羽沢先輩目当てでバイトするのは不純に違いない 作:Washi
本当は最終話で纏めて言おうと思っていたのですが、予想以上の反響を大変嬉しく思っており、
早めに言わせていただきました。
感想も、全部には返信できてませんが、ちゃんと全部読んでます。本当にありがたい限りです。
それでは、今後ともよろしくお願いします。
耳に当てているスマホからコール音が繰り返し流れる。電話をかけている相手はもちろん木下くん。これで、3回目の発信となる。お父さんから木下くんが辞めることを聞いた直後、自室に直行し、前みたいにベッドに座りながら電話をかけ続けていた。
胸の内に宿るのは、焦燥と後悔。木下くんに出てほしいという焦りと、こうなるならもっと早く決心すべきだったという後悔。膠着状態という、これまでの現状に甘えすぎていた。
まだ、手遅れではないと思う。でも、そのタイムリミットは確実に迫っているような気もしていた。
早く出て……とコール音から通話に切り替わることを期待するも、変化はなし。そうこうしている内に、またもや留守電サービスに繋がってしまった。溜め息を吐いてから、メッセージを残さずに電話を切る。
無視、されちゃってるのかな……3回も留守電になっちゃうなんて。
……ううん! ここで弱気になっちゃ駄目……! もっと前向きに考えないと。もしかしたら、移動中で気づいていないだけかもしれないし、スマホの近くに居ないだけかもしれない。
もう悩むのは止めたんだから、しっかりしないと。
もう1回だけ、電話をかけてみよう。それで出なかったら、シフトの後にかけ直そう。そう思い、履歴から再発信しようとする。
——そして発信のボタンを押す直前、着信のメロディと同時に画面が切り替わった。あまりの不意打ちに変な声を漏らすも、発信主に『木下くん』と表示されているのを見て、慌てて通話ボタンを押した。
「も、もしもし……!」
『……羽沢先輩』
声が聞こえた。電波が少し悪いのか、やや掠れてるけど……ずっと聞きたかった声が。電話越しに聞こえる声は心なしか、元気がないように思えた。
「ごめんね、何度もかけちゃって……忙しいのかと思って、後でにしようと思ってたところだったんだけど……」
『いえ、僕が気づかなかっただけです、すいません。別に、忙しくなんてないです。……忙しくなる筈の用事も、なくなってしまいましたから』
「ぁ……。あ、あの、木下くん……! バイトが禁止になったのって……!?」
『……ええ、本当です。悩んだんですけど……やっぱりバレたときに店に迷惑をかけちゃうと思いまして……』
「……そっか」
……疑ってたわけじゃないけど、嘘ではないと分かったことで、声のトーンが落ちてしまう。流石に、これは引き止めることはできないし、どうしようもない。
『羽沢先輩……ちゃんと言えてなかったので、今言います。……すいませんでした。スマホを置いてった僕が悪いのに、八つ当たりなんてしてしまって』
「え……? う、ううん……! そんなことないよ! 悪いのは私の方で……っ!」
『いや、僕が悪いんです。そもそも、他人の気持ちを察するなんて無理に決まってるのに、それにショックを受けたのがいけなかったんです』
「ぁ……そのことなんだけど……! あれから考えたんだけど、1回どこかでお話がしたいなって思ってて……」
『……別にいいですよ、そんなに気を遣わなくて。もう、ちゃんと割り切ってますから』
言葉の節々から拒絶の意思を感じる。……ううん、ちょっと違う。上手くは言葉にできないけど、なんていうのかな……こう、まるで……最初から受け答えの内容が決まっているかのような雰囲気。
粘り強く、お話がしたいと訴えかけても即座に断られてしまう。暖簾に腕押しといった感じだ。
どうすれば、お話に応じてくれるんだろう? 会話をする傍らで、どうしようと頭を悩ませる。
『先輩。実は、もう1つだけ謝らないといけないことがあるんです。これは、この前のこととは関係ないんですけど……』
その途中……木下くんの声が割り込んできて、思考が中断されてしまった。それを頭の片隅に留めつつ、意識を電話の方へと戻す。
『……僕、最初から羽沢先輩が目当てでバイトを始めたんです』
「え……? ぁ……わわ……!」
知らない内にスマホを持つ手の力が緩んでいた。手の中から滑り落ちそうだったのを慌てて握り直す。……心臓が、バクバクとうるさく鳴り始めていた。
思いもよらなかった告白。頭の片隅に留めていたものは、きれいさっぱりと彼方へと消えてしまった。代わりに、頭の中にはぎっしりと疑問符が詰め込まれていた。
