……最初は、よく似ている人だと思った。
駆逐艦夕立。姉の顔。色々違うが、似ていると。
まあ、そんなものを感じる余裕はなかった。
何せ殺されると思っていた。この提督に、解体されると。
どうせ死ぬ。今度こそ死ぬ。殺される。
そう、思っていた。
……けど。
彼女は、母だった。母のように、初対面の彼女たちを受け入れていた。
と、思い込んでいるのだ。
その正体を、彼女たちは知らないまま。
彼女が前に読んだ絵本。親子の愛情がテーマの物語。
艦娘には母などいない。人工物と罵られる彼女は、強い憧れと飢餓があった。
前任の提督による人格否定により、拍車がかかった愛情への渇望。
誰でもいい。誰か、見て。自分を、認めて。ここにいてもいいと、言って。
そんな強い願望が、胸の奥底には眠っていた。
認められない苦しみ。否定され続ける悲しみ。
誰が理解してくれる。この痛み、辛い気持ちを。
それは、隣の少女も同じだった。
旧式と言われて、盾にされるわ囮にされるわ、ろくなものじゃなかった。
その都度生き残るが、戦果など出す暇もない。出来損ないと言われ続けた日々を過ごした。
彼女も認めて欲しかった。存在を。意義を。叶わぬ願いだったが。
……けど。
その小さな祈りは、海に届いた。
姫園鎮守府司令官、渋谷七海。
またの名を、駆逐艦夕立。
彼女たちの姉妹が言っていた、他とは違うという意味は。
ここの司令官は艦娘だった。共に戦う仲間だった。
戦場を知っている数少ない理解者だった。
そして、認めてくれた。二人を。
人間として。対等として。
嗚呼、救われた。二人の、弥生と山風の願いは報われた。
この新しい場所で。戦えない艦娘だとしても。
彼女たちには役目があった。だから、果たす。
壊れた、死ぬしかなかったこの命に、意味をくれた彼女のために。
自分のできることを、精一杯。
「七海姉……部屋、汚い」
「うわぁ……ママ、ないよこれは……」
で。
引き取った二名は二日もすれば無事に回復。
取り敢えず面倒を見るため、如月に相談。
「ママなら同じ部屋で暮らすのは当たり前よね?」
こう言うときのエロサキュバスは当てにならない。忘れていた。
すっかり懐かれて山風に泣き落としされてママと呼ばれる七海は、如月の言うことを鵜呑みにしていた。
仕方ない。十六歳のママとか言う映画のタイトルになりそうな状況に放り込まれて、七海は精神が死んだ。
普段ならばエロサキュバスの戯れ言と流せる余裕があったが、今はない。
如月以上に常時ベッタリの山風の世話をするべく、二日は我慢させてから、私室で生活を開始。
弥生も面倒見るからこいとやけくそで回収して、冒頭に戻る。
七海は基本的に片付けはしない。本棚以外はみんな汚い雑多な部屋。
娘と妹に落ち着いた弥生は室内を見て、呆れていた。
如月の私物も混ざって一種の混沌となっている。
「ほっといて下さい。お母さんは面倒なことはしません」
「あらあら……」
七海もママと呼ばれて、案の定それに応えようと足掻いている。
得意の理屈も、山風の涙と弥生の悲しそうな顔を見ると崩壊する。
完全降伏をした情けない司令官となっていた。
自分よりも背丈の大きな娘で、子育てをした経験もない七海。
当然、彼女は現役の高校生であり、娘がいるはずがない。
如月が手伝ってくれているが、やはり不足するのは知識と経験。
片っ端から予習しておいて、教育の仕方なども付け焼き刃で学んでおいた。
おかげで寝不足。くまが出来ている七海に、妹と娘は言う。
部屋、片付けろと。
開き直る母に、如月は先ずは一緒にお掃除すると言い出して、日曜に皆で掃除開始。
「……なんの騒ぎよこれは」
「お姉ちゃんが……ママ!?」
五十鈴が怪訝そうに様子を見に来て、イムヤが件の話を如月に聞いて唖然とした。
そこから拡散する司令官ママ計画。広くはない内部であっという間に広まった。
皆の反応は、七海がお母さんやっていると見て驚いていた。
しかも必死にやっている。懸命に面倒を見て、世話を焼いている。
「成る程!! こう言うときこそ、私の出番じゃない!!」
で、一部ではロリお母さんと呼ばれる伝説の艦娘、雷も参戦。
世話焼き母さんとサイコパス母さんによる、ダブルママのお掃除と教育が、幕を開けた……。
雷は本当に参考になる。母とは何か、と七海は聞いた。
「母とは……愛よっ!! 無償の愛こそ、母性の根源だと思うの!!」
「……無償の愛?」
でも理解はできない。無償の愛とは何ぞや?
