ㅤ四葉本家では毎年、正月に慶春会が開かれる。ㅤ一族や四葉の関係者の殆どが集まる、とても賑やかな宴会で、僕はいつも参加している。勿論、今年も出席する為に本家に顔を出していた。
ㅤ住んでいる家にも留守番を置かねばならないので、本家へは菜子とガーディアンの北斗だけを連れてきた。しかし、僕と北斗は武倉の使う離れに案内されたが、菜子は正月への準備に駆り出されてしまった。慶春会までには、まだ二日もある。少し悪いことをしたかもしれない。
ㅤ僕も早く来てしまったものの、特にすることが無いので、冬休みの宿題をやることで暇を潰していた。面倒な問題集は、北斗にも手伝わせている。彼は今、数学の積分に頭を悩まされていた。
「やけに多いですね。こんなに宿題があるとは」
「高校教育のカリキュラムに専門分野を上乗せする形だから。アンバランスなんだよね」
「教えない訳にもいかないのかもしれませんけど……。最悪わからないままでも、卒業は出来るってところが雑ですよね」
「そうなんだよ。まともな魔法師になれなかった卒業生の殆どが就職できない理由って、そこにあるんじゃないかな……」
ㅤ一介の高校生である僕が雇用問題について提起する必要もないのだが、「人間主義」はそういう社会の歪みが生み出してもいる。名家の人間はそれでもコネで仕事にありつけるが、一般人はそうはいかない。平均年収を中央値で取ると、かなり低くなってしまうのはその為だ。
「じゃあ、理澄様も自分で積分やって下さい。どうするんですか、もしも路頭に迷ったら」
「僕は迷いません! お前、難しいから押し付けてるんだろ!」
「そうです!」
ㅤ開き直らないで欲しい。けれども、最初に押し付けたのは僕なので、渋々問題集を受け取った。
「そもそも、魔法理論もそんなに必要ですかね。無駄を減らせば、ちゃんと一般科目を網羅出来ると思うのですが」
「でも、こっちをやらないと卒業出来なくなるからね……。魔法大学にも入れないし」
ㅤ僕はそう言いつつ、解きかけの魔法史学の問題集を埋めていく。この世界では織田信長などの代わりに、安倍晴明を始めとする陰陽師が頻繁に歴史に登場する。こういう時に僕は「転生したんだな」と思うのだった。
ㅤしばらく黙って宿題をしていると、部屋のインターホンが鳴った。北斗が立ち上がって、ドアを開ける。
「あれ、琴鳴さん?」
ㅤ来客は僕の再従兄弟である新発田勝成のガーディアン、堤琴鳴だった。ギャルっぽい見た目の女性で、勝成さんと恋仲なのは公然の秘密だ。
「理澄くん、こんにちは。今、いいかしら?」
「退屈していたところだから。何か用?」
「勝成さんが理澄くんと会いたがっていて。宜しければ、会って欲しいのだけれど」
ㅤ武倉と新発田は血の繋がりが近く、僕は結構、勝成さんを慕っていた。彼は物凄く良い人なのだ。四葉ではかなり珍しいタイプと言える。
「行く行く! よし、北斗! お前は魔法言語学やっといて!」
「一番面倒な教科じゃないですか!」
ㅤ何か文句を言っていたが、僕はさっさと部屋を後にした。
ㅤ新発田の離れへと、琴鳴に案内してもらう。一人で行けないことも無いが、好意を無下にする訳にもいかない。
ㅤ勝成さんの滞在する部屋の前に立つ。僕がドアを開けようとすると、それよりも早くドアは開いた。
「久しぶりだね、理澄くん」
「うん。一年振りくらいかな?」
「そうだったな。まぁ、中に入ると良い」
ㅤ室内には彼のもう一人のガーディアンである堤奏太も居た。彼は僕に一礼しただけで、話しかけはしなかった。奏太は僕のことをあまり好いてはいない。
ㅤそれは、新発田家当主が――つまり、勝成さんの父親だ――僕を次期当主に推している為だ。彼にしてみれば、面白いことでは無いのだろう。逆に姉である琴鳴さんは、四葉の柵に勝成さんが巻き込まれないということから、僕を好意的に見ている。
ㅤ勝成さん本人はガーディアン達の思いに気づいているのか、それとも気づいていないのかは分からない。しかし、僕のことはとても可愛がってくれていた。
「高校生活は大変だろう。ただでさえ、一高に進学させられたというのに、四葉を名乗ることにまでなるなんて」