バイトで出会う前……いつ、どこで会ったのか……どうして、お店のことが分かったのだろうか、と。
「で、でも……面接のとき、初対面だったよね……? お店にも、1度も……」
『その前にライブやってましたよね? それ、見に行ってたんです。そのことに気づいてたのは、青葉先輩だけでしたけど』
面接の前? えっと…………あ! もしかして、あの大きめのとこでやったライブのこと!? ほ、ほんとに、あそこに……? 全然、知らなかった……モカちゃん、すごい……。
『そのとき、一目惚れして……それで、姉が羽沢先輩の実家が珈琲喫茶だって教えてくれて、応募したんです。……だから、不純な動機でバイト始めたんです。ストーカーなんですよ、僕』
「不純だなんて、そんなことないよ……!」
”一目惚れ”という単語に一瞬でも顔を熱くしてしまった自分を恥じつつ、間髪入れずに言葉を返す。
「木下くん、ずっと真面目だったし、いつも言ってるけどすごい助けられてて……! そんな気持ち、全然知らな……! ……ぁ」
自らの失言に気づいて言葉を止めるも、どう考えても遅かった。咄嗟の返しだったせいか、大きな誤解を与えうるニュアンスになってしまっていた。
この言い方では結局、意識してないって言ってるのと同じように聞こえてしまう。
……仮に、始めたときの動機がそうだったとしても、最近の木下くんがお店のことを好きでいてくれて、その為に頑張っていることは知っている。本当は、そう伝えたかった。
だけど、そうは伝わってくれていなかったようだ。
『ええ、そうですよね。分かってます。だから……すいませんでした。もう、羽沢先輩には近づかないようにしますから』
「っ……待って! 聞いて! お願い……!」
違う、そうじゃないの。私が伝えたかったことは、そうじゃないの……! お願い、まだ切らないで……! 行かないで……だって、私は……!
危惧していた誤解を与えてしまったことを悔いつつも、必死に縋る。話を終わらせようとしている気配を感じ、なんとかして木下くんの気を引こうとする。焦燥と混乱の中、今までにないくらい猛烈に頭が回転する。
「あの、私……私ね……!」
結果、自らの想いを告げるようとした。好きだから、行かないでと。言った後のことなんて考えていない。木下くんが話を聞いてくれるのであれば、なんでもよかった。
「っ……私は……」
……でも、言えなかった。呪いにでもかかってしまったかのように、その言葉を口にしようとしたら声が出なくなってしまった。
それは、未だ残る罪の意識のせい。それと、今の木下くんに告げたところで、こちらの想いがちゃんとは伝わらないでのはないかという、確信に近い予感があったから。
この場で断られてしまうのが怖かった……というのも、あったのかもしれない。
いずれにせよ、衝動的に告げようとした想いは、言葉にはならなかった。
『……たしか先輩、もうすぐシフトの時間ですよね。そろそろ、切ります。……それでは』
結局、私は木下くんを引き止めることはできず……無情にも、通話は切れてしまうのであった。しばらくの間、スマホを耳から離すことができなかったけど……これ以上なにも聞こえてくることはないんだと悟って、スマホをベッドの上に置いた。
「……どうしよう」
気持ちが沈む。底なし沼に落ちてしまったかのように沈む。このままだといけないと分かっているのに、解決の糸口が見つからない。
連絡先が消えたわけではない。電話番号も、チャットのお友達登録も未だ健在。だけど、このままなにもしなかったら、いずれは疎遠になってしまう。そんな気がした。
そんなの……嫌だ。こんな終わり方、したくない。諦めないって決めたのに……なにも思いつかない。
電話を通じて、分かったことはある。木下くんは多分、今でも私が木下くんのことを異性として意識していないって思い込んでる。……そう思わせてしまったのは、私のせいだけど。
木下くんは、もう諦めちゃってるのかもしれない……そう感じるような、会話だった。
だから、せめて……そうじゃないんだと伝えたい。ちゃんと、好きだということは伝えたい。一緒に居てほしいって訴えたい。
それでなにが変わるのかは分からないけど……それでも伝えたい。
……だけど、どうやって? 口に出して言えなかったのは、さっきの電話の通りだ。チャットを使うというのは、今までのことを考えれば不誠実だ。
もっと他の形……本気の想いだと伝えることができて、かつ私が呪いにかからないような形。それって……なんだろう?
