澱に染まった意識
特務。
それは、七海が与えられた、七海だけしか出来ない特別な任務。
七海が行わない限り、他の誰がこの使命を実行するのだろうか。
世界でも数少ない理解者は、ムラマサを呑みながら自覚はしていた。
ムラマサを取り込むと、七海は一周回ってマトモな思考になる。
一部の感情以外の欠落が著しい彼女がムラマサを解き放ち、そして駆け抜ける最中。
新しい仲間候補に大興奮の一方で、冷めたように自分を見つめる自分がいた。
(……また、こうして繰り返すんですね。あたしも、皆も……)
分かっていただろう。今は、違う鎮守府に入っている一部なのに。
また、こうして、建前があって特務に出た。
進めればどうなるか、知っているのに。理解しているくせに。
遮る敵を一刀両断しながら進み、七海は思う。
嗚呼、また、対立する。また、拒まれる。
その理屈を、変貌して、感情ですら理解してしまった。
自分のやっている事のイビツさを。
自分が続けている事の無謀さを。
分かってしまったのだ。七海が、世界に、受け入れられない事実を。
(……知ってますよ。深海棲艦を受け入れるには世界は、痛みを受けすぎた。血を流しすぎた。戦争なんです……当たり前ですよ)
そう。今まで七海が知らないだけで、世界は散々蹂躙されてきた。
憎むべき深海棲艦。殺すべき深海棲艦。陸を奪う侵略者。
引き入れるなど有り得ない。個人を見ない。普通は、集団で見る。
知っているとも。利益よりも前に、感情が拒む世界。それが、今の世界なのだ。
憎しみの澱を一身に受けた彼女は、欠けていた情緒、と言うものを取り込んだ。
故に、本当の意味で、周囲の言動を判断してしまった。出来るようになってしまった。
ここに至るまで揉める、拒まれる、すれ違うは当たり前で、自分が殺されかける、仲間を否定されると、ろくな目に遭わなかった。
分かっているとも。七海がおかしいのだ。七海が異常なのだ。
他人がおかしいのではない。七海がおかしい。
……だけれど。逆に、言おう。
(じゃあ誰が受け入れるんですか。戦いたくないと言っている敵を。味方だったのに、見た目で判断されて殺される艦娘を。誰が守るんですか。誰が……愛するんですか!?)
世界の敵と言われたら、それっきりだ。
目の敵にされて、生きることすら許されない。
なにもしてない、何もやらない相手に、深海棲艦だからと決めつけて、殺す。
彼女たちが、人類に何をしたと言うんだ!?
(……あの娘たちは悪くない。そう、悪くなんてないんです……。悪いのは、敵対する深海棲艦。そのせいで、無害な娘まで殺される。そんな世界、辛すぎるでしょう……?)
……これが、悲しみか。
七海の中に今まで見えなかった、発露しなかった、新しい感情が生まれた。
悲しかった。空しかった。戦争だから、そう言われても仕方ない現実も。
ただ、四面楚歌で罵倒され死ぬしかない現在も。
ただただ、悲しかった。つまり、皆は……居場所がないのだ。
生きることすら、認められないのだ。自由など、権利などない奴隷のような悪夢の世界。
深海棲艦ならば死んで当然。深海棲艦ならば消えて当然。
疑問に思ったのだ。
そんなの……間違っていないだろうか。世界は人間のものか?
世界は、人類の所有物なのか? 人類の支配しなければいけない物なのか。
同世代に比べて頭のよい七海にも分からない。人間はそんなに高尚な生き物か。
人間はそんなに立派な種族なのか。人間は、支配者にならないといけないのか!?
――いいえ。
絶対に違う。
人間は、そんな偉いものじゃない。
人間は、支配者などではない。
人間は、王者ではない。
人間は……被害者だけではないッ!!
