上位者を狩り、温い血を浴びる。
この連鎖から抜けられた奴なんているのだろうか。
いたとしても、もう会えない以上証明できやしない。
永遠に醒めないかもしれない悪夢で、俺たち異邦の狩人は生き続ける。
道徳や倫理の概念が存在しない世界で、それに縋り続けるなんてそれこそ狂気の沙汰だ。
血に酔おうが殺しを楽しもうが、心がねじ曲がっても折れさえしなければ人は人として生きていける。
そう。生きるためだ。
生き残るために、俺たちはソレを捨てたんだ。
「――あなたの言うように血に呑まれてしまう狩人もいる。それは人であるからこそ、避けられないのかもしれません。けれど、私にはまだ人の心がある。誰かを助けたいと思う心がある。それがある限り、私はあきらめません。そして、同じように誰かを救うために自分たちを犠牲にできる、あなたたち狩人も助けたい! たとえ狂気に呑まれても、また思い出してほしい! 命の尊さを大切にしてほしいの!」
大男は、ゆっくりと振り返る。彼女の言葉をあざ笑うような大きなため息とともに。
「外から来た小娘のさえずりにしては、煩わしい程に大きなものだ……」
ツバの広い帽子の影から、夢の主を射殺すような視線を飛ばす。包帯で隠されていても、その殺意は隠しきれない。
「この街を見た後で、大口をたたく度胸だけは認めよう。しかし、お前はまだわかっていない。人間など、簡単に狂ってしまうんだよ。とはいえ、血に呑まれたとして、俺たち狩人のやる事は変わらん。獣を狩る。それさえ続けられるのなら……」
大男――ガスコイン神父は、口元を吊り上げる。
「何を考えて狩人になったかなど、些末なことだ。誰を守るだのという動機など、どうでもよい。狩る事に執着しようと結果は変わらん。一匹でも多く獣を狩れれば、その獣が食い殺すはずであった者が救われる。お前の言っている衒った信条よりも確かなことだ」
「そ、そんなこと続けたらダメ! 獣だって、同じ生き物なんです! それを忘れて殺し続けていたら、いずれ人さえ人と思えなくなってしまいます!」
「だから何だ? もうヤーナムには人間などいない。救うべき者など、救われるべきモノなど存在しない」
「それは違います! まだ市街には、立てこもっている人々が今も生きてます!」
「獣になるのも時間の問題だ」
「どうして諦めるんですか! 可能性があるのなら、まだ人であるのなら、助けるべきです!」
「……フフッ カハハハハッ!」
神父は、乾いた喉で笑い声をあげた。
「それは命乞いか? 獣め」
「な、なにを――」
「ずいぶんと達者にヒトの皮をかぶるものだよ。楽しませてくれる」
「待ってください! 私は人間です!」
「獣になって狂った人間も皆そう言うものだ。自覚がないからこそ本物の狂人とも言える。さっきも言ったろう? これは病だ。獣も、狂気も。知覚の外から襲い掛かる病だ。もはや、跡形もなく刈り取るしかないんだ」
「あなたこそ……あなたこそ狂人よ!」
「だとしたら、どうする? 俺を狩るのか?」
喉の奥で嗤い、舌なめずりをする。
「お前は獣だ。だから俺は狩る。逆に俺が血に狂っているとして、お前がなおも自分を人と――狩人だというのなら、俺を狩るべきだ。そうだろ!」
神父は、夢の主へ一歩を踏み出す。
今に至り、ようやく初めて彼女と向き合ったことを感じさせた。――狩りの対象として。
「……そこまで呑まれているんですね」
苦し気に眉根を寄せ、唇を引き結ぶ。両手に、仕込み杖と短銃を取る。
「貴様も、どうせそうなるのだろう?」
神父は獲物に襲い掛かった。
斧の一振りが、夢の主の脇をかすめる。紙一重の攻防は、逃げ回る夢の主の神経をすり減らしていく。
今まで相手にしてきた獣とは違う。ただ肉を求め襲い掛かってくるのではなく、こちらの動きをつぶさに洞察し先手を打ってくる。歴戦の狩人の戦い方を、夢の主は痛みとともに学んでゆく。
神父の動きに隙は無い。当たり前だ。獲物の隙を熟知し利用する事を狩りというのだ。己に生じる隙に付け入られぬよう立ち回ることなど、基本中の基本でしかない。