残り少ないシフトの時間までの間、うんうんと唸ってみたけど、答えは出そうになかった。
*
木下くんが不在となった中、シフトに入った私はテーブルを拭きながら、想いの形について思い悩んでいた。
なにをしたいのかが分かったので、気持ちこそ上向きになりつつあるものの、相変わらず名案は浮かばなかった。
そんなとき、カランカランと入店を知らせるベルが鳴る。対応の為、一旦テーブル掃除を切り上げた。
「いらっしゃいませ……あ、蘭ちゃん」
「お疲れ、つぐみ。しばらくの間、ここ使わせてもらっていい?」
お客さんは蘭ちゃんだった。一旦帰宅してたみたいで、私服姿でトートバッグを肩から提げていた。そのトートバッグには、いくつかの荷物が入っていた。
「うん、席はまだ空いてるから大丈夫だよ。えっと、自習とか?」
「夏休み明けから自習とか、するわけないじゃん。新曲作り、ここでやろうかと思って」
「そうなんだ。あ、ごめんね、こんなとこで話し込んじゃって。お席にご案内するね」
比較的奥の方の、作業がしやすそうな2人用の席に案内する。カウンターよりこっちの方が物を広げやすいし、今はお客さんもまばらだから大丈夫だろう。
蘭ちゃんを席に案内した後、お水を持っていく。蘭ちゃんはメニューを眺めながら、作業の準備をしていた。
「はい、蘭ちゃん。新曲の方はどう?」
「ありがとう。新曲は……正直、ちょっと迷ってる。せっかくの『ガルスパ』だし、今までとはちょっと違う感じのテーマがいいとは思ってるんだけど……」
「新しいテーマ……うーん、なんだろう? 季節にちなんだものとか?」
「それも悪くはないけど……まあ、色々考えてみるつもり。……この、ケーキセットのズコットをお願い。飲み物はホットコーヒで」
「ふふっ、かしこまりました」
注文を受け、それをお父さんに伝える。お父さんがコーヒーの準備をしている間、私はケーキをいつでも出せるようにしておく。
新曲かぁ……そういえば、作詞だけだけど、去年にみんなでやったっけ。最初、蘭ちゃんが考えた歌詞の意味が私たちに上手く伝わらなくて、戸惑ってたときのことだ。
あのときは、みんなでお泊りしながら話し合って、変わらないもの、変わったものを確認しあった。
それで、新たないつも通りが生まれて……それを歌詞にした。当時の私たちの気持ちを、精一杯込めた結果……私たちの新しい曲が生まれた。そういえばあのとき、朝日が綺麗だったなあ。
そんなことを思い返していたとき、ぴたり……と思考が停止した。まるで、ずっと探していた商品の目の前を通り過ぎてしまったような感覚。
新曲……作詞……気持ちを込めた……。それらの言葉を頭の中で反芻しながら、こてん、と首を横に傾げる。
出そうで、出てこない。もう答えは出ている気がするのに、それが言葉にならないもどかしさ。
「——あ!」
だけど幸い、今日の私の頭はなんとか答えを捻り出してくれたようだ。2、3回首を傾げたとき、突然閃いたのだ。濃い霧が晴れたように、はっきりとどうすべきかが見えた。燻っていた心が燃え上がり、四肢に力が入った。
「うん、うん……! そうだよね……!」
このアイデアで間違いないと、何度も何度も自分で同意する。ようやくアイデアが手に入ったからか、狂喜乱舞したとしても物足りないほどの興奮が湧き上がる。仕事中だけど、もう我慢できない。私はまっしぐらに蘭ちゃんへ駆け寄った。
「蘭ちゃん! ちょっといい!?」
「え、あ、つぐみ……!? なに、急に……」
作詞の為と思しきノートを広げ、手の中で鉛筆を遊ばせていた蘭ちゃん。突然私が大声で隣まで来たからか、目を白黒とさせていた。
私は蘭ちゃんに落ち着く暇も与えずに、己の興奮に促されるままに強く詰め寄る。
「お願いがあるの! もう、一生のお願い!」
「ど、どうしたの……? ひまりみたいなこと言って……」
「私はこれが1回目だからひまりちゃんとは違うよ!」
