久々の出会いに、七海は自分から笑顔を見せた。
少なくとも、満面の笑みなど見たことがない島村も驚く。
いつも表情に乏しい七海が笑っている。そして、額の傷跡。
ああ、彼女は一度沈み、死してしまったのだなと感じる。
だからこそ、教訓として刻み教えを乞いに来たのだ。
七海のような人を出さないために。
「渋谷さん、ご無沙汰している」
お連れの連中にも軽く会釈しながら車を降りる。
七海は笑うが……成る程、周囲は警戒しているのか無言で対応。
事務的な挨拶で流す。五十鈴のみ、しっかり返した。
島村は、七海がなにか用事かと聞いてくれたので端的に告げた。
「……渋谷さん。今回は折り入って貴女に頼みがあって来たのだ。聞いてはもらえないだろうか?」
「はい。何でしょうか?」
七海は笑いながら構わないと言っている。
最近、また軍に関することをしていると聞く。
事前に確認したが、七海には多少の範囲で機密を漏らしても良いと言われた。
何でも深海棲艦の指揮を司るらしい。民間人ながら、引退しても優秀なのだろう。
後ろ髪を引かれている、大本営にはあれな気もするが、まあいい。
島村は、今回の助言を求めているのだ。話さなければ意味がない。
彼は、きっちり頭を下げて、切り出した。
「渋谷さん……私に、道を示して頂きたい!」
高校生に頼み込む現役軍人。だが、彼女は偉業を達成した人物だ。
情けないだろうが、それでも。途が拓けるなら島村は怯まない。
キョトンとする七海に、取り敢えず場所を移動するのだった。
詳細は聞いている。
吹雪の事を踏まえての護衛は分かっている。
故に、人気のない安全な場所となると、島村の車が手っ取り早い。
そのまま全員乗っけて、峠の方に移動した。
電話で何やら連絡して、帰りが遅くなると言っていた。
全員がある程度事情を知っているので、助かった。
道中、コンビニで軽食を購入してから、島村は助手席に七海を乗せた。
武蔵は後部座席で皆と駄弁っていた。小春以外は知り合いなので積もる話をしているようだ。
「要するに相談ですか?」
「そうだな……。情けない話で申し訳ない。どうしても、私は貴女の言葉を聞きたかった」
助手席でパンを奢りで食べている七海が聞いて、島村はハンドルを握りながら言った。
島村が言うには、自分では手詰まりに陥り、引退したとはいえ七海に聞きたいと思ったらしい。
七海の記憶喪失も把握しているが、何処までかは分からないので軽く説明。
島村は、艦娘に関する記憶や深海棲艦の記憶を失っていると聞いて少し驚いた。
人間の七海を見るのは候補生時代以来で随分と懐かしい。
あの頃はなんと不出来な娘かと思っていた己が恥ずかしい。
これ程の逸材を見下してすらいた自分が厚顔無恥と思えてしまう。
だが、それでも七海は二つ返事で了承してくれた。
本当に、有難い。
峠の夕日が見える山道を上り、駐車場を発見して停車。
この様な様で申し訳ないと謝罪してから始める。
皆にも聞いてほしいと、島村は単刀直入に、打ち明けた。
「近々、私や元帥殿は、決戦を控えている」
そう、打ち明けたから教える、如何に不利なか。
桜庭を切り札としての作戦。
適度に暈して説明しながらも、概要は伝わっただろう。
七海は真剣な表情で聞いていた。
七海の周囲も、しっかりと。真面目に相談しに来たのだ。
誰も茶化したりしない。
自分が前線に出て、武蔵が出ても尚一手が足りない。
ギリギリの崖っぷちで、読み間違えれば危険なことになる。
一体、どうすればいい? 七海ならば、どう出る?
簡単な情報も打ち明けて、改めて問う。
「渋谷さん。貴女は、私に死んではならないと教えてくれた。覚えてはいないと言うが、私は貴女に天恵を与えてもらったと思っている。故に、お尋ねしたい。貴女ならばこの局面、どう乗り越える?」
生きて帰るために。決して負けないために。
七海なら、どう選びどう戦う?
