……まだ抵抗するのか。
寄越せと言っているのに。
夕立、その全てを……ソロモンの悪夢と呼ばれた力をあたしに寄越せ!!
お前の意見は聞いていない!! お前はあたしに従えばいいんだ!!
艦は人が乗って初めて意味があるのに、人の乗らないお前が人に抗うな!!
お前は艦娘ですらない、ただの魂だろう!? なら、人間としてあたしは見ない!!
寄越せ、寄越しなさいッ!! お前が消えるまで、あたしは奪い続けるから!
夕立の名前は継いでやる! お前は消えろ、錆びたくろがね!
あたしがお母さんになるにはお前が必要なの、でもお前の意思は必要ない!
こんなサイコパス、どうなってもいい。だから寄越せと言っている!
あたしの器に入らなくても、溢れたままで使ってやる!
溢れ出したらそれがなんだ! あたしがあたしじゃ無くなるだけだ!
あたしは死なないなら何でもいい! どうでもいい!!
あたしの意志が飲み込まれても、皆さえ笑顔になれれば……守れれば!
愛せれば!! それだけで、あたしの意味は満たされる!
足掻くな、暴れるな、奪ってやる……壊してやる、お前の意思なんて!
五月蝿い、ぽいぽい泣くな! ぽいなんて不安定じゃダメなの!
ちゃんとした、確定した力じゃなきゃ!! そんなふわふわした言い方をするな!
……なに? 犬? なんだ犬って!? は? 狂犬?
このままお前を飲み込めば、あたしは狂った犬になる……?
何をいっている? 夕立にそんな異名はない。ソロモンの悪夢、それだろう?
……違う? 駆逐艦夕立ではなく、艦娘夕立の……根源?
飼い主に認められたいがために、理性を崩して敵を食い殺す狂犬になる……?
お前の、艦娘のお前の根源は、そんなものだったの……?
…………。
分かった。受け入れる。
そのぽいっていう口癖はともかく、狂った犬になってもいい。
お前も知っているでしょう? あたしは元々サイコパス一歩手前。
狂っているのは変わらない。意味もなく狂うよりは、意味のある狂う方がいい。
……五月蝿い。いちいち泣いてまで説得しないで。全部奪うのは止めない。
警告は聞いた。聞いたから寄越せ。
壊れるのを心配しているなら生憎。こっちはもう、壊れている。
精神がおかしい人間を、わざわざ止めてくれるなんて、優しいんだね?
でも結構です。壊れないで何ができるの、あたしに?
自己を犠牲にすると言った。あたしは言ったら実行する。
愛するって言うのは、自分を壊したり殺したりする事だって、分かった。
笑顔を守るために、提督は艦娘に尽くす。義務と責務の果てが無償の愛。
あたしはその理屈に従う。指図は受けない。お前の言葉は覚えておくけど、言うことは聞かない。
大丈夫とは言わない。強がりも言わない。あたしは壊れたままでいい。
狂った方が進めるなら、もうそれでもいい。
あたしはあたしのままじゃ、この先ずっと愛せない。
狂う以外には、選べる物は、ないと思う。
皆に応えられないって、理解しているもの。
夕立。ですので、ごめんなさい。
その言葉には、従えない。あたしは、狂う。
狂って狂って、そして愛を理解する。理解したい。
だから進む。あたしは、姫園鎮守府の皆を守るのがお仕事。
国防なんて大層なものはない。あたしは個人的な意味で戦う。
皆の笑顔を守る。そのついでに、国でも何でも守ってやる。
優先は個人だ。個人のために戦うのは悪いこと?
あたしは大義名分なんてどうでもいい。他人もどうでもいい。
知った事か。死ぬなら死ね。沈むなら沈め。
あたしは自分の鎮守府のために尽くすだけ。
……意外? でしょうね。でも、あたしも利己的なのは否定しない。
あたしはあたしの理由があれば、理屈があれば、戦う。
逃げられないし、死にたくはない。
死なない代わりに少し狂うことにしただけ。
取り敢えず、続けさせてもらう。
言い分が違うだけで、やることは変わらないので悪しからず。
逃げても無駄。逃がさない。全部取り込む。
……心配してくれた事だけは、感謝するよ。
ありがとう、夕立。
そして、さようなら。
……ここは、軍の病院か。
目を覚ました彼女は、ゆっくりと目を開ける。
何処かに押し込まれているのか、真っ先に目に入るのは何かの蓋。
真っ黒な蓋をされている。柔らかいベッドにでも横たわっているのか。
起き上がろうとして、自分が点滴をされている事に気付く。
服装は入院患者が着るような服装。視界は少し薄暗い。
狭い室内に横になる。これは、艦娘になるときに入っていた装置と似ている。
記憶を辿る。鎮守府での記憶は曖昧で、思い出せない。
なんか寝ている最中に、妙な夢でも見た気がするっぽい。
(……ぽい?)
