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ㅤ達也と深雪は、真夜に呼び出されて本家を訪れた。内容は、新学期が始まる前の挨拶と四月に行われる花見の誘い。勿論、行く気は全く無い二人は失礼のない程度に言葉を尽くし、丁重に断る。真夜の方も、来ないことが分かっていたのか「残念ね」という一言で終わった。
ㅤ彼らは挨拶が終われば真っ直ぐ帰る気だった。しかし、帰り際に黒羽の双子達と出会ってしまい、黒羽家の離れにも顔を出すことになった。四葉本家がある村には、司波を除く各分家の離れがあるのだ。
ㅤ文弥と亜夜子との話を切り上げて離れを出た時、本宅の方へ歩いて行く人影に達也は気づいた。
「理澄とリーナだな」
「あら、本当ですね。二人もご挨拶でしょうか?」
ㅤ二人は達也と深雪に気づくことなく、本宅の中に入っていく。
「恐らくそうだろうな。時期的に考えても」
「……彼はお花見に参加しそうですね」
「四葉のイベントは殆ど行っているらしい。慶春会然り」
「分家当主達のお気に入りですもの。理澄君は」
ㅤ深雪は自分の言葉がキーになり、急に過去の記憶を思い起こした。
ㅤ達也を兄ではなく、使用人として扱っていた頃。あの沖縄戦よりも前のことが、彼女の記憶領域から引き出された。
◆
ㅤ四葉一族の魔法師の中で、一番優秀なものが次期当主に選ばれる。
ㅤわたしはこの先、自分がその地位に選ばれると思っているし、それは自惚れでも何でもない。主観的にも客観的にも、わたしが優秀な魔法師であることは自明のことだった。使用人達は、貴女こそが次期当主だ、と無邪気に褒めそやす。
ㅤでも、みんなが同じことを思っている訳じゃない。四葉の八つの分家。お母様を除いた、各分家の当主達は他の魔法師を推している。
ㅤ武倉理澄。
ㅤわたしは、彼――理澄くんのことが嫌いだ。別に何かされたって訳ではない。それでも、嫌いなのだ。普段からお母様が、わたしとよく比べる相手であることも理由にはあると思う。わたしが3月25日生まれで、彼が2月29日生まれ。産まれた時期が近いのだ。
ㅤおまけに、理澄くんも「コキュートス」に似た、特殊な精神干渉魔法を持っている。魔法の実力は拮抗しているのだ。使用人達がわたしを持ち上げる理由は、現当主の姪という血の濃さ故なのだから。
「はぁ……」
ㅤ窓の外を見ながら、ため息をつく。今日は黒羽家でホームパーティーが開かれるのだ。理澄くんは分家当主のうち、特に黒羽と新発田のお気に入り。きっと、今日のパーティーにも出席しているはず。考えただけでとても憂鬱だった。
「どうされましたか、お嬢様?」
ㅤその上、こんな時に限って「あの人」は話しかけてくる。本当に、気分が悪い。
「わたし個人の問題です! 口を出さないで頂戴!」
ㅤいつも、自分の言動が八つ当たりってことくらいは分かっている。だけど、謝ることはできない。だって、あの人は顔色一つ変えないでこう返すから。
「申し訳ありません」
ㅤ無表情のまま、そう言うだけ。わたしはそれすらも気に入らなくて、また怒ってしまう。何もかも最悪。どうして、こうなってしまうのかしら?
「あらあら、どうしたの。深雪ちゃん?」
ㅤ険悪な雰囲気を見兼ねたのか、穂波さんがこちらに近づいてきた。彼女はお母様のガーディアン。普通は、女性には女性のガーディアンを付けるものよね。わたしのも変えてくれたらいいのに。
「少し、体調が良くなくて……」
「まぁ! じゃあ、ベッドの用意をしましょうか? 黒羽様のパーティーまでは、まだ時間がありますから」
「えぇ。そうしようかしら」
ㅤパーティーを欠席させてはくれないらしい。まぁ、穂波さんの一存で決められるものでもないのかも。
ㅤ短い時間でも眠ったら、ちょっと気分は楽になった。相変わらず、パーティーは行きたくないけれど。でも、さっきお母様がわたしに必ず出席するよう言ったので、どうしようもなかった。
ㅤ車に乗せられて、愛知県まで移動する。黒羽の本拠地はそこにあって、息のかかったホテルもいくつかあるらしい。きっと、隠し部屋とかを作ってあるんだわ。そういうの、好きそうだもの。
ㅤホテルに到着すると、黒羽の使用人が会場ホールまで案内してくれた。わたしの後ろにはぴったりと兄がくっ付いている。さっき怒ってやったからか、今はもう何も言わない。そういう態度も気に食わなかった。
「挨拶をしてくるわ。貴方はその辺にいなさい」
ㅤそう言い放つと、彼は一礼をして壁の近くに立つ。卑屈な感じで、やっぱり嫌だ。
