元々、なんでこんなことになったのか。
二名が独房に収容されているなか、慣れた手つきで代理を進める五十鈴は重たいため息をついた。
気になって調べて、呆れた。
件の発端になった憲兵は、新卒だったらしい。
で、この鎮守府に配属されたんだそうだ。
ただ、訳ありのここは初期の憲兵は誰一人残っていない。
全員異動して、逃げ出した。理由は言うまでもない。
で、居ないわけにも行かない憲兵は、内部でどうやら押し付けあって、無理矢理来ていたようだ。
選別方法は、上が決めているようだが拒否権はある。
が、何時までも決まらないと困るので奴は一種の生け贄となったと聞いた。
要するにあの男は来たくて来ている訳じゃない。
面倒なものを押し付けられた貧乏クジだった。
で、当然そんな毎日はイライラする。直ぐには流石に逃げ出せない。
七海の不在の間に着任した男は、鎮守府内部を歩き回っている深海棲艦に、当然苛立ちを感じる。
提督不在なら、直接八つ当たりの憂さ晴らしをしてもバレやしない。
などと甘く見て、隙を作ってリセを憂さ晴らしに脅していた。
早く出ていけ、さもなくば殺すと口だけの威勢の良いことを言って、鬱憤を晴らそうと思っていたようだ。
浅はかな男である。軽率にも程があった。
ここの提督の逸話を知らないわけでもあるまいに、誰にも言うなと本人に言えば言わないと思っている辺り、思慮は浅い。
所詮は新卒。舐めた行動をしたせいで、七海の報復を受けてしまった。
提督は高校生と聞いてバカにしていたらしいし、当然の報い……などとは言えまい。
「……はぁ」
五十鈴はため息をつく。手伝う由良の顔色も悪い。
とうとう、七海が相手を選ばなくなった。
人間だろうが深海棲艦だろうが、艦娘だろうが手当たり次第襲うのだ。
理屈などもう、あの娘の中にはない。
反射的に悪意に対して過剰に反応している節がある。
……心当たりが多すぎる。やはり、度重なった衝突が原因か。
彼女とて頭がおかしくてもまだ子供。
我慢の限界はあるだろう。七海は今まで、よく堪えてきた。
というか、気にしないだけで無意識な抑圧はあったと五十鈴は今頃思う。
だから今、あの娘は見境がない。
きっと、刺激すれば民間人すら殺すだろう。
「……七海。もう、無理かもしれないわね……」
ふと、書類を纏めていた由良に、俯いて五十鈴は言った。
もう無理。それは、提督を続けることではない。
人間のそばにいること。そして、五十鈴たちもそれは同感だった。
「……ええ。多分、長くは持たないと由良も思うわ」
深刻に由良も呟く。
七海が人を殺すまで、時間の問題だった。
深海棲艦を、そして相変わらずここの艦娘を貶すものは、容赦なく反撃してしまう。
周囲が何を言っても最早手遅れ。あんな風に、人間相手でも加減しないなら、殺すだろう。
制御は、出来ない。七海は、完全に獣となった。
言葉が通じない。意思疎通が出来ない。常識も良心も消失している。
行き場がないあの娘はどうすればいい。今じゃもう、海軍を辞めることすら出来ない。
彼女は民間に入れば単なる化け物だ。迫害されない方がおかしい。
「どうするべきだと思う?」
「…………最後の手段はあるわ。けど、それは……」
由良が聞くと、五十鈴は方法がない訳じゃないとは言うが。
それは、要するに……裏切りだった。
ここの深海棲艦と約束したことを、七海が破ることを意味する。