ㅤ実は、入試直前まで僕は第五高校に通う予定になっていた。それなのに、達也の監視目的で僕は、急に志望校を変えさせられたのだ。その案を強硬に押し進めたのは、彼の父親を始めとする分家当主達だった。
「一応上手くはやれてるはず……。なんか、スターズが潜り込むらしくて。それだけが気掛かりかな。バレてないとは思うけど」
「そういえば、エドワード・クラーク暗殺作戦に文弥くん達と参加していたんだったか」
ㅤフリズスキャルヴを駆使した調査では、USNA側は今回の事件を新ソ連の仕業だと予測しているらしい。それぐらいしか、動機のある相手は見つからないからだ。
「うん。でも、スターズも問題だけど、顧傑も問題なんだよね。死兵を使って爆弾テロでもされたら、僕の今までのお膳立てが台無しだ」
「芸能界に魔法師を送り込んでいる件だったかな? あれは良いことだと俺も思う。奏太がセミプロじゃなくて、本格的にデビューする未来が来るかもしれないからね。そうだろう?」
ㅤ勝成さんが、壁際に立ったままの奏太に話し掛ける。彼は「滅相も無いです、マスター」と照れたような返答をした。
「謙遜しなくてもいい。俺は奏太に音楽の道で成功して欲しいとも思っているんだ」
ㅤこれは勝成さんの贔屓目だけでは無い。音に関連する調整体「楽師シリーズ」の第2世代である上に、生来の高い音楽センスが彼にはあるのだ。
「これからも魔法師が兵器であることは変わりないけど、『人間主義』対策には大々的なアピールが必要だ。魔法は人を殺さない、魔法は人に夢と希望を与える……。そんな風にね」
「理澄くんが言うと、随分嘘らしく聞こえるな。現に、魔法は人を殺すのだから」
「まぁね」
ㅤ僕の特異魔法は、使い方次第でどうとなるものでは無い。ある意味、四葉に相応しい力だった。
◆
ㅤ一方その頃、司波家では兄妹水入らずのティータイムが行われていた。達也は、深雪が手挽きをして入れたコーヒーを愉しむ。彼の正面ではその様子を嬉しそうに眺める、妹の姿があった。
「あの、お兄様。お聞きしたいことがあるのですが」
「何だい、深雪?」
「理澄君のことなんですが……。私はずっとあの子のことを、お兄様に害を為す存在だと思っています。黒羽や新発田などのお兄様を見下す輩が、次期当主に推してもいますから」
ㅤ深雪と理澄は非常に立場が似通っている。次期当主の最大候補で、強力な精神干渉魔法を持ち、達也を止め得ることの出来る魔法師。違いは四葉に与しているかどうかということだけだと、深雪は考えている。
「しかし、お兄様はそのことをお気になさらないご様子。どうして、そのようにいられるのでしょう? 深雪は心配です。いつか……お兄様が、世界から爪弾きにされてしまうのではないかと」
ㅤ最近、理澄が自分達と行動を共にするようになったことも、深雪にとっては心配の種だ。貢や理に唆された彼が、達也を殺す機会を窺っているのではないか……。彼女は気が気では無かった。
ㅤ達也が急にソファから立ち上がる。あっ、と声を上げる間も無く、彼女の頭に彼の手が置かれた。そのまま、優しい手つきで撫でられる。
「なんだ、そんなことか」
「お兄様?」
「俺は何処へも行かない。いつまでも深雪、お前の側に居るよ」
ㅤ達也の言葉は、深雪には絶対だ。彼女は自らの心に巣食う不安がみるみる小さくなるのを感じた。
「本当ですか? 死が二人を分かつ時まで、私の側に居て下さるのですね?」
「勿論だ。俺はお前のガーディアンだから」
ㅤガーディアン、という言葉を聞き、彼女の胸はずきりと痛む。実の兄妹なのに、そんなおかしな関係でしか結ばれていないことが、深雪には哀しかった。思わず、達也の身体を抱き締める。
「深雪?」
「私は今も……。そして、いつまでもお兄様の味方です。もしも理澄君が四葉家の当主になってしまい、四葉が敵に回ることになろうと……。お兄様と共に生きたいのです。ガーディアンという言葉で、ご自分をお縛りになるのはやめて下さい」
ㅤ実際、理澄が当主になってしまえば、彼の後ろの人間達の意向で、達也は四葉から離されるだろう。そうなれば、深雪だって四葉にはもう用は無い。魔法師社会から村八分にされたとしても、兄と一緒ならば幸せになれる気がした。
