ㅤ新人戦は四日目からの四日間で行われる。つまり、初日から三日目までは一年生にとっては退屈だ。勿論、上級生の応援はしている。だが、自分の出番が無いのに、いつまでも気を張ってはいられないのだ。
ㅤ僕は本戦の合間に会場近くのあるホテルを訪れていた。フロントを無視して、従業員入り口へと進んでいく。見咎める人間は誰もいない。それもそのはずで、ここは四葉の息がかかったホテルだった。
ㅤ従業員用エレベーターに乗り込み、一般客用には存在しない階数ボタンを押す。ここには、四葉の人間以外は使えない部屋があるのだ。
「理澄兄さん! 久しぶり!」
ㅤ部屋を開けてもらうと、嬉しそうに一人の少年が飛び出てきた。彼は黒羽文弥。僕と同じく、四葉家の次期当主候補である。
「文弥! 元気にしていた?」
ㅤ僕は文弥の髪をグシャグシャとかき回す。昔から黒羽と武倉には付き合いがあり、双子と僕は仲が良い。親の思惑はまた違うところにあるのだろうが、それは現時点では子供に関係ないことだった。
「もう、文弥。そんな勢いよく出たら危ないじゃない……」
ㅤ文弥の後ろから、彼の双子の姉である亜夜子が現れた。文弥は姉に注意されたのが恥ずかしかったのか、口を尖らせて反論する。
「大丈夫だよ。理澄兄さんだって、いくらなんでも僕くらいは受け止められるよ」
「そりゃそうだ。久しぶりだね、亜夜子ちゃん」
「理澄さん、お久しぶりです」
ㅤ黒羽の双子達は、毎年九校戦を観戦しに来てはいない。家の仕事が忙しいので、わざわざそんな時間を取ることは勿体ないのだ。自分が出場するまでは、僕だって会場へ来たことは無かった。
ㅤ例外は深雪で、彼女の父親が本家への機嫌取りの為にいつも連れて行っていたらしい。やることがみみっちいと思う。
ㅤ二人がここに来たのは、達也がエンジニアとして参加していることが理由だろう。彼らの父親は酷く渋ったに違いないが、結局は子供達が喜ぶならと受け入れたのだろう。達也のことが絡まなければ、いい父親であることは確かだ。
ㅤ文弥と亜夜子が滞在するのは、このホテルには置かれていない筈のロイヤルスイート。室内も、ベッドルームとは別にきちんと部屋がある。僕達はそこでお昼を兼ねたティータイムを始めた。
ㅤメイドが手早くテーブルの上にお茶の用意をする。軽食を食べるので、簡単なアフターヌーンティーだ。
「菜子はちゃんと働いているかい?」
ㅤ開口一番に僕は彼らにそう尋ねた。実を言えば、先程のメイドは菜子だったのである。
ㅤ彼女が九校戦好きだと聞いてから、連れて行ってやりたいとずっと考えていた。とはいえ、流石にホテルの部屋を一つ空けてやる訳にはいかなかった。そんなとき、黒羽の双子が観戦するという話を聞いたのだった。世話係という名目でなら、寝床を用意できる。彼らも快諾してくれたので、助かった。
「紅茶を飲む回数が増えたかな。姉さんが淹れるよりも美味しいから」
「ちょっ、ちょっと文弥? その言い方だと、私が下手みたいに聞こえるじゃない! 菜子ちゃんがとても上手なだけですからね、理澄さん!」
「分かってるよ」
ㅤ黒羽の家に遊びに行った時に、何度か亜夜子の淹れた紅茶を飲んでいる。特に腕前に問題はないと、よく知っていた。
「あぁ、理澄兄さん。今から、菜子さんには暇を出すから。競技がある時間には、自由に観戦できるようにしています」
「ごめんね。複雑なことさせて」
「いえ、こちらは理澄さんの使用人をお借りしているだけですから。当然のことです」
ㅤしばらく、僕らは口を飲み食いに使った。皿を下げたり、ポットを変えたりするのは、黒羽の黒服が代わりにしてくれた。
「そろそろ、本題に入ろうか」
「そうですね。……それにしても、よくこんなの知ってたね。黒羽でもまだ掴めていなかったようなことなのに」
「顔だけは広いからね。でも、細かいことまで調べるのはやっぱり黒羽の仕事だ」
ㅤ黒羽を使って調べさせたのは、次のフラグである
ㅤ情報端末に映し出して、周公瑾のデータを読む。
「崑崙方院の生き残り……。まだ残っていたとはね」