「わ、分かったから落ち着いて。それで、お願いってなに……?」
熱意が通じたのか、蘭ちゃんはすぐに折れてくれた。未だ困惑しているのか、眉をひそめているけど。
承諾を得た私は、光の速さでお願いを口にした。
「あのね、新曲の作詞、私にやらせてほしいの……!」
そう、きっと……私の大好きな音楽を通してならば、伝えられる。だから、木下くんへの想いを込めた曲を作ろうと思ったのだ。これならきっと、上手くいく。
「……は?」
一方で、それを聞いた蘭ちゃんは、呆気にとられた様子で顔をポカーンとさせていた。まるで、鳩が豆鉄砲を食らったような顔だった。
*
「ご、ごめんね、蘭ちゃん。いきなりあんなこと言っちゃって」
「まあ、別にいいよ。つぐみが突拍子もないこと言い出すのは、いつものことだし」
蘭ちゃんのもとへ押しかけてから数分後。蘭ちゃんに宥められて我に返った私は、肩を丸めながら、未だに冷めない顔の火照りを感じていた。
……うう、失敗しちゃった。お店の中で、あんな大声出しちゃうなんて。お客さんが少なくてよかった。……本当はよくないけど。
私は今、蘭ちゃんの対面の席に座っている。事情を知っているお父さんが、さっきの私の様子からなにか察したようで、早めの休憩にしてくれたのだ。テーブルには、2人分のコーヒーが置かれている。蘭ちゃんの方にはケーキもセットで。
「……それで? どうして急に作詞なんて?」
「えっと、それは……」
蘭ちゃんの問いに、私は言葉を詰まらせる。事情を話すのが嫌なのではない。ただ純粋に、作詞の動機を語るのが恥ずかしいのだ。告白の為に、作詞がしたいだなんて……よくよく考えたら、とんでもないことをしようとしている。
「……言わないと、駄目?」
「駄目。大事な『ガルスパ』の新曲なんだから。つぐみの一生のお願いでも、簡単には承諾できない」
「だよね……うう」
……どういう風に説明しよう。ストレートに説明した方がいいのは分かってるけど、それは私の精神衛生上よろしくない。きっと、羞恥心で死んでしまう。だから、なるべく直球でありつつも、婉曲的な言い回しで説明したい。
「つまり、ね……歌を通して、ちょっと伝えたいことがあって……」
「なにを?」
「ぅ……その、よく使われてるテーマだとは思うんだけどね? ほら、あの……」
言葉を捏ねくり回しながら、時間を浪費する。言おうとすればするほど顔の温度が上昇し、頭がクラクラする。ちゃんと言えるか、不安になってきた。
……そのとき、蘭ちゃんの方から口を開いた。
「もしかしてだけど……木下となにかあった?」
「ええっ!? な、なんで分かったの……!?」
「なんでって……。つぐみ、鏡で自分の顔見た方がいいよ」
苦笑いを浮かべる蘭ちゃん。相当分かりやすい顔をしていたらしい。顔を俯かせてしまい、しばらくはなにも言えなかった。
……死にはしなかったけど、穴があったら入りたかった。むしろ、シェルターに閉じ籠もりたかった。
その後、モカちゃんのときと同じように観念した私は、再度事情を語ったのであった。前回と違うのは、想いを自覚した結果、なにをしたいと思っているのかも話したことだった。
自分の想いを打ち明けている間、最初は羞恥混じりで話していたものの、しゃべっている内に平常心を取り戻した私は、次第に真剣な口調になっていった。
絶対に、本気の想いを木下くんにぶつけるんだ、という確固たる意思を口調で示しながら、全てを蘭ちゃんに話したのであった。
……説明を全て聞いた蘭ちゃんは、得心がいったと言わんばかりに頷いていた。
「なるほどね。最近調子が悪かったのも、そういうことか」
「うん……黙っててごめんね。それに、ただでさえ練習で迷惑かけちゃってるのに、新曲の作詞までしたいだなんて言っちゃって」
