羽沢先輩目当てでバイトするのは不純に違いない   作:Washi

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アフター
打ち上げとお祝い


 『ガルスパ』が終わり、日が落ちて辺りがすっかりと暗くなる。夕飯どきとも言えるこの時間帯に、僕と『Afterglow』のみんなは『羽沢珈琲店』に集合していた。

 ホールから店の入口を見ると、”Open”と書かれた看板が掛かっているのが分かる。つまり、店はもう閉店しているということだ。本来ならば、閉店には少し早い。

 ならなんで閉店になっているのかと言うと、原因は僕たちにある。

 

「えっへん……では皆様、お飲み物はお持ちでしょうかー?」

 

 上原先輩がオレンジジュースの注がれたコップを手にしながら、テーブル席に着いている僕たちの前に立って声をあげる。語尾が伸びたりしているものの、やけに丁寧な口調だった。

 

「ひまり、気取り過ぎ。別にいつも通りでいいから」

「えー!? だって、あの『ガルスパ』の打ち上げの挨拶なんだよ!? それにつぐと木下君のこともあるし!」

 

 美竹先輩の指摘に、上原先輩は頬を膨らませる。先輩の筈なのに、なんだか子供みたいだ。隣に座っている羽沢先輩も「あはは……」と苦笑いを浮かべている。

 

「ほらほら、そこまでにしておきなって。そんなんじゃいつまで経っても始まらないぞ?」

「そうそ〜う。早くしないと〜、せっかくの料理が冷めちゃうよ〜」

 

 宇田川先輩が2人を宥めると、青葉先輩がそれに追従する。テーブルには色とりどりの料理が並んでいて、どれも香ばしい匂いを放っている。意図せずして腹の虫が鳴ってしまうくらいだ。青葉先輩が先を促す気持ちも分かる。

 ……もっとも、そんなことを言ってる青葉先輩は既に食べ始めているが。美竹先輩が呆れた様子でそれを見ていた。

 

「こ、こほんっ! じゃあ改めて……みんな! 今日はお疲れ様! おかげで『ガルスパ』のライブは大成功! そしてそんな記念すべき日に、つぐと木下君が晴れて結ばれました! おめでとう2人とも! はい拍手!」

 

 上原先輩の合図を皮切りにパチパチと拍手が僕たちに浴びせられ、おめでとう、と祝いの言葉まで贈られてきた。先輩たちの温かい目線が僕たちに集中する。

 ……なんとなく気恥ずかしくて、後頭部の髪の辺りを掻きながら俯いてしまう。チラリと羽沢先輩の方を見ると、彼女も困った風に肩を縮こませていた。

 

「というわけで、料理も飲み物もいっぱい用意してもらったから、いっぱい楽しもうね! それでは……乾杯!」

 

 かんぱーい! と僕たちは飲み物の入ったコップを持ち上げて、大人のマネをしてコップをぶつけ合った。カランカラン、と中に入っている氷が心地のよい音を響かせた。ちなみに、僕は緑茶にしてもらった。

 

 ……まあ、つまりは『ガルスパ』の打ち上げ兼、僕と羽沢先輩のお祝いパーティということだ。元々打ち上げは夜にここでやる予定だったらしいので、お祝いの方をくっつけてもらった形になる。

 

「木下くんもお疲れ様。今日はたくさん走ったから疲れちゃったよね? 用意も手伝ってもらっちゃったし、好きなだけ食べていいんだからね?」

「ええ、ありがとうございます。そうさせてもらいます」

 

 実は、僕と羽沢先輩も料理の用意は手伝っている。日中、店に行こうと提案してきたのはそういう意図もあったらしい。最初は羽沢先輩だけが手伝いに入ろうとしていたところを、僕が無理に加わったのだ。お金は発生してないからバイトじゃないと言い張って。

 結構ギリギリに完了したので、結果的に手伝ってよかったと言える。

 

 近くに置いてあるサンドイッチをいくつか取り、パスタを何種類か皿に盛る。更にオーブンで焼いたチキンやらを取っていく。羽沢先輩が言った通り、今日はもう腹ペコだ。これだけ美味しそうならば、いくらでも食べれる気がする。

 ちなみに、羽沢先輩が作った料理を多めに取ったのは内緒だ。

 

