ㅤスティープルチェース・クロスカントリーは、極秘裏に達也がクローン兵を一掃したことで、特に事件は起こらず無事に終わった。もしも、達也が動かなければ、リーナや四葉の人員を割かねばならなかったので、勝手に暴れてくれて助かった。独立魔装大隊で彼と同僚の藤林少尉が、ムーバルスーツを提供したようだ。
ㅤ彼女を初めとして藤林家は、九島家の実験に内心反対していた。その為、達也を上手く使って片付けようと考えたのだろう。大概、何処も同じような発想をするらしい。
ㅤ男子スティープルチェース自体の結果としては、僕は5位になってしまった。ただ単に、足が遅かったのだ。普通なら戦力外扱いにされそうだが、全員がポイントが貰える為に出場は必須。本音を言えば、出たくは無かった。
ㅤただ、2位が幹比古で3位が服部先輩なので、総合優勝が揺らぐということは無い。もしそうでなかったら、僕はチーム内で大バッシングを受けていたかもしれなかった。
ㅤ十師族は何でも完璧でなければならない、という風潮はやめて欲しいものだ。50mを8秒でしか走れない十師族だっているのだ。
「――って思うんだけど」
ㅤ九校戦も終わり、夏休みも半分以上が過ぎている。
ㅤ僕は珍しくガーディアンの北斗と二人だけで出掛けていた。正確には、仕事で奈良県に来ているのだ。今は昼時なので、僕達は食事をしていた。適当に入ったが、豆腐料理で有名な店らしい。
ㅤ奈良県の生駒には、九島の本拠地がある。僕は御当主様から、九島に脅しを掛けるメッセンジャーの役割を与えられた。その為、ここまでやって来たのである。
「結果的なイメージ戦略としては、良かったのではありませんか? 完璧超人は居ないという理屈から、魔法師も万能でないというものに繋げられますし」
「実際、ネットには十師族陰謀論とかよく書かれているけど、大体は何処も完全にクロ。ギャップによる親しみやすさは必要か」
ㅤ個室な上に遮音フィールドを使っているので、こういった話も可能だ。個室の分、座席代が値段に上乗せさせられるようだが。まぁ、大した出費でも無い。
「三流雑誌の書き散らした記事が、結構的を射ていたりもしますからね」
「前に見たのだと、『四葉理澄は影武者説』というのがあったよ。強ち間違ってもないけど」
「深雪様のカモフラージュということでしょうか?」
「それもあるけど、一番は達也。黒羽の叔父様がね、前に言ってたんだよ。アレを魔法も満足に使えないガーディアン風情だと思わせておかないと、四葉は苦難の道を歩むことになるだろう、ってね」
ㅤ叔父様らしい回りくどい話し方だが、言いたいことは分かる。達也の力は、敵も味方も消し去ってしまう。でも、世界そのものを滅ぼす力なんていらない。相手がいない立ち回りほど、虚しいものは無いのだから。
「黒羽様の御懸念は非常に理解できます。確か、新発田様も同じことを仰っておられたのではないかと」
「叔父様達は足並み揃えて、同じ意見を持ってるからね。――達也の再成と分解は確かに驚異的だよ。この世界の概念を根底から覆す、まさに本物の『魔法』だ。だからこそ、彼に地位を与えちゃいけない。自由に彼が『マテリアル・バースト』を撃てるようになった時、一体誰が責任を取れる?」
ㅤ誰だって、戦略級魔法についての責任なんか取りたくない。しかし、責任の所在を有耶無耶にすれば、原作並みの悲劇が起こる。
「でも、達也を助けることを感情論抜きで実現できる人がいれば、その人の意見を支持するつもりではいる。僕だって、好き好んで彼を迫害したい訳じゃないんだ」
「そんな人物が現れるかどうかですね。いらっしゃらないのでは?」
「そうなんだよなぁ……。僕には荷が重過ぎるし、絶対やりたくない」
ㅤ僕はリーナと武倉の人間の生活さえ保証出来れば、それで特に問題は無い。変に自ら火の粉を被りに行くような真似はしたくなかった。
「それでは、現状維持ということになりますね」
「ぶっちゃけ、考えたって仕方ないからね。下手に警戒されたら、分解一つでお終いだ」
ㅤ僕達は揃って、ため息をつく。話題が微妙なものに転がったせいで、折角の食事が不味くなりそうだった。
◆