逃げ回るだけでは勝ち目はない。能動的に、相手の隙を作り出さなければ――。
「やはり獣。哀れに逃げ回ることしかできないのか。狩人のフリをするなら、もっと楽しませて見せろ!」
「くっ!」
夢の主は、それでも懸命に仕込み杖を振るう。
彼女も、徐々にガスコインの動きについていき始めている。
斧の振るわれる回数。踏み込んでくる距離。わずかな癖を必死で手繰り寄せ、攻撃可能なタイミングを模索してゆく。
大振りの攻撃をステップでかわし、ようやく掴んだ隙に踏み込む。
「ここ――ッ⁉」
仕込み杖を振りかざした瞬間、神父は素早く片手の散弾銃を向ける。
発砲された水銀弾の雨が、夢の主に襲い掛かる。
大きく武器を振り上げたまま、至近距離で散弾を浴びた彼女は、この上なく大きな隙を〝作らされた〟。
「カハハハッ!」
神父は高らかに笑い、斧を持っていた手を空ける。
次の瞬間、神父の手は夢の主の腹に食い込んだ。
散弾により生じた僅かな傷口に指先から手首までねじ込み、内臓をかき乱した。
「ぐぁッ! ――ァアアッ⁉」
強烈な痛み。そして、己の内側を破壊されてゆく感覚。気が狂いそうな出来事に、夢の主は叫ぶことしかできない。
血しぶきをあげて引き抜かれた神父の手を、見開いた瞳で呆然と見つめ、倒れる。
「……匂い立つなぁ……」
神父は、夢の主の鮮血にまみれた手を恍惚と見つめる。
「たまらぬ血で誘うものだ。えづくじゃあないか」
「うっ……あ……」
まだ息がある。夢の主は、恐怖に染まった顔で自らの腹に空いた穴を見つめた。
「こんな……こんな残酷な、コト……どうして、できるんです、か……」
ビシャビシャと血をたらしながらも、震える体を立ち上がらせる。
その瞳は、痛みと恐怖に染まっている。
しかし、なおも強い意思は失っていない。
立ち上がった途端、何かを落とした。
地面に落ちたはずみで、小さな箱の――オルゴールの蓋が開く。
惨劇の繰り広げられる墓地の中に、不思議な音色の子守歌が響いた。
「……っ⁉」
その音色に気づいた神父は、たたらを踏む。そして、苦し気にうめいた。
「ウッ! グゥオオァッ!」
必死で何かを追い出そうとしているかのように、両手で頭を抱え振り乱す。
「え――ッ! 今ならッ」
夢の主は、輸血液を使い回復する。そして、苦しみもだえる神父へ仕込み杖を振るった。
「クッ! 小癪な真似を!」
「――ッ⁉」
攻撃は当たったものの、決定打ではない。
神父は斧を振り、夢の主を追い払う。
夢の主はオルゴールを拾い、そして神父に目を戻す。
「あなたは……まさか、あの子のっ」
「そのオルゴール……どこで手に入れたァ‼」
神父は斧の柄を変形させ、両手に握る。
リーチが伸び、そしてさらに力強く振るわれる斧の連撃をかわす。
「もうやめてください! あなたの帰りを待ってる子が――娘さんがいるのに!」
「やかましいッ! その血をもっと流せェ‼」
「やめてッ! 思い出してッ! あなたと戦いたくないっ」
「ハハハハッ!」
「奥さんだって、あなたのためにこんな街中を一人で――」
「だから――そんなものはもういないと言っているッ‼」
「くっ もう一度――」
夢の主は、オルゴールを再び開こうとする。
だが、神父の突き出してきた斧によって手から弾かれた。
遠くに落ちたオルゴールから、再び子守歌が鳴り響く。
「ウゥ……ヴィオラ……アアアッ!」
もだえる神父の発した名前は、あのオルゴールの中にあった手紙に記されていた名だ。そして、その夫の名も――。
「……ガスコインさん。もう、やめましょう。覚えているはずです。あなたには、大切な娘さんがいる。とても寂しそうにして、今もあなたの帰りを待ってるんです。一緒に帰りましょう。まだ、あなたには大切なものがあるんです。失ってなんかいません!」
夢の主は、苦しむ神父に必死に訴えかける。
「……きっと、取り返しのつかないほど苦しい事があったから、自分を見失ってしまったのは私でもわかりますよ。こんな私が何を言っても、どうすることもできないのは分かってる……けれど!」