「あ、そのポモドーロとかは私が作ったんだよ。食べてみて?」

 

 ……と思ったら、バレていた。下心までは見透かされてないと思うけど、なんだかムズムズする感じだった。恥ずかしさを誤魔化すことも兼ねて、言われた通りに食べてみる。

 ……うん、美味しい。トマトソースが丁寧に煮込んであるから酸味や苦味が全くない。トマトの甘みと、油で炒めた香味野菜の旨味がパスタにぎゅっと染み込んでいる。そこにオリーブオイルの風味が合わさって深いコクを生み出している。パスタの茹で加減も完璧だ。

 

「どうかな?」

「美味しいですよ。トマトソースがめっちゃよくできてます」

「ほんと? ふふっ、よかった」

 

 両手を合わせて、花を咲かせるような笑顔を浮かべる先輩。釣られて、僕も口元を緩めてしまった。

 

「お〜、早速いちゃついてますな〜」

「あ、青葉先輩……っ!?」

 

 タイミングを見計らったかのように青葉先輩が乱入してきた。その手には料理が山積みにされた皿が。この人、男の僕より遥かにたくさん食べるんだよね。最初見たときはびっくりしたものだ。

 

「つぐの料理〜、とっても美味しいよ〜」

「えへへ、ありがとう。どんどん食べてね」

「うん、そうする〜」

 

 そう言うや否や、青葉先輩は口いっぱいにパスタを頬張る。これさえあれば、なにもいらないと言わんばかりの幸せそうな顔をしていた。羽沢先輩も嬉しそうだ。

 

「ところでー、つぐ〜、ゆ〜君?」

 

 食べ物を飲み込み終わったらしい青葉先輩が、僕たちになにか聞きたそうにしている。僕たちは口を揃えてどうしたのかと聞いてみた。

 すると、青葉先輩はまるで道を尋ねるかのような軽い調子で問いかけてきた。

 

「恋人になったんだし〜、名前で呼び合わないの〜?」

 

 空気が固まった。少なくとも、僕にはそう感じられた。名前……そう、名前ね。名字じゃない方の呼び方だ。もちろん、分かってる。

 ……うん? え? 名前? 待てよ、よくよく考えたら、女子を名前で呼んだことなんて一度も……。

 

「そうだよ2人ともー! 名前で呼び合えば心の距離はグッと縮まるんだよ!? 絶対そうした方がいいよー!」

 

 どこから聞きつけたのか、上原先輩が会話の輪に飛び込んできた。ジャーナリストの取材ばりの勢いに、僕は上体を反らした。

 

「名前……ですか」

「そうそう! ほら、ちゃんと向き合って!」

 

 上原先輩は強引に僕の座っている向きを変える。力の差を考えれば抵抗することもできた筈なのに、どういうわけかその気迫に押されて成されるがままだった。一方の羽沢先輩も、青葉先輩に同じことをされていた。

 

 2人の言っていることは正しいとは思う。付き合っているのだし、ちゃんと名前で呼び合うべきだ。ただ、この場でそれをするのはちょっと……と思ってしまう。

 それは羽沢先輩も同じだろう。そう思い、向き合っている先輩の様子を確認する。ところが、目に映った光景は想定とは違っていた。

 

「……う、うん! そうだよね! こ、恋人なんだもん……! よーし……!」

 

 あ、駄目だ。顔こそトマトのように真っ赤だけど、完全に乗り気だ。そうだ、先輩はこういう人だ。この中でも一番行動力に溢れているのだった。これは、逃げ場がない。

 

 先輩は覚悟を決めた様子で僕のことをしっかりと見据える。まだ戸惑っている僕はと言うと、矢で射抜かれたかのようにたじろいでしまう。間を置かずして、先輩は口を開く。

 

「……勇樹くん!」

「っ……は、はい」

 

 一発だった。僕の返事の情けなさが際立つレベルで、元気よく名前で呼んでくれた。上原先輩の挨拶のときのように、なぜだか周囲から拍手が贈られる。いつの間にか、全員がこの場に注目していた。余計にやり辛くなってしまったと思う。

 ……分かってる。次は、僕の番だ。

 