忠誠を誓ってはいるが、言い分を違えれば……彼女たちは、どうなるだろうか。
多分、七海を襲う。特に、リセとリンゴは単純にして明快。
人間の近くにいないとその保証は出来ない。
現状、苦痛さえ我慢すれば……満たされている。
七海が居なくても、あの二人は問題ない訳だ。
パクチーに関しては、ここは安全圏。多分彼女も、七海は必要ない。
翔鶴も、艦娘として登録されているので、論外。村雨も然り。
この面子が、最終手段をとった場合、敵に回る可能性があった。
春雨は、七海にぞっこんだし、ご主人様呼ばわりしているので彼女につくだろう。
小春も大体、そんな感じ。静香は……何を考えているか、寡黙すぎて分からない。
けど、あの様子じゃ、きっと七海を守ってくれるはずだ。
見事に分裂すると、予想できる。
「……まあ、五十鈴は最後まで面倒見るけどね。お姉ちゃんだし」
「……意外ね。五十鈴、もう決めているんだ?」
主語が無くとも、二人の認識は同じであった。
既に、暗殺未遂時点で、五十鈴は見限っている。
理由もわかる。理屈も納得する。けど、生憎だが感情はそうもいかない。
五十鈴も結局、バカだったと言うことだ。
どうして、こんな茨の道を選ぶのやら。己も呆れてしまう。
リスクしかないし、下手しなくても死ぬ。カッコいいと言うには、あまりにも無謀で無策で。
何より五十鈴は単なる艦娘。ここに居ること自体は、難しくもなんともない。
なのに、彼女は妹を選ぶと即答した。
「ご生憎様ね。五十鈴の提督は七海だけ。他の人間に、命を託す気はないわ」
と、由良に堂々と言えた。彼女は、愚かでも七海にしか従わない。
彼女の世話を、ずっとやっていた責任も自負もある。
半端に見捨てるなど、するわけがない。
「甘く見ないでよ、由良。五十鈴は、何があっても七海を見捨てないわ。それこそ、あの娘が人殺しをしても、味方であり続ける」
顔をあげた五十鈴は、決意のある目で由良を見上げた。
頼もしい姉である。何があってもそばにいる覚悟。それを、しているのだろう。
「……由良も、そうする気よ? 厳しいお姉ちゃんだけだと拗ねちゃうから」
と、軽く笑って由良も言った。
軽い調子だが、そこには五十鈴と同じく、姉の役割を投げ出さないと言う決意もあった。
五十鈴と違い失敗の多い由良だが、その気持ちは本物であった。
少なくとも、人間よりは万倍マシだと思うぐらいには。
七海はこれ以上進めば、人も余裕で殺してしまう。
今回は瀬戸際で間に合った。でも次回は? 本当に間に合うのか?
彼女が殺してしまう前に、果たして艦娘は彼女を止められるのか?
何時までも、七海が大人しくしている保証はない。
同時に、尽きぬ悪意が止むことも有り得ない。
七海の行いは、世界からかけ離れている。
理解など、常人には絶対に無理だともう証明をしているも同然。
ならば、どうするか。五十鈴は小声で言った。
「……けど、由良。覚悟は、しなさいよ。あんたも五十鈴も、あの娘と戻れない道を選ぶんだから。なるべく、他の艦娘には知られないで。信じると思った娘だけ、言うのよ。五十鈴もギリギリまで七海には黙っておくから」
「分かってる。黙っておこうね」
七海の知らない場所で、愚行を練っている姉たちがいた。
それは、知らず知らずに重なっているとも、思わないまま。
(……これは、誰の記憶?)
不思議な夢を見た。
彼女は誰だ?