自分でも、かなり無茶なお願いをしていることは自覚している。だけど、それを自覚した上で、無理を通してでもやりたいと思っているのも事実だ。
蘭ちゃんが腕を組んだまま、私の瞳を覗き込むように見つめてくる。その眼光は鋭く、思わず目を逸らしてしまいそうになるほど力強い。でも、私は負けじと見つめ返す。
きっと蘭ちゃんは、私がどれだけ本気なのかを確かめてる。だから、ちゃんとそれに応える。内心ちょっと怖いと思いながらも、一歩たりとも譲らなかった。
「……1つだけ、聞いていい?」
やがてなにかを感じ取ってくれたのか、質問が飛んでくる。私はもちろん、と続きを促す。
「1人で作詞をするのは初めてだと思うけど、つぐみはやるって言ったらちゃんとやり切るって知ってるから、そこら辺は信じてるし、心配もしてない」
だけど、と蘭ちゃんは前置きする。
「つぐみは、木下の為に曲を作りたいってことだよね? それも、つぐみがメインで歌うような曲を」
私はそれに頷く。その通りだ。
「『ガルスパ』には、木下以外にもたくさんの人が見に来てくれる。下手したら、木下は来ないかもしれない。木下1人の為の曲を歌うってことは、その人たち全員を無視するってことになるけど、それは分かってる?」
「……うん、分かってるよ」
そう、これは全部私の我儘。木下くんを振り向かせたいという、邪な気持ち。私たち『Afterglow』を表現するわけでも、お客さんになにかを伝えるわけでもない。たった1人に聞かせる為の曲を、『ガルスパ』という大きなイベントでやらせてほしいと言っているのだ。
普通なら、有無を言わさず却下されてもおかしくない提案だと思う。
「それでも、やりたいの。『ガルスパ』って大きな舞台で歌わないと、私が本気だって伝わらないと思うから」
おそらく、『ガルスパ』は直近での最後のチャンスだ。私と木下くんの行く末を決める分水嶺。もしここで木下くんに想いを伝えられなかったら、いよいよ覚悟しないといけないかもしれない。
そんな想いで、蘭ちゃんの質問に答えるのであった。
返事は……なかなか来ない。蘭ちゃんは考え事をしているのか、視線をノートに落として沈黙していた。待っている間、湯気の消えたコーヒーにミルクと砂糖を入れて、口にする。やっぱり、ちょっと温かった。
どれくらい沈黙が続いただろうか。実際は1分ちょっとしか経ってないんだろうけど、私には何十分も経ったように感じられた。
再び蘭ちゃんの声が聞こえたとき、私は自然と背筋を伸ばした。
「……3日」
「え……?」
「今日を含めて3日。その期間内に完成させられたら、採用する。作曲とか練習とかもあるから、それが限界。私も平行して作詞は続けるから、もし間に合わなかったら私のを使う。それでもいいなら……やっていいよ」
「蘭ちゃん……! うん、絶対に間に合わせるから! 蘭ちゃん、本当にありがとう!」
椅子を跳ね除けるようにして立ち上がる。はしたないとも思ったけど、それくらい嬉しかったのだから大目に見てほしい。
そんな私の様子を見た蘭ちゃんは一瞬だけ呆れ顔を見せた後、静かに笑みを浮かべた。それはモカちゃんが見せたのと同じように、とても優しげだった。
「気にしないで。まあ、”恋愛”をテーマにした曲はまだなかったし、ちょうどいいんじゃない? 私たちの中でそんな経験をしてるのはつぐみだけだろうし」
「そ、そうかな……? 蘭ちゃんは、気になる人っていないの?」
「わ、私は別に……まだ、そういうのはいい……って、今はつぐみの話でしょ……!」
思わぬ反撃に照れているのか、蘭ちゃんは顔を真っ赤にしていた。でも、蘭ちゃんは美人だから、きっとそう遠くない内にそういう人が見つかる気がする。
「とにかく、ありがとう! 私、頑張るから!」
「うん、期待してる。ああ、そうだ。最後に1つだけ」
休憩時間の終わりが近かったので、急いでコーヒーを飲み干してシンクに持って行こうとしたところ、蘭ちゃんに呼び止められる。
