昨日の夜から降った雪で、部屋を出ると一面銀世界だった。こんなに雪が積もるなんて滅多にないから道行く人は大慌て。
今日はオフの予定だけど事務所に用事があって、今到着したところ。タクシーは進まないし、歩いてみたら靴はぐちゃぐちゃの泥だらけに。
いつもの倍ぐらい時間が掛かったし、その分疲れもしたけど……今日は楽しいことが待ってるから、それも気にならない。
「はいっ、愛ちゃん。初めて作ったから口に合うと良いんだけど」
「……うぅ」
「あれ? どうしたの?」
「じつは……その……」
「チョコ作り失敗しちゃった?」
「いえ、上手く出来たんですけど……」
「忘れちゃったとか?」
「それが……その……ママに全部食べられちゃって……」
「えぇっ? 全部?」
「はい~……作り直す時間も材料も無くて……本当にごめんなさいっ」
「別に愛ちゃんのせいじゃないんだから。ほらっ、私の作ったチョコ食べて元気だして?」
「涼さんっ……有難うございますっ!!」
「うんうん」
「元気も充電したことですし、お仕事に行ってきますっ」
「うん、外は雪だから気を付けてね」
「はいっ!! 元気メラメラーって感じなんで、雪なんてへっちゃらですよーっ!!」
ドアを壊しかねない勢いで愛ちゃんが会議室から飛び出して行った。元気なのは良いんだけど…キャミソール姿で風邪ひかないかなぁ、とか思っていたらドアがまた開いた。
愛ちゃんが忘れ物でも? とぼんやり視線を向けると意外な人物が入ってきた。
「おはよ」
「おはよう、絵理ちゃん。って今日はお仕事じゃなかった?」
「そうなんだけど……急遽キャンセル?」
「キャンセル?」
「うん、雪だから中止って。屋外イベントだったから」
「ああ、なるほど。確かに今日は寒いし、まだ降ってるからねぇ……あ、それなら絵理ちゃんへのチョコも今日持ってこれば良かったね」
「わたしも明日のつもりだったから」
「だよねぇ……あ、そうだ。ちょっと待ってて」
不思議そうな顔をしている絵理ちゃんを残し、給湯室へ向かう。絵理ちゃんの薄い水色のカップを取り出して……後はこれをこうして……よし完成。
溢さないように火傷しないようにお盆に乗せて、会議室へ戻る。
「はい、お待たせ」
「これは……」
「ホットココア。他のスタッフさん達用に作ったチョコは余るように作ってあるから、それを少しだけ使って作ったの。外、寒かったでしょ?」
「うん……良い匂い、頂きます」
「口に合うと良いんだけど……」
「……美味しい、それに温まる」
「それは良かった」
「洋酒の匂いがくせになりそう……有難う、涼さん」
どういたしまして、と返そうとしたところで会議室の扉がノックされた。二人してドアの方に顔を向けて、それから僕が『どうぞ』って声を掛けた。
それに答えるようにドアが開いて…顔を覗かせたのは。
「絵理、居る?」
「尾崎さん」
「おはようございます」
「あら秋月さん、おはよう」
「お仕事キャンセルになったと聞きましたけど」
「ええ。その分、代替のイベント用意してもらったの。絵理、ちょっと打合せいいかしら?」
「うん。あ、飲み物……持って行っても良い?」
「構わないわ」
「ありがとう。それじゃあ……涼さん、またね」
「うん」
「尾崎さん、行こ?」
「ええ」
『何飲んでるの? 甘い良い匂いだけど』
『ふふっ、涼さん特性のホットココア?』
『ああ、今日は――』
そんな会話がドアの向こうから聞こえる。
