結果から言えば、今回は失敗だった。
暫く見張りをしつつ桜庭に連絡して、見張りをしていると大鯨が代わりに訪れた。
結論は、拒否。信用できないので、立ち去ってくれと言った。
了解した七海は、追撃しないのかと聞くが、その気もないと言う。
早く消えろと言わんばかりに睨む大鯨に見送られて、さっさと退散する。
小島が小粒に見えるほど離れる頃、特務と聞いていた大佐から通信。
結果は失敗と言うと、別の艦隊が倒しにいくから内容を教えろと言われた。
「無理です。特務は基本的に部外者には言えません」
素っ気なく七海は拒否する。当然だ。
この内容は、桜庭にのみ伝える事項。
部外者の大佐には関係ないので言えないものだ。
半ば予想はしていたのか、了解した大佐は離れるように言った。
諸とも空爆するらしい。まあ、相手は陸上型。それが一番手っ取り早いし確実だろう。
約束通り、七海は一切言わないし、一切手伝わない。
この大佐も仕事に関しては信用するが、他は信用しない。
彼個人を妥当に判断したつもりだ。
故に、特務を終えて彼女は本来の任務に戻っていった……。
そして。
演習の件だが、特務の報告があるため、一度大本営に行かないといけない。
書類などを纏めないとならないので、演習は一度延期になった。
飛鷹は去り際、もう来るなという顔をしていた。当たり前か。
彼女からすれば、実害しかない面倒な客人だったのだ。
二度と顔すら合わせたくないだろう。
七海は散々迷惑をかけたのと、お礼を言ってから去っていった。
大佐も流石に苦い顔をしていた。七海を結局、彼は理解できずに終わった。
常人には七海は理解できない。改めて、そう実感する滞在であった。
五十鈴たちは先に鎮守府に帰っている。そこは心配あるまい。
数日かけて、大本営で桜庭に報告と書類の作成を行った。
桜庭が言うには、大鯨という艦娘はあの近辺で二週間ほど前、乱戦になった際に艦隊からはぐれてMIA扱いで行方知れずの艦娘と聞かされた。
今は多分、死んでいるだろうと彼女は言った。
「あそこの提督、人は良いんだけど……相方にしている飛鷹って空母はねぇ。生意気な上に何しですか分かったもんじゃないって、後で知ったのよ。失念してたわ、すっかり提督の人柄だけで選んでたから。ごめんなさい、渋谷さん。乱闘騒ぎ起こしたんだって? ま、向こうが悪いから気にしないで。どうせ、現実を見ない古い艦娘だから、あそこの連中は」
と、慰めてくれたが、今ごろ遅かった。
とっくに七海は、覚悟を決めていた。
彼女は理解してくれる。けど、相変わらず大本営の大半は七海を異端視している。
(……見回せば敵ばかり。これが、敵地に乗り込むスパイの気持ちですかね)
バカらしいとは思うが、気分はまさにそれだった。
不愉快極まりない。こんな連中が、皆を否定して殺そうとする。
守る価値もない。理由もない。七海は心底、冷たく周囲を見ていた。
数少ない理解者には、温厚に接するように心がける。
だが、人類という存在には疲れている。
だから、やはり実行する。
逃げよう。こんな世界。こんな現実。こんな場所。
居たくない。混ざりたくない。接したくない。
吐き気がしてくる。人間の大半はこんなやつばかりなのか。
個人を見てもどいつもこいつも似たような奴で辟易する。
深海棲艦は殺せ。七海は深海棲艦の主、女王。悪なのだと。
励まされても、嫌悪は膨らむばかり。死ねと陰口を言っているのも聞いた。
(……五月蝿いハエがたくさんいる。何匹か鬱陶しいから潰しますかね)
と、そろそろ七海の中にある堪忍袋の緒が切れそうになる大本営。
我慢して切り抜けて、皆が待つ癒しの鎮守府に帰る事を少ない楽しみにしていたのに。
また、あの場所で……問題は発生していた。
憲兵が、皆に銃を向けたらしい。
帰ってきて早々、古鷹が七海に伝えた。
なにもしてない深海棲艦相手に、先日裏手で脅していたと。
留守中だけあって、泣く泣くリセは信用できそうな古鷹に相談して、人の良い彼女はずっと保護してくれていた。
直ぐ様七海は動いた。
言い逃れさせない物証に、深海棲艦を見張る方便に桜庭がセットを義務付けていた監視カメラを解析。
案の定、見られているとも知らずに憲兵がリセを脅していた。銃を突きつけて。
何を揉めているか知らないが、良い度胸だ。今回は完全に七海は理性を振り切った。
戻っていきなり、憲兵の詰め所に殴り込みをかけた。
夕刻の休憩時間に、ドアをぶん殴って粉にして真正面から突入。
突然のことになにも知らない憲兵が、言葉を失う。
で、渦中の野郎が優雅に飯を奥で食っている最中だったので乗り込み。