ㅤホールの中央に足を進めると、叔父様がこちらに向かってきた。黒羽家当主の黒羽貢さんだ。
「やぁ、深雪ちゃん。元気そうで何よりだよ。深夜さんの具合はどう? 今日も出席はできないと連絡があったけれど」
「そこまで深刻に、体調を崩している訳では無いのですが……。やはり人の多いところは、とドクターストップがかかってしまい……」
「お元気な姿を一目見たかったのだが……。それなら仕方ないね。深夜さんには、気にしないように言っておいてくれ」
ㅤここで話が終わってくれればいいんだけど、そうはいかなかった。私達に気づいて、三人がやってきたからだ。叔父様の子供である、文弥くんと亜夜子ちゃん。彼らは二卵性の双子なのだ。そして――武倉家の理澄くん。
ㅤ文弥くんと理澄くんはお揃いのゴシック調の上着。中世の人がいかにも着てそうなデザイン。足にはガーターベルトまで。身長が近いから、こっちの方が双子に見える。
ㅤ亜夜子ちゃんが着ているのは、レースやリボンがふんだんに使われた繊細な作りのドレス。だけど、ゴシック風なのは一緒。これを好んで着るのだから、わたしには黒羽のセンスがよく分からない。
ㅤ叔父様は奥様を早くに亡くしたからか、子供へ愛情をやり過ぎなほど注いでいる。それに、理澄くんのことも自分の子供同然だと言って憚らない。そのことは、今から始まる自慢話が分かりやすく示してくれる。これがもう、うんざりする程に鬱陶しいのだ。
「亜夜子はピアノのコンクールでも優勝したけど、絵だってとっても上手くてね。大きな油絵を家に飾っているんだが、見る人が皆プロの作品と勘違いするくらい。娘が描いた、と言ったら目を剥いていたよ」
ㅤそれはお世辞ではないかしら? 気づかないんだったら、別にいいだろうけど。
「文弥も凄いんだ。バイオリンを弾いてもらうと、いつも聞き惚れてしまう。才能の片鱗を感じるよ。それに馬も乗れるしな。何でも出来るから、我が息子ながら空恐ろしい」
「そうですか……。素晴らしいですね……」
「そうなんだ! 理澄も素晴らしくてね。箏曲の発表会に招待して貰ったんだが、会場の誰よりも輝いていた。あとは、弓道大会でも優勝していたよ。他の人が外してしまうような、難しい的でも難なく当ててしまうのだから天才だね」
ㅤ一応、ここでは家の違いを感じる。黒羽は何となく、洋風な習い事が多い。けれど、武倉は完全に和。習い事にお箏なんて、結構珍しい気がする。
ㅤこのまま放っておけば、いつまでも自慢話は続く。けど、多分そうならないとは思う。
「あの……。深雪姉さん、達也兄さんは何処にいらっしゃるんですか?」
ㅤ来た。言い出した文弥くんは、そわそわした顔でこちらを見ている。一体、あの人の何が良いのかしら。
「あれなら、あそこで待たせているわ」
ㅤ指差した場所へと嬉しそうに駆けていく文弥くん。その後を、亜夜子ちゃんと理澄くんが追いかける。
ㅤ理澄くんは嫌いだし、文弥くんは何処か頼りない。亜夜子ちゃんはライバル心を剥き出しにしてくるから疲れてしまう。でも、三人揃って仲が良いのだけは、少し羨ましい。わたしには、何を考えているのかちっとも分からない兄しかいないからだ。
◆
ㅤ深雪は、横を歩く達也の姿を見上げる。今では、兄妹の仲は良好。これはとても幸せなことなのだ、と彼女は思えた。
「どうしたんだ、深雪?」
「お兄様は、昔から亜夜子ちゃん達には優しかったんですよね。文弥君も理澄君も小さい頃から、お兄様と仲良しでしたから。どんな経緯で距離が縮まったのですか?」
「亜夜子に魔法の使い方を教えてあげてからだよ。言わなかったかな?」
「それは教えて頂きました。ですが、友情というのは段階を踏んで形成されるものでしょう?」
ㅤその言葉に、達也は「敵わないな」と言って、深雪の頭を撫でた。
「じゃあ、帰ったらその話をしようか」
「はい! お兄様!」
ㅤ二人は軽やかな足取りで、四葉本家を去っていった。
◆
ㅤ戦闘訓練がある日だけは、達也は深雪の元を離れる。本家の地下に広がる第四研へと、彼は足を運んでいた。開始時間までは、まだ少し時間があった。その為、端末に落としておいた書籍データを読みながら待つ。
「えー! 絶対姉さん騙されてるよ」
「そんなことないわよ! あの人、わたしに魔法を教えてくれたんだから! 理澄くんは信じてくれるわよね?」
「わかんないよ。僕が見たわけじゃないんだから」
ㅤ近くで話し声が聞こえる。同じように待っている人間がいるようだった。深雪と同じ、本家筋の人間達だ。
「だから! わたしの魔法特性なら、こう使えば良いって言ってきたのよ。慣らすのもバラすのも同じだって」