あ、尾崎さんにもココアを淹れれば良かったかな……? でも忙しそうだったしねぇ。
「なら私に淹れてくれるかしら?」
「わっ!? しゃ、社長? いっ、何時の間にっ?」
「貴方宛てにプレゼントが届いてあったわ、玄関の所にね」
「玄関に……プレゼント? 誰からですか?」
「差出人は書いてないのだけれど……窓口を通さずに直接置いておくなんて、ちょっとコアなファンね」
「……中身は?」
「想像つくと思うけど」
「チョコですか?」
「ええ、捨てておくけど文句はないわね」
「はぃぃ……お願いします……」
「ナマモノはダメよね、ナマモノは。それから少し出てくるけど、貴方も雪が酷くならないうちに帰りなさい」
「あれ? ココア要らないんですか? 今から淹れますけど」
「……さっきのは冗談だから気にしないで頂戴」
「そうだったんですか? てっきり……あ、じゃあ社長、コレをどうぞ」
「なにかしら?」
「チョコです」
「……貴方」
「あっ、僕の手作りですから安心して下さい」
「何を安心すればいいのか分からないけれど」
「別に変な意味は無くてですね、愛ちゃんと絵理ちゃんとチョコ交換することになってて。それでその……なら皆さんにも、と思って」
「まぁ、有り難く頂くわ」
「はいっ」
「お返しは三倍返しね。お仕事いっぱい取ってくるから期待してて頂戴」
「えっ? いや、まぁ嬉しいですけど……」
「お互い頑張りましょう。じゃあね」
ひらひらと手を振って社長が出て行った。
社長って何を考えているのか、時々分からない。せめて目元の表情でも読めれば大分違うんだろうけど…何しろ黒いからねぇ。そういえば、765プロも961プロも社長は黒かったような…。社長になるには黒くないと駄目なのかな?
やっぱり芸能界はすごい。改めてそう思った。
それにしても…人にプレゼントするって結構疲れるなぁ。受け取ってもらえるかどうかドキドキして……。朝早かったから……眠い、少し……寝よう……かな……?
「失礼しますー、って誰もいないのかな?」
「……」
「もしかして帰っちゃった?」
「……」
「でもそれだと事務所は閉まってるはずだし……」
「……」
「あっ、涼さん……って寝てる? ……寒そう」
「……」
「……確かここに…………あった!」
「……」
「涼さん、最近テレビに出ずっぱりだもんね」
「……」
「せめて今だけでもゆっくり休んでね。じゃあ……失礼しました」
どれくらいの時間寝ていたのだろうか。椅子で突っ伏して寝ていたせいか腰が痛くなって目が覚めた。
部屋の中は薄暗くなっている……部屋の電気を付けようと立ち上がったら、何かが床に落ちる音がしたので目を向けると、事務所に備えてある毛布だった。
誰かが掛けてくれていたのかな? 誰だろう?
社長? 絵理ちゃん? 尾崎さん?
何か懐かしい匂いがするけど…後で誰かに聞いてみることにしよう……。
部屋の電気を付けて、もう一度椅子に座ったところでケータイが震えだした。ディスプレイには……あの人の名前。
「もしもし、秋月です」
『秋月クン。僕だ、武田だ』
「お久しぶりです」
『今、時間は大丈夫かい?』
「はい、大丈夫です」
『そう、それは良かった。実は君に渡したいものがあってね、今は事務所?』
「えっ…? えぇ…事務所です」
『結構。ならすぐに向うから待っててくれるか?』
「は、はい。それじゃあお待ちしています」
『それじゃあ』
「はい、失礼します」
渡したいものって何だろう?
……
…………
………………チョコ?