圧倒的母性の化身、ロリお母さんによる母親講座を学ぶ七海。
現在共に暮らす妹と娘と恋人候補の三人の面倒を全部見ないといけない。
普通なら投げ出すような現実でも、逃げることを知らない七海は無駄に足掻いて覚えていく。
愛とはなんだ。母とはなんだ。何を学び、身に着ければいい?
そして、どうすれば皆に応えられる?
義務が、責任が、重くのし掛かる。
理屈が泣き落としにより崩壊した七海は、虚ろな瞳で空を見上げ思うのだ。
(お母さんって……難しい……)
日々理解できない理屈と理論に磨耗して壊れていく七海。
元々理屈で動く七海に母の愛など真逆で、実行すればエラーが起きる。
「七海!? ねえ、あんた大丈夫!? 見てて段々と窶れていくんだけど!?」
一週間経過。五十鈴がたまらずに声をかけた。
七海は執務中でも虚ろな目で、しかし的確に指示を出している。
が、見た目が既に死人のような顔色と目で、ハイライトは何日も欠勤状態であった。
ボーッとしている珍しい司令官様は呟いていた。
「お母さん……? 五十鈴、お母さんって……何ですか……?」
「いやあああああ!? 由良、由良ああああああ!」
小声で虚空に呟くそれは、まさに壊れた人間。
五十鈴ですら絶叫して、由良を呼ぶ始末。限界は近いようだった……。
然し、運命とは残酷である。
……愛情を理解しない子供に、愛を求めるなどそれは、あまりにも酷な事ではないか?
皆は、知らないのだ。七海は、母しかいない。
片親の娘であり、こうなった理由は、親が関係しているのを。
七海は一人っ子であると説明はしていた。
けれど、親に関しては特に説明はしていない。
なにせ、七海の家は父親がいないのだ。
親しい関係は母のみと、自分でも分かっている。
父は、小さい頃交通事故で亡くなっている。
七海も巻き込まれた玉突き事故で、父は運転席で即死。
幼少時の七海は無傷で奇跡的に生きていた。
七海の母は、一人で懸命に残された娘を育て上げた。
七海の人格の構成において、七海がサイコパス一歩手前に育った理由に、自分を発露しないように抑える環境も一因であった。
決して裕福ではない家庭において、自分のわがままがどれだけ母を苦しませるかを、幼いながら七海は知っていた。
友達がいると、片親のことをバカにされる。父親が死んだことを笑われる。
子供特有の無邪気な残酷さに気付いていた聡明な子供だった彼女は、身を守りつつ苦しませないために、孤独を選んでいた。
本を好むのは、図書館などでお金をかけずに長時間過ごせるから。
勉強を真面目にやったのは、推薦で学校に行くため。
全ては、母に苦労をかけないための七海なりの方法だったのだ。
提督になる前、せめてもの恩返しと言っていたのは、母に返せるものがそれしかないと分かっていたから。
今でも、母には月額で仕送りをしている。給与はよい提督の仕事。
文句を言いながらも続ける背景には、親への恩返しがあった。
損得勘定になったのも、自分の損害は母に負担を強いると知っている。
理屈的になったのも、感情的じゃ不利益が母に伝わってしまうと思ったから。
……愛情を受けて育ったのは違いないが、七海はそれ以前にそうして自分を殺して生きてきた。
愛情に対しての感情は、常に打算的な恩返し。
母は愛しているだろう。が、娘はそれを分かっていない。
自分は母の負担だと、思っている。だから軽減するべく、生きている。
お金という俗的なものだとしても。それは、愛にも当然関係ある。
お金をかけない。お金で応える。七海は、愛されていても愛して返すなんて出来やしない。
小さい頃から自覚なしに行っていた軽減と、自己犠牲。
感情の理解ができない環境は、父の死んだ事が始まりであろう。
そんな彼女が、母と呼ばれて応えようにも、根本が欠けている。
わかるはずがない。知識も無ければ、上手く愛すら表現できない。
(母って……なに?)