夢の主は、短銃を神父へ構える。
「この命にかえても、あなたを止める! あなた一人で、あの子のもとに帰れないなら、私が連れていきます! まだあの子を――あなたを助ける希望は残ってる!」
頭を掻き毟る神父は、口の端に浮いた泡を飛ばして叫ぶ。
「――やかましいッ! 貴様に――小娘ごときに何が分かるというのだッ!」
両目を隠していた包帯がゆるみ、その瞳が――獣の病に侵され、瞳孔の蕩けた瞳が露わになる。
「俺には――もはや――帰る場所など、ない! この身が獣になり果てようとも、一匹残らず狂った獣どもを狩り尽くすッ! そうすればあの子は……あの子だけはッ‼」
その時、ガスコインの体が大きく〝変異〟した。
「……」
「……」
俺は何も言えなかった。
こういう時はいつも軽口をたたいていたはずのシカさんも、墓石によりかかったまま、黙って夢の主とガスコインの会話を噛み締めている。
彼女はいったい何をしているのだろう。
その言葉も、行動も、何もかもが愚かで滑稽で、反吐が出るほど青臭い。
ヤーナムで一番早死にするタイプ。いや、心折れた時に一番面倒くさいタイプだ。
彼女だって薄々感づいているはずだ。その信念はこの街で――悪夢の中で抱き続けるには爆弾のように危険な代物だと。
それなのに、彼女はここまで来た。手伝ったとはいえ、自分の足で進んできた。
そして、実力的にも心理的にも大きすぎる障害を前に、心が折れるどころか真正面から受け止めようとしている。
青臭い信念を拠り所にしていたが故、逃れられない悪夢の中でソレは自身を救いはしないと気づき廃人になるか、月の魔物のオモチャとしてゲールマンのように使いつぶされる狩人はいくいらでもいた。
彼女も、いずれそうなる……そうならなければおかしい。
だというのに、俺は――。
「――おい」
地面を見つめたままのシカさんが、ようやく口を開いた。
「……なんだよ」
「あの子、俺ら狩人も助けたいって言ってたか」
「……ああ、余計なお世話ってやつだな」
「まったくだ。好き好んでやってる奴にはいい迷惑だよな」
再び黙り込む。その拳は、固く握りこまれている。
「……で、それがどうしたんだよ」
「……俺は恋をした」
あ、はい。そうですか。
「それはよかったな。童貞」
「……お前は?」
「俺は童貞じゃない」
「嘘つけ⁉ ……いや違う、そうじゃなくてだな」
俺はため息をついた。シカさんに呆れ、彼女に呆れ、……俺自身にも呆れていた。
「……惚れた」
「だよな」
シカさんも、盛大にため息をつく。
そう。俺たちはひどくイラついていたのだ。
このろくでもない見世物に。
最高の演技を見せてくれている女優が脚本に殺される前に、最高のタイミングで幕を引いてやりたくて仕方がなかった。
物語の舞台がヤーナムでは、悲劇など見飽きて退屈だ。
俺たちは今、喜劇が観たい気分なんだよ。
膨れ上がるガスコインさんの体。
衣服を割いて露わになる鎧のように硬い毛皮と、カミソリのような鋭い手足の爪。
何もかもが、手遅れだった。
「そんな……こんなこと……」
私は悔しくて、涙があふれそうになる。
どうしてもっと早く来れなかったんだろう。
あと少しでも早く、あの少女とガスコインさんに会えていたなら――。
臆病で弱い自分が憎い。この親子に最後のお別れをさせてあげる時間さえ稼げない。
「ごめん、なさい――ッ」
泣いてはダメだ。まともに目が見えなくなったらおしまいだ。
獣化したガスコインさんは、今までとは違いまさに獣の動きで私を狩りに来る。
獣の対処は多少慣れてきたとはいえ、彼の場合はそんな浅はかな経験で太刀打ちできるような生易しい攻勢ではない。
一撃が命に関わる重打であり、血肉をむしり取る爪は一瞬で何度も私の体に伸びてくる。
墓石が粉々に砕けるほどの攻撃を、私はかろうじて避けるのが精いっぱいだ。
隙を見切れるようになる前に、こちらの集中力も体力ももたない!