(……分かりました。やっぱり、あたしがおかしいんですよね)
おかしいのは七海だろう。
郷に入れば郷に従え? バカらしい。悪習に、なぜ従う理由があるのだ。
思い出せ、七海は何のために戦うかを。皆のため……ああ、そうか。皆がいたか。
(五十鈴たちは……あたしを見限るでしょう。今のあたしが、人類を……諦めたように)
艦娘のために、戦っていたのが、いつの間にか深海棲艦まで取り込んでいた。
五十鈴たちは艦娘だ。戦うのは役割であった。
だから、道も……違えるだろう。
そして、今向かう小島に関しても、今までの経緯についても、七海の中で結論は出た。
……もういい。人類には、疲れた。
桜庭や島村、赤松といった、理解者は居てくれた。
だが、彼らに対して、否定してくる人間や艦娘は桁が一つ上にいる。
彼らの存在が、何の慰めになる。なんの癒しになる。
元帥の権力を使わなければ七海は死んでいてもおかしくなかった。
ハゲの助力がなければ、もっとひどいことになっていた事も否定できない。
友人が居なかったら、七海は最悪提督を辞めさせられていても違和感はない。
……それぐらい、七海の周囲の人類は、艦娘は、敵意しかない。
いい加減、疲れた。感情を知ってしまい、揉め事を引き起こし、乱闘まで発展して、よくわかった。
世界は理屈がすべてじゃない。結果を出しても、感情が全部邪魔をする。
七海は、興奮から覚めて、改めてため息をついた。
(今の世界には、あたしたちは異物なんですか? 深海棲艦という存在は絶滅させないと気が済みませんか? 人間と艦娘しか、世界には居てはいけませんか? ただ、深海棲艦に似ているだけで始末させるこの世界に、あの娘達の居場所は、無いんですか?)
七海は、散々周囲からその存在を疎まれた。
彼女のやったことは、理屈ではメリットが大きいが、それ以上に感情的な要素が大きかった。
結果は出した。恩恵もあった。尚、許せないと? 外野は死ねと口を揃え指を指す。
七海が裏切った。七海は寝返った。言いたい事を捲し立て、無駄に騒いだ。
何か実害を出したのか? 死んだか? 壊したか? 何もないだろう。
なのに、深海棲艦と言うレッテルで判断される理由は、深海棲艦だから。
たった、それだけの理由で……皆は、生きることすら、許されないのか。
(人類にはもう、あたしが感じることなどありません。お母さんさえ、無事に陸地で生きていればそれでいい。もう、他人の都合には、飽きました)
何だろうか。この心情は。
……諦念? 人類への失望?
多分そういう類いだとは思う。
要するに、七海はもう人間という生き物に辟易したのだ。
身勝手な奴等の都合はもう、真っ平ゴメンだ。
一人の味方に十の敵がいる世界なんてもう、嫌気がした。
人間なんて嫌いだ。人間なんて、大嫌いだ。
自分も人間だが、今は深海棲艦の気持ちがよく分かる。
好きになれない。無論、全員が害悪じゃないとは言わない。
だが、だからと言って、いっしょくたにされて迫害される彼女たちは悪なのか?
個人を見ろ。しっかりと、彼女自身を見ろ。そして、それから判断しろ。せめて、そうしろ。
七海も個人を見てきた。ハゲもそう、赤松もそう、桜庭もそう。
なのに、それ以上に先入観、思い込みで判断する輩が多すぎる。
(もう嫌……。攻撃してくる人間なんて、迫害してくる艦娘なんて……)
諦めよう。そして、認めよう。
七海は、七海たちは、人間とは寄り添えない。
人間に味方する艦娘とも、分かり合えない。
よく、分かった。無理だったのだ。深海棲艦の味方をする七海が、人間のままでいるのは。
ムラマサによって染み込んだ感情は、今まで無視していた理屈は、決めた。
今から迎えにいく深海棲艦を得たら……行動しよう。
君と結ばれる、物語の作り方。分岐、その一。
澱に染まる意識ルートに、分岐する……。
小島に来るまで、戦闘機の銃撃を受ける。
全部無視。反撃もしない。
そのまま突っ込み、砂を巻きあげて浜辺に上陸した。
急ブレーキをかけたせいで、盛大に巻き上がる砂を払って、対象を探す。
上空では戦闘機が未だに抵抗するから、多分ここには居るんだろう。
彼女は小さな、生い茂る林の中に入っていく。
鬱蒼とした木々に阻まれ、銃撃が止んだ。物理的な盾を用意されたように旋回している。
七海は得物をぶら下げたまま、徒歩で移動する。
周囲は春の陽気で花が咲いていた。
綺麗な林に、適当に電探を頼りに探していると、反応があった。
但し、これは……。
(艦娘の反応がある……?)
艦娘の反応だった。種別は……潜水母艦?
(大鯨ですか……? なぜ、こんな島に……?)