「さっきはあんな言い方したけど、”恋愛”をテーマにした曲って、元々誰か1人の為に歌うものだと思う。有名なのとかも、そうだし。そういう意味では……つぐみの我儘な考え方が、一番大事なのかもしれないね」
それを聞いた私は喜びが溢れんばかりの笑顔で力一杯頷き、蘭ちゃんのアドバイスを心に刻んだ。
これで、やるべきことは決まった。だから……そろそろ、あのことも清算しよう。随分と、待たせてしまったから。
*
翌日の放課後。私はファミレスの、シートが向かい合わせになって席で1人座っていた。注文したドリンクバーから注いだアイスコーヒーをちびちびと飲みつつ、私は黙々と作詞に取り組んでいた。
とはいえ、今日はその為にファミレスに来ているのではない。待ち合わせをしているのだけど、相手が来るのを待つまでの間、少しでも作業を進めているだけだ。なにせ、残り2日しかないのだから。
正直、苦戦している。自分の言いたいことを表現しつつ、それでいて字数を揃え、語感もよくしないといけない。蘭ちゃんはこんな難しいことを毎回こなしているのかと思い、改めて感心しているところだった。
作詞を手伝ったときは、自分の考えをみんなと擦り合わせて、それを蘭ちゃんに伝えるだけだったから、厳密には作詞には関わっていない。なので、実質これが初めての作詞となる。
蘭ちゃんから借りた作詞の教本片手に進めているけど、なかなか大変だ。
でも、大変だからと言って立ち止まるつもりはない。そんなに軽い気持ちで言い出したことじゃない。
あーでもない、こーでもないと試行錯誤しつつ、少しずつ書き進めていった。
そんなとき、入店のメロディーが店内に流れる。時間的にもそろそろだろうか。私は店の入り口の方を見る。
居た。日焼けした、丸刈りの男の子。加藤くんだ。私は手を振って自分の場所を知らせる。
すると、それに気づいた加藤くんがこちらにやってきた。その間に、広げていたものは片付けておく。
「こんにちは、加藤くん。ありがとう、急な呼び出しだったのに来てくれて」
なにせ、連絡したのは昨日の夜だ。予定が合うのは数日は先になると思っていたけど、幸運にも今日、待ち合わせをすることができた。
「いえ、今日は部活もなかったんで大丈夫です」
そう言って向かいの席に着いた加藤くんは、すぐに呼び鈴を鳴らして追加のドリンクバーを注文する。それから加藤くんが自分用のメロンソーダを持ってきたところで、話し合う準備が整った。
「えっと、それじゃあ……早速になっちゃうけど、前のお返事をさせてもらってもいいかな? その、すごく待たせちゃってごめんね?」
そう、今日はいよいよ加藤くんの告白の返事をすべく、来てもらったのだ。あの日から、実に2週間ほどが経っていた。
「だ、大丈夫です……! いつでもいいって言ったのは俺の方ですから……!」
「ありがとう。じゃあ、言うね……」
一拍間を置いて、1度だけ深呼吸。ここまで来て、あまり待たせてしまうのもよくないだろう。答えはもう決まっているのだから、一気に言ってしまうべきだ。
なので、胃が締め付けられるような緊張に苛まれつつも、一息でその言葉を告げた。相手を傷つける、決定的な言葉を。
「——ごめんなさい」
一瞬、加藤くんの呼吸が止まったのを感じた。誰がどう見ても簡単に分かるくらいに、動揺を全身で表現していた。胸に刃物を突き立てられたように、沈痛な面持ちで唇を一文字に結んでいた。
「そう、ですか……」
「うん。気持ちは、とても嬉しかったよ。でも、あれから色々考えて……気づいちゃったの。私、他に好きな人がいるんだって」
一切の誤魔化しをせずに、正直に自分の気持ちを伝える。残酷なことをしているという自覚はあるけど……私の気持ちが変わることはない。私が好きなのは、木下くんなのだ。その想いを曲げることはできない。
「だから、加藤くんとは……付き合えません。……本当に、ごめんなさい」