「こんな――ところで――ッ」
私はまだ死ねない。ヴィオラさんをまだ見つけていない。
あの少女との約束を守りたい。
「ッァアアッ!」
短銃の引き金を絞る。
振り上げられた両腕を、避けられないと悟り我武者羅に抵抗した。
既に人の相貌を失ったガスコインさんの頭に、偶然にも水銀弾が命中する。
すると、攻撃の出鼻をくじかれた為に大きな隙が生まれた。
(これ、さっき私もされた――)
経験が今の状況と結びついた瞬間、狩人の本能が叫ぶ。
獲物の内臓を引きずりだせ。致命の一撃を食らわせろ。
しかし――。
「――駄目ッ!」
尋常ではない行為。生きた相手の内臓に手を入れ、機能を奪うまで破壊するなんて、私には受け入れられない。
できた隙に、仕込み杖を突き出す。
硬い毛皮に阻まれながらも、鋭い石突はガスコインさんの体に突き刺さった。
確かな手ごたえを感じた瞬間――私の体が宙を舞った。
蹴り上げられた足の鉤爪が皮膚を切り裂き、衝撃が体内の血を傷口から放出させる。
吹き飛ばされながら、ガスコインさんの胸に突き立ったまま手放した仕込み杖が目にとまった。
やがて、背中から木に激突し根本へ落ちる。
そして追ってきた痛みが、肺からあふれてくる。
「うぇ……ゲホっ」
吐血が止まらない。
眩暈がする。
立ち上がった。しかし、平衡感覚を保てず再び膝をついた。
私は――ここで死ぬ。
地面が揺れる。ガスコインさんが跳躍し、今まさに私を狩り殺そうと鉤爪を振り上げている。
水銀弾も、輸血液さえ尽きた今、私はガスコインさんを安らかに眠らせてあげる事さえできないのだ。
あの時、本能に従い致命の一撃を入れるべきだったのだろう。
残酷なことはしたくない。そんな甘ったれた自己愛が、ガスコインさんを止める最後の機会を逃した。
「ごめんなさい――」
そのせいで、ガスコインさんはこれからも苦しみ続けるのだ。
「ごめんなさいッ」
いずれ自分の娘を喰らうようになるまで、彼はこの街をさまよい続けるのだ。
「ごめんなさいッ!」
私は懺悔する。
己の弱さを呪いながら、彼の鉤爪にかかることを願った。それが何の救いにもならないエゴだと知りながら。
ガスコインさんの鉤爪が空を切る音が迫った。
だが私の体に届いたのは鉤爪ではなく――。
すさまじい爆風と、血煙だった。
「え――」
目をつむり止めを刺されるかと思っていた時、頭の上を何かが暴風を纏い通過した。
次の瞬間、私に飛びかかってきていたガスコインさんにそれが直撃し、大きな爆発を起こしたのだ。
私の背後で、「ガコンッ」と重い金属音が響く。
恐る恐る振り返る。
そこには、金色に光る三角形の兜のようなものをかぶった人がいた。
音と爆発の発生源は、彼の左腕にある野太い砲身だろう。
こんな破壊をもたらせるとしたら、この道具以外に――大砲以外に思いつけない。
首元から翻る聖布が、聖職者であることを示していた。
真正面から大砲の玉を受けたガスコインさんは、遠くまで吹き飛ばされた。
それを目で追った瞬間、視界の端から銀色の閃光が走る。
全身血まみれになったガスコインさんが起き上がった瞬間、その閃光は獣の反応速度をあざ笑うかのように背後に回り込む。