ふふっ、まさかね。
「そう、チョコだ」
「ぎゃおおおおおおおおん!!」
ありったけの声で僕は叫ぶ。
これは子供のころからの癖で、聞いてはいけないものや見てはいけないものなんかに遭遇したときは、どうしても出てしまう。まぁそれで解決するどころか、逆に困ったことになることの方が多かったんだけど、どうしてもこの叫ぶ癖は抜けてくれない。あ、そういえば小さいころ、律子姉ちゃんの玩具にされてたときも良くこの声が出てたよなぁ。『ファッションショー!』とか言って、よく女の子用の服を着せられてたっけ。それで大人の人に見てもらって、律子姉ちゃんより僕の方が可愛いとか言う話になって結局、僕に八つ当たりして…ああ、なんか懐かしいなぁ。
そうだ、律子姉ちゃんにもチョコを持って行こうかな。色々あったけど随分と助けてもらってるし…うん、そうしよう。あ、となると真さんや千早さん、やよいさん、あずささんに…ほかの皆さんにも渡したいな…ってチョコ足りるかな? チョコ? チョコって言えば武田さんが…何か言っていたような…ん…? あれ…? なんだっけ? 凄い大事なことだったと思うんだけど…頭に霧が掛かったみたいに…思い出そうとすればするほど、頭の浅い部分で考えが空回りする。なんでこんなに頭がぼーっとするんだろう? 何故だ…? ああ…そうだ…僕は寝ていたんだ。そろそろ起きないと雪で帰れなくなっちゃう。
そうだ、帰ろう……。
帰ろう。
帰るんだ!!
「……!? ……夢か」
「君が現実逃避とは珍しいね」
「夢じゃないですよね、そうですよね、すみません」
「謝る必要などないように思えるが」
「すみません」
「まぁいいさ、アイドルだって人間だ。後ろ向きになることもある」
「はい」
『はい』と答えたものの…もう、あの頃の僕に戻るのはごめんだから。あの頃に戻りたくないから。だから僕は前を向いて歩いていきたい。
でもやっぱり少しだけ立ち止まることもあるし、後ろに振り向いて座り込んだりもする。
そんなときは甘いものを食べて、愛ちゃんや絵理ちゃんと一杯お喋りして、結局何故か僕がからかわれる流れになって、社長に愚痴言って逆にちくっと言われて、でもよく聞いてみると励ましてくれていて、それでまた前を向いて歩こうっていう気になる。
それで前を向いて歩く僕を見て、皆も前を向いて歩こうっていう気に少しでもなってくれたら、って思うと僕は嬉しくなる。
「……そろそろ本題に入ってもよいかな?」
「えっ? あっ! 大丈夫です! 思ってたよりも武田さんの到着が早くて」
「もう事務所の側まできていたからね。びっくりさせてしまったようですまない」
「いえっ、そんなこと……そっ、それで僕に渡したいものとは……?」
「それなんだが、今度の出演に関する資料さ。君の意見を是非聞きたくてね」
その言葉を聞いて、思わずため息が漏れた。
「ん?」
「いえ、渡したいものって、本当にチョコかと思って」
「欲しいのかい?」
「えっ……!? いや、その……」
「さて、これで僕は失礼させてもらうよ、感想はまた聞かせてくれ。それと……石川社長によろしく」
「あっ、はぃ……お気を付けて……」
はぁ……嫌な汗をかいたなぁ。武田さんも何を考えているのか分からない時があるんだよねぇ……何しろ表情が変わらないから……仕方ないか。
あ、武田さんにもチョコを渡し……ってそれは色々とまずい気がする。本当に。
気が付けば、もう外は真っ暗。そろそろ帰らないと本当に帰れなくなっちゃいそう。律子姉ちゃんには……また今度でいいかな。
事務所の戸締りをして外へ出る。雪は止んでいるようだけど、歩道には白い雪が積もっていて、車道では黒く汚れた雪が端の方で寄り添って固まっている。人通りも車通りも少なく、降り積もった雪のせいか妙に町が静かだ。
まるで僕しか居ないみたい。
「ふうっ」
夜空に向かって息を吐き出す。
結局、チョコに関してはあげたばっかりで貰ったのは無し。ファンの皆からは一杯届いたけど……それは女の子アイドルの秋月涼に向けてのものであって……うぅ……何やってんだろ、僕。
でも。それでも、僕のチョコを受け取って食べてくれて笑顔になってくれた人がいたから……それもいいかなって思う自分もいる。
「よーしっ、明日からまた頑張んばるぞー!!」
夜空に輝く星にみたいに。
夜空に輝く星に負けないように。