七海が、壊れた。
常時意識が上の空だと思っていた。
強い寝不足だとあとで判明するのだが、艦娘になったせいで生半可頑丈になり、無理が出来ていた。
そのせいでマトモな判断が指示以外では出来ておらず、ふらふらと何を血迷ったのか窓ガラスに向かう。
そのまま、足が縺れて彼女は頭から派手に窓に突っ込んで、倒れた。
窓ガラスを破壊して、更には彼女は身構えずにそのまま落下しそうになった。
五十鈴が寸前で掴まえるも、本人は頭に裂傷を拵えても尚呆然としており、遂には失神。
救護室に放り込まれ、意識が戻り次第ドックにも入れさせると決定した。
悩みがあるとは思っていたが、これは違う。明らかにキャパを超えた反応であった。
考えすぎによるオーバーフロー。彼女の中では処理できない状態に陥ったのだろう。
五十鈴は思う。ヒントはあった。母とは何か? そう、何度も皆に問いかけていた。
周囲は困惑して何もできずにこの様だ。
母とは何か? その質問に、艦娘が答えられる訳がない。
(艦娘は……人間じゃないからね)
まるで本質を聞かれている様だった。
艦娘は資材を消費して誕生する人造人間。
生物の当然である両親が存在しない。
ゆえに、母など知らない。
五十鈴は苦悩する。七海はこれに苦しんでいるようだ。
彼女は母がいるのだろう。ならば、直接聞けばいい。
などと言える環境ではない。ここは軍属。民間には迂闊に連絡はとれない。
血の繋がった親というものを艦娘は持っていない。
皆にいるのは姉妹だけ。……その姉妹すら、言い換えれば姉妹ではない。
それは艦の魂による繋がりの感覚のみ。
同系統の艦だったことが、人造人間になった過程で姉妹として認識するだけの話。
つまり、本当の姉妹ではない。そう、思って呼んでいるだけ。
七海は人間のまま艦娘になった。ならば五月雨や山風は姉妹なのか?
答えは、違う。彼女に姉も妹もいない。そもそも夕立の影響は外見だけ。
中身は渋谷七海と変わらない。
艦の影響のない七海を五月雨は姉とは呼ばない。似ている別人という感覚である。
(……お母さんって、何なのかしら)
五十鈴だって、結局は明確な答えなど言えない。
人間と艦娘の決定的な差を、見せつけられた気がした。
母を知らぬ人間など居るわけがない。その通りだ。
艦娘は人間ではない。ただの人造人間。イビツな命。
悲しいけれど、誰にもその答えは分からない。
一応、雷辺りに相談はしていたようだ。
その答えは、的を射ている。
「私は無償の愛だって、司令官に言ったけど……こんなことになるなんて……」
愕然として、雷は言っていた。
後日。意識は回復するも未だに魂が抜けている七海はドックに入れられ、そのまま軍病院に搬送された。
入院を言い渡されて、暫くは皆で交代して鎮守府運営を行うことに。
一応、代理の提督も来てくれるらしい。それは有り難いのだが……。
医者が言うには、ノイローゼに近い症状を発症しており、元来の性格も踏まえてかなり危険な状態らしい。
ストレスには無縁と思われていた七海が、ノイローゼにかかった。
瞬く間に鎮守府の中を広まった噂は、皆に知られてしまった。
「……ママが、ママが……ッ!! あたしのせいで、あたしのせいでェッ!!」
「七海姉……! ごめんなさい、ごめんなさいっ……!」
で、連鎖するように山風と弥生の精神が再び不安定になり、医者行き。
彼女たちも入院している。此方もトラウマの再発に近いらしく、暫くは出てこれない。
事態はどんどん悪化していく。如月も不安定になり、皆はこれでも心配はしている。
不安そうに皆は仕事を続けている。
「七海の力には、なれなかったわね……」
「そうね……。艦娘には難しい事だから、っていうのは……言い訳かな」
五十鈴と由良は、沈んでいた。
後悔。五十鈴は後悔していた。
今度もうまくできなかった。彼女は分かりやすいSOSを出していたのに。
いや、然し事実艦娘に果たして彼女の求める答えを出せたであろうか?
母から産まれた訳でもない、資材で出来た艦娘が?
本当に、七海の力になれたのか?