国防のために伝授して欲しいと。
七海は暫く無言で外を見て、考えていた。
沈黙して待っている皆に、軈て。
一つ目の解答を出す前に質問した。
「ええと……武蔵さん。貴方は、改装はまだ改ですか?」
武蔵もよく覚えていないと言う彼女に聞かれて肯定。
武蔵はまだ、第一改装のみであった。
武蔵の最終改装は凄まじい資材を消費する。
決戦のために備蓄している資材を使う訳にはいかないのだ。
七海は言った。姫園鎮守府の資材は使えるかと。
驚く島村。なんと七海は、桜庭は遊撃して出払うなら姫園鎮守府の資材で代用してみてはどうかと。
無論そんな勝手な事は出来ないだろうが、単なる参考だ。言うだけならまだ自由。
桜庭の出撃するための資材はその近くの鎮守府総出で賄う。
現在姫園鎮守府近海は、平和そのものらしいので余っているだろうそれを間借りしてみては?
そう、言った。更には。
「そう言えば、深海棲艦の装備も使う予定と言いましたが?」
「うむ……。それをもってして、物量作戦に漸く均衡になるのだが」
後ろを振り向き訊ねると、武蔵は腕を組んで言う。
七海は、五十鈴にも確認。毒を以て毒を制する危険な事だ。
然し、五十鈴たちは慣れている。で、現在の提督は桜庭。
……つまり?
「姫園鎮守府の艦娘も助力とかしてくれませんか?」
腐っている戦力なら手伝うのはダメかと。
島村の指揮で共に戦うのは、ダメなことなのかと。
すると。
「お嬢様。お言葉だけど、それはきっと無理だと思う」
小春が、由良が何か言おうとするが、その前に否定した。
七海はどうしてと聞いたが、今度は由良が答える。
「……七海ちゃんは忘れているからだと思うけど……。島村提督は、その……」
「信頼できませんか?」
艦娘を殺すような作戦を立てる提督。
吹雪の話で多少は聞いている。艦娘の天敵、正に外道にして邪悪と。
由良たちはそう、言いたいらしい。だから信じない。
本人もそれは、否定しないと黙って首肯。腕を組み、目を閉じる。
信じられない人だから、嫌だと由良は言うし。
「提督の命令でも、村雨は嫌よ」
「わたしも……もう……」
村雨、春雨も嫌がる。
一度は死んだ二人がもう一度死ぬのは当然忌避する。
当たり前だ、と武蔵は語る。
「嘗ての相棒はそうだったからな。そんな甘ったれた事で満足していた。皆に信じろと言うのは些か虫の良い話だな」
自分の行いは否定しない、皆の反応は自己の甘さと指摘している。
その部分を分かるから五十鈴は逆に構わないと言った。小春もだ。
「島村提督は、七海と戦って変わったと思うわ。まあ、五十鈴は信じても良いと思う。その気概は」
「私はお嬢様に従う。人間の言うことは聞かないけど、お嬢様が命じるなら」
有難い評価だと、島村は礼を告げる。意外な顔で、五十鈴は見た。
やはりこの男、己を客観的に見るほどの視野は持ち合わせている。
自分の信念を理解してくれることに感謝していた。
「ならば、その期待には応えねばならない。私は助力を受けるのだからな」
「微妙に上から目線……。まあ、良いけど」
打開するなら、島村に必要なのは手数と強化。
詰まりは、根回しだ。
「島村さん。全部背負うのは無理です。自壊しますよ。周囲を見れば、資材の工面程度なら助けてくれるのでは?」
「……ふむ。その通りだ。面目無い」
あの七海が、周りを頼れと誰かに教える。
その光景は、自滅を繰り返して壊れていった彼女とは思えないほど、的確な指摘で。
彼女の変化が顕著に表れていた。
自分は周りとは波長が合わないと思っていた島村の思い込み。
甘さはまだまだあると面と向かって言われた気分だった。
そして、七海は一番大事なことを……外の夕日を見ながら、言い出した。
「あと、島村さん。ずっと、生きて帰ることを……以前のあたしに教えられたって、言いましたよね?」
「ああ。有難い言葉を頂いたよ。傲慢な私は変われた。気づかせてくれた事を、今でも私は感謝しているつもりだが」
生きるべしという言葉の意味は、今となれば真意は七海も分からない。
幻聴はなにも言わないし、言うこともないんだろうか。
ただ、追加で言いたいことも……漠然と、七海にはあった。
「じゃあ。今のあたしからも、一つ。言っても良いですか?」
七海は、島村に言いたいことができた。
是非聞きたいと願う島村と武蔵。皆も、興味があるように耳を傾ける。
七海は視線を外に向けたまま、こう小さく……呟いた。
「死ぬのって、とっても……怖いことですよ」
当たり前の事を言った。
死ぬのは、怖いこと。そんな当然の事を、何故?