「くたばれ」
と罵り、いきなり問答無用で殴り飛ばした。
拳を作り、顔をぶん殴った。
血をぶちまけて周囲の家具をぶち壊して派手に吹っ飛び起き上がる憲兵が、袖で拭って怒鳴り返す。
が、七海は持ってきていたカメラの映像を止めに入る他の奴に投げ渡す。
受け取った彼が中身を見てみると、理由が映っていた。
制止を振り切り、全員を殴り飛ばして七海は無言で血走ったオッドアイで、その男を狙う。
「畜生ォ!! ふざけんなよこの化け物ッ!!」
バレたと自覚して、武器を持ち出して抵抗する憲兵。
だが、そのリセに向けた拳銃如きで、七海が怯む理由も、止まる抑止力にもならない。
銃口を向けた瞬間に詰め寄り、持っていた手ごと雑に掴んで。
思い切り粉砕した。そう、握り潰したのだ。人間の手を。艦娘と、深海棲艦の力で。
「ぎゃあああああああ!?」
骨も肉も筋も纏めて鉄と一緒に砕いた七海。
砕かれた本人が絶叫するなか、周囲が全員で七海に再び止めに入る。
「止めろ提督!! 理由はわかった!! 分かったから殺そうとするんじゃない!! お前は早く逃げろ!! 殺されちまうぞ!?」
暗に七海はもう、相手を殺さないと気が済まないと理解した憲兵が、犯人に叫ぶ。
男は、潰された手を庇いながら必死に逃げ出した。提督の報復がないと、高を括っていた結果の惨事であった。
「渋谷提督!! 落ち着くんだ!! 人を殺すつもりなのか!? 貴方は本当に魂まで深海棲艦になってしまったのか!? 悪魔になってしまったのか!!」
悪魔でいい。人殺しでいい。
皆に手を出す奴は、誰であろうがぶち殺す。許さない。
これ以上、皆を苦しめる存在は、七海は決して許さない。
人間の声に価値などない。逃がしてたまるか。あいつは殺す。
奴は殺さないといけない命だ。引導を渡してやる。
「邪魔を……するなぁああああああ!!」
……で。
殺し損ねた。五十鈴たちが、制止に入って憲兵の味方をしたのだ。
「七海ッ!! 止しなさい、人殺しをしていいとは言ってないでしょ!! 七海ッ!!」
五十鈴が怒鳴って思い切り殴ったのに、七海は今回は止まらなかった。
由良が後ろから羽交い締めにしたのに、無理矢理進んで追いかけようとした。
衣笠が宥めても聞かない。古鷹が説得しても聞かない。鈴谷が言っても聞かない。
羽黒ですら泣きながら懇願するのに、憎悪に呑まれている七海には届かない。
騒ぎに気づいて、戦艦姉妹や嫁、妹、娘まで参戦した。
「司令官ッ!! あんな奴を殺しても、誰も嬉しくなんてないわよ!?」
如月が目の前に立ち塞がりそう言って、漸く止まった。
唯一、彼女は違うことを言ったのだ。
あんな奴は殺しても意味などない。だから、止まれと。
「でも……!」
「如月も分かるわ。憎いでしょ、殺したいんでしょ……? けど、あいつは貴女が殺す価値なんてない。落ち着いて。もう、良いでしょ? 司令官の手が、血塗れになっているのよ? これ以上やると皆が悲しくなるわ。もう、止めて。……人間に、イチイチ本気にならないで。コイツらは所詮、こういう生き物だもの……」
如月は、泣きそうになる七海の頭を撫でて言う。
何かあったのだろうか? 如月は、こんなことを言う艦娘ではない。
なのに、この時は、酷く優しい表情で、七海に語りかけた。
男の汚い血を流している七海の左手を見て、首を振った。
如月の言葉に、七海はどうにか落ち着いた。
数時間経過して、病院に搬送された憲兵は、根治困難な重傷を負ったようだ。
が、またも原因は先に殺そうとした憲兵であった。
七海は、独房に久々に一週間は放り込まれる事になったがそれ以上の罰はなかった。
……そして。
この一件で、深海棲艦の為なら、艦娘の為なら、誰であろうが牙を向くと言うことが、証明されてしまったのだった。
独房のなかは、懐かしい。
簡素なベッドに、小さな机しかない。
四方と壁と床はコンクリート。春先の冷たい夜には少し辛いか。
鋼鉄のドアには、常に憲兵が見張りでついているだろう。
七海は私服に着替えて、放心状態だった。
ボーッと、小さい窓から見える満月を、黙って見上げていた。
以前は、候補生時代に何度もぶちこまれた部屋だった。
似たような光景の部屋で、一人で勉強していたのが懐かしく思う。
今は……どうするべきか、わかってはいる。
人間を殺すのは、深海棲艦を殺すよりも簡単な気がした。
未遂までやってよくわかった。大したことじゃない。できる範囲だ。
確信した。次は上手にやる。成功させる。
後始末の方法も思い付いた。次は必ず殺す。
……けど、今は疲れた。もう、なんか何もかも疲れた。