意識を混濁させながらも鉤爪を振るうガスコインさんの背中を、鋭い稲光のような――レイピアのような刃で斬り裂いた。
その瞬間だけ止まった閃光。ようやくその人物の全身を視界にとらえる。
銀色の光は、不気味な鳥の頭を模した兜の輝き。纏う衣服は、まるで上流階級の貴族だ。
およそ狩りを行う者とは思えない様相。その戦いぶりは狩りというより、優雅な決闘を思わせる。まさしく、品位ある騎士の戦だった。
ガスコインさんの攻撃を、余裕さえうかがえる立ち振る舞いでいなしている。
「――すごい……」
見とれていると、金の兜の人が私の傍らに膝をつく。
すると目の前に、きれいな小さな鐘を取り出した。
彼が鳴らした瞬間、鐘を中心に星のきらめきのようなものが浮かび上がる。
さらに驚くべきことに、私の体にあった傷がみるみる消えていく。まるで時間を逆行しているようだった。
「あ……ありがとう」
驚きの連続で頭が真っ白になりかけていたが、かろうじてお礼だけは言えた。
「……」
金の兜の人は、鐘を仕舞う。
すると今度は硬貨を何枚も取り出し、なぜか私の前に放り始めた。
「え、あ、あの、なんですか」
「お駄賃、お駄賃」
ピカピカの硬貨の山を作ると、巨大な車輪のような物を担いでガスコインさんの方へ走り出した。
交代するように、今度は銀の兜の人が私のもとへやってくる。
金の兜の人は、ガスコインさんの攻撃に対し真正面からぶつかりあっていた。
人の腕力など凌駕するはずの獣の一撃一撃に、車輪を振るいカチ合わせては拮抗する。
だが、それは単純な力のぶつけ合いとは違う。
狩り道具の熟練した運用、威力を必要な一点に集中させる技術が、たとえ力が及ばずとも圧倒的に有利な立ち回りを作り出している。
技と力。まったく異なる形態の狩りの流儀。私は、彼らから目を離せない。
銀の兜の人が、私の目の前に立つ。
「あの……あなた方はいったい……」
狩人。血に寄った危険な狩人とは思いたくない。
少なくとも、私を助けてくれたことは確かだ。
銀の兜の人は、懐から硬貨をたくさん取り出した。
座り込む私へ放ってくる。
「え、ちょ、なに⁉」
「おひねり」
おひねりって何なんですか⁉
私の全身がピカピカにされる。
ひと財産にはなるのではないかと思われるほどの硬貨。
私にお金を与える意図がまるで分からない。
状況を必死で理解しようとしていると、銀の兜の人が革手袋をした手を差しのべてきた。
「まだやることがあるんだろう。お嬢さん」
その言葉に、ハっとする。
彼の手をとり、立ち上がった。
まだ、私の狩りは終わってない。
「っ……はい」
金の兜の人が、車輪のような武器を変形させる。
回転のかかった車輪の一撃が、ガスコインさんの巨体を吹き飛ばした。
そして、落ちていた私の仕込み杖を拾い上げる。
「いいか。狩人はひとりじゃない。覚えておけ」
その言葉と共に、仕込み杖を投げ渡される。
独りじゃない――。
この悪夢の世界で、それがどれほどの希望か――。
「――はいッ!」
私は、変わり果てたガスコインさんと対峙する。
二人の狩人により既に満身創痍の状態だが、血を求める欲求に衰えは見られない。
いつでもトドメを刺せただろうに、どうして私に譲ろうとするのだろう?