アクビをしながら気付く。思考の端に、妙な語尾がついている?
あと、なんだこの感覚。今頃気付く。この装置、中に臭うのは薬品か? 滅茶苦茶臭い。
慌てて刺激臭に反応して、脱出するべく蓋を蹴り飛ばした。
豪快に大きな音を立てて外れて天井に激突。
落ちてくるのを庇って利き足で蹴り飛ばす。
素足の割には痛くない。で、今度は病室と思われるスライドドアに激突。
……凹んで床に転がった。そしてけたたましく鳴り響く、警報。
「ぽい!?」
突然の事に彼女、七海は驚いた。
なんかヤバい。装置壊したら警報が鳴っている。
(しまった……迂闊に破壊するんじゃなかった!!)
凄まじい音に耳を両手で塞ぐ七海。
踞って、目を閉じた。耳の中を喧しい音が反響する。
五月蝿い。兎に角五月蝿い。なんだこれは!?
何やら足音も複数、急ぎなのか聞こえてくる。
廊下と思われるスライドドアの方だ。
凹んだドアを懸命にこじ開けて、数名の慣れた軍服の軍人が姿を見せる。
「動くな!! 憲兵だ!!」
と、銃を構えて威勢良く警報に負けないぐらいの大声で言うのは良いのだが……。
中にいるのは、耳を塞いで踞る子供が一名。
唖然とする憲兵。破壊されているのは、従来型艦娘の為のカプセル。
上蓋が、外れて転がっていた。
「……渋谷提督!? 意識が戻ったのか!?」
事情を知っているのか、憲兵は直ぐ様駆け寄り、装置を黙らせる。
彼女の肩に手をおいて、膝を折って視線を合わせる。
「……?」
「なんだ、意識はハッキリしているな。良かった、侵入者かと思ってしまったよ。容態はどうだい?」
振り返ると、優しい笑顔の青年が彼女を助け起こして、教えてくれた。
いわく、警報装置が起動して慌ててすっ飛んできたらしい。
「……あの。臭いです。その装置の中が。刺激臭が……」
「刺激臭!? まさか、そんなはずは!!」
一応報告すると、血相を変えて数名の憲兵は装置を調べる。
異常はない、と言うものの懐疑的視線をしている七海に、憲兵は主治医を呼ぶので待っていろと言った。
呆然とするなか、慌ただしくなっていく周囲。何が起きているのか、当然分からない。
渋谷七海、無事に回復。だが、新たな問題が発生していた……。
翌朝。
夜遅くに覚醒していたので、通常病室のベッドをお借りして休んでから、正式に話をしてもらう。
一応簡易検査では異常はない。……一部、以外は。
「……誰ですか? これ」
改めて、主治医の見せる手鏡に映った姿を見て、七海は呆れている。
鏡像も似たような顔をしていた。
クリーム色だった毛色は全体的に茶髪に戻り、毛先のみが薄くクリーム色になっている。
なんか毛の一部が、耳みたいになっているんだが……。何度手で直しても直らない。
癖毛だろうか。変なものが出てきたものだ。
顔立ちも何だか少々大人びた感じがする。最大の変異は左目だった。
なんと、右目は深紅なのに左目は茶色。七海の元来の色に戻っているのだ。
声も、元通り七海のものに。
体型も、背丈が少しばかり伸びて……なんか、胸囲が……発育してないか?