「確かに姉さんは『極致拡散』を使えるけど……」
ㅤ文字を読むのをやめ、話し声に耳を傾ける。自分の話をされていると気づいたからだった。
ㅤ以前、黒羽家の長女が魔法の使い方に悩んでいるところを、達也は見かけた。エレメンタル・サイトを持つ彼には、彼女の魔法が黒羽の家で活躍できる魔法だとすぐに理解できた。
ㅤそれを教えてあげたのは、親切心からでは無かった。疎まれてばかりの四葉内にも、一人くらい自分の理解者が欲しかったのだ。感情の一部が欠落した達也は、悲しむことも、悔しいこともない。それでも、誰かに肯定されたいという欲求はあるのだ。
「でも、深雪姉さんの為に姉さんを倒そうとしてるかもしれないじゃないか!」
「それは飛躍しすぎでしょ。いくらなんでも、亜夜子と戦ったりは絶対ないよ。もしそんなことになったら、僕が仇を討ってあげる。叔父様がいつも『大きくなったら、理澄がアイツを倒すんだぞ』って言うし」
「あれ不思議だよね。どういう意味なのかな? 聞いても、はぐらかされちゃうし」
ㅤ黒羽の双子の他にもう一人、人物がいることに彼は気が付いた。「理澄」と呼ばれていることからして、武倉家の長男である武倉理澄だろう。
ㅤ理澄は深雪と同じ、ユニークで強力な精神干渉魔法を持つタイプの魔法師だ。詳細は知らないが、「ワルキューレ」という魔法名だということは、達也も耳にしたことがあった。
「とにかく! 悪い人じゃないのは確かよ」
「良い人かどうかも分からないけどね。深雪が深雪だし。あの子ヒステリックじゃん」
「深雪姉さんは、僕達のことあんまり好きじゃなさそうだもんね。それなら、尚更危ないよ。命を狙われてるかもしれない。訓練に託けて、殺しに来るかも」
「妹に問題があっても、兄は立派な人かもしれないわ。勝手な憶測で物を言うのはやめましょうよ」
ㅤ随分とあけすけな物言いをする、と達也は内心驚いた。深雪に対する、四葉の同世代の印象がそこまで良くなかったのも意外だった。小学校では深雪の容姿を褒めて、側に居たがる子供達が多い。校内にいる間は、取り巻きが四六時中引っ付いている。
ㅤそれなのに、彼らは深雪に阿るどころか、対等な立場から見ている。そのことは、達也にとっては不思議な感覚だった。
ㅤ戦闘訓練はつつがなく終了した。
ㅤ達也は文弥達を殺そうと画策したりはしなかったし、別に手加減をすることもなかった。いつも通り、普通に動いただけだ。シャワーを浴び、汗と傷口の汚れを落とした達也は、帰る支度を始めた。その時、背後から声を掛けられた。そこには、亜夜子が緊張した顔で立っていた。その後ろには、文弥と理澄。
「何でしょうか?」
「あの、前に魔法の使い方を教えてくれたでしょう? 『極散』の使い方は父だけでなく、御当主様にも褒められたんです。わたしが黒羽の魔法師で居られるのは、貴方のおかげです。本当にありがとう」
ㅤ亜夜子に見えない角度で、文弥と理澄が顔を見合わせていた。彼女の行動は、予定外のものだったのだ。
「礼を言われる程のことでは」
ㅤそう言って、達也はそそくさと立ち去ろうとする。亜夜子は行く方向を先回りして、彼の動きを止める。
「でも、文弥と理澄くんは貴方のことを信用できないみたいなの。だから、交流を深めたいんです。一緒にお茶でも飲みましょう」
「いえ……。ガーディアンの任務があるので」
「そちらには話を付けますから」
ㅤしばらく達也は言い訳を繰り出していたが、全て説き伏せられてしまう。最終的に、彼は帰ることを諦めた。
ㅤ亜夜子達に連れていかれたのは、黒羽が仕事用に使うホテルのラウンジだった。ケーキを食べながら、ポツポツと話を交わす。最初は亜夜子だけしか話していなかったものの、数十分もすれば打ち解け出した。
「すごいよ、達也兄さん! そんなことまで分かっちゃうなんて! 最初、疑っててごめん」
「ほら、言ったじゃない。達也さんは凄い人なのよ。理澄くんも分かった?」
「確かに。起動式の内容を一瞬で読めるなんて、なかなかできることじゃないよ」
「知覚的なスキルの応用だからな。大したことじゃない」
ㅤ魔法の話でも謙遜を使う場面がある。あまり褒められたことのなかった達也は、今日初めてそう知った。
ㅤ黒羽の双子と、武倉理澄。彼らは深雪とは違う。だから、彼らが達也の感情を引き出すことは決して無い。
ㅤそれでも、この日が彼の思い出の一つになったことは確かだった。
ㅤ追憶編はさすおに成分の集大成。「お貸ししろ!」とか。この作品でも、それは踏襲してる。