わからない。けれど、今の私にはありがたい。
彼を救えない私を、ここで乗り越えなければいけないから。
自分の血を注射器で採血し、水銀と合わせて弾丸を補充する。
ガスコインさんが地を蹴る。殺意はまだ鋭いけれど、その動きはもはや見切れるほどに消耗している。
振り上げられる爪。
私は、本能の教えてくれるままに引き金を引いた。
水銀弾が頭部に命中し、獣の動きを封じる。
ガスコインさん――どうか、安らかに――。
狙うは胸部。先ほど仕込み杖の石突で開いた傷口。
私は仕込み杖を捨て、空けた手の指を傷口めがけ突きこんだ。
皮膚をこじ開け、骨をかき分け、もっと、もっと奥を目指す。指先の感覚に全神経を集中させる。
触れた瞬間に分かった。最も熱く、命に近い臓器――心臓を握りしめた。
爪を立て、確かに肉が砕ける感触を得るまで力を入れる。
手を引き抜いた瞬間、顔に返り血が降り注いだ。その温かさが、とても悲しく感じた。
「グオアァアアアッ⁉ ――ヴィ、ヴィオ、ラッ――」
最期の咆哮。そして、死の間際に大切な人の名を叫ぶ彼は、悪夢から目覚めるような光とともに消えていった。
「――さようなら……」
本当は出会ってすらいなかったのかもしれない。血に狂った彼は、すでに本物の彼を失っているのだから。
それでも、私がここで彼と出会って、戦ったことに意味があることを願った。
ガスコインをハツ抜きした彼女は、祈るように彼のいた場所を眺めていた。
初めての内臓攻撃が決まったのがそんなに気持ちよかったのだろうか。
わかる。
俺は、声をどうかけようとモジモジしているシカさんに手を振る。
「(今はダメだ。余韻をかみしめてる)」
「(邪魔しちゃ悪いかなやっぱり)」
すると、彼女がハっとしたように俺たちの方を振り返った。
「えっと……助けてくれて、ありがとうございました」
生真面目な礼をしてくる彼女に、シカさんが照れながら頭を掻いた。アルテオの上から。
「き、気にすんなよ。共鳴する鐘の音をたまたま聞きつけたからさ」
声が裏返っている。
「鐘の音? あ、あの鐘ですか? でも、この街に来てすぐ鳴らしていたんですけど、けっこう効果が出るまで時間がかかる物なんですね……」
「ま、まあな!」
「まにあってよかったよほんと」
俺は目を逸らすことしかできなかった。
「……お二人は、とても強いんですね。自分たちの狩りだけでなく、他の人の狩りの手伝いまでできるなんて。うらやましいです」
正直にものを申す彼女の目は、少し陰っている。
「お嬢さんも、いずれ強くなるさ。いや、強くならなきゃおかしい」
彼女は、首をかしげて俺の話を聞く。
「なぜなら、君には高い技量が備わっている。何かの専門家だったのかな? 手先の器用さは、複雑な仕掛けの狩り道具を使いこなすために必要なものだ。狩りに最も大切な素質だよ。それに、見たところ良い教育を受けられる家庭の育ちじゃないか? 高貴な家の生まれだとすれば、その血筋も狩りに影響する。なぜなら、水銀弾や一部の狩り道具は、持ち主の血を威力に変える。良質な血統は必然的に、人として純度の高い血が流れている。純度が高い程、血の力は増すんだ」
「そ、そうなんでしょうか……」
その時、横からシカさんが割って入る。
「ちょっと待て。器用さだけが狩りに必要な物じゃないぞ。狩り道具は複雑な仕組みの物だが、武器である以上、戦術的に高い威力が求められる。強力な武器ほど重く、扱いは単純だ。器用に立ち回り使いこなすのも結構だが、それ以前に一撃の破壊力を生み出すための筋力は必要不可欠だ」
「それはアンタみたいな脳筋ビルドの話だろ。彼女は俺と同じ技血ビルドが一番組みやすい」
「脳筋バカにすんな。てかお前、〝俺と同じ〟とか言ってさりげなくアピールすんじゃねぇ!」
「素質の話をしてるんだが」
「筋力は素質と関係ない。鍛えれば、てか人形ちゃんにお願いすればどんなスレンダーでも怪力になれる! 始めたばかりの彼女なら、今からでも上質に、ゆくゆくは車輪だって振り回せるようになる! 俺が使い方を教えてやるよ!」
シカさんが彼女の手を取って力説する。
「それ狩り道具だったんですか⁉」
