ㅤ九島烈との話し合い――実質は脅しだ――を終え、書斎を出る。廊下には藤林さんが待っていた。もしかしたら、話の内容を聞いていたのかもしれない。
「祖父との対談はどうでした?」
「有意義なお話が出来たように思います。多くの経験を重ねられた老師からは、学べることも沢山ありました」
ㅤ主に反面教師としてだが。その返答に、藤林さんは声を出して笑った。この様子だと、やっぱり盗み聞きしていたらしい。別に文句を言ったりはしなかったが。
「そう、良かったわ。……ところで。理澄くんさ、まだ時間はあるかしら? 一緒に軽く食事でもどうかな、と思ってるんだけど。勿論、ご同行の方も一緒に」
「では、折角なのでご相伴に預からせて頂きます。北斗もいいよね?」
「理澄様がそう仰るのならば」
ㅤ通されたのは、カジュアルな用途で使っているという食堂。家同士での交流の際に、若い年代の人間が集まる為に用意している、と彼女は語った。
ㅤ食堂に入ると、一人の少年が座っていた。そして、僕らを見るやいなや、立ち上がってこちらに走ってきた。少年は、かなり整った容姿の持ち主だった。人間として完璧に近い造形なのに、不気味の谷現象を感じさせない。哲学としてのイデアが示す「人間」を見せられたような気分だ。
「光宣君。お部屋にいるように言っていたでしょう? 会ってくれるかは聞いて見なくちゃ分からないからって」
「ごめんなさい、響子姉さん。つい、待ちきれなくって」
ㅤ見た目的に予想はしていたが、彼がかの「九島光宣」のようだった。彼を窘めた藤林さんだったが、彼女の顔には笑みが浮かんでいる。本気で怒っているのでは無いのだろう。下手に期待を大きくして彼を悲しませないように、と考えていたのかもしれない。
「はじめまして、四葉理澄です。こっちは、僕の護衛の名瀬北斗。北斗って気軽に呼んであげて」
ㅤ自己紹介のついでに、北斗の紹介も済ませてしまう。彼は僕の後ろで丁寧に一礼した。光宣も、そちらに軽く頭を下げた。そして、彼は僕を見て、緊張した面持ちになる。
「はっ、はじめまして! 九島光宣です。理澄さん、とお呼びしても良いですか? 」
「理澄、でいいよ。敬語も無しで。僕二月生まれだし。そんなに変わらないから」
「いえ、そんな……。それでも、年上には変わりありません」
「そんなこと気にしなくていいのに」
ㅤ彼の緊張は食事が始まっても続いた。会話をしよう、とは考えている筈だ。しかし、彼は何を話せばいいのか分からないのである。仕方なく、僕は話題を提供した。
「CADは、何を使ってるの?」
「僕ですか? えっと、汎用型を二つ使ってます。99個じゃ入りきらなくって……。今まで片方は使いにくかったんですけど、完全思考操作型が出てからはとても楽です」
「ローゼン? FLT?」
「FLTです。ローゼンの方もあるんですけど、こっちが一番使いやすくて」
「僕も使ってるよ、そのデバイス。最近買ったんだ」
ㅤ話を合わせた訳ではない。本当に使っているのだ。
ㅤ元々、僕は端末型CADにリング付きのカバーを付けて使っていた。しかし、FLTが完全思考操作型CADを発表してからは、それに乗り換えている。魔法は速度が命。変な拘りを持ったせいで死にたくはなかった為に、発売初日に即購入した。そのことを達也に言うと、気を良くした彼は「シルバー・ホーン」を僕の家に送ってきた。使い所が無くて、そのまま放置しているが。
ㅤ勿体ないので、森崎にCADの速い取り出し方でも教えて貰おうと考えてはいる。
「そうなんですか! すごい偶然ですね。嬉しいです。僕、あまり友達がいないから……」
「ちょっと。初対面の人にそんな暗いこと言っちゃあ良くないわよ」
「あっ……。すみません、変なこと言っちゃって」
「気にしないで。僕も『四葉』って公表された時は、人がどんどん離れていって……。今は何人か友達がいるけどね。だから、大丈夫だと思うよ。だって、友達の一人目は僕になるからね」
「良いんですか……?」
ㅤ友達というのは宣言してなるものでは無いらしいが、彼にそれを要求するのは酷だろう。
「敬語は無し。友達だろ?」