ㅤ文弥が忌々しげに呟いた。四葉一族にとって、「崑崙方院」は憎しみの対象。直接体験していない世代にも、恨みは連綿と継がれていた。
「崩壊前に追放された古式魔法師らしいから、正確な生き残りでは無いんだろうけど……。どちらにせよ、のうのうと生きて貰っちゃ困る存在だ」
ㅤこれからの展開的にも困る。戦争が起こって、「
「この件は急ぎ本家へと報告されました。すぐ、御当主様から任務として、正式な通達が下ると思います」
「久しく無かった、分家同士を跨いだ任務になるんじゃないかな。理澄兄さんと一緒に仕事するの、何年振りだろう?」
「巳焼島で、脱走しようとしていた魔法師を殺して以来だね。あれを仕事と呼ぶならだけど」
「どちらかというと訓練ですわね」
ㅤ巳焼島。四葉家の保有する島である。名義の上では都内の不動産会社のものとなっているが、様々な会社を挟んで、四葉が全株式を支配している。島の西端には、犯罪魔法師を収監する施設が置かれていて、脱走を防ぐ役割を四葉家が事実上担っている。
ㅤそのため、戦闘訓練の最終段階で殺人の訓練を行うとき、ここを利用するのだ。僕は文弥達と一緒にあの島に滞在して、脱走囚を排除する訓練をしたのだった。
「だけど、理澄兄さんと達也兄さんにはハードスケジュールになると思う。九校戦のパーティーが終わってすぐ、中華街に向かわなくちゃいけないから」
「達也も任務に参加するの?」
「珍しく武力を大量投入する、大規模な作戦だからね。達也兄さんは絶対必要だよ」
「確かに達也がいるだけで、こちらはかなり優勢になるか。それにしても、大暴れできそうな作戦なのは助かるね。でも、四葉が動いたと判れば、他の十師族がうるさそうだ」
「崑崙方院の潜伏場所だったとだけ発表したら、一番面倒な七草や九島も黙る筈です。そこまで、心配する必要は無いと思います」
ㅤその後も、任務についての擦り合わせを行ってから、僕は部屋を去った。
◆
ㅤ九校戦も順調に日が過ぎて行き、とうとう新人戦がスタートした。午前に女子早撃ちが行われたが、一高が一位から三位までを独占する快挙となった。
ㅤ午後には、男子早撃ちがスタートする。それを見るために、関係者用の観客席には真由美、鈴音、摩利が揃って座っていた。
「達也くんが武倉くんの使う術式をアレンジしたらしいのよね?」
「ええ。武倉君の担当エンジニアは五十里君ですが、使用する起動式については司波君が用意したそうです」
「午前の早撃ちでもやってくれたからな……。武倉の試合はかなり楽しみだ」
ㅤ応援というよりは、達也の関わった試合を見たいという理由の方が強そうであった。現に、森崎やもう一人の代表のことは話題にも上っていない。
「あっ、始まるわよ」
ㅤ開始のシグナルが灯る。その瞬間、クレーが射出された。飛んできたクレーは、すぐに理澄の魔法によって破壊されていく。
「おぉ……! 速いな」
「弾が見当たらないけれど……。一体何の魔法なのかしら。リンちゃん分かる?」
「インビジブル・ブリットですね。彼は加重系が得意なそうですから、妥当な選択ではあります」
「はっ? インビジブル・ブリットって、あの!?」
「えぇ!? それって、吉祥寺くんしか使えないんじゃないの!?」
ㅤ冷静な鈴音の返答とは反対に、裏返ったような声を出す真由美と摩利。しかし、鈴音は淡々とその疑問に対して答えた。
「魔法式の記述が、開発者である吉祥寺真紅郎しか理解出来ないから使えない……。これはただの俗説で、用途が非常に限定されている為に、使用者がいないだけなのです」
「そうだったの……。それでも、そんなの用意しちゃう達也くんも達也くんね」
「でも、何故そんな用途の限定されている魔法をわざわざ使っているんだ?」
ㅤ摩利の疑問は尤もなものだった。
「インビジブル・ブリットは、『視認したポイントに圧力を発生させる』という単純な効果。エリアが限定されている、スピード・シューティングではかなり有効でしょう。特に新人戦では死角を狙われることも少なく、クレーを見つけやすいですし」
「成る程な……」
「まぁ、男子の方も上手く行きそうね。武倉くんもあの調子なら、優勝してもおかしくないし」