(……今頃遅いか……)
後の祭り。七海はもう、傷ついているあと。
適当に任務をこなして日々を送りつつ、たまには見舞いにと思う。
七海は今でも眠っているままだと言われた。
いわく、寝不足だけじゃない何やら悪い兆しが見えていると。
普通なら、いくら従来型の艦娘でもここまで長い眠りにはつかない。
休んでいれば治るレベルなのに、彼女の状態は安定しない。
どうやら、かなり内部で不安定になり意識が戻らないと思われる。
専用の設備に移されて様子を見ているようだが、やはり芳しくはない。
医者に送られて、山風と弥生も戻ってこない。
五十鈴は思う。
(どうして……何時も七海はこうなるの……?)
懸命にやっているのに。七海は努力しているのに。
彼女はいつもうまくいかない。何故だ。なぜ、七海ばかりが失敗する。
サイコパス予備軍だからか?
人を理解しようと努力するのを、もしや神様というやつが嫌がらせでもしているのか?
救いがあまりにも無さすぎる。これ以上七海にどうすればいいと言うのか。
五十鈴は惨い事をする神様というものを恨んだ。七海を少し知れば、彼女の努力は分かる。
なのにいつも実らない。何処かで必ずすれ違う。失敗する。成功しない。
(……神様。これ以上、七海を追い詰めないで。あの娘は、みんなを理解しようとして、人間であることを止めてでも分かろうとしたの。なのに、あなたはまだ、七海を追い込むの? これ以上、七海は何を失えばいいの? ねえ、神様。あなたがもしも居るなら、五十鈴は二度とあなたを許さない。うちの司令官は、サイコパスかもしれないけど、異常者なりの務めはずっと果たしているじゃない。七海を気に入らないなら、先ずは五十鈴を壊しなさい! 五十鈴は七海の味方よ……気に食わないなら、五十鈴も壊しなさいよッ!!)
直された執務室の窓から見える、良く晴れた空を見上げて、五十鈴は見えないモノに恨みを込めた。
七海がこれ以上壊れたら、本当に狂人になってしまう。
まだ無害な彼女が崖から落ちたら、待っている未来はなんだ。
それは十六歳の子供に背負わせる所業なのか。
五十鈴は呪う。神様という存在が居るなら、七海をこんな風にしたことを。
何よりも嫌悪して、軽蔑して、一番呪うのは、何もできないまま、壊れ行く様を見ているだけの、無力な自分だった……。
……あたしは。
母を、知らない。分からない。
アンサーは無償の愛。ああ、答えは出ているんだけど。
そこの至る式が、あたしにはどうにも理解できないみたいで。
何だろう。お母さんって?
あたしのお母さんは、片親だしいつも働いていて、家には居なかった。
そのうち身体を壊すんじゃないかと思って、高校に推薦で受かったからバイトでもしようと思っていた。
けど、お母さんにはこう言われた。
「七海。今だけの時間を、無駄にしちゃダメよ」
……今だけの時間ってなに?
お母さんを助けるのに働くのは、今だけの時間じゃないの?
そんなのおかしい。理屈じゃないよお母さん。
感情だけで自分を無為にしないでよ。
あたしにはお母さんしか居ないんだよ?
後で知ったんだけど、うちの高校、バイト禁止だった。
……ミスった。そう、思った。入る高校を間違えた。
偏差値だけで選んでいたから、あとの事を気にしなかったツケ。
良い学校を出て、良い会社に入って、お母さんに恩を返す。
それがあたしの人生計画だった。妖精なんか見えなければ、順調だったのに。
(珍獣が……!)
ああ、思い出すだけで憎い。
あの珍獣さえ居なければ。あたしは、お母さんを一人にしないで済んだのに。
艦娘なんてものの指揮をしろと言われて。無理矢理押し込まれて、押し付けられて。
挙げ句に、皆には頭がおかしいと言われて。何なの。あたしの何がおかしいの!?
(お母さんを助けたいだけ……。それの何がおかしいんですか!?)
いつもそう。あたしは何をやっても最近じゃうまくいかない。
努力をすれば大淀さんにはサイコパスと言われる。
実際に行けば一歩手前でマジでサイコパスだった。
艦娘になれば今度は吹雪と喧嘩になる。皆には責められる。
挙げ句には山風と弥生、如月には応えられない。
なんで、あたしはうまくいかない。頑張っても成果がでない。
……なんで?
(これ以上あたしは何を捨てればいいんですか!?)