潜水艦に補給する艦娘の、大鯨の反応があった。
向こうも気づいているのか、近づいてくるようだ。
足場の悪い場所を抜けて、進んでいくと、電探に深海棲艦の反応あり。それも、二つ。
大鯨と一緒にいると思われる。
どういう意味なのかは分からないが、姫と同類の深海棲艦を大鯨が倒せるわけがない。
性能的には大鯨は弱い部類だ。徒党を組んでも恐らくは無理。
なので、捕まっているか、あるいは和解しているか……。
どちらにせよ、七海には関係ない。仕掛けている以上、飛鷹が知れば殺しに来る。
その前に、連れて帰らないと。嫌なら……仕方無いが、その時は諦める。
無理強いして連れ去るつもりもない。
敵なら、殺すだけ。一応、話しかけてはみる。
七海が反応に向かって歩んでいく。邂逅する至近距離で。
「こ、こっちにこないでロリコン!!」
先程聞こえた幼い少女の声が、震えるように叫んでいた。
また、分かる言葉を発している。今回は、原因は予想がつくが……。
行く手を遮る背の高い草を掻き分けて、原っぱらしき開けた場所に出た。
すると、白い厚手のトレーナーを着た猫の耳みたいな髪飾りをする白い少女が戦闘機を手にして待っていた。
その後ろに、今の七海と同じく額に角がある乳のデカイ女性が怯えたように巨大な手甲をはめて座っており、隣には腕時計型の主砲ユニットと思われる物を向けている、セーラー服とスカートに、鯨の描かれた白いエプロンの紺色の長い髪型の、幼い顔立ちの少女もいた。
「う、動かないで……って、深海棲艦……?」
多分彼女が大鯨だ。顔を見るのは初見だが、七海の姿に困惑していた。
白い少女も異変に気付く。こっちに来るのは艦娘の筈じゃ、と戸惑っていた。
戦闘機から、映像は見えてないのか。
あるいは、途中で変異した七海の速度に追い付いていないか。
この際、どっちでもいい。七海は話しかけた。
「落ち着いてください。あたしに敵意はありません。接触するべく、ここに来ました。ごめんなさい、深海棲艦になる際に少し暴走しましたが……見ての通り、あたしは事情が通常の艦娘とは異なります」
まあ見ていろ、と論より証拠。
ムラマサを解除して、姿を戻す。三人は、言葉を失った。
深海棲艦から、直ぐに艦娘に変異したのだ。目の前で。
夕立にしては異なる外見の彼女は、刀身に鎖を巻きながら説明した。
軽い自己紹介、自分がなんなのか、何しにここに来たのかも。
「あたしは渋谷七海。従来型艦娘、夕立であると同時に深海棲艦でもあります。そちらの方は……北方棲姫に、港湾棲姫? とお見受けします。あと、艦娘の大鯨ですよね。ここは危険です。あたしは、特務で深海棲艦を保護する任務についています。正確に言うと、北方棲姫の聞いた通り、連れて帰るのが目的なのですが……。先程、艦娘の艦隊がいたと思いますが、連中は此方を見つけ次第、襲ってくるでしょう。あたしは仮にも提督の身分でして。ついてきてくれれば、襲わせずにできると思います」
いきなりきて、信じられないかもしれないが、と前提を言ってから正直に話す。
無論、拒否権はあるし、その場合は連中が敵になり戦うと言ってから、反応を窺う。
北方棲姫に港湾棲姫は、戸惑っていた。
こちらから仕掛けてきたのに、避難勧告のような真似をする理由を、大鯨が代わりに構えたまま聞いた。
「見ての通り、あたしはコウモリです。どっち付かずの半端ゆえ、周囲から迫害されます。……出会ったばかりの皆さんだから正直に言います。あたし、近いうちに多分、離反します。あたしが今まで保護してきた、面倒を見ると言った娘たちと。人類に、今さっき愛想が尽きたので、居場所を探すか作るために、逃げるつもりです」
……彼女はこの短時間で、既に決意していた。
散々受けてきた七海の迫害が、限界に来たと言うことだった。
オッドアイが本気だと、初対面でありながら三人に雄弁に語っていた。
要するに、どうせ逃げるからその際で、最後の任務になるから一緒に逃げようと言う、誘いの話だった。
茨の道だが、それまでは保護したいと。
共に準備して逃げて隠れようと提案した。
七海は、それしかもう、考えてなかった。
「時間はあまり、無いでしょう。暫くは構いません。あたしを信じず殺そうとしても結構。その時はなにもせずに逃げますので。間違っても被害は出さないと約束します。……浜辺で見張っているので、お返事があれば教えてください」
返事は聞かない。
七海は背を向けて、一度去る。
三人は、一方的に用件を伝えた七海を疑惑的な目で見ていた。
果たして、彼女たちの反応は。そして、七海の行く末は。
さあ、物語を語ろう。
折角彼女が手に入れたのに、自ら突き放す愚かな真似をした人類に対する反逆を。
深海棲艦ルート、澱に染まった意識の物語を……。