ㅤ彼女らが話している中、理澄が100個目のクレーを割る。彼の予選突破は確実だった。
ㅤ一方、第三高校のテントではスピード・シューティングの様子を見て、大変な騒ぎになっていた。
「吉祥寺のインビジブル・ブリットを使ってくる奴がいるなんて!」
「またあの忌々しいエンジニアか!?」
ㅤ観戦していた三高の生徒達が口々に叫び出す。女子の部でのことは、まだ理解できた。新しい魔法を用意しても、特殊なCADを作成してきたとしても。けれども、インビジブル・ブリットを使ってくるのは、嫌がらせとしか彼らには思えなかった。
「一条! お前はどう思う!?」
ㅤ三年生が、黙ってモニターを見つめ続けている一条将輝に尋ねた。彼は一年生とはいえ、十師族、一条の跡取りだ。チームの精神的支柱になるのは当然と言えた。
「落ち着いて下さい、先輩。まだ、これは予選です。それに同じ魔法を使ってきたとしても、こっちにいるのは開発者です。ジョージが自分の魔法で負けるなんて、あり得ませんよ」
「そっ、そうだな……!」
「そうよね! 吉祥寺くんが負けるはずないわ!」
ㅤ将輝の言葉はチームメンバーの不安を和らげた。しかし、彼らは失念していた。世の中には、開発者よりも高い精度で魔法を使いこなす魔法師の事例が沢山あるということを。
◆
ㅤ決勝まで何とか無事に勝ち抜くことができた。
ㅤ僕の担当エンジニアは五十里先輩で、思ったより魔法は使いやすい。CADの調整は苦手と言っていたから少し不安だったが、それは杞憂だったようだ。
「大丈夫? どこか気になるところは無い?」
ㅤ決勝戦に備えて、先輩に最終確認をしてもらう。
「特に違和感は無いです。これなら、本番も大丈夫だと思います」
「本当? それにしても、インビジブル・ブリットを使うなんてね。司波君が提案したのかい?」
「いえ。僕から使いたいと言ったんです。それで、アレンジした式を貰って」
「アレンジねぇ……。とんでもない特技だよ。少なくとも、僕にはちょっと無理かな」
ㅤ達也は「分解」と「再成」の為に、物体の構造を認識する異能を持っている。アレンジはその技能の副次的なものであり、それ自体が特技な訳ではない。だが、そんなことを言うのは憚られた。
「でも、五十里先輩にできるCADの調整は僕には上手く出来ません。そういうものじゃないですかね」
「後輩に慰められちゃ形無しだね。まぁ、いいか。決勝、頑張っておいで」
「えぇ。絶対優勝しますよ」
「頼もしい答えだね。花音を思い出すよ」
ㅤ急に惚気を混ぜられて、何だか気が抜ける。狙ってやったなら凄いが、多分そうではない。決勝会場のシューティングレンジに足を踏み出す。照準用のゴーグルを付け、特化型CADも構える。
ㅤ対戦相手の吉祥寺真紅郎も入場してきた。僕の時よりも数倍の歓声が場内に響いた。いくら同じ魔法を使っていても、流石は「カーディナル・ジョージ」。その名声は伊達ではない。
ㅤ縦に並んだ五つのライトが、下から順に点灯していく。一番上のライトが光った瞬間、クレーがエリア内を舞う。
ㅤ僕が撃ち落とさないといけない標的のクレーは赤色だ。間違えてしまえば、それは失点になってしまう。
ㅤインビジブル・ブリットの利点は、弾丸が存在しない点にある。対象そのものに魔法を行使するので、僕と吉祥寺の魔法行使領域が重なることは無い。だから、スピードと照準精度だけが勝負になってくる。
ㅤそして、処理速度も正確さも、吉祥寺に負けない自信があった。
ㅤ結果は、僕がパーフェクト。吉祥寺が99個。恐らく、彼もパーフェクト出来たはずだが、制限時間に間に合わなかったのだ。
ㅤ一高側の観客席から大きな歓声が上がる。嬉しくて、僕は思わず手を大きく振った。そのあと、
場内をぐるりと見回す。黒羽の双子達が、立ち上がって喜んでいるのが見えた。そちらにも手を振る。
ㅤその近くで菜子も見つけた。こちらに小さく手を振りながら、笑顔を向けている。その姿を見ると僕はなんだか、優勝して良かったな、と思えてきたのだった。
ㅤ
ㅤ黒羽の双子達はとても好きです。亜夜子が推しキャラということもあり、書くのはかなり楽しかったです。