折角の交流は、ひったくりのせいで台無しになった。
通報され、現れた救急車と警察には憲兵が事情を説明。
軍の関係者なので軍の病院に搬送してくれと頼み込んだ。
「嘘だろ……!? 原付で轢いたのに生きてる!? バカな……そんなバカな!? 俺は、確かに人をこの手で殺しちまった筈なのに……なんでだよ!?」
犯人は完全にパニックに陥っており、駆けつけた警官を激しく問い詰めていた。
なぜ彼女は生きていた。なぜ彼女は立ち上がった。
世間に知られていない艦娘は、その頑丈さも一線を画する。
車体に小突かれた程度で死ぬわけがない。
「お巡りさん。大事にはしないようにしてくれませんか? ご覧の通り、あたしは無傷ですので」
「いや、思いっきり額が割れているのに何を言っているのかな!?」
犯人に、大袈裟な容疑はかけないでくれと告げる七海を、五十鈴たちは見ていた。
連行される際に、七海が頭に簡単に処置を施してから、わざわざ言いに行ったのだ。
警官は無茶を言うな、と彼女に首をふった。
「悪いね。僕たちは警察なんだ。……艦娘と言うのはあまり知らないし、軍部には警察も介入できない。けれど、僕個人はあのような無頼漢には、情けはかけない。でも、そうだね。ありがとう、提督さん。君の勇気ある行動が、奴を捕まえるきっかけになった。でも、命は大事にね。艦娘と言えど、同じ世界に生きているんだ」
と、若い巡査は敬礼して協力を感謝する、と告げて戻っていった。
救急車に乗る際、五十鈴はなぜあんなことを言ったのか聞くと。
「別に。あたしは見ての通り、大した傷じゃないですし。大事になると、何度もこのあと聴取に呼び出されます。さっさと終わってほしいので、軽いものでいいんですよ。所詮は窃盗とかですし」
「七海ちゃんは何を言っているの……?」
要は事後処理が面倒だから簡単なものでいいと被害者は言っている。
由良が呆れて見ているなか、救急隊員が対処に困っていた。
艦娘と言う人種にはどうすればいいのか。人間と同じでいいのか迷っている。
ゾロゾロとお連れも一緒に乗り込み、本人もけろっとしている。
痛みはないのか、と言われるが。
「ん? 痛みなんてありませんよ? 精々視界が歪んでいる程度で」
「程度じゃないですよ!?」
止血を先ず始める隊員が思わず言った。
人間なら即死すらあり得た傷なのに平然とする子供。
このあと、海軍のお偉いさん……七海の場合は桜庭元帥が、根回しして余計な情報漏洩を潰して事なきを得た。
因みに桜庭元帥はというと。
「渋谷提督ナイス!! よく怪我人を出さずに解決したわね!! 個人的に表彰したいけど周りが五月蝿いからなにもできないけどゴメンね! あ、あと特に罰則とかないから。寧ろ無事に事件解決に貢献したって、警察にもお礼言われたわ。軍部と警察ってあんまし仲良しじゃないから、今回みたいのは巻き込まれたらどんどん解決しちゃって! 連中に恩を売るチャンスだし!」
と、なんか聞きたくない事情まで言われて褒められた。
国防を担う海軍と、秩序の安定を担う警察は、あまり仲良くはないようで。
恩を売るなどという酷い言い種でも、国民を守るもの同士、理解はできるようだ。
「ママすごい!!」
「良かったわね、司令官」
「……でも、無茶はしないでね」
三人は連絡を受けた七海が褒められて、嬉しそうだった。
ただ、弥生の言う通り無理はしないで、とだけ言っておく。
軍の病院で簡単な手当てで復活した七海は、執務室でお昼をつつきながら聞いていた。
「あたしでも役に立つんですねぇ。好きなように振る舞っただけなのに」
などと、山風が初めて焼いた黒こげの卵焼きを頬張りながらコメントしていた。
母に喜んで貰うべく、三人がチャレンジした差し入れのお昼。
弥生は生焼けの魚を、如月は煮すぎの煮物を持ってきた。