夢の主がわりと本気で驚いている。まあ、せいぜい初見のうちは拷問器具ならまだしも武器とは考えないだろう。
「もちろん! とても優れた狩り道具だ。ちょっとクセのあるところがハマるぞ」
「人間を轢殺する仕事をしてた戦闘部隊が使ってた武器だ」
「えぇ……」
「テメェなんてこと言いやがる! 彼女がひいちゃうだろ!」
「俺も引くわー」
「お前だって、女王様に血を貢ぐために人を当たり前のように殺す奴隷の武器とか使ってるくせに」
「血族バカにしてんのか? アンナリーゼ様に貢がれたいならそう言え」
ちょっと頭に血がのぼっちまったよ。
「ぶ、武器は武器です! 背景とかそういうのは気にしませんから!」
彼女が、俺とシカさんの間に割って入る。
「喧嘩はやめましょう。せっかく生き残れたんですから」
「はいッ!」
シカさんが威勢よく返事をしている。
そうだ。こんなバカなことをやってる時間はもうない。
「そうだな。とりあえず、これでお嬢さんは先に進めるぞ」
ガスコインが落とした墓地の鍵を、彼女に手渡す。
「あ、ありがとうございます。けど、その前にあの子に会わないと……それに、あの子のお母さんもまだ見つかっていませんし」
彼女は、ガスコインの娘から母親を探してほしいと頼まれたいきさつを話す。
「ちょ、ちょっと待ってな」
シカさんがそう言って、俺の肩を寄せて小声で話す。
「(俺たち、この先の事知ってるってこと言わないほうがいいのかな)」
「(……言えないなぁ)」
この場で、ガスコインの奥さんの死体がそこの小屋の屋根の上にあることや、娘をどうあがいても助けられない事を彼女に明かすことはできる。だが、それをやっても俺たちには何の得もない。彼女にとっても。
「(俺、彼女が奥さんの死体見つける時のリアクションが観たい)」
「(お前最低だ! けど俺もちょっと観たい!)」
「(好きな女の悲しむ顔が観たいって?)」
「(お前に突っ込める事じゃないだろっ ……だが、言おうが言うまいがその結末は変わらないぞ)」
「(ああ。だが、もしこの先の流れを全部知ってると打ち明けて、終わらせたとしてもまた最初に戻るだけで悪夢から逃れられないことを説明したとしよう。それを信じない可能性もあるが、途中で苦しい目にあった時に、またここに一巡して戻ってくると考えた場合、心が折れる可能性がグっと上がる気がする。やめとこう)」
「(そうだな。一週目くらいは、希望をもってヒーロープレイさせてあげようか)」
俺たちは結論を出して、彼女のもとに戻る。
「なら、俺たちも母親を探すのを手伝おうか?」
「い、いいんですか? ありがとうございます!」
「……ん? おい、あの屋根の上で何か光ったような気がする」
シカさんがわりと棒読みなセリフを言う。もう少し探すフリくらいしろよ。
疑うことを知らないのか、彼女はシカさんが指さす方に歩き出した。
しかし残念なことに、鐘の音の共鳴が切れかかって体が薄くなる。
「おっとマジか! もう時間切れかよ!」
あんだけ尾行してたしな。
「お嬢さん、悪いが俺たちはここまでだ。鐘の音の共鳴は一定時間で切れる。俺たちの夢に戻ることになる」
「そうでしたか……けど、ここからは私一人で大丈夫です」
「ああ。そこの灯りから、狩人の夢に帰れる。夢でもう会ったかな、人形ちゃんっていう子がいるから、必ず話しかけるんだぞ。今後の役に立つ」
「わかりました」
そういった後、シカさんはためらうように首を振り、そして気合を入れるように叫ぶ。
ぎょっとする彼女にかまわず、再び彼女の手をとった。
「なあ、これさ、俺の共鳴する鐘の合言葉! もし助けがいるようなら、呼んでくれ。鳴らす時に呟いてくれればいい」
彼女の手に、くしゃくしゃの羊皮紙の切れ端が渡される。
いい大人がハイスクールでラブレターを渡す瞬間を見ているようだ。
「……」
俺はカインハーストの招待状の余計な文面に線を引き、空欄に自分の合言葉を書いた。
「また会おう」
彼女の空いた方の手を取り、封筒をそっと手渡す。
「――はいっ 本当に、ありがとうございました!」
今日一番の笑顔を咲かせた彼女の姿がかすんでいく。
「……ッ! ちょ、待って! 君の名前教え――」
シカさんの叫び声は、鐘の音の収束とともに消えていった。