お母さん。無償の愛。
七海にはないもの。欠如した感情。即ち、愛情。
故に如月の恋慕にも理解できずに放置している。
愛したければ別にいい。けど、自分は多分愛さない。愛せない。
そういっても尚、如月は愛しているから救いはない。
山風は知らず知らずに、七海の尤も弱い部分を刺激している。
(愛情……愛ってなに?)
愛も知らない。恋も知らない。
必要のない感情としか思えない気持ち。
分からないを通り越して、取り込めない。
七海は苦悩する。最大の壁、愛と来た。
彼女のなかには存在しない気持ちを求めている二名、そして如月。
苦しい。ただ、苦しい。知識や言葉では表せない得体の知れない感情。
雷は言った。無償の愛が母性である。見返りなしの感情なんて、七海にはあり得ない。
そんなものはあるわけがない。全てはギブアンドテイク。見返りあっての関係。
なにもなしに向ける感情なんて、あるはずがない。
(…………)
愛。恋。
恋愛。親愛。親子愛。
……分からない。
――分からない、分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない!!
(……ああああああああああああっ!!)
――七海には、無理だ。
お母さんには、ママには、なれない。
皆には、応えられない。
誰か、教えて。
(……ママって、なに!?)
触れ合って、山風が、弥生が、如月が。
何を考えているのか、分からない。
「…………」
「七海ちゃん、七海ちゃん!? ねえ、大丈夫!?」
「コラ、話を聞きなさいッ!! 七海、どこ行くのそっちは窓! 出口はあっち!!」
来る日も来る日も、三人に応えようとするのに。
してもしても、最適解が見えやしない。
それどころか、上手くできているかも自信がない。
周囲は異様に心配している。
由良が大変なら頼れと言うが、彼女は艦娘だ。
母では……ない。
今日も何とか皆と過ごした。大丈夫だろうか?
七海は、ちゃんとお母さん、出来ているのだろうか?
仕事はしている。勉強もしている。なのに、果ては見えない。
迷宮にでも迷いこんだような気分だった。
出口の見えない世界を、ただ歩いているような感覚。
これが、愛情? 真っ暗な世界をさ迷うのが愛?
「七海、しっかりなさい!! どこ見てるの、そこは窓だって……!!」
「七海ちゃん、危ないッ!!」
――ガシャーンッ!!
「…………?」
なんで、倒れている?
ここは、何処だ? 視界が、妙に狭い。歪んでいる?
というか、身体の感覚がおかしい。足、浮いていないか?
地面、遠くないか? なんか、痛くないか?
「あぁっ……!? 七海ちゃん、頭から血が出てるわ!!」
「バカ、なんで窓に自分から突っ込んでるのあんた!? ああ、止まりなさい落ちる……!!」
……落ちる? 何が?
「くっ!!」
……ああ、落ちてる。なんで落ちてる?
あれ、アスファルトだ。そういえば執務室、三階にあったっけ。
ってことは、なんか落ちてる。なぜ?
「七海、自殺したいのあんた!? 意識をしっかりと持ちなさい!! ほら、掴んで!!」
「……………………?」
あれ、首が苦しい。
首根っこ捕まれて、宙ぶらりん。
ここ、どこ?
「五十鈴!?」
「七海、早く……掴んで! 重たい……!! このままじゃ落ちるでしょ……!」
掴むって、何を?
「な、何今の音!?」
「古鷹! ちょっと助けて!! 七海ちゃんが落ちちゃう!」
「えぇ!?」
何だか煩いが……何が起きている?
なんだか、痛い。苦しい。辛い。あと、眠い。
ああ、急に何だか……。
意識が、遠退く……。
「七海!? 七海、しっかりして!! 七海ーーー!!」
……七海の心身が、限界を超える日は、遠くはなかった。