 先輩を見る。子犬が餌を欲しがっているときのような、期待に満ちた先輩の視線が眩しい。その上目遣いは反則だ。

 いや、言うよ? ここまで来たら言いますとも。……ただ、先輩の後ろでニヤニヤしている青葉先輩は後で絶対引っ叩いてやる。

 

 胸を突き破りそうな勢いで弾む鼓動を感じながら、深呼吸を繰り返す。心拍数が下がる様子はないけど、心の準備だけはできた。

 ……よし、言うぞ。ちゃんと言うんだぞ、僕。

 

「えっと……その……つ、つ……ぐ……」

 

 言葉に詰まる。たったの3文字なのに、上手に言えない。どんどん空気が張り詰める。炎で炙られているかのように体温が急上昇する。

 

 ……いや、逃げないと誓ったばかりなんだ。ここは絶対に言ってみせる。

 そう決意すると、喉につっかえているなにかを無理に押し出すようにして言葉を吐き出そうとする。頑張れ僕……もうすぐ、もうすぐで言える筈だ。

 ——その圧力が最高潮まで高まったとき、堰を切ったように言葉が飛び出した。

 

「っ……つぐみ先輩!」

「ぁ……うん!」

 

 やった……言えた。顔は赤熱した鉄のように熱いし、過呼吸になりかけてたけど、無事に言えた。みんなの拍手は恥ずかしかったけど、同時に関係が進展していることが実感できて、とっても嬉しかった。

 

 こんな感じで、打ち上げは始まった。食事を楽しんだり、アップされたばかりのライブ映像をテレビに映して振り返ったりしながら、過ごしていくのであった。

 

 

 各々が思い思いに誰かしらと雑談に講じる中、僕は静かにオレンジジュースを飲みながらテレビを眺めている美竹先輩の近くに座った。

 美竹先輩は僕の姿に気づいたのか、コップをテーブルに置く。

 

「……なに?」

「いえ、まだお礼言ってなかったなと思いまして」

 

 ピンと来ないのか、それともとぼけているだけなのか、美竹先輩は眉をひそめる。

 

「電話のことです。あれのおかげで、僕はなによりも大事なことに気づけました。……ありがとうございます」

「……別に、あんたの為にやったわけじゃないから」

 

 美竹先輩はそう言うと、無表情を保ったまま視線をテレビに戻した。顔が赤くなってるわけでもないし、本当にそう思っているようだ。

 

「ただ、泣いているつぐみが見ていられなかっただけ。あたしは2人が付き合っても付き合わなくてもどっちでもよかったけど……つぐみがあんたのことをどれだけ想っているのか、よく知ってたから」

「……それでも、ありがとうございます。あの電話がなかったら間に合わなかったかもしれないので。全部、全部……美竹先輩のおかげです」

 

 美竹先輩としては先程の言葉通りの意味しかないのかもしれない。けど、それを聞いて、はいそうですかでは僕の気が済まない。

 だから僕は、頭を下げた。しばらくは反応がなかったが、僕のことを目の動きだけで確認した美竹先輩は、再び顔をこっちに向けてくれた。一応、こちらの誠意は伝わったらしい。

 

「言っておくけど、今回は色々偶然が重なっただけって分かってるから、なにも言わないだけだから。もし次、つぐみのことを泣かせるようなことがあったら今度こそ許さないから……!」

「……はい、肝に銘じておきます」

 

 美竹先輩の言葉を重く受け止める。全くもってその通りだ。あんなにも胸が痛くなるようなこと、二度と起こすわけにはいかないし、起こしたくもない。

 

「……分かってるならそれでいいけど。ああそれと……まあ、一応……つぐみのこと、よろしくお願い。大事な、幼馴染だから」

「え……はい、それはもちろん」

 

 虚を突かれて間抜けな返事をしてしまったが、すぐにしっかりと応じる。

 そのときの美竹先輩の表情は、特に変わっていないように見えたが……よく見ると、耳の端が微かに赤みを帯びていた。なにを考えてその言葉を僕に託したのかは明らかだった。気難しいところはあるけど、やっぱり誠実な人だなと思う。

 ただ、会話はそこまでだった。美竹先輩は顔を逸らすと、テレビの観賞に戻ってしまった。

 

 僕の用もこれで終わりだ。邪魔はしてはいけないと思い、僕は席を立ってその場を離れるのであった。

 

 