全部平らげる七海。味の的確な感想は流石と言うべきだろうが。
「…………由良。ドック行ってきて良いですかね」
「生焼けのお魚食べるから! 無理して食べるとお腹壊すって言ったのに!!」
青白く顔色を悪くして、腹痛を訴えてドックに暫く浸かっていた。
由良の言う通り、食えないものは食えないと言えと叱られた。
そんなこんなで、無事に解決。……いや、無事とは言えないが。
結局聴取に呼ばれて何回か出ていったし、事後処理は終わったとはいえ、憲兵の評価はまた下がったし。
七海はどうでも良さそうだったが。そんなお出かけのあと。
新たな事件を、七海は起こす……。
「……英語を習いたい?」
七海はその日、飛鷹を訊ねていた。
飛鷹は書庫で海外の翻訳書を七海と探していて、不意に七海が英語を習いたいと言い出したのだ。
「原文で英語は読めるでしょ? 喋るほう?」
「ええ。飛鷹は米国の英語が得意とお聞きしましたが」
読む方は七海は大体できる。読書が好きなので、英文は七海は解読できるのだが。
喋る方を七海は習いたいと言い出す。
英語は英国と米国で微妙に違うようで、七海は米国の方でいいらしい。
「んー……。まあ、英語は喋れるし読めるけど……。七海は今何ヵ国語が喋れる?」
「日本語とロシア語です。響に習っています」
「ロシア語か……」
現状、この鎮守府で海外の言語を喋れるのは飛鷹と響のみ。
英語とロシア語。英語もマスターしておけば便利じゃないかと思ったそうで。
「学校の英語は実際じゃ通じませんからね。うちには金剛も居ませんし。なので飛鷹になったのですが」
高校の英語は意味がないと断じる七海に苦笑い。
確かに学校の英語は点数を取るための物で、会話ができるものではないらしい。
なので、勉強したいと言われた。
「私は構わないわ。けど、結構厳しいからね」
「望むところです。よろしくお願いいたします」
向上心があるなら結構。
飛鷹もこういう、七海の貪欲な努力は評価するので、約束をしてこの日は終了。
……飛鷹は正直、七海を甘く見ていた。
七海は興味のあるものは率先して吸収していく面もある。
面白そうと思うと、沼にハマるようにのめり込む偏狭的な一面が。
その見えない悪癖がこの時、初めて発露されていく……。
それから。暇な時間を見つけては、飛鷹に英語を教わっていた。
山風たちは、瑞鳳に七海の差し入れの為に、料理を教わりに間宮のところに行っている。
空いた時間を有効利用。それは全然、良かったのだが。
飛鷹が教える以上に、七海はハイペースで学習していった。
先生の飛鷹が、かなり速度を上げて教えているのに、七海はそれ以上の速度で覚えていく。
(要領よく覚えていくわね……。予習復習までキッチリこなしてて。バカ真面目だけど、私も負けていられない!!)
飛鷹は変な部分で負けん気が強く、七海の学習速度の早さに教える自分が負けてはいけないと奮起した。
彼女もつられるように、というか競うように連日連夜学習を重ねていく。
七海の場合は学校での基盤も上乗せしているし、独自に調べて覚える努力をしている。
最早趣味になっていた。飛鷹も負けじと加速していく。
七海にその気はないが、飛鷹のガッツが七海に悪影響を及ぼした。
(……む。あたしの努力不足ですか。飛鷹の指定範囲が広がっている……)
飛鷹が毎回出している課題の範囲が徐々に広がっていっていた。
七海は言外にもっと覚えて欲しいと要求されたと誤解した。
故に更に素早く効率よく叩き込む。
次回には完璧に終わらせて、飛鷹は軽く戦慄して目眩すら覚えた。
(やるわね七海。私の努力に、こんな風に応えてくれるなんて、光栄じゃない。見てなさい、飛鷹型航空母艦の真髄の英語は、世界を回るはずだった豪華客船の、必須科目よ!)