またこれだ。毎回毎回、どうしてこうなる。
何度報復すればいい。何度叩き潰せばいい。
連中はなんなんだ。人類と言う、艦娘と言う害虫か。
潰しても潰しても湧いてくるのか。本当に鬱陶しい。
「……人間死にませんかね……」
と、月を見上げて呟く七海。本心だった。
害悪は死ねばいいのに。全部殺せればいいのに。
そう、思う。
「そうね……。司令官を苦しめる人間なんて、死ねばいいのにね」
ふと。
隣には、如月がいた。
おかしい。さっきまで居なかったのに、なぜここにいる。
苦く笑って、如月は大きな棒状の袋を抱えていた。
「さっきから、ここにいたわ。声をかけても無反応だったし。大丈夫?」
聞けば、如月は自分にも責任があると言って、無理に独房に入ってきたらしい。
なぜ? と問う。すると。
「……ねえ、司令官。出先で、ひどい目に……あったんですってね?」
如月は、静かにそう聞いてきた。
七海は驚いた。なぜ知っているのか。
騒ぎになってから、五十鈴が向かった際に、大佐が寄越した連絡を聞いて、彼女も行くと言ったらしいが五十鈴に却下され、残されていた。
故に事情を知っている。帰ってきた五十鈴にも再び聞いて、そして。
「司令官、帰ってきてから……ずっと、辛そうだったわ。きっと、沢山の悪意に苦しめられたんだって、如月にも分かるもの。お嫁さんだからね」
「……そうですか。世話をかけました」
自称嫁は、七海の機微に気づいていた訳だ。
五十鈴ですらわかってない僅かな変化を、離れていたのに。
待っていた嫁が、真っ先に気づいていた。
如月は人間の悪意など知っていると言った。
散々見てきただろう。暗殺未遂に、周囲の変化。
先の乱闘騒ぎ。全部七海に対する悪意なのだ。
本当に、敵わない。この嫁は、流石真っ先に七海に心を開いた女だ。
時間は少なくても、その少ない時間ですぐ気付く。七海は、参ったと言った。
如月は七海の嫁だ。誰がなんと言おうが、それだけは譲らない。
七海の愛が、親愛であって恋愛でなくても。答えを未だに分かってなくても。
如月は、七海の最初の味方だから。
「……」
七海はありがとうと、如月に久々に言った。
救われた気がした。誰もが悪意を向けるなか、彼女は変わらず愛を見せてくれた。
七海の気持ちに、応えてくれた気がした。
「何時でも味方よ。司令官が深海棲艦であっても」
袋を置いてから、如月は優しく七海を抱き締めた。
いつかの演習のときに泣かせたときを思い出させるように。
七海が今度は、抱擁を受けるときだった。
「なにか、お礼でもしましょうか」
七海はそう言った。ここまで支えてくれる彼女に出来ることをしたかった。
すると。如月は、顔を真っ赤にして、こう言った。
おねだりするように、久々に甘えて。
「じゃ、お返事ちょうだい。良いでしょ?」
お返事? と言われて、気付く七海。
そう言うことか。いい加減、言わないといけない。
分かったと、直ぐに頷く。もう少しごねると思っていた如月は、驚いた。
「二つで、答えて、応えます」
七海は、そういってから、如月に……微笑みかけて、優しく伝えた。
お礼と、感謝と、愛していると言う気持ちを。
「大好きです、如月」
顔を近づけ、目を閉じる。
意味を悟った如月の目が、大きく見開かれた。
――そして。
――月光が差し込み照らし出す独房のなかで。
――二人は、初めてのキスをした。
(……如月も好きよ、司令官。何時だって、何処だって)
暫くして。
照れ臭くてふて寝してしまった七海は見て、如月は指先で唇を撫でた。
愛しい人が、初めてのキスを捧げてくれた。まさか、こんな風にお返事をくれるとは。
大胆な……だが、最大の誠意だと思う。
愛された。愛した。相思相愛。ならば、良いだろう?
(自称お嫁さんから、通称お嫁さんになりたいから)
……置いておいた袋を開ける。
出てきたのは、ボロボロの刀。
七海の、艤装。呪いの、得物。
不思議なことに、如月が持っても何ともないそれを持ち出して、如月は鎖をほどく。
その行為の、意味することを知った上で。
(司令官。貴方だけに背負わせない。澱を背負うなら、如月も背負います)
彼女だけが苦しむ世界など沢山だ。
如月も背負う。愛している証拠として、証明しよう。
(化け物になっても、如月の愛は変わらないって!!)
決意した。七海が堕ちるなら、如月も堕ちよう。
その毒に浸って、深海棲艦になろう。
同じ世界、同じ道を歩むために。
如月は、刀を持った。喰われる覚悟で、何よりも。
七海を守る、その為だけに。月光を浴びて、新たな悲劇は、開幕した……。