ねえ、あたしはもう捨てられるものなんてない。
勘弁して。あと残っているものは、命しかない。
あたしに、死ねというの?
艦娘をわかりあうために、死ねというの?
……待て。
……死?
(……………………あっ)
その時、あたしの中で理屈が通った。
道が、見えた。答えに、繋がった。
(……無償の愛。死。……嗚呼、そう言うことですかッ!!)
分かった。この瞬間、あたしは閃いたのだ。
雷が提示した、答え。無償の愛。それは、相手に見返りを求めない愛情。
皆が求める答えとは。
(……自己犠牲ッ!!)
そう。答えは、自己犠牲。
あたしは、皆に興味がなくて知り得なかった答えだった。
提督は、艦娘に尽くすもの。そういう理屈か!
無償の愛とは、自己犠牲の愛。
皆に応える、今まで通りの行動の果てにある終着点。
そうか。今まで、あたしは皆に応えるべく義務として、働いてきた。
それ自体は見返りなどない。何せ、義務だ。責務だ。やって当たり前。
ここに答えはあったのだ。灯台もと暗し。気付かなかった。
最初からあたしは彼女たちに見返りなど求めていない。
あたしがそうするべきと思った行動である。
義務と責務の昇華。その先の究極が、自己犠牲。
あたしが皆に行う行動の先に、ヒントはあった。
そして、愛とは。自己犠牲。自分を壊して尽くすと言うことか。
三人はあたしに愛を求めている。
愛すると言うことは、自分を犠牲にするという意味だったのか。
(……あたしが、犠牲になる……)
一応理解はしたが、難しい。
己を犠牲にして愛せよ。考えれば覚えもある。
お母さんがそうだったように、あたしもそうすればいいのか?
……抵抗感はある。けど、それは義務であり、責務なのだ。
あたしは、自分を滅ぼして三人を愛し、そして皆に尽くさないといけない立場。
提督とは、己を殺すことと見つけたり。
(…………)
あたしを犠牲に。嫌だな、とは思うけど。
……思い出して? 本当に、それは嫌なこと?
「大好きよ、司令官っ!」
「ママ、待ってってば……!」
「七海姉……弥生も、頑張る……」
――カチンって。
あたしのなかで何かが変わった。
嫌じゃないよ。
あの笑顔を守りたいって思う。
分かんない。何なのか、分かんない感覚。
けど、これは大切なものだ。
笑った皆を守る。あたしは、今までただ死なせない努力をしたけど。
でも。本当に必要な事。人間だと思うなら。扱うなら。
――皆の笑顔を守るべきじゃなかったの?
(……………………ああ、あたしが間違っていたんですね)
バカな女。一番重要な理屈に気付いてなかった。
大切なのは、笑って過ごせる場所でしょ。皆はあたしとは違うんだ。
泣かれて困ったのはあたしだ。なら、笑えるようにしないとね。
死なせないだけじゃない。足りない。笑顔だ。笑顔を守るのが、あたしの役目。
あたしはどうせ、感情なんて分からない。でも、愛という感情は多分、分かった。
(分かった……気がするっぽい)
こうすれば良かったのだ。
あたしはサイコパス。頭がおかしい。
そう、頭がおかしい。無償の愛というのは出来るか分からない。
だけど。
(頭がおかしい女は、これぐらいしか……思いつかない)
自分を犠牲に。それが正解だ。
犠牲にすればいい。思い出せ、サイコパスなどどうせ大した価値もない。
吹雪の言う通り、二度と出てこないぐらいでいいと思っただろう?
でも役目があるからそれも出来ない。なら、せめて。役に立たないと。
周りが求めるなら、自分を粉にしよう。うん、それがいい。
サイコパスの役目としては、理屈も通るし義務も責務も果たせる。
そして、愛を学べる。自分さえ壊せば。全部、叶う。
故に、実行する。
(…………夕立? ねえ、あたしの中の夕立さん? 聞こえますか……?)
なら、先ずは。
犠牲にできるほど、強くなろう。もっと、もっと。
あたしの中の艦を、全部引き摺り出して、飲み干してやる。
全部じゃない。それ以上に引き出して、食い荒らしてやる。
……ふふふ。
(夕立さん……もっと、もっと。下さい。あなたの力。あなたの全て。あたしに、下さい……。いいえ、違いますね。…………良いから、寄越せッ!!)
……あははははははははははははっ!!!!
――ぽいいいいいいいい!?