由良には、よく分からない。
小春も、分からない。
だが……。村雨、春雨は分かった。
五十鈴も分かった。
何より、島村は己の認識に穴があることを言われてハッとする。
(……まさか!?)
それは、染み付いた国防の思いの盲点。
死すら受け入れる覚悟を持っていた嘗て。
それを、生きるべしと方針を変えたのは、良い。
だが、七海はこう言いたいわけだ。
確かに、生きるために尽力するとは言った。
けれど、死を恐れたとは言っていない。
島村は気付いた。根本が、あまり変わっていない。
何の為に生きるかは、分かった。
然し、彼は相変わらず死を恐れない。
自分が死んでも、死ぬまで全力で抗ったから。
戦争における敗北を、彼は受け入れてしまっている。
軍人としての根っこだろうか。死に際の感情が諦めに近いのだと。
死ぬことを、全力で抗った上で負けるなら受け入れる。
そういう意味だと分かった。
(私は、死を……恐れていないのか!?)
自分でも気付かなかった。
同時に、武蔵も同じようで。
「相棒……。私達は……」
「ああ……。どうやら、そうらしい」
戦慄していた。死を恐れない軍人は確かに強い。
然し二人は既に知っている。
死という泥に触れたことのある五十鈴や、死んだ村雨も春雨も。
あの涙した感情は、理屈では理解して共感しても。
自分のものにはしていない。だから、恐れというものが本当の意味で湧かない。
七海は死んだのだ。経験して、死を超越して生きている。
だから、忘れたとしてもわかると言うこと。
あの暗い世界で見た光景を……自分で体験したんだろう。
だから、七海は死ぬことを怖がっている。
知識や理屈で半端に触れたことのある二人とは違う。
真の意味で、死を受けたから。
だから、もう少し……生きるという意味を、考えてみてほしい。
その上で、作戦を立てるべきじゃないかと。
自分の終わりが、本当に怖くないのか。
決して満足できるモノじゃないと、教えてくれた。
故に。島村はその先に行く。
背中を押してくれた彼女の言葉を抱いて、その意味を己のモノにしたいから。
「……ありがとう。渋谷さん、私は……まだまだ未熟なようだ」
そして、前に進もう。
晴れやかな表情で、島村は七海に言ってから。
武蔵も、その意味を解して頷いた。
もう一度、改めて……そして、言葉を選んで頼み込む。
「……渋谷さん。この作戦は、とても重要なものだ。最悪、どう足掻いても私も武蔵も死ぬかもしれない。だが、私はまだ……未練と言うものがあるようだ。死にたくはないと、今強く思う。故に、私という個人を……助けてはくれないだろうか?」
以前と同じ。七海は個人のために助けに来てくれた。
七海には、七海の理由がある。
その理由は未だに分からないが、言えることは素直に助けを求めるしか島村にはない。
この方法しか思い付かない。七海は、何やら頭に手を置いていた。
固唾を飲んで見守るなか、七海は。
――だから、島村さん。あなたには死なれたら困るんですよ。
あたしを散々助けておいて、また命懸けですか? 全く、そう言うのは困ります。
……分かりました。あの時のお礼です。命懸けの恩返しには同じ条件で返しましょう。
「分かりました。あたしも、できることをします。だから、安易に自分を安売りはしないでください」
七海は振り返り、了解した。
そうしないといけないと、幻聴が囁いた。
驚く周囲に、なにも言えずに七海は最後に纏める。
「後悔は残ります。未練とか、そう言うのを抱えて死ぬのは最悪なんです。……覚えておいてください」
言われて頷く武蔵と島村。
こうして、また……七海は、自分から戦いに向かう。
そんな力など、無かったとしても……。