頭を丁寧に下げる。額がテーブルにくっつきそうになるギリギリまで下げる。目も閉じているので、加藤くんの姿が見えなくなった。
この程度で彼のショックを緩和できるとは思ってないけど、せめてもの気持ちだった。彼が気が済むまで、頭を下げ続けるつもりだ。
「あの、顔を上げてください。そんなことされても、どうしたらいいのか分からないんで」
加藤くんに促されて、姿勢を戻す。すると、先程までとは違い、彼の顔には貼り付けたような笑みが浮かんでいた。……無理をしているのは、明らかだ。
「……あんまり気にしないでください。ぶっちゃけ、ダメ元みたいなとこはあったんで。ほとんど話したこともないのに、上手くいくわけないですよね……はは」
自らに言い聞かせるかのように、早口で捲し立てる加藤くん。撤回することも、フォローすることもできない私は、黙って聞いてるしかなかった。
「もしかして……あのバイトしてる男ですか?」
「えっ!? ど、どうして……!」
……黙って聞いてようとしてたけど、加藤くんの名推理を前にたじろいでしまった。
『Afterglow』のみんなとかならともかく、まさか加藤くんにまで見抜かれてるとは思わなかった私は、あからさまな反応を見せてしまった。
耳の端が、微かに熱を帯びる。
「実は夏休みの間、告白しようと思って、何度かあの商店街をうろついてたんです。でも、全然声をかけられなくて……そしたらあの日の午前だかに、あの男と一緒に歩いてるのを見ちゃったんです」
それはきっと、スイーツの調査に一緒に出かけた瞬間のことだろう。確かに、傍から見たらデートにしか見えない……というか、今思い返しても完全にデートだった。私自身、当時は無自覚だったけど、それらしい反応を見せていた。
「そしたら、居ても立ってもいられなくなって……夕方、待ち伏せして、勢いで言っちゃったんです。でも……一緒に出かけるような相手に敵うわけないですよね」
その問いには答えずに、沈黙をもって答える。肯定はしてないけど、私がなにを考えているかは加藤くんにも伝わっただろう。
しばらくして……加藤くんはぼそりと、「もう、行きますね」と告げた。
すると、彼は一気にメロンソーダを飲み終え、迷わず席を立つ。同時に、テーブルの伝票入れの筒から2枚の伝票を抜き取ってしまった。
「あ、待って……! 私の方が年上なんだから、それくらい……」
「いいんです。というか、これくらいさせてください。一応これでも男ですし。迷惑をかけたお詫びです」
そんな言い方をされたら、なにも言えなくなってしまう。伝票を取り返そうと伸ばした手を、途中で引っ込めてしまった。
「それじゃ、なんというか、ありがとうございました。こんな真面目に答えてくれて。その、応援……してますから」
それだけ言い残すと、加藤くんは手早く会計を済ませて、お店を去ってしまった。歩き出した方向の関係か、背中を向けた姿しか視線で追えなかった。
角を曲がって消えてしまうその最後の瞬間まで目を離さなかったけど、結局、背中しか見ることができなかった。
「……1人、常連さん……失くしちゃったかな」
自嘲気味に呟く。後悔はない。でも、せっかくの好意を断ってしまったことに胸が痛むのも事実だった。いつか、私よりいい人が見つかってほしい。そう、心から思った。
それと最後の、応援しているという言葉。それが本心なのかどうかは分からない。でも、彼がそう言ったのだから、きっとそうなのだろう。そう、思い込むことにした。
……たった1つの想いを形にする為に、色んな人に迷惑をかけてしまった。傷つけてしまった。だからこそ、止まってはいけない。そう、強く言い聞かせる。
「よし……頑張らないと……!」
必ず、絶対に完成させる。改めて確認したその熱い想いを胸に、私はもうしばらくファミレスで作詞を続けるのであった。