 続けて、僕が立ち寄ったのは上原先輩と宇田川先輩の所だった。楽しそうに、ライブの感想を語り合っているようだった。

 

「それでねー……あ、木下君!」

「ん? お、本当だ。お疲れさん。ごちそうになってるよ」

「うんうん! とっても美味しいよ!」

 

 2人の褒め言葉に、お礼を返す。仕込み自体はつぐみ先輩の両親がやったとはいえ、そう言ってもらえるのは嬉しかった。

 

「ライブのことを話してたんですか?」

「ああ。無事、大成功に終わったしな。お前が最後に駆けつけてくれたおかげだ。ありがとな」

「いえ、僕は別に……」

「そんなことないよ! 今日のつぐの歌、すっごくよかったもん! 私も思わず泣きそうになっちゃったくらい。きっと、木下君があそこに居たからだよ」

 

 上原先輩の真っ直ぐな言葉に、僕はなにも言い返せなくなった。つぐみ先輩もそうだけど、上原先輩もそういうこっちが恥ずかしくなるようなセリフを簡単に言うから、返答に困ってしまう。

 

「まあ……ありがとうございます」

 

 だから、ぶっきらぼうに感謝を伝えるしかできなかった。そんな僕を見て上原先輩はニッコニコの笑顔を浮かべている。きっと、僕が照れてるのに気づいているからだろう。

 

「それはそうと……つぐとのこと、あんまり力になれなくて悪かったな。つぐから話を聞くまで、全然気づかなかったよ」

 

 途端に話題が切り替わり、宇田川先輩は顔を曇らせる。すると、上原先輩も同様の表情を見せた。……いや、むしろ上原先輩の顔の方が幾分か暗いように見えた。その理由は、おおよその見当がつく。

 

「うん、そうだね。……改めてになっちゃうけど、私の方もごめんね。あんなメッセージを送ってなかったら、こんなややこしいことにならなかったのに」

 

 ……そう。実は、『Afterglow』の全員が、僕とつぐみ先輩の間で起こっていたいざこざの全容を知っている。あらすじではなく、一から十までの全ての内容をだ。それは例えば、上原先輩のメッセージが発端になったということかも含めて。

 打ち上げの準備が始まる前、僕とつぐみ先輩で話し合った上で、みんなにちゃんと包み隠さず打ち明けようと決めたのだ。

 そして……先輩たちが店に来たとき、全てを話した。もちろん、上原先輩を責めようという意図をもって打ち明けたのではない。そんなマイナスな理由ではない。むしろ、その逆だ。

 

「さっきも言いましたけど、気にしないでください。結果論かもしれないですけど、あれがあったから、最後に上手く行ったんだと思ってますから」

 

 冷静に言葉を返す。慰めの為の取り繕った言葉ではない。本心からそう思って言っているのだ。

 もし、あのメッセージがなかったら、僕の気持ちがつぐみ先輩に伝わることはなかった。あのタイミングで伝わったからこそ、つぐみ先輩が加藤とやらへの返事を考えるのを一旦止めることができた。そして、つぐみ先輩が自身の気持ちに気づくきっかけとなった。

 あれがなかった場合、つぐみ先輩の性格を考えると……もしかしたら、もしかしたかもしれないのだ。あのとき、僕はつぐみ先輩のことを諦めかけていたのだから。

 

「……うん、ありがとう木下君。でも、やっぱりこれからは気をつけることにするよ。今回のことは偶々いい方向に転がっただけだし」

 

 上原先輩なりに思うところがあるようだ。まあ、ここから先は先輩自身の問題だろう。これ以上、僕があれこれ言っても意味はなさそうだ。僕は反論せずに頷いた。

 

「今更って思うかもしれないけど、なにか困ったことがあったらまた相談してくれよ。アタシたちにできることなら力になるからさ」

「あ、もちろん私も力になるからね! 遠慮なく言ってね!」

「……はい。そのときは、よろしくお願いします」

 

 先輩たちの頼もしい言葉に、僕は再び力強く頷くのであった。

 

 

 最後に、僕は青葉先輩のもとへ向かった。先輩は、未だにマイペースに料理を楽しんでいた。

 