「ありがとう。俺のことをそんなに思ってくれる人間は、お前ただ一人だよ」
ㅤ達也の身体が深雪から離れる。それによって、深雪は自分の行動を思い出し、顔を赤くした。
「ティータイムの続きにしよう。まだ、深雪の作ってくれたお菓子を味わい尽くしていないからな」
「まぁ! お兄様ったら、お上手なんですから」
「本当だよ? 嘘なら、もっとそれらしく言うさ」
ㅤ二人は声を出して笑う。こんな時間がいつまでも続けばいいのに、と深雪は思った。
ㅤしかし、彼女の思いとは裏腹に、事態は進んでいくのであった。
◆
「ハァ……」
ㅤUSNA軍統合参謀本部直属の魔法師部隊スターズ。その総隊長である、アンジェリーナ・クドウ・シールズは通算15回目のため息をついた。それに対し、リーナのアシスタントとして同行していた惑星級魔法師のシルヴィア・マーキュリー・ファーストは、そろそろ口に出さずにはいられなかった。
「どうしたんですか、リーナ。行きの飛行機からそんなことでは、幸せが逃げて行きますよ」
「そんな訳無いじゃないですか、シルヴィ。息を吸ったり吐いたりするだけで、幸せに影響は出ません」
ㅤ上司の行儀をそれとなく窘めたかったシルヴィだが、居直ったリーナの正論には効かなかった。
「では、外国へ行くのが不安なのですか? 正直、そのようなイメージはあまり無かったのですが」
「そうじゃなくて……。前の任務失敗が尾を引いていて。どうしても、このところ憂鬱になってしまうんです」
「あぁ、あのエンタープライズの件ですか……」
ㅤシルヴィは報告書でしか、そのことを知らない。しかし、かなり多くの謎が残る事件だとは思っていた。
「エドワード・クラークを狙う何者かが空母に潜入する前に捕らえる筈だったのに、既に侵入を許してしまった上に、彼の生死は不明! こんな屈辱はありません!」
ㅤ船内で、エドワードに同行していた護衛や研究者達に状況を尋ねても、要領の得ない証言しか得られなかった。生きているのか、死んでいるのかすら確認できないまま、侵入者に回収されてしまったのだ。「シリウス」に信頼を置きすぎたせいで、迎撃側の構成がスターダスト六体と衛星級二人のみだったのも、まずかった。
「エドワード・クラーク氏の狂言説まで出てくる始末ですからね……。でも、あの手際の良さならあり得なくも無いでしょう」
「死んでるなら死んでるで捜査を打ち切れるんです! どっちつかずが一番困るんですから!」
ㅤ暗殺されたのか、彼の亡命目的だったのか分からない以上、USNA軍も捜索に人を割かねばならなかった。無駄骨を折る可能性もあるのだから、リーナも嫌になってしまうだろう。
「でも、その……。今回の任務は名誉返上?のチャンスではないですか」
「名誉挽回、または汚名返上です。日本に行く以上、誤用で怪しまれてはいけませんよ」
ㅤリーナこそ留学生扱いだが、シルヴィは観光客として日本に入国する。観光客の振りをするのであれば、日本語は不得手な方がそれらしいのではないか……。そう思ったが、彼女はそのような疑念を口にすることはなかった。
「とはいうものの、シルヴィの言う通りですね。気を取り直して、USNA軍の回収とヨツバに対する諜報活動をしなければ」
「そうですよ。前のような任務では無い筈ですから。学校に通えると思えばいいんです。リーナなら、きっと出来ると思いますよ」
ㅤ当主以外の情報が開示されていない四葉一族。それが、急に新たな血縁者が公開されたのだ。どのような魔法師か分からない為に、「シリウス」という最大戦力をぶつけての調査。本部は気合が入っているだろう。しかし、リーナにとっては少しでも学生生活らしさを味わえるものになればいい、とシルヴィは思っていた。
「貴女の言う通り、気楽に捉えましょう。……では、到着まで少し休みます」
ㅤリーナはそう言うやいなや、即座に目を閉じた。既にもう寝息が微かに聞こえる。シルヴィは、上司の為に毛布を取りに行った。
ㅤリーナ登場。亜夜子が一番好きなのは変わりませんが、リーナのキャラデザはとても好きです。