ヒートアップしていく互いの無意識のすれ違い。
飛鷹は空いた時間は全て七海の暴走している趣味の特訓に費やしていた。
やりがいがあると、喜びすら感じている始末で、加熱した先生の役目は止まる所を知らない。
とうとう任務の時すら時々英語で会話する様になり、周囲とコミュニケーションが不能になった。
「止めなさい飛鷹ォッ!! 英語で七海に話しかけるなァ!! 七海がもっと暴走するでしょ!」
由良は辛うじてなんとか分かるものの、駆逐艦や戦艦、他の空母は何を言っているか分からない。
自覚なしにしているのか、七海は日常会話が英語になると言う別の意味の暴走を始めていた。
五十鈴が飛鷹に叱るが、飛鷹は血走った目で反論する。
「ダメよ!! 五十鈴、これは七海と私の戦いなの!! 語学は場数を踏めば踏むだけ強くなるッ!! 今は満足するまで思い切りさせて頂戴ッ!!」
鬼気迫る勢いで、飛鷹は七海との勉強を望んでいた。
まあ、教えれば教えるだけ圧倒的速度で学んで目に見える成長をすれば、誰だって嬉しい。
語学の面白さを知らない五十鈴には血迷っているようにしか見えない。
元々客船の魂である飛鷹ぐらいしか、この面白さは理解できない。
「あの娘が無意識に公私混同してるんだけど!? もうこれ刷り込みでしょ!? 七海が今度は何を言っているかわかんないって、苦情きてんの!!」
「今時英語ぐらい覚えてないと海外の艦娘と会話するときに苦労するわよ五十鈴!」
「逆ギレ!? 分かるけど、言いたいことは分かるけど!!」
七海に一応、普段が英語になっていると指摘しておく。
案の定、自然に日常会話が英語になっている事に気づいていなかった。
『あれ、あたし普通に喋ってるつもりだったんですけど』
「また英語になってる!! 日本語で喋って! 分かんないから!」
怒られる七海は、英語と日本語の混じる金剛のような口調になっていた。
しかも結構流暢な英語で、五十鈴も何を言われているか理解できない。
「っと、すみませんね。最近英語漬けになっているものでして」
ある日の昼に、三人がおニューで持ってきたお昼を再びつつきながら七海は五十鈴に謝った。
「ママ、山風の作った卵焼き……食べる?」
「食べます」
あーん的な感じで、今度は黄金に輝く卵焼きを頬張る七海。
山風渾身の出来映えは、以前とは比べ物にならないぐらい、上達していた。
「美味しいです」
「やった!」
ガッツポーズの山風の頭を撫でる七海。
五十鈴は呆れて見ているが、最近差し入れが多い。
仲良くやっているのはいい。あの三人とは、問題はなさそうだ。
(他の娘とも上手くやってほしいんだけどね……)
今度は七海にその気があっても、此方が受け入れない。
見事にすれ違っている。何で毎回、互いに行き違うのやら。
コッソリと五十鈴は書類を胸に抱きながら、ため息をついた。
彼女なりの行動は、いい加減皆も慣れてきたとは思う。
慣れただけで、付き合うのはまだ無理と言う感じか。
飛鷹のように、互いにヒートアップして共倒れの暴走、と言うのも勘弁してほしいが。
前回の事は邪魔が入って、またも上手くいかなかった。
毎度の事なので、七海は呪われているんじゃないかと思う。
トラブルを自分で引き起こさなくても、状況が彼女に行動させている。
最適解を危険度外視で実行するからか、周りが気を付けても向こうからくるのだ。
(どうしたもんかな……。もう少し、手だてがあれば……)
五十鈴は悩む。
悪気はないのに交わらない司令官と艦娘。
その間に立って、どうすれば上手くいくか。
五十鈴はずっと、考えていた……。
追記。
七海の英語はかなり上達したが、この一件で七海に好きなものを与えるときは冷静になろう、という教訓が出来るのだった……。