「うっ、うん……。よろしく、理澄」
「こちらこそ、光宣」
ㅤ友達にくらい、幾らでもなる。頼むからテロリストにはならないでくれ。九島光宣と敵対することになれば、非常に面倒なのだ。
◆
ㅤ老師の行動は驚く程に早かった。リーナを九島の人間だと認知したし、日本に帰化することへの認可もすぐに出た。
ㅤただ、争いは避けられなかったようだ。現当主と光宣以外の子供達と、老師は完全に決裂。恐らく、普通に十師族から落ちていた方が、まだ平和だっただろう。完全なるお家騒動である。
ㅤだが、九島烈は魔法の黎明期を生きた、海千山千の男。九鬼と九頭見の前当主を巻き込み、旧第九研の成果のデータを掻き集めてロックを掛けてしまったのだ。これは、藤林家も関与している為に出来たことである。光宣の遺伝上の母は、実際に産んだ訳でない彼を、心の何処かで愛しているのかもしれなかった。
ㅤそんな推測は置いておいたとしても、「
ㅤ九島真言は、父親を「末孫を可愛がり過ぎて、とうとう耄碌したのか」と糾弾した。しかも、それを光宣の目の前で言ったらしい。何とも、酷い話である。
ㅤ一ヶ月後に結局、彼は妻と子供、そして自分に付いている部下を連れて、家を出ていった。老師が死ぬまで待つ、という選択をしたようだ。知らないというのは、本当に素晴らしいことだと思う。彼が死んだら、四葉が出てくるというのに。
ㅤ現在、九島邸にいる九島の人間は、老師と光宣、そしてリーナだ。他にいるのは、先代が当主の頃から仕えている使用人達だけである。
ㅤ僕の家からリーナが、引っ越してしまうことになったのは残念だ。しかし、このままでは彼女は何をするのか分からないまま、当主になってしまう。そうならないように、彼女には早く仕事を覚えて貰わねばならなかった。
ㅤ光宣の想子体を治療する為の研究は、老師の強い後押しもあり、規模は大きなものになった。ダミー会社を通じて、資金を出して貰えたのも大きい。それは、光宣の人権を保証させる意味合いもあったとは思う。彼を実験動物扱いしないことを元から確約しているが、心配なのは分かる。一応、僕からも御当主様に口添えはしておいた。
ㅤ最初の時間遡行こそ困難であったが、「変数に虚数を定義する」というアイデアは画期的なものだった。
ㅤ存在があやふやなものへの干渉を可能にする。
ㅤこれは、第四研が掲げている「精神干渉魔法による魔法演算領域の向上」に近いもの。依然として変化が見え辛かった研究が、急に進んだのだ。
ㅤ今は想子体の管に干渉し、硬化させるという魔法を開発している。飛行魔法用の想子吸引スキームを応用すれば、光宣の想子量なら一日中使っても苦にはならない筈だからだ。
ㅤそうは言っても、九島家の事情は四葉家に全く関係が無かった。つまり、僕は四葉の仕事をしなくてはならない。しかも、今回は勝成さんとの任務だった。新発田と武倉は深い交流があるとはいえ、この組み合わせは非常に珍しい。
「作戦上必要なのは確かだよ。でも、議員の演説をわざわざ聞きに行かなくちゃいけない、ってのも嫌だよね」
「変に突入するよりは目立たないからな。つまらないだろうが、これからも機会はあるよ。慣れておいた方がいいんじゃないか?」
「慣れたくないなぁ……」
ㅤ僕達はキャビネットの中で、今日のことについて話し合っていた。今日の僕も「メロディ」の格好をしている。ブラウスに長めのフレアスカート、そしてヒールが高めのパンプス。髪はダークブラウンのストレートヘアだ。TPOに合わせたとはいえ、恥ずかし過ぎる。
「人間主義が下火になったのはいいけど、逆に突き抜けてくる奴が出るとは……。だって、すごいよ。この人曰く、非魔法師は二等国民なんだって。大丈夫なのかな……。この議員、魔法師じゃないんでしょ?」
ㅤ過激思想を掲げる議員の集会で、ひと暴れするのが仕事だった。要はそんな思想を持つ人間達に、警告を出す訳である。
「BS魔法師だよ。意識誘導の先天性スキルがある」
「それは魔法師扱いなのか……」
「その方が良いとは思うが。例えば、達也君だって実質BSだが、彼は魔法師だろう?」
「後付けだけどね」