五十鈴までは行かないが、多少は谷間ができる。成長期の秘められたパワーか。
(……あたし、確か凹凸のないドラム缶だった気が……)
なんだ、これ。ちっとは減り張りあるじゃないか。
やった。理由は知らないが成長した。
これ、おニュー渋谷七海と、駆逐艦夕立。
「……はい?」
何をいっているのか良く分からないが、自分の変化に驚く七海。
主治医いわく、適合率が現在大変危険な状態であり、普通ならば死んでいると言われた。
何の事だかさっぱりの七海に、丁度病室の扉が開いた。
「それについては、私から説明した方がいいでしょ、先生。彼女、一時期の私と大差無いし」
何処かで聞いた声だった。振り向くと……そこには。
彼女の先生とも言える、先輩の姿があった。
高い身長の、スラッとした若々しい女性。
長い黒髪を真っ直ぐに下ろして、海軍の白い軍服を纏う。
その腕章には、見覚えがあった。輝かしい、金色の元帥の腕章。
凛とした視線で、七海を見ている。
「……桜庭、元帥?」
唖然とする七海が、思わず敬語を忘れて呟いた。
意外すぎる登場に、度肝を抜かれた。
それは、最強の従来型艦娘。大戦艦、大和を従える女性。
七海にイロハを教えた、七海の先生。桜庭元帥、その人だった。
「あー……今はプライベートだから。桜庭さんでいいよ、渋谷さん。お堅いのは抜きで話しましょ」
その真実は、従来型艦娘を一括して束ねる司令塔。
従来型の艦娘全員の顔を知っており、カウンセリングや訓練などを手伝う気さくなお姉さんであった。
元帥の肩書きを嫌っており、大体同じ従来型には、気安くフレンドリーに接する。
「……え? あたしが、桜庭さんと同じ?」
主治医は、元帥に萎縮して、直ぐ敬礼して出ていってしまった。
仮にも主治医だろうに、退出するのかと呆れて七海は見送った。
「で、調子はどう? 身体に違和感とかある?」
どっかりと主治医の座っていた椅子に腰かけると、桜庭は笑って聞いてきた。
違和感か。なんか、変な臭いを感じたが、憲兵は異常がないと言っていた。
その時の事を話しておくと。
「うわ、ダイレクトに出ちゃったか……。こりゃ確かにヤバいわ。先生の危惧は現実になっちゃったか」
何やら思い当たる節があるのか、ボリボリと頭をかいていた。
困ったように思案している桜庭に七海は聞いた。
「何が起きているのですか?」
今までの経緯は主治医に聞いた。
今は入院中。職務には関係はないだろうが。
聞くと、勿体ぶらずに彼女は言った。
……衝撃的な真実を。
「いやー……今の渋谷さんさ、オーバーフローっていう現象が起きててね。適合率が限界突破してるのよ。数値だと128%だったかな。プラスで35も急激に上昇してね。艦の最適化が悪化して、同時に身体が元に戻ろうとして反発して、なんか夕立と渋谷さんの魂が一部混ざってるみたい。だから、見た目も変わったでしょ。元々の自分と、艦娘の夕立が混ざりあって、半端に互いに出ている状態。私も一回やったけどヤバイよこれ。暴走状態って言っても過言じゃないから。能力もバカみたいに上昇しているから上手く調整しないと、暴れ馬になっちゃうの」
オーバーフローという暴走状態になっているらしい。
元は適合率93%だったものが、現在128%にまで急上昇。
その影響で、外見がまた変わっており、七海と夕立の混ざったような姿になってしまった。
で、内部では魂が一部癒着しており、こうなると自然剥離以外で引き剥がすと死ぬので、治療法はない。
桜庭も経験しており、更には鳳翔の従来型の方もなっていたようだ。
「大山さんは落ち着いて元に戻ったんだけどねえ……。私みたいに、渋谷さんは苦労するわよ? 上昇率が半端じゃないから、身体が馴染むまで戦闘禁止ね。暫く私がリハビリの相手するから、よろしく」
大山さんとは、鳳翔の従来型の元の名前だ。
七海の感じた刺激臭は、嗅覚が鋭敏になり、本能的に感じ取ってしまったもの。
今は落ち着いているが、戦いになると感覚が暴走するので暫くは戦えない。静養を兼ねてのリハビリ。
なんでこうなったかは不明。回復は恐らくするが、途方もない時間がかかる。
「因みに、一気にオーバーフローした場合、元には完全にはならないわ。私は五年かかって、落ち着いたけど。最後は私と同じ、100%になるだけ。私も148まで上がって、一回艤装が暴れてぶっぱなして孤島を灰にしちゃってさぁ。大変だったのよ、本当に。130前後ならそこまで行かない。精々演習の安全装置を無視して殺しちゃうぐらいだとは思うわ。島を消し飛ばすなんて次元じゃないから、安心してね」
全然安心できない内容だった。
大幅パワーアップはいいが、ただの暴走らしく、加減しないと艦娘も普通に殺せると言われた。
語尾も混ざった影響によるものだと言われたが……渋々、七海は納得した。
(安心できないっぽいです……)
まだ、当分は、七海は鎮守府に帰れそうになかった……。