ㅤ食事を終えた僕らは、九島邸へと向かった。これが今日の目的なのだから、行かなくてはならない。たとえ、気が進まなかったとしても。
ㅤ気を取り直して、インターホンを押す。応対してくれたのは使用人ではなかった。
「理澄くん、よね? 達也くんから聞いているわ。遠いところからありがとう」
「はじめまして。藤林さん」
ㅤ藤林響子。「
ㅤ入った先の庭には、生垣が迷路のように入り組んでいる。キョロキョロと見回していると、藤林さんが言った。
「少しずつ、ここに守りを固めていったのよ。九島家は、ここに本拠地を置くことが決まっていましたから。どうしてかは、わかる?」
ㅤ知っていたが、ホストに恥をかかせる訳にもいくまい。それは、ゲストとして礼を失する態度だ。
「いえ……。教えて頂けますか?」
「大阪の監視が理由よ。本当はもっと向こうに置く方がいいんですけどね……。そういう訳にもいかなかったらしいの」
ㅤ取り込まれても困る、というのが当時の政府の考えだったのだ。「エレメンツ」の開発事情にしても、同じことである。
ㅤ藤林さんの案内で屋敷に招き入れて貰った僕は、書斎で待っていた老師こと九島烈と面会した。別に約束の時間に遅れた訳でもないので、僕が気後れすることはない。
ㅤとはいえ、目下の僕は挨拶には気を遣わねばならなかった。相手は生きた伝説に近い人間なのだ。
「お初にお目に掛かります、老師。私は四葉家当主、四葉真夜の名代として参りました、四葉理澄と申します。この度はお目見えすることが叶いまして、光栄に思っております」
「そう硬くならなくても良い。気にせず、お座りなさい」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせて頂きます」
ㅤそう返して、僕はソファに座った。後ろには北斗が立ったまま控えている。
「早速だが、本題に入ろうか。数日前に真夜――いや、四葉殿から送られてきた書状についてだ。……いやはや、破り捨てたくなるような内容だったね」
「おや、破り捨てになられましたか」
「そういう訳にもいくまい。我々が非人道的な実験を行ったのも事実だし、それを四葉殿に止められたことも事実だ」
「我々は富士演習場の人工林で行われたことには一切介入しておりません。全て、後に知ったことです。それは、事情を知らない第三者の仕業では?」
ㅤ達也は四葉の命を受けて、動いたのではない。勝手に動いて、勝手に暴れた。それだけだ。
「とぼけなくても良い。彼――司波達也君は深夜の息子だろう?」
「彼は軍の協力で動いていたようです。入手した証拠映像に映っていた装備品は、国防軍のものでしたから。残念ながら、装備の回収は出来ませんでしたが」
ㅤ達也をけしかけたのは、藤林響子だと暗に伝える。四葉は実際、何もしていない。逆に、僕は達也を止めたくらいなのだから。
「口が達者だな。まだ若いというのに」
「恐れ入ります」
「一体、四葉は何を望む? 権力などでないのは確かだろう。真夜の目的は、何なのだ?」
ㅤ呼び方が「四葉殿」から「真夜」に戻っている。純粋な疑問なのだろう。
「目的という程のものではございません。我々十師族は相互に牽制し合い、魔法師の暴走を防ぐ役割があります。確か、一条家からも抗議文は届いていたのではありませんか?」
「情報を流したのは、君だったのかね?」
「子供同士の噂話です。老師も、身に覚えがあられるかと」
「もう随分と昔だからな……」
ㅤ一瞬だけ、老師は昔を懐かしむ表情をした。
「……このままでは、来年の師族会議で九島家は糾弾されることになります。十師族の枠から『九島』が外れたとしても、おかしいことではありません」
「仕方のないことだ。我々はそれだけのことをした。真摯に罪と向き合うべきだろう」
「しかし、真言様はそのことに納得されるでしょうか?」
ㅤ九島家現当主、九島真言。彼は自身や自身の子供の魔法力が九島烈に到底及ばないことに、劣等感を抱いている。故に、彼は九島を強くすることに必死になっていた。十師族の座から落ちることは、彼の人生を否定されることに等しい。
「真言には、私から言い聞かせる。分かって貰えなければ、実力行使もやむを得ん」