「お〜、ゆ〜君、どうしたの〜?」

「えっと、さっき美竹先輩にも言ったんですけど、お礼が言いたくて」

「お礼ー?」

「はい。あの動画のこともそうですけど、つぐみ先輩の異変にすぐ気づいて支えてくれたこと……本当にありがとうございます」

 

 つぐみ先輩の話では、僕たちの関係が拗れたとき、先輩が立ち直るきっかけになったのは青葉先輩の助言だったらしい。しかも、青葉先輩は相談されてもいないのにつぐみ先輩の苦悩を見抜いてしまったそうだ。本当に、すごい人だ。

 

「まー、まー、幼馴染として当然のことをしたまでだよ〜。ゆー君はあたしのお得意様だし〜?」

「……確かに、そういうこともありましたけど」

 

 ニヤリと不敵な笑みを携える先輩。お得意様……あの、秘密裏に買い取ってたつぐみ先輩の写真のことだろう。最近はあまりそういうことをしてなかったけど、既に3枚も青葉先輩から買い取っているという、ろくでもない実績を持っているのも事実だ。

 

「あ〜でも、そういえば〜、明日はやまぶきベーカリーで新作のパンが出るんだよね〜。……ゆー君、今日模試だったんだから明日暇だよね〜?」

「……分かりましたよ。お礼に好きなだけ買ってあげますよ」

 

 露骨な催促を、僕は渋々と受け入れた。青葉先輩のおかげで色々と助かったのは本当のことだし、それくらいはしよう。ただ、今はもうバイトはできないので加減はしてほしいとは思う。

 

「ところで〜、お兄さん〜、そろそろ4枚目は欲しくはないかい〜?」

「……あー、いや、前と違ってバイト代が入るわけじゃないのでこれ以上は……」

 

 それに、流石にそろそろつぐみ先輩に申し訳ないし。3枚も買っといてなにを今更って感じはあるけど。

 

「いやいや〜、今回は出血大サービス〜。お祝いに、プレゼントしちゃうよ〜」

「いえ、そういうことではなくてですね……」

「いいからいいから〜、ほら〜試しにどうぞ〜」

 

 断ろうとするも、青葉先輩は退かない。それどころか、自身のスマホを弄ると僕に向けて画面を無理やり見せてきた。

 逡巡はあったものの、あくまで仕方なく……仕方なく、画面を確認する。さて、今回はどんなのだろうか。

 

 そんなことを考えていた僕に、全身を稲妻が駆け巡るような衝撃が走った。予想だにしてなかったものが目に映り、思考が止まる。

 

「こ、これは……」

「つぐが迷走してたときの格好だよ〜。この1枚が最初で最後の、激レア写真で〜す」

 

 言葉が出なかった。その写真の中のつぐみ先輩の格好は、僕が知る先輩のイメージとは対極に位置するものだった。

 まず、最初に目に入ったのはオールバックにされた前髪と大きめのグラサン。もう、この時点で誰だという感じである。だが、それ以上にヤバイのがその服装だ。黒の革ジャンなのだ。しかもロックの為のアクセントという感じではなく、下もレザーパンツで統一したライダースーツに近い形だ。そしてなにより、トゲ付きの肩パッドがこれでもかと存在を主張していた。そんな明らかに異質な格好で、足を組みながら乱暴な姿勢で椅子に座っていた。

 これは……本来の意味でヤバイ。ロックじゃなくてデスメタルとかになっちゃってる。つぐみ先輩を知っている人がこの写真を見れば、満場一致でどうかしたのかと心配になるレベルだ。

 

 た、確かにこれはレアな写真かもしれないけど……ちょっと、これを貰うのはどうなのだろうか。というか、本人も闇に葬りたい格好なのではないだろうか。

 ……そういえば、以前雨の日に励ましてもらったときに、どれだけ聞いても頑なに詳細を話してくれなかったものが1つだけあったような……まさか、これのこと?