彼女は、沈んでいく。忘れないでと遺して。
彼女は後悔している。自分の油断、護れなかった約束。
自分でない自分の記憶か? いや、それにしては鮮明に見える。
誰が、これを体験した? 場面は切り替わる。
……今度は何処かの島だった。それは運命か、あるいは宿命か。
彼女は再び浮上した。けれど、同時に生まれ変わるさなかに浮かび上がり、別の苦痛を味わった。
怖い。自分が怖い。知らない自分になりそうで、怪物になりそうで、仲間を傷つけそうで。
どうなるかも分からない不安に、終わらない焦燥感。連鎖する不幸。
彼女は泣いていた。どうにもならない定めに。けど、傍には……がいた。
大丈夫、どんな姿でも味方でいる。離れない。約束する。
そう、囁いてくれた大切な人が。消えていく理性の中でも、思い出す。
たとえ、自分が海の色に染まってでも、彼女のことを忘れない。
その想いが届き、彼女は……一時的な奇跡を起こした。
ほの暗く心が染まっても我を保ち、約束を果たした。
そして……看取られて、光に消えていった誰かの追憶。
それは、彼女の知らない彼女の物語。
ムラマサの中に眠っていた、遠い世界、遠い過去のストーリー。
重なった不幸と、一握りの幸運の中の、幸運を見ていた。
(……そう。如月の知らない、如月なのね)
これは、数多いる如月の一頁。
断片を、彼女は漆黒の海を浮かぶような感覚で眺めていた。
自分の声を放つ闇に、問われる気がした。
何を求めて、ここに来た?
(愛を証明するため。苦悩を分かち合うため。何よりも、大好きな人と、添い遂げるため)
どうして、彼女を愛せる? 敵となった少女を。
(愛には理由はないわ。理屈もない。ただ、好きだから。これが理由で、如月の唯一の理屈)
本当に後悔しないか? 同じ苦しみを受けることになる。
(しないわ。苦しみを受けない、分からない方がずっと苦しいもの)
世界を敵に回してもいいのか?
(構わないわ。司令官が死ぬときは、如月が隣で一緒に死ぬ。傷つくときは、如月も傷つく。その為に、力が欲しい)
お前は、死ぬぞ。彼女も、死ぬぞ。確実に。
世界は、愛を叫べるほど優しくも、甘くもない。
無垢な愛が、どす黒い殺意に堪えきれるか?
お前は、今の世界に、自分の愛を証明できるのか?
自分を擲つ意味を知らない艦娘が、渋谷七海という女に、応えられるのか?
よく見ろ。彼女の消耗した姿を。人類を諦めた目を。
堕ちるぞ。彼女はもっと、堕ちるぞ。
予言してやろう、駆逐艦如月。
お前が見たビジョンは、救われた物語の欠片だ。
お前は、救われない。お前は、報われない。
愛する女と海の藻屑になる。深海の澱になる。
そうして、お前も人類を憎むのだ。愛しい女を奪った人類を。
お前の行き着く先は、終着駅は、ここだ。
(……でしょうね。だから?)
……なに?
(だから、どうかした? 勿体振らないで、早くそれを頂戴。そんなこと分かりきっているし、最初からそれでいいわ。どうせ、如月にはあの時司令官が救ってくれなかったら死んでいたし。同じ風に堕ちるなら大歓迎よ)
……正気か。
堪えられる訳がない。
お前は渋谷七海とは違う。
あの支離滅裂な思考をしている狂人でもない限り、呑み込めない。
お前の器では、容量が足りなすぎる。
(良いから。溢れたら溢れたで、司令官と一緒でオーバーフローするだけ。御託はもういいわ。くれるんでしょ? 覚悟はしているし、司令官が好きだって言ってくれたの。それ以上の事はどうでもいい)
……狂っているな。お前も、彼女に感化されたか。
お前も狂っているぞ、如月。そこまでして、愛したいか? 愛されたいか?