ㅤキャビネットは目的地の駅に到着した。そこからコミューターに乗って、会場まで移動。伝で手に入れた招待状で中に入る。身体検査は無かったので、CADはバレなかった。もしもこの時点でバレていたら、開き直って暴れていたかもしれない。
ㅤそこから30分くらいして、演説が始まった。本職なので語り口はそれなりに面白かったが、ちょっと宗教っぽかった。
「そろそろだね。やって良い?」
「構わない。頼む」
ㅤ新しいCADを早く使いたかったのもある。意気揚々と僕は舞台の中央のスポットライトに向けて、「インビジブル・ブリット」を放った。照明が壊れたことにより、舞台上は一気に暗くなる。
ㅤ人々の意識がそこに集中した瞬間、勝成さんの魔法が発動する。室内の気体分子密度を操作して、酸素の量を減らす魔法だ。それによって、僕ら以外の人間は全て意識を失った。
「急ぐぞ。警備の人間が来る」
「分かってる。すぐに破っちゃうから」
ㅤ天井の一部を狙って、「破城槌」を使う。落ちた瓦礫に何人か下敷きになっていたが、構ってはいられない。加重軽減の魔法は掛けていたので、それで許して貰おう。僕は自分と勝成さんを空気の繭で覆い、「擬似瞬間移動」で外に飛び出した。
ㅤ僕の家のヘリが待機していたので、飛び上がった勢いで機内に転がり込んだ。
「僕達、すごい迷惑だったろうね」
「迷惑を掛けに行ったからな。目的は達成できた筈だ」
ㅤ真顔で勝成さんはそう返す。そして、薄い笑みを浮かべ、僕に言う。
「御当主様に報告をしなくてはならないな。急ぎだから、理澄くんはそのままの格好でいいだろう?」
「それ、本気で言ってるの!?」
ㅤ彼は常識人で無かったのか。僕はとても泣きたくなった。
◆
ㅤ今日の御当主様はかなり機嫌が良かった。まさか、僕が女装をしているから――という理由ではないと思いたい。
「理澄さん、それに勝成さんも。きちんと任務をこなしてくれて、本当に助かりました」
「滅相もありません、叔母様」
「いえ、四葉の魔法師である以上、当然のことですから」
ㅤ文弥や僕が、女装をしている状態で御当主様と会う時は「叔母様」と呼ぶように言われている。そちらの方が可愛いかららしい。女装男子を侍らす趣味でもあるのだろうか。
「勝成さんは就職したみたいだけれど、お仕事はどうかしら?」
「家の仕事とは勝手が違うこともあり、戸惑うことも多いです。ですが、そろそろ慣れてきましたね」
「それは良かったわ。……理澄さんは確か、部活連の会頭になったのだったわね?」
「はい。代替わりがありまして。皆に推薦して貰い、無事に就任できました」
ㅤ一高生が期待するような、僕と深雪の殺し合いには勿論ならなかった。深雪は生徒会長になったし、達也は
ㅤ僕が生徒会長の立候補を辞退したのは、「生徒会役員は魔法大学の推薦を断らなくてはならない」という不文律があるからだ。
ㅤ何の為にあるのか、本当によく分からないシステムである。折角推薦が取れるのに、受験勉強なんてしたくない。
「理澄さんが楽しく学校に通えているみたいで、私も嬉しいわ。一時はどうなることかと思いましたもの」
「ご心配をお掛けしてしまい、申し訳ありません。叔母様」
ㅤ貴女のせいなのですが、と言いたくなったが、そんなことは口に出来ない。とりあえず、頭を下げておいた。
「いいのよ。ところで、来年の慶春会があるでしょう? 二人は毎年参加してくれているけれど。今回はね、ちょっと特別なの。――今年の慶春会は、四葉の次期当主を発表しようと思っています」
ㅤ僕は思わず、息を呑む。勝成さんも同じような反応をしていた。
「まだ、誰とは言えませんけどね。ですが、心の準備はしておいて下さい」
ㅤその言葉を最後に、話は切り上げられた。その後も葉山さんとは言葉を交わしたが、特に新しい情報は得られなかった。
ㅤとうとう、「四葉継承編」と原作で呼ばれた時間軸までやってきてしまった。もう物語は何もかも違う。
ㅤ僕は、四葉の中枢から達也を引き剥がせるのか。そもそも、達也に勝てるのか。ただただ不安が、心にのしかかるばかりだった。
ㅤ次は四葉継承編。深雪とバトルします。