 

「勇樹くん? モカちゃん? 2人でなにを見て……っ、わ、わわぁあ!? ど、どうしてそれが……!? だ、駄目! 見ちゃ駄目ぇえ!!」

 

 写真観賞の時間の終わりは唐突だった。偶然僕たちに話しかけてきたつぐみ先輩が写真に気づくや否や、猫に勝るとも劣らない俊敏な動きで僕と青葉先輩の間に割り込んできた。結果、写真は見えなくなった。

 背中を向けているせいかその表情は窺えないが、代わりに燃え盛る炎のようなものが見えた気がした。羞恥心と……怒り、だろうか。1つ分かるのは、息が詰まるくらい凄まじいオーラであるということだけだ。

 

「モカちゃん! それ! 早く消して!」

「えー、でもー」

「消して!」

「……はーい」

 

 お、おおー……あの青葉先輩が押し切られた。今のつぐみ先輩の気迫なら、どんな猛獣だろうと大人しくさせられそうだ。

 しばらくして、「これでいーい?」と青葉先輩がつぐみ先輩に確認を取っていた。そのやり取りから察するに、無事消去されたようだ。だが、それで終わりではなかった。

 くるりっ、とつぐみ先輩がこっちを向く。その瞬間、蛇に睨まれた蛙のように体が動かなくなった。その顔は紅潮していたが、同時に視線だけで人を気絶させられそうなくらい険しい表情をしていた。

 

「勇樹くんも。あの写真のことは忘れて。いーい?」

「……はい」

 

 そう答えるしかなかった。そして、今後二度とこのことが話題に上がることはなかった。

 

 

 宴もたけなわ。しかし、僕たち高校生が外出できる時間は限られている。打ち上げも、そろそろ終わりを迎えようとしていた。

 そんなとき、上原先輩がとある提案をした。

 

「そうだ! 最後にみんなで写真撮ろうよ!」

 

 そう言うとすぐにスマホを用意した上原先輩は、マスターに撮影をお願いしていた。他の先輩方も既に動き出している。提案というか、もうそうするのが決まっている流れだった。もちろん、僕も賛成だ。

 

「えっと、じゃあこの辺がいいかな?」

 

 つぐみ先輩がよさそうな撮影スペースを確保してくれる。ちょうどキッチン側がいい感じに背景になってくれる場所だ。

 今日は『Afterglow』が主役なわけだし、僕は端の方がいいだろう。そう思い、適当に先輩たちが並び終わるのを待つ。

 

「ちょっと、木下君はそっちじゃないよ! 木下君は真ん中でつぐの隣に座って!」

 

 ところが、そうはならなかった。上原先輩にセンターに入るよう促されてしまった。

 

「え、いや、でも……」

「いいからいいから! ほら、こっちこっち!」

 

 上原先輩に物理的に背中を押されて、席まで強引に運ばれる。本当にいいんだろうかと思いつつも、なんだかんだで従ってしまう。

 

「つぐもほら、ここに座りな」

「わわっ……あはは、それじゃあお言葉に甘えて」

 

 つぐみ先輩も宇田川先輩に引き寄せられるような形で僕の隣の席に着いた。

 椅子はぴったりと横付けされていて、片方の腕が完全に密着する距離だ。公園でもそうしてたとはいえ、今度は先輩たちやマスターたちの前だ。多少視線が泳いでしまうのは許してほしい。とはいえそれも、少ししたら落ち着いてきた。

 

 ふと、つぐみ先輩と顔を見合わせる。すると、つぐみ先輩はすぐに柔らかな微笑みを返してくれた。胸が温かい。その温もりがもっと欲しくて、僕は思わず手を下から差し出してしまった。一瞬目を丸くした先輩だが、すぐに目を細めて手を取ってくれた。しっかりと握る。

 甘えちゃってるなあ、と思いつつも、決して自分から離すことはなかった。

 

「よし、それじゃあ撮るよー」

 

 マスターの掛け声があったので、正面を向く。可愛らしいデコレーションの成された上原先輩のスマホのレンズがキラリと光る。

 

 ……隣につぐみ先輩が居る。それも、恋人として。気持ちが通じ合っているのは、しっかりと繋がれた手を見れば明らかだ。これで幸せじゃないわけがない。

 自然な笑顔を見せられない理由は、皆無だった。

 

「はい、チーズ!」

 

 カシャリ、とシャッター音が響いた。直後、上原先輩が確認にマスターの方へと駆け寄る。そして納得のいく1枚が撮れていたのか、「みんなー、見てみてー!」と僕たちを呼んだ。

 すぐに全員でワイワイと上原先輩の所に集まり、画面に映っている写真を確認した。

 

 ——それはいつまでも眺めていたい、最高の1枚だった。

 

 

 


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