「九島家内で争いの火種が起これば、我々も心が痛みます。身内同士が争うことは悲しいことですから。我が当主は、昔の恩師への感謝を忘れてはおりません。その為、何かお手伝いをさせて頂ければと」
「……話を聞こうか」
ㅤ僕は北斗に目配せをする。彼はすぐに書類を手渡してきた。交渉用に用意してきたものだ。
「まずは、こちらをご覧下さい。彼女はアンジェリーナ・クドウ・シールズ。老師の弟様の孫に当たる者です。彼女は日本への帰化を望み、現在は四葉家で保護しております」
「……アンジー・シリウスが失踪したと思えば、四葉の庇護下に居たとは。灯台下暗し、とはこのことだな」
「彼女の意思を汲み取り、四葉が代理人として直接USNA側と交渉しました。紆余曲折はあったものの、一応の話は付きました。しかし、日本への帰化は出来ておりません。そのことで、ぜひ老師に口添えをお願いしたいのです」
ㅤ僕は、未だリーナに帰化の申請をさせていなかった。彼女であれば、簡単に認可されるだろう。でも、九島家の一員にさせなければ、意味が無かった。
「アンジェリーナを一族の者と認知すれば良いのかね? それで、彼女を九島の当主にする。そんな辺りか」
「お話が早くて、幸いです。心機一転、再スタートと銘打てば、他家も文句は言えないでしょうからね」
「そんなこと、断る以外の選択肢があるかね? 第一、それでは玄明はどうなる?」
「残念ですが、当主の座は諦めて頂くしか無いでしょう。いいお年ですのに、父親の奇行を止められなかった時点で同罪なのですからね」
ㅤその言葉に、老師は僕を鋭い目で睨んだ。
「貴様……!」
「取り繕っても仕方ありません。九島には新しい風を取り入れ、再編し直すべきでしょう。お断りになられるのなら、それでも結構。空いた枠には別の家を入れるだけですので」
ㅤそう言いつつ、僕は新しい書状を取り出した。御当主様がしたためた手紙をこんな時に出すのも変だが、今こそジョーカーを出す時なのだ。手紙を差し出すと、彼はひったくるように手に取った。黙ってそれを読み進める老師。だが、急に顔色を変えて、こちらを見た。
「……光宣にある欠陥は治るものなのか?」
「最初は一時的な治療になります。ですが、最終的には完治を目指し、研究を進めることになるでしょう。彼を治癒するということは、回り回って魔法師全体の利益に繋がる筈ですから」
ㅤ四葉にとっても、九島光宣を研究出来ることは大きい。司波深雪は「完全調整体」の成功例ではあるが、それはほぼ偶然の産物。調整体の不安定さについての研究によって、深雪のような魔法師を安定して生み出せるようになるかもしれないのだ。その為にも、取りたいデータは幾らでもあった。
「……今回のことは持ち帰り、九島家内で協議する。それで構わないか?」
「勿論です。――あの、個人的な質問があるのですが、宜しいでしょうか?」
「良いだろう。言ってみなさい」
ㅤ僕が立場を変えたことが分かったのか、老師はまるで教師のような話し方で返す。昔の、御当主様と深夜様に魔法を教えていた頃を思い出したのかもしれなかった。
「ありがとうございます。……何故、光宣くんの体質に問題があると分かった時点で、九島家はそれへの研究をしなかったのでしょうか? 正直な話、今回のようなことを起こすよりは、彼の為になったと思うのですが」
ㅤ彼は目を瞑り、かなりの時間を無言のままでいた。
「……そうだな。我々はそうすべきだったのかもしれん。父親も母親も、兄弟達も、何の罪も無い彼を疎むことしかしなかった。私だって、同じだ。憐れむだけ憐れんで、何も動かなかった。誰も本当の意味で、光宣を愛してはいない……」
ㅤ目の前に居るのは、「世界最巧」でも「トリックスター」でもない、ただの哀れな老人だった。僕は黙って、席を立った。その時、老師が僕に言った。
「四葉理澄君、頼みがある。どうか、光宣に会ってやってはくれないか。もしかしたら、君であれば……、友人になれるかもしれん」
ㅤ人に丸投げとはどうなのか、と思わなくもなかった。とはいえ、本人の信を得れねば、四葉の研究には参加して貰えない。彼とは会って話をしておきたかったのも、事実だった。
ㅤオリ主いつもおしゃべりしかしてない。真面目に戦闘してねぇな……。いずれ深雪と戦わせたい(宣言して追い込み)