警告を聞き流してでも、ただ愛し合いたいと言うのか。
(愚問をしないで。お喋りが過ぎるんじゃない、ムラマサ。全部知った上と言ったわ。これが返答。これ以上の問答は必要ない)
……忠告をお喋りと言うか。ほとほと、面倒な奴だお前は。
目先の感情を優先して滅ぶ女だ。精々、後悔するなよ。
勝手に滅べ、深海の澱を受ける馬鹿者。
お前は大切なものたちを捨てて、愛を選んだ恥知らずだ。
その選んだ先で、悔いが残らないようにしておくがいい。
愚かな艦娘に……幸あらんことを、暗き底で祈っているぞ……。
「……気持ちいい。これが、深海棲艦。司令官の浴びた毒なのね。とっても、甘いわ」
朝起きたら、隣にスゴいのがいた。
恍惚な声色で、クンカクンカといつも通りの変態プレイで。
が、なんか背中に尖ったものがあたって痛い。
何事かと振り返ると、スゴいのがいた。
「おはよう、司令官」
「おい嫁。あたしのムラマサで何を勝手に変身してやがりますか」
「ペアルックよ?」
「深海棲艦のペアルックとか言う意味不明なパワーワード止めなさい」
何か嫁が、勝手に七海の艤装を使ってクラスチェンジしてやがった。
……七海とは違う変化だ。
肌色が土気色になり、自慢の髪も色素が抜けているのは同じ。
だが、彼女の場合は左頬や首筋が紫に変色しており、ひび割れのような模様が大半だった。
左のこめかみ付近に、贈り物のアネモネの髪飾りをしているが、その部分に三つの角が。
額には、二本の角が生えていた。両目が深紅に変わって、犬歯も伸びている。
で、自慢するように彼女は言うのだ。深海棲艦になりました、と。
七海は、まさかの展開に呆れてはいたが、いわく何ともないようなのでまずは一言。
「おい嫁。責任とるからマジの嫁になりなさい」
「喜んで!」
「宜しい。浮気したら殺しますよ」
「しないわ。こう見えて、貞操観念は高いのよ?」
取り敢えず嫁に貰おう。もう開き直る。
女同士だろうが知るか。七海は元々皆が好きだ。
如月本人に対する感情が今頃恋愛になっただけ。
別に好きに変わりはない。なので嫁にこいとだけ言う。
独房でのプロポーズとかいうこっちも意味不明なパワーワードになっていた。
「最早細かい事などどうでもいい。あたしは開き直ることにしました」
「開き直りって……無敵よね」
二人は既に恋人? になったのだ。
前から如月は言っていたが、相思相愛なので恋人であってる。
「さて。朝チュンなるシチュエーションな訳ですがね、如月」
「はい」
深海棲艦になったことなど気にしない。
如月は如月のまま。変化ないなら外見に角が生えた程度。
極めてどうでもいい。如月は七海の嫁。重要なのはそこのみ。
そして、嫁と一緒に迎えた初めての朝というシチュエーションの方が優先である。
この時点で七海はかなりぶっ壊れていた。あっさりと受け入れて流す程度には。
互いにベッドの上で正座して向き合う。真顔であった。
「あたしの角よりも立派ですね」
「そう? 司令官の角の方が凛々しいわよ」
「……角増やせませんかね。負けた気がして悔しいです」
「一角もカッコいいのに……」
「あたしは魚か動物ですか」
などと言いながら優しく額の角を弄ぶ七海。
擽ったいのか、如月は笑っていた。
「もう、朝っぱらから手つきがやらしいわ、司令官」
「やらしく触ってますので」
クスクス笑う如月に、七海は面白そうに撫でる。
で。数分して飽きて、話題に戻る。
「思い出した。もっと愛情表現しないといけないんだった」
今まで好きの一言さえ言わなかった反省をいかして、七海は要求を強要。
なにか命じろと言うので、調子に乗った深海如月は軽く言った。
冗談のつもりだった。
「じゃあ……おはようのキスして?」
「そんなんでいいですか? では早速」
言った途端に迫る顔再び。硬直する如月に、強引に唇を奪った。
朝っぱらから濃厚なキスをかまして、一気に顔が真っ赤になる如月は、羞恥で一瞬で元に戻ってしまった。
「もー! してって言ったけど、強引すぎ! もっと優しくして!」
文句を言いながら七海の胸を軽く叩く、艦娘になった如月に、七海は元に戻れるなら尚更些事と断定。
今は嫁とイチャイチャすることにした。
「優しく……? 難しいことを」
取り敢えずもっかいしようとすると、怒る如月。
ムードが足りないとか、ストレート過ぎるとか、いちゃもんをつける。
……結局昼近くまで、独房は甘ったるい二人の愛の巣になっていたのだった……。